最近のいずみ

Last Update:2004/2/29

パートタイムアスリートいずみ 4年目に突入!! 


■2004年2月29日(日曜日)


男女1位〜3位(3位が2人)



安斎先輩と
   千葉県オリエンテーリング協会大会に参加。場所は千葉県君津市。この大会は、 ナショナルチームの人たちが全員参加ということで、とてもレベルの高い戦いだった。 午前中が予選で、午後が決勝。2本走るレースは初めてだった。
 距離は2kmほど、優勝タイムが15分くらいという設定だった。予選は2番目の スタートだった。会場が本当に山の中で、頼りになるのは、地図にある等高線と植生界 だけだった。スタート地点から、どう進んだらいいのか迷って、なかなか第1コントロールに いけなかった。自分より3分後にスタートした人まで追いつかれた。その後は、 前の人を少し当てにしながら、できるだけ自分で地図とコンパスを使って進んだ。 最終コントロール手前の下りで足を捻挫し、ヒヤッとした。
 予選の結果は22人中20位。自分は26分12秒。トップは16分25秒だった。
 決勝は、上位11人がA決勝、残りがB決勝だった。B決勝は、一斉スタートだった。 捻挫の痛みは、それ程なかったので、決勝も走ることにした。まわりは、みんな オリエンテーリングの上級者ばかり。スタート直後は、ずっと下りだったが、山の中 なのに全員ものすごい勢いで下っていってしまい、自分ひとりだけ取り残されてしまった。 前にいる人を追いかけながら、ある程度地図を見て走るという感じで、なんとか 最後まで走りきった。
 B決勝のトップは14分24秒。自分は17分13秒だった。A決勝は13分50秒 だった。平地での走力は断然自分の方が上だが、特に下り坂の走力は、オリエンテーリングの 選手の方が断然上だった。ナビゲーション能力のすごさもよくわかった。これから、 この能力を向上できるよう頑張ってゆきたい。

■2004年2月28日(土曜日)
   オリエンテーリングのナショナルチームの合同合宿に参加させてもらった。 高校の先輩がこの合宿に関わっていたので、紹介してもらい、参加することができた。 メンバーは大学生から30歳代までいろいろで、男女一緒だった。陸上では、 男女一緒の合宿でも、実際はメニューが別で、食事の時だけ一緒という感じだが、 オリエンテーリングのトレーニングは、個人個人で走るので、男女とも同じメニューで、 それぞれのペースで行うという感じだった。
 メニューはポイントオリエンテーリングで、2kmを2本、3.5kmを1本、 最後に、2人一組でリレーオリエンテーリング2〜2.5kmを2本やった。地図に書いてある 直線距離が2kmという意味なので、実際は、もっと走ることになる。
 会場は昭和の森。2週間前に千葉クロカンで走ったところだが、昭和の森は、 森というだけあって芝だけではなかった。かなり大きな森もあり、過酷な坂がたくさん あった。初めの1本だけトレーナーの方についてもらい、オリエンテーリングのコツなどを 教えてもらった。2本目からは自分一人で走った。今回は電子式のコントロールカードで、 ゴールした後は、トータルタイムだけではなく各コントロール間のタイムが出るので、 区間毎に、人とタイムを比べることができた。自分は頑張って走ったが、コントロールを すぐに見つけることができないため、かなり遅れを取った。当然ナショナルチームの 人たちなので、ピンポイントでコントロールまで行く。地図と現実が一致しているんだなぁ と思った。

■2004年2月27日(金曜日)
   航空自衛官は1年に1度体力測定をすることになっているため、体力測定をした。 種目は8種目。半分以上の種目は満点を取れるが、難しいのは、握力、走り幅跳び、 ハンドボール投げ、懸垂。最近のウェイトトレーニングのおかげか、握力は左右 平均59kgで20点中19点、懸垂は、21回で20点満点だった。
 走り幅跳びはとハンドボール投げは、普段全くやっていない種目なので、 急にできることはなかった。走り幅跳びは、3歩助走の練習までは、意外と うまくいっていたが、全助走で測定することになったら、まったくうまく行かなかった。 記録は5m35cm、13点。ハンドボールは33mで13点だった。1級は各種目の 最低点が12点以上で、合計が140点以上ということで、今回は145点で1級だった。 思ったよりも技術系の種目ができなかった。人に教えられるよう、技術系種目は、 研究しなければならないと思った。

■2004年2月26日(木曜日)
   睡眠時間について40歳から79歳の男女約10万人を対象に、10年間追跡 調査をした結果がアメリカの睡眠学会誌発表された。
 死亡率が最も低かったのは、男女とも睡眠時間が7時間と答えたグループで、 睡眠時間が4時間以下の人は、7時間の人に比べて男性で62%、女性で60%、 死亡率が高く、10時間以上の人も、それぞれ73%、92%高かった。
 よく言われる「8時間睡眠」は、7時間睡眠に比べて、男性で11%、女性23%、 それぞれ死亡率が高いという結果が出た。
 睡眠は長くても短くてもよくないというのが驚きだった。最近の睡眠時間はだいたい6時間。 少ないのかも・・・。7時間にこだわらなくても、ストレスのない生活をすれば、 まったく問題ないような気もする。

■2004年2月25日(水曜日)
   アンビバレンス練習会へ行く途中、山の手線の電車の中で、変な兄ちゃんを見た。 突然立ち上がって、歩き出し、携帯電話をいじっている人にイヤな目つきで注意をし、 その人が携帯電話をしまうと、また別の人のところへ行き、注意を繰り返し、その車両を 全部回ったところで、元の場所へ戻ってきた。当然空けた席は、別の人に取られ、 座れない。席が空いたらまた座り、周りを見ては、携帯電話を持っている人を注意 していた。その兄ちゃんは、ウォークマンを結構な大音響で聴いていて、迷惑だった。 服装は、かなり汚れていてだらしなく、大音響でウォークマンを聴いていては、 携帯電話をいじるなといわれても説得力がない。最近では、電車の中もマナーモード で使いましょうという方針に変わり、携帯電話自体は、あまり注意される対象でも なくなった。
 自分が電車を降りる直前に、その兄ちゃんは、携帯電話を出している外人さんに 声をかけ、日本語で必死に説得していた。「心臓のペースメーカーをつけている人が いたらどうするんだ!!」と。電磁波がペースメーカーによくないのだから、大音響を 鳴らしているウォークマンからは影響が出ないのだろうか?と思った。少なからず電磁波は 出ているはず。人を説得するときには、自分が、しっかりしていないと説得力がない。 人を見ながら自分の襟を正さねば・・・と思った。

■2004年2月24日(火曜日)
   地下鉄サリン事件に関するドラマを見た。主にオウム真理教の元幹部の証言を 元に構成され、それぞれの証言も対立している部分があることを前提に、 警察とオウムの戦いが描かれていた。
 地下鉄サリン事件が起こる前から、警察がオウムのサリンの製造をすでに知っていた いうことに驚いた。またオウム真理教の脱会希望者に対する拷問は、この世の地獄だった。 薬を投与して、狭い部屋へ入れたままにしたり、50度のお湯につけられたり、 次から次へと、考えつかないような仕打ちが用意されていた。上九一色村はオウムの 強制収容所だったのかもしれない。
 また、信者に麻薬を投与し、幻想を見させ、教祖の偉大さを理解させるという、 とても卑怯な方法で信じる者を増やしていた。テレビを見ていて、オウム真理教全てが 犯罪に見えてきてしまった。どこまでが犯罪かはわからないが、全てが犯罪に見えて しまうくらいテレビのドラマは印象に残った。

■2004年2月23日(月曜日)
   テレビで、名前の後に元死刑囚という言葉をつけてアナウンスしているニュースがあった。 元死刑囚ということは、今は死刑囚ではないということ。なんでわざわざ死刑囚でもないのに、 名前の後に元死刑囚と付け加えるのか?納得できなかった。死刑囚でなくとも、報道では、 元自衛官とか、元警察官という言い方をよくされる。今は違うのに、なんで元の職業について 言われてしまうのか?妻は、「それって差別用語みたいなものじゃない?」と言っていた。 死刑囚については、差別なのかもしれない。自衛官や警察官については、悪いことをする はずのない人が悪いことをしたということで、現役の人への見せしめみたいな雰囲気がある ように思える。公務員でなくても当然悪いことをしてはいけないのに、なんで公務員ばかり ・・・と自分が公務員のためなのか、強く意識してしまう。

■2004年2月22日(日曜日)
   妻が1日外へ出かけているので、自分が子守をすることになった。寝ているときは いいが、目を覚ましてしまうと、かまってやらなかったり、自分の姿が視界から見えなく なるとすぐに泣き出す。赤ん坊には、しっかりと人の姿が見えてるということが よくわかったが、泣かせないようにするためには、自分は赤ん坊をかまうしかなく、 何もできない。妻は1日中、こうやって赤ん坊と過ごしているのだから、なかなか きつい。休みくらいは、赤ん坊の面倒を見てやらなければ・・・と思った。

■2004年2月21日(土曜日)


熊谷で一緒だった渡辺くん
   体育学校の体育館で全自衛隊剣道大会が行われた。防大のOBもたくさんいて、 防大の同期と後輩に会うことができた。2人とも防大チームとして参加し、団体戦は AチームとBチームの2チームが出場していたが、どちらも1回戦で負けてしまった。
 後輩の渡辺くんは個人戦も負けてしまったということで、初日で試合は終わってしまった。 普段は大学院生として、机に向かっていることが多く、それ程練習をしているわけでは なかったらしいが、やっぱり負けると悔しそうだった。
 同期の高田くんは、剣道部OB会の仕事もしているそうで、OBからの注文がうるさく、 夜遅くまでOB会の仕事をするとこともあり、かなり疲れていた。通常の仕事よりも 疲れるOB会の仕事っていったいどんなものなのだろう?
 毎年剣道大会の時だけ剣道の試合を見るのだが、両者が同時に面を打ったときには、 どちらに入ったのか全くわからない。選手でも納得行かないことがよくあるらしい。 人によって偏ってしまいそうだが、審判はだいたい一致して旗を上げていた。審判という のはすごい。

■2004年2月20日(金曜日)


朝の富士山
   御殿場から帰ってきた。障害走の目標タイムに達していない学生がいた場合は、 午前中に再測定になっていたが、全員が目標タイムを切ることができ、午前中に は朝霞へ戻ってきた。
 この冬は、特にうがいと手洗いをよくするようにしているので、朝霞に帰って すぐにいつも通りうがいと手洗いをした。朝霞の水は、まずかった。御殿場の水道水 を口に含んだとき、埼玉よりまともだと思ったが、朝霞に帰ってきて、御殿場の水の ありがたさに気づいた。今まではあまり気にしていなかったが、埼玉の水はかなり ひどい。家にある浄水器を通した水でも御殿場の水よりまずいと思った。
 住む場所を変えない限り、今の水道からは離れることができない。これからは、 体に悪いんだろうなぁと思いながら埼玉の水を使い続けることになるんだろうなぁ。

■2004年2月19日(木曜日)


夕方の富士山
   滝ヶ原駐屯地前を通る道がちょうど富士登山駅伝で走る1区の道になっているので、 登山駅伝はどのくらいきついのか体験してみようと思い、駐屯地前から、御殿場口の 新五合目に向けて走ってみた。滝ヶ原駐屯地を過ぎて国立中央青年の家前が第1中継所で そこから2区が始まる。2区からは、山の中だが、道の左右は自衛隊の演習場。何処 まで登っていっても演習場だった。自衛隊はかなり広大な敷地を持っているなぁと思った。 でも、大きな弾を撃つ時には、アメリカまで行くのだから、アメリカの演習場は、 とんでもなく広いものだと想像できた。
 駐屯地から50分走って、新五合目の手前まで来て、帰ってきた。帰りは、ずっと 下り。上りは、達成感を得られるが、下りは単調ですぐに飽きてしまった。帰りは、 20分くらいで下ってきた。富士登山駅伝は、自分が走った道を、自分で走って 戻らなければならない。1日に2度走ることになる。上りだけ走って、終われない。 あらためて過酷なレースであることを認識した。

■2004年2月18日(水曜日)


柵木家の人々と
   滝ヶ原駐屯地は、富士山の方向へ向かってずっと上りになっている傾いた 駐屯地で、ヒルトレーニングには適している。こんなにすばらしいトレーニング環境は なかなかないので、ヒルトレーニングをやった。だいたい230mくらいの 直線の坂を15本走ることにした。1本目は勢いよく走れたが、2本目以降、 極端にタイムが落ちた。8本目に来たときには、動けなくなりそうで、12本で 終わることにした。しかし9本には走り終わった直後に吐き気があり、10本目で 吐いた。これ以上は無理と判断し、10本で終了。富士山の麓でもあり、土地も高いので、 通常走る感覚と同じように走っていると、かなりの負荷になることを知った。 体育学校がこういったちょっとした高地にあれば、いいトレーニングになるのになぁと 思った。
 夜は大学の同期、柵木(ませき)くんの家に招待を受けた。柵木家は、借家だが 立派な一軒家。お隣さんの職業がアーチストらしく、自宅が渋谷ということで、渋谷から たまにやってきて、騒がしく歌ったり、何かを削って大きな音を出したり、電話口では 英語で話したり、訳のわからない人だという話を聞いた。柵木家は、非常に迷惑している らしいが、このアーチストが気になって仕方なく、嫌いでもなさそうだった。いろんな ひとがいるもんだ。 

■2004年2月17日(火曜日)


富士学校から見えた富士山



障害を通過する学生たち
   今日から御殿場での訓練。訓練といっても自分は管理をする側で、主役は学生。 陸上自衛隊の富士学校にある障害走路を使って、障害走をするのが目的。昨年までは 障害走は、栃木県鹿沼市の山を使って行っていたが、今回から富士学校で行うことに なった。
 御殿場は、朝方は気温が氷点下になり、日中も寒いと聞いていたので、かなりの 防寒具を準備していたが、今日は暖かく、少し走ると汗が出てくるほどだった。 夕方になると、風が強くなり、寒くなってきたが、1日天気はよく、とても訓練し やすかった。
 富士学校の障害走路は、2.8kmあり、その間、30もの障害がある。走力は もちろん必要だが、障害を越える能力もかなりのウェイトを占める。今日は、実際に 走路を回り、障害一つ一つを通過する方法を習んだ。手榴弾投げという障害もあり、 手榴弾が目標に届かなければペナルティーが課され、目標に届くまで投げ続け なければならない。総合的な体力が必要な運動だと感じた。

■2004年2月16日(月曜日)
   産経新聞の経済面にあった記事で、アメリカからの牛肉輸入が停止され、 先週から、大手牛丼チェーン店の牛丼が食べられなくなったが、問題は、 牛肉だけではないということを述べていた。
 日本の食料自給率はおよそ4割。日本食の代表とも言える納豆や、みそ汁、 豆腐の原料になる大豆については、自給率が1割にも満たないという。普段 自分たちが口にしている食べ物の半分以上は外国産という事実に驚いた。 これでは、海外から食料が輸入できなくなったときには、日本は飢えてしまう。
 日本に比べて、ヨーロッパの国々では、その点努力している。以前は5割に 満たなかったイギリスが7割に、ドイツは10割になり、フランスは、 13割という状態で、3割も余分に生産している。
 牛肉や鶏肉ばかりに注目が集まっているが、日本の食料自給率を考えると、 こんなのは氷山の一角で、まだまだ顕在化していない問題が山積みなのでは ないかと思えてきた。将来は自足自給の生活を目指そうか・・・

■2004年2月15日(日曜日)


2km手前



残り200m
   千葉国際クロスカントリーに出場した。この大会に参加するのは3回目。 距離は4kmで、過去2回の大会はだいたい12分半前後で走っている。 今回の目標は、前回と同じくらいのタイム。全く進歩のない目標だが、 去年よりも走れていないので、その目標すら高いような感じがあった。
 招待選手には徳本くん(日清食品)など、日本のトップ選手も何人か エントリーされ、レベルの高いレースが予想された。
 毎年スタートはダッシュをしているイメージがあったが、今年はそれ程 ダッシュしている感覚はなく、落ち着いて走れた。1000m通過が2分45秒で 先頭からは2秒ほど遅れて通過したが、1000m通過後の第1障害で、前の人が つまずいたため、自分もその人にぶつかりスピードが落ち、一気にリズムが崩れた。
 2000mの通過は5分58秒で、初めの1000mよりも30秒ほどペースが 落ちた。その後は、腕がパンパンに張って、脚は辛くないが、呼吸が苦しくなり、 ペースは更に落ちた。
 ペースが落ちてから、階段があったり、アップダウンのあるコースに入ったりして、 更に走れなくなった。あとは惰性で走っているだけで、妥協して走っていることが 自分でわかりながらもそれ以上頑張れないままゴールまで行ってしまった。
 タイムは12分55秒。今までで一番悪いタイムだった。妥協する自分がいるのが わかっていながら、どうすることもできなかった。試合ではここまで、気持ちで負け たことがなかったので、とてもショックだった。厳しいトレーニングをしていない ツケなのかなぁ・・・体は苦しくなくても呼吸が苦しいというのは、追い込む練習が 全くできていないということ。一人でも追い込む練習をしなくては・・・

■2004年2月14日(土曜日)
   妻が車を運転して、妻の実家へ向かった。免許を取って1年が過ぎ、そろそろ 慣れてもいい頃だが、妊娠してからはほとんど乗っていないので、なかなか 思うように運転ができない。自分の進むべきルートがわからないまま運転したり、 車線の変更が恐くて、なかなか車線が変更できず、見ていてイライラしてしまった。 イライラすると、どうしても怒鳴ってしまう。怒鳴ると、言われた側は恐怖だけが 残ってしまう。そうすると同じ動作をするにもさらにできなくなってしまう。自分が 怒鳴ることによって、悪循環になることが、何度も怒鳴ってみてわかった。もっと、 どうすればいいかやさしく指示できなかったか?と自問自答し、妻へ怒鳴ったこと を反省した。コーチングというのは、とても難しい。

■2004年2月13日(金曜日)
   仙台名物の牛タンもBSEの影響がでることになるらしい。仙台名物というくらい だから、仙台の牛からとれるものかと思っていたが、実際は、戦後、アメリカの 進駐軍がタンを持ち込んだのが始まりで、庶民の食べ物になっていったらしい。 国産より、アメリカ産の方が安くてたくさん手にはいるため、現在では7割ほどが アメリカからの輸入に頼っていた。早いお店だと今月中には在庫が尽きてしまう。
 各地に名物と呼ばれる食べ物があるが、その名物の原材料は輸入に頼っていたり、 国内でも別の産地のものだったりすることのほうが多いのかもしれないと思った。

■2004年2月12日(木曜日)
   最近、子供がよく吐く。吐いた後に笑顔になったりする。この笑顔には どういう意味があるのだろうか?
 ここ1ヶ月くらいで指を口に入れる動作が多くなった。母乳を飲んだ 直後でも、口に指を持ってゆく。ひどいと、指を3本ほど口に入れている。 かなり奥の方まで入れているときもある。酔っぱらった人が気持ち悪いときに、 無理矢理口に指を突っ込んで吐くことがあるが、その練習をしているのでは ないか?と思えることもある。吐くことがこの動作と関係している かどうかわからないが、少しは関係ありそう。指を口に入れているのを 止めさせると、自分の腹筋を使って、指の方へ顔を持っていこうとする。 腹筋が強くなったなぁ、なんて喜んでいるが、それでも無理に指をなめさせないように すると、機嫌の悪くなることが多い。機嫌良く指をくわえさせないように できれば、一番いいが、そこが難しい。この辺がしつけになるのかなぁ?

■2004年2月11日(水曜日)
   テレビ朝日のニュースステーションにサッカーの三浦知良選手がゲストとして出ていた。 彼はもうすぐ37歳。現役選手では、かなり上の年齢になった。同じチーム内では、 彼の次に年を取っているのは30歳の選手だという。
 彼への質問で、一番興味をもったのは、その年齢になって、どのようにモチベーションを 保っているのかという質問。彼は、明日の自分はサッカーができないかもしれないという 危機感を持って、毎日プレーしていると答えた。若い人だったらあまり考えないような 答え。危機感をやる気に変えるというのは、意外な発想だった。危機感のあるときは、 プラス思考よりもマイナス思考が先行しそうだが、彼はそうやってこの年まで頑張って きたということを知った。
 明日はプレーできないかもしれないと思えば、今日頑張ろうという発想。つまり今できる ことをしっかりやろうということ。よく考えれば当たり前の話なのかもしれない。 1日1日を大事にしていくことを学んだ。

■2004年2月10日(火曜日)
   森林公園で学生のオリエンテーリング大会を開いた。これまでに学校内、駐屯地 内でのオリエンテーリングをやって、オリエンテーリングはどのようなものかを 体験してもらい、森林公園で総まとめという位置づけでこの大会を開催した。
 授業で地図の持ち方やコンパスの使い方を行い、とにかく地図を見て 自分の位置と地図上の位置をしっかり把握するように何度も言ってきたが、 本番になって、スタートしてしまうと、習ったことは忘れてしまい、 自分の感覚だけで走り出す者が本当に多かった。歩いても制限時間内にゴール できるはずなのに、散々走ってゴールできない者が何人かいた。
 学生にはくどいほど注意事項を話したが、全然聞いていない。2−8の法則という 話があるが、この話が当てはまるのかもしれない。会社に人はたくさんいるが、 働いているのはだいたい2割で、残りの8割はあまり働いていない。そこで働かない 8割を切り捨てて、2割の人だけを残したとしても、働くのはその2割だけというもの。 今回の件に当てはめると、学生全員に話をしても、だいたい2割くらしか聞いていない。 とにかく、大勢に話をするときには、聞いている人は少ないのだから、話をする側は、 少しでも多くの人が話に耳を傾けてくれるように工夫しなければいならない。

■2004年2月9日(月曜日)
   部外講師による栄養学の講義があった。内容は、種目別、トレーニング期別の 食事の取り方というもの。実際は、話がまとまらず、配られた資料の何処の話を しているのかわからなかった。長距離の合宿では食事の3〜4割を脂肪にしなさい、 1日の摂取カロリーを1万キロカロリーまで上げましょう、など極端な話が多かった。 信じていいものか、考えてしまった。ラグビーなどの人と当たるような競技では、 ウェイトトレーニングで自分の体重を上げるようにしなさいと言っていたが、 どういう動作で自分の体重を上げるのかは言ってくれなかった。普通に考えると ラグビーなどの競技では、自分の体重を上げるだけでは人に吹っ飛ばされるの ではないかと思った。当然自分の体重よりは重いものを上げているはず。
 先生はいろいろな企業や選手を見てきて、自分のことを優勝請負人と言っていたが、 話を聞いている限りでは、そうは思えなかった。題名になっていた種目別や トレーニング期別の食事については、あまり触れることもなく、はっきりしない 講義でがっかりした。講師選びというものなかなか難しいものだ。

■2004年2月8日(日曜日)
   東京国際マラソンが行われた。注目選手は何人かいて、テレビの中継ではその人たちを 中心に解説が行われていた。その中で、招待選手でない一般参加選手が頑張って 先頭集団に加わっていたのが印象に残った。マラソンは、急激に自己ベストを更新する 人もめずらしくないので、スタートしてしまって中盤まで残っていたら、誰にでもチャンスが 出てくるのかもしれない。
 今回優勝したのは、ケニア出身、ヤクルト所属のダニエル・ジェンガ選手。自分が 大学4年の時に、ホテルで突然彼から「おはようございます」と挨拶されたことを強烈に 覚えている。彼は、2時間6分台、7分台を連発している選手だったが、マラソンでの 優勝はなく初優勝だった。この優勝によって、ケニアのオリンピックマラソン代表候補 になったと思われる。
 2位に入ったのは、招待選手だったが、それ程注目はされていなかったNTT西日本大阪 の大崎選手。彼は実業団の選手として飯を食っているのではなく、フルタイムで仕事をした 後に練習をしているという、自分と同じパートタイムアスリート。自己ベストを1分くらい 更新して2時間8分46秒でゴールした。
 また上位に入ったNTT西日本広島の片山選手も同じようにパートタイムアスリート だった。こういう人たちが頑張っている姿を見ると、自分ももっと頑張れるのではないか と思えてくる。今の環境で、できる最高の努力をすることが大事なのだと思った。実業団 所属の選手よりも競技する環境は厳しいに決まっているが、スタートに立ったときには、 そういう環境は関係ない。それが勝負の世界。そこでフルタイムのアスリートと対等に 勝負するというのが、パートタイムアスリートの楽しみなのかもしれない。
 今回の日本人トップはパートタイムアスリートだった。こういう活躍はとても自分を やる気にさせてくれ、フルタイムアスリートたちは何をやっているんだ!!と言いたくなる。
 オリンピックマラソン代表選手は来月のびわ湖毎日マラソン終了後に決まる。大崎選手が 選ばれることを願っている。

■2004年2月7日(土曜日)
 午前中は陸上班の練習に参加。メニューは400m×10。設定は72秒。 ジョギング程度の感覚で走ればいいと思っていたが、実際に走ってみると68〜71秒台 だったため、ペースが一定にならず、きつかった。10本目は65秒で、ゴール後は、 吐いた。最近は、心肺機能に負荷をかけていなかったなぁ、と実感した。
   夜は陸上班の新年会に参加した。2月に入ってから、新年会というのも変な感じだが、 チームの沖縄合宿や実業団合宿などがあったために、みんなが集まることがなかった。 今回は特別ゲストとして、メキシコオリンピックウェイトリフティングで銅メダルを 獲得した三宅義行さんも参加された。
 三宅さんの娘さんは高校生ながらウェイトリフティングの日本チャンピオンで、 今年のアテネオリンピックの代表候補にも挙がっているということで、娘さんの 話をいろいろ聞かせてもらった。競技を始めて3年なのに、日本のトップになり、 国際大会に出ている。親の遺伝子の影響だなぁと思う。テレビの取材も多く、 3月以降は、いろいろな番組で娘さんが映ると聞いた。息子さんも体育学校で ウェイトリフティングをやって、日本チャンピオンになっている。すごい家族だ。

■2004年2月6日(金曜日)


腫れた右親指付け根
   職場でバレーボールの練習をした。バレーボールをするのは半年ぶりくらい。そのときは、 本格的に練習をしたのではなく、ちょっとバレーの試合をしただけ。今回は、たった40分 くらいの時間だったが本格的な練習だった。最初はパスから入り、レシーブ練習、スパイク 練習へと移っていった。普段バレーボールをやっていないため、ボールの落下点を予想して スパイクを打つということがなかなかできなかった。うまくタイミングが合わないだけでなく、 動作がぎこちなく、無駄な動きが多いと指摘された。タイミングがうまく合わないので、何度も 手の平を強打した。スパイク練習が終わる頃には、親指の付け根にある筋肉が攣ってしまい、 よく見ると、赤く腫れ上がっていた。練習が終わった後は、すぐに氷で冷やしたが、 なかなか腫れは引かず、物を握ると攣りそうになるので右手を使うことができず、食事は 左手でフォークを持って食べることになってしまった。慣れないことをするときには、 やりすぎに注意しなければならない。

■2004年2月5日(木曜日)
   月曜から木曜まで、毎朝NHKのラジオでハングル講座入門編を聞いている。 月曜から水曜までは、新しい内容を学び、木曜は復習という流れで、木曜日には 一般の人をゲストとして迎え、発音クリニックというコーナーが行われる。 ゲストには、毎回、なぜハングルを勉強しようと思ったかと質問される。 いつもは、韓国に旅行に行って、とか、在日の友人がいるからという理由なのだが、 今回ゲストとなった70歳のおじいさんは、ちょっと変わっていた。
 おじいさんは、在日の友人がいたが、その人が亡くなってしまったのが きっかけで勉強を始めたという。その友人とは普段は日本語で話していて、 ハングルは使っていなかった。自分は70歳になり、もう先が長くないので、 今のうちにハングルをマスターして、自分が死んだときには、あの世で彼と ハングルで会話をしたいという理由だった。あまりにも予想のできない答え だったため、司会もなんともいえない反応だった。
 70歳を過ぎると、自分があの世に行くということを前提に物事を考えるように なるのだろうか?年を取って家族に迷惑をかけながら生きるのなら、あの世のことも 考えるかも知れないが、そうでない限り、自分は、前向きに生きたいと思う。

■2004年2月4日(水曜日)
   アンビバレンス練習会。メニューは10000m、300m×4。10000mは 4000mまでは4分/kmで、その後は、ビルドアップしていった。人があまり 集まらなかったので、自分が引っ張ることになった。最後に3分20秒まで上げる ように走り、ペースはうまく上がり、予定通りにいったが、体の方はペースほど スムーズについていかなかった。先週の400mのインターバルの感覚からすれば、 3分20秒で苦しくなることはないはずなのに、苦しかった。
 300mは49秒以内で4本とも走れ、気持ちよく終われた。遅いペースの方が 疲れることもあり、10000mのことは、あまり気にしないほうがいいみたい。

■2004年2月3日(火曜日)
   節分の時期ということで、スーパーでは太巻きを食べようというようなキャンペーンを やっていたが、うちの食卓にも太巻きが出てきた。その年ごとに決まった方位を向いて その太巻きをかじるということで、今年の方位の東北東を向き、太巻きをかじった。
 この太巻きかじりは、節分の日に、その年によって決められた方向(恵方)に向いて 無言で太巻き寿司を丸かぶりすると、一年間健康で幸せに暮らせるらしい。家族全員で 同じ方向を向き、無言でかじるという光景を想像すると、変な感じがする。
 この行事は明治時代から始まったらしいが、20年ほど前に大阪の海苔屋さんが宣伝を 始めて、広まったとかで、バレンタインデーのチョコレートや誕生日のケーキみたいに、 いくらかは商売と絡んでいる。
 今までやったことのなかった習慣なので、わざわざ太巻きを買ってきて食べることに 抵抗があった。なにか説得力のある経緯があれば、来年も続けようかなぁと思うが、 今のところ、続けようという気になれない。何か説得力のある経緯はないものか?

■2004年2月2日(月曜日)
   日本語について考える番組を見た。「他人事(ひとごと)」を「たにんごと」、 「間髪(かんはつ)を入れる」を「かんぱつをいれる」、「大地震(おおじしん)」を 「だいじしん」と読んでしまったり、「来客がくる」、「過半数を超える」、 「宿敵のライバル」など、普段気がつかずに使っている、使い方のおかしい言葉が たくさんあることを知った。
 ファミリーレストランへ行くと、「〜でよろしかったでしょうか?」と注文した メニューを繰り返す言葉や「1万円からお預かりします」、「〜になります」という 言葉はいつも気になっていた。やっぱり使い方はおかしかった。
 渋谷に出没する少女たちは、携帯電話のメールで訳のわからない文字を使っていた。 わざわざ読みづら文章にしている。そして新しい言葉を作っていく。彼女たちのことは 理解できないことが多いが、おもしろい人種だと思う。
 最近若者が使う「うざい」という言葉は「うざったい」という奥多摩で使われていた 言葉が元になっていた。「うざったい」は、「気持ち悪い」というような意味合いで 使われ、人間に対して使う言葉ではなかったという。ひとつひとつ語源があって、 時間とともに意味が変わっていくのが言葉なのかなぁと思った。
 仕事では人前で話すことが多く、自信満々で話すが、間違った言葉を使っているかも 知れない。またこの日記ももう5年目に入ったが、おそらく大量の間違いがあるに 違いない。この番組を見て、急に恥ずかしくなった。

■2004年2月1日(日曜日)
   別府大分毎日マラソンを見た。オリンピックの代表選考会は兼ねていないので、 それほど、有名選手はいなかったが、ペースメーカーが昨年のチャンピオンという、 なかなか豪華な大会だった。テレビの解説では、注目は、徳永(三菱重工長崎)だったが、 最後に先頭で帰ってきたのは一般参加の武田(四国電力)だった。
 ペースメーカーが途中から独走になり、そのままゴールまで向かうのかと思ったら、 40km手前で棄権し、その瞬間武田がトップになってしまった。優勝タイムは、 2時間12分02秒ということで、それほど、いい記録とは言えないが、本人にとっては 3分以上の自己ベスト更新での優勝。これで自信がついて、今後のレースでは、 更に記録を伸ばしてくることもあり得る。こうやって陸上エリートではない人が 勝ち上がってくると、応援したくなる。次のレースもいい結果を出して欲しい。
 来週は東京国際マラソン。ペースメーカーはつく高速レースが予想される。 今度は誰がトップで帰ってくるのだろうか?とても楽しみだ。



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