最近のいずみ

Last Update:2003/1/31

パートタイムアスリートいずみ 3年目に突入!! 


■2003年1月31日(金曜日)
   約1年半前、熊谷で一緒に生活していた同期と久しぶりに会って、飲みに行った。  一人は入間で勤務しているので、入間にいるときには食堂でよく会っているが、 もう一人は、九州で勤務していてたまたま入間へ来ているということで、会うことになった。
 行った居酒屋がたまたまふぐ料理を目玉にしていたので、ふぐを食べてみようという ことになり、ふぐ刺とふぐちり鍋を注文した。どちらもふぐはほんの少ししかなく、 あまり食べた気がしなかった。それでいて値段は高く、満足できなかった。ふぐを 食べたのは事実だが、ふぐを食べたと話ができるほど口の中で感触を残せず、悲しかった。

■2003年1月30日(木曜日)
   バレーボールの授業で、スパイクを習った。バレーボールを習うのは中学以来。 そのときもスパイクを習ったが、今では全くできなくなっている。
 初めに助走の仕方、次にジャンプの仕方、最後に腕の使い方を習い、基本的な フォームが完成。実際にボールが入ってくると、その人の空間認識の感覚が問われる。 1回で簡単にできればいいが、そういう動作をすることが日常生活ではないので、 なかなか自分の思い通りにボールをスパイクできず、手の指でスパイクしてしまい、 右手薬指を打撲。第2関節あたりが紫色になりプクーッと腫れてきた。
 先週は左足大腿全面を打撲し、今週は指を打撲。来週はいったいどこを打撲するのだろう?

■2003年1月29日(水曜日)
   アンビバレンス練習会で織田フィールドへ行った。昨日は日中気温が13度もあり、 夜も風が少なく暖かかったのに、今日は、気温も低く風もあり寒かった。飯島さんは 先週、インフルエンザにかかり40度くらいの熱で苦しんでいたということで、練習は 途中からの参加。インフルエンザで、子供やお年寄りが亡くなる話を聞くが、 それほど、身体には強烈なもので、亡くなるのもわかるような気がすると飯島さんは 話していた。
 メニューは1000m×5。間は200mジョッグ。設定タイムは3分から3分05秒。 1本目こそ3分05秒でいったが、2本目から4本目までは3分10秒を切るくらい。 5本目に飯島さんが入って引っ張ってくれ、吐き気を催しながら何とかゴールし、3分03秒。
 寒さと疲労で、身体の動きは悪くとても辛い練習だった。

■2003年1月28日(火曜日)
   走り幅跳びの授業があった。第1回目の授業は、授業やその運動の概要説明が行われる のが普通だが、今回はいきなり説明なしで実際に跳んでみろ、ということで実技。
 最近は体力測定で5m50cmくらいはいつも跳んでいるので、今回もそんなもん だろうと予想していたが、ひどい結果になった。1回目は4m92cm。2回目は5m16cm。 測定は2回だけなので、納得がいかなかったが、結果は結果。
 全力で走って高く跳べばいいという認識だったが、全力で走れず、跳躍は低く、良い 所がなかった。授業はあと4回。その間にどれだけ変わることができるかが、この授業 での評価にもなってくると思う。

■2003年1月27日(月曜日)
   教師の創意工夫を生かし、教科の枠にとらわれない授業をする「総合的な学習の時間」に 多くの教師が不慣れで困惑しているという記事を見た。中学、高校では自分の担当教科と 違う専門外の指導を求められ負担を感じたり、何を教えたらいいか分からず「時間つぶし」 をしているところもあるとか・・・
 自分が小学生のころは、特に「総合的な学習の時間」なんて決められていなかったが、 先生は勝手に授業を変更して、いろいろなことをやっていた。山に入ったり、川へ行ったり、 田んぼでラグビーしたり、自然に生えている餅米を取りに行ったりしたことを覚えている。 それぞれの先生に強い個性があり、そして個性的な授業をしていた。
 「総合的な学習の時間」は先生次第なんだから、先生はどうしていいかわからないの かもしれないが、そこが試練の場で、それを乗り越え、個性的で独創性のある先生に なってゆくのではないかと思う。がんばれとしか言いようがない。

■2003年1月26日(日曜日)
   大阪国際女子マラソンを見た。前半はダイハツの山中さんが積極的に引っ張っていたが、 中盤でリタイヤ。中盤からはてんまやの坂本さん、グローバリーの野口さんが積極的に 引っ張った。初めからハイペースで、最後まであまりペースダウンがなく、野口さんが 後半揺さぶりをかけて見事に日本歴代2位の記録で優勝した。彼女は、マラソン2回で 優勝が2回。本当にすばらしい。
 2位の千葉さんも最後の追い上げがすばらしかった。ゴール後のテレビカメラは、優勝した 野口さんよりも、2位の千葉さんと小出監督ばかりを映して、どっちが勝ったのかわからない くらいだった。初マラソンだったノーリツの小アさんもいい記録でゴールしていた。
 女子マラソンは世界選手権代表選考が本当に熾烈になってきた。次は名古屋国際女子マラソン。 高橋尚子さんの走りが楽しみだ。

■2003年1月25日(土曜日)
   社会人ラグビー決勝「サントリー対東芝府中」をテレビで観戦。テレビでラグビーを 全部見るのはこれが初めて。この1週間のうちにラグビーの授業が2回あり、ラグビーの 動きを少し理解したので、先週とは違った観戦ができた。
 前半は東芝府中に勢いがあり、ボールをキックし、相手の陣地へ移動し、ラインアウト からの攻めが特に目立った。サントリーは先週のような連続攻撃が繋がらず、東芝府中の ディフェンスにかなり苦しみ、前半は東芝府中リードで折り返した。
 後半は急に流れが変わった。途中までは一進一退の戦いだったが、サントリーのスタンドオフ のトライが決まってからは、ずっとサントリーがボールを支配する展開になった。東芝府中は 急にミスが目立ちはじめ、そのミスにサントリーがどんどんつけ込んでトライを重ねていき、 ロスタイムに入ってから完全に勝負が決まった。しかし東芝府中もその後に意地のトライを見せた ところがすばらしかった。
 社会人の決勝でもチームの間に完全な体力差があるように見えた。後半の残り10分くらい からは、1プレーごとに試合進行が止まり、東芝府中の選手が倒れていた。足の痙攣が多かった。 サントリーの選手は最後まで切れのある攻撃をしていたのが印象的だった。
 これで55回続いた伝統ある全国社会人ラグビー大会が終わり、来年からはトップリーグが 開かれるとテレビでは言っていた。サントリーは大会最後のチャンピオンということになったらしい。

■2003年1月24日(金曜日)
   鉄棒で前方支持回転という技を練習した。アップの段階で蹴上がりをやったが、先週の ようには行かず、一度も成功しなかった。しかも足を振り上げたときに弁慶の泣き所を 打ちつけてしまい、ポコッと腫れ上がり痛い思いをした。
 前方支持回転は、ただ鉄棒の上でグルッと前に回って元の位置に戻るだけなのに、 なかなかうまく回れなかった。回っているときに肘が曲がり、回転の軸がずれて、鉄棒の 上に大腿部が乗って自分の体重がかかって打撲をした。これが痛くて、歩くのも辛くなった。
 その後ラグビーの授業では、スクラムを組んでいて崩れたときにスパイクで足をグリグリッと 踏まれてしまい、また痛い思いをした。
 特に打撲した足は痛く、安静にしたほうがいいので、練習ができなかった。なんだか ついていない1日だった。

■2003年1月23日(木曜日)
   水泳の授業で背泳ぎをやった。はじめは背面での浮き身。そこから少しずつばた足に つなげ、最後は腕のかき方。小学校の時にスイミングスクールで習っているので、泳ぐ ことはできていたが、昔習った手のかき方と現在の手のかき方は違っていた。今はいかに 抵抗をなくして効率よく前に進むかということが教える側のポイントで、水をとらえて 押して進むこと、これに絞られた。水を押し込んで進む方法だと、今まででは 考えられなかったような効率の良い進み方をする。疲れも少なく50mという距離が とても短くなった。

■2003年1月22日(水曜日)
   昨日、一昨日と血中乳酸の測定で、自分はクーリングダウンをしなかったため、 身体の背面全部が疲労でだるかった。アンビバレンスの練習会があったので、 織田フィールドへ行ったが、練習をやろうかどうか迷ったくらい。しかし せっかく来たのだからやらないではもったいないのでやることにした。
 今日は、いつも引っ張ってくれる飯島さんがいなかったので、長距離責任者の 大高さんを先頭に12000mのペース走をした。はじめは設定ペースより やや遅めで入っていったが、2000m過ぎからは、完璧なペースで、1000mごとの ラップを取ってみると、10分の1の位までピッタリなペース。このペースメイクには 感動。最後はちょっとペースが上がったが、大きな変化はなく、安定した走りができ、 体調が悪い中では上出来な練習になった。

■2003年1月21日(火曜日)
   昨日と今日の持続走の授業で血中乳酸の測定を行った。運動をするときには、必ず ウォーミングアップとクーリングダウンをするように言われるが、クーリングダウンは ウォーミングアップと比べるとおろそかになる場合があるので、クーリングダウンを しないとどうなるかという実験を兼ねての測定だった。乳酸は強い運動をしたときに 血液中に出てくる疲労物質で、疲労の度合いがわかる。測定してみて多ければ、かなり 追い込んだ運動ができたこともわかる。
 今回は、運動直後乳酸を測定し、10人がクーリングダウンをして10人は何もせず安静に して30分後にもう1度乳酸を測った。結果は分析をしていないのでわからないが、安静に していた方は身体が固まって辛く、昨日クーリングダウンをしなかった人からは、朝起きた ときに身体が痛くて起きあがれなかったという話も聞いた。主観的にはみんなクーリングダウンの 必要性を感じたようだった。
 昨日の測定では、運動直後の乳酸値と30分後を比べて、30分後の値が2倍になっている人が いた。普通は、時間が経てば乳酸値は落ちるはずなのに、ますます疲労が溜まっているという ことだから、なんでだろう?と思った。

■2003年1月20日(月曜日)
   応援していた貴乃花がとうとう引退を決めた。「多少の迷いはあったが、心の底から 納得しており悔いはない」心境を話していたが、ほんとうにそうだったのかなぁと思う。 怪我で休場続きだった1年間は本当に辛かったに違いない。場所に出たくなくてでなかった わけではないが、横審からは批判ばかりされて、この場所は無理矢理引退に追い込まれたように 見えた。これで若貴の時代は終わってしまった。相撲は客寄せができなくなってしまうのでは ないか?
 身体が資本の力士の仕事は、戦えなくなったらそれで終わってしまう。横綱や大関になった ような人は、その後の人生もしっかりとした道があるが、上まで上がれなかったひとは、 その後の人生をどのように過ごすのだろうか?と思った。

■2003年1月19日(日曜日)


前半、攻めるNEC



NEC気迫のトライ
   ラグビーの授業の一環で全国社会人ラグビーの準決勝を秩父宮ラグビー場へ見に行った。 全国社会人の前に全国クラブラグビーフットボール大会という大会もやっていた。
 クラブチームの対戦では、ラグビーの試合を開始から終了までを見る初めての試合だった。 授業で習った基本を実践しているチームと、実践していないチームの差が勝敗の差になったように 思えた。
 社会人の準決勝はサントリー対NEC。前半はNECがペナルティーゴールで得点を稼ぎ、 堅い守りでサントリーをリードしていた。しかし後半、サントリーはしつこくつなぐ連続攻撃で 4トライをあげて逆転勝ち。NECも最後まで勝負を捨てずに頑張り、試合終了間際に 気迫のトライをした。この1プレーには感動した。
 2つの試合を見たが、社会人とクラブチームのレベルの差は歴然としていた。陸上競技では クラブチームの人でも実業団の選手と対等に戦う場合があるが、チームプレーのスポーツでは 同じレベルでやるというのは難しいことなのかもしれないと思った。

■2003年1月18日(土曜日)
   300m×3を3セットした。ペースは45秒。だいたい1500mのスピード。 これだけのスピードなのでみんなスパイクを履いた。自分は、初めランニングシューズで 走るつもりだったが、みんなの動きに合わせてスパイクに履き替えることにした。
 この冬初めてのスパイクでの練習。全力ではないので、足に大きな負担はなく、調子は 悪いながらもどちらかと言えば気持ちよく走れた。1月中に体育学校の選手と走るのは これが最後。みんなは来週から沖縄合宿、主力は韓国チェジュ島合宿。2月には奄美大島合宿 と続く。当分は一人の練習になってしまう。とても寂しい。一緒に連れて行って欲しい・・・

■2003年1月17日(金曜日)
   最近、北朝鮮の話題がまた多くなってきた。ちょっと前までは拉致事件だったが、 今度は核開発。北朝鮮が核開発をしていることを認めたため、アメリカは重油の供給を止め、 北朝鮮はNPTを脱退するといっている。北朝鮮は、10年くらい前にも同じようなことを やってアメリカから重油をゲットしてる。今回はいったい何をゲットするのだろう?

■2003年1月16日(木曜日)
   休場していた貴乃花がまた復帰した。痛めていた左肩は、相撲を見た限りでは 治ってなさそうだったが、とにかく勝った。横綱は勝たなければならないので、 内容は、それほどいいようには見えなかったが勝ったことはすばらしい。痛いところは かばいながらの相撲だが、この調子で何とか今場所を乗り切って欲しい。

■2003年1月15日(水曜日)


富士山
   授業で鉄棒があった。内容は蹴上がり。蹴上がりは高校時代から、遊びで挑戦して いたが、1度もできたことがなかった。この授業では部分部分を分けて練習し、 少しずつ実践に近づけていった。
 初めは、身体を反る練習、その次は鉄棒に足首を持っていく練習、最後に鉄棒に 足首を持っていくときに、尻を鉄棒よりも前にする練習・・・と続いていった。 途中で跳び箱を使ったり、マットの上で棒きれを使ったりと多彩な練習法があった。 最終的に補助なしで2回蹴上がりができた。たった1時間の授業でできてしまって、 驚いた。指導する人がいれば、技術的な競技は上達するもんだなぁと思った。

■2003年1月14日(火曜日)
   授業ではインターバルがあった。といっても200m×6。インターバルというほどの ものでもなく、ショートインターバルの体験的なもの。しかもペースは全力の70%という 遅いペース。その遅いペースがかえって走りのリズムを狂わせ、疲れた。特にふくらはぎが パンパンに張った。来月にはレースがあるのにこの状態はまずい。

■2003年1月13日(月曜日)
   1日中、家にいた。明日、4科目も試験があるので、試験勉強をしなければならず、 ゴロゴロしながら勉強。退屈になるとテレビをつけてみたり、なんか落ち着きがなかった。  テレビでは男子のバスケットボールがやっていて、アイシンが日本一になっていた。 でもアメリカのプロバスケットボールと比べると、派手なシュートは全くなく、見ていて ワクワクする感覚が全くなかった。結局お客さんが見たいような派手なプレーはなく、 確実に得点を取りにゆく攻め方。日本ではあまり実業団のプレーを見に行くことはないが、 人気が出てこない理由がわかったような気がする。

■2003年1月12日(日曜日)


狭山不動尊
   京都で行われた全国都道府県対抗女子駅伝を見た。遠征や合宿で一緒になった選手も たくさん出ていて、目が離せなかった。兵庫は社会人の早狩さんがすばらしい走りで、 その後の高校生たちが京都の追い上げから逃げ、優勝した。
 個人的には自分の住んでいた、愛知県、神奈川県、奈良県、埼玉県を応援していた。 奈良県を除いてみな上位に来ていたが、奈良県は、1区で1位を奪って中盤までは 頑張っていたが、最終的には30番台まで下がってしまった。国体などで、奈良県は いつもナンバーカードの29という順位以内を目指して戦っているが、今回は目標には 及ばなかった。来週は広島で全国男子駅伝。がんばれ奈良県!!
 夕方には初詣に行った。場所は西武ドーム近くの狭山不動尊。元旦から半月が経とうと していたが、参拝客はたくさんいた。昨年結婚前から家にいただるまさんを置いてきた。 だるまさんありがとう。

■2003年1月11日(土曜日)
   歯医者に行く日がやってきた。学生時代から歯医者に行くたびに「いつか親不知を 抜きましょう」と言われていたが、とうとうその日がやってきた。
 多くの人が親不知を抜いたときの話をしてくれるが、痛そうな話ばかり。 以前自分は普通の奥歯を抜かれたことがあったが、1時間以上かかって、 とても辛く、血が止まらなくてずっと苦しんだ覚えがあったので親不知を抜くのが イヤだった。
 最初に麻酔の注射をして麻酔が効いてきたら歯を抜くことになっていた。しかし、 麻酔を入れたのに全く麻酔が効いている感覚がなかった。先生に聞いてみると、上の 奥歯は麻酔を入れても、効いている感覚はあまりないということだった。
 説明をしたところでさっそく先生は歯を抜きにかかった。タオルで目を隠されていたので どんな風に抜いているかわからなかったが、口の中でミシミシ音を立てながら歯が 抜けていく感覚があった。最後にブチッというような音がして歯が落ちた。その間1分も かからず。何事もなく終わってしまった。出血はすごかったが、30分くらいで かなり治まった。歯茎が少し腫れているがそのほかは問題なし。めでたしめでたし。

■2003年1月10日(金曜日)
   インフルエンザが流行っている。昨日から自分の同部屋の後輩も突然38度以上の 発熱があった。インフルエンザは突然の発熱がキーになるらしい。発熱して2〜3日 以内に処置すれば比較的速く回復するらしい。彼もすぐに医務室へ行き、薬をもらって 寝ていた。2〜3時間寝ただけで、すっかり平熱に戻ってしまったのには驚いた。 しかしそれも薬が効いている期間だけで、薬の効果が切れるとまた熱が出てくる。なかなか 難しい。明日から3連休だが、彼は当分寝ていなければならなさそう。お大事に。

■2003年1月9日(木曜日)
   実技の授業でラグビーをやった。大学時代に授業でラグビーをやったし、卒業後も 少しだけやっているが、全く覚えていない。初めはパスの練習で、経験者は実に 気持ちよくパスが通るが、自分たちがやるとしまりのないパスになる。軌道もおかしい。
 わからないもの同士でパスをやっていると格好悪くて見てられない。うまい人と一緒に 練習すると、ちょっとしたコツを教えてもらえたり、目の前の動作を真似でき、上達が 速いように感じる。技術の必要な競技では指導者はとても重要なのだと思った。

■2003年1月8日(水曜日)
   今年最初のアンビバレンス練習会。病み上がりで、ジョッグも辛い状態だったが、 人と一緒に練習できる数少ない機会なので、練習に参加した。といっても参加者は 飯島さんと自分だけ。メニューは12000mビルドアップ走。
 入りの1000mは4分からという設定だったが、初めから4分を切って入り、 ペースの上がりも速かった。自分は休み中全く走っていなくて、飯島さんは来月 ハーフマラソンを走るので正月中も走っていたという差もあり、自分の方は 6000mあたりで息が苦しくなった。
 結局10000mでペースが3分20秒になり、飯島さんから離れてしまった。 その後はジョッグのような感じ。飯島さんの方は3分10秒くらいまで上がった ようだった。

■2003年1月7日(火曜日)
   オリエンテーリング協会の人たちが来て、オリエンテーリングをしてみないか? というような勧誘をしていった。オリエンテーリングと言えば、歩いて決められた ポイントを見つけてゴールまで行くというイメージが一般的だが、競技オリエンテーリングは、 タイムを競うものであって、歩くのではなく走るもの。2005年に愛知県作手村で 世界選手権が開催されるため、選手強化のために、今、人を募っているところだという。
 不整地を止まることなく速く走れ、地図を読み山の地形を判断してポイントまでの 最短コースをたどることができるというのが、オリエンテーリングに求められる能力。 陸上競技関係者ならば走るのが速いし、自衛隊関係者であれば、不整地を走ったり、 地図を読む力もあるのではないかという判断で、最近声をかけているらしい。
 このスポーツはそれほど知られていないので、いきなり日本代表になってしまう人も いるかもしれない。2005年ならば、あと2年ほどある。いま求められている人材は、 走力が5000mで16分以内でクロスカントリーランニングができる人ということだった。 こういう人ならば、たくさんいるのではないかと思う。陸上競技ではなかなか日の丸を つけることができないが、オリエンテーリングに挑戦してみれば、ひょっとしたら日の丸を つけて国際大会に出られるかもしれないと淡い期待ができたひとときだった。

■2003年1月6日(月曜日)
   今日までが冬休み。最後の休みなので大事に使いたかったが、体調不良のため、 午前中はずっと寝ていた。しっかり汗をかき、熱も完全に下がり、これで良し!! と思ったが、念のため、病院へ行った。行き先はもちろん六本木の平石クリニック。
 病院は風邪の患者でにぎわっていた。先生は相変わらず元気で、箱根駅伝や 全国高校駅伝で先生の担当している大学の話をしてくれた。肝心の自分の腹痛や 熱の症状については、「風邪だよ、風邪」と軽く診断され、ビタミン注射を打ってもらい、 下痢の薬をもらって終了した。本当にこれでよかったのか不安だったが、医師に 診断をしてもらったのだから、よしとした。

■2003年1月5日(日曜日)
   昨日は帰国後、妻の実家へ行き、熱が上がってしまいそのまま寝かせてもらった。 朝起きたとき、久々に37度を下回る36.9度という表示で、喜んだ。熱は下がって頭痛は よくなったが、腹の方は変化なし。食欲はないが、昼前に朝食をして、その1時間後 には昼食。
 その後は、1月1日から5日までの新聞をゆっくり読んでくつろいだ。こうやって ゆっくりする時間がたまには欲しい。しかし人の家でくつろいでしまって、少し図々 しいような気もした。
 昼以降は完全に頭痛はなくなり正常になった。そのまま所沢へ帰ればよかったのだが、 くつろぎの時間は継続され、気がつくと夜になり、また寒気が襲ってきた。体温を測ると 37度以上。正常にはなっていなかった。
 結局風呂に入り、夕食を食べ、NHKの大河ドラマ「武蔵」まで見てやっと帰る決心が ついた。
 妻の実家には、とても迷惑をかけてしまった2日間だった。本当にお世話になりました。

■2003年1月4日(土曜日)
   12月28日から1月4日までは、 ベトナム旅行記 (作成中)をご覧下さい。 



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