最近のいずみ

Last Update:2004/9/30

パートタイムアスリートいずみ 4年目に突入!! 


■2004年9月30日(木曜日)
 最近、レース中にオーロラビジョンを見て、後続の選手の状況を うかがいながら走るということができなくなった。オーロラビジョンの ある競技場でレースがあるときには、見ながら走ろうと思ってウォーミング アップを始めるのだが、始まってみるとそこまで意識が届かない。つまり 余裕がない。
 「運動の自動化」や「運動の組み合わせ」という言葉があるが、 トレーニングなどの動作の繰り返しによって運動は定着し、最終段階は 個々の運動を意識しなくても正確に動作ができるようになり、それまで 意識していたところを意識する必要がなくなった分、別のところへ意識を 持っていける。別の運動の組み合わせにも注意がいくようになり、別の運動との 組み合わせができるようになる。
 以前の自分であれば、レース中に周辺視ができたため、オーロラビジョンを 見ながらレースができた。つまり走りながら、周りを見るという、運動の 組み合わせをする余裕があった。しかし、今は見る余裕がない。最後の 直線になると、自分の身体が固まってきて、そちらに意識が集中するため、 別の動作をすることができない。
 老化により、若いときには無意識のうちに行われていた複数の運動の 同時的組み合わせが次第に困難になる、と運動学の本には書いてある。自分に とってはとてもイヤ〜な文章だった。
 老化なんて、まだまだ先の話だから、自動化や組み合わせというよりも 練習不足で、レースについて行けないというのが一番の原因だと考える。 まだまだ来年も頑張ります。

■2004年9月29日(水曜日)
 「血管拡張性肉芽腫」を切除する手術を受けた。耳に麻酔を入れて麻痺させ、 あとは、切除して縫い合わせるだけ。「30分くらいで、手術は終わるから」 と言われていたが、15分で終わった。
 手術中は、リラックスしようとしても、左耳の側にある左の上半身だけは 緊張し、大汗をかいていた。
 手術後は、運動できないということで今日からは運動中止。麻酔の利きが 悪くなってくると、だんだん手術した部分に痛みが出てきた。痛み止めを 飲むほど痛くはないので我慢しているが、何をしていても少し気になる。

■2004年9月28日(火曜日)


オリンピック代表選手と
 体育学校からアテネオリンピックへ参加した人たちの慰労会があった。レスリングで 銅メダルを獲得したこともあって、レスリングの関係者が多かったが、部外からも 多くの人が参加し盛大に行われた。
 会は約2時間だったが、普段は話す事のない人と話ができ、話すには時間が足りない くらいだった。こういう場は自分の顔を広げる場でもあるなぁと思った。
 射撃の代表になった小西さんは、競技開始時は、緊張で手がふるえ、後半は、 頭痛になり、競技とは別の部分でも戦ったと言っていた。オリンピックという 試合では、ワールドカップで3位に入賞している選手でも特別な心理状態になり、 身体にも影響がでてしまう。それほど、オリンピックという場は特別な場なんだなぁ と思った。

■2004年9月27日(月曜日)
 土日のレースが思うようにいかず、タイムが遅かった割には、疲労は かなりあり、筋肉痛もあった。結果から見れば調子はあまり良くなかった。 自分の感覚と現実がかなりずれていたので、まずは血液を疑い、 血液検査をした。
 結果は、ヘモグロビンの値が14.0g/dlで貧血気味。これでは、 頑張っても最後は酸素の運搬能力が劣り、一番大事な場面で力が発揮できない。 この1ヶ月間は、鉄剤を積極的に口にして、鉄分の多く含まれる食品を食べて いたが、それほど改善されていなかった。
 当分は疲労回復と貧血を改善することを考えていこうと思う。

■2004年9月26日(日曜日)


2周目



ゴール前



ビッグスワン(新潟スタジアム)



レース後、渡辺さんと
 全日本実業団2日目。800mに出場。予選は3組あり、2着と3着以降 タイムの良い2人が決勝進出。
 今回は順位よりもとにかくタイムが欲しかった。自分の組のメンバーを見た 感じでは、引っ張ってくれそうな人がいなかったので、昨日と同様自分で ペースを作ろうと思っていた。前半の200mは様子を見て遅かったら先頭に 出れば何とかなるだろうと考えていた。
 実際は100m過ぎから増原くんが先頭に出て、なかなか良いペースで レースを引っ張ってくれた。自分は2番手で走り400mを55秒台で通過。 このまま行けばタイムは出ると思い、うれしくなった。
 後半は残り300mからスパートをかけるつもりでいて、実際に残り300mから 先頭に出た。全てが予定通りに行き、600m通過の時点ではタイムは出ると 確信していた。
 しかし、700m手前でランキング1位の笹野くんが先頭に出て2番手に下がり、 直線に入ってからは、菅野くん(体育学校)にも抜かれ、手足が動かなくなった。 なんとか3位を確保しようと頑張ったが、頑張れば頑張るほど動かなくなり、 今井くん(大塚製薬)にも抜かれ、さらに後ろの選手にも追いつかれそうに なりながら、やっとのことでゴールした。結果は1分54秒45で4着。3着の 選手はタイムで決勝に拾われた。
 レース展開はイメージ通りだったが、最後の直線で脚がもたついて転びそうに なるのをこらえるのが精一杯だった。今やれるだけのことはやっての結果。2週間 くらい前から調子が上がっていたので、いい結果が出ると思っていたが、思わぬ 結果に終わった。結果的にはピークが2週間前に来ていたということか?
 今シーズンはこれで終了。このままでは来年は出られる試合がほとんどない。 引退に追い込まれたようなもの。来年出られる全国大会は、この全日本実業団 しかない。この大会もこれで8回連続の出場。10回連続出場で表彰されるので、 なんとか来年も標準を突破し10年連続出場につなげたい。また、春先に 日本選手権標準Bを突破し、日本選手権へ出場したい。このままでは絶対に 終わりたくない。

■2004年9月25日(土曜日)


レース後



同じ学年も少なくなった・・・
 全日本実業団初日。1500mに出場した。
 アップの感覚は悪くなく、十分シーズンベストが狙えると思った。いっしょに 走るメンバーを見た感じでは誰も積極的に走る選手がいないので、タイムを目指すには 自分が行くしかないと思い、スタートから先頭に立った。
 1周目は足も軽く、気持ちよく60秒で通過した。その後も感覚はそれ程かわら なかったが、700mの通過が1分47秒台となり、ペースが落ちたことにより、 後ろの選手が続々と自分を抜いて行き、周りの選手に抜かれ放題。
 残り1周で、後ろから2番目。自衛隊山口と、体育学校の選手が、自分の前に 走っているので、この選手たちだけは抜こうと残り300mで決意したが、身体は 動かず、結局動き出したのは残り150m。体育学校の選手と東芝の選手を抜き、 前は自衛隊山口の選手だったが、ゴールまでの距離が短く、追いつけずにゴールした。 結果は3分56秒52で組で12位。総合は30人中26位。
 昨日の走りや今日のアップの感覚からすると、思いも寄らないひどい結果だった。 積極性が仇となった。逆に自分がいいペースを作ったため、上位の選手はなかなかいい 結果を出していて、更に悔しさが増した。今日がダメなら明日。明日の800mは、 絶対に日本選手権標準を突破する!!

■2004年9月24日(金曜日)


ドカベン
 明日から始まる全日本実業団へ出場するため、新潟へ向かった。レースの会場は サッカーのワールドカップが行われた新潟スタジアム。前日からの練習も 同じ場所だろうと思っていたが、インターネットで確認したところ、新潟スタジアム とは別の新潟市営陸上競技場になっていた。本当は試合で使われるところで 走りたいのに・・・と思いながら新潟市営陸上競技場へ行ってみると、ほとんど人が いなかった。競技場で走っているのは、数名の高校生と大学生。どう考えても 場所を間違えているとしか思えなかった。ひょっとして新潟スタジアムが使えた のではないかと思ったが、競技場の使える時間も長くないので、仕方なく ウォーミングアップを始めた。
 ウォーミングアップの途中で大雨が降り出し、練習ができなくなった。30分くらいで いったん雨が止んだので、その間に300mを1本走った。タイムは36秒9。 シーズンベスト。動きは悪くなかった。明日はもっとゆっくりしたペースで走れば いいと思うと、気持ちが楽になった。
 競技場からの帰りはレンタサイクルを使い駅前まで向かった。自転車を借りる 時にまた雨が降ってきたため、アーケード街に入り雨宿りをした。アーケードには 水島慎司のマンガストリートという通りがあり、ドカベンを中心にマンガの キャラクターが銅像として置かれていた。偶然通りかかった道だったが、 ドカベンファンとしてはとてもうれしい通りだった。
 雨は結局止まなかったので、あきらめて雨に降られながら駅へ向かった。 レンタサイクルは3時間100円で、断然バスを使うより安かったが、今回は バスを使った方がよかった。

■2004年9月23日(木曜日)
 スーパー陸上をテレビで見た。先週はグランプリファイナルでモナコにいた 選手が今日は日本に来ているというだけで、ワクワクした。
 100mではアテネの金メダリスト、ガトリン選手が優勝。110mハードルも 金メダリスト、劉選手が優勝。400mハードルは先週6位だった為末選手が優勝した。 そしてハンマー投げでは室伏選手が83mを越えるシーズンベストを出し優勝した。
 この大会では今シーズンで現役引退を表明し、引退試合となる男子短距離の フレデリクス選手や女子走り幅跳びのドレクスラー選手も出場し、トレーニング のやり方次第では、40歳近くまで、世界のトップクラスの力を維持できること を証明してくれ、自分も頑張ろうという気持ちになった。
 試合の最後には、室伏選手のオリンピック金メダル授与式があり、観客の声援に 笑顔で答えている映像が印象的だった。

■2004年9月22日(水曜日)
 体調が悪く、練習する気になれず、レース前なので気分を優先して、 アンビバレンス練習会にも参加しなかった。その代わり、身体のケアを するため、新宿の整体へ行った。
 自分の感覚では左脚がおかしかったが、先生に見てもらうと右脚が おかしく、その影響でバランスを取るために左脚が無理しているのでは ないかと言われた。足の長さは左が長く、右が短くなっていた。筋力を チェックしてもらったが、右脚は全然力が入らなかった。走っているときに どうも力が伝わらないと思っていたが、これで力の入らないことが確認できた。
 骨盤などの矯正をしてもらい、体のバランスは整った。明日からは、気分を 試合に向けて盛り上げてゆきたい。

■2004年9月21日(火曜日)
 昨夜は、子供が突然熱を出し、体温を測ってみると39度だった。小児科で 夜間までやっている病院を電話で聞き、深夜1時近かったが、とりあえず 子供を病院へ運んだ。子供は具合が悪いにもかかわらず、意外と元気で、 笑顔でこちらを見つめ、無理をしているようで可哀想だった。
 病院での診断は、突発性発疹か、ヴィールス性の風邪ということで、 はっきりしなかった。喉は通常より赤く腫れている感じだった。
 座薬をもらい、自宅に帰ったが、その後子供はなかなか寝付いてくれず、 睡眠不足。熱が下がってくれればいいが・・・

■2004年9月20日(月曜日)
 TBSで深夜放送していた陸上のワールドアスレティックファイナルを見た。 この大会は、年間を通して常に世界の上位にいた選手のみが参加できる大会で 日本人は400mハードルの為末選手だけが出場していた。
 放送は約3時間。ほぼ全ての種目の放送があった。印象に残ったのは、 オリンピックに出られなかった選手の活躍。世界一強いのに、国籍問題で 出られなかった選手や、全米選手権で4位になりオリンピックには出られなかった 選手が、このファイナルで優勝するなど、見所が多かった。また女子棒高跳びでは、 オリンピックチャンピオンのイシンバエワ選手が、オリンピックと同様、 追い込まれてからの集中力が強く、逆転で優勝を勝ち取り、最後にはまた 世界記録に挑戦し、場内をわかせていたのも印象に残った。
 為末選手がオリンピックはアマチュアの祭典だが、このファイナルはプロの祭典 というコメントをしていたが、まさにその通りだと思った。年間を通じて常に トップにいなければ出られないのだから、オリンピックの一発勝負とは違い、 本当に強い選手だけが出られるプロの祭典。その中で為末選手は、第6位に入った。 世界ランキングは第8位でギリギリこの大会に出場できたことを考えると、 この順位はランキングよりも高く、すばらしい結果だったと思う。

■2004年9月19日(日曜日)
 昨日は全く運動ができなかったため、朝練をして気持ちよく汗を流した。 宿泊先は中州川端だったので、大濠公園や福岡ドーム方面へ向かって走った。 福岡ドームへは30分くらいで着き、朝の7時過ぎなのに、ダイエーファンが すでに列を作っていたのには驚いた。昨日からプロ野球はストライキが 始まっているので、今日も行われるはずがないのに、なぜならんでいるのかは わからないが、昨日も選手がファンに対してサイン会を開いたりしているので、 今日もあるのかもしれない。とにかく、熱心なファンがたくさんいるんだなぁと 感心した。

■2004年9月18日(土曜日)


中谷夫妻



2次会
 大学の同期の結婚式が博多であった。11時前には結婚式が始まるため、 朝5時過ぎに家を出て飛行機で博多へ向かった。
 結婚式は、とてもシンプルで、自分の時と同じ人前式。記念品の交換で、 新婦は指輪、新郎は腕時計というところが印象的だった。
 披露宴も自分の時と同じでレストランで行われたため、料理はおいしかった。 披露宴中は、ジャズの生演奏があり、演奏が目の前で行われていたので、 とても贅沢な気分になった。新郎新婦が順番にテーブルを回ったため、 それ程話す時間はなかったが、食事と音楽とおしゃべりを楽しむことが でき、友達とレストランに来ているような自然な感じでとてもよかった。
 新郎の最後の挨拶では、披露宴を裏側から支えてくれたスタッフに対しても 感謝の意を伝え、新郎のきめ細やかな気配りがうかがえ、感心した。
 2次会以降は、同期といろいろな話ができ、それぞれの道を極めようと お互いに勉強をしていることがわかり、勉強することのモチベーションが かなり高まった。同期と情報交換すると言う意味でも、同期の結婚式は 重要だなぁと思った。

■2004年9月17日(金曜日)
 浅間山の小規模噴火が何度か起こり、朝霞や和光市でも火山灰が降った。 その影響で車の上にもうっすらと灰が積もった。このままずっと噴火が続くと、 洗濯物を外に干すことができないし、外出するのも考えなくてはいけなくなる かもしれない。
 浅間山からは随分距離が離れていると思ったが、地球の大きさからすれば、 近い距離だと言え、人間の距離の感覚はちっぽけなものだと思えた。

■2004年9月16日(木曜日)


シンポジウム
 日本体力医学会大会3日目。「ファーストスポーツからスロースポーツへ」という シンポジウムに参加した。内容は、中高年に対して、どのような運動をしたらいいのか、 という内容で、頑張らなくても、最大酸素摂取量の50%くらいの、「楽だ〜ややきつい」 という運動を継続することによって身体組成は改善するということを、いろいろな 運動方法を用いて説明していた。特殊なものでは妊婦に対する水中運動で、週に1度 水中運動を行い、妊娠中毒症の発生率の低下にいくらかは貢献しているのではないか という、あまりはっきりしない結果も発表されていた。当の妊婦本人たちのプログラム 終了後のコメントは、「友達ができた」などの体力とは全く関係ないコメントが大半 を占めていたということで、先生が残念がっていたのが印象的だった。

■2004年9月15日(水曜日)
 日本体力医学会大会2日目。この大会では毎年持久走大会が恒例になっているため、 参加者は朝6時に集合し、6時半から5qの持続走を行った。種目は同じ5qでも タイムレースと予告タイムレースがあり、自分は、タイムレースで走った。
 1位から3位までは賞品として、ブルックスのランニングシューズがもらえるという ことで、若手の学生は毎年参加し、毎回シューズをもらっているようだった。
 ウォーミングアップもほとんどなく走り始めるので、速くても3分半/qくらいだろう と思いながらスタートし、結果もほぼ予想通りで、1位でゴールした。タイムは 17分26秒。朝のジョギングとしては、少し速かった。賞品のシューズは、後ほど 記入した住所へ送られるということだったが、サイズが25〜28pまでしかないらしく、 自分は29pなので、もらえそうにない雰囲気だった。せっかく頑張ったが、サイズが ないのであれば仕方ない。参加することに意義があったと思うことにした。

■2004年9月14日(火曜日)


会長講演
 大宮ソニックシティで行われた第59回日本体力医学会大会に参加した。 この学会は毎年国民体育大会に合わせて行われ、今年は埼玉県で国体が開催されて いるため埼玉県での開催となった。
 今回は、先月の運動生理学会よりも大きな学会で、発表も多く予稿集が かなり太かった。同じ時間帯に講演やテーマセッションというものがあるので、 どれを見るか、題名と予稿集の内容から判断しなければならなかった。
 今回選んだのは、「ミトコンドリアのエネルギー代謝と健康」という講演。 ミトコンドリアの働きから始まり、ミトコンドリアを取り巻く人間の健康に ついての話が中心になった。
 ミトコンドリアは老化と共に弱まるので、これを利用し、マウスの ミトコンドリアを操作してやると、若いマウスを老化マウスにかえることができ、 実際の写真も公開された。人間の操作によってマウスは思いのままにかえられて しまうので、人間にも応用できると思うとショックだった。
 スポーツ選手の寿命は短いか?という内容もあった。今回のデータでは、体育系、 文化系、理科系の学生が学校を卒業するときの寿命の比較があり、体育系は、文化系、 理科系よりも5,6歳寿命が短かった。今のスポーツ選手は、昔の栄養状態よりは 間違いなく良い栄養状態なので、このデータがそのまま現代人に当てはまるかどうか わからないが、スポーツ選手は一般の人よりも活性酸素の発生が大きいということで 活性酸素の影響を受けやすいことからも短いのではないか?という内容だった。
 活性酸素は体内の遺伝子、脂質、たんぱく質を破壊し、動脈硬化などの原因にも なることから、抗酸化作用のある食べ物をしっかりと取る必要があると強調していた。 必要なビタミン・ミネラルとしては、ビタミンA,C,E、カロチン、亜鉛、銅、 マンガンで、とくに日本人は亜鉛と銅が不足しているらしい。
 題名は難しそうな内容でも、講演をする先生は意外と分かり易く説明され、 新しい知識を吸収することができた。

■2004年9月13日(月曜日)
 ゴキブリが飛ぶ姿を初めて見た。自分の背後から飛んできて、初めは自分の耳に 当たって床へ落ち、その後、床を這い回り、2度目の飛行。結構高く飛び、ぐるぐると 回りながら床へ降りてくる。妻は叫び声を出して驚き、その声を聞いた子供は、泣き始めた。 ゴキブリは、ふすまを登り、木の敷居まで来たところで、自分がプラスチックの棒で 叩くことにより死んでしまった。
 これほど、ゴキブリは、見事な飛行をするのか、昆虫だなぁ、と、見とれている うちに家族は大騒ぎをしていた。すばしっこさは、さすがゴキブリというように 思ったが、こちらも細い棒で良く対処したなぁとも思った。
 家の中で、こんな風に飛び回られると、家族は不安がって生活ができない。 自由に飛び回るゴキブリが発生するほど、我が家はゴキブリの住みかになって いるのか?子供は毎日ハイハイし、そのまま指を口に入れている。これって 大変なことなんじゃないか?と不安になってきた。
 ゴキブリを一掃する手だてを考えねば・・・。

■2004年9月12日(日曜日)
 運動がストレスに対して有効だそうで、うつ病になることを抑える効果もあるという。 一般にストレスの解消法として、男性では飲酒、女性では友達とおしゃべりしながら食事を するというものが出てくるが、どちらも頻繁になると、身体に良いとは言えなく なってくる。その点、運動であれば、身体には良さそうに思える。
 運動には抗ストレス効果があるのであれば、何をすればいいのか?ということになるが、 ランニングなどの有酸素運動と、ウエイトトレーニングなどの負荷をかける運動では、 有酸素運動のほうが良いらしい。ウエイトではストレスに対する効果がみられるとは 限らないということで、断然ランニング。どのくらいの負荷をかけるかと言えば、 最高心拍数の60%以上の中強度以上の負荷でなければならない、ということで、 かなり高い強度でもストレス解消にはなるらしい。
 自分の練習は、ストレス発散になっていると思っているが、練習が終わると、 もっと追い込むことができたのではないかと思うことが多く、逆にストレスに なっているような気もしている。
 普段の生活では、一般に毎日運動できる人はいないだろうし、運動をすれば、 ストレスが解消されると言われてもなかなか難しい。まずは運動してみようと 思うことがストレス解消への第一歩なのかもしれない。

■2004年9月11日(土曜日)
 体育学校の選手と練習。朝起きたときから、昨日までとは違い、ハムストリングスの 痛みがなく、調子が良かった。
 練習メニューは1000m、600m、400m、200m。それぞれの間は 15分の休憩。体育学校の選手はどちらかと言えば、ペース走だったが、自分は タイムトライアルに近い状態。設定は2分30秒、1分23秒、53秒、25秒。 400mまでは、ほぼ設定通り走ることができたが、400mが終わった後には 酸欠になり、頭が痛くて200mは走れる状況ではなかった。最後の200mは みんなは24秒台で走っていたが、自分だけ遅れ27秒9。もう少しで全ての練習を こなせるところだったが、仕方ない。400mまでは、練習でのシーズンベスト。 今シーズン一番質の高い練習ができた。

■2004年9月10日(金曜日)
 2,3週間前から、左耳の裏に血の塊ができて、どうしたらいいものか? と考えていた。初めて気がついたのは、シャワーを浴びた後に、大量の血が出たとき。 その後、2,3日はシャワーの度に出血し、なかなか止血できなかった。 最近は、かさぶたが取れ、いぼのように丸い血の塊になりブラブラしている。
 今日は、朝霞の医務室で紹介状を書いてもらい、自衛隊中央病院の形成外科へ 行った。先生に見せると同時に、先生からは「血管拡張性肉芽腫」という用語 が出てきた。耳の裏に傷ができて、ぶどう球菌という菌が入って丸い血の塊に なったということだった。このまま放っておくと、どんどん大きくなるので、 早めに切った方がいいと言われた。切った後は出血がひどくなる場合もあるため 運動はできならしく、試合が月末にあるので、試合後手術することになった。  原因や対処の方法もわかり安心はしたが、今まで肌を切って縫ったことが ないので、それが、イヤだなぁと思った。

■2004年9月9日(木曜日)
 子供が一人で立ち上がるようになった。昨日までは、何かにつかまらないと 立つことはできなかったはず。腕を横に広げながらバランスを取り、その場で 立ち上がってフラフラし、1,2秒してまたしゃがむ動作を繰り返している。 一人でスクワットをしているみたいで、おもしろい。
 最近、自分は、逆立ちの練習をしているのだが、子供が立ち上がる練習を するのと似ているなぁと思った。逆立ちも初めは壁に向かって練習し、 自力で逆立ちをしても静止できるのは1,2秒くらい。そのうちバランスが 取れるようになり、静止できる時間も長くなってくるはず。
 子供が歩くなるようになるのが先か、自分が倒立歩行できるようになるのが先か。 いい競争相手ができた。

■2004年9月8日(水曜日)
 アンビバレンス練習会。短距離で練習。メニューは200m+100m+ 200m+100m。最後に300m。周りの人たちは23秒台、11秒台で 走っていくので、遅れながら後ろの方で走ることしかできなかった。気持ち よく8割くらいの力で走るつもりだったが、周りの速さに影響され、10割の 力で頑張ってしまった。相当な疲労だったが、距離が短すぎて、走った気が しなかった。もう少し自制心をもって練習をやらないと自分が壊れてしまう。

■2004年9月7日(火曜日)
 昨日練習では、身体が全く動かずひどかった。練習前から、疲れも取れないし、 脚の痛みも全く治らないので、気になって、医務室で血液検査をしていた。 全ての結果はわからないが、先生がヘモグロビンの結果だけ教えてくれた。  ヘモグロビンを見ると貧血かどうかわかる。今までの血液検査ではだいたい 15g/dl以上の値を示し、トップアスリートとしては16.5g/dl以上が望ましいと 言われている。
 今回の結果は14.4g/dl。14.0以下は貧血と呼ばれ、自分は普段15以上あるの だから、ほどんど貧血状態。これじゃ〜走れんわぁ、と思った。
 これだけ酸素の運搬能力が低下した状態でトレーニングをしても疲れをためるだけで トレーニングの効果は上がりにくい。結果を聞いただけで練習する気力がなくなった。 1日休んで栄養を摂っても急に変わることはないが、しっかり栄養を摂ろうと思った。

■2004年9月6日(月曜日)
 2日間練習を休んだので、身体はリフレッシュしているはずだったが、 そうでもなく、走ってみると、かなりの疲労があることがわかった。
 今日は、800m、600m、500mを気持ちよく8割くらいの力で走る つもりだったが、8割の力も、10割の力も変わらない感じで、タイムトライアルを しているみたいだった。800mも600mも走りきれず、途中で手足がしびれて 後半はスピードが急激に落ちた。最後の500mはまた走りきれないと思ったので、 300mに変更して走ったが、150mくらいで手足がしびれ、後半はやっぱり 走れなかった。どうも身体がおかしい。

■2004年9月5日(日曜日)


石の土台と曲がった木



イサムノグチ美術館



和泉一族のお墓(上も)



両親・親戚と
 先週の台風16号の影響で香川にある父の実家が床上浸水し、大変なことになっている ということを聞き、片づけの手伝いに行った。飛行機が朝7時だったので、和光駅を5時に 出発し、電車でも飛行機でも寝て、8時過ぎには高松空港へ着いた。愛知から車できている父に 迎えに来てもらい、父の実家へ行った。
 高松市はかなりの被害があったようだが、高松市の隣にある父の実家は、ほんの一部の 地域だけが浸水し、たまたま周りよりも土地が低かったために水が集まったようだった。 町もここまで被害が大きくなるとは考えていなかったようで、避難勧告も 出ず、急激に水かさが増え、気がつけば畳の上まで水が来ていたらしい。
 9月1日に被害に遭い、それから4日も経っているので、畳も床も取り払われ、地面が 見える状態で、水分を取るために石灰がまかれていた。父の実家は古いので、今の建物とは ちがい、とても不安定に見えた。地面に石を置いて、その上に木の柱を立てて、家ができている。 石の上にただ木が載っているだけ。その木は自然に生えているものを少し削っただけで、 曲がったまま使われている。かなりいい加減な造りに見えたが、こんな曲がった木を 使っているのでうまく建てないと強度は弱くなると考えると、かなり緻密な造りをしている のだと思った。職人芸。しかし今はその木が塩水に浸かり弱くなっている。
 張り切って手伝いに行ったものの、大まかな作業はこの3日間で終わっていて、大きく なってしまった植木がたくさんあり、今後の台風で倒れる可能性もあるため、植木の枝を 大量に切った。屋根瓦も1つだけ割れていたので、それも直した。
 作業の合間、歩いて1、2分のところに、世界的に有名な石の彫刻家イサムノグチ という人の美術館や家が建っているというので見に行った。イサムノグチという人のことは 全く知らなかった。両親は自分が彼について何も知らないことを驚いていた。
 父の実家のある地域は、周りの家も和泉家が多い。みんな親戚らしく、家の近くには 和泉一族のお墓がたくさん並んでいた。昔から石の彫刻が有名な地域らしく、祖父も 当時は有名な彫刻家だった。その名残として、今でも家には大きな灯籠が崩して置いてあり、 庭のかなりの部分を占めている。倉庫の中には二宮金次郎があったり、50年以上前に 使われていた道具がたくさん転がっていた。
 天気予報は雨だったので、心配したが、日中は晴れて作業が進んだ。夕方になり、急に 天気が悪くなり、高松空港へ送ってもらった直後に豪雨になった。また雨が降ると、 せっかくまいた石灰も意味のないものになるなぁと思いながら高松をあとにした。

■2004年9月4日(土曜日)
 昨夜NHKで放送された人間ドキュメントを見た。今回は室伏宏治を特集。 「視野の広い集中」というような言葉が彼の中から出てきた。外国のトップ選手の 集中力は、すさまじいものがあるが、レース直前までお客さんへのサービスを 怠らない。手を挙げて歓声に答えたり、テレビカメラに手を振ったり、笑顔を振り まいたりする。
 シドニーオリンピックの室伏選手は、集中をするために、観客に対し、静かに するよう求めた。この神経質さが原因だったわけではないだろうが、シドニーは 予選落ち。このときの集中の仕方は、「視野の狭い集中」だったのだと思う。 彼は、技術だけでなく、精神面も4年の間に鍛えてきた。
 今回のオリンピックでは、「繰り上げ金」という言葉が使われていたが、外国の メディアは、元々金メダルを獲得した選手は、失格になり、試合にも出場していない と見なしているという。つまり室伏が初めから金という扱いになっている。 実際、彼が1位になって、2位以下の選手を大差で離しているのだから、 メディアは「室伏、圧倒的な強さで金」と言うべきではないか、と話す人がいた。 自分もその通りだと思う。

■2004年9月3日(金曜日)
 火曜日にやった腹筋の筋肉痛が全然治らない。特別に重りを持ってやったわけでもなく、 自分の体重のみ。それほど辛い思いもしなかったので、筋肉痛になるとは思わなかった。 自分の筋肉は弱くなっているのか?昨日は、サーキットトレーニングをやろうと思っていたが、 筋肉痛が気になりすぎてやれなかった。今日は、昨日よりは少しだけ緩和し、一番痛い時期を 過ぎたので、サーキットトレーニングをやってみた。運動前は気になるが運動をしてしまうと 痛みは忘れてしまう。身体を動かしていけば、筋肉のポンプ作用で疲労物質も除去されやすく なると学んだが、きっとそういう作用が起きたのだろう。しかし、これほど筋肉痛が残る とは・・・年をとったということか?

■2004年9月2日(木曜日)
 昨夜長野県と群馬県の県境あたりにある浅間山が突然噴火した。何度か浅間山の 近くには行ったことがあるが、活動しているなんて思わなかった。
 三宅島の噴火は随分前におさまり、ニュースの話題にもあまり取り上げ られなくなり、日本列島の自然災害は、地震と台風くらいかと思っていたら また別の火山が活動しだした。伊豆の大島や三宅島はよく活動するので、 次は富士山が動き出すのでは?と思っていたが、富士山を通り越して浅間山が 動き出した。この刺激を受けて、東海沖や南関東の震災が来てもおかしくない。 本気で災害に備えて災害グッツをそろえた方がいいかもしれない。

■2004年9月1日(水曜日)
 アンビバレンス練習会に参加。身体は相変わらず、動かず、痛いところだらけ。 周りの選手はほとんどが週末の川崎の大会に出場するためメニューは各自の調整。
 自分はゆっくりとしたペースのランニングがいいなぁと思ったため、先週 北海道マラソンに出場した大高さんと10000mのゆっくりとしたビルドアップ走を した。入りは4分/qからで、最後は3分30秒/qまで上げた。気候が蒸していて、 身体の疲労もあったためか、かなりきつかった。もう少し、身体を休めてから月末の レースへ向けた練習をした方がいいと思った。



[昔のいずみ]