最近のいずみ

Last Update:2002/8/31

パートタイムアスリートいずみ 2年目に突入!! 


 
■2002年8月31日(土曜日)
 何もやる気がわかない。本当だったら今日は800mの準決勝と決勝の日。 自分ではどうすることもできず、昼までふて寝。
 夕方になり自衛隊体育学校のコーチから電話があり、800mの結果を教えてもらった。 タイムも遅く、レース展開からすれば、和泉の勝てるレースだったと言われた。 ホントについてない。
 午後からは半日時間があったのに、まったくの無気力で結局練習もできなかった。 無駄に過ごした1日だった。

 
■2002年8月30日(金曜日)
 本日は休暇を取り、関東選手権に出場する予定でいた。朝で当直が終わり、 直ちに千葉へ向かおうとしていたが、昨夜自分の職場でトラブルがあり、 出発するまでに時間がかかった。
 なんとか試合の時間には間に合う時刻で出発でき、千葉を目指した。市川の手前で 職場から、休暇は取り消しだからすぐに戻ってこいという電話がかかってきた。理由は 昨夜のトラブルと自分の部下の母が亡くなったためということだった。関東選手権は 来年の日本選手権の出場権を獲得するためにどうしても出なければならない大会だった のに、休暇を取り消しにされては出ることはできない。泣く泣く職場へ戻った。
 ホテルのキャンセルをしたり、レースの棄権通知をお願いしたりと、いろんな所へ 電話をしていたため、通りかかった車掌さんに怒られた。最悪!!職場からの電話が なければ叱られることもなかったのにぃ。今日ほど、携帯電話を持っていて後悔した ことはなかった。なんて不便な道具なのだろう。
 職場へ戻ってみると、トラブルの関係で、土日も拘束される可能性があるので、 土日はすぐに出勤できる場所にいるように言われた。関東選手権は全部出場できなく なってしまった。この夏はこの大会だけを目指して頑張ってきたのに、舞台に上がる ことすらできなかった。落ち込んだ。しかも家に帰ってみると国体の選手選考で、今回は 県の代表には選ばれなかったという通知が来ていた。実りのない夏だった。

 
■2002年8月29日(木曜日)
 試合の前日だが、当直のため基地にお泊まり。仕事は巡察くらいなので、その他は 特に仕事もなく、テレビを見ていた。久しぶりに長時間テレビを見てしまった。疲れた。
 ここ2日間、足底筋膜炎の部分にボルタレンを塗ったおかげか、痛みが少し緩和 してきた。車のアクセルを踏むときには痛みが出るが、歩いているときやじっとしている ときには痛みを感じなくなったきた。塗ってみるもんだなぁと思った。

■2002年8月28日(水曜日)
 足底筋膜炎は緩和しなかったが、アンビバレンスの練習会があり、人と一緒に走れるので 行かないのはもったいないと思い、織田フィールドまで行った。練習予定は600m×2。 足裏が痛く、走りすぎるとひどくなるので、1本だけ走ることにした。
 練習は同じ中距離をしている門田さんと行った。前半を45秒、後半を40秒で走ることにし、 前半は門田さんが引っ張った。予定よりも速く、前半を40秒0で通過。後半は自分では ペースを上げたつもりだったが41秒6。後半上げられなかったのが心残り。あとは本番で 走るのみ。

■2002年8月27(火曜日)
 昨日よりもますます足裏が痛くなってきた。歩いているときはもちろん、じっとしている 時でも痛い。かなり危機的状態。今日もトラック練習は中止。しかし何もしないと精神的に よくないので、痛みを少しこらえてジョギングをした。
 その後は先頭でマッサージ。家に帰ってからは低周波をあて、ボルタレン(消炎鎮痛剤)を 塗り、最後にまたマッサージ。この足底筋膜炎で競技ができなくなっている人を身近で 見ているので、なんとか和らげたいが、最善の策は安静にすること。週末は関東選手権。 休むことができないところが辛い。

■2002年8月26日(月曜日)
 足底筋膜炎がひどくなってきたため、トラックでの練習を止め、所沢スポーツ ケアセンターへ行った。足底筋膜炎になっているのは右足で、左足は異状がないため 左は加圧式トレーニング、右は施術をすることになった。
 初めに左足を加圧で刺激し、次に施術という順番。左足の腿がパンパンに張った状態で やっと右足の腿と同じくらいの太さ。左右の腿は見た目で差があるのだから、筋力差は かなりあるのだろうと思う。左足が右足に追いつくまでには当分かかりそうだ。

■2002年8月25日(日曜日)


ぶどう園
 狭山湖にあるぶどう園へぶどう狩りに行った。所沢市内にはいくつかの地域に ぶどう園があり、毎年この時期には駅からぶどう園までバスが出るなど、ぶどう狩りの イベントを開催している。
 ぶどうは、1kgが700円〜1200円まであり、品種によってちがう。試食は たくさんさせてもらえ、一番おいしかったのは紅伊豆という品種。おいしいだけあって 一番高い1200円だった。
 ぶどう狩りといっても、自分でぶどうの房を切ったのは1回だけ。妻が2回。 3房だけでだいたい1kgになってしまう。物足りない気もしたが、持って帰っても それ以上食べられないので、それ以上は採れなかった。普通にお店で買うことを 考えれば少しは安いような気がした。

■2002年8月24日(土曜日)


阿波踊り
 駅近くの商店街で阿波踊り大会があった。第24回というので、かなり続いている 伝統の大会。この商店街はいつもはほとんど人がいない寂れた商店街で、とうてい人が 集まるとは思えなかった。しかし会場へ行ってみると、驚くことに人の山。人が多すぎて まっすぐに歩けない。
 阿波踊りをする人たちも毎年やっているようで衣装もそろい、踊りもうまかった。 商店街はそれほど長い距離ではないので、踊る人たちも何度か往復していた。
 普段は開いていないお店が開いていたり、仕立屋さんなのに、盆栽をたくさん売って いたり、いろんな驚きがあった。この商店街は、毎年のこのお祭りのためだけにあるの かもしれない。

■2002年8月23日(金曜日)
 人事院が8月の初旬に国家公務員給与について、月給を2・03%引き下げるよう 国会と内閣に勧告した。 内閣総理大臣宛の書類のコピーが職場にも回ってきて、 中身を見ることができた。
 民間企業との給料比較で、下げざるを得なくなったという感じだった。ボーナスも 民間にあわせて年3回を年2回へ変更。ボーナスに関しては4年連続のダウン。
 いろんな面で民間にあわせようとしているが、民間では年功序列や終身雇用制が 崩れはじめ、能力給になるところもある。民間に合わせていくのであれば、公務員でも 将来はそれを導入するようになるのだろうか?公務員はボーナスで、少しだけ能力給と いうのを設けているが、通常の月給にもそれを取り込むようにするのはなかなか難しそうだ。

■2002年8月22日(木曜日)


訓練中のヘリ
 台風13号が去ってしまい、一昨日から急に涼しくなった。空は雲がほとんどなく、 澄みきった秋空という感じ。気温は30度くらいあるようだが、湿度は低く、8月とは 思えない。風が強く、朝晩は寒いくらい。もうこのまま残暑がなければ、楽で、走りやすい。 この夏はクーラーを買うことなく乗り切れそうだ。夏に勝ったなんて自分では勝手に思ってる。 また暑くなったら、「暑い〜!!」と文句を言うだろうが、この涼しさではちょっと暑さが なつかしい。 

■2002年8月21日(水曜日)
 アンビバレンス練習会。メニューは1000m×5。タイム設定は3分。飯島さんと 一緒に練習できたため、タイムを落とすことなく、5本とも気持ちよく走れた。適度な タイム設定だったため、他のメンバーもまとまって練習ができ、みんなで走れたという 感じだった。最後は2分45秒。適度にスピードも上げられいい練習だった。

■2002年8月20日(火曜日)
 ヨーロッパの洪水を最近テレビでよく見る。今は雨が降っていないのに川の水かさが 増している。自分の行ったことのある、ドイツのデッサウやハンガリーのブダペストも 川の水があふれて水に浸かっていた。ブダペストにいる知り合い(やまけんさん)も大変な 状況になっていると言っていた。天気予報では、上空の風の流れが原因だと言っていたが、 ただそれだけで、こんなに地球上の生き物は振り回されてしまう。自然というのは恐ろしい。

■2002年8月19日(月曜日)
 所沢スポーツケアセンターで3月以来の加圧式トレーニング。腿裏を中心に 鍛えるつもりでスクワットをやったが、腿の表に負荷がかかってしまい、なかなか うまくいかなかった。結局マシーントレーニングにかえて、レッグカールで 負荷を加えた。久しぶりにもも裏が張った。走っているときにこの部分を 一番使うはずなのに、自分はそうならない。まだまだ走りを改善できるところが ある。希望を持って頑張ろう。

■2002年8月18日(日曜日)
 横浜の三ツ沢競技場で国体選手選考会があった。出場種目は成年男子1500m。 台風の為に出場者が少なく、予選がなくなり決勝だけになる種目もあった。
 朝から眠気が取れず、ずっとだるく、競技場へ着いてもアップをする直前まで 寝ていた。雨はいくらか小降りになりアップは何とかできた。しかしレースが始まる 直前から、急に豪雨になった。ますますやる気をそがれた状態でスタート。
 2周目までは法政大の足立原くんが引っ張り、自分が2番手で3番手以降は 誰もついてこないという展開。2週目以降は先頭のペースが落ちたので、自分が 先頭に立ち独走。しかし雨も強くペースは全く上がらず、なんとな〜く走って そのままゴール。タイムは3分56秒11。
 優勝はしたものの、国体に出られるかと言えば、?。今年の1500mの 日本ランキングが50傑以内でないと出場は難しいと言われた。今年のタイムは 微妙な位置にいてランキングはわからない。あとは選手に選ばれるのを祈るのみ。

■2002年8月17日(土曜日)
 国体選考会の最終調整。メニューは400m+300m+200m。100mを 15秒平均走るつもりでいたが、走ってみると400mは54秒台、300mは 41秒台。200mは26秒台と、予想以上のタイムで走ってしまった。天気が 曇っていて涼しく風もなく、とてもいいコンディションだった。これなら明日も まともに走れるかもと思ったが、テレビを見ると台風が近づいている。大雨になら なければいいが・・・

■2002年8月16日(金曜日)
 夕方、実家を出て夜8時頃東京へ着いた。そのまま神保町にある喫茶店へ直行。 その喫茶店では「秋野深写真展」が開催されていて、アメリカ西部の風景写真が お店の壁にたくさん飾られていた。
 秋野深さんはアンビバレンスのメンバーで、自分たちの結婚式の写真を撮ってくれた人。 7月からこの写真展は始まり、9月の初めには終わってしまうので、見に行ける時間は 今回しかないと思い、遅い時間だったが、見に行くことになった。
 夜なので、喫茶店の中も照明が暗くなり、お茶をするというよりもお酒を飲む雰囲気で、 写真は見づらかったが、アメリカ西部のいろんな風景を見ることができた。アメリカ西部と いえば、グランドキャニオンのような岩や砂のイメージがあったが、ヨーロッパの アルプスに似た風景もあり、驚いた。

■2002年8月15日(木曜日)


王滝渓谷
 両親が豊田にある王滝渓谷へ連れて行ってくれた。毎日暑いので、せせらぎを聞けば 少しは涼しくなるんじゃないかと思い、連れて行ってくれたのだが、実際は涼しさはなく、 水の流れる音よりも蝉の鳴き声の方が大きかった。少しはマイナスイオンを浴びている のかなぁなんて考えながらの散策だった。

■2002年8月14日(水曜日)


蒲郡の竹島にて
 妻も夏休みになり、自分の実家の岡崎へ帰ることにしていた。昼には岡崎に着く つもりだったのに、暑くてダラダラしているうちに、所沢で昼を迎えていた。これは いかんと思い、少し焦って出かけ、5時近くに実家へ着いた。
 今日は両親が蒲郡にある日本料理店を予約し、自分たちの結婚式に出られなかった 母方の親戚を招待し、お披露目をする場を作ってくれた。楽しくお話ができ、おいしい 料理も食べられ満足。両親に感謝。

■2002年8月13日(火曜日)
 昨日の二の舞にならないよう、出勤する妻と一緒に食事をし、家事をいくらかして、 午前中のうちに競技場へ行った。
 メニューは300m×4。300mと300mの間は100mジョッグ。300mを 40秒、100mジョッグを25秒で行けば、トータルは1500mで4分という計算。
 予定通りにいったのは、最初の300mだけ。ジョッグは40秒近くかかり、残りの 300mも45秒以上かかっていた。今日も暑さに負けた。
 競技場では、中学生の子供を父親がコーチしている光景が見られ、微笑ましかった。 帰り際にそのお父さんが、自分に「失礼ですが、HPでよく見かける和泉さんですか?」 と声をかけてきてくれた。いろんな人がHPを見て、自分のことを知ってくれているんだ なぁと驚いた。
 中学生の子供さんは3日前に関東大会があり、800mで優勝したということで、京都で 行われる全国大会へ向けての練習をしていた。全国でもいい成績が残せるよう願っています。

■2002年8月12日(月曜日)
 妻は仕事なのでいつも通りの生活リズム。こちらは夏休みに入り、さっそくダレた生活に なっていた。妻が出勤した後、9時頃に起き、朝食を食べ、11時に目覚ましをセットし、 また消灯。11時からは練習に出かける予定でいた。
 気がつくと2時半。後悔先に立たず。仕方ないので起きてからはしっかりとした生活を しようと思い、早稲田大学へ練習へ行った。
 時刻は3時頃。外はとても暑く、ジョギングをするだけで十分疲れた。主練習は16000m のペース走と決めていたが、アップをしている間に12000m、いや8000m、やっぱ 4000mと距離が減ってゆき、最終的には3000mのペース走に妥協した。距離が短く なったぶん、スピードは上げるつもりで、タイム設定を9分と決めたが、走ってみると 9分34秒。自分が中学生の時のタイム。あまりにも遅かった。

■2002年8月11日(日曜日)
 昨夜は実家に泊まり、昼前に駅へ向かい所沢を目指した。東京駅では夏休みが終わって 神戸へ戻る大学の同期に偶然会った。彼は海上自衛官なので会う可能性は0に近い。 昨日も偶然先輩にあったが、思ってもみなかった出会いは本当にうれしい。
 お互いの近況を話し、15分ほどで分かれたが、とても充実した時間だった。人に よっては辛いことをいくつも経験するんだなぁと思った。人生はいろいろ。

■2002年8月10日(土曜日)
 小牧にあるゴールドフレックスへ行った。名古屋は予想最高気温が35度。 熊谷には及ばないが、暑いのでTシャツ、半ズボン、サンダルという格好で 新幹線に乗り込んだ。新幹線の中はクーラーのおかげで寒く、とんでもない格好で 遠出をしてしまったと後悔した。
 ゴールドフレックスでは身体調整。身体は悪いところだらけ。主に足の指を触ることで 下半身の悪い場所を特定してゆき、触られるたびにあまりの痛さに悲鳴を上げていた。 終わったときには、かなりの脱力感があり、悲鳴の上げすぎで喉が痛くなっていた。
 ゴールドフレックスを出たあと、小牧にいる大学の後輩と会う約束をして、小牧市民 病院前で待っているときに、大学の研究室で一緒だった先輩にバッタリ会った。先輩は 今、京都にいて、奥さんの実家が小牧で、たまたま病院へ来ていた。あの時間、あの場所に いなければ絶対会えないのだから、お互い予想もしない再会に驚いた。
 後輩とは仕事の話を中心にいろいろ話せた。彼は先週まで約1ヶ月アメリカへ出張し、 いろんなことを学んできていた。同じ職種なのに、まったく仕事の内容が違っていた。 やっぱりPKOに行く部隊は仕事をする場所が違うと思った。

■2002年8月9日(金曜日)
 早稲田大学で練習。メニューは500m×4。来週の国体選考会を意識して、 1500mのペースで走るつもりだった。アップをしてスパイクで流しをしようと 思い、シューズ袋を取り出したら出てきたのがマラソンシューズ。一気にやる気が 削ぎ落とされた。マラソンシューズで走るのは嫌いなので、仕方なくそのまま 履いているランニングシューズで練習をすることにした。
 1本目から目標のタイムを下回り、走るごとに2秒ずつ落ちていった。こんな はずではなかったのにぃ〜と思っているうちに4本目も終わってしまった。このまま 終わってしまっては練習に来た意味がないと思ったので、最後に300mのタイム トライアルをした。タイムは38秒7。ランニングシューズで走ったのだから、 タイムは悪くない。スパイクで走れば37秒台では走っている。最後は少しだけ 気分を良くし、練習を終えた。

■2002年8月8日(木曜日)
 火曜日から9mm機関拳銃取り扱いの訓練というものをやっている。 本日は最終日で実射体験があった。銃の分解結合は簡単で、手入れもそれほど 難しそうではなかったが、射撃は難しかった。
 実射は50発で、機関銃なので引き金を1度引けば、一気に何発も出てしまう。 そのため反動もすごく、よく暴れてくれる。的は真ん中の黒点が10点。黒点から 離れるごとに点数は低くなり、的の端が2点。50発撃つということは全部真ん中に 当たれば500点。
 自分の射撃はまっすぐ的に向かって撃ったはずなのに、的には弾が当たった跡が2つ しかなかった。しかもその2つは的の端の2点で合計4点。当たらないとは聞いて いたがこれほど当たらないとは思っていなかったので、かなりのショックだった。 自分が射撃した場合は、はっきり言って、狙われる方はじっとしていた方が弾には 当たらないということになってしまう。射撃のセンスは全くなし。まだ走るほうが センスがあるということがよくわかった。

■2001年8月7日(水曜日)
 アンビバレンス練習会。練習メニューを立てていなかったため、競技場へ 行ってからも何をするか悩んでいた。持久系よりもスピード系の練習のほうが、 一人では難しいので、短距離に加えてもらい走ることにした。メニューは、 300m+200mを2セット。300mは39秒前後、200mも24秒0以内で 走った。今年初めて200mを23秒台で走った。量としては少なく感じたが、 競技場の使用時間もありそれ以上はできなかった。

■2002年8月6日(火曜日)
 朝起きると枕カバーやシーツ、自分の着ているシャツが汗で濡れていた。最近、 特に寝汗がすごい。相変わらずクーラーなしの生活なので、仕方のないことだと 思っている。それよりも最近、夜がどんなに暑くても大汗をかきながら眠れてしまう ことに驚いている。この調子なら、今年の夏はクーラーなしで乗り切れるなんて妻に 話したらブーイングが返ってきた。しかし、妻も同じように汗をかきながらも寝られる ようになっているのだから、それほどブーイングは大きくない。人間の環境への適応 能力ってすごいなぁと思う。

■2002年8月5日(月曜日)
 マクドナルドがハンバーガーを59円にしたとか。ロッテリアも380円のセットを 300円に値下げして対抗。その上毎月10日はロッテリアの日とし、ポテトを無料配布 するらしい。商品の値段というものはあってもないようなものだと思った。今までの値段 との差は全部利益になっていたのだろうからハンバーガーが120円だった時には随分 儲かっていたのではないかと考えてしまう。しかし、それでも値下げした方が、利益を 見込めるとの判断があって値下げをしたのだから、世の中難しい。消費者にとっては 値段が安くなるのは大歓迎。でも自分はハンバーガーを買うことは滅多にないので、 マクドナルドが安くなってもどうでもいいことだ。

■2002年8月4日(日曜日)
 今日も体育学校へ行って練習。体育学校の選手はすでに夏休みに入っていて、 ほとんど人はいなかったが、森がアジア選手権の最終調整をするというので、 その練習に加えてもらった。メニューは600m×2。600mの前半300mを 45秒、後半300mを40秒という設定。1本目は前半が47秒台、後半が38秒台。 2本目は前半45秒台、後半39秒台。内容としてはまずまずだった。一人で こういう練習ができれば、一番いいが、なかなかそうはいかない。体育学校だから できる練習だなぁと思った。体育学校まで行ってよかった。

■2002年8月3日(土曜日)
 午前は早稲田大学のトラックで12000mビルドアップ走。暑さに負けて、 ペースはダウンするばかりで、12000mのジョッグになった。全く練習に ならなかったので、午後からは自衛隊体育学校へ行き、サーキットトレーニング。 長い間やっていなかったため、トレーニングの内容や負荷を忘れいた。今の状態を 考えてメニューを設定し、やってみたが、前にやっていたメニューとはなんとなく 違っていた。
 夜は、荒川を挟んだ戸田と板橋の花火大会を見に行った。近くまで行くと車を 止めることができないので、少し離れた場所に駐車し、歩いて会場まで行った。
 会場は荒川の土手が全部観客席のため広かったが、客も多く、なかなか座る場所が 見つからなかった。最終的に座った場所は野球場。花火の眺めがよく、打ち上げの 音も体に響くほどでよかったが、風向きがわるく、花火の煙やすすが全部向かって きて、目が開けられないほどになった。一番盛り上がる最後の場面は、使った 花火の量も特に多かったみたいで、呼吸も苦しく身動きが取れず、目を閉じて じっとしているしかなかった。火事で煙にまかれるとこんな風になるんだろうなぁと 思った。煙がなくなり、視界が開けたときには、花火は終わっていてお客さんも 帰り始めていた。一番見たかったナイアガラを見られず、消化不良で家路についた。

■2002年8月2日(金曜日)
 午後から、天気が急に悪くなり、ひどい雷雨だった。職場の建物の周りは急激な 雨によって、川のようになり、ボートがないと動けないほど水かさが増した。 かなりの車が浸水し、買ったばかりなのにぃ〜!!と嘆いている人もいた。
 自分が心配だったのは雷。通信機器を扱っている部署なので、アンテナに雷が 落ちたら、それで機器が壊れてしまう。最終的に、雷で基地の半分が停電になったが、 自分のところのアンテナには落ちることなくホッとした。

■2002年8月1日(木曜日)
 基地プールで水泳訓練。訓練時間は13時から。気を抜いたらフラ〜ッと倒れて しまいそうな気候だった。気温は35度。水温は31度。もうちょっとでお湯になる ような水だった。
 プールは久しぶりで、一気に泳ぐことはできず、適度に休みながら100mずつ 泳いだ。約40分で1200m泳いだ。たった40分だけだったのに、かなり 焼け、海パンの跡がはっきりと残り、身体全体が黒くなった。


[昔のいずみ]