最近のいずみ

Last Update:2002/9/30

パートタイムアスリートいずみ もうすぐ3年目に突入!! 

 
■2002年9月30日(月曜日)


宙に舞う伊原監督



ペナントを持ち手を振る松井
 日曜日からの喉の痛みは取れず、少々風邪気味で頭の感覚がちょっとおかしかった。 朝6時に起きてみたものの、調子が悪いのでまた就寝。あらかじめ休みを取っていてよかった。 次に目が覚めたのは10時半。宅急便が届けられるときに起こされた。
 その後も朝食とも昼食とも言えない食事をし、また就寝。起きたのは4時半。大汗を かいたので、そのままシャワーを浴び、風呂にお湯を入れ、洗濯などの家事を始めた。
 風呂のお湯を入れているのに気づいたのは3時間後。お湯は浴槽をあふれ出ていた。 ガスや水の無駄遣いだった。
 夜は無理して西武ドームへ行った。今回は千葉ロッテ戦。西武は1−2で負け。初めて 負け試合を見た。
 試合終了後は、パリーグ優勝のセレモニーがあり、優勝ペナントを持ってファンに挨拶。 一瞬だけ、伊原監督の胴上げがあったりして、盛り上がった。無理して見に行った甲斐が あった。
 
■2002年9月29日(日曜日)


土湯温泉街



800m予選
 朝から喉が痛く、イヤな感じ。昨日大雨の中走って具合が悪くなったのかもしれない。 800m予選は10時35分からで、早すぎるが、天候は曇りで風もなく、とても 走りやすい環境。
 800mは予選4組で1着+4。はっきりってみんな1着よりもプラス狙い。 自分は4組だったので、みんなの走りを見てから走ることができた。
 スタートから全く知らない人が先頭を走り、その後ろに中野(大塚製薬)、杉浦(アコム)、 自分という順。1周目通過が54秒。どの組よりも速い。これでプラスの可能性も 大きくなった。2周目に入りすぐに杉浦を抜き、3番手にあがったが、なかなか 先頭の人は落ちず、650m付近まで行き、中野が先頭に出てその横に杉浦。 先頭にいた人は突然中野の足に引っかかり転倒。危うく自分も転ぶところだったが うまくよけることができた。気がつけば、2人との距離は開き、残り100mは どんどん離されていった。ゴールは1分53秒48で3着。プラス6番目で決勝には 残れなかった。
 昨年は5年連続5位になり、がっかりしていたが今回はとうとう決勝に残れなく なってしまった。初めての予選落ち。どんどん力が落ちてゆく・・・
 
■2002年9月28日(土曜日)


1500m決勝



土湯温泉ホテルの夕食
 全日本実業団初日。昨日は仕事を休むことができなかったため、当日出発。朝5時 過ぎの始発の電車に乗り、福島へ向かった。
 天気は大雨。最悪の条件。しかし組は最高。2組あったが持ちタイムの早い組に入れた。
 スタート直後は、ヤクルトの選手がペースを作り、1周目は59秒。2周目からは 少しずつペースが落ちてきて、自分もなんとな〜く集団の中に入って走っていた。気がつけば 残り1周。前の方に出て勝負をしようと思い、レーンの外側に回って先頭の方へ近づいた。 気がつけば残り300mで4番手。完璧な位置取り!!ここからが勝負だというところ だったが、そこから我慢できずにペースダウン、残り250mからはどんどん追い越され、 ゴールしてみれば12位。タイムは3分53秒89。総合は27人中17位。もう少し我慢 ができていれば、今シーズンのベストは出せた。辛くなってからの練習が必要(そんな ことはわかってる・・・)。
 午前中に競技が終わってしまい、昼食後ホテルに直行。福島市内のホテルがいっぱいで 予約ができなかったため、ホテルは山の中にある温泉。土湯温泉という少々寂れた温泉街 だった。次の日も試合なので、温泉にもゆっくりとは浸かれなかったが、リラックスはできた。
 
■2002年9月27日(金曜日)
 防衛庁長官、中谷元さんが入間基地の視察に来た。直接自分の職場を見に来ることは なかったが、全員を集めて、防衛庁長官の訓辞があった。整列して聞くことになったので、 遠くからしか見ることができなかったが、テレビで見る人だった。防大の先輩なので、 とても興味をもって話を聞いていた。
 初めは、隊員の仕事ぶりを褒めるような内容だったが、だんだん政治の話に移行し、 最後はうまくまとめて終了した。自分を含め周りの人の感想は、政治家だなぁ。防大出身で 元自衛官なので、どういう話をするかと誰もが興味を持って聞いていたが、その話ぶりは、 元自衛官という姿はなく、政治の演説そのものだった。当たり前だと言えば当たり前。 もう20年くらいは政治家の世界に生きているのだから、自衛官としての生活よりも長いはず。 でも学生時代は司令官からラグビーを教えてもらったという話があり、防大生だったんだなぁ とわかる内容もあった。
 
■2002年9月26日(木曜日)
 健康器具「EMSベルト」でやけどや筋肉炎症の恐れがあるという記事を読んだ。今年の初め くらいからこの「EMSベルト」が気になっていた。最初にこのベルトを知ったのは テレビの通販。いろんな名前を付けて売っていて、値段も2つで9800円とか、4800円 とかいろいろ。つけてるだけで筋肉を刺激し、筋肉が付いてゆくというのだから、職場で 座っているときも足につけておけばトレーニングになるのではなどと思っていた。  しかし、「小豆大のやけどができた」「筋肉に炎症がおきた」などの苦情が消費者センターに 集まり、消費者センターは、1万円前後の4銘柄についてテストを行っていた。
 結果としては、「使用する部位や体の動かし方によっては、局部的に強い電流が流れ、 やけどなどを起こす恐れがある」ということで、商品の効果については検証されなかった。
 どの商品を使ってテストしたのかを知ることができれば、どの商品を選べばいいのわかるのに、 そこまでは記述されていなかった。残念。
 
■2002年9月25日(水曜日)
 アンビバレンス練習会。実業団前の最終調整。メニューは600mのタイムトライアル。 先週土曜日に1分20秒で走っているので、最低そのくらいのタイムで走るつもりでいた。 スタート直後から、あまり進まなかったが、800mのペースとしては悪くはなかった。 400mを53秒7で通過したが、その後一気にスピードが落ち、ゴールタイムは1分 23秒2。予定よりも3秒遅かった。どうしても納得がいかなかったので、最後に200m を走った。こちらも24秒台でいくつもりだったが、結果は25秒台。どうも動きが 良くない。
 
■2002年9月24日(火曜日)
 陸上のワールドカップ(W杯)がスペインのマドリードで行われていた。最終日は 21日だったので時間が経ってしまったが、全く知らなかった。サッカーのワールドカップ と言えば、あんなに大々的に取り上げられるのに、陸上はあまりにも寂しすぎる。 陸上のワールドカップは、各地の地域選手権のチャンピオンだけが出場権をもつ大会。 日本だったら、今年8月にスリランカのコロンボであったアジア選手権に勝たなければ 出場できない。800mは森(体育学校)と鈴木(東海大)が出場していたが、上位に 食い込めなかった。
 
■2001年9月23日(月曜日)
 昨日に続き、相撲の話題。今場所は貴闘力や寺尾が引退を決意した場所でも あった。今回2人とも負け越し、来場所からは幕下陥落が決まり、引退を決意した。
 寺尾は39歳。本人は40歳までは続けるのが目標だったが、あと一歩のところで 目標に手が届かなかった。相撲の世界で40歳近くまでやっていくというのは、 陸上競技で40歳まで続けることとは比べものにならないくらいすごいこと。 スリムな身体で、いろんな技を繰り出し、相撲をおもしろくしてくれた。 もっともっと頑張って欲しかったが、年を取れば同じ稽古を続けていても衰えてゆく。 また、故障も多くなる。仕方のないことなのかもしれない。
 ほとんどの力士は、負け始めたらすぐに引退してゆくように思える。ここまで あきらめず、相撲を続けることにこだわった寺尾に敬意を表したい。
 
■2002年9月22日(日曜日)
 大相撲は千秋楽。貴乃花と武蔵丸の相撲を注目していた。国技館は満員で、 2人の取り組みが始まる前には、観客の手拍子が起こり、貴乃花への声援が多く、 まだこんなに相撲の人気はあるのだなぁと思った。
 14日目まで、貴乃花は場所前の悪い評判を覆し、優勝を争いを演じていたが、 武蔵丸との取り組みは完全に武蔵丸の方が上だった。
 貴乃花は休場続きで辛い状況にいたが、武蔵丸も昨年貴乃花に破れまま、貴乃花 とは相撲が取れず、辛かったことを知った。12回の優勝のうち、今回が一番 うれしいと語った。自分より格下の力士に勝っても仕方ない。貴乃花に勝つこと だけをずっと考えてきたということだった。貴乃花の精神力はすごいが、今回は 武蔵丸の意気込みの方が上回っていた。
 来場所は貴乃花が負けた悔しさを糧に武蔵丸に挑戦するだろう。楽しみだ。
 
■2002年9月21日(土曜日)
 体育学校で練習。メニューは1000mを2分30秒、600mを1分20秒、 400mを50秒。休憩の間隔は20分。
 1000mはペース走の間隔でついてゆき、2分29秒2でクリアー。600mは 400mを51秒台で通過するハイペース。残り200mはスピードが鈍り、 1分20秒1で何とかクリアー。トップは1分18秒台。ずいぶん離された。 400mは前半200mを25秒台で通過し、後半は動きが鈍り、52秒6。 残り50mは全くついてゆけなかった。
 800mのペースを考えれば、これくらいのスピードが出ていれば、自分では合格。 最近は全く練習をしていなかったのだから、練習を毎日している体育学校の選手に 最後の方までついてゆけただけでも良しとしなければならない。
 
■2002年9月20日(金曜日)
 仕事を早めに切り上げることができ、やっとまともにトラック練習ができた。 9日ぶり。9月の初めと比べると涼しく、走りやすい気候になってきた。 身体は動かなくても、8月の練習ほど苦しくなく、設定タイムだは守れるように なった。気持ちがなかなか乗らないので、タイム通り走れても納得は行かない。 明日から3連休。休み中に職場から呼び出しがかからなければよいが・・・
 
■2001年9月19日(木曜日)
 当直で、基地にお泊まり。特に問題もなく、無事に寝ることができた。
 テレビでニュースを見ていると、北朝鮮の拉致問題についての報道が多く、 何で情報を小出しにするのか?という、外務省批判や、小泉首相批判ばかり。 拉致をしたのは北朝鮮。何で、外務省や小泉首相が批判されることになるのか? 対応が少しまずかったかもしれない。しかし、マスコミは批判するなら、 身内ではなく、実際にこの問題を引き起こした北朝鮮を批判した方がいいの ではないか?と思った。
 なんで日本はこんなに自虐的な反応をしてしまうのだろうか?やっぱり 戦後のアメリカ占領政策?
 
■2002年9月18日(水曜日)
 仕事が終わって職場を出たのが、21時半。アンビバレンス練習会には参加できず。 家に帰ると22時近く。練習をすれば24時を越えてしまうため、練習するのを あきらめた。今日は大事なトラック練習を入れていたが、予定通りに行かなかった。 昨日も帰るのが遅く、60分ジョッグするのが精一杯だった。明日は当直でもちろん 走れない。試合前、最後の練習期間での3日連続休みはダメージが大きい。これで 疲れが抜けてくれれば休んでもよかったのかなぁと思うが、精神的な疲れもあるし、 なんとも言えない・・・
 
■2002年9月17日(火曜日)
 日朝国交化交渉が決まった。こんなにあっさりと行くとは・・・しかも拉致された人 たちの消息もすべて回答されてしまった。なんか肩すかしという感じ。しかも亡くなった 人がたくさんいたのがまたショック。今までの不審船、拉致は何だったのか?親分の 金さんは今までのことは全部軍が勝手に動いたものであるから、その担当者をすべて 処分すると言ったとか。ここ何年か、不審船だの拉致だの日本では騒いでいたし、 金さんの耳に入ってなかったはずはない。今気がついたみたいな話ぶりがなんともねぇ・・・ 口に出せば簡単だけど、本当に処分をするのだろうか?小泉さんと金さんの会談は 4時間半。小泉さんはあっという間に日本へ戻ってきた。短い会談の中にかなり 重要な内容が含まれている。ちょっと話を急ぎすぎているように思えた。
 
■2002年9月16日(月曜日)
 テレビでスーパー陸上を見た。午前中、体育学校で練習し、チケットを くれるという話もあって、競技場へ見に行くこともできたが、雨が降っているので わざわざ見に行くよりもテレビの方が楽でよかった。
 一番見たかったのは、もちろん中距離。800mは体育学校から森と菅野が出場を 予定していたが、森は欠場し、外国人3人を含む7人で走っていた。外国人の力は 圧倒的で、日本人は全く歯が立たなかった。ベストタイムが6〜7秒離れているの だから今のところ仕方ない。
 男女の400mHや男子100mは日本人が健闘し、見応えがあった。100m 元世界記録保持者のモーリス・グリーンが調子悪そうだった。
 いつも試合で一緒に走ったり、話したりしている選手の頑張っている姿を見て、 頑張らねばと思った。
 
■2002年9月15日(日曜日)


 東京ディズニーシーへ行った。朝10時半頃に現地へ着いたが、いきなり入場制限で ディズニーシー入りを果たせず。ディズニーシーは1周年記念のため、いろいろなイベント があり、大勢の人が来ていた。そのため、人が入りすぎ、当日の入場チケット販売を一時 取りやめているということだった。販売再開が3時頃になるということを聞き、あきらめて 舞浜駅前のイクスピアリでブラブラした。
 イクスピアリで時間をつぶしているうちに疲れてしまったが、メインはディズニーシー。 2時半頃に入り口へ行ってみると、すでに当日券待ちの人がたくさん並んでいた。この列に 並ばないと入れないので、最後尾に着いた。
 3時から入場が始まったが、なかなか前に進まず、入場券売り場の前に来たのは5時を 過ぎてから。入場前なのに疲れ果てた。この後、アトラクションでまた1時間以上待つことを 考えると帰りたかったが、これだけ待ったので帰るわけにはいかないという複雑な心境に なった。
 入場してすぐに、帰る人から声をかけられ、偶然にも長時間並ぶアトラクションの予約券を もらった。結局アトラクションは2つ、あとはミッキーマウスのショーと夜の花火を見て 9時半くらいで帰ってきた。
 たくさん歩いて、たくさん待った。食べ物を食べるにも並ばなければならず、面倒で 食べ物すら食べなかった。おなかが空いて疲れた1日だった。
 
■2002年9月14日(土曜日)
 朝8時過ぎに職場から機材のトラブルで電話があり、出勤。3連休初日から 気分は不調。先週、先々週の休日も職場に縛られているような感じなので、 本当に疲れてきた。
 午後からは航空自衛隊航空中央音楽隊のファミリーコンサートというものを 見に行った。第1部が中央音楽隊の演奏。2部は世界でも有名なジャズピアニスト の前田憲男を中心としたWE3によるジャズ演奏。
 この日までは前田憲男という人を全く知らなかったが、妻はよく知っていて なんとCDまで持っていた。航空中央音楽隊には世界一のユーフォニアム奏者が いて、WE3とともにユーフォニアムをメインにしたジャズの演奏もあった。 これだけ有名な人たちの演奏をタダで聞けて最高だった。午前中の憂鬱な気分は いくらか晴れた。



WE3 & 航空中央音楽隊
 
■2002年9月13日(金曜日)
 所沢スポーツケアセンターで加圧トレーニングをした。大腿部の左右差が はっきりあるので、左足を強化するようにメニューを組んでもらった。 以前より負荷を増やしてトレーニングしたため、身体にもかなりの負荷がかかった。 久しぶりに頭がぼーっとして頭に血が行き届かないような感覚にも陥った。 トレーニングを休んでいる間がつらく、休む時間が長くなるほどきつくなってきた。 この加圧を始めたのは3月だったが、半年前よりは力がついてきたように感じた。
 
■2002年9月12日(木曜日)
 アメリカ同時多発テロから1年が経ち、それぞれの現場では、追悼式が行われた ようだ。テレビをつければ、どこでもそのニュース。テロ撲滅にアメリカ大統領は かなり強い口調で語り、ついでにイラクの批判も一生懸命している。
 アメリカはいつも正義、正義と言って、戦いをしているが、爆弾を落とされる側の 被害は、アメリカでのテロどころではないのでは?と思う。罪のない人たちが たくさん被害を受けている。時代をさかのぼれば、日本だって、原子爆弾を落とされ、 多くの人たちが今でも苦しんでいる。ベトナムの人たちも同じ。日本ももちろんいろいろな 所に迷惑をかけた。殺し合いっていうものはいつになってもなくならない。 世の中、もっと平和的な解決方法ってないのだろうか?自衛隊が不必要になる日が 訪れる日を願う。
 
■2002年9月11日(水曜日)
 アンビバレンス練習会。メニューは400m+300m+200mを3セット。 1セット目から設定タイム通りに走れず、調子悪かった。2セット目も300mは 設定より遅れた。3本目に入りやっと設定通り走れたが、全体的に動きが悪かった。 本当は気持ちよく走って終わるつもりだったが、かなり苦しんだ。身体が 疲れている。
 
■2002年9月10日(火曜日)
宇宙開発事業団の大型ロケット「H2A」の打ち上げが成功した。前回までは試験機 で ロケットのなかにものを乗せることがなかったが、今回は衛星を乗せて、やっと 実用機として使えるようになった。一時期は打ち上げ失敗で、世界的な信用も落ち、 ロケットの打ち上げを見直す状態までなっていたが、昨年からの3回の打ち上げで、 また世界的な信用も戻ってきたのではないかと思う。このロケットを使って、将来的 には 自衛隊で使う衛星も打ち上げられるかもしれない。またスペースシャトルのような 船を打ち上げることになるかもしれない。
 
■2002年9月9日(月曜日)
 職場からなかなか帰れず、練習ができなかった。昨日も休日だが出勤し、 今日も帰るのが遅くなった。陸上に対するモチベーションは下がりまくり、 練習する気力は全くなく、走らなかった。その走らなかった自分がイヤになり、 余計に気分が沈んだ。悪循環。1週間はまだ始まったばかりだというのに・・・ 1週間がとても長く感じる。
 
■2002年9月8日(日曜日)
 エグザスの疲れが回ってきた。特に腕はかなりの筋肉痛。身体全体がだるく、 先週に近い無気力。しかも職場に昼と夜2回も出勤しなければならず、休みであって 休みでない感じ。メリハリのない休日では、休んだ気もせず、精神的にもよくない。
 
■2002年9月7日(土曜日)
 自衛隊体育学校で練習。メニューは400m×3。タイムは50秒。それぞれの間 は20分。
 1本目からまともについてゆけず、トップは49秒4。自分は50秒5。全力で 走りきっている感覚はなく、ゴール直後はあまり疲れていないのが変な感じだった。
 2本目もやっぱり何となく走っている感じで全力で走りきった感覚はなく、気がつ けばトップとは1秒離れ、50秒5。走り終わった直後よりも時間がたつにつれて体がき つくなってくる。3本目に入る直前からだんだん吐き気がしてきて、足にも力が入らなく なってきた。一緒に走っているみんなも吐き気を感じていた。本数は少ないが今日の練習は それほど強度が高いものだった。 
 3本目は、スタートから全く走れず、完全にジョギング状態になってゴール、タイ ムは58秒台。自分を除いた全員は最後まで走りきり50秒を切っていた。2年間の練習 の差が明確に現れた練習だった。月末は全日本実業団。この力の差は簡単には 埋まらない。5年連続5位の記録を伸ばすのも難しい状況だ。
 夜はマンドリンのコンサートを見に行った。マンドリンはなんとな〜く寂しげであ り、それでいて激しさやスピード感のある音を出していた。男性の指揮者だけでなく、 女性の指揮者もいて、とても新鮮だった。とてもゆったりと落ち着き、日中の激しい 練習との落差が大きく、全く別の世界にいるようだった。



マンドリンコンサート
 
■2002年9月6日(金曜日)
 スポーツクラブのエグザスに行き、ボディーパンプというレッスンを受けた。内容 はバーベルや、バーベルのプレートを使い、ウェイトトレーニングの基本動作を組み 入れながら、全身を動かすというもの。プレートの重さを調節できるので、初心者か ら上級者までレッスンを受けることができる。
 下半身、上半身、腕、肩、体幹という順番で音楽に合わせ、休む時間はほとんどな く60分ずっと負荷をかけ続けたという感じだった。たいした運動量ではないとなめて かかり、重りを重くしていたが、途中から続かなくなり、負荷を落としてやる羽目に なった。ちょっとかっこわるかった。このレッスンは全身に刺激を与えることができ、 とても満足できた。明日以降、きっと筋肉痛になるだろう。
 
■2002年9月5日(木曜日)
 職場で射撃訓練があった。自分が撃ったのは9mm拳銃。射撃をするのは5年ぶ り。拳銃を撃つのは3回目。操作の仕方は忘れているし、前に撃ったときはあまり当たら なかった印象が強いので、張り切ることもなかった。
 的の中に2点から10点までの枠があり、はじめに4発撃ち、次に12秒間のうち に4発を撃ち、合計8発で1つの射撃が終わる。満点は80点。今回はそれを4回繰り 返した
 はじめの4発は的に一つも当たらず、0点。次の12秒間4発で3点を2つでトー タル6点。2回目の射撃はあまり狙わず適当に真っ直ぐに撃ち、21点。適当の方が 当たっていた。
 休憩した後3回目と4回目の射撃。今度は銃の引き金に遊びの部分があり、そこを ゆっくり引いて撃つことに心がけたところ、突然、真ん中の10点にも当たるように なり、3回目は44点、4回目は41点という結果が出た。
 1,2回目は全く当たらなかったので、全然おもしろくなかったが、的に当たるよ うになってくるとやる気も出てきておもしろくなってくる。こういうことはすべてに共通 することなのだろう。勉強が嫌いな人も、テストでいい点が取れるとやる気が出るし、 走るのが嫌いな人も、タイムがあがってくるとがんばろうという気にもなる。人をや る気にさせるには、おもしろくなる要素を見つけられるように導く必要があるのだと感じ た。
 
■2002年9月4日(水曜日)
 アンビバレンス練習会。メニューは8000mペース走と200m×3。先週末、 関東選手権で予想もしない棄権をし、ダメージは大きく、走りにも影響した。
 前半から飯島さんが3分20秒を切るペースで引っ張ってくれ、そのまま行けば よかったが、5000m過ぎから呼吸が辛くなり、先週までだったら我慢ができたは ずのペースだったのに今回は完全にあきらめ、撃沈した。
 次の200mはやめようかと思ったが、周りの人のおかげで、メニューをこなすこ とだけはできた。一人で練習していたら、絶対に走っていなかった。辛いときこそ、 チームの仲間の存在はありがたい。今回はチームの仲間に救われた。
 
■2002年9月3日(火曜日)
 7場所連続休場中の横綱貴乃花が、横綱審議委員会のけいこ総見に参加したが、 土俵には上がらず、シコだけで稽古を終え、渡辺委員長が「失望した」というコメン トを残した。
 1年以上土俵に上がっていないのだから、力士としてはずっと仕事をしていないと 言われても仕方ない。横綱ではなかったら、どんどん位は落ちて、上に上がるのには また苦労するというのが普通の状況。半月板を損傷しながらも優勝し、小泉首相が 「感動した」と言ったあの相撲は鮮明に頭に焼き付いている。万全の状況で闘って ほしいが、横綱審議委員からは出場勧告も出てしまい、そうは言っていられなくなっ た。
 相撲人気を少しでも戻すには貴乃花がどうしてもがんばる必要があると思う。 プロのスポーツ選手は常にどこかに故障を抱えながら闘っている。故障を全く 抱えていない人などはいないはず。貴乃花の体調は万全でないかもしれないが、 今場所は、渡辺委員長に発言を撤回させるような、相撲をとってほしい。
 
■2002年9月2日(月曜日)
 朝5時から災害を想定した訓練があり、車や電車を使って出勤しては行けないと いうことで、みんな徒歩か自転車などで出勤することになった。自分は自転車で 出勤したが、多くの人が徒歩のため、出勤経路は歩いている人だらけ。みんなの進む 方向にはいったい何があるのだろう?という感じで異様だった。
 ある部下は、朝起きると駐車場に置いてあった車がなくて、盗難届を出した後 出勤をしていた。その後、ナンバープレートなどが捨てられているのを発見され 警察から連絡があったようだ。ということは、車はナンバーを外されて、どこかに 持って行かれたということだ。本職の窃盗団の仕業か?恐ろしい。世の中治安が悪く なってきている。保険には入っておいたほうが何かと助かると思った。
 
■2002年9月1日(日曜日)
 部下の母が金曜日に亡くなり、葬儀・告別式があった。宗教が日蓮正宗のため、 葬儀・告別式の間、お経のようなものを唱える意外は、ずっと「なんみみょう ほうれんげきょう」の復唱。葬儀に参加している人たちもみんなで復唱。いったい いつ終わるのだろうというくらい長く感じた。みんなお経のようなものも全部暗唱して いるようで驚いた。宗教ってすごい。とにかくお母さんが安らかに眠るように 送り出すことができた。


[昔のいずみ]