最近のいずみ

Last Update:2002/10/31

パートタイムアスリートいずみ もうすぐ3年目に突入!! 

 
■2002年10月31日(木曜日)
 スポーツの怪我は、スポーツ外傷とかスポーツ障害とか言って普段から使っていたが、 この2つの言葉には区別があることを知った。外傷の方は、骨折、突き指、捻挫など、 急激に大きな力が加わることが原因で起こるもので、障害は野球肘や疲労骨折など、 小さな力の積み重ねで慢性的な使いすぎが原因で起こるものだった。
 普段何気なく使っている言葉でも、言葉が違えば、意味も違い、言葉の使い方を間違えると 大きな誤解を生んでしまう。言葉はよく考えて使わないといけないなぁと思った。                                                                           
 
■2002年10月30日(水曜日)
 アンビバレンスの練習会で、久しぶりにスパイクを履いて走った。筑波大の記録会以来。 速いスピードでは腿が上がるときにまだ右足付け根に痛みがある。
 メニューは400m×3。間は10分おきで、タイムは55秒。1,2本目はなんとか 走り切れたが3本目は力つき、全く体が動かなかった。完全ではないが、800mの ペースならば痛みは感じず走れそう。なんとか月曜日のレースには間に合いそうだ。                                                                          
 
■2002年10月29日(火曜日)
 スポーツの世界は治外法権だと言われた。現代の社会には法というものがあり、 殺人は許されない。しかしボクシングなどではリングに上がれば、治外法権で 人を死なせてしまっても責任を取らされることはないということだった。そう 言われると確かにスポーツは法の及ばない世界なのかなぁと思った。スポーツというのは 現実の世界から切り離す作用があり、そういうことを人は無意識に感じ取っている。 現実の世界ではいろいろストレスが溜まるので、それを解消すべく非現実の世界を 求め、スポーツに没頭したり、スポーツ観戦をするようになる。それから考えると 自分はスポーツを常に求めているので、心の中では相当現実がイヤになっているのかも?                                                                           
 
■2002年10月28日(月曜日)
 朝練したあとシャワーを浴びてシャワー室を出るときに左足を滑らせ、転びそうに なった。右の母指球あたりで何とかこらえ、その痛みがずっと残り、足の裏を地面に つけているだけで痛い。せっかく内転筋肉離れの具合が良くなってきたというのに・・・
 夜は久しぶりにトラックをまともに走った。メニューは8000mビルドアップ走。 前半4000mはペースがどんどん落ち全く練習になっていなかったが、後半は盛り返した。 残り2000mで時計が急におかしくなりラップを押した時に止まってしまった。 その後、またタイムを測り始めたら突然ピッピッピッピッと鳴り出し、ラップボタンを 押すと、音が鳴り止み時計が動かなくなった。一気にやる気がなくなったが、その衝動を 抑え、走りきった。
 練習後時計を見てみると、表示がおかしい。2020年15月23日になっていた。 ラップは50までしか取れないのに99まで存在している。ストップウォッチのモードにして 3秒ほどタイムを計ってみると表示は48分10秒という表示になる。照明も明るくない。 そろそろ電池が切れるのかもしれない。
 今日はあまりいい1日ではなかった。                                                                                           
 
■2002年10月28日(日曜日)
 自動車を購入して初めて洗車した。ずっと洗車していなかったのは、近くに洗車場が なく、道具もなく、洗車する時間もなかったから。
 朝から家の前で柵木夫妻が洗車していて、「いっしょにやっちゃえば?」と言われたのが きっかけ。今まで一度もやったことがないので、やり方を教えてもらいながらやった。  研磨剤を擦り込み、乾いた後にふき取ったときの車のボディーの光り方に感動した。 今までなんと汚い車に乗っていたのだろうと思った。エンジンルームは柵木パパが 手伝ってくれ、これまた見違えるほどきれいになった。
 今まであまり車を大切にしてこなかったのかなぁ?これからはもっと大事に 扱おうと思います。柵木家の皆様ありがとうございました。                                                                          
 
■2002年10月27日(土曜日)
 大学同期の柵木くんが行田にある実家に帰って来るというので、妻と行田まで遊びに行った。 いつもは電車で行くのだが、今回は車で挑戦。全く道を知らないので、地図を頼りに彼の実家 近くの駅を目指し走った。
 行田市内に入るまでは地図通り順調に走っていたが、市内に入ったとたん道がわからなく なった。まっすぐ進んでいれば、つきあたりに来るはずなのにつきあたりがなく、どんどん まっすぐに進める。行き過ぎだと思って途中で曲がって引き返したところ、自分がどこにいるか わからなくなった。結局柵木くんに電話し、ナビしてもらって実家まで行くことができた。
 見ていた地図が2000年版だったので、新しくできた道がなかったのかもしれない。 カーナビがあれば迷うこともなかったが、迷ったからこそ、道を覚えることができた。 柵木家の方々には遅くなって迷惑をかけてしまったが、少しは脳が活性化された良かったのかなぁ なんて思った。                                                                           
 
■2002年10月25日(金曜日)
 スポーツ生理学の中で「スポーツと栄養」という項目があり、城西大学薬学部 教授の池本真二先生が講義された。
 朝起きて空腹感を感じるかどうかでその人が正常な生活をしているかどうかが わかるということだった。内容は栄養学ということだったが、実際はどのような食事 をするべきかという食事学が中心になった。
 日本人は欧米人に比べ、乳製品の消費が少なく、カルシウムの摂取量が低いので、 牛乳は1日600mlは飲んだ方がいいということだった。普通の人が欠乏状態にある のだから、アスリートは普通の食生活をしていたら、普通の人以上に欠乏状態にあると いえる。これからは気をつけて乳製品を採ろうと思った。                                                                                                 
 
■2002年10月24日(木曜日)
 火曜日に引き続き、スポーツ指導論の講義があった。スポーツの指導形態には いくつかの種類があり、それをその場その場で使い分けなければならない。子供には 子供の話し方で、中高生には厳しく、ママさんたちには笑いをとるというようなことも 聞いた。
 限られた施設と道具で、いかにみんなを遊ばせず、興味を持たせて練習をするか というのが指導者の能力の見せ所であり、それそれの家庭環境まで把握し、ひとりひとり 違った指導ができれば更にいいということだった。なんかとっても難しい。                                                                                                  
 
■2002年10月23日(水曜日)
 アンビバレンス練習会。歩くだけで右足付け根の痛みが気になっていたが 昨日は30分ジョッグをやって、その後痛みの変化はなく、今日は60分ジョッグ をやってみることにした。昨日よりは足の運びがスムーズになり、気持ちよくジョッグできた。 そのまま120mの流しをしてみたが、スピードを上げるのがこわくてぎこちない走りだった。 腹筋にも挑戦してみたが、足上げ腹筋では痛みが出てきて力が入りづらい。痛みがなくなる までにはまだまだ時間がかかりそう。                                                                                                    
 
■2002年10月22日(火曜日)


富士山
   スポーツプログラマーの授業は午前中がスポーツ指導論。日本バレーボール協会 副会長の豊田博先生のお話。スポーツ指導のコツやポイント、リーダーシップに ついてバレーボールの話を交えながの講義だった。スポーツだけでなく、実社会でも 通用する内容で、人の上に立つ者の責任の重さを知った。
 午後からはスポーツ心理学。先生は順天堂大学助教授の飯島正博先生。
 ヨーロッパではメダルをとった人はもちろん褒められるが、負けても自己ベストを 更新した人は同じように褒められるということを聞き、日本との違いを感じた。それでこそ やる気が出るというもんだ。その考え方はすばらしいと思った。
 また、オリンピック誘致で大阪が中国に負けた原因の一つに、日本のややこしい行政区分が 関係していることを知った。オリンピックは健常者スポーツで、パラリンピックは 障害者スポーツだが、これらの大会は一つのセットになっている。そして外国ではどちらも スポーツを担当する部署一つが実行していくのだが、日本では健常者は文部科学省、 障害者は厚生労働省になっている。一つの話を二つの部署で扱わなければならないし、 国と地方自治体でも意見が違い、外国から見れば、何をどこに調整したらいいのかわから ないらしい。そんなややこしいのならわかりやすい国の方がいいということにもなる。 日本ではスポーツが教育の一部という位置づけになっているのが問題なのだろうと思った。                                                                                        
 
■2002年10月21日(月曜日)
 スポーツプログラマーの授業が始まった。講義のお題は「スポーツとからだのしくみ」。 平成国際大学の戸苅教授のお話だった。内容は骨と関節、骨格筋、神経系、 呼吸循環器系とエネルギー供給など。内容が多く、広く浅くという感じで、 あまり突っ込んだお話はなかった。
 印象に残ったこととしては、トレーニングによって骨は強くなること。水泳では 骨にストレスを加えられず、骨塩量(カルシウムなど)の増加がなく骨は強くならない。 そのため骨粗鬆症の人にとっては適切な運動とはいえない。もし水泳をするなら それに加えてウォーキングなどをしたほうがよいということだった。また、 トップスイマーには、人によっては一般の人よりも骨塩量が低い場合もよく あるということで、一見頑丈そうな水泳選手の骨はそれほど頑丈でもないことが、 とても意外だった。                                                                                                                  
 
■2002年10月20日(日曜日)
 足の痛みが昨日よりひどくなっていた。朝からずっとテレビを見ていた。 最近テレビを見ることが全くなかったので、とても新鮮。ニュースの話題は 北朝鮮から帰国した5人のことばかり。
 気になったのは、インドネシアをはじめてとしたテロ事件。あとアメリカの 連続狙撃事件。昨日もそんなニュースがあったが、今日もまた誰かが狙撃された。 なんでそんなことをするのだろう?安心して外を歩けない世の中なんてイヤだ。                                                                                                                   
 
■2002年10月19日(土曜日)
 起床前から、朝霞駐屯地の演習場から空砲の音がして、とにかくうるさかった。 全く眠れなくなったので、仕方なく起きて、スポーツプログラマーのテキストを 読んでいたが、1時間くらいで眠くなり、また就寝。気がつくと10時前。
 起きた後、競技場へ行き、陸上班の練習を見た。みんなが走っていて、自分だけ 走れないと、とても辛い。
 練習を見た後は昨日に続き、超音波治療。今日は治療後、痛みが軽減して、 歩けるようになった。これなら、明日から走れるようになるんじゃないかと思うくらい 軽減したが、時間が経つうちに、また元に戻った。安静にしていよう。                                                                                                                  
 
■2002年10月18日(金曜日)
 右足付け根の痛みは軽減してきた。しかし歩いたり、靴をはく動作などは相変わらず痛い。 トレーニングは上半身だけにとどめた。火曜と水曜にやった測定の疲れが筋肉痛になって 出てきているので、あまり気持ちも乗らず、中途半端に終わった。
 右足に関しては、トレーナー室で超音波治療を行った。超音波治療といえば、怪我をして すぐに使うことはないと思っていたが、実は怪我の直後での使用もできるということが わかった。怪我の直後は、治療後痛みを伴うこともあるが、結果的には早く回復するという データが出ていた。それを信じて、今後治療できるときは治療しようと思う。                                                                                                                   
 
■2002年10月17日(木曜日)
 足の故障を体育学校のドクターに診てもらい、内転筋の軽い肉離れだろうという診断を受けた。 自分の感覚では、内転筋ではないような気がしたが、診断は診断、2〜3日すれば、痛みがとれて くるということで、安静にするしかないようだった。
 授業で体操や水泳があったが、すべて見学。とてももどかしかった。
 右足が使えなくても他の部分はトレーニングできるので、夜は加圧でトレーニング。右足にも ベルトをずっと巻いておいた。加圧後は、足の感覚が麻痺したせいか、右足付け根の痛みは 軽減していた。                                                                                                                   
 
■2002年10月16日(水曜日)
 航空自衛隊体力検定をした。内容は50m走、走り幅とび、ハンドボール投げ、 懸垂腕屈伸、1500m走、反復横跳び、握力、ジグザグドリブル。
 反復横跳びは昨日よりも幅が広くやりづらかった。結果は56。握力は昨日と同じ平均55kg。 ジグザグドリブルは満点。懸垂は3秒に1回のリズムでやらなければならず、最後は握力が なくなって19回で落ちた。
 50m走はクラウチングスタートでなければならないということで、滅多にやらない スタート姿勢でスタートした。雷管がなって1歩目、膝を身体に引きつけた瞬間に右足付けねに 痛みが走り、バランスを崩しながら走りきった。タイムは6秒3で満点だったが、付け根が痛くて 歩くのも辛くなった。
 その後やめればよかったが、足を使う走り幅跳びと1500mもやってしまった。評価は 1級だったが、右足を動かせなくなってしまった。
 寝るまでずっと冷やしたが、痛みは引かず、パンツやズボン、靴を履くときに膝をちょっと 上げるだけで、痛みが頭に響く。
 アンビバレンスの練習会にも行けなかった。完全な故障状態。安静にしておこう。                                                                                                 
 
■2002年10月15日(火曜日)
 基礎体力測定をした。正確には文部科学省「新体力テスト」。内容は握力、上体起こし、 長座体前屈、反復横とび、20mシャトルラン(往復持久走)、立ち幅跳び。急歩(1500m) という種目も本来は入っているが、これは省略。得点は、それぞれ10点満点で計算された。
 握力は左右の平均。結果は55kgで8点。62kg以上が10点。これはちょっと厳しい。
 上体起こしは、両膝を90度に曲げ、仰向けになり、手を軽く握り、両腕を腕の前で組み、 腹筋動作。両肘が両ももにつくと1回。これを30秒間。結果は39回で10点。
 長座体前屈は長座姿勢をとって、壁に背中と尻をしっかりつけ、両手をまっすぐにして 前屈をしてゆくという動作。結果は52.5cmで8点。立位体前屈と違って、記録がどの程度の ものかよくわからなかった。
 反復横とびは1mの幅で行った。航空自衛隊の体力検定では1m20cmの幅で行っているので、 幅が狭い分やりやすかった。結果は60で10点。
 立ち幅跳びは、そのまま。結果は247cmで8点。学生時代に295cmを出したことも あったので、記録の低さにガックリした。
 シャトルランは20m間隔のラインの間を音に合わせて往復するというもの。電子音の間隔が 約1分ごとに短くなり、電子音に2回ついてゆけなくなった時点で終了。初めはジョギングよりも 遅いペースだったが、100回を超えるとジョギングよりも速いペースになり、130回以降は 自分を除くほぼ全員が終了してしまい一人でやっていた。ペースが速くなると、ターンの度に 足首に負担がかかり、辛かった。みんなが待っているし、怪我をしてもいけないと思い、150回で 終了した。得点は10点。
 総合判定は、体力年齢が20〜24才で評価はAだった。まったく問題ない体力で、まだまだ 20代前半の若さがあるという判定。見た目の顔は30代に見られるかもしれないけど、そうでは ないことが証明できた。                                                                                                                   
 
■2002年10月14日(月曜日)
 アジア大会最終日。男子マラソンを見た。優勝したイ・ボンジュは、走るリズムが 良く力強さもあった。最後までペースが落ちなかった。日本人選手とは、勝負に対する 執念が違ったようにも見えた。すばらしい走りだった。アジア大会は2連覇。いつ見ても 安定しているように見える。日本は2位と3位に入ったが、目標は優勝だっただろうし、 内容を見ると厳しい戦いだった。これからはますます危機感を持って強化が必要に なってくるだろう。                                                                                                                     
 
■2002年10月13日(日曜日)


筑波大学競技会



筑波大学の学祭
 筑波大学競技会1500mに出場。今日もペースメーカーがついて走ることに なっていた。ペースは1000mを2分30秒。ペースメーカーは予定通りに走って いったが、その後にだれもついてゆけず、800m通過の時には2分5秒かかっていた。 自分も全く体が動かず、ただ走っているだけ。ゴールタイムは3分55秒73で4位。 トップも3分52秒40で、ペースメーカーには悪いことをした。
 筑波大学では学祭が開かれていて、広い敷地の中では、いろいろな催しが行われていた。 出店、研究室、イベントなど見て回りたい物がたくさんあったが、時間の都合で全く 見られなかった。大学生は好きなことができて楽しそうだなぁと思った。自分にはそういう 学生時代がなかったので、憧れるキャンパスライフだった。                                                                                                                     
 
■2002年10月12日(土曜日)
 筑波大学競技会800mに出場。ペースメーカーをつけて、タイムを狙っていくだけの レース。出場選手のほとんどが日本選手権の標準突破を目指していた。
 自分の走った組は10人が出場。そのうちペースメーカーが1人。全員タイムを出す つもりで走るので、あまり張り切らなくても最後までついていって最後で頑張ればいい という考えだった。
 200m通過が25秒くらいで、けっこうみんなの差がつまって、どつきあいになった。 自分は押すことはなかったが、押されてバランスを失いそうになった。
 400m通過が54秒くらい。先頭は53秒を切っていたかもしれない。600m通過が 1分21秒台。十分タイムが狙える環境。650m付近でまた選手同士がつまり、押し合い になり、かなり疲労が溜まった。そのまま、前の選手に追いつくこともできず、少しずつ 離されて5位でゴール。タイムは1分51秒61。シーズンベストだったが、日本選手権標準は 突破できなかった。今シーズンのレースはあと一つ。最後のレースに賭けなければならなくなった。                                                                                                                    
 
■2002年10月11日(金曜日)
 幹部体育専修課程に入校。この課程は3月まであり、スポーツプログラマーなどの 公的資格の取得も含まれている。1日中、授業や実技があり、練習ができる訳ではないが、 目の前に練習できる環境が整っている。そして目の前に目標になる選手がたくさんいる。 それだけでも今までよりはモチベーションが高まってくる。
 今日はアルコールパッチテストというものをやった。ただアルコールを浸した脱脂綿 を肌につけて7分待ち、脱脂綿を離して10分後の肌の状態を見るというもの。 アルコールの分解能が低い人はすぐに赤くなり、強い人は色が変わらない。検査をした 半分以上が赤くなり、アルコールに弱いことがわかった。自分は色の変化がなく、アルコールの 分解能はあるようだった。でもあまり好きではないので、飲む気にはなれない。                                                                                                                     
 
■2002年10月10日(木曜日)


部屋からの眺め
 自衛隊体育学校へ異動した。明日が入校日。午後までに着校すればいいということで、 午前中のうちに着校し、午前中は陸上班と一緒に練習。メニューは200m×3。 ペースが25秒前後で、最近の練習にはないスピードで、1本走るだけでかなりの ダメージがあった。
 週末は筑波大学競技会。800mと1500mを走る。シーズンベスト、日本選手権標準 を目指しているが、今日のダメージが響きそうな感じ。                                                                                                                     
 
■2002年10月9日(水曜日)
 2週間ぶりにアンビバレンス練習会参加。試合の前なのでみんなとは練習メニューを別に し、1000m、600m、400m。気持ちよく走って終われればいいと思って走り始めたが、 まったく気持ちよくは走れず苦しんだ。ペースは遅く、苦しむはずはなかったのに、苦しい。 全日本実業団以来、練習が中途半端になっていて、気持ちも乗っていないのが原因。                                                                                                                     
 
■2002年10月8日(火曜日)
 昨日の反省をして、朝練は行ったが、帰宅したのが遅く、ぐったりして全く 走る気力がなかった。このままではダメな人間になってゆく。幸い、今の職場の勤務が 明日で一段落する。木曜日からは、5ヶ月間だけ、自衛隊体育学校へ入校する。競技を しに行くのではなく、部隊での体育指導者養成の課程に入る。モチベーションが完全に 切れる直前。なんとか持った。                                                                                                                
 
■2002年10月7日(月曜日)
 先週からずっと具合が悪く朝練をしてなかったので、再開をしようと思った。 いつものように5時半頃に外に出て靴のひもを結んでいたら、突然雨がひどくなり、 また雨に濡れて寝込んではいけないと思い、結局朝練をせずに、また着替えて寝て しまった。
 帰宅したのは7時頃で、早く帰ってこられたので、すぐに練習に行こうと思ったのに、 テレビをつけてしまい、そのまま見て気がつくと9時を過ぎていた。しかも見ていた 番組は「名探偵コナン」。9時を過ぎていても走りに行けば、まだ良かったが、そのまま あきらめてまたテレビを見ていた。自分の意志の弱さに落胆した。
 朝から晩までやる気のない自分で情けなかった。こうなると悪循環で、どんどん落ち ぶれてゆく。明日からは心を入れ替えたい。                                                                                                                      
 
■2002年10月6日(日曜日)
 友達の出産祝いを探しに所沢の西武百貨店へ出かけた。子供のコーナーへ行ってみたが、 ほとんどが着る物。何にするか迷った末、シューズをプレゼントすることに決めた。 赤ちゃんのシューズなら、すぐに大きくなってしまうから、親はわざわざ買うことは ないだろうからプレゼントには丁度いいと思った。
 シューズには、ファーストシューズ、つま先立ちができるようになったら用、よちよち 歩き用、かけっこができるようになったら用など、いろいろあった。選んだのは、日本人の 赤ちゃんの足を研究してできあがったシューズ。
 プレゼント先が3件もあったので、金銭的な負担は大きかったが、いい出産祝いに なったのではないかと勝手に満足した。                                                                                                                         
 
■2002年10月5日(土曜日)
 日体大でアコム・ミドルディスタンスチャレンジに出場。種目は800m。今回は ペースメーカーという役目。後方の選手が400mを52秒、600mを1分20秒で 通過できるように走らなければならなかった。
 100mを12秒2、200mを24秒4、300mを37秒台で通過した。最近は 300mのタイムトライアルでも37秒台が最高なので、あまりにも速い入りだった。 300mから400mにかけてペースは落ち、400m通過が51秒6。420m地点で 力つき、レーンの外にはずれ、そのまま棄権。
 先頭は600mを1分20秒で通過したが、前半が速すぎたため、最後の200mは みんな動きが悪いように見えた。結局筑波大学の学生が1分49秒台の自己ベストで1位、 2位以降は1分50秒台でドッとなだれ込んだ。
 1人自己ベストが出て良かったが、前半が速すぎたため、走り終わった後、吐いていたり、 倒れて動けなくなっている選手がいて、相当きつそうだった。自分は400mちょっとで 止めてしまい、予定の600mまで走りきれず、みんなに悪いことをしてしまった。                                                                                                                            
 
■2002年10月4日(金曜日)
 所沢スポーツケアセンターへ行き、加圧トレーニング。病み上がりのため、ベルトを 大腿部に巻いただけで、フラフラした。いつものようにレッグエクステンションから 始め、最初から頭がボーっとして、おかしな気分になった。レッグエクステンションが 終了した時点で、呼吸は乱れ、かなり辛かった。休憩中は何度もあくびが出た。酸欠に なるとあくびが頻繁に出るらしい。今まではそれほど頻繁には出たことがなかったのだから、 今日はかなり追い込んだみたいだ。というよりも追い込まれてしまった。その後は、 負荷を下げてトレーニングをした。
 加圧は、体調が悪いとすぐに自分の身体に跳ね返ってくることがよ〜くわかった。                                                                                                                               
 
■2002年10月3日(木曜日)
 昨日までは寝込んでいたため、3日ぶりの練習。週末のレースに向けていきなり 最終調整。メニューは400m+300m+200m。まだ微熱があるような感覚で、走っているときも ふらついたが、なんとかタイムだけは追えた。
 早稲田大学では、総合型地域スポーツクラブのランニングシニアの部が競技場を使用して いたため、夜8時を過ぎても照明がついていて、明るい中で走ることができた。毎週 木曜日は必ず照明がついているそうだが、知らなかった。半年以上通っていて1度も 木曜日に走りに来たことがなかったみたいだ。
 家に帰って、体温を測ってみると37度を超えていた。やっぱり微熱状態だった。                                                                                                                                 
 
■2002年10月2日(水曜日)
 午後から急に寒気がして、じっとりと汗をかき始めた。週末からの具合の悪さが また戻ってきた感じ。週に1回の楽しみだったアンビバレンス練習会に行くのもやめて 家に帰って寝ることにした。これで3日間まったく運動をしていない。週末はまた レースがあるのに、このままではかなりまずい。
 
■2002年10月1日(火曜日)
 東京都千代田区の「路上喫煙禁止条例」が施行された。再三にわたって注意しても、 違反行為をやめない場合、2万円以下の過料を科すことができるという。10月中は注意に とどめ、その後も当面は最高2000円みたいだが、やっと喫煙しない人たちを守って くれるルールができたと思った。
 路上での歩きたばこは、毎朝走っているときにもかなり気になる。息を吸ったときに たばこの煙を吸ってむせることもある。臭いはつくし、腹が立つ。
 そもそも喫煙者が自由をはき違えてどこでも喫煙するようになるからこのような ルールができる。喫煙者が喫煙できるところかどうかを自覚して喫煙すれば、こんな ルールなんていらない。自分たちで自分たちを苦しめているようにも思える。


[昔のいずみ]