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Last Update:2004/8/31

パートタイムアスリートいずみ 4年目に突入!! 


■2004年8月31日(火曜日)
 台風16号が、猛威をふるっている。今年は、台風が日本列島に6回も上陸し、 そのたびに各地で水害の被害が出て、死者も出ている。水害に遭った人たちも まさか自分の住んでいるところがこんな風になるなんて、と思っていたようだ。 自然災害はいつ遭うかわからない。普段からしっかり対策をしておけば、 それほどあわてることはないのだろうが、日常生活では、災害に遭ったときの ことを考えることはなく、結局何も準備をしていない。
 いざというときの準備は保険と同じ。やるべきことはしっかりやっておいた ほうがいい。

■2004年8月30日(月曜日)
 深夜2時に起きて、男子マラソンの中継を見たときには、先頭は40qを通過 するくらいで、日本人の姿はなかった。油谷くんは世界選手権でもいつも安定 して走れているので、きっと彼が上位に食い込んでくれると思っていたが、 坂は苦しかったようで、ペースの切り替えがうまくいかず前々回の世界選手権 から3大会連続の5位となった。きっと次の世界選手権では、頑張ってくれるのでは ないかと思う。
 諏訪くんもゴール前でケニアのワイナイナを抜いて6位になり、結構粘りを見せた。 マスコミに最も注目されていた国近さんは、残念ながら40位台。オリンピックで、 自分の力を発揮することの難しさを感じた。
 朝になって、テレビで新聞の1面を紹介していたが、スポーツ新聞の一面に 井上謙二が出ることはなかった。ほとんどが室伏宏治の話題で、一部はプロ野球だった。 一般紙には、1面に小さく顔の載った記事があった。身近な選手がこうやって 活躍してくれるというのは、うれしい。自分も競技でまだまだ頑張ろうという気持ちになる。

■2004年8月29日(日曜日)
 アテネオリンピック、レスリング男子フリースタイル60s級の井上謙二が 銅メダルを獲得した。体育学校では、バルセロナオリンピック射撃の木場さんが 銅メダルを獲得して以来、12年ぶりのメダル獲得だった。
 準決勝では、試合終了前までポイントをリードし、このまま決勝に行ける のではないかと、応援する側は思っていたが、後半の消極性が相手のポイントに なり、延長戦で逆転負けをしてしまった。そのときのマット状での彼の落ち込み はすごかったが、3位決定戦では、その消極性を全て廃し、常に積極的に攻め続け、 試合終了間際にリードされていたポイントを同点に持っていき、延長戦で逆転 勝ちをおさめた。見ている側はハラハラしたが、勝った瞬間は本当にスカッとした。
 この銅メダルは、アテネオリンピック日本代表の獲得した37個目の最後のメダル となり、過去最多のメダル獲得数を更に更新することができた。
 明日の新聞の一面は、室伏宏治の繰り上げ金メダルの話題か、マラソンの話題が なければ、井上謙二の話題になるはずだが、どうもそうはならなそう・・・ 

■2004年8月28日(土曜日)
 「埼玉県所属のナショナルチーム強化選手とトレーニングをしよう!」という 企画があり、上尾運動公園と隣にある水上公園をテレインにオリエンテーリングを した。
 公園の中だから、地図を見れば迷うことはないだろうと思っていたが、そう 簡単にはいかなかった。コースは2つあり、2130mと1450m。先に長い距離 に挑戦し、見事に迷った。地図上で現在地を把握し、自分の目指すべきコントロール 付近にいるにもかかわらず、コントロールが見つからなかった。見方を変えればすぐに 見つかるのに、「こうあるはずだ」という先入観があるため、見える物が見えなかった。 また、本格的なヤブの中に入ると、たぶんこっちだろうというヤマ勘だけで進んでしまい、 なかなかコントロールが見つからなかった。結局1本目は、トップ選手の倍の時間を かけてゴール。
 2本目は、1本目を反省して、頑張ったが、1本目と同じコントロールで迷い、今度は 現在地がわからなくなって迷子状態。後半はミスはなくなり、スムーズにいったが、 トップの選手からは2分ほど遅れた。ナショナルチームの選手は、ミスをしてもそれを 最小限にとどめている。自分はミスをいくつか繰り返し、だんだん気持ちが乗って こなくなる。オリエンテーリングは自分にとっては精神鍛錬の場なのだと思った。 

■2004年8月27日(金曜日)


防大正門にて



ちんちくりん
(お好み焼き屋)
 休みをもらって、防大陸上部の合宿に参加した。合宿は学校内で行われているので、 車で横須賀まで行った。環状八号線が混んでいたが、第3京浜、横浜横須賀道路は 混雑はなく2時間ほどで横須賀へ行くことができた。
 短距離は8時半から練習を開始していたので、顔を出したときにはウォーミング アップが終わる頃だった。主練習は1人200mを3本走るリレーを3セット。2セット目 が終わる頃に、自分のウォーミングアップが終わり、3本目には参加しようと思っていたが、 学生の何人かが2本目まででダウンしてしまい、3セット目は成立せず、いっしょに走ること はできなかった。
 いっしょに走れなかったかわりに、学生の弱い部分の補強をいっしょにやって、苦しんで もらった。初めはしゃべりながらやっていた補強も、途中からは誰もしゃべらなく なり、黙々とやっていた。かなりきつかったようだ。走るだけでなくいろいろなトレーニングが あることを知り、今後の練習に活かしてもらい、競技レベルが上がってくれればいいなぁ、と 思う。

■2004年8月26日(木曜日)
 ハムストリングスの痛みは相変わらずなので練習はせず、今の筋肉の状態を 知るために筋力測定をやった。
 測定にはアイソキネティックマシーンを使い、60度/秒、180度/秒、 300度/秒の3種類の速度で、膝の伸展と屈曲により左右の大腿部の 筋力を測定した。
 結果は、左脚のハムストリングスの力が弱く、バランスが悪かった。右脚に ついては、思っていたほどバランスは悪くなかった。
 ハムストリングスに疲労が蓄積されている状態なので、状態が良くなれば、 更に力が強くなるはず。そうすると、右足のバランスが悪くなってくるのかも しれない。まずは疲労回復だと思った。

■2004年8月25日(水曜日)
 アンビバレンス練習会に参加。今日のメニューは1000m+300mが3セット だったが、ハムストリングスが痛くてできなかった。
 かわりにコンペティションメンバー(有料でコーチを受けている選手たち)の メニューが6000mのペース走だったので、こちらに混ぜてもらった。
 設定は3分20秒/q。ペースとしては速く、ついてゆくのが精一杯で全く 余裕はなかった。結局最後まで走りきれず、4000mで止めてしまった。たまたま いっしょに練習した、オリエンテーリング日本代表の山口さんは、地図を見ながら、 余裕を持って走り、世界選手権へ向けての調整は順調そうだった。
 疲労が回復するまでは、まともに走れないので、休養を多く入れながら練習を 継続するしかない。

■2004年8月24日(火曜日)
 レースの疲れのためか、ハムストリングス(大腿の裏側)が張り、痛みが 強くなってきた。昨日も張りは強かったが、今日は更に強くなった。 この張りの影響で、背中の後ろ側もかなり引っ張られ、また腰痛になった。  ジョッグをしてみたが、身体の後ろ側が全部痛く、膝まで痛くなってきたので、 1分で終了。ストレッチをしても、なかなか伸びている感覚はなく、痛いだけ。 ハムストリングスの張りを取り、大腿の前面を鍛えバランスを良くしないと 改善されないのだろう。

■2004年8月23日(月曜日)
 アテネオリンピックマラソン女子で野口みずき選手が金メダルを獲得した。 前回のシドニー同様、競技場へ近づくに連れて、2番手の選手との距離が 狭まってきて、見ている方はヒヤヒヤだったが、本人は競技場へ入るなり、手を挙げて 歓声に答え、見事に優勝した。ゴールの瞬間、ゴール後のインタビューは感動だった。
 テレビ放送は民放だったため途中でCMが入るのが、気に入らなかったが、 有森さんの落ち着いた解説はとても良かった。

■2004年8月22日(日曜日)
 子供のハイハイがどんどんスピードアップし、目を離すとどこに行ってしまったか わからなくなることがある。
 先月は食事のことを「どうぞ」という言葉だと思いこんで「どうじょ、どうじょ」と 言っていたが、最近は、「どうぞ」という言葉ではないことがわかったようで、 「食事をくれ!!」というような感情むき出しのただの奇声に戻った。
 妻は子供に「バイバ〜イ」と言って手を振ることを教えているが、なかなか認識しない。 たまたま手を振ったときに、「上手上手」と言ってしまうために、「上手上手」と声を かけると手を振ってしまう。親の意図とは少しずれているが、子供も、親の言っていることを 一生懸命理解しようとしているのだと思う。

■2004年8月21日(土曜日)


予選(ゴール前)



決勝(600m手前)



表彰
 関東選手権800mに出場。昨日の1500mは棄権し、この800mに懸けた。 予選は5組あり、組で1位と、2位以降タイムの速い3人までが決勝進出。 予選は1位で余裕を持って通過しないと決勝ではまともに走れない。同じ組には 昨年優勝者で、今年の神奈川県選手権も優勝している選手がいたが、棄権したため、 自分の組は自分よりも速い選手はいなくなり、楽に走れた。1周目が58秒。 600m通過が1分28〜29秒、。1500mのペースだなぁと思いながら 走るくらい余裕があり、最後の直線で気持ちよくスパートし、1分57秒36で 1着のゴール。久しぶりに楽に走れた。
 他の組は1分54〜55秒くらいのレースで、自分の組と比べると、タイムは 速く、トップの選手も疲れているようだった。
 決勝は、千葉商大の学生が引っ張り、200m通過が24秒台。先頭があまりにも 速いので、追いつかなければまずいと思い頑張ったため、250m過ぎに手足が 固まってきて、残りの距離を走りきれるかどうか自信がなくなるほどだった。 しかし、3位以内に入らなければ来年の日本選手権への道が絶たれるので、とにかく 我慢した。400m通過は先頭が53秒台。自分は54秒台。やっぱり速すぎた。
 後半先頭もスピードが落ち、600m通過は1分24秒台。遅く感じていたので、 600m手前で先頭に近づき、最後の直線で先頭に立った。しかし、残り70mで 抜かれそのまま2位でゴール。タイムは1分54秒07。
 関東選手権の2位はこれで5回目。800mは4回目。1度も優勝がない。最後の直線 に入ったときに、今回はひょっとしたら優勝できるかなぁ、なんて思う場面も あったが、世の中それ程甘くはなかった。タイムは悪かったが、腰痛で全く運動して いなかったし、練習を再開したのは10日くらい前からなのだから、良く走った。 順位も3位以内に入り、なんとか日本選手権出場へ1歩前進。
 あとは来年の春先までに日本選手権の標準記録Bを突破すれば、日本選手権に 出場できる。 

■2004年8月20日(金曜日)
 アーチェリーでは41歳の山本選手が銀メダル。前回のシドニーオリンピックでは、 国別代表枠を取ってきたのに、日本の代表からは漏れて出場はできなかった。ちなみに 彼の代表枠を持っていったのは我が社の松下選手。当時47歳だった。こういう 種目は、年齢を重ねていっても続けられる競技なんだなぁと思った。
 テニスでは杉山、浅越ペアが準決勝に進出したが、対戦したアメリカのペアに 驚いた。アメリカペアの一人はマルチナ・ナブラチロワ。自分が小学生のころは グランドスラムを達成し、全盛期だった選手。もう47歳。テニスという 強度の高い競技で、ここまでトップクラスの選手としてやっていけるというのは、 驚くしかない。本当に身体のケアをしっかりして、トレーニングの量をうまく 調整しているのだろうと思う。これぞプロ選手といえるのではないだろうか。

■2004年8月19日(木曜日)
 柔道の井上康生が準々決勝で敗れ、更に敗者復活戦でも敗れた。金メダル確実と まで言われた人でも、こういうことが起きるんだなぁと驚いた。今回は、みんなの イメージする圧倒的な強さは全くなかった。人間に絶対ということはない。 世界選手権、オリンピックを通じて初めての負けだったのに、それが2回も続いて しまった。周りの人たちの期待があまりにも大きく、弱いところは見せられない。 代表選考の時から気を抜くことは瞬間たりともできず、勝ち進めば勝ち進んでいく ほど、勝ち続けることが難しくなっていくのだろう。
 自分もレベルは違うが、自分が確実に勝たなければならない大会ほど緊張する。 確実に勝てるはずなのに、緊張して自信を持って臨めなかったりする。逆に 自分よりもレベルの高い人たちと走るときは、どうせ負けるし、行けるところまで 行けばいいと思えるので全く緊張はなく、最高のパフォーマンスを発揮できたりする。
 競技スポーツは選手の精神的要素が大きなウェイトを占め、勝敗を分けるのだなぁ、 と改めて思った。

■2004年8月18日(水曜日)
 アンビバレンス練習会に参加。明後日から関東選手権が始まるということで、 主力の選手は、ほとんど各自の調整。自分も明後日の1500m、明々後日の800m とエントリーしているが、1500mは走り切れなさそうなので、棄権することを前提に 最終調整。短距離が200m×5をするので、いっしょに走らせてもらった。タイムは 25〜26秒台。少し速かったが800mのイメージで気持ちよく走れた。
 これで、明日と明後日は休み、土曜日のレースに臨むのみ。目指せ優勝!!

■2004年8月17日(火曜日)
 今朝は誰がメダルを取ったのだろう?と考えながら、毎朝起きるとすぐにテレビをつける。 すると、必ず誰かがメダルを獲得していたり、活躍している映像が映る。日本人がこれだけ オリンピックで活躍すると、本当に気持がちいい。多くの人は、生放送にこだわり、深夜まで テレビにかじりついているようだが、次の日の朝があまりにもきついので、生放送で 見るのはあきらめ、普通の生活をするように心がけている。
 今朝のNHKは朝の6時過ぎまでオリンピックの体操男子の放送をしていた。体操の 団体総合は28年ぶりに金メダルを獲得した。もうちょっと早く起きていれば、生放送で 感動できていた。残念。
 夜の放送では、卓球や柔道を見た。卓球の福原愛も元金メダリスト相手に、 セットカウント4−0のストレート勝ち。若い子の勢いはすごい。柔道も女子63s級の 谷本が金メダル。逆に強いはずの女子ソフトボールは7回までほぼ完全試合という感じで、 相手を押さえ込んでいるのに、延長戦で破れ3敗目を喫した。ピッチャーは良くやっているが、 バッターがしっかり打たないと得点は入らない。もっとバッターに頑張って欲しい。
 プロ野球では巨人の工藤が200勝したというニュースもあったが、オリンピックの 話題にかき消され、大したニュースにならなかった。オリンピック期間は、視聴率も ほとんどオリンピックの放送にとられてしまうのではないかと思う。

■2004年8月16日(月曜日)
 ウェイトリフティングの練習を見学した。ウェイトリフティングは、スナッチと クリーン&ジャークの2種目を各3回ずつ行い、それぞれ最も良い記録の合計重量で 順位が決まる競技。挙げた重量が同じであった場合は、計量時の体重が軽かった選手の 勝ちとなる。
 今日は動作解析をするためのビデオを撮影するということで、記録会に似たような 感じで一人ずつ撮影のための台に上がってバーベルを持ち上げた。
 ウォーミングアップで、軽い重量から少しずつ重さを上げてゆき、自分の上げたい 重量に近づけていく。毎日ひたすらこれの繰り返しなのだと思うと、自分では 続けられないと思った。走ることが嫌いな人にとっては、陸上の練習が耐えられないのと いっしょなのかもしれない。

■2004年8月15日(日曜日)
 朝は最低気温が18度。日中も20度をこえるくらいしかなく、どちらかというと 寒いくらいの気候。昼寝をしても、とても快適だった。
 今日は国体選考会に出場予定だったが、腰痛で練習ができず、1500mを 走りきれないと判断し、欠場した。来週は関東選手権。こちらの方はなんとか 走りたい。
 オリンピックが開幕して、男女の柔道が始まった。生放送で見なくても、録画で いいと思っていたが、テレビをつけて予選を見始めたら、結局決勝まで見てしまった。 野村選手、谷選手どちらもすばらしい試合だった。自分のことではないのに、なんで ここまでうれしくなってしまうのだろう?と思う。
 ウェイトリフティングでは、女子48s級の三宅選手が出場していたが、 全日本の記録よりは悪く、第10位。世界のトップは、常に世界記録に挑戦 という感じで、レベルの差に驚いた。体重が48sくらいの女性が、スナッチで97.5s、 クリーン&ジャークで112.5s。トータル210sの世界新記録。三宅選手は 全日本で180sの自己ベストを出しているが、これでは全く歯が立たない。
 射撃も世界のレベルはすごい。10mエアライフル女子では、予選で400点満点中、 399点の選手がトップ。日本の三ア選手は392点の22位で予選落ち。決勝では 10発中9発撃ったところまではトップだった選手が、最後の1発でミスをして 逆転負け。ここまで来ると本当に精神面の勝負なのだと思った。ちなみに我が社の 田澤さんは、10mエアピストル男子に出場し、30位で予選落ちだった。あと 1種目残っているので、そちらで頑張って欲しい。

■2004年8月14日(土曜日)
 アテネオリンピックが開幕した。開会式は、競技場内に海を見立てた 水を敷き詰め、その中に火を放ち、五輪を描いたところが印象的だった。 今までのオリンピックの開会式は、ただ人が踊っているだけという印象 だったので、古代ギリシャから現代までの歴史を紹介する内容はとても 分かり易すく、退屈しなかった。
 今回は202の国と地域からの参加だったとか。開会式の入場行進では、 知らない国名がたくさんあった。その国の大半は面積の小さい島国。 これほど知らない国があるとは思わず、驚いた。
 世界中で戦争や紛争が起こっているが、オリンピックは平和の祭典。 遠い昔にならってオリンピックの期間くらい戦闘を休戦したらどうか。

■2004年8月13日(金曜日)
 岡崎のお土産を妻の実家へ届けに行った。妻は妹と買い物に行くと言っていたので、 自分は図書館にでも行こうと思っていた。しかし、昼食後、自分が寝て、妻も寝て、 子供は妻の妹が世話をするという状況。気がつけば夕方。結局全く予定通りには行かず、 近所のスーパーへみんなで買い物に行くだけになってしまった。
 今日は子供が一瞬だけ、手を使わずうまくバランスを取って立ったことに驚いた。 もうすぐ歩くようになる。更に行動範囲が広がるようになるのだから、大変だぁ。
 もったいない1日にも思えたが、人の家なのに、ゆっくりできた。やっぱり 昼寝はサイコー!!

■2004年8月12日(木曜日)
 先週、妻が図書館で絵本を借りてきて、子供に聞かせていたところ、子供は、 本を本だと認識するようになり、急に絵本が好きになってしまった。図書館からは 5冊借りているのだが、小さな子供の絵本なので、1冊読み終わるのが1分くらい。 すぐに読み終わってしまい、読み終わるたびに泣き出しそうになる。更に読んでくれ!! とせがんでいるようなので、また読んでやると、声を出して喜ぶ。これがずっと 続くため、1度読み出すと、なかなか解放してくれない。1日何十回と読むことになる。  本好きになってくれたのはうれしいが、早く自分一人で読書ができるようになって欲しい。

■2004年8月11日(水曜日)
 1ヶ月ぶりのアンビバレンス練習会。飲み会が続いたり、腰痛になったりして なかなか織田フィールドへ行けなかった。久しぶりの練習なのに、張り切って 長距離メニューをすべてやってしまった。
 メニューは1000m+300mを3セット。初めはゆっくり走ろうと思っていたが、 先頭が速かったため、1000mを3分01秒で走り、300mも44秒。2セット目は 更にペースアップし、2分55秒と44秒。最後は2分47秒と42秒。 久しぶりの練習だった割りには、なかなかのタイム。でもずっと運動をしていないので、 週末のレースはやめた方がいいかなぁと思った。

■2004年8月10日(火曜日)


食事をしながら・・・
 妻が子供に食事を与えるときに、「どうぞ」と言ってスプーンを口に持っていくので、 うちの子供は食事のことを「どうぞ」というものだと思い、食べ物が欲しいときには「 どうじょ、どうじょ」と言うようになってしまった。
 最近は、持っている物を取り上げると、大声を出して怒ったりもする。いろいろなところで、 自分の主張をするようになり、人間らしくなってきた。
 行動では、ハイハイがスピードアップし、目を離すといなくなっていたり、突然自分の目の前に 来ていたりする。伝い歩きもするようになり、歩き出すのも時間の問題。
 1日子供と一緒にいると、新しい発見がたくさんあり楽しいが、かなり疲れる。 昼寝をして欲しいときにしてくれない時の親のダメージは大きい。なんでそんなに 元気でいられるのか?と思う。そういう子供と一緒にいる妻に今日もお疲れさまと言いたい。

■2004年8月9日(月曜日)
 妻が子供を連れ母とお土産を買いに行くというので、自分は家の中でゴロゴロして、 あっという間に半日が過ぎてしまった。典型的な、夏休みの過ごし方。後になって なんて無駄に過ごしたんだろうと思うのだが、そのゴロゴロしている瞬間は とても贅沢で幸せな気分。これから帰りの運転があるなんて全く思えなかった。
 3人が帰ってきたところで、このゴロゴロ気分も終了し、昼食を食べに近くの レトロなお店へ行った。ここでも子供が食事をするのに1時間くらいかかり、 家に帰ってきたのが15時前。荷物を片づけ帰る準備ができたのが16時前。車で また関東へ帰るのは辛いが、仕方なく帰路についた。
 行きと同じように富士川まで走り、富士川で休憩。このサービスエリアのレストランで 食べた鮪の切り身、ネギトロ、いくらの三色丼が値段の割にボリュームがあり、おいしかった。
 富士川で渋滞状況を見たが、中井ー横浜町田間で渋滞17qと出ていた。実際は 厚木から渋滞で、少しは短くなっていたが、この渋滞を抜け出るのには時間がかかった。 東名高速を出た後の環状八号線は、全く混んでいなかったのでよかったが、高速の渋滞が 影響して、家についたのは22時過ぎ。6時間ちょっとのドライブだった。当分車は 運転したくない。

■2004年8月8日(日曜日)


名付けのおじいちゃんと



阿寺の滝



庭でバーベキュー
 うちの実家では飲料水をわざわざ車で1時間以上かかる場所まで汲みにいっている。 今日は、その水を汲みに行くということで、そのついでに、水汲み場の先にある滝を 見に行くことになった。場所は鳳来寺方面(東三河の山の中)。
 鳳来寺には、うちの子供の名前を選んでくれた先生が住んでいるということで、 両親に連れられ、水を汲む前にその先生の家へ行った。その先生は不在が多く、 会える機会は少ないと聞いていたが、今回は運良く会うことができた。見た目は 普通のおじいさん。白いヒゲをはやした仙人のような人だと想像していたので、 あまりにも普通のおじさんで驚いた。子供を抱いてもらうこともでき、お礼が 言えてよかった。
 水汲み場はなんでもない山道の下にあり、誰もいなかった。普段であれば、 かなり混み合っているらしいが、こちらも運が良く、水汲み場を独占できた。
 滝は、水汲み場から5qくらい登ったところで、狭い一本道だったが、 多くの車とすれ違い、山奥の割には人がたくさんいるなぁと思ったが、滝の手前の 駐車場へ行ってみると、車がたくさん止まっていて、今まですれ違った 車は観光客だとわかった。両親が滝へ来るときには、観光客はほとんどいない そうだが、夏休みに入ったためか、人は多かった。
 山の中は気温も湿度も低く、滝の近くへ行けばさらに涼しくなった。夏は「海」と いう人もいるけど、自分は蚊に刺されなければ「山」だと思った。 関東では40度 まで気温が上がったが、ここではそんな気温とは無縁。気持ちよく快適だった。
 うちに帰った後、父がバーベキューをすると言いだし、バーベキューセットを 庭に出し、炭に火をつけ始めた。以前に比べると植木が多くなり、庭も狭くなったが、 外に出て炭火でバーベキューというのは、なかなか都心ではできないので、妻も喜んだ。 昔は夏になると庭でバーベキューをやっていた。夏らしい我が家の風景だなぁ、 と懐かしく思った。

■2004年8月7日(土曜日)


岡崎の花火



花火を見るおじいちゃんと孫
 小牧のゴールとフレックスへ行った。昨年3月以来なので、随分行ってなかった。 今回も身体調整をお願いした。
 初めは、足の指の付け根あたりを触られ、いつもなら跳び上がるくらいの激痛が 走るところだが、今回は全くなくかなり快適だった。月日を重ねて、先生の腕が上がった ためなのだと思った。
 よく捻挫をするのでなぜだろうと思っていたのだが、原因は、腓骨筋。腓骨筋が 弱っていて、機能していないことがわかった。
 次に問題だといわれたのが梨状筋。これは尻の中の筋肉。尻は触られるだけで 痛かったが、この梨状筋をゆるめてもらったら一気に楽になった。
 一番辛かった腰から背中にかけての筋肉をみてもらったが、ひどい張りだと言われた。 マッサージではどうにもならないということで超音波をかけてもらった。
 最後は肩と首。筋肉はねじれを伴って使われるということで、腕全体を普段ねじって 使われている方向とは逆側にねじって伸ばしてやることによって、一気に肩が軽くなった。 普段は上腕三頭筋を使う方向にねじっているので、拮抗する上腕二頭筋(力こぶの筋肉) を使うトレーニングをすることにより肩こりが治る場合もあることを知った。
 体を全部みてもらったあと、他に気になるところは?と聞かれ、膝裏のしこりが 気になったので、その部分をみてもらったところ、いろいろ問題が出てきた。 ふくらはぎや腿の裏をかなりゆるめてもらっているのに、少し時間が経つと元通りに なる。先生も何でだろう?と考えていたのだが、最終的な答えは、大腿四頭筋 (大腿前部の筋肉)の衰えが原因ということだった。
 何年か前まではこの筋肉は一番発達し、不必要なくらいあったので、最近は 大腿裏ばかりを鍛えていた。練習量が落ちても大腿前部は全くトレーニングを しなかったため、筋肉が衰え、前後のバランスが取れなくなっていた。大腿裏ばかりが 発達したため、大腿裏ばかりではなく、ふくらはぎや背中の筋肉まで引っ張られる ようになり腰痛が発生したというのが先生の推測だった。改めて腿の裏の筋肉をみると 腿の前と比べ自分でも驚くほど発達していた。これが改善されない限り、また腰痛の 発生する可能性がある。
 普段からバランスは大切だと思っていたが、自分は大丈夫という油断があった。 こんなにバランスが悪かったとは・・・。これからは、バランスのとれた身体にして、 故障を局限し、さらに競技力を向上させたいと思った。

■2004年8月6日(金曜日)
 仕事が終わった後、すぐに家へ帰り、家族を連れて岡崎へ向かった。 4月に帰ったときには新幹線だったが、今回は車。18時には家を出たので、 早ければ22時過ぎくらいには、実家に着くのではないか、と思っていたが、 環状八号線でやられた。夕方の環八は渋滞になることが多いと聞いていたが、 本当にその通り。早ければ40分くらいで東京インターまで行けるのだが、 今日は75分かかった。
 東名高速に入ったところで、横浜町田−厚木間で渋滞の表示が出ていて、 ガックリ。土曜の朝出発するよりは、スムーズに行けるだろうと思っていたが、 世の中そんなに甘くはなかった。
 厚木を越えてからは渋滞はなく、順調に進め、富士川で食事休憩。自分たちの 食事はすぐ終わるのだが、子供は食事をするのに時間がかかる。ちょっと食べては 休憩し、周りの人を見回して、なかなか食べてくれない。食べ終わるまでに1時間。  富士川以降も、順調に流れ、実家に着いたのは23時半。結局5時間半かかった。 正月に帰ったときには12時間かかったのだから、それと比べれば上出来。
 長時間ドライブは腰の負担が大きい。乗り物に乗っている時間を考えると新幹線の 方が楽かもしれない。

■2004年8月5日(木曜日)
 早稲田実業中等部の学生2人が勉強に来た。担当は自分で、スポーツと筋肉 という内容で話をした。早稲田実業は、中学からそのまま高校、大学へと進学が できるようで、中学に入ってしまえば受験がない。そのため、中学3年生は 卒業研究ということで、自分の興味ある分野の研究を1年間かけて行うらしい。 そして、夏休みに、専門家の人にコンタクトし、話を聞いたりして卒業研究の 参考にするということで、選ばれたのはうちの職場だった。
 彼らはサッカー部ということで、将来はもちろんJリーグの選手になりたいという 希望を持っていた。そのための基礎となるような、運動生理学を中心に話をした。 興味を持ったのは栄養の分野らしく、話を聞きに来た部分とは違っていたが、 彼らが、1つでも興味を持ってくれれば話をした甲斐があり、引き受けてよかった。

■2004年8月4日(水曜日)
 職場の歓迎会。場所は先週送別会をやった場所。出される料理がいっしょだったら どうしよう、と心配していたが、さすがに幹事もわかっていて、別の料理を出すように 注文していた。
 先週は4人を送り出し、今週は新しく4人を迎えることになった。それぞれが 自己紹介をし、この2ヶ月くらいいっしょに勤務してきた人でも、まだまだ知られて いない面があって、改めて自己紹介しあうということも必要だなぁと思った。

■2004年8月3日(火曜日)
 ヨーロッパ遠征へ行っていた日本の中距離チームが日本へ帰ってきた。7月31日に ベルギーで行われた「ナイトオブアスレティック」というレースでは、小林史和くんが 1500mで3分37秒42の日本新記録を出した。800mでも笹野くんが 1分47秒02の日本歴代3位の記録を出し、最終レースでかなり盛りあがった ようだった。
 この大会には、自分も2度出場したことがある。会場は周りが牧場で何もない田舎なのに なぜこんなに人が集まるのだろう?と思ったが、レベルは高く、オリンピックに出る選手も たくさん出場していた。今回からは国際陸連のGPUという格付けが付き、大阪 国際グランプリと同じ格付けの大会になったらしい。1500mでは、金メダル候補の エルゲルージ(モロッコ)が3分29秒18の今季世界最高を出すなど、格付けの上がった 大会らしく、すばらしい記録が出ていた。
 今回のオリンピックは日本の男子中距離からの出場はないが、みんなが頑張って 中距離のレベルは上がってきているので、来年は世界選手権への出場がかなうかもしれない。

■2004年8月2日(月曜日)
 土日の長時間にわたるドライブにより、腰の状況は改善せず、職場で1日 座っていると更に悪化。身体を動かさないとよくないと思い、ジョッグを してみるが、改善はなく、20分でやめた。出勤すれば、必ず椅子に 座ることになる。この生活リズム自体が悪循環の一つになっている。
 先週、腰痛になった時のことを考えれば、痛みは緩和しているし、長い目で 見てよくなっているので、日々の痛みは気にせず生活するしかない。

■2004年8月1日(日曜日)


印旛村の風景
 今日も運動生理学会。研究発表とシンポジウムがメイン。今話題の分岐鎖アミノ酸 (BCAA)含有飲料摂取で最大酸素摂取量が上がるというような発表があって、 本当に上がるのであれば、大発見だと思った。質問でもそのことが突っ込まれ、 発表者も困っていた。たった8人の被験者では、何とも言えない。
 シンポジウムは「サプリメントとパフォーマンス」という題名。4人の先生が 最新のサプリメントについて話した。結論としては、サプリメントは患者には 効果があるが、健常者には効果があるかどうかはっきりしないというものだった。 これだけサプリメントの種類が増えて、いろいろな効果が叫ばれているのに、 最新の研究をしている研究者が効果がわからないというのは、おかしいのではないかと 思ったが、これが現状らしい。栄養はできるだけ食事から摂るというのが正論。 サプリメントは気持ちの問題と考えた方がいいのかもしれない。
 今回は学会への行きと帰りが辛かった。昨日は6時間車に乗っていた。 今日は7時間。腰がぁ・・・



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