最近のいずみ

Last Update:2003/4/30

パートタイムアスリートいずみ 3年目に突入!! 


■2003年4月30日(水曜日)
   朝練して、朝食を食べたあと、また寝てしまい、10時くらいに起きたが、そこから テレビをみてうろうろしている3時になってしまった。このままではまずいと思い、 光が丘まで1時間ジョッグに出かけた。
 試合まであと3日で、とてもだらけた生活でかえって疲れたため、夜は五反田の プレシャスプレイスに行き、身体の痛いところを診てもらった。その場では完全に 痛みがとれ、怠さもなくなりすっきりして家路についたが、結局電車で帰るうちに また痛みも復活してしまった。

■2003年4月29日(火曜日)
   日曜日に選挙が終わって、やっと静かになった。新聞で開票結果を見た。 和光市は、約30人が出ていて、約8割は当選。落選する人の方がすくないので、 落選した人のショックは大きいように思う。なぜ当選できなかったのか、 当選した人との差はなんだったのかということが考えてしまう。どう分析するのだろう?
 他の市議会選挙の結果も見たが、100票しか入っていない候補者がいたりした。 結局その市に100人ほどしか支援者がいない。自分でも100人くらいなら、なんとかなる ように思えるが、やっぱり難しいのかなぁ。一番少ない票で当選した人は、500票ほど だった。また、5票差で落選した人もいた。あと5人入れてくれれば、当選だったのに・・・ と思うと、悔しくてしかないだろう。たった5票でも当選と落選の差は大きい。1票の 重さを感じた。

■2003年4月28日(月曜日)
   午前中はサーキットトレーニングと4000mペース走。ペース走はそれほど早い ペースではなかったが、辛かった。ついていくのがやっとで、自分でやる練習というよりも 引っ張られてやらされる練習に近かった。
 午後はクロスカントリー。こちらは、徐々にペースを上げて、気持ちよく走れた。そして 最後に300mを走り、38秒台。クロカンをやったあととしては、かなり良いタイム。 少しは調子が戻って来たのかなぁっと思った。

■2003年4月27日(日曜日)
   全自衛隊サッカー大会があり、自衛隊体育学校も会場の一つとして使われたため、 体育学校のサッカー担当として出勤。朝7時からグラウンド整備をした。
 ライン引きが足りず、グラウンド整備に時間がかかり、試合開始に間に合わない のではないかと焦ったが、なんとか試合には間に合った。
 試合は予選の場合、前半35分で5分休憩し後半35分。後半の35分は、みんな だんだん動かなくなってきて、もがきながらゲームをしていた。自分たちのやるサッカーよりも サッカーらしいが、やっぱりプロのサッカーと比べると何か物足りないものがある。

■2003年4月26日(土曜日)
   600m×3をやった。前半300mは気持ちよく、後半は全力に近い走りをする という練習だったが、後半は全力で身体が動かなくなるような状況。試合では800m を走るので、600mで精一杯では試合は苦しくなってしまう。みんなが苦しんで 走っている中、森だけは、後半も気持ちよくスッと上げて練習をこなしていた。3年くらい 前までは、森と同じように走っていたのに、自分が体育学校を離れて、練習不足に 陥っている間に、森が随分遠くへ行ってしまったように思えた。

■2003年4月25日(金曜日)
   週末に市議会選挙があるため、官舎の周りで、選挙活動をする候補者がたくさんいる。 元自衛官の候補者は、毎朝駐屯地前の門で挨拶をしている。その応援者の人たちもいるので、 挨拶が多くて、挨拶を返すのにも困ってしまう。昼間は車や自転車で、名前を叫びながら 官舎周辺を回っている。妻は日中、選挙活動がうるさくて困っていた。赤ん坊がいたり 具合の悪い人のいる家庭では、うるさくてかなり迷惑を被っているのではないかと思う。
 選挙活動は結局政策を判断してもらうのではなく候補者の名前をいかに印象づけるか ということに意識が集中しているように見えて、意味があるのかなぁと思う。しかし、 政策中心の選挙活動はどうすればいいのか考えると、方法が思い浮かばない。選挙が ある度に考えてしまう。

■2003年4月24日(木曜日)
   明日卒業する学生の開いた謝恩会に参加した。今回の学生は、自分より6期下の 防大の後輩たちが中心で、たった6週間の教育期間の課程だった。自分が教育に つきあえたのは4月からの3週間。6週間前の体力状況はわからないが、今までに ほとんど運動をしてこなかった一般大学出身の人たちは、話しを聞いた感じでは、 かなり体力は向上したようだった。
 1人、一般大出身なのに、見たことのある学生がいて、話を聞いてみると、一度 防大に入学していて、自分が4年の時の1年生で、一緒に外出もしたこともあった。 彼は2年目に防大を辞めて大学を受け直し、卒業後、幹部候補生を受験して、陸上 自衛隊に入隊したということだった。随分物好きな子だなぁと思った。

■2003年4月23日(水曜日)
   アンビバレンスの練習会に行き、長距離練習に参加。メニューは2000m+ 1000m+600m+300m。走る前から疲労があり、満足のゆく走りは 出来ないだろうと思っていたが、今日は一緒に走る相手がたくさんいたため、 結構集中できて走れた。2000mと1000mは飯島さんに引っ張ってもらい 6分05秒8、2分52秒2で気持ちよく走れた。そして600mからは自分が 引っ張り、1分30秒6、300mは40秒8で最後まで崩れることなく走れた。 久しぶりに満足できる練習になった。

■2003年4月22日(火曜日)
   8000mのペース走をした。設定は3分30秒だったが、1周目から速く、1kmの入りが 3分20秒になったので、そのままそれを維持することにした。風か強く前に進まなかったが、 8000mまでほぼ一定のペースで走れた。しかしかなりの無理をしたので、ゴール直後に 吐いた。ペース走だったのに、追い込みすぎた。その後300mを2本走るつもりが、 スタート直後に痙攣。結局そこで練習を中止。今日は平田コーチが練習を見てくれたので、 最後まで緊張が切れることなく走り切れた。一人で練習するのと、練習を見てくれる人が一人 いるのとでは、練習の質が大きく変わってくることを実感した。

■2003年4月21日(月曜日)
   試験の採点ということを初めてやった。採点者というのは、なかなかおもしろい。 というのも解答者の解答は、採点者の思いもよらないことが書いてあることがあるから。 穴埋め問題ならある程度しっかりした答えが返ってくるのかなぁと思っていたが、 意外と穴埋め問題の方が、おもしろい解答が返ってくる。記述式の問題だと、丸暗記 では、なかなか書ききれないので、自分の考えを書いてくる。たまには訳のわからない 解答もあるかもしれないが、わからない人は記述しない場合が多い。採点側は内容が 大きく間違っていなければ得点をあげることができて、解答者にも有利に働くのかなぁ と思った。

■2003年4月20日(日曜日)


応援に来てくれた野村さんと
   兵庫リレーカーニバルに出場。朝7時に家を出て神戸のユニバー競技場へ着いたのは 12時半。ずっとじっとしていたので、身体が固くなった。
 出場種目は800m。3組タイムレース決勝で自分は真ん中の第2組。メンバーは いつも一緒に走っているメンバーばかりで、その中に体育学校は2人いた。
 スタートから福澤(筑波大大学院)が先頭を引っ張り、その後ろに縦に長くなって みんながついていった。400m通過が56秒くらい。そこからもあまりペースが上がらず、 600m通過が1分24秒くらい。その辺りから三澤(体育学校)と川上(体育学校)が 飛び出し、2人はそのままゴールした。その後ろは、全員身体が固まりもがきながらゴールを 目指した。
 練習ができていないので、最下位にならず、1分55秒くらいであれば、いいかなぁと 思っていたが、まさにその通りになり、後ろに2人いて、タイムは1分55秒33で第5位だった。 3組のトータル順位は20人中11位。これだけ悪いタイムなのに、真ん中というのが 信じられなかった。
 トップは笹野(富士通)で1分50秒36。体育学校の5人は、森の2位が最高で、 3、5,6,7位だった。初戦としてはみんな悪くない走りだったと思う。

■2003年4月19日(土曜日)
   休日出勤。幹部学校に入校している学生の体力測定の測定員として1日働いた。 幹部学校に入校している学生は、自分が防衛大学校の1年生の時の4年生が多く、 知っている人も何人かいた。学生時代はクラブでしっかり運動をしていた人たちが、 自衛官になって、あまり運動をしなくなり、ほとんどの人が太っていて、顔の形が 変わっているという有り様。
 体力測定の結果もあまり良くなく、頭だけで戦っている人たちばかりなんだなぁ という印象を持った。体育学校では自衛官の体力低下が話題になっているが、話の 通りであることを実感した。

■2003年4月18日(金曜日)
   レース前の最終調整で600mを走った。今までの練習がしっかりできていなかったので、 600mを走りきることができないと判断し、前半の300mを軽く走り、後半の300mは 全力で走るという感覚でいった。前半は45秒くらい、後半は40秒で行ければいいかなぁ という感じ。
 走ってみると前半は42秒8、後半は41秒9。前半に突っ込んでいった分、後半は身体が 動かなくなり、予定していた練習にならなかった。600mを走ったあとそのままあと200m 走ることになると考えると、かなり苦しい。今の状態では800mを走りきるのはとても 難しいことがわかった。

■2003年4月17日(木曜日)
   ヒトの全遺伝情報の解読を完了したというニュースを新聞で読んだ。遺伝子の数でいえば、 ヒトの遺伝子はマウスとほぼ同じで、ヒトに最も近いとされるチンパンジーとの遺伝情報の 違いは1・23%にすぎず、またヒトに関して個人差が現れる部分は、その遺伝情報の たった0.1%にすぎないという。
 ヒトとマウスの遺伝子の数は変わらないということは、やっぱり動物は小さな生き物から 少しずつ進化して、今ある状態になったのかなぁと思えてくる。逆に言うとヒトもマウスも 先祖をたどると、同じところに行き着くのかもしれない。
 個人差はたった0.1%の差で、一人として同じ人間でない多様な人間ができることに 驚いた。その0.1%の差であっても膨大な情報なのだろうけど。
 遺伝子情報は解読されて、本に例えれば、やっと文字が全部読めるようになったが、意味は わからないと言う状態。これからそれぞれの遺伝子の機能が解明されてゆくという。医療に 応用されていくのだろうと思われるが、軍事ではなく平和に利用されるようになって欲しい。

■2003年4月16日(水曜日)
   スピード練習として400m+300m+200mを走った。設定は55秒、40秒、 27秒。
 400mは前半に突っ込みすぎて53秒3。結局全力を出して力つきた。全力で このタイムというのにショックを受けた。このペースは800m1周目のペース。 このままでは2周目が走れない。
 300mも200mも400mの疲れが影響して全く設定通りにいかず、全力で 走りきれなかった。
 ペース感覚がなくなった。レースでも自分で引っ張ったら途中で歩いてしまいそう。

■2003年4月15日(火曜日)
   授業でけが人が出ているということで、怪我をさせるなという話が上司からあった。 教官としては怪我をさせるつもりはなく、学生だってそんなつもりはないはず。それでも 起こってしまうのは、試合などで熱くなってくるのが原因だと思う。熱くなれば、身体に とって無理な動きも出てくる。これは、いくら教官が口で言っても対処は難しい。 本人の自覚で対処するしかないと思う。

■2003年4月14日(月曜日)
   昨日のロンドンマラソンでまた女子世界記録が更新された。2年前に高橋尚子さんが 世界で初めて2時間20分を破って、スゲ〜!!なんて言っていたのに、あっという間に 2時間15分台になってしまった。今回は男子のペースメーカーがしっかりついて、 完璧なペースメイクだったみたいだが、それについてゆけるというところがすごい。 記録を出したラドクリフはまだ20代。まだまだ記録が出そう。日本のマラソンも 盛り上がってきているが、世界との差はまた開いてきたんじゃないかなぁと思った。

■2003年4月13日(日曜日)


リレー競技
   第1回茶の里入間オリエンテーリング大会に出た。種目はスプリント。一人で コースを回って行く種目。距離は5060m。オリエンテーリングなので、もちろん 山の中をかけずり回るものだと認識していたが、想像以上の過酷なコースだった。
 チェックポイントは16あり、5kmしかないのだから、せいぜい30〜40分くらいでは ゴールできるのではと考えてスタートした。行く手は、枯木がたくさん倒れ、湿地もあり、 まるでジャングル探検をしているのではないかという雰囲気。真っ直ぐ前には進めず、木や 枝をかき分けて目的の方向へ進んだ。コンパスの使い方がよくわからないので、ほとんど 使わず、自分のカンに頼ってすすんだ。それぞれのチェックポイントでコントロールが見つからず、 かなりのロスをした。あとから来た人にどんどん追い抜かれて不安になった。大半は リレー種目の人なので、自分の順位には関係ないが、速い人は、ピンポイントでコントロールを 見つけ、立ち止まることなく次のコントロールへ走ってゆく。大したもんだぁと感心した。
 結局ゴールは1時間12分29秒。12人参加で第11位。トップは38分46秒。走る力は あるが、地図を見て目的地に行けるという力がない。この競技で勝とうするならば、まずは、 競技をこなしていくことが大事だろうと思った。

■2003年4月12日(土曜日)
   体育学校で400m×3をやった。設定タイムは52秒5から53秒だったが、 日頃の練習不足のため、1本目からついてゆけず、54秒0。2本目も54秒1。 先頭はきっちり設定通りこなしていた。最後は全力だったが、53秒1。先頭は 51秒くらい。最近は走る度に、これでシーズンに入ってレースができるのだろうか? と不安になる。

■2003年4月11日(金曜日)
   引っ越しをしてガスも通るようになり、やっと家の風呂に入れるようになった。 3日前までは近くの銭湯に行っていたが、お金が続かない。やっぱり家で入る方が いい。
 所沢に住んでいたときには、風呂が狭く、かなり身体を縮こまらせて入らないと、 身体が全部湯船に入らなかったが、今度の住まいは、それよりは広くなり快適。 しかもボタン操作一つで、温度やお湯の高さまで設定でき、技術の進歩って なんとすばらしいことなのだろうと風呂に入るたびに感動している。
 人間ってちょっとしたことで幸福感を味わえるものなのだ。

■2003年4月10日(木曜日)
   引っ越してから、ガスがなくお湯も出なかったが、やっと給湯器が付いた。東京ガスの人が 普通の電気屋で給湯器を買った場合、取り付け代金が倍になるという脅しをかけてきたため、 仕方なく言われるがまま、東京ガスで売られている給湯器を買った。
 給湯器の位置がガスコンロのすぐ上にあるため、給湯器のお湯が出るホースがコンロの火で 溶けそうな雰囲気がある。この住まいが昭和46年築なので、いろんなところに問題がある。 他の家はどうやって対処しているのだろう?

■2003年4月9日(水曜日)
   アンビバレンス練習会に久しぶりに参加。メニューは短距離に混じって300m×3。 スピード練習をするのは1ヶ月ぶりくらいで、スピード練習も久しぶり。目標は40秒 切りで、実際には38秒から40秒の間で走れた。走っていない割には走れて満足した。 明日以降疲労が出てくるのが恐い。

■2003年4月8日(火曜日)
   幹部体育課程のサッカーの授業に出た。女性は特にボールを扱うことのなかった人たちも 多く、なかなかボールをコントロールできず、首を傾げながら授業を受けていた。男の方は、 特に何も言わなくてもやり方さえ教えれば、ほとんどの人はその動作ができる。まったく やったことのない人に運動を教える難しさを知った。

■2003年4月7日(月曜日)
   幹部体育課程の授業での障害通過運動という課目があった。幹部体育課程は、体力の あまりない、3月に幹部になったばかりの人たちを集めた課程。自分の時は幹部体育専修課程で 運動能力があり部隊で体育を指導することを目的としていたが、そのときも同じ 障害通過運動はあった。
 障害通過運動は、その名の通り、障害を通過してゆく運動で、綱を登ったり、壁を乗り越えたり、 地面をほふくで這ったりして総合体力を判定するもの。自分たちの時は秋だったので、ギンナン が大量に落ちていて、服だけでなく体中が臭くなった。今回は春なのでそんなことはなく、桜 が満開に近く、とても清々しい雰囲気だった。
 しかし体力がない人たちが多いので、綱に上れなかったり、壁を越えられなかったりで、 かなり辛そうだった。自衛隊員の体力不足で話をすることが多いが、初級幹部がこの状態では、 非常にまずいなぁと思った。

■2003年4月6日(日曜日)
   所沢の部屋の明け渡しで、朝早く所沢へ戻り、部屋の掃除をした。ガスコンロや流しの 周りは汚く、かなり入念に掃除し、またベランダも砂だらけで、水を流してきれいにした。 汚れた水は隣の部屋のベランダへ向かって流れて行った。水の進む隣のベランダには段ボールが たくさん置いてあって、水の流れがせき止められたので、敷居の下から段ボールを上げて、 流れるようにした。段ボールは大量に水がしみて、たぶん使えなくなってしまったことだろう。 隣の人、ごめんなさい。
 10時には管理人さんが来て点検。頑張って掃除したガスコンロ周りの掃除はやり直しをくらった。 同じ時間帯にふすま屋さんが来てふすまを全部持っていった。部屋を明け渡すときには、必ず、 壁をすべて塗り替え、ふすまを全部新しくしないといけない決まりがある。自分は1年しかいなかった ので、壁もふすまも汚くないのに、決まりの通りにしなければならない。引っ越しが安く済んだのに、 結局こちらでかなりの額を取られて、なんか納得行かなかった。

■2003年4月5日(土曜日)


タンスを運ぶところ
   引っ越し当日。引っ越し業者は午後なので、午前中は食器や電化製品の梱包をした。食器の 梱包になかなか時間がかかり、業者の人たちが来た4時前くらいになっても梱包は終わって いなかった。4畳半の部屋は段ボールの山でいっぱいになり、家の中にこれほど荷物が あったのかぁと驚いた。荷物を運び出すのはさぞかし大変だろうと思っていたが、引っ越し屋さんは あっという間にすべてを運んでしまった。気が付けば部屋の中は空になり、残っているのは 自分たちの掃除道具くらい。荷物は2トン半のトラック1台で収まった。
 部屋の荷物が運ばれたあと、次は引っ越し先に行き、荷物の搬入を待った。荷物の搬入も あっという間に終わり、また部屋が段ボールの山になっていた。これだけの山を片づけなければ ならないのかと思い、ドッと疲れが出てきた。

■2003年4月4日(金曜日)
   昨日に引き続き、引っ越し準備。自分の荷物は、服はもともと衣装ケースに入っていて、 本棚の本と陸上関係の靴の山を梱包するだけで早めに終了した。しかし、妻の方は荷物が 多く、所沢へ引っ越してきて一度も開けていない段ボールがいくつもあって、梱包し直したり して、手間がかかっていた。明日の引っ越しを前にして準備がなかなか進まず、危機感を 覚えながら梱包するという感じだった。

■2003年4月3日(木曜日)


航空公園の桜
   引っ越し先が決まり、引っ越し準備のために休みを取った。自分たちで荷物を梱包し、 引っ越し業者にはそれを持っていってもらうだけにしたので、自分たちの負担はかなりある。
 料金は日付によって違ったり、午前と午後で違ったりする。午後に頼むと、午前中の半額に なる。しかし午前中の仕事が終わってからなので、時間を指定できないのが問題点。 とにかく少しでも安くなる設定にした。
 夕方までひたすら荷物を整理し、市役所が閉まる前に転出届をしてきた。市役所の 隣の航空公園では、桜が7分咲きになり、花見で宴会をする人たちもいた。寒そうだった。

■2003年4月2日(水曜日)
   新着任者教育があった。自分は新着任者だが、前に勤務しているので、特に新しく 知るようなことはないだろうと思って臨んだが、知らないことは結構あった。
 午前中は、体育学校内の施設、午後からは朝霞演習場内の施設を回った。演習場には 射場やアーチェリー場があるが一度も行ったことがなかった。施設は、木造が多く、 かなり老朽化していた。もともとは東京オリンピックの前に建てられたものなので、 40年近く使われていることになる。大事に使っているなぁと思った。

■2003年4月1日(火曜日)
   今日から新しい職場での勤務。勤務場所は、自衛隊体育学校。2年半前までいたところ。 引っ越しができていないので、1時間くらいかけて車で通勤した。朝礼で新着任者の 紹介があって、自分のことを知っている人からは、帰ってこられて良かったねと言ってくれる 人が多く、うれしかった。しかし中には、何でここに戻ってくるんだと言う人もいた。 いろんな人がいる。
 前回の勤務は、走ることが仕事だったが、今回は、部隊での体育指導者を育成すること。 教官という立場になる。簡単に言えば、体育の先生。人を教えるということなので、機械を 相手にするのとは違う。ほんの3週間前までは学生の立場だったのに、いきなり立場が変わるので 少し戸惑いもあるが、頑張りたい。



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