最近のいずみ

Last Update:2004/1/31

パートタイムアスリートいずみ 4年目に突入!! 


■2004年1月31日(土曜日)
   陸上班が沖縄合宿に行っているため、一人で練習。一人で走るのは、最近は ジョッグの時だけで、専門トレーニングはしていない。一人で専門トレーニングを するのは久しぶり。スピード練習は無理なので、60分の変化走をやった。
5分ジョッグして5分全力、10分ジョッグで10分全力、15分ジョッグで 15分全力のトータル60分。初めの5分全力は、何とか走れたが、10分と 15分の全力は、全力になっていなかった。妥協をするつもりはないけど、 妥協になっている。自分の思い通りに体を動かすことができず、もどかしかった。 オリエンテーリングのレースに対応するためにも、少しずつ、一人で 走れるようなトレーニングを増やしていくことが必要だと思った。、

■2004年1月30日(金曜日)
   インフルエンザの週間報告患者数が急増し、2001年や02年のピーク時の 患者数を超えたらしい。今年は東日本で患者が増えているのが特徴だとか。 今後も増える恐れがあるということで、人込みを避けたり、手洗いを励行するなどの 予防が必要だという。
 朝霞駐屯地内でもインフルエンザが発生したという話を聞いて、しばらく経ったら、 自分の職場にも患者が発生した。近くに患者が出たら、油断できない。普段は、 屋外から室内に入ったら最初にうがいや手洗いを心がけているが、人込みを 避けるというのは難しい。買い物に行けば、土日は必ず人込みに入る。妻と 出かければ、子供も一緒に連れて行くので、子供が感染してしまう可能性が あるのがいつも心配。なるべく人込みには行かないように注意しなければ・・・

■2004年1月29日(木曜日)
   板橋区は、路上での歩きたばこや吸い殻のポイ捨てを禁止し、違反者に 罰金を科す条例案を、区議会に提出予定で、可決されれば10月1日から 実施するらしい。今年は、注意するだけで、10月までに、路上禁煙地区を 定め、区の委託を受けた民間警備会社の担当者が各地区を巡回、喫煙者への 注意などをすることになっている。
 警備会社の人が注意して、喫煙者が喫煙を止めるのかどうか・・・ 最近は、テレビでもタバコのCMを見なくなったし、これからは、電車の中の 広告もなくなっていくと聞いている。タバコ会社に取っては、いいことが 全くないけど、世の中向かっている方向なので、仕方ない。とにかく、 行政が動くことによって、煙たくない世の中になることは、自分にとっては 大歓迎。

■2004年1月28日(水曜日)
   アンビバレンス練習会に参加。脚の痛みが緩和し、久しぶりに長距離で練習できた。 今日は、長距離の参加者が少なく、アンビバレンスは自分だけ。あとは、日産の山崎くんと 海洋大の中里くんの3人。メニューは400m×15。量が多く、全部できるかなぁ?と いう感じで始めたが、ペースを80秒切りから始め、気持ちよくペースアップができ、 最後は67秒まで上げられた。中里くんはきつそうだったが、山崎くんも同じように 気持ちよく走れたようだった。一人ではなかなかできない練習。練習に行って良かった。

■2004年1月27日(火曜日)
   学歴詐称疑惑が問われている民主党の古賀潤一郎衆院議員が、地元・福岡市内で 街頭演説し、議員辞職しない考えを表明した。
 民主党に迷惑を掛けないために離党することを示し、任期や解散になるまでは給料を 受け取らず働く考えであることことを明らかにした。
 学歴が選挙に影響したかどうかはわからないので、それ程騒ぐことなのか?と思う が、マスコミのあおり方は激しい。ちょっとしたウソも、場所をわきまえないと大事になる。 卒業について問われるのなら、国会議員を辞めてしっかりと大学を卒業し、それから 立候補すれば、選挙区の人たちも納得して、また投票してくれるかもしれない。ウソが 問われるのであれば、もう議員になることはできない。
 国会議員やりながら大学生をやっているプロレスラー大仁田という人もいる。国会議員 をやりながら大学卒業を目指すというのも一つの考えなんだろうなぁと思った。
 どの党にもいろんな出来事があって、似たような感じ。どの党もお互いを避非難することは できない。本当に国への奉仕が期待される仕事をしている人がどのくらいいるのだろう? 公務員というのは難しい職業だ。

■2004年1月26日(月曜日)
   大阪の中学3年生が自宅で、餓死寸前で意識不明に陥り、殺人未遂で父親が 逮捕された。この中学生の体重はなんと24kgだった。
 父親は食事を与えず、放置して殺害しようとした疑いがあるとか。部屋には 鍵が掛かっていなかったので、逃げ出すことができたが、一度祖父母のところへ 逃げだし、連れ戻された後は、虐待が激しくなり、虐待の恐怖から逃げ出せなく なっていったらしい。人間は恐怖の極限状態へ追い込まれると、その場から 動けなくなってしまうのだろうか?こういう状況で人間はどう行動するか? なんて実験で調べることは、不可能に近い。心理学の研究は、こういう事件など を参考に研究を進めていくのだろうか?

■2004年1月25日(日曜日)
   NHKスペシャル 「63億人の地図」という番組を見た。世界の平均寿命のデータから いろいろな発見があった。アフリカのシエラレオネでは平均寿命は34歳。栄養失調や マラリアで4人に1人の子供が亡くなるという。それとは反対にアメリカでは 肥満による生活習慣病で、胃を手術して切除して食事の量を減らさないと、死期が 早まるという逆の栄養失調状態がある。ある州では約30%の人が肥満という状態だった。 ロシアでは、この10年で男性の平均寿命が5.3歳も低下したという。政治・経済の 急激な変化により、失業や転職によって社会に対応できない人たちのストレスが 死期を早めているという調査結果だった。
 食べるものが有りすぎて食事制限をしなければ、早く死んでしまうなんて、なんと 皮肉なことかと思った。過剰な食料がアフリカへ少しでも提供されれば、どれくらいの 子供が救われるのだろう?何事もなければ困るが、過剰もまた問題。世の中単純ではない。
 食事には困らないけど、精神的な安定がないと、これもまた早く死んでしまう。 身体にも心にも栄養が行かなければ、人間は生きられないことを思い知った。自衛隊では 最近自殺が多いというが、やっぱり心に栄養の行かない人が増えているのだろうと思う。

■2004年1月24日(土曜日)
   鳥インフルエンザが流行っている。タイでは亡くなった人もいる。日本で 発生したヴィールスとは違うらしいが、とにかく同じ名前の鳥インフルエンザ。 ベトナムはハノイとホーチミンの付近発生している。人にも感染したみたい。 カンボジアでも人に感染したとか・・・
 昨年はこの地域で新型肺炎が発生し、世界中に猛威をふるった。また同じ地域で 発生したこのヴィールスは、今後世界中に広がってゆくのだろうか?
 狂牛病で牛肉の輸入制限が出て、次は鶏肉も輸入制限となったら、残るは豚。 豚だけは病気にならないでくれ!!

■2004年1月23日(金曜日)
   学生の水泳の授業に参加した。今日はバタフライ。初めはプールの中で立ったまま ジャンプして腰を前後に振るような動作をして、ドルフィンキックのイメージを作った。 次に、手はストリームラインをつくったままドルフィンキックだけの練習、ビート板を持った ドルフィンキック、片手を使ったドルフィンキック、最後に両手を使ったバタフライへ 段階的にレベルが上がっていった。運動神経のいい学生は、初めてのバタフライにもかかわらず、 最終的には、バタフライができるようになっていた。レベルを一つあげれば、それにあった 動きができるようになる。自分で上達しているのがわかると、うれしくてどんどん次に 進みたくなる。運動嫌いや、運動があまりできない人にとっては、運動を好きにさせる には、こういう感覚が大事なんだろうなぁと思った。

■2004年1月22日(木曜日)
   バンダイが調べた、子育てに励む女性へのアンケート結果によると、父親に受け 持ってほしい育児は、1位が38・7%で「特にない」と回答。2位の「遊び」 12・1%を大きく引き離して1位となった。育児は夫婦でやるものと思っていたが、 現在の子育てをする女性から見て、父親は「役に立たない」というイメージが 主流であることがわかった。また、父親が今、実際に担当している育児では 「何もしていない」が12・0%もあり、育児に関心の低いお父さんが結構多いとも言える。
 子育てに無関心な男性が多くなれば、女性は自立するしかなく、一人で子供を 育てるようになる。父親の役割って何だろう?昔のような強い父親が いなくなった結果、最近の犯罪の低年齢化が進んでいるようにも思える。父親として できることはしっかりやって行きたい。

■2004年1月21日(水曜日)
   アンビバレンス練習会に参加。種子骨障害の痛みがまだ怪しいので、長距離の練習では ひどくなると判断し、今週も短距離に入れてもらい練習した。メニューは200m×3を 2セット。設定が29秒ということで、気持ちよく走れるなぁと思っていたが、実際に スタートすると26秒台前半。1本目でこれだけ行くと、2本目以降も、ペースを変えることが できず、ずっと26秒台前半。1セット終わった時点でかなりの疲労になった。
 2セット目も1本目からペースは変わらず。1本走った時点で、ももの裏が痛くなり、 肉離れになりそうな雰囲気だったので、そこで止めた。
 気候は寒い割に、それに見合わぬ強度の高い練習だった。もう少しスピードを抑えて、 自分のペースで走るべきだった。

■2004年1月20日(火曜日)
   シアトルマリナーズの佐々木投手が退団するというニュースを聞いた。アメリカでの 単身生活を経験して、家族とともに暮らすことを望んだのが最大の理由だった。 自分の仕事と、家族を両立させることは難しい。
 日本の球団に戻るには、大リーグの他球団からの獲得申し入れがないことが 条件だそうで、日本での復帰がかなえば、アテネオリンピック出場の可能性も出てくる。
 自衛隊でも特に幹部は2〜3年に1回は転勤がある。子供が大きくなって学校へ 通うようになれば必ず単身赴任になってくる。2〜3年経って、転勤の時期が来ても 単身赴任が解消されるとは限らない。家族とともに暮らすということは、子供が 何度も転校をさせられてしまうということ。家族のことを考えると、単身赴任。 自衛官妻は夫が定年になるまでそれに付き合わされ、子供を一人で育てなければならない。 とても大変な職業なのかもしれない。

■2004年1月19日(月曜日)
   有楽町にある東京国際フォーラムで開催されている「人体の不思議展」へ行った。 電車にベビーカーを乗せていくと大変そうだったので、車で行くことにしたが、 都内は、左車線に路上駐車が多く、まともに走れず困った。さらに自分の車線を 走っているのに、ある車は、隣から横付けするように近づいてきてクラクションを 鳴らしてくるので、びっくりした。その車はベンツ。こういう車を乗る人たちは、 みんな態度がでかく、運転態度も悪いんじゃないかと思えてきた。都内の道路で 最も困ったのは、一方通行が多く、なかなか自分の行きたい場所へたどり 着けなかったこと。東京国際フォーラムは目の前にあるのに、駐車場へ繋がる 道へ行けず、2度も銀座方面を回る羽目になった。
 人体の不思議展は、昨年の秋から開かれていて、期限は年末までだったが、人気が あるので、2月1日まで会期延長になっていた。平日にもかかわらず、お客は、 多く、若い人からお年寄りまで、いろんな客層がいた。ガラスのケースの中に 人間の筋肉や骨、臓器などが入っていて、見学者はそれに群がるという様子。 見る順番はないので、好きなところへ行って見ればよく、それがかえって混雑を まねいているようにも見えた。
 骨と神経だけを抽出した人体や、血管だけを抽出した臓器、人体を輪切りにした 展示など、普通は見ることができないものばかりだった。喫煙をしている人と、 していない人の肺の展示もあったが、喫煙した肺は見事に灰色と黒のまだらに なっていて、非喫煙者の肺は見事にピンクという対照的な色だった。灰色の肺は まさに死んでいるという感じだった。喫煙者は好んでこのような肺になろうと しているんだなぁと思った。
 途中で子供が泣き出して、泣きやませることができなくなったため、後半は じっくりと見ることができずにさっさと会場を出てきてしまった。しかし、 骨に付着する筋肉の付き方を実際に見ることができて、絵でしか見たことの なかった人体を具体的にイメージできるようになったことが大きな収穫だった。

■2004年1月18日(日曜日)
   買い物をするために大泉学園、光が丘、戸田へ行った。移動は車なので、子供は、 車に乗るたびにチャイルドシートへくくりつけられ、泣き叫ぶが、車が動き出すと あっという間に寝てしまう。かなりの勢いで泣いたとしても、だいたい寝てしまう。 本当に不思議。車を降りるといったん起きるが、ベビーカーに乗るとまた寝てしまう。 寝起きが良いときには、誰にでも愛想笑いをしてくれて、みんながかわいがって くれるのがとても気持ちいい。
 最近は、げんこつや指をおしゃぶりするので、手を清潔にしておかなければ、と 思うが、いろんなところを触ったり握ったりするので、清潔にしておくことが 難しい。特に衣類の小さな毛やわた埃が多く、いくら取り去っても、次から次へと 手の平のすじや指の間から出てくる。まるで手から糸が出てくるスパイダーマンのようだ。

■2004年1月17日(土曜日)
   日本中で雪が降るというような天気予報だったが、関東は、時折雪がちらつくだけで、 1日が終わった。
 午前中は、雪が降ったら走るのイヤだなぁと思いながら、陸上班の練習に参加した。 メニューは3000m+2000mを2セット。設定タイムは9分15秒と6分10秒。 シーズン中であれば、3分05秒/kmなので、ゆっくりとしたペースという感覚で、 こなすはずだが、今日は気温が0度に近く、身体が動きにくかったり、昨日はウェイト トレーニングをやって、筋肉が疲労しているためか、全く走れなかった。
 初めの3000mのうち2000mまでは設定通りいったが、その後は、3分20秒前後 のタイムでしか行けなかった。呼吸が辛く、有酸素運動の強度を超えていた。先頭は、 呼吸が乱れることもなく気持ちいい有酸素運動をやっていた。彼らは、来週から 沖縄合宿。うらやましい職業だなぁとあらためて思った。

■2004年1月16日(金曜日)
   学生には、授業で走りについて教えることがあるが、理論は日に日に進歩して、昨日 正しかったことが、今日は正しくなかったりする。頭の中では理解した気分になり、 説明をしてみるが、実際にそういうイメージで動きをやってみても、なかなか その説明通りの動きはできない。それがもどかしくて仕方ない。日頃、 指導者がしっかりとした動作を見せられなければ、説得力がない、と学生には話して いたが、最近は、自分ができないために自信を持ってそういう言葉を出せなくなった。 運動の技術というのは、やっぱり何度も繰り返して自分のものになるので、走ることを さらに追求し、自信を持って話せるようになりたい。

■2004年1月15日(木曜日)
   最近子供がなんで泣いているのかわからなくて、夫婦とも疲れてきた。 特に妻は1日中子供と一緒なので、自分が家に帰ってきたときには、 グッタリとして、自分が子守を交代するが、自分が子供をあずかったとたんに 子供が泣き出す。結局エサをくれる母親の方がいいということになり、 なかなか妻は子供から解放されない。夜9時過ぎには夫婦でダウン。子供も たまたま寝てくれたので、その横で、2人とも風呂も入らずそのままの服装で 寝てしまった。
 最近、赤ちゃんの泣き声で、赤ちゃんが何を言おうとしているのかわかる、 「赤ちゃんリンガル」なるものが発売されたと聞いた。犬や猫のバージョンは あったが、とうとう人にも適用できるようになった。どういうものかためしてみたい という気持ちがとっても強くなってきた。買ってみようかなぁ・・・

■2004年1月14日(水曜日)
   アンビバレンス練習会。今日はこの冬1番の寒さで、そのためかいつもよりも 織田フィールドで練習をする人は少なかった。先週から種子骨障害が再発したことも あり、長い時間走るとまた痛みが強くなるので、短距離と一緒に走った。
 メニューは200m+100m+200m+100mと500mだったが、 あまりにも寒くて、短い距離を走るには適していないということで、500m+300m を2セットやることにした。
 最近は短い距離をメインに走ることはなかったので、1本目はかなりきつかった。 2本目以降は慣れてきて楽に走れるようになった。たまには、こういう刺激も大事 だなぁと思った。

■2004年1月13日(火曜日)
   ここ1週間の間、1日おきにお酒を飲む機会があり、そのたびにタバコの煙を 吸う。タバコを吸う人は、好んで煙を吸っているのだからいいけど、吸わない人に とっては、本当に迷惑。食事はおいしくないし、服や身体には匂いがつくし、 家に帰ると家族にも迷惑がかかる。
 全てのガンの原因の30%はタバコに由来すると言われ、もし禁煙に成功すれば、 これによりガンによる死亡率は8〜15%も減少すると予測されるという。ガン化と いうのは、老化と表裏一体の関係であると言われ、喫煙は老化の促進要因とも言える。
 アメリカのある調査によれば、喫煙習慣を持つ従業員は、非喫煙者に比べて、 病欠期間2倍、入院期間で2倍以上、病気による退職は4倍以上も多いと言う。また 企業主は、喫煙する従業員1人に対して、年間で500ドルほど余分に支払う算段とも なる。そして禁煙により、国全体の医療費の25%は削減が可能だと言っている、と スポーツプログラマーの授業で習った覚えがある。
 国は、税金をどこから取るべきかを考える前に、国民に対して禁煙を進めるほうが、 税金の無駄遣いが少なくなるのではないか?なんて思ったりする。
 普通の飲み会でタバコを吸わない場合というのは少ない。非喫煙者が副流煙の 被害に遭わないためにも、全てのタバコが煙のでないものにならないものか・・・

■2004年1月12日(月曜日)
   成人の日になり、沖縄ではまた、成人と警察官との戦いがあった。道を占拠して、 鏡割りしてみたり、街のいたるところで警察官との揉み合い。15人が検挙 され1人が逮捕。静岡の伊東では成人式会場で、最前列が騒ぎだし、 舞台に上がって、垂れ幕を引き下ろしていた。
 昔だったら20歳といえば、とっくに元服して大人として振る舞っている年 だが、今の20歳というのは、一部の者たちに限っては、幼稚園生か小学生 くらいの振る舞いしかできないというのが、悲しい。大人の自覚が全くない。 20年間、何をやってきたのかなぁと思う。

■2004年1月11日(日曜日)


増田夫妻
   同期の結婚式が都内であった。今回の主役は、F15のパイロットと政府専用機の 客室乗務員という組み合わせ。会場は家を一軒借り切ったハウスウェディングで、 庭で結婚式を行い、部屋の中で披露宴があった。披露宴の最中は、ピアノやバイオリンなど の生演奏が続き、立食で、ボーイさんがつまようじに刺さった料理をどんどん持ってきて、 招待者は適当に料理を取って食べながら、いろいろな人と話せ、今までにない披露宴だった。 自分は新郎側の招待者だったが、新婦側の招待者に、自分が以前いた職場の上司や同僚が 来ていたのには驚いた。世の中何処でつながっているかわからない。
 久しぶりに会う同期が多く、同期会に近かった。大半は結婚していて、子供の話で 盛りあがったり、2次会、3次会になって酔っぱらってくるといろいろな議論が あっておもしろかった。

■2004年1月10日(土曜日)
   陸上班の練習に参加。メニューは400m×3+1000m×5+400m×3。 ペース設定はそれ程速くなく、普通だったらついて行けるはずだったのに、1000m の4本目で身体が動かなくなり離れてしまった。この年末年始に、ほとんど運動を しなかったツケが見事に出てしまった。この10年くらいで一番運動をしなかった。 継続の大切さを再認識できた。年末年始の生活を反省し、今日から頑張りたい。

■2004年1月9日(金曜日)
   体育学校で今日で定年退官をした人がいて、退官パーティーに参加した。 生まれがサハリンで、小学校の時に日本へ引き揚げてきたということで、 歴史を感じた。
 参加者は70人くらいいで会場はいっぱいだった。こういう時に人が集まって くれるかくれないかは、その人の人柄による。定年するときに、この仕事を やっていてよかったと振り返られるようになりたい。

■2004年1月8日(木曜日)
   朝霞駐屯地で、イラクへ行く自衛隊へ同行するマスコミ関係者の体験訓練が あった。装備や応急手当の方法などを紹介する場所が体育学校の体育館だった ため、体育学校前の道は、パラボラアンテナを積んだテレビ局の車がたくさん 止まり、夕方のニュースでは、体育学校の体育館から生放送をしていた。
 訓練は自衛隊側が用意したシナリオに沿ってマスコミ関係者が順番に回って 体験してゆくものだった。シナリオの中には、友好的なイラク人を頼って、 自分たちのキャンプへ連れて行ってもらうというものもあった。信用できる人か どうかをどうやって判断するのかなぁ?と思った。
 とにかく、こういう報道によって自衛隊への理解が広まってくれればいい。

■2004年1月7日(水曜日)
   新年を迎えて最初のアンビバレンス練習会。織田フィールドは、いつもよりは 人が少なく、走りやすかった。
 今日は、昨年まで日産自動車で選手をしていた山崎くんが練習に来てくれて、一緒に 走ることができた。彼は、800mの中学、高校チャンピオン、1500mでは 大学チャンピオンになっているすごい人。自分とは学年が一緒なので、高校時代は あこがれの選手で、大学時代に友達になった。最近は似たような成績で、お互いに 落ち目という感じ。
 練習は8000m。4000mまでは4分/kmとゆったりとしたペースで、 後半は10〜20秒ずつ上がり、最後は3分/km近くになった。年末年始は、 ほとんど走っていなかったため、最後は苦しくて離れそうになった。
 8000mが終わった後に、200mを3本くらい、軽く流そうとしたが、 スタートしてすぐ両足を攣った。
 腹筋もだんだん見えなくなって、身体の切れもなくなっている。体重も重くなって いる。無理に強度の高い練習はせず、まずは、ゆっくりとしたペースで長めに走り、 脂肪を落としたほうが良さそうだ。

■2004年1月6日(火曜日)


うさぎとお休み
   子供がもうすぐ3ヶ月になるが、どのくらい成長したのかなぁと思って、 近くのイトーヨーカドーへ身長と体重をはかりに行った。生まれた時には 49.5cmだったのが62.9cm、3082gだったのが6400gに なっていた。たった3ヶ月で体重は2倍以上。赤ん坊の成長というのは とても速い。顔の大きさも随分大きくなって、生まれたときとは顔が変わって 来ている。仰向けに寝ていることが多いためか、後頭部は、相変わらず、 平らになっている。ハイハイするようになれば、それもなくなるのだろうか? 毎日、毎日目が離せない。

■2004年1月5日(月曜日)


大羽家において
   東京へ帰った。行きは12時間かかったが、帰りは、渋滞もなく、2時間ちょっとで、 富士川まで来た。富士川で授乳休憩をしたあと、裾野にいる中学時代の友達の家へ 遊びに行った。大羽夫妻は、中学校の同級生で、2歳の子供と、我が家の子供と 同じ月に生まれたゼロ歳児がいる。誕生日は1週間しか違わなかったが、我が家の 子供よりも軽く、女の子だからなのか、皮膚がふわふわとした感じがあった。
 裾野で3〜4時間くらいいたが、実家から官舎へはトータルで9時間くらい。 行きと比べるとかなり早く帰ってこられた。運転疲れたぁ・・・

■2004年1月4日(日曜日)
   1年半ぶりに洗車をした。車を買ってから洗車をしたのはこれで2回目。全然、車を 大切にしていなかったなぁと反省はするものの、普通に生活していると、なかなか 洗車という選択肢は出てこない。
 妹2人が車を洗っているのを見て、実家ならば水を気にすることはないし、洗剤や ワックスもあるから、洗車するなら今しかないと思ったのがきっかけ。兄弟全員が 実家に寄生しているみたい。
 今までの汚れを落とすには、しっかりとこすらなければならなかった。きれいに なってくると、うれしくなって作業も進むが、気温は低いし、水は冷たいし、なかなか 辛い作業だった。また高速に乗ると、あっという間に汚れるので、きれいにはなったが なんか複雑な心境だった。

■2004年1月3日(土曜日)


授乳後(至福の瞬間)
   箱根駅伝の復路は、1位から3位までは往路と変わらず、4位以降の順位争いが おもしろかった。往路で13位だった中大が山下りで一気に8位まで順位を上げ、 最終的には7位、順天堂も12位から5位へ、往路で4位だった日体大が9位に 落ちるなど、順位の変動はめまぐるしかった。往路で精彩を欠いた山学大、早大、 大東大は、全くふるわず、シード権落ち。日本学連選抜は全体では6位。陸上では あまり名前を聞かない国立大学の学生もいて、陸上は有名私立だけではないという 存在感を示してくれ、痛快だった。
 昼前には、母親の実家へ新年の挨拶にいった。祖母は、うちの子供とは初めての 対面で、とても喜んでくれた。家にいるときにはよく泣くのに、よその家へ行くと、 急に愛想がよくなり、みんなに良くかわいがられた。赤ん坊はうまくできているなぁと 思った。

■2004年1月2日(金曜日)


還暦祝い
   箱根駅伝が始まった。初日は駒大がトップ。2位は東海大だったが、2位以下は 混戦で、亜細亜大が3位というのには驚いた。また、常に上位に入っている、 山学大、順大、中大、早大、大東大がシード権争いの10位に入って いないのが意外だった。そして、5区の山登りでは、常連校を差しおいて オープン参加の日本学連選抜チームが区間賞を取ったのが、痛快だった。今までは 関東学連だけの箱根駅伝だったが、こういう刺激が入ることで、更にレベルアップ ができるように思う。
 この1月で父が還暦になるということで、夜は還暦のお祝いをした。還暦といえば 赤いちゃんちゃんこというイメージがあるが、それをプレゼントしてもあまり実用性が ないので、普段使えるジャンパーをプレゼントした。また60歳になるのに、今年も 市民駅伝に出場するということで、赤い縁取りのあるランニング用の手袋も プレゼントした。父は年を取ったなぁと思ったが、それだけ自分も年を取ってしまった ことを実感した。

■2004年1月1日(木曜日)


岡崎の日の出



近所の神社にて
   全日本実業団駅伝(ニューイヤー駅伝)をテレビで応援していた。シーズン中は 1500mを一緒に走っている選手達が、20km近い区間で、上位を走っていて、 驚いた。特に前半のくろしお通信の走りはすばらしかった。
 自衛隊体育学校はエースの平田君が熱で欠場し、戦力ダウンの状態で、スタートした。 1区で30位台と出遅れたが、2区の松村さんが20位台前半まで上げた。その後、 テレビは、先頭争いばかりが映され、我が社は、何位なのか全くわからなくなった。 次にテレビに出たときには、なんと15位まで上がっていた。誰が順位を上げたのかは わからないが、来年のこの大会へ出られるシード権が得られる順位まで上がっている のには驚いた。そして最終的に14位でゴールし、シード権を獲得した。
 平成に入って、体育学校が大卒の選手を積極的に採用するようになって初めての シード権獲得。久しぶりのみんなの快走に、うれしくなった。すばらしい新年の幕開け になった。



[昔のいずみ]