最近のいずみ

Last Update:2002/11/30

パートタイムアスリートいずみ 3年目に突入!! 

 
■2002年11月30日(土曜日)
 先週、妻が自動車の免許を取り、先週末から車を運転している。初心者の人は、 余裕のある運転はできず、見るべき所を見ていなかったりして、危なっかしい。 自分も2月に車を乗ったときには、免許を取って約7年半運転していなかったのだから 同じような状態だったのだろうと考えると、恐ろしい。
 助手席に座って妻の運転を見ていると、ミスばかりが目についてしまい、ついつい きつく注意してしまう。あまりにも注意する回数が多いので、妻は萎縮してしまった。 自分がこれほど人に厳しくする人間だとは思っていなかった。他人ではなく身内だから 余計に言葉が出てしまうのか?
 スポーツプログラマーの授業でスポーツ指導論があるのだが、こんな指導はやらない方が いいという見本があったが、まさに自分がその状態。本人がやる気のでるように 指導しないと、楽しいものも楽しくなくなってしまう。とっても反省しています。                                        
 
■2002年11月29日(金曜日)
 スポーツプログラマーの授業で、基礎体力測定をやった。10月にやったものと 似ていたが、違っている部分もあった。
 前回と違っていて特につらかったのは、両目を閉じ、両手は腰にあて、片足で 立つというもの。自分の年齢では満点が229秒。約4分。スタートしてすぐに 足はぐらつき始め、1分経過の時には力が入っているのでパンパンに張っていた。 人によっては10秒くらいでダウンしていたが、なんとか頑張り通し、4分まで 立っていた。これは平衡感覚よりも足が強いかどうかで持続時間が決まる。 基礎体力測定にしては、あまりにも負荷が強かった。今後はやりたくない種目だ。                                       
 
■2002年11月28日(木曜日)


ハートレートモニター
 ハートレートモニターを買った。ハートレートモニターというのは、心拍数、つまり 脈を測るもの。胸に心拍数を測るバンドをつけて、そこから無線で腕時計に送り、腕時計では その脈拍が表示されるというもの。
 パソコンにも接続でき、運動中、定期的に心拍数を取ってくれ、それをモニターできる。 問題は、パソコンに表示される言語に日本語がないこと。英語とフィンランド語らしい。 この商品はフィンランドの会社の製品なので、フィンランド語の表示があるというのは納得。 フィンランドと言えば、とても懐かしいが、言葉は、挨拶くらいしか知らないし、言葉なんて 読めない。
 腕時計の部分は力一杯ボタンを押してもなかなか反応しない。日本の優秀な時計に慣れて いるので、外国製品は全く感覚が違う。これでは運動中にボタンを押すことが難しい。 早く慣れて、自分のトレーニングに利用できるようにしたい。                                         
 
■2002年11月27日(水曜日)


カメラ付
 昨日、歯医者に予約をしたとき、自分の携帯電話を使って電話をしたのだが、受付の方 では音が途中で途切れて、全然聞き取れないと言われた。しかたなく、公衆電話から かけ直してやっと予約が取れた。
 どうも電話の調子が悪いので、昨日のうちに携帯電話のお店に行って、電話の状態を 見てもらっていた。結果は送受信でエラーが出ていた。ということは修理に出さなければ ならない。携帯電話の保証期間は2年。持っていた電話の保証期限を調べてもらったら、 なんと14年11月25日!! たった1日保証期間が過ぎていた。携帯電話とは、 うまくできている。ひょっとして壊れるようにプログラムされているんじゃないかと 思った。保証期間が過ぎていれば、有料で修理になり、修理代が8000円ということ だったので、昨日は時間がなく、そのまま帰ってきた。
 電話が使えないままでは困るので、今日も同じお店に行って、修理にするか、機種交換をするか を決めに行った。機種交換では、9800円の商品が最も安いらしく、今ならキャンペーンで 2000円を引いてくれるということだった。ついでに自分の持っているポイントで4000円も 割引ができてしまう。値段はあってないようなもの。もっと安くしてくれればいいのに・・・ 最終的には機種変更の料金が2000円かかったとしても、5800円で新しい携帯電話に 交換できるというので、迷わず機種交換に決めた。得したんだか、損したんだか・・・
 新しい電話はなんとカメラ付き。今まで画像を送ったりしたことがないので、そんな 機能があっても使わない。なくていいからもっと安くしてくれ!!と思ったが、そうもできない。 電話の製造元が今までと違うので、ボタンの位置も操作の仕方も違うから困る。前の電話も まったく使いこなしてなかった。今回もまた操作の仕方がよくわからずに、保証期間が切れて 壊れてしまうのかもしれない。                                        
 
■2002年11月26日(火曜日)
 昨夜のトレーニングで前歯が欠けて、みっともないので、歯医者に行った。以前歯医者に 行ったのは3年くらい前だったので、受付で、担当していた先生は?と聞かれたが、全く 覚えていなかった。
 通院が3年ぶりだったので、口の中も変わっているだろうということで口の中全部の レントゲンを撮った。今までにいろいろな治療をしてきているため、この写真が自分の 口の中を示したものだと思うと、幻滅だった。
 レントゲン後は、虫歯のチェック。何度もC2という言葉が出てきた。はっきり言って 虫歯だらけ。ますます幻滅・・・。先生は、C2は、厳しく見て言っているので、 それほど気にしないようにと言っていた。でもそう言われても気にするよ・・・。
 前歯の方は難なく治ったが、これから毎週虫歯の治療に通わなければならない。虫歯の 他にも親不知が4本あるから、それも抜いた方がいいとか・・・。生え方が悪いから、 大学病院に行くことになるかもしれないらしい。はぁ・・・                                        
 
■2002年11月25日(月曜日)


汚くてすみません
 夜、トレーニング場でハイクリーンの練習中に事件が起きた。
 ハイクリーンの動作がうまくできないため、動作を区切って、前半のアップライト ローイングの練習をしていた。膝を使って軽くジャンプする力を利用してバーベルの シャフトを肩の高さまで上げる練習。その時、勢い余って顔の高さまでシャフトが上がり、 脱力して開いている口の中にある歯に見事命中!! 歯が欠けてしまった。
 その場は、どうすることもできず、ハイクリーンの練習はやめ、別のトレーニングをした。 明日以降歯医者に行って治してもらうしかない。                                            
 
■2002年11月24日(日曜日)
 妻の祖母が木曜日に亡くなり、通夜が行われた。妻の祖母に会ったのは 2回だけ。結婚式に来てもらったときと、1度だけ遊びに行ったことがあった。
 思い出は、結婚式の時に妻と自分の顔が同じだと言われたこと。いつも 着るものにはこだわっていて、女性らしい女性だったということ。とても しっかりしていてかっこいいおばあちゃんだった。
 通夜が終わったあと顔を拝見したが、90才とは思えない、若くきれいな 顔だった。
 もう会うことはできませんが、またどこかで会えたらと思います。次の 世界でも元気でやってください。行ってらっしゃい。                                              
 
■2002年11月23日(土曜日)
 朝起きたときの脈が76回/分。今日もかなり高かった。今までに計測した中で 2番目にひどい。今週はどうなっているんだか・・・
 午前中はトラック練習。メニューは3000m+2000m+1000m。 設定は9分15秒、6分、2分50秒。レースペースよりは遅いが、今の 体調を考えると丁度いいレベルの練習だった。離れることもなく、ほぼ設定通り 走りきった。
 この1週間は朝練で長距離に混じって走ったため、ペースが速かった。一人では なかなか走れないペースなので、とてもいい練習だったが、それだけでかなりの 疲労になっていたのかもしれない。                                               
 
■2002年11月22日(金曜日)
 高円宮さんが昨日スカッシュ中に倒れて亡くなった。死因は心室細動。スポーツ プログラマー講習会でスポーツ医学を習っているのだが、スポーツ突然死について 学んだばかりで、かなり気になるニュースだった。
 心室細動は発作性頻脈になり、心臓が血液を送れなくなってしまう。対処法としては 電気ショック。これで正常のリズムに戻ることもある。
 今回はどういう処置をしたのだろうか?海外には電気ショックを行う機材がどこにでも あるという。そして使用法も一般人にもよくわかるように説明があり、事故が起きて 必要なときにはすぐにできるようになっている。日本ではそういうものは身近に見たこと がない。スポーツに対する認識が海外とは全く違うのかもしれない。
 スポーツ医学の究極は運動中の突然死を防ぐことだという授業中の話がとても印象に 残っている。                                                
 
■2002年11月21日(木曜日)
 夜中の1時前に「全員起床し、外に出た後、一斉検索を実施する」という放送が流れた。 もちろんみんな寝ている時間。「なんなんだよぉ〜!!」とみんな文句を言いながら、 外に出た。理由を聞かされることなく、それぞれの受け持ち区域の検索をしろと言われ、 不審者でも入ったのかなぁ?という感じで、受け持ち区域を見回った。もちろん何も 変わったことはなかった。
 当直に何があったのか聞いてみると、23時50分頃に駐屯地の隣にある 大泉中央公園で火事があり、その現場からロケット弾が駐屯地へ向かって2発打ち込まれた 可能性があるということだった。訓練の一環かと思って聞いていたが、実際に起こった ことだった。
 朝になりまた一斉検索を2回行った。何もなかった。朝のNHKのニュースでもこの事件が 取り上げられ、「ゲリラ事件か?」なんて言われていた。  昼のNHKニュースでは、公園から900mにある駐屯地内の道路で金属弾が見つかった と言っていた。公園の火事の現場は、かなりの面積が燃えていて、びっくりした。
 深夜から一斉検索して、自分たちもこの事件に少しは関係したが、自分たちの職場で 情報を知ることが全くできず、情報源はテレビのニュースというのが、なんとも悲しかった。 自衛隊って、かなり危険な職場なのかも、と初めて実感した日だった。                                                   
 
■2002年11月20日(水曜日)
 スポーツ経営学の授業では、埼玉県で実際に活動している総合型地域スポーツクラブに ついての話があった。
 日本でも現在各市町村で1つは総合型地域スポーツクラブを作りましょうという運動が 展開されていて、実際に行動を起こしている市町村が14%。その中でも 成功している例が埼玉県に2つあった。一つは志木市にある「しっきーず」、もう一つは 所沢市の早稲田大学で行われている総合型地域スポーツクラブ。
 「しっきーず」は地域の人たちが中心になり、小学校で子供達を中心にいろいろな スポーツプログラムを提供していた。
 早稲田大学のクラブについては以前から知っていたが、陸上競技だけでなく、 たくさんのプログラムが用意されていた。今は大学の教官や学生がボランティアで やっているが、将来的には地域の人たちで運営する方向で動いているらしい。 所沢市民であれば参加でき、かなりの低料金。時間が取れれば、自分も入ってみたいと思った。                                                   
 
■2002年11月19日(火曜日)
 朝、起きたときの脈はなんと78回/分。今まで計測した中で一番ひどい。確かに 朝からだるく、目覚めも悪かった。昨日は水泳と持続走の授業があって、そのあと 加圧式トレーニングをやって、強度としてはそれほど強くなかったはずなのに・・・  やりすぎだったか?
 無理をして疲労がとれなくなってはいけないので、夜は特にトレーニングをしなかった。 先週痛めた左手親指の捻挫はなかなかよくならない。かえって痛くなっているような気がする。 これも今の疲れに関係があるのだろうか?手の痛みがずっと気になって、いろいろなことに 集中ができなくなっている。早く治ってくれ〜ぃ!!                                                   
 
■2002年11月18日(月曜日)
 水泳の授業があり、内容はクロールの手のかき方。今までは小学校の時にスイミング スクールで習ったまま、ただ水をかいているだけだったが、実はそうではない ことを知った。
 手が水に入ったら、スカーリングで水を少し逃がせながら、身体の真下まで腕を持ってきて そこから一気に水を押し出しだすというもの。腕が水から出たところで脱力して手を前方 まっすぐにもってゆく。これをやるだけで、同じひとかきで今までの2倍近く進むように 感じ、泳ぐことがとても楽になってきた。しかしその手のかきかたにばかり注意が行くため、 うまく息継ぎができなかったりする。これは今後の課題。自分が上達していることが 実感できると楽しく、やる気が出てくる。最近走りではなかなか感じられない感覚だった。                                                     
 
■2002年11月17日(日曜日)
 東京国際女子マラソンを見た。日本人トップでゴールした松岡選手はすばらしかった。しかし、 自分が注目したのは、日本人3番でゴールした旭化成の安部選手。安部選手は旭化成の選手と いってもチームからは離れ、普通に働きながら、一人で練習している。主要なマラソン大会 には必ず出場していて、いつもトップにはなれないがいい順位でゴールする。実業団で 常に練習できている選手達とは違う環境で、あそこまでの結果を出しているところが すばらしい。セキスイの高橋尚子さんではないが、安部さんも走ることが相当好きなのだと 思う。                                            
 
■2002年11月16日(土曜日)
 1週間ぶりにトラック練習。メニューは400m+300m+200m×4。タイム設定が高く、 1週間ほとんど走っていなかったので、辛かった。2セット目の400mで息が上がり、 あとはこらえるだけ。結局コーチからは3セットでいいと言われ、少し元気が出て、 すべて設定タイム通りで走り切れた。しかし、最後の200mでは、みんなが全力を 出し、全くついてゆけなかった。毎日練習している人と練習できていない人ではどんどん 差が開いてゆく。指の捻挫で腕の振りにも影響があるが、来週からは練習を頑張りたい。                                                            
 
■2002年11月15日(金曜日)
 訓練3日目だったが、今日はかたづけて帰るだけ。朝6時から使った宿泊施設の 掃除をして8時には施設を離れた。10時過ぎには朝霞駐屯地に着き、午後からは 休務となった。
 指の捻挫はするし、腕の皮膚はロープで削れるし、落下で縄の跡が胸や足にもつき、 特に足は赤くなり痛かった。長く痛い1週間だった。                                                                
 
■2002年11月14日(木曜日)


カラビナ懸垂
 山岳訓練2日目。メニューは障害走。障害走と言っても障害はほとんどない。 モンキーと懸垂の2カ所が人工の障害で、その他は自然の山が障害。午前中に 障害走のコースを歩いて確認した。山を登るだけで息が上がった。スタート地点から 山を2つこえたらゴールというコース。
 午後からは、実際に障害走。タイムを計測するため順位がつく。基本的には尾根を 伝って行けばいいと思っていたが、岩場がたくさんあり、登っていったら、進む道が わからなくなった。2,3度道を間違えたが、大筋は合っていた。山の下りは急すぎて、 2,3度転んだ。木につかまたり、ロープにつかまったりしながら転げるように降りた。 捻挫するかと思った。ゴール後、左手親指に痛みがあり、捻挫していた。腕にはロープで 皮膚が削れた跡があり、透明の汁が出て、ジュクジュクして痛かった。不思議と過去には 怪我をした人がいなかったと聞いたが、そんなはずはないと思う。今回は足の捻挫が2人 もいた。
 始めは走りながら登っていたが、途中で息が上がり、歩くのも辛くなった。一番きつい ときには、タイムはどうでもよくなった。「早く終わらないかなぁ・・・」とそれしか考える ことができなかった。この障害走は息の上がった状態からどれだけがんばれるかが勝負だった。 長距離能力の強い人が間違いなく強い。よく山に入る陸上自衛官が強いかと思っていたが、 結局長距離の一番早い自分が1位だった。                                                                
 
■2002年11月13日(水曜日)


セーラー



落下の瞬間
 栃木県鹿沼市で3日間の山岳訓練が始まった。先週の障害通過走、そして今週の 大宮訓練でやったことを実際の自然の地形で行い、総合評価をするというもの。
 今日のメニューはロープ訓練。大宮で1度やっているので、前回ほど戸惑うことはなかった。 またロープが進行方向に向かって少し下っているのでモンキーもセーラーも腕の力が前回ほど いらず楽にできた。
 セーラーではまた落下訓練があった。ロープの距離が長く、バランスがうまく取れないため、 停止位置まで行くのに何度も落ちそうになった。落下の高さも前回より高そうだったが、下は 木がたくさんあって、どのくらいの距離があるのかはわからなかった。落下するときに、腰に つないだ命綱がまたに食い込んで痛かった。元の姿勢への復旧は、失敗したが、腕力で無理矢理 登り切った。セーラーと復旧は、これを最後にもうやりたくないと思った。
 降下訓練の方は、大宮の鉄塔よりも距離が短く楽しめなかった。こちらの方はまたやりたい。                                                                
 
■2002年11月12日(火曜日)
 体育学校長の訓話という時間があった。学校長室で学校長とお話。「幹部自衛官 とは・・・」というようなお話を聞くことになるかと思っていたが、学校長の自己紹介で、 部隊歴から始まり、途中でルーマニアの駐在武官時代の話に変わり、そのまま終わってしまった。
 学校長は、ちょうど東欧の自由化になる時代、ルーマニアではチャウセスク大統領が倒れる 時代に駐在武官をしていたため、とても貴重な体験をしていた。当時は社会主義の国だったため、 国外の情報は国民には知らされず、都合の悪い国内情報は外国へ出てゆくことがなかったが、 当時は国内でも民衆が立ち上がりデモを行い、軍が弾圧していたということだった。学校長は それを見に行き、日本に伝え、世界にその情報が伝わるというスクープ情報を流した人と なった。日本だけが情報をつかみに動いていたというのがすごい。日本の駐在武官は、 外国では立場が低いと言われているが、立場よりもどれだけ仕事をするかというのが重要だ と思った。                                                                 
 
■2002年11月11日(月曜日)


モンキー



セーラー
 大宮駐屯地へ行き、ロープと障害通過走訓練があった。
 ロープ訓練はロープにぶら下がって渡ってゆくモンキー、上にまたがって渡ってゆく セーラー、高いところからロープをつたって降りてゆくカラビナ懸垂とエイト環懸垂 があった。
 モンキーは途中で腕の力がつきそうになり、片手ずつでは進めなくなりそうだった。 なんとかゴールまで行けたが、結構疲れるものだった。
 セーラーはバランスを取るのが難しく、何度も落ちそうになり、なかなか前に進ま なかった。2度目のセーラーでは中間点まで進み、そこで手を離しそのまま落下する 訓練があった。こわかった。腰につけた命綱だけで落ちるのだからバンジージャンプ みたいなもの。落ちた後、そこから元のセーラーの姿勢に戻ることがまた難しい。 何人かは復旧できずに別のロープで助けられていた。
 降下訓練は、壁を跳びながら自由に降りることができ楽しかった。陸上の特殊部隊のような 、また戦争映画の世界のような感じだった。
 障害通過走は、モンキーと降下を含めた総合的な障害通過で、走力よりも技術が勝負だった ため、トップはやっぱり陸上自衛官だった。ちなみに自分は第3位。                                                                
 
■2002年11月10日(日曜日)


陸上自衛隊広報センター
 映画「アイアムサム」を見た。知能が7才で止まったままの父とその子供の話で、 子供が7才になり父の知能を上回って以降、子供の成長はどうなってしまうのか? という問題を裁判で論争する場面が中心だった。家族の愛が描かれているようだったが、 その中でいろいろな人の人生が絡まり、それぞれがそれぞれの悩みを抱えて生きている というメッセージが含まれているように思えた。人生とは悩み続けることなのかもしれない。
 午後からは朝霞駐屯地にある、陸上自衛隊広報センターへ行った。戦車やヘリコプターが 展示されていた。パソコンではレンジャー適性試験なるものもあり、妻が解いていたが、 3問しか問題がなくて2問正解で「あと一歩」という判定だった。たった3問で何が 判定できるのだろうか?なんでこんなのさせられないといけないのぉ?とパソコンに向かって 妻は怒りをあらわにしていた。やってみようと言ったのは本人だったのに・・・                                                                 
 
■2002年11月9日(土曜日)
 久しぶりにトラック練習をした。内容は400m×12。タイムは70秒。 体育学校のみんなと一緒に走ったので、一人で走るより楽で、全部走りきれた。1本目から 心肺機能への負荷は大きく、息が荒かった。想像以上に心肺機能が落ちていることを 実感した。何人か脱落した人もいて、練習に身が入っていないようにも見えた。 何となくシーズンオフになったんだなぁという感じがした。                                                                          
 
■2002年11月8日(金曜日)
 障害走の訓練があった。内容はロープを昇ったり、壁を乗り越えたり、 狭い空間をほふくで進んだりというもの。作業服を着て陸上自衛隊の半長靴(ブーツ)を 履き、陸自の戦闘訓練をしているのではないかという錯覚に陥った。
 ほふくでは、周りにイチョウの木がたくさんあるため、地面にはギンナンが たくさん落ちていて、ギンナンまみれになりながら進んだ。コースを3周するため、 ほふくのポイントへ来るたびに、砂まみれとギンナンまみれになるのがとても憂鬱だった。
 今回は朝霞駐屯地内の施設での訓練だったが、来週からは本当の自然の山の中で 訓練が行われる。まだまだ憂鬱は続きそう。                                                                         
 
■2002年11月7日(木曜日)
 ドイツのクラブチームに関するビデオを見た。ドイツにはとても発達したクラブ チームがあり、サッカー場、陸上競技場、テニスコート、体育館など、施設が充実 していた。子供からお年寄りまで幅広い層の人が利用していて、それぞれにあった プログラムが提供され、障害者の人たちも同じように楽しんでいた。お年寄りは 子供の頃からそのクラブチームに親しんでいて、生活の一部となり、とてもいきいきと していた。また値段も1ヶ月1000円〜1500円くらいでとても安かった。 ヨーロッパはサッカーが盛んでクラブチームの中でプロチームを持っているので、 プロ選手の練習しているグラウンドの隣では、同じクラブの子供達が練習している 風景も当たり前。子供達は小さい頃から目の前でプロ選手のプレーを見ることができる。
 日本ではフィットネスクラブに入ろうとすれば、料金だけでも30倍以上かかり、 総合的な施設も全くないように思う。そしてクラブといっても単一のスポーツでの クラブばかりのように感じる。運動が日常的ではなく、こういうスポーツの土台に なっている部分が日本では遅れているから、最近の国際大会の成績もよくないのでは ないかということだった。
 日本でも最近総合型地域スポーツクラブを作ろうという動きがあり、各市町村に 少なくとも1つは置くという方針が出されたようだが、充実した施設を作る場所もなく、 とても難しいことなのではないかなぁと思った。
 本日は28才の誕生日。何事もない平凡な1日だった。                                                                         
 
■2002年11月6日(水曜日)
 サッカーワールドカップ、イングランド代表選手の生まれた月を調べた論文の話を スポーツ生理学の授業で聞いた。イングランド代表選手の50%が9月から12月 生まれだったという。そして特に目立つポジションの人ほどその傾向が強いらしい。
 イングランドでは学校の新学期が9月なので、結局その学年で早く生まれた人ほど 遅く生まれた人よりも身体が大きく有利なのではという考察だった。
 同じ学年でも早く生まれた子と遅く生まれた子との差は1年ある。子供の頃の1年と 言えば、成長の差が大きい。早く生まれていれば身体は大きくコーチからも注目される ようになり、いいコーチに出会える可能性も高くなる。なるほどぉ、と納得してしまった。
 子供をスポーツ選手として活躍させようと考える親は、可能性が高まるように、 子供が生まれる前から考えなければならないのかもしれない。                                                                          
 
■2002年11月5日(火曜日)
 東京ディズニーランドには時計が1カ所にしかないらしい。時計が唯一ある場所が ワールドバザール。ショッピングをするところだけ。その他の場所には時計がなく、 お客さんは待ち時間に対する感覚がくるってしまうらしい。
 アトラクションの前では何分待ちでも、入り口から外に並ぶ人の列の長さはだいたい 同じで、アトラクションの建物の中で列を増やしたり減らしたりして調整し、 建物の中では時間の感覚をくるわせるように内装されているという。
 ディズニーランドは夢の国なので時間を気にするような雰囲気はよくないという 気はするが、ここまで計算されているとは思わなかった。
 この話はスポーツ心理学の講義の中で出てきたが、時間に対する人の感覚というのは 気持ち次第で、適当なものだなぁと思った。                                                                          
 
■2002年11月4日(月曜日)


800m(残り120m附近)



1500m(800m通過手前)
 アンビバレンス主催のかわさき陸上競技フェスティバルに出場。種目は中距離デュアスロン。 1日に800mと1500mを走って、国際陸連の得点表から得点を算出し合計得点で順位を 競うというもの。その他にも100m、200m、400mを走るスプリントトライアスロン や、やり投げ、砲丸投げ、円盤投げ3種目の投擲トライアスロンという種目もあった。
 800mは持ちタイムの一番速い組には入れず2組だったが、同じアンビバレンスの久保さんが レースを引っ張ってくれ、1周目を53秒台で通過できた。その後は千葉商大の学生が600m 過ぎまで引っ張り、そこから自分が先頭に出たが、残り80mくらいで力つき、先頭の増原くんに 大きく離され、ゴールは1分54秒85で5着。残りの80mはひどい失速だった。
 1500mは持ちタイムの一番速い組に入り、アンビバレンス主催の大会でもあるので、大会を 盛り上げるため自分が先頭で引っ張った。1周目を59秒で周り、出だしは良かったが、2周目は 65秒かかり、2周目移行は先頭から脱落した。しかしそのまま脱落するのではなく、いくらかは こらえて走り、ゴールは4着だった。タイムは4分01秒12。1周目をあれだけのスピードで 走っていて4分かかってしまったのはショックだった。
 2種目の合計得点での総合順位は5位だった。肉離れしたり、ロープ訓練でボロボロになって いたことを考えるとそこそこ走れたのかなぁと思う。
 今回の大会では、自分は競技の方へ集中させてもらえたが、クラブのメンバーやその他多くの人 たちの協力があって走ることができた。みんなに感謝したい。                                                                        
 
■2002年11月3日(日曜日)


にぎわう入間基地航空祭



F-15
 入間基地航空祭に行った。ブルーインパルスの航空ショーがメインだったみたいだが、 基地へ見に行く途中で始まってしまい、電車の中から眺め、基地に着いたときには終わって しまっていた。
 隊員だけの普段の入間基地と比べ、あまりの人の多さに驚いた。飛行機の展示してある 滑走路に近づくにしたがって、人が重なってゆき前に進めなくなった。たった数十メートル 進むのに10分以上かかった。
 滑走路に出た後も人が多くてなかなか自分たちの思うように進めなかった。飛行機の近くは 大きなレンズ付きのカメラを持った人たちでいっぱいでマニアの世界。普通のひとは近づける 雰囲気ではなかった。
 基地に着いた時間が遅かったため、滑走路に着いた頃には、飛行機が各基地へ帰り始める ところだった。それぞれの飛行機が機体を観客の方へ向けて最後のサービスをして散って いった。
 時間の都合でいろいろ見られたわけでもなかったが、人の多さに圧倒され、なんかすごい イベントだったように思え、その会場にいて雰囲気を味わえただけで満足できた。                                                                       
 
■2002年11月2日(土曜日)


Cybershot
 急に気候が変わり寒くなり、妻の暖房なしの官舎生活が辛くなってきたので、 暖房を買いに池袋まで出た。ついでにデジカメも壊れてしまっているので、デジカメも 買いにいった。
 最近は暖房にもいろいろな種類があり、ガスを使うか電気を使うか石油を使うかなど 選択肢が多かったが、電気は暖まるまでに時間がかかり、ガスは都市ガスかプロパンガスかで 違い、引っ越しするたびに違うと困るので、最終的に石油を使うものしか選択できなかった。 そこで普通の石油ストーブと差をつけるため、扇風機に続きまたまたマイナスイオンが 出るというものに決めた。
 デジカメは、2時間近く悩んだ末、ソニーのサイバーショットにした。ソニー製品を買うと 他のものも全部ソニー製品でないと納得できなくなりそうなので、ソニー製品にだけは 手を出さないようにしようと思っていたが、結局選んだのはソニー製品。ちょっと悔しいが、 総合的に判断した結果これを選ぶしかなかった。しかもちょっとこだわって限定品の黒にした。                                                                        
 
■2002年11月1日(金曜日)
 障害通過訓練とロープ訓練というものがあった。
 障害通過は、いろんな障害があり、それを昇ったりくぐったり飛び越したりした。 雨が降っているので泥だらけ。地面にはギンナンがいっぱい落ちていてすごい臭いだった。 典型的な陸上自衛隊の訓練という感じ。
 ロープ訓練はロープの張り方や、ロープの渡り方の訓練。ロープの上をまたいで 進んでいくのとロープの下を伝って進んでいく2つの方法をやった。ロープの上を またぐには、まず、張ってあるロープの上にのらなければならない。両腕、両脚で ロープにぶら下がり、右の膝を曲げロープをとらえ、左足を上から下に振り下ろす勢い でくるっと回りロープによじ登る。これがなかなかうまくいかず、回るごとに右膝が すれて痛かった。この痛さが半端ではなく、皮膚は打撲をしたように赤く腫れ上がり コブのようになった。
 しかし、ロープ訓練をしている最中にもっと大変なことが起こっているのに気が付いた。 なんと結婚指輪が指からなくなっていた。よく考えると障害通過の時、泥だらけになった 手には指輪がなかったので、そのときになくしたのだろうという予想がついた。
 訓練終了後、みんなが探すのを手伝ってくれたが結局見つからなかった。 足は腫れ上がり走れないし、指輪もなくなった。今日は散々打ちのめされた。 明日明るくなったらもう一度探してみよう。                                                                          


[昔のいずみ]