最近のいずみ

Last Update:2002/3/31

パートタイムアスリートいずみ 2年目に突入!! 


■2002年3月31日(日曜日)
 家の畳がまっすぐではなく部屋の中央に向かってへこんでいて、家具を まっすぐにするのに新聞紙を使っていたが、見栄えが悪いため近くの ホームセンターへストッパーを買いに行った。
 目的のストッパーはすぐに見つかりそのまま帰ればよかったのに、いろんな ものが置いてあるので、おもしろくて見ているうちに2時間経ってしまった。 結局他には何も買わずに帰ってきた。やることがたくさんあったのにもったいない 過ごし方をしてしまった。

■2002年3月30日(土曜日)


我が家のワードローブです
  家の中は引っ越したままで段ボールだらけ。意外に押入が小さく、台所は 食器を置く場所がほとんどないため、入曽近くのリサイクルショップへ必要な 家具を探しに行った。新たな家具が入荷してくる前のため、在庫は安くなり 多くの家具がすでに売約済みになっていた。
 自分が目をつけたのはワードローブ2セットと食器棚。普通に買ったら60万円 ほどになるらしい。しかしここはリサイクルショップ。庶民にも手の届くような 値段がついていたので、買うことにした。
 家具を買った後、所沢スポーツケアセンターへ行き、マッサージを受けた。 初めてマッサージに言ったときと比べると筋肉の張りは治まりマッサージしやすく なっていると言われた。
 マッサージが終わった後は、家に戻って、リサイクルショップからの家具を待った。 家具を置く部屋をあわててきれいにし、リサイクルショップの人と一緒に家具 を部屋に入れた。かなり大きなものなので、階段で何度かぶつけたが、すべてを うまく入れることが出来た。しかしまた引っ越しすることを考えると、どんどん 傷が付いてゆくなぁと思った。マッサージをしたが、家具を運んでまた疲れが たまってしまった。

■2002年3月29日(金曜日)


スクワット中
 4月1日付で転属する人たちとのお別れの日だった。自分の職場でも多くの 人が転属していった。つきあいは昨年の10月からなので、長くはないが、 やっと仲良く話せるようになったという状態だったので、別れるのは寂しかった。 来月にはまた新しい出会いがあるのだろう。
 夜は所沢スポーツケアセンターで加圧式トレーニング。膝痛の左足も加圧をすれば 痛みは出ないので右足と同じようにトレーニングが出来る。はじめは軽くレッグ エクステンションをして、そのあとはレッグカール、スクワットと続き、最後に ジャンピングスクワット。ジャンピングスクワットは始めてすぐに立ち上がれなく なった。普段の練習ではここまで足が張ることはなく、膝痛で走れないぶん、 このトレーニングで少しは足に刺激が入ってるのではないかと思う。

■2002年3月28日(木曜日)


入間基地の桜
 当直が終わり、申し送りをした直後、部下が交通事故を起こしたという 電話があり、直ちに現場へ向かった。人に危害を加えた訳ではなく、自分の 車をぶつけただけだった。原因はブレーキとアクセルの踏み間違え。オート マチック車でありがちな事故。縁石にぶつかっただけで、特に弁償もなく 車を廃車にするだけで済んだ。
 自分もこの1ヶ月で、何度か踏み間違えているので、ブレーキを踏むにも、 アクセルを踏むにも、ゆっくりと踏むことにしている。実際このような事故を 目の前にして恐ろしさがわかった。シートベルトの大切さもわかった。
 夜は早稲田大学で練習。久々に400m×10のインターバル。ペースは ゆっくりで、レースには全く対応できないが、膝痛の中での練習なので 仕方ない。出来ることからやってゆくしかない。

■2002年3月27日(水曜日)
 今日は当直。家に帰れない。月曜日、火曜日と帰ってくるのが日付の替わる時間で、 いきなり印象が悪かったが、家に帰ってこないとなるとますます印象が悪い。 新婚旅行にも行けず、家にも帰ってこないのだから、妻の夫や自衛隊に対する 不信感が出てきてもおかしくないくらい(笑)。海上自衛隊なんて何ヶ月も家を 留守にするのだから、それと比べれば何ともないような気もする。初めから こうなるということは言葉では説明して納得してもらっているが、妻にしてみれば そんなことは関係ないのだろうなぁ。

■2002年3月26日(火曜日)
 睡眠時間も少なく、体調は昨日よりも悪くなった。咳が出て、軽い頭痛が続き、 微熱があり、1日中辛かった。
 今日も昨日に続き、業者の作業がありそれが終わるまで帰ることが出来ず、 結局家に帰ったのは0時くらいだった。こんな生活では体調は悪くなるばかり。 走ることが出来ないストレスもある。レースも近づいてきているので、こちらの 方が不安で仕方ない。今は体調を回復すべく出来るだけの睡眠をとるしかない。

■2002年3月25日(月曜日)


入間基地の桜
 昨日も早く寝たのに、鼻づまりであまり寝られず、今朝になっても体調は 戻らなかった。そのまま出勤してからは、鼻をかみすぎて耳がおかしくなり、 完全な鼻声になった。
 今日は夜9時までの仕事の予定だったが、機材がトラブルを起こしたため、 そうはいかなくなり、終わったのは日付が変わってからだった。自分が 整備するわけではなく、業者の人たちが整備をしていて、作業が 終わるのを待つという状態だったので、待っている時間がとても長く感じ られた。
 1日頭痛を引きずっていたが、もう1日引きずりそうだ。

■2002年3月24日(日曜日)
 結婚式が終わったためホッとしたのか、昨日の夜から風邪の症状が出てきて 頭痛が続き、鼻づまりになり、具合が悪くなった。
 午前中は症状が治まり、銀座をブラブラ散歩して優雅な時間を過ごしていたが、 電車に乗って所沢へ帰る頃から具合が悪くなってきて、家に着いてからは、 頭痛が現れ、昨日と同じ状態になった。ついでに妻も頭痛になって、いきなり 共倒れ状態。こんなので今後大丈夫なのだろうか・・・

■2002年3月23日(土曜日)


芸能人は歯が命 !?
 東京晴海トリトンスクエア内の日本料理店で結婚式と披露宴を行った。今回は 自分の結婚。レストランウェディングなので、食事はおいしい。普通新郎新婦は 食事をすることができないと聞いていたので、とにかく完食しようという意気込みで 臨んだ。
 式は13時からレストランのテラスで行われ、人前式という形で、招待者の方々に 証人となってもらい、出会いを作ってくれた上村夫妻には立会人となってもらった。
 披露宴はだいたい基本的な流れの通りで、ちょっと違うのがデザートビュッフェが あるところだった。新郎新婦が率先してデザートを取りに行って食べるという状態で、 自分は2回も取りに行ってしまった。招待客からは食べてばかりいる新郎だったに 違いない。たくさんの人と話すことができ、新しい出会いもありすばらしい結婚式に なった。
 すべてが終了した後、妻と2人で中央区役所へ行き、婚姻届を提出した。役所の 人は淡々と作業をこなす感じで、大した感動はなかったが、入籍はできた。

■2002年3月22日(金曜日)
 自民党の鈴木議員が散々突っ込まれて報道されていたのに、知らないうちに 散々突っ込んでいた社民党の辻元議員に注目が集まっていた。あれだけ正義の 味方のような言い口で、歯切れのよかった人だったのに、自分のことになると 歯切れが悪い。国会議員はみんな悪いことをしているのではないかという目で 見てしまいそうだ。あまり偉くなるもんじゃないなぁと思う。平凡な人生が 一番幸せなのかもしれない。

■2002年3月21日(木曜日)


砂が舞いすぎ!!
 空は晴れわたり、風もなく暖かかったので、久しぶりに布団を干し、 たまっていた洗濯物も一気に洗濯して、久々に日光に当てて干すことができ、 とても満足な朝を過ごしていた。
 昼になって風が強くなり、砂が舞い始め、窓を閉めていても隙間から 砂が入ってきて部屋が汚された。台所では換気扇用の取り付け穴に換気扇を 取り付けていないので、大量の砂が入ってきて台所は砂だらけになった。 洗濯物や毛布は風に飛ばされ下の階へ落ちていった。空は砂で覆われ、 青空がいつの間にか黄色い空になっていた。
 朝からやってきたことはすべて意味がなくなり、何事にもやる気が なくなり、泣きそうだった。
 北海道では黄砂がたくさん飛んでいたというニュースを見たが、 この空も黄砂のせいだったのだろうか?

■2002年3月20日(水曜日)
 1週間ぶりのトラック練習。短距離の練習に加わりたかったが、膝が相変わらず 痛いため、ひとりでゆっくりと8000mのペース走をした。トラックでは たくさんの人に抜かれて、まともに走れない自分が悔しくて仕方なかったが、 グッとこらえてメニューをこなした。走り終わる頃には体が温まったためか、 痛みが緩和してきたので、最後に300mを走った。8割ほどの力で走ったが ゴールするときには目一杯で、終わった後はなかなか動けなかった。あと3週間で レースが始まる。日に日に焦ってくる。

■2002年3月19日(火曜日)
 最近日経新聞を購読し始めた。朝刊と夕刊が届くのだが、なかなか見る時間がない。 朝は出勤するまでバタバタするため朝刊を読む機会はあまりなく、夕刊は テレビ欄を見るだけだったりする。届けられたいくらかの新聞は読まれずに そのままきれいに重なっている。なんかもったいない。ゆっくり新聞を読む時間がほしい。

■2002年3月18日(月曜日)
 所沢スポーツケアセンターで加圧式トレーニング。加圧式トレーニングは 膝などの関節の痛みがあっても、痛みを気にすることなくトレーニングができる。 しかも軽い負荷で辛い思いができる。
 トレーニング前に大腿部周りの左右差を測定した。左右で約1cm程の差があり、 左の方が少し小さかった。そのため左足の方は右よりも強く巻き、多めに トレーニングをした。
 負荷なしでスクワットを30回するだけで、足が自分の意志には反応しなくなって 倒れた。頭はボーっとして変な感じだった。血液の流れを止めてトレーニングしている のだから予想できる状態だが、心拍数は上がっていないのに、体が動かなくなるので、 普段は経験できない状態。
 いったんベルトを外し横になると、眠気がおそってくる。これは成長ホルモンが 分泌されている状態らしい。ここで寝てしまうとトレーニングができなくなるので、 こらえてまた次のトレーニングに入った。
 トレーニングは約1時間で終わり、たいしたことはやっていないので疲れはないが、 頭の中は少々混乱していた。

■2002年3月17日(日曜日)
 美容院へ行った。美容院へは昨年の夏以来2回目。やっと髪の毛が伸びてきた ところなので、切るところは少ししかなかった。それでも店長はおしゃべりしながら 気持ちよくカットしてくれた。最後にジェルを塗られ、髪がカチカチになり、 いつもとは違う自分になっていた。
 普段からこういうものをつければ全然違う自分になるのかもしれないが、 職場では帽子をよくかぶるため、張り切って頭に神経を向けても結局ペチャンコな 髪型になる。今の生活を続けるのなら、頭のことは気にしない方が良さそうだ。

■2002年3月16日(土曜日)
 初めてベトナム料理を食べた。ビーフンや生春巻きなどがあり、普段から その辺の居酒屋でも出てくるような料理だが、味はやっぱり居酒屋とはちょっと 違った。東南アジアの調味料は辛くて臭みがあってあまり好きではないが、 食べられないことはなかった。どちらかといえばおいしく食べられた。
 タイに旅行したときにタイ料理を食べて吐いたイメージが残っているから 東南アジアの料理というと敬遠してしまうのかもしれない。今回ベトナム料理を 食べて少しは抵抗がなくなったのではないかと思う。

■2002年3月15日(金曜日)
 職場で消防訓練があった。消防訓練といえば、小学校の頃から避難訓練を しているが、それはただ逃げるだけの訓練。我が社の訓練はそうではなく、 初期消火をして、次に火を消すガスを部屋に散布したりしてそれでもダメな 場合は逃げるという訓練だった。こんなにみんなが真剣になり一生懸命やる 消防訓練は初めてだった。さすが自衛隊と思った。

■2002年3月14日(木曜日)
 歩いていても膝が気になりだし、走れる状態ではなかったが、職場では5km 点検というものがあり、5kmのタイムを計らねばならなかった。
 この5km計測には年齢ごとに基準タイムが設定されていて、それを切れば 特に問題はない。自分の年齢だと23分くらいらしい。23分といえば、自分の 普段のジョッグくらいなので、無理をせず走れた。走っているときは痛みが出る ことはなかったが、走り終わったあとにはしっかり痛みが出てきた。走り 終わったあとも仕事はあるのだから、とにかく暇を見ては冷やした。また運動が できなくなってしまったみたい・・・

■2002年3月13日(水曜日)
 アンビバレンス練習会。1月末以来スピード練習をまったくしていないので、 短距離に混じって練習した。メニューは200m+200m+100m、200m+100m+200m、 100m+200m+100m。考えていたよりもペースが速く、後半はついてゆくことが できなかった。練習後には膝が痛み出し、イヤな感じになってきた。無理をしすぎたか?

■2002年3月12日(火曜日)
 3月、4月に転勤や退職が決まっている人たちの合同送別会があった。 普通の店で行われるのではなく、入間市の産業文化センターで行われた。 料理の方は店から運んでくるようになっていて、店員の目もほとんどないので、 持ち込みもできてよかったように思う。
 転勤者の中には、自分の希望とは全く違う転勤先であったりして、気の毒に 思えるのだが、こういう組織で全国に転勤先があるのだから仕方ない。
 また退職する人たちは、任期制隊員なので正社員ではなく、年は20代ばかり。 みんな新たな道へ向かって進む決意をしていた。頑張ってほしい。

■2002年3月11日(月曜日)
 所沢スポーツケアセンターで加圧式トレーニング。大腿部の付け根に ベルトをぐるぐる巻いて血流を少なくし、足が少し張った状態での トレーニング。
 始めにレッグエクステンション。体育学校の頃は60kgくらいの 負荷で行っていたところを今回は7kgの負荷。思っていたよりも 足は動いた。
 続いて負荷なしでスクワット。これもこなすことができたので、 負荷をかけるためにジャンプスクワットにも挑戦。こちらは30回 できなかった。途中からひざが曲がらなくなりしゃがもうとすると後ろに 転がってしまった。大腿はパンパンに張った状態になり、なんとなく 800mの最後の直線を走っているような感覚になった。この状態から 走ることができれば、レースでも少しは戦えるようになるかもしれない。

■2002年3月10日(日曜日)
 名古屋国際女子マラソン、全日本実業団ハーフマラソンを見た。テレビでは 別のチャンネルでやっていたため、放送時間がかぶり見づらかった。
 女子マラソンは野口さんの力が際だっていた。たまに間近で彼女を 見ることがあるが、彼女の走りは日本人離れしているといつも思う。 まだまだタイムは出るに違いない。
 ハーフマラソンのほうは最後のトラックまで勝負のもつれた女子が おもしろかった。川上さんのラストスパートへの自信はすごい。自分にも これがあるという自信をもてるようになることが必要だと思った。

■2002年3月9日(土曜日)
 自衛隊体育学校で練習。コーチの平田さんと森は日中対抗室内陸上で中国へ 行っていたため不在で、それほど激しい練習メニューではなかった。メニューは 600m×2。タイム設定は1分25秒。シーズン中ならばジョギングのような 感覚で走れるタイムだったが、ずっと練習をしていなかったため、この練習が こなせなかった。今の自分の状態を確認することができた。あと1ヶ月で シーズンイン。練習をしていないのに疲労はとれず、疲労回復をしつつ、 走れる状態へ持ってゆかなければならない。難問だ。

■2002年3月8日(金曜日)
 ”「父親も育児の責任自覚して」文科省懇談会が中間報告”という記事を読んだ。 外国に比べ遅れている父親の子育てについて、父親に責任を自覚するよう 促したり、企業や職場に対し、仕事一辺倒でなく、育児に積極的に参加できる 環境を整えるよう求めていくとのこと。また、地域ぐるみで子育てを支援する ネットワーク作りを提言したらしい。
 父親が子育てについて責任を自覚していないはずはないと思う。自分の子供 なのだから。結局仕事をしないと生活できないからそういう結果になるのではないか?
 自衛隊も戦争はないのに忙しいと言う。寝る暇もなくてストレスが溜まり、病院へ 行かなければならなくなる人がたくさんいると聞く。こんな状態では子供の面倒などは 絶対見られない。こういう状態からどうやって育児のできる環境にしてゆくのだろう? 民間企業より先に公務員が見本を見せなければならないのかも。

■2002年3月7日(木曜日)
 所沢スポーツケアセンターでまた治療。火曜日に一度行っているので、先生も どこが悪いのかわかっているため、スムーズに治療は進んだ。火曜日よりは 筋肉の張りがおさまり、体幹部の筋肉もさわれるようになったと言われた。 大腰筋、腸骨筋は大きい方で、これがうまく使えれば、走ることにはプラスになる とも言われた。来週からは加圧式トレーニングに移ってもやっていけそうな 雰囲気になってきた。

■2002年3月6日(水曜日)
 2ヶ月ぶりにアンビバレンスの練習に参加。練習は6000mと200m×3。 体の背面に筋肉痛がまだ残っているので、動きが悪く自分が走っているように 感じなかった。とにかく辛いだけ。日曜日は急に無理をしすぎたと思った。
 久しぶりにアンビバレンスの仲間に会え、一緒に練習ができ、走れなかった ストレスはかなり緩和した。

■2002年3月5日(火曜日)
 所沢スポーツケアセンターというところへ行った。ここは加圧式トレーニングという トレーニング方法を取り入れ、アスリート、高齢者、障害者のリハビリ、治療、 トレーニングを行っている。
 内容は簡単に言うと、足にベルトを巻いて血液の流れを止め、その状態で トレーニングをするというもの。通常70%以上の負荷をかけるトレーニングが たった20%の負荷で同じ効果がでるらしい。成長ホルモンの分泌が通常の300倍。 そのため筋肉の発達もかなり早いらしい。  体育学校でも加圧式トレーニングを一部の人がやっているが、ほとんどが格闘系の 種目の人なので、陸上競技には結びつかないと考えていた。しかし、陸上競技にも 十分対応できるトレーニング方法だと先生に聞かされ、やる気になってきた。
 今日はトレーニングではなく、マッサージ治療だけだったが、筋肉痛がひどくて、 大腰筋、腸骨筋といった体幹部の筋肉はあまり緩和しなかった。

■2002年3月4日(月曜日)
 仕事が終わって夜8時頃から早稲田のトラックで練習。夜は小さなライトが 照らされているだけで、かなり暗い。しかしトラックの外ではおばちゃんたちが、 おしゃべりしながらウォーキングを楽しんだり、トラックでも2人のジョガーが 走っていた。市民に開かれた大学という気がした。
 練習内容は12000m。1km4分くらいのペースで走ろうと思っていたが 最後は3分半くらいまで上がった。昨日のサーキットの筋肉痛がひどくて、普通に 走っているようには感じられず、ぎこちない状態だった。

■2002年3月3日(日曜日)
 びわこ毎日マラソンを見た。先月の東京国際マラソンと比べると、招待選手の 数は多くレベルも高かったので、見ていておもしろかった。最近はいつも外国人招待選手が 優勝するので、日本人が優勝すると本当に気持ちいい。
 優勝した武井選手がこんなに元気に走っているのを見るのは久しぶりだった。
 体育学校勢は小出さんが2時間11分03秒で7位。また自衛隊記録の更新。 途中まではテレビに映っていた松村さんは、テレビではゴールが映らず、結果は 80位だった。
 マラソンの後は体育学校でサーキットトレーニングをした。日曜のトレーニング場は 誰も使っていないので、ひとり貸し切り状態。脈が240回/分を越えるくらいまで 追い込み、明日は筋肉痛間違いなし。

■2002年3月2日(土曜日)
 1週間ぶりにジョギングを再開。早稲田大学所沢キャンパスまでジョッグした。 このキャンパスは人間科学部のあるところで、高校時代、指定校推薦で 入学したいと思ったことがあった。結局、私立大学は経済面を考えると 行けないということであきらめ、あこがれの場所になっていた。
 場所は駅から遠く、とても不便なところだが、走るにはいい環境。 トラックもオールウェザー。ここの学生になっていたらどうなっていただろう? なんて思いながら、フィールドで筋トレして帰ってきた。

■2002年3月1日(金曜日)
 介護やガンの告知について考える機会があった。こういうのはテレビの 中で出てくるような話だと思っていたが、身近な人にそういことがあり、 これからは誰もが考えなければならなくなるだろうと思った。
 介護に関しては、一番問題になるのは金銭面。お金があれば問題ないが、 普通はそうはいかない。昼間働いていたら自分では介護はできないので、 誰かに頼むことになるし、自分で面倒を見ようとしたら生活できなくなる。 介護の期間とそれにかかるお金のことを考えると困ってしまう。
 告知については、患者の気持ちを大事にするというのが一番大切というが、 どうするのが最もよいかなどなかなかわからない。元気になりたいという 気持ちがなければ助かるのも助からなくなるのだから本人に告知するか どうか本当に迷うことだろう。 



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