最近のいずみ

Last Update:2002/7/31

パートタイムアスリートいずみ 2年目に突入!! 


■2002年7月31日(水曜日)
 アンビバレンス練習会。長距離で1500m+800m+400mを走るつもりで 織田フィールドへ行ったが、短距離が300m×4だと聞いて予定を変更。久しぶりに オールウェザーのトラックでスパイクを履きスピード練習ができた。4本とも39秒台。 800mのペースとしてはぴったりのペースだった。これ以上早くても遅くても意味がない。 いい練習ができた。

■2002年7月30日(火曜日)
 昨夜は、扇風機が止まるたびに起きてしまい、結局朝までその状態が続き、 まともに寝ることができなかった。昨日からの体調の悪さはひどくなっているため、 仕事を休むことにした。
 朝食を食べた後、そのまままた眠った。しかし8時過ぎから入間基地を離発着する 輸送機が寝室の上空を何度も飛び、うるさくて寝られなかった。職場ではこれほど 飛行機の騒音については気にならなかったが、基地の周りの住民が文句を言ってくる 気持ちがよくわかった。
 その後は、気がついたら13時前。汗をかき布団も濡れるくらいだったが、昨夜 眠れなかったことを考えると、かなり眠れた。具合もよくなった。その後もほとんど 寝っ転がっている状態で1日が終わってしまった。明日からはクーラーに負けないくらい 厚いトレーナーでも着ようと思う。

■2002年7月29日(月曜日)
 朝から体調が悪い。職場へ行くと、クーラーがガンガンに利いている。長袖を 着ているのにとても寒い。1日中、クーラーのある部屋にいるのでどんどん具合は 悪くなってゆく。昼食を食堂へ食べに行くときにはいったん外に出るが、そのときの 気温が丁度いいと思えた。職場に戻れば、タバコの煙が追い打ちをかけるように自分に 降りかかる。昨日までの合宿で、免疫力はかなり低下しているのだろう。このまま 寝込まなければいいが・・・

■2002年7月28日(日曜日)
 合宿最終日。今日は再び長距離メニューで練習。メニューは200m×30。 10本走るごとに少し休憩を入れたので、意外と楽にこなせた。全力で走ると 滑ってしまい、フォームが崩れるため、8割くらいの力でしか走れなかったのも 楽にこなせた要因。
 最後に全員でリレー。4チームに分かれて、一人トラックを1周(350m)。 何かを賭けているわけではなかったが、なぜかみんながんばり、盛り上がった。
 ひとりで練習するとなかなか追い込むことができないが、これだけたくさんのひとが いて、応援もあると、練習強度も自然と上がってくる。また来年も岩原に戻ってきたい。


■2002年7月27日(土曜日)


飲み物が買えません

 アンビバレンス合宿2日目。長距離は20kmのロードで、長すぎるので、短距離 と一緒に練習。メインは坂ダッシュで、80m×6、150m×2、300m。 距離としては短いが、坂は辛く、80mを走っただけで吐いている人もいた。 昨日は高校生が150mの坂ダッシュを30本もやっていたが、気が遠くなりそうな 量だと思った。若さってすごいなぁなんて、まだまだ若いはずなのに、年寄りじみたことを みんなで話していた。
 午前中は練習が終わるまで曇っていて涼しく、練習が終わった後、急に日が射して 昨日のような天気になった。涼しい間に走ることができ、本当に来た甲斐があった。
 午後は高原から湯沢まで下り、クールダウンを兼ねて川遊び。小学生から大人までいろんな 人がいて、川は大盛況だった。川の水はとても冷たく、長く浸かっていることはできなかった。 川はけっこう深く、飛び込む場所もたくさんあり、小学生に混じってアンビバレンスの メンバーも同じように飛び込んでいた。完全に子供に戻っていた。

 

■2002年7月26日(金曜日)


ホテルの前にある山



岩原高原からの眺め
 アンビバレンスの夏合宿が新潟の岩原(いわっぱら)高原で行われた。午前中は 移動で、午後からは合宿初日の練習。中距離は人数が少ないので、メニューは作らず、 短距離か長距離に混じって練習することにしていた。初日は長距離のメニューを こなすつもりだったが、練習パートナーの飯島さんが練習開始に間に合わなかったので、 短距離で練習を始めた。
 気温は36度。高原なのでもっと涼しいかと思っていたが甘かった。風もなく、関東で 練習しているのと全く変わらない。しかもトラックが土なので、普通のシューズで走ると 滑ってしまう。
 練習の途中で飯島さんが到着し、長距離メニューに変更。メニューは1000m×10。 暑さで2本目からペースダウン。3本目で止めようと思うくらい辛かった。あと1本、 あと1本と我慢して続け、最後まで走りきった。
 タイムはどうであれ、一人では絶対やれない練習ができて、初日は満足。

■2002年7月25日(木曜日)
 所沢スポーツセンターでインナーマッスルマッサージ。尻にある梨状筋という筋肉 の凝りがひどいといわれた。マッサージ中、久しぶりに叫んだ。今週は日曜の記録会 から、ずっと休まず練習をしてきた。久しぶりに続けて練習ができ、その疲れがこの 叫びになった。明日からはアンビバレンスの合宿。疲れは取れていないが、身体は しっかり動くのではないかと思う。

■2002年7月24日(水曜日)
 アンビバレンス練習会に参加。6000mのビルドアップ走のあと200m×5。 6000mはそれほど張り切らず、200mの方に力を入れた。一緒に走る人が いる分、月曜日と比べて楽に走ることができた。陸上競技は個人競技ではあるが、 仲間のいる意味は大きい。

■2002年7月23日(火曜日)
 最近、夜が暑くて眠れない。1時過ぎまで眠れず、5時過ぎには起きて朝練を するので、睡眠不足。扇風機は生ぬるい風が送られ、あまり心地よくない。先月 扇風機を買ったばかりなので、なかなかクーラーを買う決断ができない。クーラー を取り付けるにはベランダが必要だが、取り付けたい場所にはベランダがない。 窓に直接取り付けるものだと、冷房にしないときには風通しが悪くなるし、 どうしていいのかわからない。もうちょっと悩もう。

■2002年7月22日(月曜日)
 早稲田大学で練習。メニューは200m×10。最近はあまり追い込んだ練習が できていないので、久しぶりに心肺機能に負荷をかけるつもりで臨んだ。
 1本目は設定タイム通りに走りきったが、2本目からはガタッと落ちた。6本目 までに少しずつタイムを戻して設定通りにした。7本目以降は、急に呼吸と手足の動きが 連動して動かなくなり、完全にペースダウン。予定通り心肺機能にかなりの負荷が かかった。その後は、呼吸が苦しく、頭痛も発生、足にも力が入らず、視界が狭く なり完全な酸欠状態。完走はしたが、追い込みすぎた。

■2002年7月21日(日曜日)


早大所沢キャンパス
 早稲田大学記録会に参加。早稲田のOBから参加のお誘いがあり、場所が近所 だったので練習がてら出てみよっかなぁという軽いノリでの出場だった。
 アップの時間にあわせて競技場へ行ってみると、競技場には10人ほどの学生だけで 記録会をしているような雰囲気はなかった。聞いてみると、今日は800m1レース だけの記録会ということだった。審判の人数がそろえば、意外と簡単に公認の記録会が 開催できるということだった。
 出場者は6名。このうちペースメーカーが2名。ペースメーカーの一人は昨年の インターハイ短距離でのチャンピオンの田野くん。1周目は53秒台で入ってくれる ということだったが、結局54秒7で通過し、500mまで引っ張ってくれた。その 後はひたすら我慢してゴールを目指した。600m通過が1分23秒0。最後の 直線に入っていつもの通り。ペースダウン。2番手の選手に追いつかれそうになったが、 なんとか先頭でゴール。タイムは1分52秒6。シーズンベストとなった。前半で もうちょっと貯金できれば、1分51秒台も見えてくるのではないかと思った。 今日も1日暑かった。

■2002年7月20日(土曜日)


ドームの後ろに新宿副都心



狭山ヶ丘の夕日
 午前中は妻とサイクリング。狭山湖や多摩湖辺りに行けば、サイクリングロードが あって気持ちよく汗をかけるだろうという推測で、狭山湖へ向かった。狭山湖近辺は アップダウンが結構あり、妻にとっては気持ちよく汗をかくという感じにはならなかった。
 狭山湖から西武ドームへ向かう前にユネスコ村という場所があり、UFOの形をした 展望台があったので、高い入場料を払って入ってみた。地上からUFOが少しずつ上昇し、 上まで上がったところで回転し、360度景色を楽しめた。天気がよく富士山や新宿、池袋 などが見え、上った甲斐があった。
 この1ヶ月は土日も忙しく、家にいることはほとんどなかった。1ヶ月ぶりに 妻と一緒に過ごせた1日であった。

■2002年7月19日(金曜日)
 同じ職場で転勤する人たちの送別会が行われた。2日連続の飲み会で、練習が できないのが辛いところ。
 場所が昨日と同じところだったので、昨日の借りを返そうとばかりに、勢い よく食べ出した。周りの人があまり食べない人たちだったため、送別会が 終わりそうになってもまだ食べ物は余っていたため、最後まで食べていた。
 今回の送別会で送られる人が日本酒のいっきで何杯も飲んだため、途中で 倒れて病院へ送られていった。顔は青白くなり、目は開いたままで瞬きが全く なく、呼んでもまともな返事が返ってこなかった。このまま死んでしまうのでは ないかと思うくらい危ない状態に見えた。
 結局病院に送られた人は、点滴を打って、無事家に着いたと聞いて安心した。 お酒は自分の限度をわきまえて飲まないと恐ろしいことになると思った。

■2002年7月18日(木曜日)
 防大の学生が部隊研修に来たため、自分が職場の説明をした。今日、うちの 職場に来た学生達はパイロット希望の者ばかりなので、飛行機とは直接関係していない 機材整備の職場には興味がないとは思ったが、意外と一生懸命話を聞いてくれ、 やりがいがあった。自分たちの時は、まったく興味を示さず、直ちに寝る者まで いたが、その時と比べると随分真面目な学生が増えた。
 夜は入間基地の防大OBが集まって歓迎会を開いた。自分は仕事が終わらず、出遅れて 参加した。会場に行ったときにはすでに料理はなく、残り物を食べる気にはならなかった。 車で来ているので酒を飲むこともできず、ウーロン茶を1杯だけ飲んだ。これで4000円。 とても高いウーロン茶だった。

■2002年7月17日(水曜日)
 アンビバレンス練習会に参加。メニューは400m+300m+200mを2セット。 短距離の人たちが練習に入ってきてくれ、いつもよりは少しにぎやかになった。内容も 設定タイムよりいい感じでこなすことができ、月曜日にへこんだ気分からは抜け出る ことができた。日々のストレスが発散でき、織田フィールドまで来た甲斐があった。

■2002年7月16日(火曜日)


エバンスの後ろ姿



レオと?(名前がわからない)
 西武ドームで西武対日本ハム戦の観戦。またドームへ着いた時間が20時半頃だった ため、お客さんが大量に帰りはじめ、駅に着いたときには人の流れに逆らって歩いている ようだった。
 球場へ入ってみると8回の表が終わるところ。8回裏は西武の攻撃。西武が6対1で リードし、あとは9回表を抑えるだけという状態。楽勝ムードで先月のような盛り上がり がなかった。
 8回裏は何事もなく終わり、9回表。日ハムは連続ヒットで、ランナーが2,3塁に なり、少しは見せ場を作るじゃんなんて思っていたが、結局得点できずに試合終了。
 持ってきた飲み物や食べ物をゆっくり食べることができず、試合もすでに勝負が決まって いたため、納得のいかない野球観戦だった。とりあえず、見に行った試合はすべて ライオンズが勝っている。いつまでその流れが続くのだろうが?

■2002年7月15日(月曜日)
 朝は4時40分に出勤。かなりの早起きをしたと思ったが、外は明るく普通の 朝という感じ。防衛医大の官舎にいた頃は、4時台に起きて朝練をしてから 出勤していたのだから、自分でもすごいなぁと思う。今は官舎から基地までの道のりが 近くなったので、そんなに早く起きなくても十分朝練はできる。明日からは朝練を 再開しようと決意。
 仕事が終わって、20時くらいから早稲田大学で練習。8000mのビルドアップ走 をする予定だったが、6000m付近で呼吸が乱れて苦しくなり、視界が狭まり、吐きそうに なったため中止した。ペースはスタートから落ちるだけで、まったくビルドアップ走に ならず、しかも途中で止めてしまい、練習がまともにできなかったという精神的ダメージが 大きかった。
 このまま終わるのがイヤだったので、最後に300mのタイムトライアル。タイムは 38秒9。まぁこんなものだろう。

■2002年7月14日(日曜日)


横浜代表ユニフォーム
 五大都市体育大会が名古屋市で開催された。バレー、サッカー、バスケ、柔道、剣道、 空手、ボウリングなど全部で20種目あり、京都、大阪、神戸、横浜、名古屋の代表が それぞれの競技で戦った。規模はそこそこで、都市の対抗戦なので、ミニ国体という 感じだった。
 天気予報は曇り。もしかしたら雨が降るかと思い、大量の着替えをもってきたが、 晴れてしまい、無駄に荷物を持ってきて後悔。とにかく1日中、名古屋らしい 蒸し暑い気候だった。
 競技の会場は瑞穂陸上競技場。高校生のころはあこがれの場所で、愛知県では一番 大きな競技場。高校卒業以来走ったことがなく、10年ぶりに戻って来ることができた。 5つの都市の代表が1人ずつ出るだけのレースなので、レースの出場者は5人だけ。 長距離は、この蒸し暑い中、たった5人で走らなければならず、辛そうだった。
 出場種目は1500m。今の調子では、まともな結果は出ないことがわかっていたので、 スタートから積極的に走った。400mの通過が61秒だったが、その時点で息が上がって、 苦しくなり、その後はペースが落ちていった。それでもだれも先頭に出ず、残り1周になって 一気に全員に抜かれ、終了。ゴールは4分04秒87で5位。
 わざわざ自分を横浜の代表に選んでくれたのに、この結果では、役員の人たちに会わせる 顔がなかった。練習不足はもちろんあったが、暑さに負けたという感じ。8月末の関東選手権は まさにこのような暑さの中で5本も走らなければならない。心配だ。

■2002年7月13日(土曜日)
 本日も出勤、朝7時には職場に着き、終わったのが19時半。明日は名古屋で5大都市 対抗のレース。自分はなぜか横浜の代表。今日中に名古屋入りをして、チームに合流 しなければならなかったため、職場からそのまま電車に乗り、新幹線を乗り継いで名古屋へ 向かった。
 1日仕事だったので、もちろん練習なんてする暇がない。トラックを10日間走ること なく、明日はいきなり本番。しかも横浜市の代表。どんな結果になるのやら・・・ 

■2002年7月12日(金曜日)
 20時頃に仕事をあがり、そのまま早稲田大学へ向かった。久しぶりのトラックで 週末のレースを前にして、少し刺激を入れるつもりだった。
 先週の水曜日以来、練習らしい練習をしていない。ジョッグを少ししたかどうか・・・ 週末は葬儀の関係で走れなかったのは仕方ないが、正座を長い時間した結果、膝が痛く なったのが一番辛い。歩いていても気になる。
 アップでいつものようにストレッチをしていたら、左足でブチブチっという 鈍い音がした。膝の裏や大腿部の裏側に何となく痛みがあり、軽く走っても、違和感が あったため、練習を中止した。結局トラックを走ることができなかった。

■2002年7月11日(木曜日)
 体育学校の平田さんから電話がかかってきた。なんとコペンハーゲンからだった。 今年もヨーロッパ遠征に行っていることを知らされた。第1戦が終わって、明日は ポーランドだとか。自分も体育学校に残っていたら、行っていたかもしれないと 思うと、悔しかった。特に今は自分の力が目に見えるように落ちてきているので、 あちらとの違いを感じると精神的にとても辛い。
 家に帰ってきたのが21時過ぎで、練習に行こうと思ったが、気持ちが乗らず、 結局やらなかった。モチベーションが落ちている。週末はレースなのに、まったく トラックを走っていない。がんばれ和泉!!

■2002年7月10日(水曜日)
 台風が関東、東海地方に直撃するということで、都心まで出る気力もなく、 出たとしても21時を過ぎるので、アンビバレンス練習会の代わりに入間の エグザスへ行った。エグザスでは、車を駐車場に駐車し、受付に行く間に 駐車券をなくしてしまった。こんなことで1000円を払わなければならないのが イヤで、30分も探したが、結局見つからなかった。無駄に時間を使ってしまった ので、運動する時間も少なくなり、大したトレーニングもできず、アップを含め 1時間で出てきた。駐車券は最後まで見つからず、1000円を払って駐車場を出た。 この1000円で、夕食の代金くらいにはなっただろう。トレーニングはまともに できず、お金も余分に取られて、本当についていない。自分に腹が立った。

■2002年7月9日(火曜日)
 午後から告別式があり、出棺時には出棺に立ち会い、出棺後も親族について 火葬場まで行くことができ、最後まで部下を見送り、拾骨までさせて頂いた。 何度も泣きそうになったが、一生懸命こらえた。笑ってさわやかに送ることなんて できない。
 拾骨が終わって、家族に挨拶をして、浜松をあとにした。帰りは渋滞をうまく避ける ことができ、予定よりも早く入間まで戻ってこられた。カーナビの便利さを痛感した。 いつか懸賞で当ててやろうと思った。

■2002年7月8日(月曜日)
 部下の通夜のあと、防大の同期2人と会って食事をした。いろいろ話している中で 食生活の話題になった。一人は毎日のように酒を飲んで、次の日に二日酔い。 いつも後悔していると言っていた。昨日も飲み過ぎて今日からは禁酒を誓ったはずが、 3人で集まってお店に行ったとたん、「生ビール大!!」。全然懲りていない。 もう一人は奥さんが出産のため実家に帰ってしまってからは、ほとんどコンビニ弁当 というありさま。2人とも仕事は頑張ってるけど、その食生活で本当に大丈夫かぁ? そんな生活してたら、いつか身体が壊れるぞ、と忠告をしたものの、自分のことを 考えてみると、食生活はマシだが、運動することで身体を壊しているので、どっちも どっちかなぁ と思った。

■2002年7月7日(日曜日)
 通夜の行われる場所に遺体が安置されているので、そこへ行き、部下と対面。 奥さん、子供、お父さんにも会った。
 入院したころは、誕生日までには病気を克服し職場に戻りたいと話していたが、 30歳の誕生日が来る直前に亡くなってしまった。彼は病気と闘っている間、 不満を漏らすことなく、頑張っていた。自分がお見舞いに行ったときも、 たくさんの夢を語り、家族のことを本当に大切に思っていた。「家族を大切に してください」と何度も言われたことを覚えている。
 子供が生まれたばかりで、残された奥さんを見ていると辛かった。葬儀が終わって、 ボツンとひとりになってみたとき、悲しみがわき上がってくるのではないかと 思う。どのように話したら、気持ちを楽にさせてあげられるのだろうか?
 前上司からは上司の健康管理責任もあるよと言われた。もっと早く病院へ 行かせることができていたら、状況は違っていたかもしれないと思うと、 悔いるところがある。自分が職場へ入ったころは、部下の健康については 全く把握していなかった。特に若い人に関しては、健康が当たり前という 感覚があった。部下の命をあずかるということは大変なことだと改めて思った。 彼の死を無駄にしないようにしたい。

■2002年7月6日(土曜日)
 朝まで当直があり、家には8時過ぎに帰ってきた。それからちょっと寝て朝食を したら、あっという間に昼だった。
 13時過ぎに電話があり、2月から入院していた部下が亡くなったことを知った。 その後はいろんな所へ電話し、職場へ出勤。18時前になって、葬儀の手伝いをするため、 自分を含め職場の者4人で浜松へ向かった。浜松へ着いたのが23時。とても慌ただしい 1日だった。

■2002年7月5日(金曜日)
 DVDを借りて映画「AI」を見た。放映前はけっこう話題になっていて、放映後は それほど盛り上がっていなかったような印象が残っている。
 映画の舞台は人とロボットが共存する未来で、子供のロボットが人間の親に対して 愛情を持つようになったらどうなるか?どのくらい人間に近づけるかという内容。ロボットの 子供は人間の親に捨てられ、ピノキオの話を信じ、自分も人間になりたいと心から願い、 最後にちょっとだけ夢が実現した。全体的に暗い内容で、人間は無責任な生き物だという 印象が強かった。

■2002年7月4日(木曜日)
 久しぶりに入間駅前のエグザスへ行った。エグザスで用意されている プログラムをした後、筋トレというメニュー。
 今回やったプログラムは、ボディコンバット。格闘技の要素を取り入れたエクササイズ。 60分で10曲の音楽に乗って行う。跳び蹴りや回し蹴りは、なかなか気持ちよく、 ストレスの解消になる。インストラクターは適切な指示をしつつ時間をうまく 調整し、60分でプログラムが終わるようにしている。ぴったり60分で終わるので すばらしいと思った。周りの人たちは息を切らし、大汗をかいていたが、自分については 呼吸は乱れず鼻呼吸、汗も全くかかず、予定していたような負荷はかからなかったのが 残念。

■2002年7月3日(水曜日)
 アンビバレンス練習会に参加。中距離のメニューを決めていなかったので、 長距離に混じって300m×10をやった。設定はすべて50秒以内。5本目までは 余裕を持ってできたが、それ以降は呼吸が苦しかった。土日の試合で追い込んだので、 今日はそれほど負荷をかけず、気持ちよく終わる予定だったが、結局メニューをこなす ために、頑張ってしまった。

■2002年7月2日(火曜日)
 ドイツで旅客機と貨物機が衝突した。乗客の大半は18歳未満の子供たちだったとか・・・ ユネスコ(国連教育科学文化機関)が計画した選抜試験をパスした子供たちで、2週間の 海外旅行のはずだった。予定していたスペイン行き便に乗れなかったため、バルセロナ行きの チャーター便を使って、この事故に遭ってしまった。ひとりひとりいろんな夢があっただろうに・・・ ほんとうに悲しい事故だ。

■2002年7月1日(月曜日)
 耳鼻科へ行った。耳掃除をしても奥にある耳アカがどうしても取り除けないため。 診察してもらい、先生によくあることだと言われた。耳アカのできる場所というのは 耳の入り口から鼓膜間の中でも手前の3分の2の部分だそうで、耳掃除をすることによって アカがどんどん奥に押し込まれてしまい、鼓膜に張り付くことになる。それがどんどん 重なって鼓膜にくっついたまま固まってしまう。それが今回の状態で、取り除く瞬間は ちょっと痛かった。しかし今回の症状は軽い状態で、もっとひどくなってから来る人が いるらしい。耳掃除って難しい。


[昔のいずみ]