最近のいずみ

Last Update:2003/2/28

パートタイムアスリートいずみ 3年目に突入!! 


■2003年2月28日(金曜日)
   陸上幕僚監部(陸自で市ヶ谷勤務)の人たちの体力測定をした。授業で 体力測定実施法という項目ががあるため、実際に自分たちで仕切って体力測定 を行った。
 陸上幕僚監部の人といえば、陸上自衛隊の中枢部で働いている人たちで、 基本的には、運動する機会がなく、デスクワークをしているというイメージが ある。実際に体力測定に来た人たちは、イメージ通りで、運動とはほど遠い生活を しているようで、測定中は辛そうだった。
 陸上自衛隊の体力測定は、2分間の腕立てと腹筋、そして3000m。これを 全員共通で行って、40才未満はその後に、走り幅跳び、ソフトボール投げ、懸垂を 行って終了。  腕立てと腹筋は、時間が2分あるが、2分間動き続けられる人はほとんどいなかった。 自分がやっても同じ結果になると思う。あまりにも時間が長い。休憩時間も長く、 たった3種目だけで2時間近くかかった。
 3000mが終わった後は、咳が出たりむせている人が多く、普段運動を行って いないことがよくわかった。後半の測定になると夕方になってきて寒くなり、 身体も動かなそうだった。最後の懸垂は1回もできない人がたくさんいて、驚いた。 あまりにも力がないように思えた。陸上自衛隊というイメージからは考えられない 状態だった。仕事はとても忙しいのだと思うけど、健康の基盤となる体力がなければ、 仕事もできなくなってしまうのでは?と測定しているこちらの方が危機感を覚えてしまった。

■2003年2月27日(木曜日)
   いつもよりも授業数が多く疲れた。体育指導者育成課程なので、それぞれが 教育実習として教官をするため、1つの授業時間で2人が授業をした。2つの 授業時間で持続走、サッカー、持続走、ラグビーという忙しさ。それぞれの種目を はじめるたびに準備体操から入るので、それだけで疲れた。
 捻挫がひどくなってきた。鉄棒で痛めた手首も日増しに痛くなってきた。無理はダメだぁ。

■2003年2月26日(水曜日)


先頭走ってます



表彰後
   持続走の最終授業として、15kmのロードレースがあった。朝霞駐屯地の 隣にある根津演習場で、1周約3.6kmのコースを使って行われた。
 参加者は体育指導者養成課程の自分たちと、持続走指導者養成課程に入っている 人たち約60名。天気は良く、風もなく、走りやすい気候だった。
 スタートは誰かが先頭に飛び出すものだと思っていたが、思うようにはいかず、 スタートから自分が一人先頭で走っていた。1kmを3分20秒を切るくらいで 走りきろうと考えていたが、入りの1kmは3分08秒。少し速かったが、全く 辛くなかったので、12秒も貯金ができてラッキーという感じ。
 5kmまでは先頭は一人で、10m〜20m後ろに第2集団があった。5kmの 通過は、16分21秒。5kmを過ぎたところで、持続走教育の人が2人飛び出して、 自分は3番手になった。そこからはまた一人で我慢の走り。
 6kmから7kmで3分21秒にペースが落ちたが、その後は持ち直し、少しずつ ビルドアップさせ、11kmで2番の人に追いついた。13kmまでは併走したが、 14kmでスパートされて、また3番手になった。しかし、差はそれほど広がらず、 差が開かないように我慢し、残り200mでスパート。2番手との差を詰め、 最後は5秒差をつけゴールした。
 ゴールは48分33秒。歴代記録を1分02秒上回った。1位の人は47分台。 表彰は、持続走教育とは別だったため、1位ということになった。なんか複雑・・・

■2003年2月25日(火曜日)
   ハンドボールの授業は、試験とゲームだった。試験は、パスと2種類のシュート。 授業は5回目で、4回目の授業がずいぶん前だったため、パスやシュートの方法が わからなくなっていた。試験は、結局パスがうまくできず、シュートも指定された 場所に決まらず、消化不良で終わってしまった。
 その後のゲームでは、シュートを決めて気分良くやっていたが、突き指しそうになったり 危ない場面がいくつかあった。そして最後にコンタクトプレーが続いて捻挫した。腫れはなく、 足を地面につけると少し痛みがある程度なので、ひどくはないが、やっちゃったぁという 感じ。だいたい球技をすると、捻挫をする。10月に体育学校に入ってから、 1回はするだろうなぁと思っていたが、やっぱりなってしまった。
 明日は15kmロードレース。走れるかどうか・・・治れぇ!!

■2003年2月24日(月曜日)
   歯医者の日がやってきた。先週歯医者へ行った日からずっと歯の痛みは取れず、 食事をする度にしみるようなイヤな痛みがあった。「痛みがあれば、我慢せず、すぐに 来てください」と先生に注意された。先週の話では、神経は抜かなくて済むということ だったのに、結局神経を抜くことになってしまった。また麻酔をして、歯を削られ、 今回入れるはずだった金属は、次回入れることになった。当分、食事は片側の歯で 噛まなければならない。片方でずっと噛んでいると顔が変形してしまうのではないかと 不安になってきた。

■2003年2月23日(日曜日)
   体育学校で自分の入っている幹部体育専修課程では、自分の職場で役立つ、運動に 関する研究をするという課題がある。そしてそのレポートと発表用のパワーポイントの 提出期限が月曜日のため、1日中パソコンに向かっていた。11月くらいから、課題が あるのはわかっていて、やらなければいけないと思っていたが、結局ギリギリになるまで 自分の課題を決められず、追い込まれる羽目になった。子供の夏休みの宿題と一緒で、 昔からギリギリにならないとはじめられない。しかも月曜日は試験が5科目もあり、 泣きそうだった。レポートとパワーポイントは何とか仕上がったが、試験の勉強は やりきらなかった。必然的に試験の勉強は明日の朝が勝負になった。

■2003年2月22日(土曜日)
   今週1週間は陸上班の長距離に混じって朝練をやった。朝練は60分ジョッグだが、 長距離のジョッグは速く、ジョッグではなく、自分は、主練習なみの辛さ。昨日は、 45分しかついてゆけなかったが、今日は30分で撃沈。そのときのペースは3分40秒/km より速かったらしく、その後はもっとペースアップしたとか・・・。
 朝練から、息が上がり、身体が動かなくなるまで追い込めて、良い練習だったが、主練習が できないほどのダメージだった。主練習は1000m×5。設定は2分55秒だったが、 1本もクリアーできなかった。長距離は、30kmをやっていたが、朝練の影響は全くなく、 主練習も普通にこなしていた。長距離と中距離の違いを感じた。でも、自分の練習不足が 一番の原因かも・・・ 

■2003年2月21日(金曜日)
   部外講師講話があった。内容は「軍事史における体育」。題名からしてちょっと引いて しまいそうだった。現代の体育種目の原点の多くは軍隊の訓練にあるようで、欧米と日本 での発展の仕方の違いがおもしろかった。
 欧米では武器を使って、曲芸的なことをする。たとえば、西部劇などで、拳銃をクルクルッと 回して腰にしまったりする。これは、いかに自分が拳銃の使い方に慣れているかを示すもので、 相手を威圧するものでもあった。
 日本では、武器は神聖なものとして、サーカスのような曲芸的なことはしない。自衛隊でも 銃を振り回していたら、怒られてしまう。
 武道の発展の仕方は、方向を間違ってしまっているのではないかという話もあった。 剣道では、防具をつけるようになってからは、防具のあるところしか打てなくなった。そこに 入らないと1本がとれない。真剣で戦うのであれば、生きるか死ぬか。防具ありなしは関係ない。 結局防具が入ったことにより、安全にはなったが、武士が本来必要とした実用からは離れてしまった。  ところどころなるほどと思う話があったが、眠気に耐えるのが必死という講話だった。

■2003年2月20日(木曜日)
   鉄棒の最後の授業があった。前回、後方支持回転と、前振りとびおりをやって、 すべての授業で習う技術は終わり、今回は、前半は練習、後半は試験だった。
 試験は、け上がりで鉄棒に上がり、前方支持回転で前回り、後方支持回転で後ろ回り、 そのままの勢いで前振りとびおりで着地するという一連の流れができれば満点という ものだった。できないものは、一つ一つこなすというものだったが、半分以上の人が 最初のけ上がりができなかった。自分も練習の時には3回に1回くらいの割合で け上がりはできていたのに、練習で疲れて、本番は全くできなくなった。他の技術も 同じ。
 救いは、何度も挑戦できたこと。あまりにも疲れていたので、みんなが頑張っている間、 ずっと休み、みんなが疲れて、挑戦する人がいなくなった頃に、最後の挑戦をして、 流れるような一連の動作はできなかったが、一つ一つの動作はできて終了した。
 前回金曜日からずっと手首が痛かったが、今回の鉄棒でさらに痛めた。水道の蛇口を ひねることができないくらい。箸をもつのもちょっとイヤなくらい。重傷だ。

■2003年2月19日(水曜日)
   アンビバレンス練習会に参加。最近は長い距離ばかり練習していて、速い動きを やっていなかったので、今日は短距離に混じって練習した。メニューは、400m+300m+200m+ 100m+200m+300m+400m。結構な量だった。
 はじめは、控えめに走っていたが、先頭のペースが上がってゆくので、ついてゆくこと になり、どんどん追い込まれた。最後の400mは脚が動かず、自分の身体なのに、 自分の身体でないような感じだった。
 そろそろシーズンへ向けて速い動きも取り入れていかなければならないと思った。

■2003年2月18日(火曜日)
   森林公園に行き、オリエンテーリングをやった。オリエンテーリングと言っても健康目的の ものではなく、今回は競技としてのオリエンテーリング。そのため、コントロール (チェックポイント)とコントロールの間は、ずっと走りっぱなし。
 スタートして、第1のコントロールでいきなり場所がわからず、地図を見てコンパスを見て 悩んでいるうちに、後ろの人に追いつかれ、2人で第1コントロールを通過したが、その後は、 山には入らず、ひたすら道路沿いに走ったため、それほど迷子にならず、第9コントロールまでは スムーズに行けた。  しかし最後の第10コントロールに行く途中で、道を間違え、自分の位置がわからなくなって 困った。たまたま第2コントロールを探している人と出会って、自分の位置がわかり、 とんでもない方向へ移動していたことが判明した。
 すぐに方向を修正して第10コントロールを通過し、ゴール地点へ直行。45分15秒。 結果は4位。良く走り回った。今までの最高記録は43分だそうで、今回のトップは40分台。 自分は第9コントロールで34分だったそうで、そのまま間違えていなければ40分は切って いたと、後から聞いて、惜しいことをしたと思った。

■2003年2月17日(月曜日)
   歯医者の日。行くたびに、新しい虫歯の治療をする。いったいいつになったら虫歯が なくなるのだろう?と思うくらい虫歯がなくならない。
 今回は、左上の奥歯を2つ削った。そして型をとって、次回はその型で金属を入れる。 それは仕方のないことだけど、治療が終わって、麻酔が切れてきたら、歯が痛んできた。 おなかが空いていたので、アーモンドチョコをつまんだら、さらにいたくなった。最悪・・・ 結局寝るまで痛みはなくならなかった。だんだんまともな歯が少なくなってきた。じいさんに なったときに、自分の歯が残っていないんじゃないかと不安になってきた。歯磨きが 大事なんだろうなぁ。

■2003年2月16日(日曜日)


2km通過(後ろは五十嵐)



一般男子12kmはリバス(ポルトガル)が1位、瀬戸(カネボウ)が2位
   第38回千葉国際クロスカントリー大会一般男子4000mに出場。朝から雨で、寒くて 気分はよくなかったが、ウォーミングアップの感じは良く、気持ちは12分で走る つもりで行けそうだったが、昨日までの感覚では12分30秒くらいで走れれば いいかなぁという感じで臨んだ。
 スタートラインについたのは32名。スタート直後から、ペースは速く、先頭は 1kmを2分39秒あたりで通過。自分は2分41秒。昨日の練習より早い入りだった。
 その後は、距離が全くわからなくなり、登りで苦しみ、下りではますます苦しみ、 少しずつ順位を下げていった。残り800mで最後の辛い坂があり、そこで体育学校の 五十嵐に抜かれ、順大の学生にも抜かれ、気持ちが切れかかった。登り切った後は、 緩やかな下りがゴールまで続くだけだったので、何とかこらえ、残り200mから スパートをかけ、2人を抜き去った。しかし、ゴール手前100mでまた2人に抜かれ、 落ち込みながらゴール。タイムは12分35秒で16位。
 2年前は12分29秒。そのときは1km過ぎの丸太で見事に転んでいる。それと 比べると、悪いが、今の状態では予定通りの走りができたと思う。これから少しずつ シーズンへ向けてスピードを上げてゆきたい。

■2003年2月17日(月曜日)
   歯医者の日。行くたびに、新しい虫歯の治療をする。いったいいつになったら虫歯が なくなるのだろう?と思うくらい虫歯がなくならない。
 今回は、左上の奥歯を2つ削った。そして型をとって、次回はその型で金属を入れる。 それは仕方のないことだけど、治療が終わって、麻酔が切れてきたら、歯が痛んできた。 おなかが空いていたので、アーモンドチョコをつまんだら、さらにいたくなった。最悪・・・ 結局寝るまで痛みはなくならなかった。だんだんまともな歯が少なくなってきた。じいさんに なったときに、自分の歯が残っていないんじゃないかと不安になってきた。歯磨きが 大事なんだろうなぁ。

■2003年2月15日(土曜日)
   午前中は最終調整。メニューは1000m。設定は2分40秒〜50秒。2分43秒で 走り、設定タイム通りに行ったが、結構辛かった。
 練習後、岡崎から高校の先輩が体育学校まで遊びに来てくれた。明日、飯能で行われる オリエンテーリングの大会に出場するのが目的だったが、近くなので遊びに来てもらった。
 日本のオリエンテーリングのナショナルチームの選手は5000mがだいたい15分30秒 位がトップなのだそうで、ヨーロッパの選手は14分の前半で走るということを聞いた。 これでは、走力だけで随分違い、勝負するのは難しい。後は、うまくルートを選定する 技術でカバーするしかないということだった。

■2003年2月14日(金曜日)
   授業でインターバルがあった。内容は100m×20。試合前なので、こういうトレーニング はしたくなかったが、授業なので仕方ない。走り始めると、中途半端にはできず、そこそこの スピードで走ってしまった。中途半端で走ると、返って疲労が溜まるので、自分では一番 疲れないように走ったが、短い距離でスピードを出すので、結構な強度になった。明日、明後日に 疲れが残らなければいいが・・・

■2003年2月13日(木曜日)
   六本木の平石クリニックへ1月の血液検査結果をもらいに行った。診察室へ 入って、先生の第一声は、「話にならないね」。血液検査をやる必要がないくらい ひどい状態だった。相変わらず、CPKという疲労の度合いを示す値が、すごい値だった。 また、肝機能を示すGOT,GPTも基準値より高く、肝臓の薬をもらった。
 その状態でどこも痛くないの?と聞かれたが、身体全体が辛いので、どこか痛いとは 答えることができなかった。トレーニングをしっかりしているわけでもないのに、 この状態だということは、授業で身体を動かすだけでかなりのダメージがあるということ。 疲労の自覚症状はあったが、客観的に見てあらためて疲労の状態はひどいということが わかった。

■2003年2月12日(水曜日)
   2週間ぶりにアンビバレンス練習会に参加。といっても自分は千葉クロカンの調整で、 一人で練習。メニューは1000m×3。タイムは3分でやり、全部3分を切って 走ったが、かなり辛かった。もっと余裕を持って走るイメージだったのに、どうもうまく いかない。後は、ちょっと休んで日曜日に備えたい。

■2003年2月11日(火曜日)
   狭山にある、フランスの大型スーパー”カルフール”へ行った。開店当初、カルフール 前の国道16号線は大渋滞で車が全く動かなかったと聞いていたが、今では渋滞もなく すんなりお店にはいることができた。
 カルフールは、巨大なショッピングモールというイメージを持っていたが、実際は、 小型のショッピングモールという印象だった。スーパーマーケットの部分は棚が大きく、 世界各国の製品も置いてあったりして、充実していたが、安いというわけでもなく、 何かを買おうという衝動に駆られることはなかった。イメージが先行して、いろんな お店が入っていて何でも売っていると思っていたが、期待しすぎた面があった。本を 買うつもりで行ったので、書店が入っていなかったのが、一番残念だった。

■2003年2月10日(月曜日)
   日本の死亡原因の第3位は脳梗塞と言われているらしい。40代では4人に1人が、 50代では3人に1人が、脳梗塞になってもおかしくないらしい。脳梗塞とは、 脳の血管が詰まって脳に血液がまわらなくなってしまうこと。脳梗塞になった場合、 どのような対処をしたら助かる可能性が高くなるか?という話をテレビでやっていた。
 答えは、倒れた人を毛布でくるみ、首をあまり動かさず、できるだけ暖かいところへ 移動し、気道を確保するために横向きに寝かせ、あごを少し上げ気味にするということ だった。脳内出血や、くも膜下出血のときにも同じことが応用できるらしい。 内容は簡単なことだけど、実際その場面に遭遇したら、できるかどうか・・・
 赤十字の水上安全法救助員の資格取得のための講義を受けているが、人工呼吸や 心臓マッサージを実際の場で本当に自信をもってやることができるか?と言われたら、 なかなか自信を持ってYESと言えない。そういう場面がないことが一番良いが、 そういう場面に出会ったときに自信を持ってやれるようになりたい。

■2003年2月9日(日曜日)
   東京国際マラソンをテレビで見た。ヨーロッパ遠征へ一緒に行った油谷くん、 三代くん、野田くんが出場していたこともあっていつも以上に注目のレースだった。
 今回は、レース全般でペースが一定せず、全員が苦しむ戦いだった。その中でも 優勝したタンザニアのバヨはフォームを崩すことなく、最後まで走りきった。
 2位の油谷くんは30kmからのスパートでレースを動かし、積極性を見せていたが、 最後の坂で徐々に先頭から離れてしまった。2時間9分30秒で、見事2時間10分を切り 日本人トップなので、パリの世界選手権日本代表を勝ち取ったが、本人はもちろん、見ている 方も1位でゴールしてほしかったので、残念な結果だった。
 3位は2時間10分11秒で最後まで粘りを見せた中国電力の五十嵐さん。相変わらずの 疲労が溜まりそうなフォームだった。
 4位は注目していた富士通の三代くん。タイムは2時間10分33秒。彼も最後まで よく頑張った。
 ホンダの野田くんは自分と同じ学年なので、特に応援していたが、結果は2時間15分55秒。 ちょっとふるわなかった。

■2003年2月8日(土曜日)
   練習は3000m、2000m、1000m。昨日は、疲労で身体が動かず、 朝練を6分でやめてしまい、何もできなかった。今日も疲労は変わらず、納得 できる走りができなかった。
 陸上班の主力は休みだったため、一緒に練習したのは、来週千葉クロカンに でる若手だけだった。そのため、3000mは自分がペースを作っていくことに なり、1000mまでは設定より良いペースで入っていけたが、その後はペースダウン。 2000m過ぎからは一番後ろについて、必死にゴールまで走った。残りの2000m、 1000mもただ後ろについて行くだけになってしまった。
 全部練習が終わったと思って安心してジョッグを400mしたところで、平田コーチから あと400m1本と言われて、すぐにスタート。スタートから遅れて、どんどん離された。 タイムは62秒。信じられないくらい遅い・・・
 若手について行くのも精一杯というか、ついていけなかったのが、ショックだった。 これ以上競技力が落ちると、競技者としてやっていくのは難しい。今年は陸上競技が 続けられるかどうか、本当に勝負の年になると思った。

■2003年2月7日(金曜日)
   いつものように朝起きてから朝練を始めたが、ジョッグをするのが辛く、6分ほどで、 走れなくなり歩いた。立っているのも辛いので、結局そのまま部屋に帰り、また1時間 くらい寝た。最近は、自分のトレーニングがあまりできず、授業だけで疲れてしまっている。 人からも顔が疲れていると言われてしまう。結構深刻なのかもしれない。

■2003年2月6日(木曜日)
   簡易競技の授業で、ニュースポーツのインディアカ、アルティメット、ソフトバレーボールを やった。
 インディアかは、バトミントンのダブルスコートで、バトミントンの羽よりは大きな、 ボールに羽がついたようなインディアカを使うバレーボール型のスポーツ。足を使って 相手のコートに返すことができるのかと思っていたが、それはセパタクローのことだった。
 アルティメットは、フライングディスクを使い、ゲーム進行はバスケットボール、 得点方法はアメリカンフットボールに似たゲーム。フライングディスクが一つあればできる とても手軽なゲームだった。
 ソフトバレーボールはバレーボールをソフトバレーボールにかえて、バレーボールを 行うというゲーム。ソフトバレーボールはバレーボールよりかなり大きく柔らかいので、 やったことのない人でも抵抗なく参加できる。
 どのゲームもルールはあるが、その場に応じてルールを変更し、みんなで楽しむことが できる。これが簡易競技の利点。スポーツを始めるときの導入には便利なものだと思った。

■2003年2月5日(水曜日)


大石監督と
   自衛隊体育学校陸上班監督、大石さんの退官パーティーが朝霞市民会館で行われた。 約80名の人が集まり、かなり大きなパーティーだった。体育学校の関係者が多かったので、 飲み放題、食べ放題だった。自分も2時間ずっと食べっぱなし。
 大石さんは自衛隊を35年間勤務されたそうで、体育学校にはその5分の1の7年間 勤務された。とても陸上が好きで、千葉では陸協の役員もしている。自分の好きなことに 関わった仕事ができるというのは、うらやましく思う。今後も陸上関係の仕事をされる そうなので、試合では会うこともあると思う。今後ともよろしくお願いします。

■2003年2月4日(火曜日)
   今日は立春だとテレビで言っていた。暦では春なのかもしれないけど、相変わらず 寒い。しかし、確実に日の出ている時間が長くなっている。1,2週間前だったら、 夕方の5時といえば、日は落ちて真っ暗で、練習のやる気をそぐような感じがあったが、 最近は、随分明るくなって、まだこれから練習をやろうかなぁという気にさせてくれる。 実際に練習をしているかといえば、していないが、日が長くなると、疲れていても 気持ちはかなり楽なような気がする。

■2003年2月3日(月曜日)


節分豆
   食堂で節分の豆が出た。それを見てはじめて今日が節分だということに気づいた。 2年前にも同じようなことを書いた。あのときは熊谷基地にいたとき。と言うことは、 自衛隊の食堂では、毎年、節分の時期になれば豆が出ていることになる。節分だからって 何かするわけでもないが、普段、何も考えずに仕事だけやっていたら、絶対に気づく ことなく通り過ぎていってしまうことを、フッと思い出させてくれるんだなぁと、 食堂の存在に別な面を見たような気がした。

■2003年2月2日(日曜日)


温泉のわき出る街−伊東
   昨日は、夜中の1時半まで騒いでいて、いつもよりも勢いよく飲んでいたので、 朝方気持ち悪くなり、5時過ぎに目が覚めた。その後は寝られず、5時半には起きて 散歩に出た。散歩は富戸港まで行った。3年前にはここでダイビングをした記憶が あってとても懐かしかった。
 伊東駅伝は朝9時半スタート。高校生はたくさんいたが、一般の参加は、滝ヶ原自衛隊、 三島走友会が2チームとアンビバレンスのたった4チーム。1区は6.0kmで、伊東の 市街地を抜けて山を登ってゆくコース。
 スタート直後は、三島走友会の選手が飛び出したが、1kmくらいで後退し、その後は3km 手前まで高校生が引っ張った。その辺りまでは自分もついて行くことができたが、 3km手前から滝ヶ原自衛隊が先頭に立ち、引き離された。3kmの中間点は9分01秒。 悪くなかったが、後半は上り坂がきつくなり、先頭がどんどん離れていき、見えなくなってしまった。 そして後ろから来た高校生2人に抜かれ、5番手で2区へのタスキ渡しをした。最後の 1kmは3分54秒。ひどすぎた。トータルタイムはだいたい20分05秒。過去2回の大会では 19分29秒と19分21秒で走っているので、それから比べるとかなり遅かった。
 アンビバレンスは、最終的に一般の部第3位に入った。普段走ってない人も走っていたので、 満足のゆく結果だった。

■2003年2月1日(土曜日)
   久しぶりに早稲田大学へ行き、練習。明日が伊東駅伝なので、最終調整で1000m を走った。風が強く、体は重く、たった1000mなのに、とても辛かった。設定タイムで 気持ちよく走るつもりだったが、かなり息を切らしながらやっとのことで設定タイムで 走りきった。とにかく辛い。明日が不安になる調整だった。
 グラウンドのフィールド内では、総合型地域スポーツクラブで、子供たちのラグビーを やっていて、とてものどかな雰囲気だった。
 昼過ぎからは、伊東へ向けて出発。約4時間で伊豆急の富戸駅に着き、クラブチームの 新年会に参加した。



[昔のいずみ]