最近のいずみ

Last Update:2001/7/31

パートタイムアスリートいずみ 活動中!!


■2001年7月31日(火曜日)
 8月8日まで浜松基地での教育。朝6時半に出発して、電車と新幹線を乗り 継ぎ、11時半頃に浜松へ着いた。昼食後、すぐに授業が始まり、移動疲れで 眠かった。
 夜は練習。バスと徒歩で浜松四ツ池競技場へ行ってみたが、閉まっていた ためやる気をなくし、競技場の隣の広場で40分ジョギング。それだけで 帰ってきた。帰りはバスがなかったため、基地まで1時間かけて歩いて帰った。 練習時間よりも移動時間の方が長かった。明日は競技場が開いていることを 祈る。

■2001年7月30日(月曜日)
 水泳世界選手権が知らないうちに終わってしまった。興味はあったのに、 テレビを見ていなかったので、結果も知らない。
 柔道の世界選手権もちょうどやっているみたいで、田村亮子が5連勝だとか。 怪我を負っての出場で、本当にすごいことだと思う。
 8月は陸上の世界選手権。キャスターが織田裕二というのが気にくわないが、 こちらは自分の種目なので、録画してでも見ることになるだろう。CMカットの 代わりに織田裕二カットってないのかしらん?

■2001年7月29日(日曜日)


立教大学
 法学検定当日。昨日は夜になってから本当に焦ってテキストを読んだ。全部を 読み終わったのは結局午前2時。しかも理解しているわけでもなく、 ただ読んだだけ。民法の債権法はさっぱりわからん。
 朝も少々寝坊し、急いで電車に乗り池袋の立教大学へ。試験会場に着いた のは試験開始3分前。汗をダラダラ流しながら席に着き、すぐに試験開始。
 試験は基本的にテキストから出ることになっていたが、自分の持っている テキストは2000年度版。2001年度版とは中身がちょっと違うらしい。 だからまったく見たことのないような問題が出てきたりして困ったが、マーク シートなのでとりあえずすべて解答した。
 勉強はしてなかったし、眠かったりして辛かったが、何とか乗り切った。 消極的な考えだが、何事も時間が解決してくれるのだと思えてきた。

■2001年7月28日(土曜日)
 10時半頃に起き、朝食も食べず午前中は軽くジョギングをし、 昼食後、明日の法学検定の勉強を開始。出題範囲の半分しか こなしていなかったので、かなり追い込まれた状況での勉強だったのに、 午前中のジョギングが心地よい疲れになったようで、気がついたら 5時近くまで寝ていた。あっという間に1日が終わった。明日の試験は 本当にまずい・・・

■2001年7月27日(金曜日)
 東京陸協記録会800mに出場。場所は渋谷の織田フィールド。隣の代々木 体育館ではモーニング娘のコンサートがあるらしく、ダフ屋がたくさんいて 何度も声をかけられた。本当に騒がしい。
 このレースで、どうしてもタイムが出したかったので、無理を言って同じ アンビバレンスの久保さんにペースメーカーを頼み、一緒に走ってもらった。 台風の影響で雲が多く、暑くなく、とてもいい環境だったが、風があまりにも 強かった。
 最初の200mは追い風で通過が24秒7。400mまでが向かい風になり 400m通過は久保さんが52秒5で、自分が52秒9。残り400mは自分 一人で走らなければならず、久保さんがいなくなってからだんだんペースが 落ちてきた。それでも400m〜600mの間は追い風なのでなんとか走れたが、 その後、体は完全に固まり、向かい風も手伝って、残り200mは約33秒。 入りの200mと最後の200mのタイム差は悲しくなるほどひどい差。 ゴールタイムは1分54秒0で、何しに渋谷まで来たのかしらん?という 感じだった。いい練習にはなったと納得するしかない。久保さんも800mの 直前に200mに出ていたため、相当辛そうだった。引っ張ってくれた 久保さんに心から感謝。

■2001年7月26日(木曜日)


AFN放送局前



横田基地滑走路
 米軍横田基地研修へ行った。通信を扱う部隊、AFN(昔のFEN)の 放送局、管制塔を見学した。
 通信部隊には最新の技術が取り入れられ、我が社とのお金のかけ方の違いを 見せつけられた。我が社でも最新の技術を導入するなんて言っているけど、 いつになってもそんな物は入ってこない。この辺が平和ぼけなのかなぁと思う。
 AFN放送局では、テレビやラジオのスタジオを見たり、編集したテープを 見せてもらった。スタッフは現役の軍人ばかり。もちろんアナウンサーも。 自衛隊では考えられない職種だった。
 管制塔は、下から見るとそれほど高く見えないが、上ってみると、飛行場 全体を見渡すことができ、十分な高さがあるように見えた。見た感じ滑走路は 全く使われていない。使われるときは忙しいが、そうでないときは、ほとんど 使われていないらしい。東京都知事の言っていた、飛行場を使っていないのなら 日本が使ってもいいだろう、という意味がわかったような気がした。
 横田基地に入って、一番気になったのは、どこにでもアメリカの国旗が 置いてあるということだった。どのフロアに行っても必ず目のつくところに ある。自衛隊では国旗を見るのは、国旗掲揚塔くらいのもの。この辺も 愛国心の違いなのかなぁと思った。

■2001年7月25日(水曜日)
 アンビバレンスの練習会の日だったが、東京地方は昼から激しい雷雨だと ニュースで聞いていたので、鴻巣で練習。8000mペース走と400m。 一人で走ると辛く、途中でペースは落ちまくった。最後は元のペースに 戻ったが、ゴールした直後、吐き気を催した。ペースは速くないのに辛い。 400mは思っていたよりも良く走れた。
 その後、アンビバレンスの練習会へ。代々木競技場も雨は降っていなかった。 またジョギングをするつもりでいたが、走り始めてすぐにやめた。競技場 にくるまでに十分疲れていて、もう走る気力がなかった。そのためずっと 練習を眺めるだけになってしまった。

■2001年7月24日(火曜日)
 不在者投票をした。住民票が狭山市にあって、選挙当日狭山市へ行くのが 困難なため、代わりに熊谷市役所へ行った。
 市役所までは後輩の車に便乗し、その上運転させてもらい、またまた 路上教習。車庫入れも慣れてきて、なんとかひとりで車を扱えそうな 気がしてきた。
 投票後、時間をつぶしに初めてマンガ喫茶へ入った。インターネットが でき、ゲームもでき、雑誌もいろいろあり、置いてあったのはマンガだけ ではなかった。後輩は、プレイステーションのメモリーをわざわざ持って きて遊んでいた。部屋でやった方がお金がかからないだろうに・・・
 1時間たった380円で飲み物は飲み放題。延長は1時間につき100円。 いつまでも時間がつぶせそうな心地よいスペースだった。また行って しまいそう。

■2001年7月23日(月曜日)
 健康診断があった。検査内容はレントゲン、身長、体重、胸囲、肺活量、 握力、背筋力。握力と背筋力をなんでこんなところでやるのかわからなかった。 驚いたのは身長。高校卒業以来ずっと176センチだったのに、なんと今回は 177.1センチ。初めて177を記録した。なぜこうなったのかわからない けど、うれしかった。虫歯があるかどうか知りたいから、歯科検診もやって くれればいいのにと思った。

■2001年7月22日(日曜日)
 合宿最終日。5時半から朝練をし、午前は9時から。長距離は200×10を 3セット。本当にご苦労様、というメニューだった。短距離はエンドレスリレー。 バトンが回ってくるたびに走り、最後の方は疲れてはもがくばかりだった。
 長距離、短距離、フィールド種目の練習がすべて終わったところで、3チームに 分かれてリレー。毎回恒例の合宿最後の練習。今回は350mのトラックを1周 ずつ。走順の初めの方に速い人をおいて、先行逃げ切りで行ったチームが強かった。

■2001年7月21日(土曜日)


泊まったホテル



トラックと体育館

 アンビバレンスの夏合宿に参加。朝9時過ぎに越後湯沢駅に着き、車で迎えに 来てもらい、10分ほどで岩原高原へ到着。練習が9時半からだったので、 すぐに競技場へ行って練習。長距離の練習が午前から25kmということ で長すぎるため、春合宿に続き今回も短距離の練習に入れてもらうことにした。
 天気は良く、日光が直に当たると暑く感じるが、関東と比べると湿度も低く 日陰に入り風が当たると涼しかった。水は冷たくて、水をかけるだけで アイシングにもなるし、そのまま飲んでもおいしかった。
 午前の練習でボロボロになり、午後の練習はフリー。参加者の半分以上が 午後は川へ遊びに行ってそのあと温泉。長距離の人たちはまた午後も25km。 自分はジョッグして、そのあとは2時間ほどテニス。気持ちよく汗をかけた。
 今日の参加者は44人。ホテルは自分たち以外に誰もいないので貸し切り状態。 よくもまぁこんなに集まったもんだと思った。中には家族をおいて合宿に来て いる人も何人かいた。暑いのにわざわざ走りにくるなんて、アンビバレンスは 本当に物好きな集団だと思う。

■2001年7月20日(金曜日)
 大田区民プラザ 大ホールへオーケストラを聞きに行った。このオーケストラは 管絃樂團”響”という好きな人たちが集まったアマチュアオーケストラ。内容は シベリウスの交響詩「フィンランディア」、メンデルスゾーンの交響曲第5番ニ短調 「宗教改革」、ベートーベンの交響曲第7番イ長調。
 聞いたことのある曲はフィンランディアだけ。これを聴いたのは中学の音楽の授業 以来。とても懐かしく、生演奏なので鳥肌がたち、感動した。特にバイオリンとチェロの 音に聞き入った。
 演奏が終わったあとアンコールで、「G線上のアリア」が演奏され、ますます鳥肌が たった。大好きな曲でしかも生演奏。本当にチェロの音がすばらしく、演奏後も一人で 余韻に浸っていた。



管絃樂團”響”

■2001年7月19日(木曜日)
 体育学校で練習。と言っても主練習はすでに終わっていたため、60分 ジョッグを一緒にするだけ。集合して、まず後輩に言われたことは、 「白くなりましたね」。体つきも小さくなり、もやしのようになって しまったらしい。自分ではある程度日に当たっていて日焼けしていると 思っていたが、実際に比べてみると、本当に白い。アスリートじゃない。 練習しているようには見えない。朝と夜しか練習ができないのだから 日焼けするわけないっか。これからは中身で勝負!?

■2001年7月18日(水曜日)
 夕方から夜にかけて、雷雨が激しかった。昨日もそうだった。雷は光った 瞬間に音が聞こえるくらい近くに落ちていたし、雨は本当に豪雨。しかも 1時間ほどでやんでしまうから、熱帯地域のスコールみたい。今日はそれが 3回くらい来た。せっかく梅雨が明けて、これからは天気がよくなると思って いたのに、皮肉にも雨が降る。埼玉県のこの地域だけが特別のような気も するけど、自然はなかなか人間の思うようには動いてくれない。

■2001年7月17日(火曜日)
 午後から講話があった。群馬県多野郡上野村長、黒澤文夫氏が講師。題目は 「我が人間形成の糧を語る」。内容としては江田島の海軍士官学校の話から 始まり、読んだ本の話、最後に戦争の話。結論としては「心を強く持とう」と いうことだった。戦後、物質文明が人類を栄えさせたが、これからは、心を 強く持ち、精神文明を発達させてゆくべきだとおっしゃった。結論だけを 聞くと、なんだそうなの、としか感じないだろうが、その結論に至るまでの 話はとても興味深かった。戦争の話では、黒澤氏の率いていた飛行隊の飛行機が 日本初の特攻機になったという話もあった。特攻を志願した人たちが出撃する までの姿を「神のごとき姿」と例えていたのが印象的だった。国のために死を 選んだ人たちが、たくさんいたということを、今の日本人はよく考えなければ ならないと思う。

■2001年7月16日(月曜日)
 また後輩を買い物に誘い、車を運転させてもらった。今日はナビゲーターに、 自動車教習所へ行っている後輩をつけて、新しいことに挑戦。今日の教習は 駐車場での車庫入れ。ナビゲーターの指示に従って、ハンドルを回し、初めの 店では見事一発で成功。2件目では広い駐車場で車もあまりなかったので、 指示なしで挑戦。ラインの上に乗ってしまい3回入れ直した。最後は基地に 帰ってきて挑戦。斜めに入ってしまい、ここでも1回やり直し。7年間まったく ハンドルを握っていなかった割には自分では良くできたと思う。いつぶつける かもわからないこんな自分に車を運転させてくれる後輩は、なんと寛大な心を もっているんだろうと思う。車を貸してくれた人、ナビゲーターしてくれた人、 本当に感謝です。

■2001年7月15日(日曜日)
 先週、中学の友達のところに子供が生まれたので、お祝いに行った。赤ん坊 は生まれてまだ1週間。伸長は50センチくらいで、本当に小さい。足も手も ちっちゃくて本当にこの中に骨があるのだろうか?と思ってしまう。自分も 他人ながら本当にかわいくてしかたないと思う。生まれたときは自分も こんなのだったのか?と不思議に思う。友達は子供をビデオで何度も 撮影してて、親バカぶりを発揮。みんな子供が生まれればこうなって しまうのだろうか?

■2001年7月14日(土曜日)
 毎回痛い思いをする小牧にあるジム、ゴールドフレックスへ行った。今回も 身体調整。痛みを伴う体の構造改革という感じで、痛みを覚悟してジムへ 入った。6月半ばから超音波治療器が入ったそうで、体をいじる前に超音波 をかけた。体育学校にいたときに超音波は何度もかけていて、何ともなかった が、今回は、鈍い痛みがあったり、ピリピリと痛かったり、いろいろな反応が あった。体は相当悪いらしい。疲労のかたまりみたいなものだった。
 超音波のあと、体をいろいろいじられたが、超音波の効果があって、痛い ところはたくさんあったが、前回ほど叫ばすにすんだ。今回は腰と足をつなぐ 腸腰筋と、骨盤のあたりで内臓などを支える筋肉をゆるめてもらい、下半身の 張りが一気になくなった。肩甲骨や肩の周りの筋肉もゆるまり、腕の振りも 楽になった。あとは走って結果を出すだけ。

■2001年7月13日(金曜日)


地球観測センター



気象通信所のアンテナ
 埼玉県比企郡鳩山町にある宇宙開発事業団の地球観測センターと気象庁の 気象衛星通信所へ研修に行った。
 地球観測センターでは衛星についての説明を受けた。現在日本独自の地球 観測衛星は、H−Uロケットの打ち上げ失敗の影響で、一つも地球を回って いないらしい。次の打ち上げ予定は平成15年だとか。それも今のところ 本当に打ち上げられるかどうかわからないらしい。しかしセンター内では 次の衛星用のコンピュータがすでに整いつつあり、打ち上げるのを待っている ようだった。地球観測衛星は、エジプトなどの遺跡を探索する宇宙考古学、 砂漠での水脈発見等、いろいろなところに利用されていた。地球全体の 環境を考える仕事というのは、これからの人類にとっては必要不可欠のもの であって、視点があまりにも広すぎて想像もつかない大変なことのように 思えた。我が社とは違い、最新のコンピュータが導入されていて、 うらやましくも思った。
 気象衛星通信所は、気象衛星「ひまわり」とデータの送受信をするところで、 天気予報をするには必要不可欠な施設だった。ここには新しい器材もあれば、 我が社よりも古い器材もあった。気象衛星ひまわりは使用期限がすでに 過ぎているのに、そのまま使い続けなければならないとか。これも ロケット打ち上げ失敗が影響していた。
 鳩山町といえば、昨日39.2度を記録した地域。今日ももちろん暑かった。 基本的には室内にいたが、アンテナを見るときなどは、つらかった。

■2001年7月12日(木曜日)
 7年ぶりに車を運転した。後輩たちが車で買い物に行くというので、ついて いっただけなのに、車を運転してみたいなぁと言ってみたら運転させてくれた。
 車に乗り、さっそく発進前に失敗。ブレーキに左足を、アクセルに右足を 使おうとして後輩に注意された。基本は右足だけだった。忘れてた。
 まずは基地の中を軽くドライブ。30km/hでもこわい。オートマ車は アクセルを踏まなくても勝手に進むので、それもこわかった。
 基地の外へ出て、そのままスーパーへ向かった。スーパーの駐車場に入る ところで、駐車場から出てくる車があり、出ていくのを待って入ることにした。 しかし、ちょっと気を抜いて、ブレーキをはずしてしまったら、車は動きだし、 出てくる車にぶつかりそうになった。ぶつかるほんの数センチ手前で、 ブレーキがかかったのでぶつからなかったが、ヒヤヒヤものだった。乗って いた後輩達は自分よりもハラハラしていた。特に持ち主は本当に焦ったみたい。 その後も薬局へ行って、別のスーパーまでドライブした。運転がこれほど緊張 するものだとは・・・ 最後は後輩に運転を代わってもらった。やっぱり 助手席が一番居心地がいい。
 熊谷では最高気温が38.6度にまで上がった。本当に暑すぎるぅ〜

■2001年7月11日(水曜日)
 織田フィールドで練習。アップでジョッグをしながら新宿方面へ向かって いたら走りすぎて、新宿まで行ってしまった。20分くらいのジョッグをする つもりだったのに帰ってきたら30分以上走っていた。蒸し暑いので、汗は すごいし、それだけで疲れた。
 練習メニューは400m+300m+200mを3セット。予定していた タイム設定ですべてをこなし、足は4カ所攣って、酸欠になり、頭痛と吐き 気を催した。久しぶりに追い込めた。満足。
   雨が降らないうちに関東は梅雨が明けてしまった。これからは暑さで、 ますます練習が辛くなりそう。

■2001年7月10日(火曜日)
 最近若年性痴呆症が流行っているらしい。電車に乗っても自分がどの駅で 降りたらいいのかわからなくなる。切符を買うときにしっかりメモして、 それを何度も見ないと降りられない。発病すると、最初に目立つのが物忘れ、 その後、仕事が思うようにできなくなり、日常的なことで間違いが多く、 自立した生活も難しくなるという。そして寝たきりにまでなってしまうらしい。 脳の問題らしい。恐ろしい病気だ。

■2001年7月9日(月曜日)


重さは1.38kg
 インターネットで買った新しいパソコンが届いた。メーカーはかなり マイナーな日本サムスン。うれしいけど、ボーナスがなくなってしまい 悲しくもなった。今使っているパソコンが使えないのだし、性能も劣って いたからいい換え時だったと思うしかない。
 今回は今もっているパソコンより軽い重量を重視、CD-R/RWが標準装備 されているものを選んだ。そうしたらおまけにDVD-ROMも付いていた。
 このパソコンならば、大学のマルチメディア教材の見られるようになり、 スクーリングに行かなくてもいくつかは単位が取れるようになる。

■2001年7月8日(日曜日)
 デンマークで日本新記録が出た。種目は4×1500mリレー。日本では ほとんどやらない種目だが、このレースはヨーロッパチャンピオンシップを 兼ねた大きな大会で、実業団チームは結果はフランスに次いで2位。メンバー は森、松長、小林、高橋。高橋を除いて3人は自分と同い年。みんなが こうやって頑張っていると、自分はこんなところで何をやっているんだか、と ちょっと落ち込む。同じ学年の子が頑張っているとうれしい反面くやしい。 タイムが15分25秒35で、従来の日本記録15分26秒1をわずかに破る 日本新記録だった。1人平均3分51秒台なので、機会さえあれば、これから まだまだ破れる記録だと思う。

■2001年7月7日(土曜日)

迷惑おやじ

新郎新婦
 午前中は夢の島で練習。メイントラックが小学生の大会で貸しきりになった ため、サブグラウンドで走ることになった。砂のまいてあるグラウンドなので、 よく滑り、予定していた練習をかえて10000mのペース走。天気も良く、 途中からペースダウンして辛かった。
 午後は、美容院初体験。床屋と違うと思ったのが、シャンプー。床屋では 必ず前屈みになるが、美容院ではその逆で、体を反らせて、顔が天井を見る ようになる。仕上がりは、髪を切ったかどうかわからないような、自然な感じ。 周りは女性ばかりで少々恥ずかしかったが、店長自ら髪を切ってくれ、 なかなかよかった。
 夜は、いつも一緒に走っているアンビバレンスのメンバーの結婚式2次会。 始めて目黒駅で降りた。2人の幸せぶりをしっかり見させてもらった。なにか 景品がもらえないかなぁっと期待していったが、何も当たらなかった。
 目黒へ行く途中、山手線で、迷惑なおやじがいた。座席をまるまる使って、 靴を脱いで横になり、パンツの中に手を入れ股間をかいている。最悪なおやじ だった。

■2001年7月6日(金曜日)
 最近有線通信器材について学んでいる。電柱の建て方とか、電線の規格など 普段全く考えなくていいようなこと、何気なく見ているものもすべて 法律によって規定されて、そうなっていることがわかった。意識して電柱を 見ると、電柱の数に驚く。なんと多いことか。ヨーロッパでは、あまり電柱を 見かけなかった。昔の景観がそのまま残っているし、新しくたてる建物も 景観に合うようなデザインになっていた。日本の景観を悪くしているのは 電柱なのではないかと思えてきた。と同時に日本の景観を象徴するのが電柱 なのだとも思えた。

■2001年7月5日(木曜日)
 ウインブルドンテニス女子ベスト8のカプリアティの勝利に感動した。 13歳の時に天才少女としてデビューし、オリンピックで金メダルを取るなど 活躍をしていたが、その後万引きや、マリファナ所持で逮捕。そういうどん 底からの復活。今年は、全豪、全仏と4大大会のうち2つも制している。
 このベスト8では、1セット目をタイブレークで落とし、2セット目も2−4 で、あと2ゲームで負けというところまで追い込まれていた。そこからの逆転 勝利。どん底からはい上がってきた精神力の強さはすごい。自分をコントロール できる心の余裕ができ、厳しい練習に耐えることも可能になったと言っている。
 全仏を制したとき、コメントの最後には、優勝を白血病で苦しんでいる 知り合いの選手に捧げると付け加え、他人を気遣ったりもしていた。他人を 思いやる心の優しい人間としても復活した。
 ウインブルドンも全米も勝ってグランドスラムを達成してほしい。

■2001年7月4日(水曜日)
 熊谷では最高気温が38.1度まで上がったらしい。昼間はずっと室内で クーラーのきいた部屋にいるため、はっきり言って寒い。この外と内との 温度差は、絶対体に悪い。室内から外に出たとたん、体がだるくなる。
 まだ夏は始まったばかりでこんなに暑いのだから、お盆の頃には どうなってしまうのだろう?40度を超えるのは必然のような気がする。

■2001年7月3日(火曜日)
 梅雨の時期なのに最近は全く雨が降らず、毎日真夏日が続いているような 気がする。雨が降らないのは大歓迎だけど、そのうち水不足になるんじゃない かと心配してしまう。明日の天気も晴れみたい。熊谷はだんだん蒸し暑く なってきた。とうとう熊谷の夏が始まってしまったのか!?

■2001年7月2日(月曜日)
 金曜日に離任した基地司令に代わり、新しい基地司令が来た。そのため、 午前中は着任行事があり、たくさん日に当たり、大汗をかいた。
 夕方、すべての授業が終わりやっとゆっくりできると思いきや、明日は 司令の視察があるということで、宿舎の大掃除をすることになってしまった。 自分の部屋はもちろん、廊下、トイレ、洗面所など宿舎内のすべての掃除を したので、4時間近くかかった。練習などする時間は全くなかった。予定外の 行事が入る度に練習の予定は崩れ去ってゆく・・・
 実業団の欧州遠征は第1戦が終わったらしい。ケニア人の友達からも ヘルシンキで自己ベストが出たというメールが来た。自分は何をしている んだろう、と思う・・・

■2001年7月1日(日曜日)
 日体大長距離記録会の800mと1500mに出場。朝6時半に出発し、 電車とバスを乗り継いで、8時過ぎに日体大に到着。このとき競技場の気温は 31度。9時半には800mを走るので、すぐにアップを始めなければならな かった。電車の中で寝ていたため頭はボーっとして、体調はよくない。
 今回は一緒にスタートしても自分に着いてくるレベルの選手が1人もいない ので、スタート直後からひとり旅。つぶれるまでひたすら全力で走るしか なかった。1周目は53秒台で自己ベスト更新も可能なペースで走っていたが、 2周目は動きが鈍くなり、そのまま撃沈。タイムは1分52秒2。2周目は 59秒台。かなりスピードが落ちていた。ちなみに2位は1分57秒台。
 1500mは800mが終わって1時間もしないうちにスタート。800m で力尽き、やめようかと思ったが、貴重な練習時間と考え、とにかく完走を 目指し走ることにした。スタート前の競技場発表の気温は38度。暑すぎ。
 スタートから先頭について行けず、自分のペースで走るしかなかった。 まるで、10種競技最終種目の1500mを走っているような鈍い動き。 3周目は71秒もかかり、ジョギング状態。残り300mから気持ちを切り 替えてがんばり、43秒でカバー。800mの残り300mより速かった。 ゴールタイムは4分04秒6で12位。久々に4分台を出す情けないレース となった。



[昔のいずみ]