最近のいずみ

Last Update:2002/4/30

パートタイムアスリートいずみ 2年目に突入!! 


■2002年4月30日(火曜日)
 昨日の夜から体調が悪く、風邪を引きそうだったので、午前中予定していた 体育学校での練習には行かず、昼まで寝ていた。
 午後からもダラダラとワイドショー関係のテレビを見ていた。こんなにまったり とした、ただボーっとするだけの午後を過ごすのは久しぶりで、休みを取ってよかったぁ っと思った。体育学校の時は、午前と午後のワイドショー、昼のドラマは欠かさず見ていた のだから、ホント暇な生活をしていたなぁと思う。
 あまりにも何も考えない生活をしていたので、反省して夕方からは主夫業。洗濯して 掃除して、ご飯炊いてみそ汁作って・・・ けっこう楽しく、主夫になりたいと思った。

■2002年4月29日(月曜日)


おばあちゃんと
 妻のおばあちゃんが大阪の富田林に住んでいるので会いに行った。おばあちゃんは 今年90歳ということで東京での結婚式は距離が遠すぎて出席できなかったので、 会いに行ってとても喜ばれた。
 昼は富田林にあるかんぽの宿へ行き、食事をした。おばあちゃんはフライが好きだと いい、自分たちと変わらない食欲で出された食事をしっかり食べていた。90歳になっても こんなにしっかりしている裏には、食事をしっかしているからなのだろうと思った。
 かんぽの宿には嶽山温泉という天然温泉があり、久しぶりに温泉に浸かることが出来た。 少しでも疲労回復していればなぁ・・・と思う。

■2002年4月28日(日曜日)


薬師寺



1500m決勝(後ろから3番目)
 レースが午後からだったので、午前中は、薬師寺、唐招提寺、その近くの古墳を うろうろした。建物に入る度に、拝観料が600円。払っていたらきりがないので、 結局どこにも入らず、周りをぶらぶらと散歩。古い町並みの溝には日本ザリガニが いたり、いろいろな草花があったり、普段目を向けることのないようなものが 目に入ってきて、新鮮だった。奈良は散歩するには最高の場所だと思う。
 昼からは車で神戸のユニバー記念競技場へ行き、兵庫リレーカーニバル男子 1500mに出場。今回は3組タイムレース決勝で争われ、自分は第2組。
 今回の目標は3分53秒。1周目から日立電線の松本くんが積極的に飛ばし、 58秒で通過。2周目、3周目と少しずつペースは落ちていったが、いいペースだった。 自分としては1周目から辛く、何度も離れそうになりながら離れずに走っていた。 あまりにも辛かったので、早く終わってくれぇ〜!!という気持ちだった。
 残り300mからは集団から少しずつ離れてきたが、先頭の方もあまりペースが 上がらず、なんとなく集団の最後方で走り終わった。結果は3分52秒45で7位。 総合は25人中19位。
 今回も目標をギリギリで上回り、自分の中ではまた一歩前進。次は5月3日の 静岡国際。また目標タイムを上げて少しでも昨年のレベルに近づきたい。

■2002年4月27日(土曜日)


奈良の夕暮れ
 兵庫リレーカーニバルへ向け関西へ出発。奈良にいたときに世話になったコーチの ところでまたまた世話になった。
 最終調整は、懐かしの奈良基地にある300mのトラック。300mトラックは、 カーブがきつくて、走りづらい。自分がどんなペースで走っているかもわかりにくく、 遅いのではないかと思い、ちょっと頑張ったところ、予定よりもペースが速なってしまい、 300m×3の予定だったが、3本持たず2本で終了。
 練習後は、基地の周りの古墳を散策。夕暮れがきれいだった。
 夜は生駒山上まで行き、大阪の夜景を見た。戦国時代、ここから豊臣と徳川の 戦いを見ていたらすべてがいっぺんにわかったのではないかと思った。

■2002年4月26日(金曜日)
 この1週間、入間基地では会計検査が行われた。会計検査院の調査官が10人ほど来て 税金が無駄に使われていないかを調査していくというもの。自分の職場も対象になるような 物品があるようで、それを何のために利用しているかとか、どういうものなのかを調査官に 答えなければならなかった。調査官は何に対して興味を持っているのかわからず、話が いろんな方向へ進んでゆく。答えるのは自分なので、はっきり言って知らないことが多い。 調査官は、根気よく付き合ってくれるので、自分も自分の職場についてたくさん学ぶことが 出来た。
 この1週間はずっとこの会計検査に出なければならず、他にやらなければならないことが 全く出来なかった。バタバタと走り回り、帰るのもいつもより遅くなるし、肉体的にも 精神的にも疲れる1週間だった。

■2002年4月25日(木曜日)
 衆院予算委員会で辻元氏参考人招致をやっていた。マスコミで記事を書かれ、 感情的になって全面否定してしまったということだが、ものの弾みでウソを 言ってしまうことって誰にでもあるのだろうと思う。特に言動に気をつけている 政治家でもこういうことがあるのだから、それほど言動に気をつける必要のない、 一般の人にはもっとそういう機会はあるのかもしれない。始めに間違ったことを 言うと後々つじつまを合わせるのが大変だ。自分も気をつけたい。

■2002年4月24日(水曜日)
 仕事が終わったのが遅く、また、アンビバレンス練習会には参加できなかった。 継続して行くことが出来ないのがつらい。
 試合の時期は、計画通りに練習をやっていかないとリズムが崩れ、肉体的にも 精神的にも悪い影響を与えるので、今日も夜遅くだったが、予定通り練習した。
 内容は600m×2、1200m×2。昨日以上に走れず、1200mなどは 全く体が動かず、ジョギングに近かった。ただ走っているというだけで、辛いところで 我慢しきれない。体の疲れもかなりありそうなので、明日は練習を休むことにした。

■2002年4月23日(火曜日)
 仕事から帰ってくると、ぐったりして何もやる気がわかなかったが、とにかく 決めたことはやろうと思い、なんとか練習だけはした。
 内容は4000mペース走。体育学校にいたときならば、ジョギング程度の感覚で 出来ていたペースを必死でこなし、最後の100mでスピードを上げたところ、 吐きそうになり、それをこらえようとして妥協が入り、スピードを落としてしまった。 あのまま走れたのではないかと思えて、自己嫌悪。体と心を両方コントロールする ことは難しい。

■2002年4月22日(月曜日)
 スピードスケート堀井学選手の引退記者会見の記事を見た。「つらいことも 多かったが、僕はスピードスケートが誰よりも好きだった。毎日が素晴らしい 時間だった」と振り返り、周囲から「まだやめるなよ」と引き留められた経緯 を語り始めると、涙を浮かべて言葉をのみ、悔しさものぞかせたということだった。 読んでいるうちに悔しさがこみ上げてきて、自分も涙を浮かべてしまった。
 今後は、講演活動をしながら所属していたPJMジャパン傘下の代理店を経営する ということで、山本コーチの方も同様に代理店経営を始め、選手をスカウトできれば、 部を再開するという。オリンピックの後は職がないという状況を回避できてよかった。  「ここまであきらめずにやったことに意味がある」ということで、自分も あきらめずに陸上競技を頑張りたいと思う。

■2002年4月21日(日曜日)


レース後
 群馬リレーカーニバル800mに出場。久しぶりにいつも走っている メンバーに会った。
 このレースは3組タイムレース決勝。組み分けは昨年の日本ランキング順で、 自分は第2組。今日の目標は昨日までの調子を考え、1分55秒。高校時代 の記録程度。
 レースは1周目が56秒台で3番手につけ、500m過ぎからきつくなり、 600mまで3番手でいったが、それ以降は全くついてゆけず、1分54秒26で 6位。組では最下位。総合は212位。目標タイムは上回ったので、結果は気にせず、 自分の中では納得。
 来週は神戸で1500m。来週1週間の過ごし方によるが、熊本よりは走れるように なっていると思う。

■2002年4月20日(土曜日)


サイボクハム
 午前は、体育学校で練習。明日のレースの調整で600mをする予定だったが、 誰も走らないということで中止。通常の練習をする川上といっしょに練習をする ことにした。メニューは300m+300m+200mを2セット。人に 引っ張ってもらうと予想以上に走れる。先週の走りと比べるとかなりまともに なった。
 夕方、埼玉では有名らしい?日高市にあるサイボクハムへ出かけた。ブタに ふれあうことができたり、地元の新鮮な野菜が買えたり、肉以外にもいろいろな ものが売られていて楽しめた。

■2002年4月19日(金曜日)


どこまで育つのだろう?
 早大で練習。内容は600m、500m、400m。ウィンドスプリントのつもりで 走り出したが、気持ちよく走れなかった。筋肉に疲労がくるより先に呼吸が苦しくなり、 左右の足のバランスが悪い。右足に左足がついてゆかず、全く進まなかった。
 仕事でのストレスは解消されたが、練習としては後味の悪い終わりだった。

■2002年4月18日(木曜日)
 所沢スポーツケアセンターで治療。先生から、毎回来るたびに筋肉の疲れ方が違うと 言われた。最近は、トレーニングから来る疲労とは言えない、肩甲骨、肩、首 などの張りが目立つということだった。普通のサラリーマンと変わらない疲れ方。 仕事がある限り、この疲れを取り除くことは出来ないし、今後も競技の疲れとダブルで 付き合ってゆかなければならないものなのだと思った。

■2002年4月17日(水曜日)
 アンビバレンス練習会。自分のたてたメニューで初めての中距離だけの練習。 参加者は自分を含めて3人。内容は600m×5。
 初めの500mはウィンドスプリントで、残りの100mはダッシュ。4,5本目は ゴール後吐きそうになった。人と競る練習は、一人での練習と違って、充実感がある。 これからは自分さえ練習に参加できれば、人と練習ができる。少しだけ自分にとって 練習環境がよくなり、やる気が出てきた。

■2002年4月16日(火曜日)


大濠公園の動物たち
 九州旅行も最終日。午前中は大濠公園まで行き、福岡市立美術館で現代美術に触れた。 現代美術は、その辺においてある粗大ごみのような物体だったり、見ても理解できなかった。
 昼からは中州を見た後、キャナルシティーでウィンドウショッピング。何かを買えば 荷物が重くなるし、特に何かを買うというわけでもなくただの冷やかし。
 帰りは福岡20時30分発のJAS。1人1人席の前に液晶画面があり、ゲームが できたり、ビデオが見られたり、暇つぶし用品がそろっていてすごぉ〜い!!っと 感動。楽しむには時間が足りなかった。
 羽田には22時過ぎに着き、所沢へ着いたのは0時半だった。

■2002年4月15日(月曜日)


キャナルシティー



夜の中州
 朝、妻と二人で水前寺公園をジョギングしようと思い、水前寺公園まで行ったが、まだ 開園しておらず、水前寺公園周りを40分ほどジョッグ。
 その後、洗濯物がたまっていたので、コインランドリーを探し、車で駅前をうろついた。 コインランドリーは見つかり洗濯は出来たが、ホテルへ帰ってみるとホテルの中に コインランドリーがあり、そちらでやればよかったと反省。
 今日は1日かけて阿蘇へ行ってくる予定にしていた。10時にホテルをチェックアウトし、 カーナビがないので地図を見ながら運転した。そのためか、道を間違え、急に車線を 変更したために前の車に接触してしまった。相手の車は塗装が少しはげ、こちらのレンタカーも 見事に擦った跡が残っていた。相手の方がやさしい女性だったので話はスムーズに進み、 近くの交番へ行き、必要な手続きをして、1時間後には開放された。事故を起こす前、朝から 2,3度事故になりそうなことがあり、昨日からの疲れも考えて阿蘇へ行くことを断念した。 そしてそのまま熊本駅前にレンタカーを返して博多へ向かった。
 博多は16時前に着き、雨の中歩いてホテルへ向かった。20分くらい重い荷物を持ち、 ビショビショになってホテルへ着いた。ホテルはかなりボロく、テレビは100円を 入れなければ見ることができず、窓から見える景色は、隣のビルの廃墟だけ。事故して、 雨に濡れ、目の前が廃墟で、妻共々気分が落ち込んだ。
 気分を入れ替えるべく、夜はキャナルシティーで食事をし、久しぶりに映画を見た。題は 「ビューティフルマインド」。ゲーム理論でノーベル賞を受賞した数学者ジョン・ナッシュの 物語。最後は感動で涙を流し、2時間前までのブルーな気分も晴れてしまった。
 映画の後は、中州の屋台を見てみたいと思い、中州をうろついたが、屋台は4,5件しかなく、 がっかりしてホテルへ帰った。

■2002年4月14日(日曜日)


表彰後



菊池渓谷

 金栗記念選抜陸上中・長距離熊本大会1500mへ出場。昨年度日本ランキング1,2位の 選手を含む12人で決勝が行われた。今回は全く走れないことがわかっていたので、目標は 完走と、4分を切ることだった。
 レースはずっとスローペースで1周目は64秒、2周目が61秒。3周目から集団が ばらけ、先頭には付いてゆかず、自分の完走できるペースで最後まで走った。結果は 3分58秒03で8位。目標達成。復帰への第一歩を踏み出した。8位までが入賞らしく、 中学生並みの結果でありながら表彰台へ上がり賞状までもらってしまった。結果はどうであれ またこのレースに戻ってこられたことだけで大きな意味があったと思う。
 これから少しずつ目標を立て、それをこなし、6月の日本選手権までには昨年のレベルに 戻したい。
 レース後、陸上モードから新婚旅行モードへ切り替え、昨日から借りているレンタカーで 菊池渓谷を目指した。こちらは関東と比べ、車の流れが速く、ちょっと気を抜くとおいてゆかれ そうになる。2時間はかかると思っていた菊池渓谷へ1時間半かからずに着いてしまった。
 菊池渓谷は避暑地や日本の名水百選として有名らしく、多くの観光客が来ていた。久しぶりに 自然のせせらぎを聞くことが出来き、レースの疲れも癒された。
 菊池渓谷の後は、熊本市内まで戻り、4年前から行ってみたいと思っていた熊本で1番 おいしいと言われているラーメン屋「黒亭」へ行った。ニンニクの味が強く、豚骨ラーメンと いうよりはニンニクラーメンという感じで自分には合わなかった。

■2002年4月13日(土曜日)


飛行機から見えた富士山
 朝6時過ぎに羽田空港へ行き、6時55分発の飛行機に乗り、熊本へ向かった。 昨夜は睡眠時間が少なく、飛行機の中では目を閉じているだけで眠ることが出来ず、 眼の下はクマの張った状態。
 8時半過ぎに熊本空港へ着いた。まだ午前中なのでホテルにチェックインすることが できず、空港でレンタカーを借り、県総合運動公園へ行き、明日のレースの最終調整を することにした。
 競技場にはすでに体育学校チームが来ていて最終調整をしていた。それぞれ別の メニューをしていて、一緒に出来るメニューがなかったため、結局ひとりで走った。 1000mをレースペースで走るつもりだったが、アップをしている間、頭の中で 妥協に妥協を重ねてしまい、走ったのは600m。なんとかレースペースで走ったが、 いっぱいいっぱい。あと900mをどうやって走ればいいのか?明日は完走も不安に なってきた。  結婚式をした後、新婚旅行をすることが出来なかったので、プチ旅行ということで 妻も連れてきたが、妻にしてみれば、何もすることがなく、中途半端な1日だったに 違いない。明日走り終わるまでは、応援してもらうしかない。

■2002年4月12日(金曜日)
 鉄腕アトム誕生まであと360日らしい。彼の誕生日は2003年4月7日。 今のところ人型ロボットはホンダなどが作っているが、鉄腕アトムのような ロボットは出てきていない。動物型ロボットは、だんだん値段も下がってきて、 ここ1年くらいで随分進歩したように思う。科学技術の進歩は最近特に 目覚ましいので、あと1年で鉄腕アトムのようなすばらしいロボットが作られる ようになるのかもしれない。1年後、世の中がどうなっているか楽しみだ。

■2002年4月11日(木曜日)
 午後から雨が降り、夕方から夜になると、車を運転していても視界が悪く、 とても運転しづらかった。たまたま狭い道を通って対向車とすれ違うときに、 左側へ車をよけて徐行したときに、すれ違い終わるまで鈍い音がした。車が 電柱に少し擦ったようで、サイドミラーは畳まれていた。目の前のガソリン スタンドへ車を入れ、ガソリンを入れているときに左側のドアを見てみると、 見事に擦った後があり、塗装がニードルで擦ったように削れていた。ショック。 この傷はどうやって対処すべきなのか?車両保険に入っているけど、それで なんとかなるのかなぁ?

■2002年4月10日(水曜日)
 アンビバレンス練習会の日であったが参加できず、夜10時過ぎまで職場だった。 今週からアンビバレンス中距離の練習メニューを自分で立て、それに沿って 練習をしていく予定になっていた。
 しかし運の悪いことに、職場の機材がトラブルで復旧作業を行わなければならず、 終わるまで帰れなかった。今日の練習は、今週末のレースの最終刺激で、どうしても 走っておきたかった。できなかったという精神的なダメージが大きい。前向きに・・・

■2002年4月9日(火曜日)


 西武ドームへ西武vsオリックスを見に行った。たまたま西武ドームの内野指定席 チケットをもらっただけなので、特に西武ファンというわけでもなく、空いている と思われるオリックス側の3塁席へ座った。さすがパリーグの試合という感じで、 お客は全然埋まらず、特にオリックス側は空席が多かった。西武側も外野席と 内野自由席はそれなりに埋まっていたが、指定席の方は、空席がたくさんあり、 西武側へ行けばよかったと後悔した。
 ドームへ行く前に、テレビ埼玉で中継を見て1回にすでに3対0で西武がリード していた。ドームへ行ったときには6回まで進んでいて、4対0になっていた。 座ったらすぐに外国人のホームランが出て5対0。その後も1点追加。オリックスは ヒットがたくさん出ているのに、打線が全く続かず、最後まで0点。ランナーが 2,3塁にいて打順は3番というチャンスがあったのに、代打が出てきて三振。 どうしようもないくらい盛り上がらなかった。
 ドームはただ球場に屋根があるだけで、東京ドームのように全部囲まれ室内に なっているわけではなく、温度も外と同じで寒く、息は白くなるくらいだった。 なんとも中途半端なドームだ。

■2002年4月8日(月曜日)
 早大でトラック練習。内容は1000m×3。アップの時から膝痛がひどくなりそうな 気配があったので、量も質も落としてのメニューになった。
 今までだったら、大した負荷を感じないメニューなのに、1本目から心肺機能が 辛くなり、体には余裕があるのに、全く走れなかった。結局3本ともまともに走れず、 とにかく呼吸が苦しかった。土曜の練習も呼吸が辛くなって体が動かなかった。
 今後は心拍数を上げるような練習が必要だ。でも何やっても心拍数が上がりそうなので、 大した発見ではなかったような気もする・・・

■2002年4月7日(日曜日)
 昼近くに起きてたため、1日のうち半分を無駄にしてしまい、後悔。 残りの半日は、職場で課題が出たため、その課題作業。自分の興味ある内容とは いえないので、なかなか文章が書けず、夜になっても終わらなかった。 やりたいことは何も出来ず、相変わらず部屋の中も引っ越ししたままで段ボールだらけ。 もったいない1日だった。

■2002年4月6日(土曜日)
 自衛隊体育学校で練習。朝霞駐屯地では広報資料館が開館し、一般開放を していたため、一般の人たちが多く出入りし、遊園地のような状態だった。 例年通り、桜の花は散ってしまっているが、花見のセッティングをして、 多くの人たちがバーベキューなどを楽しんでいた。体育学校の職員も出勤で、 お祭りに参加し、昼からお花見モードになっていた。
 練習は600m+200m、500m+300m、400m+400m。 始めから全く付いてゆけず、予想以上に体ができあがっていないことがわかった。 最後の400mは55秒の設定で74秒もかかった。ひどすぎる・・・

■2002年4月5日(金曜日)
 所沢スポーツケアセンターで、加圧トレーニング。今回はレッグエクステンションや スクワットに加えて、ハムストリングス(足のもも裏)の強化で、レッグカールを行った。 左右の腿の大きさが違い、左足が弱いため、左足は特に強く締め付けた。血の流れを 止めてのトレーニングなので、終わった後は頭がボーっとして、正常な判断をするのに 時間がかかるような感覚が残った。

■2002年4月4日(木曜日)
 基地の中で自衛隊の車を乗るためには、普通免許の他に、自衛隊内での免許が いる。その免許を取るには、学科試験と実技試験がある。実技はもちろん自衛隊の 自動車に乗ることになるので、そのための練習を実施。
 車はマニュアル車。自分は免許を取って以来、約8年クラッチを踏んだことがない。 2月にやっと車に乗るようになったばかりで、かなり苦戦した。始めから坂道発進 の練習で、前進したいのにバックしたり、エンストしたり・・・。いちいちクラッチを 踏んでギアを変える必要がでてくるため、とても面倒だった。オートマチック車は なんと楽なのだろうと思った。

■2002年4月3日(水曜日)
 アンビバレンス練習会の日。中距離希望の入会希望者が来ていたため、話し こんでいるうちに、時間が経ってしまい、練習時間が30分間になってしまった。 しかしそれだけ、入会希望の方に興味を持った。昨年1500mが3分54秒で、 5000mのベストは14分20秒。入会してもらえれば、一緒に練習が出来る。 短距離ではなく長距離でもなく中距離だけで練習が出来ると思うとうれしくなった。
 練習の方は、300m×5。頑張って走っても45秒でしか走れず、1500mを 走るには、厳しい状況。あと10日でレースが始まる。どこまで体を戻せるだろうか?

■2002年4月2日(火曜日)
 早稲田大学で練習。膝は痛いままなので、スピード練習が出来ず、8000mの ペース走をした。3分30秒を切るペースで走っていたが、6000m付近から ガクッと落ちて走れなくなった。最後の1000mはなんとか持ち直しペースアップし、 3分14秒まで上げた。ゴールしたときに2度吐いた。たいした練習ではないのに 体がついていってない。

■2002年4月1日(月曜日)
 とうとう4月になった。桜は散ってしまい、花見をする暇がなかった。 職場では先週、花見を予定していたが、雨のため延期。もう花見とは言えない。
 気温が急に上がって、とても過ごしやすくなった。最近の楽しみは昼休みの昼寝。 わずかな時間だが本当に気持ちいい。車の中でシートを倒して寝ているので、 窓を閉め切っていると大汗をかく。これからは窓を開けていても汗をかくように なるので、そろそろ別の昼寝場所を考えなければならない。



[昔のいずみ]