最近のいずみ

Last Update:2003/8/31

パートタイムアスリートいずみ 3年目に突入!! 


■2003年8月31日(日曜日)
   土屋知事の辞任により埼玉県知事選挙が行われた。投票率は35.8%という なんとも低い投票率。前回の選挙は59.19%だったとか。前回ですら投票率は低いのに、 今回は県民の3割半しか投票をしていないのだから、いかに県民が県政に関心がないか ということがわかってくる。県民の6割半は投票していないのに、これで当選というのも どこか首を傾げたくなる。
 今回当選したのは無所属で前衆議院議員の上田清司氏。結果を見ると圧倒的な差で 当選している。上田氏は、自衛隊体育学校の後援会に入って、応援をしてくれて、 体育学校の行事にもよく参加してくれている。少しでも投票率が上がるように、 県民が県政に興味がもてるようにしてもらいたい。

■2003年8月30日(土曜日)
   世界陸上男子マラソンがあった。ペースが上がったり下がったりで、選手はかなり きつそうだった。30km過ぎからモロッコの選手が飛び出し、集団が崩れ、油谷くんが 我慢しながら5,6番手で食らいつき、3位に手が届きそうな位置で走っていた。 トラックに入ったときには4番手。しかし1人に抜かれ5位でゴールし、2大会連続の 5位という結果になった。団体では優勝ということで金メダルを獲得した。
 自分が注目していたのは、韓国のイ・ボンジュ。彼は韓国最高記録(2時間7分20秒)を 持っている。釜山アジア競技大会金メダル、ボストンマラソン優勝、アトランタオリンピック 銀メダルなど主要大会で数多くの金、銀メダルを獲得している。とても力強い走りで、 見ていて安心できる。彼も油谷くん同様30km過ぎについて行けなくなり、最後は10番争い をしてゴールした。年を重ねて、少し力が落ちてきているのかもしれないが、若い選手が どんどん出てくる中、世界選手権に出場し、力強い走りが見られて、うれしかった。

■2003年8月29日(金曜日)
   ハンドボールの授業で教官チームと学生チームの試合をした。1ゲーム15分で 4チームの総当たり戦なので、各チーム試合は3回。自分は、普段球技をやることが なく、横の動きや素早い切り返しが上手くできない。よく捻挫するため、特に気をつけた。
 1試合目はフル出場。2試合目は前半は試合に出て後半は交替。3試合目は後半から出場した。 3試合とも学生に勝利して気分良く終わった。学生側は、教官チームに負けて、きっとムッと したに違いない。体育館の中は蒸していて、大量の汗をかいた。床に座っているとその座って いるところが汗で尻の跡ができるほど。
 試合が終わった後、急に左の腰が痛み出し、前屈をしようとすると特に痛んだ。だんだん 立っているだけでも辛くなってきた。整体のできる教官に身体のバランスをみてもらったら、 腰椎の4番と5番の間にある筋肉の動きが正常な動きをしていないと言われた。バランスを 調整してもらったが治らず、痛みの出るところを冷やすくらいしか処置が考えられなくなった。
 やっと膝の痛みもなくなって練習が出来るかなぁっと思っていた時なので、この腰痛は 精神的にもダメージが大きい。

■2003年8月28日(木曜日)
   毎日睡眠不足で、昼間が眠い。なぜなら陸上の世界選手権の放送が深夜にあるから。 末続真吾の走りは特に目が覚める。200m1次予選は後半完全に力を抜いて走っている にも関わらず、トップでゴール。2次予選でも同じように余裕の走り。見ていてワクワクする。 アメリカの選手も強いが、ひょっとしたら本当に末続が金メダルを取るのかもしれない。

■2003年8月27日(水曜日)
   教育最終日は、PNFストレッチの実技、アイシングの講義と若年者と中高年の体力管理の講義。 みんな筋肉痛になり、動くのが辛そうだった。講義の方は初日と比べて、興味を持って聞いてくれる 人が多く、やり甲斐があった。
 午後には輸送機で三沢基地を出て、松島経由で入間へ帰った。3日間で教育する内容が 多すぎて分刻みのスケジュールだった。あっという間に3日が経ち、気がついたら 職場に帰って来てたという感じ。なんだか慌ただしく終わった。

■2003年8月26日(火曜日)


ホヤの刺身
   教育2日目は、身体のバランスチェックや筋力トレーニングの方法、体力測定の 向上要領、ストレッチやマッサージを指導した。ほぼ全員が2日目にして疲労が出てきた ためストレッチとマッサージには特に興味をもって実習していた。
 夜は、訓練に参加している人たちが中心になって宴会をしてくれた。場所が寿司屋だったので 新鮮な魚介類がたくさん食べられた。ホヤの刺身、サンマの刺身、イカの肝の刺身はめずらしかった。

■2003年8月25日(月曜日)


山崎夫妻と
   水曜日まで三沢基地(青森県)へ出張ということで入間基地から輸送機に乗って 三沢基地へ行った。この出張は航空自衛隊の北部地域の訓練担当者を集めて 体育の指導について学んでもらうことを目的として体育学校の職員が指導に行く という内容。訓練担当者といっても、普段から運動をしている人たちばかりが 集まってくるわけではないので、簡単に理解してもらうにはどうしたらいいかという 問題があった。
 今日の内容は運動生理学の講義と持続走の実技。講義はみんな眠そうだったが、 実技の方は、身体を動かして実習するため、みんな興味をもってやってくれた。 年齢の高い人たちには運動量が多くて大変そうだったが、なんとか全部こなしてくれた。
 夜には、幹部候補生学校(奈良)の時に同じ部屋だった山崎さんの家に招かれて食事をした。 食事をしたら帰るつもりだったが、話し込んみながら、世界陸上を見ているうちに0時 近くになり、結局泊めてもらった。

■2003年8月24日(日曜日)
   妻の実家近くには、区の管理しているエコハウスというところがある。エコハウスでは リサイクルに出したい物を商品として置いてくれ、売れた時にはその金額の何割かが戻って くるという話を聞いたので、昨日の売れ残りを持っていって売ってもらおうということになり、 エコハウスへ行ってみた。
 エコハウスと言うくらいだから、地球環境に配慮しているんだろうなぁと思って向かった。 エコハウスに来てみるとドアが開けっ放しになっていた。やっぱりエコハウスだと思った。 電気を無駄に使わないよう、クーラーをつけず、ドアや窓を開けて仕事をしているのだと 思った。
 しかし中に入ってみるガンガンに冷えていて失望した。クーラーかけてドアを開けっ放し にするな!!と思った。クーラーの温度は28度にしましょうと一般にいわれているが、 ここは絶対に28度より低くなっていた。何がエコなのか?
 リサイクル商品について聞いたが、最近はリサイクルショップが増えてリサイクル商品を 置くのをやめたということだった。クーラーの件ですでに信用できず、商品なんて置いて もらわなくていいと思っていたが、実際にそうなると更に失望してしまった。2重のダメージ でムッと来るよりも笑えてきた。

■2003年8月23日(土曜日)


木場公園の橋
   妻の妹たちが木場公園で行われるフリーマーケットに出店するというので、冷やかしに行った。 話によると午前中は多くの出店があり、200店舗くらいはあったらしかったが、2時くらいに 行った時には、15店舗しか残っていなかった。商品はほとんど売れ残りといった感じで、 少しずつ店の数が減っていった。妻の妹たちの店は3時前まで営業し、そこそこ売り上げがあった みたいだったが、準備金で支払った金額を差し引くと儲けはなしという感じだった。
 驚いたのは、リサイクル屋が会場の隅で待っていて、売れ残った商品を引き取っていたこと。 これならばリサイクル屋はタダで物が手に入る。それを売れば利益になる。上手くできている。 フリーマーケットは見方によってはリサイクル屋のためにあるのかもしれないと思った。

■2003年8月22日(金曜日)


1500m1周目



2周目



ゴール後
   関東選手権が熊谷で行われ、1500mに出場。熊谷は関東で最も暑い地域だけあって 予想最高気温は34度。実際はもっと暑かった。
 優勝すれば日本選手権、3分50秒くらいで走れば、国体のチャンスもあるということで やる気は十分あったが、この1ヶ月間はほとんど練習できていないのが問題だった。
 メンバーを見る限りでは自分より力のある選手は1人だけだったので、彼をマークすること だけを考えていった。
 予選はマークしていた選手の後ろについて1周目から64秒9、66秒7、63秒0で回り、 残り300mから2番手に上がりそのままゴール。タイムは4分00秒19。トップは予想 通り自分のマークした選手だった。
 決勝も同様に、マークした選手にピッタリとついて、63秒6、67秒2、65秒6という タイムで回り、残り300mから2番手についてスパート時期をうかがった。しかし練習不足 のため残り150mから動きが悪くなり、最後の直線で日大の選手に抜かれ、ゴール手前で 法大の選手にも抜かれ4位でゴール。タイムは3分59秒59。最低3位にはなれると思って いたので、予想外に悪い成績だった。優勝したのはやっぱりマークしていた選手。3分57秒台 だった。
 何度出ても関東選手権にはツキがない。大学の時には4回も2位のメダルをもらって、 一度も優勝できなかった。今回は練習不足で2本走りきれなかった。しっかり準備して、 また秋の大会へ向け出直そうと思う。 

■2003年8月21日(木曜日)
   久しぶりの真夏日となった。気象庁によると、東京では正午すぎに30.1度を観測 された。 東京では天気がぐずついてこの1週間日照時間ゼロの状態が続いて、 気温が30度を超えたのは9日前。週間予報では、来週の初めまで晴れ間が見られる といっている。その後はまた天気が悪くなるのだろうか?

■2003年8月20日(水曜日)
   最近、鉛筆やペンを持って紙に文字を書くことがなくなった。懸賞も全く 書いていない(懸賞は代わりに妻が書いているからいいけど)。久しぶりに シャープペンシルを持って紙に文字を書くことがあり、考えては書いて、 考えては書くという作業をしていたら、シャープの持ち方が反対だったようで、 芯を出そうとして、ペンの後ろ側を押したつもりが、シャープの芯側を 押してしまい、親指に穴が空いた。かなり痛かった。血も出てきたということは 傷は深かったことを物語っている。その後も痛みはずっと止まらず、気に なって仕方ない。アホだぁ・・・

■2003年8月19日(火曜日)
   フランスでは異常気象の暑さで亡くなった人が5000人を越えたという。 夏前まで騒がれていたSARSに感染した人数が世界中で5000人を越えて 亡くなったのは約400人。感染するのではなく、ただ暑いだけで亡くなる人が こんなに多いのには驚く。熱中症というものは恐ろしい。
 職場では常に熱中症の予防につとめ、学生にも熱中症については教育しているが、 今年は、夏らしい蒸し暑さにならないため、大した教育効果は上げていない。 別に何も事故がなければ問題ないか。

■2003年8月18日(月曜日)
   学生の持続走の授業で12分間走があったので、一緒に走った。昨日のダメージが 大きく、全身疲労だったため、結果はかなり悪かった。
 目標は4000mで、1周目は目標通り72秒で回ったが、2周目は74秒、3周目は 76秒。どんどんペースダウンしていった。昨日と同じ展開。それ以降もどんどん 落ちて、1周80秒前後で12分間走りきった。結果は3710m。前回測った時は 3900mを越えていたので、かなり力が落ちていた。昨日の疲れが大きく影響している だけであることを願いたい。

■2003年8月17日(日曜日)


1500m2周目



市田夫妻と
   神奈川県国体選考会1500mに出場。プレシャスプレイスの市田先生も応援に来てくれ、 アップ前には身体をみてもらい、肩や脚の可動域を大きくしてもらった。
 天気は、霧雨状態で気温は低く風はなし。走るのには好条件。走るメンバーは6人 くらいで、県選手権の決勝に出てくるメンバーが大半だったので、力からいけば、 負ける相手ではないことがわかっていた。しかし、この1ヶ月間まともに練習をして いなかったので、練習不足だけが不安だった。
 優勝しても日本ランキング50傑以内のタイムを出さないと国体には出場できない ので、スタートから積極的に走った。1周目は59秒台通過。しかし2周目は 64秒台となり、800m通過後から2番手の深瀬くん(三浦市陸協)に抜かれ、 必死についた。3周目は67秒台。深瀬くんのペースもなかなか上がらず、自分が 残り300mからスパートし、そのまま逃げ切った。残り300mは46秒台。 後半ペースが落ちた分、タイムは悪く、3分57秒21。国体選手選考の対象には なったが、国体出場は厳しくなった。
 久しぶりに走ったので、走り終わった後は、酸欠で吐き気がひどく、なかなか 動けなかった。最後にまた市田さんに軽くマッサージをしてもらい、なんとか 立ち直れた。
 来週は関東選手権。こちらで3分50秒台を出せば、国体出場が可能になる ので、また来週挑戦したい。

■2003年8月16日(土曜日)
   10日ぶりにトラックを走った。ずっと走るのを控えていたが、膝は痛みが あったりなかったりで良くなったかどうかわからない。明日はレース。 1度は走っておいたほうがいいので、最終調整という感じでもなかったが、 走った。
 メニューは400m+200m。明日は1500mなので、それほど張り切って スピードを上げる必要はなく予定通り出来た。痛みは出ることなく走れ、少し安心した。
 この1ヶ月間ほとんど走れていないので、満足に走れないだろうが、なんとか 完走はできそうな雰囲気になってきた。

■2003年8月15日(金曜日)
   終戦の日ということで、関連した行事などが行われ、ニュースでも報道されていた。 閣僚の靖国神社参拝賛成だったり反対だったり、原爆投下の是非についてもいろいろ 意見がある。罪のない人たちが一瞬に亡くなってしまい、なんとひどいことをした のかという人がいれば、戦争を終わらせるには必要なものだったという人もいる。 ひとつの意見にまとまらないのが普通なはず。そう考えると、一般的に一つの考えに 偏らざるを得なかった戦時中というのは、不便な世の中だったと思う。
 梅雨の時期よりも梅雨らしい天気で、1日中雨。気温は低く寒かった。蝉の声も ほとんどなく、とても寂しい終戦記念日だった。

■2003年8月14日(木曜日)
   東京の気温は正午に20.0度。お盆の時期になり、本当は残暑の厳しい 時期なのに、今日は完全に秋。10月下旬並の気候だったらしい。ちなみに札幌の 正午は24度。東京の方が寒い。
 来週には暑い夏は戻ってくるらしいが、自分は今の気候が結構気に入っている。 夜は窓を開けていれば適度に風が入って快適に寝られる。練習の方も膝さえ痛くなければ、 かなり快適にできていると思う。日曜はレースがあるが、昨年は台風が迫っていて かなりの風雨の中で走った。風が強いのもイヤだが、できれば日曜日までこのままの 天気でいって欲しい。

■2003年8月13日(水曜日)
   膝の痛みがあるため、今日も走るのは断念。かわりに水泳をすることにし、 近代五種の選手達の練習に混じってやらせてもらった。
 メニューは、45分間長く自由に泳ぎ、2分間隔で100m×9、最後に 25m×2。100mは1本目だけ1分20秒台で泳げ、40秒ほど 休憩があったが、その後は1分40秒前後になり、最後の4本は1分45秒かかり 休憩はたった15秒。はっきり言ってずっと泳いでいる感じ。近代五種の 選手は夏休み明けということで、かなり強度を落とした練習だったそうだが、 自分にとっては、かなり強度が高かった。腕がパンパンで、水をかくのが つらく、水を逃がしながら泳いだため進みが悪かった。
 最後の25mは、頑張ったものの16秒くらいかかり近代五種の選手には 全くかなわなかった。水泳はひとりではなかなか追い込めないので、 十分追い込め、いい練習になった。

■2003年8月12日(火曜日)
   アテネオリンピックまであと1年だとか。テレビでアテネオリンピックの会場が いろいろ映り、あと1年だというのに全く工事が進んでいないと言っていた。 映像で見た感じ、テレビで言っている通り全く工事は進んでいない。最近は、 この場所でいろいろな競技のプレ大会があり、問題点を見つけようという 目的も兼ねているということだった。風が強いため、競技進行に支障があったり しているらしい。自然の現象はどうしようもない。
 ヨーロッパのレースではレースの時間が遅れたときに、早めようとする 役員の人たちは誰もいなかった。組織委員の人たちは焦っている様子もなく、 工事の進み方が遅いのを見ると、これがこの国の国民性なのかもしれない。

■2003年8月11日(月曜日)
   周りは夏休みに入り、自分は今日から3日間当直。天気がいいので、グランドで 練習をしようと思い、アップでジョッグをはじめて2歩目で膝が痛み、2分もたた ないうちに走るのを断念した。また膝痛が出てきた。膝が痛くなって1ヶ月が過ぎた。 この1ヶ月間で、トラックで走ることが出来たのは6回。今週末と来週末にレース があることを考えると、かなり厳しい。
 走ることができないので、加圧トレーニングをした。加圧をすれば膝の痛みも なくなり動かせる。痛みがなくなるまでは我慢して別のトレーニングをするしかない。

■2003年8月10日(日曜日)
   沖縄の鉄道が開通したというニュースを見た。たった13kmのモノレールだが、 沖縄では戦後鉄道はなかったので、非常に大きなニュースみたい。沖縄へ合宿に 行った時にはいつも工事をしていて、毎年来るたびに少しずつ工事は進んでいたが、 なかなかできないなぁと思っていた。沖縄サミットに間に合わせるという話しも 聞いたことがあったが間に合わなかった。工事の進みがゆっくりでこれが、沖縄の 県民性なんだろうなぁと思っていた。
 これで首里まで簡単に行けるようになる。次に沖縄へ行く時を楽しみにしたい。 

■2003年8月9日(土曜日)
   膝の痛みがなかなかよくならないので、反町に移ったプレシャスプレイスへ 行って施術してもらった。反町駅は横浜から東急東横線で渋谷方面へ1駅のところだが、 1駅違うだけで、横浜というイメージとは違った、活気のない町になる。
 施術は全身をやってもらい、痛みはなくなった。筋肉の緊張が緩和して 関節の可動域が広がった。自分では自覚なかった首がかなりこっていた。
 施術後は隣駅の横浜へ行き、横浜に住んでいる後輩を呼びだして、夕食をした。 ルームシェアをしているということで、ルームシェアの生活について いろいろ聞くことが出来た。後輩は男だが、彼の部屋の同居人は女性。よく 男性の部屋に入ってくる気になるよなぁと思ったが、すこしうらやましくも思った。 もちろん親には住まいの環境や同居人の話を伝えてないと言っていたが、若者の 感覚はどんどん変化してきているのかなぁと思った。

■2003年8月8日(金曜日)


ナス(顔みたい)
   1ヶ月ぶりに歯医者へ行った。先生にどこか具合の悪いところはありましたか?と 聞かれて、治療したところを含めて2カ所がしみて困る時があると答えた。しかし具合の 悪いところを調べた結果、問題ないということだった。歯の内側を磨く時の磨き方が 足りないので気をつけるように言われ、これで終わりかと思ったら、次回は3ヶ月後に 来てくださいと言われてしまった。今度こそ終わりだと思っていたのに・・・
 でも問題ないと言われた箇所がたまにしみる。なんで?

■2003年8月7日(木曜日)
   官舎で職場のみんなが集まって、引っ越し祝いと昇任祝いの会が開かれた。 引っ越しは、自分と一緒にサッカーを教えている人が官舎へ引っ越してきた ためで、昇任は自分が7月に昇任したということでお祝いをしてくれた。
 大半が家族同伴ということで、小さい子供がたくさん集まり、にぎやかだった。 生まれて1年経たない子供が2人いて、みんなが抱きたがり、順番に抱いて いったため、子供にとってはかなり迷惑だったかもしれない。
 今日は、大阪出身者が中心となって、たこ焼きを食べきれないほど作ってくれた。 大阪出身者が作るたこ焼きはおいしかったが、神奈川出身者の作ったものは、 はじめて作ったというだけあって、やっぱりおいしくなかった。しかし 何度も作っているうちに、だんだんたこ焼きらしくなってきた。やっぱり 技術を磨くには、繰り返し訓練することが大切なのだ。

■2003年8月6日(水曜日)
   わかりにくい外国語(カタカナ語)の言い換えを検討する国立国語研究所が、 52語の言い換えの中間発表を行った。最終的には国民の意見を募集して、最終 的な発表に至るということだが、日本語にないものを無理矢理日本語にするような 感じで、わかりづらいものが多かった。
 コンピュータで使う「ログイン」は「接続開始」、「オンライン」は「回線接続」 という言い換えでわかりやすかったが、その他の用語は意味がわからない言い換え ばかりだった。「ユビキタス」は「時空自在」。さっぱりわからん。こんなふうに するのなら、文章でわかりやすく示せばいいのではないかと思う。

■2003年8月5日(火曜日)
   今日から大宮駐屯地で学生の訓練が始まった。訓練内容は障害通過運動 というもので、壁を登ったり、降りたり、ロープに捕まったり、またいだりして 移動するような訓練。昨年秋に自分も学生としてやったことで、自分たちは、 1日の訓練だったが、今回は3日間ということで、しっかりと訓練が出来る ことになっていた。
 午前中は予定通り訓練が出来たが、午後の訓練が始まって10分くらいで 突然の雷雨で動けなくなった。雷雨は激しさを増して、自分たちのいる周りで 激しく雷が落ち、雨がシャワーのように降り大洪水になりそうな勢いだった。
 少し待てばおさまるだろうと思っていたが、結局2時間ほどその場で雨宿り。 少し雷雨がおさまったところで訓練道具を撤収し朝霞へ帰ってきた。
 朝霞へ帰ってくるとまた雷雨は激しくなり、外に出られなくなった。久しぶりに 大きな雷雨にあった。地域によっては雷で家が焼けたところもあったらしい。 自然の力というのは恐ろしい。

■2003年8月4日(月曜日)
   加圧スーツをつけて学生の持続走の授業に参加した。メニューは5kmビルドアップ走。 学生のレベルで走ると、ジョギングをしているような感じで何の刺激もないので、加圧を して走ってみた。だいたい同じくらいのレベルで走れるだろうと思ったが、最後の1kmは 圧をかけている部分の締めた痛みがひどくなり、それ以上ペースが上げられず、学生に 引き離された。最近まともな練習をしていないため、呼吸もひどくなり苦しんだ。 いつか、加圧をしたままインターバルをやろうと思っていたが、今日のビルドアップの 感じでは無理そう。当分、加圧をしたまま走るのはやめたい、というくらい辛かった。

■2003年8月3日(日曜日)


伊良湖岬



牛乳プリンホモちゃん全集



アイスクリームシティー内
   朝は観光がてらジョッグで伊良湖岬の近所を回った。伊良湖岬へ来たのは 高校1年の遠足以来。風景は全く変わっておらず、懐かしかった。ジョッグ中、 偶然にもジョッグをしている佐藤信之選手(旭化成のマラソン選手)とすれ違った。 ジョギングをしている人もほとんどいない場所だったので、驚いた。佐藤選手も 自分の方を見て、なんでこんなところで走っているのだろう?と思っているような 感じだった。
 10時にはチェックアウトして東京へ向かった。東京へ帰った後は、妻と池袋の サンシャインシティーにあるナムコナンジャタウンへ行った。目的は餃子と プリンとアイスクリームを食べること。アトラクションにはいっさい目を向けず、 入場券だけで、ひたすら餃子を食べた。12店舗ある餃子店のうち6店舗の 餃子を食べた。6個で400円前後というのが値段の相場。こんなに餃子に お金をかけたのは初めてだった。
 餃子を食べておなかいっぱいになったところで、プリン博覧会という会場へ 行って、プリンをあさった。数え切れないほどのプリンがあり、選ぶのに困ったが、 3つ選んで食べた。どれもとろける触感で満足。ごはんの上にプリンをのせた 食感はウニというプリン丼なるものもあったが、挑戦するのはやめておいた。
 最後にアイスクリームシティーへ行き、また大量のアイスクリームの中から 1つだけ選んで食べた。自分は鹿児島の白熊を食べ、妻は広島の柿のアイスクリームを 食べた。さすがに食べすぎで、最後はもういらないという感じだった。
 とても不健康な食生活をしてしまった。

■2003年8月2日(土曜日)


ケーキカット
   中学、高校時代の友達、福田くんの結婚式があり、愛知県の渥美半島の先端、 伊良湖岬まで行った。福田くんは会社社長ということで、式に招待された 人たちも会社関係の人が多く、友達で呼ばれるというのは、とても貴重な 感じだった。新婦は、偶然にも自分と小学校、中学校が一緒だった人なので、 新婦の友人として小学校の同級生が何人か来ていた。大半は名字が変わり、 子供がいる人も多かった。
 結婚式は、ホテル内の特設チャペルで行われ、披露宴も同じホテル内で あった。驚いたのは、お色直しの回数。結婚式のドレスを含めると、5回も お色直しがあった。着替えて入場してきたかと思ったら、すぐに、また 着替えに行ってしまうという感じ。食事は大量で、食べきれなかった。
 余興では、自分も歌を歌う羽目にあり、SMAPの歌を高校陸上部の 仲間で歌い、新郎の大学の仲間は、日体大名物のえっさっさを披露していた。
 泊まったホテルは、目の前が海水浴場で、披露宴後は、そこで花火をやった。 最後には、新郎が服を脱がされ、海へ放り投げられていた。
 ひさしぶりに多くの懐かしい人たちに会えて楽しかった。

■2003年8月1日(金曜日)


新しくなった院内(入り口)
   休みを取って、午前中は平石クリニックへ行き、6月の血液検査結果をもらい、 また血液検査をしてきた。6月の血液の状態は、相変わらず、疲労の度合いを示す CPKが基準値の2倍くらいあったが、先生からは、「和泉くんにしてはいい ほうじゃないかなぁ」とコメントを頂いた。自分も同じように思った。
 平石クリニックの後は、入間基地へ向かった。朝霞駐屯地には、航空自衛官の 必要とするものが売っていないためで、入間の厚生課がやっているのは平日だけ ということで、休みを取って行かなければならなかった。
 入間に着いた時には、昼を過ぎていて、厚生課は昼休みだった。ものを売ってくれ と頼んだら、金庫がしまっているから売れないと断られた。わざわざ遠くから 来たというのに、ものが買えないということで、ムッとしたが、仕方がないので 休みが終わるまで待った。
 結局必要なものは買えたが、入間へ行くだけでいつも1日がかりになってしまい、 時間がもったいないように思えてくる。朝霞にも航空自衛官に必要なものを置いてくれぃ!!



[昔のいずみ]