最近のいずみ

Last Update:2003/11/30

パートタイムアスリートいずみ 4年目に突入!! 


■2000年11月30日(日曜日)
 イラクで日本人の外交官2人が殺害された。今の時点では日本人が狙われて 起きた事件なのかどうかはわからないが、外国人目当ての殺害にはちがいない。 別のところでは、韓国の人が2人、また別の場所ではスペインの情報機関員 が襲撃され、7人が殺害された。昼間でも外を出歩けない。イラク国民でさえ、 同じ状況なのだから、目の前にいる人がテロ犯なのかもしれないという状況で、 人が信用できなくなるのでは、と思う。みんなが安心して暮らせるように どうしてならないのだろう?

■2000年11月29日(土曜日)
 H2Aロケットの打ち上げが失敗した。前回の打ち上げ失敗後、5回連続で 成功し、これで日本の宇宙業界の信用は回復したと思われていたので、また 振り出しに戻った感じ。
 今回の打ち上げは、一時期議論の的になった偵察衛星の機能を備えた衛星を 乗せていたということで、かなりお金もかかっていたらしい。細心の注意を はらって打ち上げているはずなのだから、ロケットを宇宙へもっていくと いうのは、本当に難しいことなのだと思った。
 中国が有人宇宙船を打ち上げて、ずいぶん遠くへ行ってしまったきがする。

■2000年11月28日(金曜日)
 昨日練習で坂を使ったヒルトレーニングをやったためか、足の裏が痛い。 見た目は問題ないが、足の裏が腫れて土踏まずが全部地面についているような感覚。 普通に立っているだけでもつらい。まったく走っていなかったためだということは わかるが、1日の練習でここまで疲労がくるとは思わなかった。練習中は、 それほど追い込んでいなかったので、何でだろう?という感じ。疲労を回復するために また練習をやめるか、軽くするかしなければならない。

■2000年11月27日(木曜日)
 横浜銀行で、偽造された新500円硬貨が見つかった。旧500円硬貨は偽造や変造が 多かったので、財務省は偽造防止技術を取り入れて2000年8月から新硬貨を流通させ、 この事件までは偽造のニュースはなかった。今回見つかった偽造硬貨は 大半の自動販売機では使えないらしい。
 とにかく、偽造された事実があるのだから、またいたちごっこが始まったのだと言える。 以前500円玉の使えない券売機や自販機に腹の立ったことがあったが、また同じような ことが起こるかもしれない。普通考えないでいいことに頭を悩ませないといけないことが 多いような気がする。自販機でおつりに変造500ウォンが出てきた時のショックは 今でも忘れない。頑張れ財務省。

■2000年11月26日(水曜日)
 NHKでガンジーについての番組を見た。「敵を許すことは敵を罰することよりも 気高いことだ」という言葉が印象に残った。彼は、とにかく非暴力を貫いた。殴られ続けても 敵を許し続け民衆を動かした。憎しみは憎しみを生むだけなのは誰もがわかっていること なのにそれが直らないのが今の世界情勢なのかなぁと思う。歴史は繰り返されるっていう ことがよく言われるが、今の緊迫した世界の雰囲気は治まる日がくるのだろうか?
 日本では国会でいろんな議論が起きている。特にイラクに自衛隊を派遣することや 年金のこと。与党は同じコメントを繰り返し、野党はひたすら与党批判。どっちもどっち。 そんな発展のない議論(議論なのか?)を続けても意味がないんじゃないかと思う。 野党は、与党をただ批判すればいいというものではないと思う。与党の政策をよく分析し、 こうやったら改善するのではないか、というような建設的な意見を提案してほしい。 頭のいい国会議員の先生が集まっている場なのに、なんで批判するだけで、改善策が 一つも出てこないのぉ?とニュースを見ながら妻は嘆いていた。

■2000年11月25日(火曜日)
 学生の試験の試験官を頼まれて、試験官をした。試験官をするのは初めて。試験中は ただ、学生を見ているだけで、暇で仕方ない。
 始める前に問題用紙の枚数を確認して、間違っていたら申し出るように言ったのに、 試験時間が半分過ぎたくらいで、1枚足りないと言い出す者が3人いて、受け身な立場 だと、人の話を聞いているようで全然聞いていない場合があることを認識した。普段の 授業でも必ずそういう人がいるはずなので、全然聞いていない人がいるということをよく 認識して、受け身な人たちに対しては、話は何度も繰り返して言った方がいいのかなぁ と思った。

■2000年11月24日(月曜日)


1ヶ月と5ヶ月です
 陸上仲間の渡辺さんが相模原から遊びに来てくれた。昨年から遊びに来て ください、と言っていたので、妻と2人とても楽しみにしていた。なぜ 楽しみだったかというと、渡辺さんは、遊びに行く時にはティラミスを 作って持っいくよと言ってくれてたから。いつも材料までこだわって デザートを作る凝り性らしく、甘い物好きの和泉家は大歓迎だった。
 午前中のうちに渡辺さんは来てくれ、午後からは2件隣の官舎に住んでいる 森家も遊びに来てくれた。森家も6月に子供が産まれたばかりで、うちとは 同学年。産まれたのが4ヶ月違うだけで、体の大きさが随分違っていた。 しかし意外と手足の大きさが変わらず、うちの子供は手足だけは大きいことが よくわかった。
 森家が来たところでみんなでティラミスを食べた。とろける触感でおいしかった。 しかし赤ん坊が2人もいるので話題はティラミスよりも赤ん坊のことになって、 ティラミスの存在は薄かった。
 うちの子供は、ほとんど泣くこともなく、2度も、オムツからあふれそうなくらいの 大便をしてくれて、お腹も機嫌も絶好調だった。

■2000年11月23日(日曜日)


神社にて
 子供が産まれて1ヶ月経ち、自分の両親が岡崎から孫の顔を見に来てくれるのに 合わせて、妻の両親も来てくれ、地元の神社へお宮参りに行った。
 神社の宮司さんが「かしこみ、かしこみ」とかいいながら、儀式を執り行って くれた。太鼓を叩いたりするので、子供は驚いて泣くのかと思ったが、全く動じず、 ずっと寝たままだった。
 子供は家の中にいるとよく泣くが、来客があったときや、外出をする時には、 いつも泣かずに機嫌をよくしている。なかなか聞き分けのいい子じゃないか、と 自分たち親は勝手にそう考え喜んでいる。本当のところはどうなのか・・・

■2000年11月22日(土曜日)


肉離れのテーピング説明中
 昨日からジョッグを再開したばかりで、さっそく陸上班の朝練に参加した。普通にジョッグ するだけなら、問題はないだろうと思って走り始めたが、朝だったからなのか、昨日よりペースが 速かったからなのか、集団について走るのが、本当に苦しかった。我慢して50分間を走り 切ったが、かなりのダメージだった。2週間のツケは大きい。
 今日は午前から江戸川橋にあるニチバンで行われたテーピング講習に参加。テーピングは 心肺蘇生と同じで、何度やっても身に付かないという印象があるので、何か一つでも身につけば いいなぁと思って臨んだ。
 講習会は、始めにテーピングに関する知識を講義してもらい、テーピングの切り方を習った。 テーピングは使い放題なので、何度も何度もテーピングを切って、テーピングをひたすら 消費し、自信を持って切ることができるようになった。
 一番時間を割いたのが足の捻挫に対するテーピングの実技。皮膚を守るために始めに 巻くアンダーラップは特に苦戦した。うまくしわが出来ないように巻くのが難しい。 これも繰り返し練習することによってかなり向上した。今の時点では、捻挫の テーピングをやってくれと言われれば喜んでやるが、これが1週間、2週間と時間が経って ゆくと、そう答えられないかもしれない。定期的に練習をした方が講習会に出た意味が あるのかなぁと思った。
 参加者は男女半々くらいで、年齢も10代から60代近くまでと幅が広かった。それだけ、 この分野へ関心が世の中に広がっているのかなぁと思った。

■2000年11月21日(金曜日)
 捻挫の痛みがなかなか改善せず、困っている。2週間も動かないと復帰した時の ダメージが大きいので、テーピングをしてジョギングすることにした。2週間ぶりに ジョギングをすると、自分が今までどういう風に走っていたかがわからなくなっていた。
 久しぶりに走るので、ゆっくりと60分くらい走ろうと思っていたが、石神井公園まで 行って戻ってくると85分走っていた。行き先が遠すぎた。いつもだったら60分で 帰ってくるのだが、いつも通りにはいかなかった。長く走った割には疲労は少なかった。 これから少しずつ強度を上げ、12月中旬のレースにつなげたい。

■2000年11月20日(木曜日)


音楽祭りリハーサル中
 この1週間くらい、職場の体育館では自衛隊音楽祭りの練習が行われている。 自衛隊音楽祭りは、毎年この時期に日本武道館で行われ、陸海空自衛隊の音楽隊が 中心となって、米軍と韓国軍の軍楽隊も参加するイベント。
 今年の音楽祭は今週末に行われるため、最後のリハーサルを行う日だったらしく、 午後からは、体育館から絶えず大音響が聞こえてきた。
 以前、日本武道館へこのイベントを見に行ったことがあったが、出演者が多く、 いろいろな種類の音楽やダンスなどをやっていて楽しいなぁと思う反面、 何か物足りなさを感じた気がする。今回もリハーサルを一部見ることが出来たが、 やっぱり何か物足りない感じがした。何かはわからないが、今後もっと内容が よくなってゆくことを期待する。

■2000年11月19日(水曜日)
 月曜日から当直で、家に帰れない。妻と子供がやっと家に帰ってきたのに、 自分がいないので、帰ってきたことによって、妻の負担が増えただけ。1日中 赤ん坊と2人の生活だから、大変なことだと思う。
 今日は午前2時から4時まで駐屯地内の巡察があり、自転車で駐屯地の中を 回った。巡察中何事も起こらなかったが、今の世界情勢を考えると、いつ何が 起こるかわからないので、緊張しながら回っていた。夜中は日中と比べて格段に 寒くなるんだなぁと思った。

■2000年11月18日(火曜日)
 バレーボールワールドカップが盛りあがっている。というよりも無理矢理盛り上げられて いる。最近テレビのスポーツ中継は、アナウンスが不必要にうるさい。世界陸上の時も そうだったが、そのスポーツに関して知識のない人たちが知ったかぶりで出てきて、だた 大声を張り上げて喜んでいるところを映している。視聴率を取るには、そのスポーツの 中継をするよりも芸能人を出す方がいい。なんかスポーツ中継の意味がない。やっぱり スポーツ中継は、CMがなく、専門家が的確な解説をするNHKが一番。もっとNHKで 質の高いスポーツ中継をしてくれないものか・・・

■2000年11月17日(月曜日)
 昨夜は初めて子供と一緒に寝た。夜中に2回起こされた。そのたびに妻は 素早く対応し、感心した。1ヶ月間子供と一緒にいるだけで、泣き声で、 子供が何を言おうとしているのかわかってくるという。それまでは一心同体 だったのだから、それも不思議ではないのかもしれないが、自分には全然 聞き分けができないので、やっぱり不思議だ。

■2000年11月16日(日曜日)


遊びに来てくれた柵木夫妻と
 東京国際女子マラソンがあるため、都内での交通規制が始まる前に、妻と子供を 車に乗せて官舎へ戻った。今日は、雨上がりで天気がよく気温も高く、車の窓を しめていると車の中はかなり暑かった。外の空気を入れると排気ガスが入るし、 冷房を入れるほどでもないので、車内は暑かったが窓を閉め我慢して帰ってきた。 ディーゼル車の後ろは窓をしめていても黒いガスが入ってきそうでイヤだった。
 東京国際女子マラソンは、そんな汚い空気の中で走らなければならない。アフリカの 選手は、なんとなく空気のきれいなところに住んでいるイメージを持っているが、 走っていて排気ガスの影響はないのだろうか?
 今日のマラソンは、高橋尚子さんのためだけのマラソンで、間違いなく彼女が 勝つと思っていたが、結果は意外だった。高橋さんはこれまでにないほど、調子が よかったためか、前半からかなりのスピードで入ってゆき、後続との差をどんどん 開いていった。しかし後半になり、ペースが急激に落ち、35km過ぎにはアレム 選手に抜かれ2位になり、2時間27分台という予想もできないタイムでゴールした。
 どんな強い選手でもレースをなめてかかってはいけないということがよくわかった。 調子がよくてもマラソンでは後半のことはわからない。世界選手権で優勝した デレバや3位になった千葉のように前半は流れに負かせて後半で勝負というのが 確実に勝つための戦略なのだと思う。それから考えると、世界記録保持者の ラドクリフは本当にすごい。

■2000年11月15日(土曜日)
 妻の実家へ行き、1週間ぶりに子供を見た。見るたびに大きくなっている。 1ヶ月前と比べて体重は1.5kg、身長は5cmほど増えている。食料は 母乳かミルクだけ。赤ん坊が母乳やミルクを飲む姿を見ていると、食料と いうよりもエサにちかい。なんでこれだけで大きくなるのが不思議でたまらない。 それほどにこれらの液体には栄養が入っているのか?
 2〜3時間おきに授乳しなければならないので、常にエサを口に入れているような もの。その分出てくる尿の量も半端じゃない。いまのところオムツを替えるのも それほど苦ではないが、これが毎日積み重なると相当な回数になる。母親は子供の世話で ストレスがたまるというがその通りだと思う。出来るだけ妻の負担が少なくなるように しようと思う。

■2000年11月14日(金曜日)
 捻挫をして1週間。痛みは引いてきているはずだが、まだまだ痛む。走ると地面との 衝撃で、治りが悪くなるのではないかと思って、この1週間足を使う運動は控えてきた。 足が使えなくてもその他の部位は使えるからトレーニングは出来るはずだが、 なかなかそれが出来なかった。どうもやる気が出てこない。これではまずいと思い、 久しぶりに全身を動かした。
 内容はサーキットトレーニング。テーピングで捻挫の部位をいくらか固定した。 久しぶりにやった割には、体が動いた。というよりも、ずっと体を休ませていたので 動いたと言った方がいい。1ヶ月後には5000mの記録会にエントリーしている。 少しずつ動かして、5000mが走れるコンディションへ持ってゆきたい。

■2000年11月13日(木曜日)
 自衛隊は、幹部になるとだいたい2〜3年に一度の割合で転勤がある。基本的には 自分の専門職種というものがあり、転勤しても似たような仕事に就くのだが、 時には、全く関係のなかった仕事に就かなければならないこともある。うちの職場でも 運動に全く関係していなかった人が、転勤によって突然、運動について考えなければ ならなくなり、困っているという場面があった。知らないことをいかにも知っているように 振る舞わなければならないというのは見ていて気の毒。
 転勤は、イヤな上司に当たった時には、2,3年我慢すれば関係なくなるというメリットも あるが、全く知らない分野の仕事を任されることになった場合は、相当な苦痛が伴うという デメリットもある。転勤によって多くの職場を見て、全体を把握できるようにすることも 大切だが、一つのことに長けたスペシャリストを作ることも必要なのではないかと思った。

■2000年11月12日(水曜日)
 今月分の給料明細が自分の手元に届き、給料が下がったことを知った。 また扶養手当も下がっていた。自衛隊に入ってから基本給は下がる一方。 ボーナスに関しても下がる一方。しかし、階級が上がっているので、もらえる 金額は少しずつだが上がっている。階級が上がらなくなった場合は、たまらない。 公務員だからローンを組むにも信用があるので、お金を借りた人がたくさんいる だろうに、人生なかなか計画通りにはいかない。
 今の世の中、長期ローンは危険なのかもしれない。

■2000年11月11日(火曜日)
 日本の喫煙率が8年連続で低下し、過去最低を更新しているという。このうち、 男性は前年比0.8ポイント減の48.3%、女性は同0.4ポイント減の13.6%。
 体育学校は運動するところということで喫煙率は低いが、一般に自衛官は、喫煙率が 高く、自衛隊の中で暮らしていると喫煙率が下がっているようには見えない。しかし、 自衛隊の外に出れば、以前よりも喫煙場所は減ってきて、どんどん喫煙者は住み づらくなっている。日本たばこ産業は、喫煙率の低下は増税と不景気が影響して いると言っているが、こういう環境作りも喫煙率の低下に寄与しているのでは ないかと思う。あとは、日本人が健康志向になってきているのが一つの要因に なっていると願いたい。

■2000年11月10日(月曜日)
 昨日の夜からテレビは選挙結果ばかり。自民党では、重要なポストにいた人が落選したり、 社民党の土井党首も地元の選挙区では当選できず、比例代表で選ばれていた。そうかと 思えば、議員を辞めた人がまた復活当選したり、かなりおもしろかった。
 民主党は、議席を選挙前よりも40議席増やしたというから、頑張ったなぁと思う。 でも与党3党で過半数を上回り、今まで通りの政治になる。結局、有権者は、 いろいろと政治に文句を言っても、変わらないこと、つまり安定を求めているのかもしれない。 しかし、投票率は6割を下回り、戦後2番目の低投票率だったので、何とも言えない。
 選挙と同時に行われた最高裁判所裁判官の信任投票は、全然目立たないが、昼の NHKニュースでは、全員信任されたと言っていた。自分も信任したが、彼らがどういう 人なのか全く知らない。新聞などを見れば載っているのかもしれないが、全く見る 機会はなかった。大半の人が自分と同じだったと思う。もう少しアピールの場が あればいいのに・・・と思った。

■2000年11月9日(日曜日)
 体育学校では創立42周年記念式典があり、外部の関係者を招待して会食があった。 外からの招待者は、それぞれの種目の連盟の人であったり、体育学校のOBであったり、 とにかく体育学校に関わる多くの人が招待されていた。接待する側の自分たちは、 その招待者のことをほとんど知らないので、自分の席にその招待者を連れてくるのに 困った。顔写真でもあればいいのに・・・と不満を漏らす人もいた。
 一番不満が多かったのが、会食の食事。ビュッフェ形式になっていたが、体育学校で 生活し、運動で飯を食っている選手達にはあまりにも量が少なすぎた。新しい料理が 出るたびに取り合いに近い状態。食べられなければ飲むしかないとばかりに飲む人も いたかもしれないが、大半の人は食べたかったはず。
 とにかく、こんな不満も選手がオリンピックにたくさん出て、メダルでも取れば どうでも良いこと。一人でも多くの選手がアテネへ行けるよう願っている。

■2000年11月8日(土曜日)


表彰式
 父の姉が水墨画を習っていて、水墨画展が池袋であり、表彰式があるということで わざわざ四国からやってきた。今までに水墨画展を見たことがなかったので、その 表彰式と展示場を見に行った。
 この水墨画展は、通信教育を受けた人が出品して優秀賞から入選まで、3000名を こえる人が表彰されていた。ほとんどは、年輩の方で、90歳以上の人は、参加しただけで 努力賞ということで表彰されていた。自分のおばさんは佳作。表彰式には全国から 人が集まってきているので、表彰されるまでにはかなり時間がかかった。
 展示場は、サンシャインシティ内の会場が2カ所使われていた。3000展をこえる 作品を見るのはなかなか辛く、一つ一つ見たかったが、途中であきらめた。優秀な作品は、 墨だけで描いたとは思えないようなすばらしい表現をしていた。特に雪の感じを出している 作品が気に入った。

■2000年11月7日(金曜日)
 29回目の誕生日を迎えた。初日から自分にとっては好ましくないことが起こった。 まずは、練習中に捻挫。どこかにつまずいたわけでもなく、走っていて、右足が着地する ときに、足が内反(足裏が内側に向く)しすぎて、そのまま着地してしまった。 一瞬だったが、かなり伸ばされた。すぐに近くの水道の水で冷やし、その後も氷で 冷やし、圧迫、挙上もしっかり行った。痛みは出たが腫れは抑えられた。明日朝起きた 時にどうなっているか?腫れていなければいいが・・・休めってことかなぁ・・・
 もう一つ好ましくないことは、大学院の合格通知は来なかったこと。ペーパー試験 のできが悪かったみたい。どうにかなると思っていたが、どうにもならなかった。 こちらはまた挑戦すればいい。
 パートタイムアスリートも11月から4年目に突入した。競技力はだんだん落ちてきて いるが、あきらめず向上目指し頑張りたい。

■2000年11月6日(木曜日)
 夜のテレビは野球のアジア選手権日本対台湾とワールドカップバレー女子の 日本対アメリカが重なって、同時並行で見ていた。この時間帯は、この2つの 番組が視聴率争いをしているんだろうなぁなんて思って見ていた。
 野球は、上手くヒットがつながり、こまめに得点していき、気がつけば、 圧倒的な差がついていて、予想していたほど接戦にならなかった。反対に バレーは、接戦しているようで結果的にはアメリカにあっさり負けてしまった ように見えた。どちらもオリンピックの出場権を獲得するための試合だが、 とても対照的だった。
 夕方には相撲の元横綱曙がK−1に参戦するというニュースもあった。 NHKの手話ニュースでも放送するくらいだから、結構大きな話題だった のかもしれない。外国人ということもあって日本相撲協会とうまく行かなかった から退職したのかなぁと勝手に思った。

■2000年11月5日(水曜日)
 最近は意外と気候がよく、過ごしやすかったため、あまり季節のことを 考えていなかったが、朝の職場清掃で外に出た時、落ち葉が大量に落ちていて、 もう秋なんだなぁと思った。イチョウは完全に黄色になっているものも あれば、すべてがまだ緑色のものもあって、隣同士で色が違っていたりする。 掃除は当分落ち葉拾いになりそう。焼き芋が食べたくなってきた。

■2000年11月4日(火曜日)
 週末が仕事で衆議院選挙に行けないので、和光市市役所で不在者投票をした。 妻も実家からまだ帰ってきておらず、自分と同じように選挙の投票ができないので、 どうやって不在者投票をすればいいのか投票所の人に聞いたが、本人が投票に来ないと 投票は出来ないと言われた。なんかおかしい。投票する意志があって、たまたま 投票日に投票所へ行けないと事前に申し出ているのに、投票できない。タダでさえ 投票率が低くいというのに、投票所がこういう対応では、投票率が上がるわけがない。 事前に申し出ているのだから、本人を確認できるような処置をして、郵送で投票が できるようにしてくれてもいいのではないか。がっかりだ。

■2000年11月3日(月曜日)


スタート直後(森、和泉)



400m通過



450m付近(笹野、和泉)



森、和泉、川上、笹野
 浜松中日カーニバルに3年ぶりの出場。3年前は体育学校所属での最後の800mだった。 もう2度と走れない大きな大会だと思って走った覚えがある。3年経って、パートタイム アスリートをしながら出られる大会だと思っていなかった。この大会は4年前に日本記録 保持者の小野さんを破って自己ベストで優勝した大会。未だに自己ベストはこの大会で出した 記録。本当に戻ってこられてうれしかった。
 今回800mは7人が出場、7人中5人が今年の日本選手権決勝進出者で、自分を含めた 5人は自衛隊。全員知り合いだが、自分が弱くなって、最近はなかなかこのメンバーと一斉に 走ることはできなかった。今回は、ペースメーカーを頼まれての出場で、500mまでうまく 引っ張ることが仕事。一昨日の調整走のときに考えた通りに走れば十分役目を果たせると 自信を持って臨んだ。
 スタート直後から、笹野(富士通)が積極的に飛ばしていったので、ペースメーカーの 自分が遅れてはまずいと思い、ペースアップ。100m通過は12秒5。100mから 200mまではスピードは安定し、200m通過は24秒7。出来るだけ、ピッチが 速くならないようストライドを広くし大きく走り、いつもより楽に走れた。
 400m通過は52秒1。あと1周走れてしまうのではないかと思えるくらい余裕が あった。日本トップクラスの選手を後ろに従え、先頭を走るというのはとても気持ちいい。
 450m付近から急激に疲れがきて、動きが悪くなり、考える間もなく頼まれていた 500mまできた。500mからは後ろの人たちの邪魔にならないようアウトレーンに 出て走り、自然とスピードが落ちた。600mに行くころには、全員に抜かれ、あとは ジョギングのような走りで、苦しみながらゴールまで向かった。
 先頭は、中野(大塚製薬)と笹野(富士通)の争いで盛りあがっていたが、こちらは 体が固まってそれを見ている場合ではなかった。
 1 笹野浩志(富士通)       1’49”24
 2 中野将春(大塚製薬)      1’49”63
 3 森 祥紀(自衛隊体育学校)  1’49”89
 4 三澤 望(自衛隊体育学校)  1’50”34
 5 川上弘章(自衛隊体育学校) 1’50”74
 6 鈴木尚人(自衛隊体育学校) 1’51”89
 7 和泉憲昌(アンビバレンス)  1’58”46

■2000年11月2日(日曜日)


実家近くの紅葉



足立夫妻と
 午前中は高校の同級生と久しぶりに会い、岡崎市内をドライブ。岡崎に来ないうちに 知らない建物がたくさん建っていた。たまたまドライブしていたところが、トヨタ自動車 奥田会長の家の近くだというので、見学しに行った。奥田会長の家は、それ程大きくなかったが、 家の前には警備員が一人立っていた。天気はよく気温も高く、1日中家の前で立っているのは、 相当苦痛だろうと思った。
 午後からは、家の近所にあるコンドースポーツへ行き、靴の中敷きを自分の足形に合わせて 作ってもらった。作ってもらうといっても機械がプログラムされたように中敷きを削っていき、 あとは自分の好みに合わせて調整してもらうだけ。足のアーチが右と左で5mmの差があり。 右のアーチは高すぎて疲れやすいことがわかった。
 夕方から浜松へ移動。浜松では、奈良の幹部候補生学校で同期だった足立さんと会った。 駅まで迎えに来てくれ、足立夫人とも初めて対面した。足立夫人はこのHPをちょくちょく 見ていて、自分と初めてあったような気がしないと言っていた。足立さんと会うのは自分の 結婚式以来。今回は出産祝いをもらってしまった。こういう時ばかり自分と会う足立さんは お祝いばかり出すことになってしまって気の毒な気がした。またよろしくお願いします。

■2000年11月1日(土曜日)
 午前中は調整走。400mを走った。明後日のレースを想定して、400mを 52秒で回るように走り、500mまでは持ちそうな感覚で終わった。3年前で あれば、そのまま余裕を持って走れたが、今はあまり余裕がない。ピッチが速く、 ストライドが短いので、もっと大きな走りをした方がよいと思った。
 午後からは妻の実家へ行き、子供に会った。1週間前と比べると、顔が大きく なっているように感じた。毎日何か変化があるようで、日々成長している ことが一緒にいるとわかるらしい。
 子供との対面はそこそこに、自分の実家へ向かった。8月は当直で夏休みが ほとんどなかったため、岡崎へ帰るのは久しぶりだった。



[昔のいずみ]