最近のいずみ

Last Update:2004/3/31

パートタイムアスリートいずみ 4年目に突入!! 


■2004年3月31日(水曜日)
 アンビバレンス練習会に参加。メニューは2000m+1000m+600m +300m。2000mは6分08秒2、1000mは2分47秒2。600mは 1分29秒2。300mは43秒8だった。1000mからスパイクを履いて 走ったが、600mからは、下腿に力が入らず、辛かった。もがいて走るような 感じで、いい感覚で終わることができなかった。
 捻挫の痛みは日常生活では感じなくなり、少しは走れるようになってきた。 シーズン初戦まであと10日。スピードを少しずつ上げて間に合わせたい。
 桜もよく咲き、代々木公園は花見客でにぎわっていた。

■2004年3月30日(火曜日)
 全日本オリエンテーリングの結果の詳細がホームページに掲載されていたので、 自分のラップタイム分析を見た。
 オリエンテーリングは、ラップタイムの分析ソフトが普及しているようで、 各自の区間ごとのラップタイムと区間順位、それぞれの区間までの積算タイムと トータル順位が一目でわかるようになっている。更にミス率というものもあり、 ミスしなければどの程度のタイムで各区間を走れたか、また、ミスなしで 走りきった場合のゴール予測タイムまで出ている。
 自分は出だしが悪く、第1コントロールで55人中49位だった。第3コントロールでは 区間50位、大きく迷った区間が2つあったが、それぞれ51位、53位となっていた。 参加者は55人だったが、完走できたのは53人、。53位というのは実質最下位という こと。かなりショックだった。しかし区間1位も5つ、区間2位が2つ、区間3位が 2つあったので、16区間中9区間はまともに走れ、迷わないところは迷わず 進めていたということがわかった。
 結果は36位だったが、ミスなしで走りきった場合のトータル順位は2位。 無駄に走り、へたくそなオリエンテーリングをやっていた。
 この競技を始めて1年。競技歴が浅く、ナビゲーション能力はとても低いが、 区間1位を取れるところもあったし、レースを重ねてミスを減らしてゆけば、 いつかは上位にいけると信じ、続けていこうという気持ちになった。

■2004年3月29日(月曜日)
 測定器材の勉強をするため、自分の筋力測定をやった。測定をしたのは 大腿部(ももの前面と後面)の筋力。以前から左脚を故障する癖があり、 左脚は右脚と比べ、見た目でも細く筋力がないことはわかっていたが、 実際に測定して、明らかに左の方が弱く、ショックだった。前面と後面 の力の比率も左脚は悪く、特に後ろ側が弱かった。
 測定器材の扱い方よりも、出てきた結果がショックで、走れない理由が わかったことのほうが、自分の勉強になった。

■2004年3月28日(日曜日)


瑠璃光寺五重塔



今年度優勝の松澤さんと



安斎夫妻と

 朝早く起きて、山口方面へジョッグし、瑠璃光寺五重塔を見てきた。 この塔は日本で3つの指に数えられるほど有名な塔で、以前、この地域は、 西の京と言われ、大内氏全盛期はとても華やいだようだが、今では、 どちらかといえば寂れているという感じの地域だった。
 朝食後は、オリエンテーリング協会の用意したバスに乗り、全日本 オリエンテーリング大会の会場になっている秋吉台へ向かった。
 会場ではオーロラビジョンのトラックが来ていて、大きな音楽を流しながら、 有力選手の紹介をしていた。どことなく、ヨーロッパのレースの雰囲気があり、 懐かしく感じた。
 競技は、細かくクラス分けされていて、子供からお年寄りまで参加できるようになっていた。 参加人数はエントリー数だけで859人。自分のクラスは、男子21歳以上の上級者で 距離の短めのコースを走るクラスで53人が走った。
 自分のクラスは、地図上の直線距離が7.3km、登距離が330m、優勝タイムが 1時間くらいになるような設定だった。
 15カ所のコントロールを回ってゴールへ行くのだが、途中2つの区間で自分のいる 場所がわからなくなって、迷子になった。いろいろ走り回れば走り回るほど、どんどん 深みにはまっていく。焦れば焦るほど、わからなくなる。もう止めて帰りたいと思った。 1カ所は、たまたま出会ったおじさんに現在地を聞いて修正し、もう1カ所は、あきらめて 帰ろうかと思いながら次のコントロールを目指したところ、行きたかったコントロールを 発見してしまった。わかるところはひたすら走り、ゴールまでたどり着けた。
 タイムは1時間51分53秒。53人中36位だった。
 有資格者のエリートクラスには、先月一緒に合宿させてもらったナショナルチームの 人たちが出場していたが、彼らは14.3kmあるのに、自分より速いタイムで ゴールしていた。すごいなぁ、と思うばかりだった。

■2004年3月27日(土曜日)


車両が1つのローカル線
 午前中は久しぶりにトラックで練習した。メニューは1000m×3、200m×3。 1本1本の休息が多く、それ程追い込むこともなく気持ちよく走れた。今までずっと 走っていなかったことを考えるとよく走れたと思う。
 午後からは、明日の大会へ向けて移動。夕方の便で山口へ向かった。飛行機はたまたま 窓側だったので、夕日に映る富士山がとてもきれいだった。自分の実家上空を通った ので、三河地域がよく見えた。愛知県は大きいという認識だったが、飛行機から 見ると、地図を見るような感覚なので、とても小さく感じた。
 山口宇部空港からはバスで新山口の駅まで行った。新山口駅は、新幹線の駅もあり、 のぞみも停車するので、大きな都市なのかと思ったら、19時過ぎにすでにお店は 閉まっていて、開いているのは居酒屋くらいしかなく、ローカル線は1時間に 1〜3本しか通っておらず、驚いた。
 新山口からはローカル線で湯田温泉まで行き、湯田温泉にあるホテルに宿泊した。
 今回の宿泊先は、シングルが1泊朝食付き7000円となっていて、お金は前払いを してあった。実際にホテルへ行ってみると、シングルが5000円と書いてあった。 朝食は700円になっていたので、残りの1300円は何なのだろう?と考えた。 部屋へ行ってテレビをつけると有料放送が見られるようになっていた。有料放送が 1000円。見るつもりのない有料放送までつけられ、残りの300円は何処へ行って しまったのか?旅行会社にだまされた?

■2004年3月26日(金曜日)
 9日ぶりにジョギングした。20分走っただけだが、息が上がって、 それ以上走れず止めた。持久力が極端に落ちてしまった。
 走って追い込めない分、自転車で追い込もうと思い、パワーMAXで ミドルパワートレーニングをやった。脈はあまり上がらず、前回ほど 追い込めなかった。特に30秒間こぎ続けている中での、 出だしと終わり頃の回転数比較では、極端な低下があって、力が 発揮できていなかった。もう少し、頑張れたんじゃないかなぁと 後悔したが、このトレーニングをやった後は、動けなくなるので、 結局それ以上運動はできなかった。また次頑張ろう。

■2004年3月25日(木曜日)
 アテネオリンピックの聖火がオリンピアの遺跡で採火された。この聖火は、 過去、夏にオリンピックが行われた都市をまわり、最後にアテネオリンピックの メインスタジアムにともされるという。
 この聖火は6月に東京へやってくる。日本でも数少ない聖火リレーのメンバーに、 たまたま同じ職場の人が出ることになった。選考方法は、「アテネオリンピックに かける思い」というような内容のレポートを提出することによって行われたらしい。 文章がうまい人が選ばれたのかどうかはわからないが、選手でなくとも、世界中の 人がオリンピックに参加することができるんだなぁと思った。政治やマスコミに 左右されないオリンピックになってほしい。

■2004年3月24日(水曜日)
 この1週間、捻挫の影響で右足に力が入らないため走れず、練習に取り組む 気持ちも下がり、心肺機能に負荷をかけていなかったので、何かを変えなければと 思い、パワーMAX(自転車)でミドルパワートレーニングをやった。
 ミドルパワートレーニングは、無酸素パワーテストから導いた負荷で、 ペダルを30秒間全力でこぎ、2分間休憩することを3セット行う、短いトレーニング。 全力なので、大腿部(ももの部分)はパンパンになり、心拍数も200を越える。 今日は2セット終わったところで、気持ち悪くなり、3セット終わった後は、 30分くらい床に倒れて、動けなかった。短い時間だったが、あとは、何もできず、 練習は終了。弱ってる・・・

■2004年3月23日(火曜日)
 体育学校の航空自衛官だけの集まりで宴会があった。今度転勤をする人たちの 送別会。陸上自衛隊の朝霞駐屯地の中では数少ない航空自衛官なので、陸上自衛隊の やり方になじまないことなど不満を話し合ったりして、みんなストレスを発散している ように見えた。食事はなくなってお酒だけでずっとしゃべっているという感じで、 もっと食事をしたかったなぁと思っているうちに会は終了した。
 今日は自分の結婚2周年。本当なら家族と一緒に過ごすべきだったのかも。 妻には迷惑をかけてばっかりだ。

■2004年3月22日(月曜日)
 NHKでオリンピックとテレビ放送との関係についての特集があった。 オリンピックで初めてカラー放送が始まったのが東京オリンピックで、 その後衛星放送が始まり、世界中の人たちがリアルタイムで競技を見られるように なったことで、様々な影響力を与えるようになったという内容。
 ロサンゼルスオリンピック以降、テレビの放映権高騰によって、様々な 問題が発生するようになった。ソウルオリンピックでは、アメリカの放送局の 都合で、陸上100mの決勝が、通常走ることのない真っ昼間に行われたり、 テレビの放送時間の関係で、陸上では2回目以降にフライングをした人は 失格になるなど、マスコミが競技のルールまで変えてしまうことが多くなっている。 世界中を見たときにテレビ放送が特定の地域でしかしていない野球は必要ないとか、 いろんな議論があるらしい。主役である選手たちのことを考えない最近の 運営には問題があるように思う。オリンピック本来の意味を考えて、 競技者のすばらしいパフォーマンスを見られるようなテレビ放送にしてほしい。

■2004年3月21日(日曜日)


手話での説明もありました




800m日本記録保持者
小野さんと
 筑波大学で行われたランニング学会を見学した。午前中はランニングの障害と軽運動 について、それぞれ筑波大学の先生の発表があった。軽運動の発表では、脳の海馬に おけるコルチゾールの働きについての話が印象に残った。コルチゾールというものは、 朝、目覚めたときに多く分泌されることにより脳が活性化される。普通は、朝だけ多く 分泌されるのだが、うつ病の人では、1日中分泌されていることが多いという。 1日中分泌されると海馬が活性しすぎて壊れてしまい、海馬の萎縮まで起こってしまう らしい。
 脳神経というのは、胎児期に分裂と増殖を繰り返し、出生後は増加しないと考え られているが、今回の発表では、海馬の歯状回神経というものは出生後も増し、 この神経が多くなると、空間認知能力が高まるというものだった。つまり脳が活性し 頭がよくなるということ。そして、その神経を増やすのに、軽運動が有効である という結論が出ていた。文部科学省が学習指導要領で「体ほぐし」の運動について 述べているが、この体ほぐしの運動は、とても重要で、この運動により脳が活性し、 授業の内容がよく頭に入るようになる効果があるという。軽運動が脳を活性化する ということで、これからは、体育を必修科目にして、もっと重要視すべきだという 話もあった。楽しい、楽だ、ついでにできるという低強度の運動ならば、お年寄り や運動嫌いな人でもでき、それで脳が活性化されるというのならとても有効だと思う。
 午後からは、「日本の中距離がなぜ躍進しないのか」というような内容で、シンポジウム が開かれ、中距離種目で日本記録を出したことのある方たちが3人と日本陸連医科学 委員の方から発表があった。結論はケガをせずにトレーニングを継続させるという もので、当たり前の話になった。最後にディスカッションをするのかと思っていたが、 発表の時間が長かったため質問の時間が少なく、ディスカッションにならなかった。 少々、期待はずれな内容だった。

■2004年3月20日(土曜日)
 久々に国分寺の整骨院へ行き、足底板を作り直してもらった。前回までの 足底板は、よくマメができ、足に合っていない部分があったので、今回は、 また新しいソールで作り直してもらった。
 今回はもう一度作り直すということで、また、足の重心を見てもらい、 昨年の10月の重心と比べた。両足とも小指は相変わらず写っていなかったが、 両足とも以前より足全体に均等に重心がかかり、角質が少なくなっていた。 昨年よりはよくなっているということで、マメはできたが、足底板の効果は あった。また、いつのまにか種子骨障害の痛みもなくなっていたということ からも効果はあるように感じた。
 今日は昼前から雪が降り出し、道は渋滞だらけで、少し走れても信号 が来る度に止まりイライラした。国分寺までの道のりは本当に遠かった。 彼岸と雪が重なって渋滞になったのかもしれない。 

■2004年3月19日(金曜日)
 今週から新しく入校してきた学生の体力検定をやった。学生は20代前半が 多いが、もともと体力の低い人たちが入ってくる課程なので、ある程度体力の なさというのは覚悟していたが、ひどい人は本当にひどかった。
 一番ショックだったのが懸垂。1度もできない。一番体力の高い時期なのに、 1回もできない。怪我をしているわけでもなかったので、本当にできなかった ようだ。この人は自衛官なのだろうか?と考えてしまった。
 一般的に、自衛官というのは一般国民よりも体力のレベルは高いという認識。 現実には、一般国民よりも低い人がいる。自衛官に体力がないと説得力がない。
 このままではまずいので、1回でもできるようになって、運動をすれば 向上するということを認識させて卒業させたい。

■2004年3月18日(木曜日)
 新宿へ治療に行った。今回行った治療院は専門学校に隣接する治療院で、 専門学校の卒業生が主に施術をしている。この学校は、一通り 学んで、わからないことや学びたいことがあれば、一度受けた授業でも 繰り返し学ぶことができるようになっている。自分が納得するまで 無料で受けられるという話を聞き、すばらしい制度だと思った。 また授業も東洋医学から西洋医学まで幅広い知識を学んでいるということで、 施術もいろいろとおりまぜていたのが印象的だった。その中で自分の進む 道を決め、独自性を出せるように支援をしてくれる。話を聞いていて この学校に入りたくなってしまった。
 はじめに筋力チェックをして、体のバランスを見た後、施術をし、 最後にもう一度筋力チェックをし、体のバランスが戻ったところで終了した。 値段も手頃で、おもしろい話しも聞けて満足。

■2004年3月17日(水曜日)
 アンビバレンス練習会に参加。足首の痛みは相変わらずで、テーピングを巻いて 競技場へ行った。ウォーミングアップが終わった頃には、テーピングははがれてきて、 捻挫予防も意味がなくなっていた。天候は悪く、とにかく風が強かった。目を開けて 走っていると、目に砂が入ってしまうので、目を細めて走った。
 今日は久しぶりの長距離メニュー。内容は2000m×3。自分を含めて3人しか いなかったが、1本ずつペースが上がり、最後は6分06秒。ずっと走っていなかった割には、 よく走れた。足首の痛みは走っているときには気にならなかった。このまま、慣らして ゆくしかないのかなぁ・・・

■2004年3月16日(火曜日)
 先週月曜の捻挫以来、足首は固定し、できるだけ動かさないようにしてきた。 1週間経って、昨日から加圧をして、少しずつ動かし始めた。昨夜は、痛みが 少し強くなり、まだ時期が早いのかなぁ?と思ったので、今日は、足首は あまり刺激しないよう、加圧で大腿部のトレーニングをした。加圧は4ヶ月ぶり。 久しぶりなので圧は低めだったが、やっている途中で、気持ち悪くなってきた。 ベルトを開放すれば、吐き気はなくなった。久しぶりに大腿部がパンプアップし、 筋肉を動かした気になった。足首の方には痛みはなく、昨日よりは調子がいい。 うまくリハビリして、月末のオリエンテーリングの全日本大会や4月のレースに つなげたい。

■2004年3月15日(月曜日)
 アテネオリンピック女子マラソン代表が決定した。金メダリストの高橋尚子さんは 代表に選ばれなかった。坂本さん、土佐さんを代表から落とす理由がなかったという ことだった。選考会からすれば、妥当な選択だった。
 しかし選考基準が、選考レースで上位に入賞し、オリンピックでメダルを狙えるような 選手というものがあったから、過去の実績も考慮した場合に、高橋さんは名古屋の マラソンに出なくても選ばれるのではないかという判断をしてしまった。結果が 出てからでは遅いが、ファンの多くは、名古屋で走って欲しかったと思う。
 国民の多くが、オリンピックで高橋さんが走れば、すばらしい結果を残すと思っている。 代表に決まった3選手は、高橋さんが走らない分、すばらしい結果を出さなければ ならなくなった。大きなプレッシャーだが、それに負けず、頑張って欲しい。

■2004年3月14日(日曜日)


声を出して笑ってます
 天気がよかったので妻と子供を連れて少し遠出した。といっても所沢の航空公園。 2年ちょっと前までは、自分の住んでいたところ。早朝4時台から朝練をした場所。 久しぶりに行ってみて、あらためて当時の辛さを思い出した。
 子供にとっては初めての公園。公園内は、人だらけ。犬の散歩も多く、とても犬に 興味を示していた。子供が手を出して一生懸命犬に触ろうといている姿が、なんとも かわいかった。言葉にはならないが、声もよく出すようになり、だんだん自分の 意志が出てきて、人間になってきたなぁと思う。

■2004年3月13日(土曜日)
 7時過ぎに起きた。30分くらいテレビを見て、また寝てしまった。次に起きたのは、 10時くらい。朝食を食べて11時過ぎに、寝っ転がりながら子供をかまっていたら また寝てしまい、起きたのは2時半。あっという間に半日が過ぎてしまった。
 今日は午前中に練習をするつもりだった。午後は買い物に行くことになっていたので、 買い物に行き、夜になって、やっと練習。日が落ちると、どうもモチベーションが下がる。 張り切って職場の体育館へ行ってみたが、トレーニング場は、一人だけ。
 追い込める雰囲気にもならなくて、なんとなく自転車こいで、なんとなく筋肉に刺激を いれて終わった。これじゃ〜まずいんだよなぁ〜と思いながらも、気持ちが乗らないので スパッと練習のことは忘れて家に帰った。まずは捻挫をしっかり治そう・・・

■2004年3月12日(金曜日)


レインボーブリッジ



屋形船の中
 自分の職場では1年間みんなで積み立てたお金で旅行に行くということに なっているのだが、今年は、旅行にいけるスケジュールが立たなかった。そこで 積み立てたお金で、屋形船での宴会が企画された。
 浅草橋に集合し、屋形船に乗り込み、神田川、隅田川を下り、お台場の前に 広がる海で宴会をした。目の前にはフジテレビやレインボーブリッジがライト アップされ、景色を眺めながら揚げたての天ぷらを食べた。天ぷらは食べ放題 と聞いていたが、うちの職場はみんなよく食べるため、食べ放題にはならず、 数に制限があった。
 今回は、転勤する人のお別れ会も兼ねていて、自分も部署を替わるということで、 送られる側になった。1年間一緒に仕事をしてきて、運動に関して新しい発見が たくさんあった。次の職場でも今の職場と連携していろいろなことができるのではないか という話をたくさんした。今日の話を具体的にして、次の職場でもさらなる 多くの発見をしたい。

■2004年3月11日(木曜日)


ご機嫌です
   久里浜駐屯地へ出張し、帰りがけに防大へ寄った。50周年記念で、多くの建物が 建て直され、自分が大学時代に生活していた防大とは全く違う風景なので、よその 学校へ来たような気分になった。
 体育の先生のところへ面会に行き、先生の話を聞いたが、防大生の体力について かなり苦労されているようだった。今回は、4年生2人が、体力がないということで 留年したらしい。自分たちの時には、体育で留年なんて考えられなかったが、 今は、体育で留年もあるというくらい、体力のない人が出てきているようだ。
 防大で4年間生活すれば、自然と体力はつくものだと思っていたが、今は そうではならしい。どういうところが変わったためなのかはわからないが、これからも 同じような状況が続くのなら、入試の時に体力測定を入れて、一つの合格基準を 作らないと、更に困ったことになるのではないかと思った。

■2004年3月10日(水曜日)
   カネボウが公的資金の支援を受けることになった。役員の多くは、辞任し、 今後は徹底したリストラで再建をしていくという。カネボウといえば、陸上の 長距離では有力な実業団チーム。3000mからマラソンまで日本記録を持っている 高岡さんが所属している。リストラということになると、陸上部もその対象に なる可能性がある。日産自動車は、会社再建のときに陸上部はつぶされなかった。 日産のように、伝統あるカネボウチームも生き残って欲しい。

■2004年3月9日(火曜日)
   朝、職場のロッカー室へ入って、先に着替えていた人に「おはようございま〜す」と 元気に挨拶をした瞬間、足下の段差につまずき、また捻挫をしてしまった。捻挫をしてから 10日ほどたち、やっと痛みもなくなってきていたのに、前よりもひどくなった。
 捻挫をした場合、基本的な処置としては、アイシングと固定というものがあるが、 この10日間まったくしていなかった。これ以上ひどくならないよう、アイシング と固定はしっかりして、リハビリができるような状態に回復させたい。

■2004年3月8日(月曜日)
   鳥インフルエンザで問題になった浅田農産の会長夫妻が自殺してしまった。 いろいろと考えた末の結論だったのか、何もかも投げ出すしかなかったためなのか、 「何も語らずに」いなくなってしまった。一緒に会見をしていた息子さんは、 ますます精神的にも辛い立場に追い込まれてしまったように思う。
 世間からいろいろな批判をうけているが、自分も同じ立場だったら、 どうしたかなぁ?っと考えると、場合によっては、同じように黙っていたかも しれない。他人事ではないような気がする。鳥を全部処分すればいいわけだが、 それをしてしまうと、自分たちの生活の糧がなくなってしまう。みんな建前では、 なんですぐに通報しなかったのか?というが、自分が同じ立場になったら、 同じことをしてしまったのではないかと思う人も少なくないはず。世の中、 正論だけで生きていると、かえって自分の首を絞める場合も出てくるのでは ないかと思った。難しい・・・

■2004年3月7日(日曜日)


慶応大の東原くん、八木くんと



アンビバレンスのみんなで



伊計島のビーチ



2人とも0歳児です
   沖縄合宿最終日。沖縄総合運動公園まで行き、練習した。日本陸連の中距離合宿も ここで行われることになっていたので、初めは一緒に練習するつもりでいたが、 捻挫の直りが悪く、強度の高い練習はできないので、一緒に練習することは あきらめた。
 競技場では、すでに慶応大学の学生がウォーミングアップをしていた。たまたま中距離を やっている学生は知っていたので、メニューを聞き、強度が低かったので、一緒にやらせて もらった。メニューは200m×20。ペースは30秒。
 自分がウォーミングアップをしているときには、日本陸連の短距離選手も何人か競技場に 顔を出していた。その中に世界選手権3位になった末続くんもいた。簡単な補強のトレーニング をして、あっという間に帰っていた。
 自分の練習は、それほどきつくなく気持ちよく走れた。捻挫の痛みもなかった。
 競技場の外では日本陸連の中距離が坂を使ったヒルトレーニングをやっていた。久しぶりに 合宿の状況を見ることができた。走っているのはいつものメンバーだが、自分がその場に いないのがとても寂しかった。
 午後からは沖縄の西側に位置する伊計島へ行った。昨日はビーチで練習ができなかったので、 ビーチを探しながら車を走らせた。きれいなビーチは見つかったが、食事をしてそれほど 時間も経っていなかったので、だれも練習はしなかった。帰りの飛行機の時間もあり、 ビーチにはそれほど長くはいられなかった。
 今回の合宿は、捻挫をした直後で、家族を連れて行ったこともあり、観光に走りがちだった。 ケガをすると、せっかく合宿があってもいい練習ができない。常にケガを予防し、ケガをしない 体を作って練習を継続したい。来年は、ハワイ合宿になるとか、ならないとか。 また観光になってしまわなければいいが・・・

■2004年3月6日(土曜日)


北谷の陸上競技場にて



海ぶどう丼



万座毛
   沖縄合宿2日目。出発前にホテルの近くでレンタカーを借りた。普通車を運転するのは 久しぶりで、アクセルを踏んだときの音が静かでいい感じ。
 午前中は、北谷の競技場へ行った。捻挫をしているので、あまり張り切って 練習をすることができず、控えめに走った。メニューは200m×3を3セット。 気持ちよく走れた。捻挫の痛みはなかったが、終わった後は氷でよく冷やした。
 練習後は、海ぶどう丼というものを食べるため、更に車で北上した。海ぶどうは 今までにも食べたことはあったが、それ程おいしいものでもなかった。しかし今回 行く店は名物として、いろんな有名人も訪れているということで、かなり期待をして 行った。実際に食べてみて、やっぱり海ぶどうはこんなもんだなぁという感じで、 以前からの印象と変わることはなかった。
 海ぶどう丼を食べた後は、万座毛を見に行った。風が強く、雨もいくらか降り出し、 外に出るのも面倒という感じの天候だったが、観光客は多く、特に高齢者の集団が 目立った。天気が悪いので、海の色が鮮やかではなく期待はずれだった。
 午後は砂浜でダッシュをする予定にしていたが、ビーチ探しが難航し、さらに 天気もひどくなってきたため中止になった。合宿に来たのに観光がメインになり つつあり、誰もがこれではまずいと思いながらもホテルへ引き返した。
 夜は、みんなで国際通りに出て沖縄料理を食べた。腹一杯食べて、もういらない という状態まで行ったが、支払いは一人2000円もいかなかった。安すぎるぅ・・・
 最後に、奈良にいたときに同じ部屋だった同期と久しぶりに会った。こちらは 家族連れで、お酒を飲みに行く雰囲気ではなかったので、喫茶店でしか話がで きなかったので、わざわざ出てきてもらったのに同期には悪いことをした。

■2004年3月5日(金曜日)


やっと眠ってくれました
   夕方仕事が終わった瞬間、気分は沖縄モード。今日からアンビバレンスは 沖縄合宿が始まった。自分は仕事が休めなかったため、夜からの参加になった。
 仕事が終わってすぐに羽田へ向かった。飛行機の時間ギリギリだったため、夕食も 食べられず飛行機に乗った。天候の影響もあって、飛行機が那覇へ着いたのは 11時近かった。ホテルに着いたのは11時半。
 今回は家族も連れてきたため、飛行機の中では、子供との格闘だった。初めは おとなしく乗っていたが、慣れてくると動きだし、じっとしていられず、最後には 泣き出すという展開。2時間半の間、どうやって周りの人に迷惑をかけないように するか、そればかりを考えていた。妻も同じ。なんとか大泣きせずに那覇に到着し、 飛行機を降りたときには2人でホッとした。
 ホテルに着いたあと、子供はまわりの様子に慣れないためか、よく泣き、なかなか 眠ってくれなかった。さんざん泣いて疲れて寝てくれたのは1時近かった。
 沖縄の気候は、関東より少し暖かかったが、期待していたほどではなかった。 明日は天気が悪いらしい。せっかくの沖縄なのに・・・

■2004年3月4日(木曜日)
   京都府丹波町の鳥インフルエンザ問題で、陸上自衛隊に要請があり、 浅田農産の農場に出入りする車両の消毒が始まった。また、近々感染した鳥を埋める 穴の穴掘りも始まるようだ。
 最近は、何かあれば「自衛隊」というように当てにされるようになってきた。 当てにされるというのは、とてもうれしいことだが、頼めばやってくれるだろうと いう感じで、何でも安易に指名する雰囲気があるように思う。法律で定められて いる範囲内なら、なんでもこじつけてがんばるだろうが、そのうち、法律の範囲 でないのでできませんということが出てくるようなきがする。そのとき 頼む側と頼まれる側の関係ってどうなるんだろう?こじれなければいいが・・・

■2004年3月3日(水曜日)
   アンビバレンス練習会。日曜日の捻挫で、足をできるだけ動かさないように 生活していたが、足首の痛みが気にならなくなってきたので、走り始めた。
 メニューは200m×3と300m。3月に入って、急に気温は低くなり、寒さが 戻ってきた。2月の方が暖かく練習するにはいい季候だった。
 200mの設定は、27秒。いつも設定より速く走ってしまうので、抑えめに 走った。1本目は26秒9で設定通りに行ったが、2本目以降は26秒1、25秒9と やっぱりタイムが上がってしまった。
 300mは予定ではタイムトライアルだったが、寒かったので8割程度の 力で走ることにした。しかし走ってみると、ほぼ全力に近くなり、疲労は大きかった。

■2004年3月2日(火曜日)
   テレビで中曽根元総理の特集をやっていた。彼は80代。国会議員ではなくなったが、 いまだに世界中の政治家に影響を与える存在だった。一般のアメリカ人でも「中曽根」の 名前だけは知っているという。総理大臣というのは、国を代表する人なので、自分の 一言一言が国益に大きな影響を与えてしまう。彼は、毎週金曜日になり、1週間が終わると、 妻と2人で神様仏様に祈ったという。それだけプレッシャーの大きい仕事だったのだと 思う。「政治家は歴史の法廷の被告席にいる。」という言葉が印象的だった。

■2004年3月1日(月曜日)
   朝7時前には起き、いつも通りハングル講座入門編を聴いた。今日から3月。 この講座も5ヶ月間休まず聴いたことになる。頭に入っているかどうかは別だが、 よくやってるなぁと思う。
 今日は、オリエンテーリングの疲労を考えて、休暇を取っていたので、安心して また寝床に入った。昨日の捻挫の痛みがまだまだ残っているので、冷やしながら寝た。 気がつくと10時過ぎ。朝食を食べ終わると、もう昼近かった。子供が起きたのは、 11時過ぎ。毎日こんなに寝ているなんて、幸せなやつだと思った。
 午後もひたすら家族3人ダラダラと生活した。夕方になって、やっと昨日の片づけを 始めた。ドロドロになって、いろいろなところが破れた新品の靴はかわいそうだった。 洗剤を使ってしっかりと洗い、ある程度きれいにはなったが、もう最初の 輝きはない。新品の靴下は白かったのに、きれいに洗っても茶色にしかならなかった。 オリエンテーリングは、終わった後の片づけが辛いことがわかった。また月末には レースに出るので、真っ黒になった靴を洗うことになるんだなぁと思った。



[昔のいずみ]