最近のいずみ

Last Update:2001/6/30

パートタイムアスリートいずみ 活動中!!


■2001年6月30日(土曜日)
 熊谷基地で朝練し、朝食後六本木の平石クリニックへ血液検査の結果を もらいにいった。中性脂肪が基準値よりも低いので油ものをもっと食べる ように指導された。また、白血球数も基準値より低く、金と戦う力が弱い ので、体調の管理をしっかりするようにも言われた。
 六本木を出た後は、夢の島競技場で練習。曇ったり雨が降ったりして、 ずっと気持ちの良くない天候だった。明日はレースなので気分はのらな かったが、最終調整。400mを走り納得できず、その後200mで動きを 変えてみようとした。しかし、速い動きはできず、後味の悪い調整になった。

■2001年6月29日(金曜日)
 熊谷基地では一番偉い基地司令の離任行事があった。普段は日中は教室の 中にいて、クーラーのために寒い思いをしていたが、今日は日中、屋外に 出ることができ、日本の夏を感じることができた。シャツは汗でビショ ビショ。こういう天気のいい午前中に練習ができたらどんなに気持ちが いいだろうと思った。

■2001年6月28日(木曜日)

garp

当たったCD
 キョードー東京の懸賞で「garp」というバンドのライブチケットが 当たったので、見に行った。場所は南青山。なかなか雰囲気のいい ライブハウスで、ライブが始まる前から何となくうっとり。笑
 ライブが始まり、メンバー4人だけの演奏で幕が開けた。途中から ゲストとしてトロンボーン、トランペット、サックスが入り、渋めの曲から テンポのいい曲まで、幅広く楽しめた。最後にハワイから帰ってきたばかり とかいうボーカルのおっちゃんが入ってきて盛り上がった。というか盛り 上げられた。
 garpのメンバーの演奏よりも目立っていたのがサックスの演奏。本当に 聞き惚れた。鳥肌が立つほどだった(エアコンがききすぎていたってのも あったけど)。
 アンコールまで終わり、帰るときに出口で福引きのようなくじがあって、 なんとなく手にしたくじには、なんと「当選」という文字が書いてあった。また 当たってしまった。何が当たったかというとオムニバスCD4枚組。当選に 次ぐ当選という感じで、大満足のライブだった。

■2001年6月27日(水曜日)


デスクトップになったlet's note
 授業にいっている間に激しい雷雨があり、部屋に帰ってみると、部屋は 大洪水。バケツで水を流したように床や机の上は水浸し。窓が開いていた だけで、何故ここまでひどい状態になるのかよくわからない。雨が横向きで 降ってきたみたい。机の上に置いてあったパソコンは中がまで水が入っている ようで、すぐに洗濯物を干す乾燥室へもっていった。
 アンビバレンスの練習会に行ってその話をしたところ、乾燥室に入れて いたら基盤よりも液晶が先にダメになると言われ、もうパソコンは 生き返らないと思った。
 部屋に帰ってきて、パソコンを見ると、見た目はしっかり乾いて、問題 なさそうに見えた。早速電源を入れてみると、いつも通り立ち上がった。 しかしメールを書こうとしたときに、押しても反応しないキーがいくつか あった。
 結局後輩からマウスと、キーボードを借りてなんとか生き残った。そろそろ 買い換え時か?

■2001年6月26日(火曜日)
 実業団ヨーロッパ遠征組は、今日デンマークで第1戦をやっているん だろうなぁと考えながら1日を過ごしていた。あれから1年も経ったのかぁっと 思った。今自分が日本にいるのが悲しい。今年は合宿に一つも参加できな かったし、試合の結果も良くなかったから、どう考えても行ける要素は なかったが、体育学校に残っていたらどうだったのだろう?と考えてしまった。 とても後ろ向きな気持ちになる1日だった。
 しかし、運の方はいいらしく、今日は懸賞が2つも当たった。しかも コンサートとライブのチケット。これで今年に入って当たった回数は14。 こんなところで運を使ってるから、陸上のほうでは芽が出ないのかもしれない。

■2001年6月25日(月曜日)
 最近風呂の水とお湯が茶色い。錆が出てくる。風呂の使用が禁止になった。 シャワーは使ってもいいことになってるが、錆を浴びることになる。今日は 特に茶色かった。でも浴びないと汗だくになった体はくさいし、結局浴びる ことになる。なかなかすばらしい環境だ。早く直らんかなぁ〜

■2001年6月24日(日曜日)


お台場・夢の大橋
 自転車でお台場へ行った。お台場といえば新橋からゆりかもめに乗って 行くものだと思っていたが、木場の方からなら自転車で簡単に行けた。 夏用の服やズボンを見に行ったが、気に入った店はアジアの食材の置いてある お店。沖縄の商品を見て懐かしい〜と喜んで、韓国の商品を見て文字が読める なんて喜んだ。おもしろかったのは携帯用コショウ。携帯用七味というのは 聞いたことあったけど、コショウもあって驚き。一つ680円(高けぇ〜 !!)。結局買ったのは、レーズンとプルーン。アジアとは全然関係ない。

■2001年6月23日(土曜日)


町で見かけた怪しい
おじさま2人組
 朝練はするにはしたが調子悪くて、ただいつもの時間を走っただけ。その後 熊谷を出発し六本木で血液検査。そして朝霞駐屯地へ。いつも通り練習を しようと思ったが、体育学校のメンバーは埼玉県選手権で鴻巣へ行っていた。 一人で走るしかなかったので、寂しくジョッグを始めたが、始めてすぐに 頭痛。5分で走るのをやめた。ホントに調子悪るぅ〜。

■2001年6月22日(金曜日)
 鴻巣で練習。競技場が閉まる時間ぎりぎりで入ったので、ほとんど練習する 時間がなく、練習の予定を変更して3000mを1本走るだけにした。アップ 不足であることはわかっていたが、走ってみると予想以上に走れなくて、 悲惨なタイムでゴール。タイムはだいたい自分の中学1年生の時のタイム。 かなりのショック。そのあとダウンでジョッグをしながら、一瞬意識を失い そうになった。一瞬眠ったような感じ。歩いているとにに寝くて意識を失った ことは何度があるけど、まさか走っているときになるとは・・・ ゆっくり 寝た方がよさそう。

■2001年6月21日(木曜日)


スイカを頬張る浦上、渡辺、和泉
 懸賞はがきを50枚も書いてしまった。しかも全部違う懸賞。たった1日で こんなに書いたのは初めてだった。普段から主婦のように、まめに懸賞情報を 集めているのだが、6月末締め切りの懸賞があまりにもたまっていたため そろそろ出さないといけないなぁと思って書き始めたところ、こんなに 書いてしまった。昨日はがきを40枚買ったばかりなのに、もうない。 後輩からは病気だと言われたが、自分でもそう思えてくる。本当にアホだ。

■2001年6月20日(水曜日)


サッカーのおみやげ
 懸賞でヤマザキナビスコカップ「浦和レッズvsガンバ大阪」が4枚 当たって今日がその試合日。見に行きたかったが、アンビバレンスの練習会の 方が自分にとっては大事だったので、結局、同僚にチケットを譲り、行って もらうことにした。
 天気予報では雨だったが、ずっと曇ったままだったので、自分の方は 予定通り練習でき、サッカーを見に行った人たちもかなり盛り上がり、 楽しめたようだった。どちらも満足できてよかった。
 チケットを当てる度に自分は行かず、なぜか他人に譲っている。でも 応募してしまう。自分でいうのも変だが、変わった人間だと思う。

■2001年6月19日(火曜日)
 昨日はサーキットトレーニングをしたので、今日は確実に筋肉痛になること を覚悟していたが、朝起きた時点では別に何ともなかった。やっと運動選手の 体に戻ってきたのかも、と喜んでいた。しかし夕方、練習を始める頃には 大胸筋あたりはかなりの筋肉痛になり準備体操をするのが辛かった。走って しまえば、そんなことは忘れてしまうが、走り終わった後また痛みを感じる。 たぶん明日は今日の痛みではすまないような気がする。

■2001年6月18日(月曜日)
 入間基地研修のためマイクロバスで入間基地へ。昨年11月に自分がいた 職場の研修もあった。授業で習った器材がたくさん並んでいたが、 聞いたことがあるというだけで、どれがどういうことをしているのか全く 思い出せなかった。試験の前に覚えるだけの勉強では、結局こういうことに なり実際には役立たないということを痛感した。

■2001年6月17日(日曜日)
 カラーコーディネーター3級を受験。受験場所は水道橋の専門学校。受験 する人は女性ばかりかと思っていたが、実際はそうでもなく男女半々といった ところ。若い人が多かったが、中には何人か、かなり年のいったおっちゃんが いた。受験する人たちの服装が色とりどりでカラーコーディネーターの 受験なんだなぁという気分になった。受験時間は2時間。しかし問題量が 少なくマークシート形式なので、30分もあれば全部問題を見ることができた。 見直して、計1時間。不安な部分はいくつかあったが、考えても答えのわかる 問題ではなかったので、そこで切り上げた。これで受かれば「アシスタント カラーコーディネーター」とかいう称号がもらえるらしい。次は2級の 勉強でもしよっかなぁ。

■2001年6月16日(土曜日)
 3週間ぶりに体育学校で練習。日本選手権も終わって気が抜けてしまい、 ひとりの練習では全く走れないところだが、体育学校へ行くと元気になる。 主練習は400m×5で、体育学校の選手は、普段の練習で疲れているためか 今日はボロボロで、自分一人だけが気持ちよく、最後までしっかりと走れた。 これが試合だったらなぁ・・・

■2001年6月15日(金曜日)
 今日も雨。体はだるいし、頭はさえないし、本当にイヤな天気。授業中も 眠くて、眠気をこらえる方に意識を集中して、全然授業内容は頭に入らない。
 授業が終わった後は、疲れ切って、練習をする気には全くなれず、練習を せずに寝てしまった。無理をしてもストレスがたまるだけだし、自分の 体に正直に答えた結果の行動だったと自分に言い訳。

■2001年6月14日(木曜日)


真ん中が鈴木美恵さん
 大宮にある「洋風居酒屋チムニー大宮」でアンビバレンスの飲み会。目的は そこの店員さんに会い、クラブ勧誘をすること。その店員さんとは、女子 400mハードルで日本選手権2位となった鈴木美恵さん。昨年所属していた 実業団チームが休部になったため、実家の居酒屋を手伝いながら競技を続け、 日本のトップで戦っているという今注目の選手。
 お店に入ると、早速鈴木さんが来てくれ、席へ案内してくれた。お店が 忙しいだろうから、なかなか話すことができないだろうと思っていたが、 すぐに仕事からぬけて自分たちの席に来てくれ、2時間ほど話すことができた。
 結局、クラブ勧誘というよりもただしゃべりに行っただけのようだったが、 アンビバレンスをアピールしてきた。鈴木さんは、最近テレビでもよく取り 上げられ、明日はフジテレビの取材があるということで、10時過ぎには 話を切り上げて帰っていった。19日にはTBSの「エクスプレス」で 紹介されるみたい。

■2001年6月13日(水曜日)
 1日中曇っていて、そのまま夜まで曇っていてくれればよかったのに、 織田フィールドへ行って練習を始めたら雨が降ってきた。練習を始める前から 雨が降っていたら、練習するのがイヤになるが、練習を始めてしまっていると 雨はそれほど気にならない。今日は電車で渋谷へ行くまでにグッタリと なっていたから、その時点で雨なんかどうでもよかったのかもしれない。
 自分の予定では長い距離を走ったあとに短距離の練習に加わろうと思って いたが、結局一人で練習できず、短距離の練習に加えてもらうだけになった。 なんと意志の弱い・・・ 人と一緒に走ると、少しくらいやる気が わかなくても、練習がしっかりできるのがいい。

■2001年6月12日(火曜日)
 昨年、ヨーロッパで知り合ったケニアの選手から久しぶりにメールが来た。 たった2行の内容だったが、すでにフィンランドでレースに出ているらしい。 調子も悪くないとか。こういうのを見ると、本当に自分は何やってんの?と 考えたくなる。なぜか周りだけが変わってゆき、自分だけ取り残されている ように思えてくる。ちょっと疲れてんなぁ。

■2001年6月11日(月曜日)


今年初めて食べました
 昨日の日本選手権をビデオで見た。男子800mは、いつも通り凡レース だった。出られてたらどうなっただろうなんて考えてしまう。そんなこと 考えてもどうしようもないのに・・・
 女子10000mを見て興奮した。レースは世界選手権のA標準を切って いない人たちが先頭集団に固まっていて、まさにこのレースにすべてを 賭けているという気迫が強く感じられた。特にノーリツの岡本さんと小アさん。 昨年ヨーロッパ遠征で知り合って話すようになった彼女たちがずっと先頭 集団にいた。残り1周の時点では岡本さんは先頭2人に少し差を付けられ、 これまでかなぁという感じだった。しかし残り250mからスパートし、 前の2人追いつき、そのまま先頭にたち、逃げ切った。それに食らいつき 小アさんが2位。2人とも悪条件の中、A標準突破と同時に世界選手権の 代表をほぼ手中にした。岡本さんは前日の5000mに続き2冠。これは増田 明美さん以来の快挙だという。
 本当に鳥肌が立った。すごいなぁ、よくやったなぁという感動と、自分は 何やってんだろうという情けなさも重なって涙が溢れてきた。最近とても 泣き虫。

■2001年6月10日(日曜日)
 日本選手権800m決勝の日だったが、昨日予選落ちしたため、急遽、平塚 競技場での神奈川県選手権に出場。種目は4×400mリレー。 アンビバレンスチームに入って初めてのリレー。予選は昨日で、今日は 準決と決勝。準決から出るつもりでいたが、遅刻して、結局決勝だけの出場に なった。全体的にレベルは高くなく、アンビバレンスは優勝が狙える位置に いた。
 決勝では自分は2走。1走の宮本さんがいい走りでバトンパスをしてくれた ので、すぐに先頭にたてた。200mを過ぎたあたりで、東海大に追い つかれ、直線に入って抜かれ、そのまた後ろからWAVE TCにも抜かれた。 WAVE TCはあっという間に独走。自分はなんとか東海大の後ろにぴったりと 着いて3位でバトンを渡した。3走の中野さんも3位でバトンパス。4走の 久保さんがしっかり先頭に着いて、最後の直線での勝負になったが、東海大を 抜くことができず、2位でゴール。タイムは3分18秒86。関東選手権の 出場権を得た。
 初めてリレーでアンビバレンスに貢献できて、うれしかったが、自分の 走っていたちょうど同じ時刻に国立競技場では800mの決勝が行われていて、 なかなか複雑な気持ちだった。


■2001年6月9日(土曜日)
 日本選手権800m予選の日。2組16人で争われ、決勝へ行けるのは 3着までと4着以降はタイム順で上位2名。どちらの組も誰が決勝に残るか わからないくらいの混戦が予想された。
 14時から予選が始まり、自分は1組目。調子は良かった。スタートして、 初めはゆっくりとしたペースで入って行ったような気がしたが、気が付くと なかなかいいペースで、先頭の1周目は53秒。自分は位置取りでガタガタ しながら、後ろの方で1周目を通過。たぶん54秒通過。
 残り300mから無理矢理中に割って入って、意外と簡単に2番手まで 上がり残り200mになった。そのままの流れで、先頭にたてばよかったのに 2番手に付いたため、一度スピードを落として、最後の直線になった ときにまたスピードを上げなければならなくなった。最後の直線では6人の 集団で争うことになり、残り60mくらいまでは3番手にいたが、少しずつ 離され結局6位。予選落ち。タイムは1分50秒76。この組は5位までが 決勝進出。自分は4着以降のタイム順で3位。あと一人というところで 決勝進出を逃した。しかもあと一人で決勝、というのが3年連続。
 自衛隊体育学校を出て、環境が変わってから約半年間。これだけのために 睡眠時間を削ったりして練習をしてきて、やっとこの結果。なんとか対等に 戦えたが、決勝に残れなければやっぱり意味がない。悔しい。タイムとしては 国内で1分51秒を切って走ったのは約2年ぶり。気持ちでやっとここまで もってきた。もっと競技を続けたい。もっと練習したい。今後自分が陸上を 続けられる環境にいられるかどうかわからない。またこの試合が来るまでには 1年も待たなければならない。

■2001年6月8日(金曜日)

防衛庁
謎のオブジェ
 防衛庁のある市ヶ谷へ研修に行った。朝6時に熊谷基地を出て電車に乗り、 都会の通勤の辛さを実感しながら8時過ぎに市ヶ谷へ着いた。
 防衛庁という門をくぐり、目の前に現れた大きな建物に驚いた。建物に たどり着くまでには扇状に広がる階段とエスカレータがある。なんか どこかの宗教団体の総本山のよう。
   研修内容は、陸海空の通信関係の施設。いろんな部署を回りすぎて、 はっきり言って、何がなんだかわからなかった。とにかくパソコンが山の ようにあって、床の下とか、天井の上はコードだらけなんだろうなぁと 思った。もうコンピュータなしではやっていけない世界になっている。 本当に複雑すぎる。
 研修は夕方5時頃に終わり、そのまま千駄ヶ谷へ行った。すでに国立競技 場では日本選手権が始まっている。1日中立っていて疲れてはいたが、明日は 予選があるので、東京体育館へ行って体を動かした。悪くはない。

■2001年6月7日(木曜日)
 なんとなく法学検定の受験申し込みをした。日常生活に必要なこととか 常識として法律は知っておきたいなぁと思ったから。勉強を始めたのは 今日から。
 試験日は7月29日。申し込み期限が明日。もう書類を取り寄せるのは 遅いのでインターネットからクレジットカード引き落としで申し込んだ。 インターネットで初めてクレジットカードの番号を打ち込んだのだけど、 大丈夫なのだろうか?ちょっと不安。

■2001年6月6日(水曜日)
 雨の中、日本選手権へ向け最終調整。初めは雨に関係ない国立競技場へ 行こうと思っていたが、電車に乗っているうちに疲れて走れなくなりそう だったので、鴻巣で降りて、鴻巣競技場へ行った。競技場へ着くとすでに 5時を回っていて競技場が閉まるまで1時間もない。急いでアップして、 急いで最終刺激を入れた。メニューは600m。最近は全然走れて いなかったので、今日こそはという意気込みでちょっと気持ちを変えて 走ってみた。最後は失速したが、意外と走れて久々に1分20秒を切った。 たぶん去年のヨーロッパ遠征以来。約1年ぶりのまともな走りだった。 リラックスして走れれば、今週はなんとかなりそう。

■2001年6月5日(火曜日)
 クーラーのフィルターを洗った。最近クーラーを使い始めたが、なんとなく フィルターは汚いのだろうと思っていた。そこで掃除をすることにしたのだが、 ほこりが固まりで付いていて、ひどい状況。ここから出てくる空気を吸って いたのかと思うと、気持ち悪くなる。まずはほこりの固まりを掃除機で吸った。 この固まりはなかなか頑固だった。そのあと水洗いをし、ようやく綺麗に なった。クーラー自体もほこりをかぶっているので、水拭きをした。あとは フィルターが乾けば、少しはまともな空気の中で快適な生活が送れそう。

■2001年6月4日(月曜日)
 午前中、半袖の制服で授業に出たら、クーラーがこれでもかって言うくらい きいていて、とにかく寒くかった。そこで午後は長袖の制服を着ていったの だが、それでも寒い。いくら機材の温度を下げるために使うといっても、 人間の体には限界があるだろっ!!と言いたい。文句を言っても下がらない から、悲しい。機材は何億か知らないけど、とにかくお国が買ってくれた 財産だから大事らしい。もうちょっと人間の体に優しい機材を買っておくれ。
 外気温は32度まで上がったというのに、室内は冬のよう。本当に体の 調子がおかしくなりそうだった。実際、同部屋の富田は完全に気分が悪く なって、消灯前には床についていた。大丈夫かなぁ?

■2001年6月3日(日曜日)
 今週も図書館で勉強。というか今週こそ図書館で勉強。カラーコーディ ネーターの試験まであと2週間。まったく勉強をしていないので、とにかく 試験範囲を一通り見るためにテキストを1ページ目からめくっていった。 午前中は関東に戻ってくるだけで終わってしまい、図書館へ行ったのは 午後2時前くらいだったが、閉館時間の5時までしっかりと勉強できた。試験 範囲も7章中6章まで確認できた。もうチョットがんばれば、一通り確認 できる。あとは問題を解いて慣れるだけ。なんとか間に合いそうだ。

■2001年6月2日(土曜日)
 体のバランスを見てもらうために小牧のゴールドフレックスへ行った。朝 10時前に行ったので、自分が1番乗りかと思ったが、すでに駒沢大学の 揖斐君が来ていた。彼も自分と同様身体調整に来ていた。
 トレーニングジムなのに身体調整をしてもらうというのは変だけど、 とにかくここの先生は、体の悪いところを発見してバランスを元に戻して くれる。元に戻す時にはかなりの痛みを伴い、痛すぎて悲鳴をよくあげて しまう。今回は約3時間、叫んでいた。基本的には足の指を揉んでもらって いるだけなのだが、悪いところは軽く揉まれるだけで痛い。叫びも声が 裏返ったりしてしまう。最後には叫びすぎで声が出なくなる。トレーニング ジムの外からこの声を聞く人にとっては、中でいったいどんな拷問をしている のだろうと思うだろう。身体調整が終わった後は、揉み返しもあって痛みは 残っているが、足にはしっかり力が入るようになった。これであとは 日本選手権が来るのを待つのみ!?

■2001年6月1日(金曜日)
 午後は試験だけで、その後はフリーだったため、久々にテニスをした。 時間的にはまだ仕事中なのに、テニスコートへ行ってみると、コートは 人でいっぱい。なんでこんなに暇な人たちがいるのだろう?我が社って、 とってもいいところだと思った。
 どうせ誰も使っていないだろうと思っていたのに、コートは全部使われて いたため、コートの一部を使わせてもらうことにした。コートをフルに使って 試合をしようと思っていたので、その予定が崩れがっかり。気を使って 控えめにボールを打っているのであまり疲れもしなかった。



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