最近のいずみ

Last Update:2003/10/31

パートタイムアスリートいずみ 長男誕生!! 


■2000年10月31日(金曜日)
 今日も関東では地震があった。今年になって東日本では2ヶ月に1回大きな 地震が起きていると聞いた。しかもちょうど2ヶ月おきに。5月26日、 7月26日は宮城県で、9月26日は北海道十勝沖。このリズムでくると 次は11月26日。うちの職場で、防災グッズを買い集めて準備万端、 いつでも来い!!と言っている人がいた。確かに災害が起こった時のために 準備はしておいた方がいいなぁと思った。

■2000年10月30日(木曜日)
 北海道でオーロラを見ることができるというニュースを見た。太陽のフレアとかいう 爆発によって莫大なエネルギーが地球まで届き、それによってこういう現象が見られる ようになったとか。しばしば地球に到達し、電波通信を混乱させたり、電子機器を 誤作動させるなどの磁気嵐の原因となり警戒を呼びかけているらしい。
 オーロラは北極圏や南極圏でしか見ることのできないものだと思っていた。幻想的で とてもきれいだ、と何も知らない自分は喜んでしまう。1958年には、関東でも このオーロラを観測できたらしい。今回はどうなるだろうか?夜空を注意して見るべし。

■2000年10月29日(水曜日)


仕事中



400m優勝 飯野くん
 第7回全自衛隊陸上競技会が自衛隊体育学校のグランドで開催された。自分は 競技役員としてスターターをした。自分は審判の資格を持っているわけではないので、 スターターの補助をするのかと思っていたが、この大会は陸連に登録していない人も 参加しているため公認ではなく、自分もスターターとしてピストルを撃つことが出来た。
 今日は最高気温が25度をこえ、直射日光が皮膚をさすように暑くした。1日外に いたため顔は真っ赤になり、あまり動いていない割にはかなりの疲労になった。
 男子400mでは、自分の仲のいい友人が参加し、今回も優勝した。7回大会中 6回の優勝は本当にすごい。800mでも知っている後輩が連覇した。
 全国の陸上競技をしている自衛隊員が集まってくるので、久しぶりに会う人が たくさんいた。レベルはなかなか上がらないが、いつかはケニア軍隊選手権のように オリンピックよりもレベルの高い大会になればいいなぁと思った(無理か・・・)。

■2000年10月28日(火曜日)
 天気予報では午後から天気はよくなってくると言っていたが、天気予報通り にはいかず、昼を過ぎても雨は強くなるばかり。4時過ぎにいったんやんだ ように見えたが、その後また降り出した。今年は天気予報があまり当てにならない。
 自分の気分は天気に左右されやすい。雨のためか、練習をしようと思って いたのに、全く気持ちが乗らず、40分ジョッグだけでやめてしまった。 疲れてるのかなぁ?

■2000年10月27日(月曜日)
 埼玉県の参議院補欠選挙の結果は自民党の候補が当選した。開票結果では、 自民党の候補と民主党の候補が競っていたという。投票率が27.52%。 投票に行ったのが有権者の3割に満たない。これってどういう意味なんだろう? 7割以上の有権者の意見はこれで入っているのか入っていないのか? 棄権も一つの意思表示なのか、それともこの7割は何も考えていないのか? 天気もよくて、外に出かけたくなって、選挙のことは忘れて外出してしまった 人が多いんじゃないかなぁ。
 北朝鮮の選挙は投票率100%。これは相当な強制力をもって行われて いるだろうし、本当に100%なのかどうかはわからない。そんなことは どうでもいいが、これほど選挙が他人事だと、選挙の意味はなくなってしまう。 自衛隊では、しつこいほど、選挙に行けよ!!と言われる。投票率を上げる には強制力しかないのだろうか?

■2000年10月26日(日曜日)
 子供を初めて風呂に入れた。なかなか乳を飲んでも眠らず、30分から1時間おきに 泣いている状態だったので、風呂に入れてもなかなか泣きやまなかった。一時泣きやんで、 気持ちよさそうにしていたが、風呂の温度が下がったためかまた泣き出した。新たに お湯を入れると泣きやんだ。赤ん坊は結構敏感。体を洗って風呂から出そうと思った時に、 自分の足が急激に生暖かくなった。何かと思えば、子供の尿。風呂の中で放尿し、 放物線を描きながら自分の足にかかっていた。なんでこんなタイミングでやるんだよぉ!! と思ったが、無意識でやっているのだから仕方ない。この怪獣との戦いは始まった ばかり。先が思いやられる・・・

■2000年10月25日(土曜日)


私の重心です (小指がない!!)
 昨日やった練習のダメージが大きく、筋肉痛気味で体がだるかった。昨日は クロスカントリーだったが、体育学校の選手について最後まで走ったため、 強度が高かった。
 今日のメニューは6000mペース走と400m×5。6000mは3分30秒/km のペースだったが昨日の疲れがあり、きつかった。400mは5人でリレー形式で 行い、一人60秒くらいで回ってくるので休憩が4分ほどだった。この4分の 休憩が中途半端で苦しく、3本目でふくらはぎが痙攣し、4本目以降は棄権した。
 午後は、種子骨障害に対処するため、国分寺にある整骨院へ行き、足底板を入れた 靴のソールを作ってもらった。立っている時の足の重心を見てもらい、重心が均等に 乗っていなかった。歩いていても重心が上手く抜けていかず、足に残ったままになって いるため、足の裏に角質が出来ていることがわかった。作った足底板で生活すれば、 うまく重心が抜けて、この角質もなくなっていくらしい。種子骨障害が緩和し、 きれいな足になれば一石二鳥。どうなるかなぁ?

■2000年10月24日(金曜日)
 テレビでアンドリューNDR114という映画を見た。家庭用のお手伝いロボットの 話で、たまたま学習能力や感情をもってしまい、ロボットがどんどん自分を改良し、 人間に近づいてゆくという物語。ロボットは人間と結婚できないということから、 人造の臓器などを入れている人間は人間と言えるのか?ロボットと人間の境界は 何処にあるのか?ということを考えさせられた。将来は現実にこのような問題が 出てくるようになるのだろうか?ややこしくなりそう。

■2000年10月23日(木曜日)
 筑波大学大学院体育研究科を受験した。今回も車で行った。行きの外環で 路肩で車が見事にパンクして停車しているのを見て、自分がなったことを考えると ゾッとした。
 試験は午前が専門、午後は口述試験。午前は自分の持っている知識で対応する しかなく、知らないものはどうしようもなかった。とりあえず書けるだけ書いた。 特にスポーツ心理学系の問題はわからなかったので適当に答えた。
 午後は、3人の先生に対して自分一人が面接を受けるという形式だった。 自分は受験番号が2番目だったため、1番の人が終わるまで待っていた。5部屋ある うちの1部屋へ入るのだが、他の4部屋は2番目の人が入っていくのに、自分の ところだけがなかなか終わらなかった。1番の人はかなり突っ込まれているのか? まずい教官に当たってしまったと思い、緊張した。
 1番の人が出てきたのは15分くらいしてからだった。英語で質問される わけでもないから、大丈夫だと思い直し気が楽になったところで面接の部屋に 入った。
 初めに出身校を聞かれて防衛大学校と答えたところから、面接内容が防大の ことになり、答えるのには苦労しなかった。また自慢でいいから競技歴を 語るように言われ、学生選手権で優勝したことと、ヨーロッパ遠征に行った ことを話した。そしてやっと口述試験の中心になる研究計画について、なぜ この内容にしたのか、将来どういう方向へ進むのかを絡めて話すように言われた。 自分の言いたいことをまとめるというのはなかなか難しく、終わってみると 言いたいことを全部話すことは出来なかったが、問題なく話せた。 面接の時間はたった5,6分。1番の人と比べるとかなり短い。手応えとしては 面接は成功したのではないかと思った。あとは午前の試験がどのくらい できているかで決まりそう。
 合格発表は11月7日。自分の誕生日。定員が10名のところ、受験者が38名。 合格通知が届けば合格、届かなければ不合格。結果はいかに・・・

■2000年10月22日(水曜日)
 赤ん坊の顔を見てどうもおかしい・・・と思ったことがある。それは 眉毛がないこと。髪の毛はかなり生えていて、おでこから本来眉毛のある当たり までは薄く産毛が生えている。大学時代にタイの留学生が眉毛をカミソリで 整えていて、間違って剃ってしまい、格好がつかなくなって全部剃ってしまった ことがあったが、ちょうどそんな感じの顔。顔に何かが足りないと思っていたが それは眉毛だった。そのうち生えてくるのだろう。

■2000年10月21日(火曜日)
 3、4年ぶりにサーキットとレーニングのMAX測定をやった。サーキット トレーニングのMAX測定は、サーキットトレーニングを行うのに適切な 負荷を決めるもので、本当は何ヶ月かに1回は行って、自分の状態を知って、 向上させていかなければならない。
 最近までやっていたサーキットトレーニングの負荷は、自分がまだ走れていた ころの負荷のため、回数が多く、いつも疲れがひどかった。今回測定をやってみて、 30秒間でできる繰り返しの回数がかなり落ちていた。やっぱり力は落ちていた という感じ。今回の測定で、今の自分にとって適切な負荷が算出された。これから また少しずつ向上を目指し頑張りたい。

■2000年10月20日(月曜日)
 休みを取って1日中勉強。昼飯前にNHKラジオのアラビア語講座を聴いて、 眠くなり、このまま寝てしまおうと思ったら、12時からラジオ体操が始まった。 「ご家庭のみなさん、職場のみなさん、ラジオ体操の時間です!!」というような 呼びかけで、そのまま言われるがまま体操をしてしまった。そして第1体操に 入り、また別の体操があって、最後は第2体操。第2体操は、全然分からず、 今度テレビで見て出来るようになりたいと思ってしまった。すっかり眠気も覚めて、 いい気分転換になった。ラジオ体操はすばらしい!!

■2000年10月19日(日曜日)
 1日中、机にかじりついて勉強。と言いたいところだが、机に向かう勉強は どうも効率が悪い。勉強しているようで勉強していない。
 座ってばかりでは疲れるので、夕方走りに出かけた。朝から天気はよく、外で 遊ぶには最高の気候だった。樹林公園では、ものすごい数の家族連れで、あふ れかえるという表現ができるくらいの多さ。石神井公園までジョッグにいたが、 石神井公園も人だかりで走りづらかった。というよりもこっちがじゃまだったのかも しれない。子供を背中にしょって2人の息子と釣りをするお母さんがいたり、 釣り禁止と書いてある看板の目の前で釣りをする子供たちがいたり、年寄りだけで 集まって話している区域があったり、カップルもたくさんボートに乗っていた。 公園には多種多様な人種が集まり、人を観察するだけでとても楽しい。

■2000年10月18日(土曜日)


ミルクやってます
 子供の名前を決めなければならならず、1日漢字と格闘。字画で調べていくと ある程度絞られてくるが、画数だけでなく、五格や陰陽という項目も考えると なかなか「これだっ!!」という名前は出てこない。調べていくうちに、自分や 自分の妹たちの名前は上手くできているなぁと感心した。
 漢字はあまりにも量が多く、困る。外国であれば、どう考えるのか? アルファベットの組み合わせになって、その組み合わせだとこれも無限に広がっていく。 漢字だったら、せいぜい2,3文字の組み合わせ。名前に使える漢字は多くても 限りがあって、漢字の方が楽かもしれない。  漢和辞典を開き、名前辞典を開き、インターネットで検索し、頑張ったが、 結局決まらなかった。難しい・・・息子よ、もう少し待ってくれぇい・・・

■2000年10月17日(金曜日)


3人家族になりました
 妻と子供が退院するので休みを取って迎えに行った。2人のいる部屋は大部屋だった ため、新たにもう1組お母さんと赤ちゃんがいた。うちは病院へ着いて1時間ほどで 出産してスピード出産なんて言っていたが、同部屋のお母さんはなんと20分で出産 していた。上には上がいるなぁと思った。
 子供の布団を買っておいたが、あまりにも大きかった。今の身長だったら、座布団 でも十分布団になる。子供を見る度に本当にちっこいなぁと思ってしまう。

■2000年10月16日(木曜日)
 阪神星野監督が日本シリーズ終了後、辞任する意志を固めたらしい。 とても残念だが、健康上の不安ということなので仕方ない。今年は圧倒的な 強さを誇り、監督は楽なのかと思ったが、監督というのは、1年間を通して、 相当なストレスがあったのだろう。自分も仕事で部下がいた時には、部下が いるだけで、相当なストレスがあった。管理者というのは、必然的に ストレスと共生することになってしまうんだなぁと思った。

■2000年10月15日(水曜日)
 中国で初めての有人宇宙船を打ち上げられた。宇宙船の名前は「神舟5号」。名前も なるほどぉっとなんとなく納得してしまった。乗組員は一人で、明日には帰還する というが、アジアで初めて打ち上げられた有人宇宙船ということで大きな意味がある。
 ニュースで北京の市民へのインタビューを見たが、喜ぶ人もいれば、ある中年 男性は、「自分はリストラされてそんなことじゃ喜べないよ」なんていうコメント もあった。中国では、貧富の差が拡大しているという。つぎ込んだ金額は2800 億円くらい。高いのか安いのか全く分からない。次の計画は月面着陸らしい。 日本の宇宙開発は停滞しているようで、中国から随分遅れをとってしまったなぁと思った。

■2000年10月14日(火曜日)


今日は抱けました
 仕事は休みを取って、また病院へ行った。今日は、子供を抱いた。3kgというのは まだ軽い。手の指も足の指も小さいけれど、しっかり人間になっている。ミルクを飲んでも ゲップで吐いたり、なかなか思うようにはいかない。オムツを替えても替えた次の瞬間 には泣き出して、また漏らしたりする。とんでもない怪獣を手にしてしまったように 思った。母親は、この怪獣に付きっきりにならざるを得ない。ストレスがたまることも あると思う。少しでもストレスが軽減できるようにしてあげたい。
 病院からの帰り道、電車に乗っている周りの人を見て、この人達も元々は赤ん坊だった んだなぁと思うと、多種多様に成長してしまって原型をとどめていないようで不思議に 思えた。家の子供はどんな風になるのだろうか?

■2000年10月13日(月曜日)


東原、和泉、鈴木、菅野



長男でございます



自分の生まれた時です
 2時10分に長男が誕生した。身長49.5cm、体重3082g。 見事に予定日だった体育の日に出てきた。妻は病院へ入って1時間ちょっと でのスピード出産。本で読んだり人から聞いていたのとは全く違ってかなり の安産だったように思う。
 出産が深夜で、自分は官舎、妻は実家にいたため、自分は出産に立ち会えなかった。
無事出産という話を聞いたあと筑波大学競技会800mに参加。調子は よくなかったが、全日本実業団の感覚が残っていたので、意外と走れた。
 筑波大学のペースメーカーがいたので、ハイペースになるだろうと思っていたが、 意外とスローで、走りやすかった。300m通過くらいから腹痛になり、自分の 1周目は54秒後半。500m過ぎに全日本実業団チャンピオンの鈴木尚人 (体育学校)が脱落し、600m過ぎには全日本実業団3位の菅野(体育学校) も脱落。自分は4番手で残り100mへ突入。そこから1人抜いて3人に抜かれ 6位でゴール。1分52秒44だった。とにかく風が強く、最後の100mは 全員動きが悪かった。日本選手権標準(1分51秒5)をねらっていたが、 あと一歩だった。
 記録会の後は、大学院の研究室の先生に面会し、いくらか入試のアドバイスを もらった。大学院入試まであと10日。かなりまずくなってきた。
 病院の面会が夜8時までだったが、筑波から直接病院へ向かい、面会終了 10分前に病院へ入ることができ、息子と対面した。自分の生まれたときの 写真そっくりで驚いた。自分の家族にも画像を送ったが、そっくりだと爆笑 していたようだ。
 体育の日にピッタリ生まれて、しかもものすごい勢いで母親から出てきて、 これはただ者ではない。とんでもない運動選手になるのではないか!! なんて勝手に想像した。とにかく母子とも無事でよかった。

■2000年10月12日(日曜日)
 図書館で勉強のはずだったが、図書館へ行くと、いろいろと見たい本が出てきて、 本屋にいるような感じで立ち読みをしてしまう。最終的に席について勉強を 始めると眠くなる。文字を読んでいるうちに目を閉じてしまう。気がつくと10分とか 20分が過ぎてしまい、全然勉強にならない。
 勉強は電車の中とか、喫茶店のほうがなぜか能率が上がる。妻の場合は、 騒がしいところでは気が散って勉強が出来ないという。人それぞれなんだなぁと 思うけど、自分の場合は、お金を払ってわざわざうるさいところに行かないと 勉強できないので、とてももったいない。

■2000年10月11日(土曜日)
 月曜日のレースに向けて最終調整。ある程度のスピードを入れたかったが、 一人ではなかなか上がらないので、陸上班の選手に合わせて一緒にやらせてもらった。 メニューは400m+200m。設定は53秒と24秒台。
 実際はペースはもっと速く、400mは51秒4だった。シーズンベスト。 強度が高すぎた。200mも24秒台で走れた。調子はよくないがタイムは 出ているので、まぁいっかという感じ。
 午後から国分寺にある整骨院へ行った。種子骨障害対策で靴に入れる足底板を 作ってもらうため。初めに体のバランスを見てもらったが、ずれているところは ほとんどなく褒められた。細かく見てあえて言えば、右足首の動きが悪く、歩く たびに微妙にブレているということだった。
 足底板については、今履いている靴を見てもらい、概要を把握して材料を取り寄せる ということで、作るのは次回になった。これで痛みが改善すればいいなぁ。

■2000年10月10日(金曜日)
 最近コメの窃盗が流行しているが、今朝のニュースで見た窃盗は衝撃的だった。 夜中のうちに田んぼから丸ごと稲を刈って持っていかれたというもの。しかも 田んぼの真ん中だけ稲を残すという中途半端な刈り方。所有者はホント気の毒としか いいようがない。
 あともう一つ気になるニュースは、毎日のように、少女の殺人、誘拐、拉致、 監禁やそれに類する未遂のニュースが続いていること。普通の感覚では理解できない ことばかり。刑法ではいろいろと歯止めをするために定められていることは あるのに、全く意味をなしてなさそう。
 監禁罪や未成年者の略取・誘拐は3ヶ月以上5年以下の懲役、監禁致傷罪は 3ヶ月以上10年以下の懲役、身代金目的だと無期または3年以上の懲役、 国外に移送する目的だと2年以上15年以下の懲役になっている。
 国外移送というのは、まさに北朝鮮の拉致になるような気がするが、 どうなのだろうか?

■2000年10月9日(木曜日)
 職場のプール清掃を半日やった。うちのプールは屋内プールのため、1年中 使用していてそれ程汚くはなかった。しかし、プールの底には、緑色の藻なのか カビなのかわからないが、かなりしぶとくへばりついていた。ワイヤーブラシや 金たわしで一生懸命こすった。完全には取れなかったが、ほぼきれいになった。 普段はプールの底を見て泳ぐことはないが、これからは気になるんだろうなぁと 思った。

■2000年10月8日(水曜日)
 アンビバレンス練習会。来週月曜に記録会に出ることになったため、シーズンオフの つもりで練習をしていたが、またシーズン中の練習に切り替えた。メニューは 短距離に混じって250m×3。32秒前後で3本やった。強度は高く、周りでは 動けなくなっている人もいた。800mの練習としては、スピードが速すぎた。

■2000年10月7日(火曜日)
 ある学校で生徒が持久走をしていて、具合が悪くなり、3時間ほど保健室で休んだ後、 帰宅し、亡くなったという事件があり、両親が救急車を呼ぶべきだったのに呼ばなかったと いうことで訴えを起こした。
 休ませたら具合は改善し、家に帰っていったというのだから、救急車を呼ぶべき だったかどうか難しい。結果的には、亡くなってしまったのだから、呼んだほうが よかったのだろう。
 学校のように人の命をあずかる仕事というのは、大変だ。事故のないことが 当たり前。いったん事故があると叩かれる。自衛隊や公共の交通機関でも同じ。
何か事件・事故が起きた時には最悪の状況を考えて行動することが一番適切なのかも しれない、とあらためて考えさせられた。
 今回の事故では、先生は医学的知識がないかったので、救急車を呼び判断を 仰いだ方がよかったのだろうと思う。判決はどうでるのだろうか?

■2000年10月6日(月曜日)
 疲労回復などによく、競技力に役立つという器材をあつかう業者の説明会が職場であった。 内容は、日常の空気の気圧よりも高い気圧の中に入ることによって、酸素を体にたくさん 取り込むことができ、体の調子が良くなるというもの。寝袋の大きくなった長細い ビニールでできたような筒の中に入っていればよいだけ。筒の中は、1.2〜1.3気圧 になっていて、器材で気圧を上げている。耳抜きができない人は耳が痛くなるため、 適していないらしい。
 実際に入ってみたが、普段と違ったことは耳抜きをするくらいで、気圧が高くなっている ことを肌で感じることは出来なかった。中には水中に入っているような圧を肌で 感じる人もいた。これで体調が良くなったかどうかもよく分からなかった。1回入れば、 その日にお酒を飲み過ぎても飲んでも二日酔いにならない、と業者の人は話していた。 1台350万円なので、個人ではちょっと手が出ない値段。二日酔いのために350万円は 出せない・・・

■2000年10月5日(日曜日)
 三井住友銀行は、11月中旬から20〜39歳に限定した新型預金を始めるそうだ。 キャッシュカードにクレジットカードなどの機能を付け、預金通帳は廃止。
 一番興味を引くのは、ATMの夜間や週末の手数料を無料にするというサービス。 ローンを組みそうな世代をターゲットにしたものらしく、口座を開いてもらうことに よってローンも一緒に組んでもらおうというねらい。40歳になったら、通常の 預金に戻る。
 最近は、土曜日も手数料を取られるようになり、平日働いている人にとっては かなりの不満だった。そこを逆手にとって上手い商売を始めるなぁと思った。

■2000年10月4日(土曜日)
 体育学校の選手と練習。メニューは1000m、600m、400m。 1000mは2分30秒、600mは1分21秒、400mは52秒という設定。 1000mは必死についていって2分28秒でクリアー。しかしその直後から 吐き気がひどく、600mスタート時にも吐きそうな状態だった。そのため 600mは撃沈し、1分29秒かかりまったくついて行けなかった。その後の400mは 気持ち悪いながらも何とかみんなについてゆき、52秒7で走れた。
 普段、強度の高い練習を全くやってこなかったツケが見事に出た練習だった。 このままだと走る度に吐きそうになってしまう。一人だとなかなか出来ないが、 追い込んだ練習が必要だ。

■2000年10月3日(金曜日)
 最近は電車に乗っても携帯電話についてうるさく言わなくなった。 以前は心臓のペースメーカーなどに障害を与えるおそれがあるから 電源は切るようにとしつこいくらい放送していたが、今は体の不自由な 人たちの優先席付近の人は電源を切って、そのほかの席の人たちは マナーモードにするよう放送している。
 以前の放送については大半の人がまったく聞かなかったためか、 やっと現実的になったような気がした。でも自分がペースメーカーを つけていたとしたら、どういう気分なんだろうなぁ?と考えてしまった。

■2000年10月2日(木曜日)
 8月後半からずっと、右足の母子球近辺の骨が痛くて、だましだまし走ってきたが、 1ヶ月以上経っても痛みが治らず、日によっては歩くのも辛くなってきたので、 医務室へ行った。朝霞駐屯地の医務室は週に2回だけ整形外科の先生が来て、 診察をしてもらえる。今日はたまたまその日だった。
 診察に行ってすぐに先生から種子骨障害という言葉を聞かされた。名前の通り、 母子球近くにある種子骨に障害が起きているということだった。レントゲンを撮ってもらい 骨を確認したが、種子骨が2つに割れていた。人によっては初めから2つの人もいるので、 この状態が初めからなのか、運動によって割れたのかは判断できないということだった。 あまりにも痛みがひどい場合は手術をするけど、どうしますか?と言われたので、 断った。結局消炎鎮痛剤をもらって帰ってきた。この先、ずっとこの痛みと付き合って いかなければならないみたい。ちょっと辛い結果だった。

■2000年10月1日(水曜日)
 アンビバレンス練習会に参加。走るのには最適な気候で、織田フィールドは活気があった。
 アンビバレンスの中長距離メンバーもめずらしくたくさん集まった。普段は2,3人集まれば 多い方だが、今日は10人以上。青年海外協力隊でジプチに行っていた船越さんをはじめ、 普段あまり顔を見かけない人も練習に参加し、久しぶりに大人数で練習できた。
 メニューは8000mペース走と300m×5。8000mは前半4分/kmペースで 走り、後半はビルドアップ。それ程張り切るつもりはなかったが最後は3分10秒くらいまで 上がった。300mも後半は45秒まで上がって、少し張り切りすぎた。
 練習後は、船越さんを囲んでの食事。ジプチでの生活や長距離選手の話を聞いた。 軍人や警察官の給料が何ヶ月も払われず、国の経済が破綻しており、世界選手権等の 国際大会へ参加した選手は、失踪することがあって、選手を見張っていたらしい。2年間 ジプチへ行って仕事をしてきた船越さんは、たくましく格好良く見えた。 



[昔のいずみ]