最近のいずみ

Last Update:2005/11/30

パートタイムアスリートいずみ 6年目に突入!! 


■2005年11月30日(水曜日)


練習中
 妻がゴスペルをやりたいということで、たまたま近所で行われるニューヨークのゴスペル・ グループのコンサートに共演の募集があったので、それに応募し本番の舞台での練習会があった。 自分は子供を連れて、少しだけ練習風景を見に行った。
 講師は、黒人の女性で、お腹がかなり出ていたが、足が長く日本人にはない体型で、 スポーツの世界でも、この生まれ持った体型差で最初から差をつけられているんだろう なぁと思った。歌を聴きに行ったのに、全く別のことを考えていた。
 ゴスペルグループと共演となっているが、実際はただのバックコーラスのようで、 イメージとは違い、少し残念だった。一人一人は、無理して高い声を出している ような気がしたが、大勢の人が集まれば、大音量になり、まずまず聞ける歌声に なっていた。しかし、歌声を聴くより、指揮をしている黒人の女性の動きの方が おもしろかった。やっぱり歌や演奏は、指揮者がおもしろい。

■2005年11月29日(火曜日)
 明治製菓の杉浦克己氏を招いて職場で講演会があった。内容は、大きく分けて3つ。 競技別の栄養サポート、選手の栄養に対する意識の問題点、最近の研究成果について。
 競技別のサポートについては、サポートが始まった頃から現在まで、各競技 (陸上競技、柔道、サッカー)でのスタッフや選手の意識の変化とともに、どのような サポートが行われたかというものだった。陸上競技では、東京世界陸上の4年くらい 前から長距離の栄養指導を開始し、だんだん短距離やフィールド種目へサポートが 広がって行った。1994年の広島アジア大会での選手の栄養摂取状態は、長距離 選手が最もタンパク質の摂取が高かったということに驚いた。短距離や投擲の選手の 方がタンパク質を多く摂っているのだろうという予想を持っていたからで、10年くらい 前までは、日本のスポーツ界では、栄養についての理解はかなり低かったという ことになる。
 選手の栄養に対する意識では、ジュニアのアンケートからわかった結果が示された。 まだまだ食事が競技力に反映するという認識は薄く、競技力向上をサプリメントに 期待する傾向があるということだった。特にジュニア選手には、食生活・食習慣から サプリメントの使用までの幅広い栄養教育をする必要があるという結論に至っていた。
 最近の研究成果については、ザバスで扱っているプロテインの紹介に近かったが、 グラフでデータを示され、わかりやすい説明がなされた。最近のプロテインは、 アスリートのタイプ別に含まれる成分が違い、ホエイプロテインは、グリコーゲンの 貯蔵に有効で、パワー系の選手に向いていて、ソイ(大豆)プロテインは、 脂質代謝に影響し、持久系の選手に向いているということだった。
 それほど、新しい発見となるような知識はなかったが、選手たちには、新しい 発見がいくつかあり、食生活を見直すきっかけになりそうな感じがあった。

■2005年11月28日(月曜日)
 子供の口癖は、「自分で」。何でも自分でやりたがる。服を着るのも歯を磨くのも「自分で」。 少しずつ靴やズボンが履けるようになったが、まだ服は自分一人では着られない。歯を磨く のがあまり好きではないため、親が口を開けさせて磨こうとすると、「自分で、自分で」 と言って歯ブラシを取ろうとする。一応、要求通りに歯ブラシを渡すが、あまり磨くという 行為はなく、少し磨いたふりをしてそのまま歯ブラシを床に捨ててしまうことが多い。 最後は、無理矢理押さえ込み、口を開いて磨くしかなくなる。親も子も、無駄に力を使い、 お互い疲れているような気がする。

■2005年11月27日(日曜日)
 最近ネットオークションにはまっている。2週間前に何となくオークションの ページを見ていて、残り1分なのに、誰も入札していないので、入札したら どうなるのだろう?と思い、14800円の折りたたみ自転車に3550円という 値段を入力してみたところ、次の日に落札しましたというメールが来てしまった。 取引が100円単位だったので、落札は3500円。送料が1900円ということで、 送料のことをあまり考えておらず、しまった!!と思ったが、もともと 大学で使う自転車が欲しかったので、半額以下で新品を手に入れられ、オークションに はまってしまった。
 これを見た妻は、まねをして子供のおもちゃを落札、その後自分は、大学の宿舎で 使う枕を落札。落札が続いている。だんだん正規に物を買うのがバカらしくなってきた。 インターネットというものは、人間の考え方をガラッと変えてしまう恐ろしいものだと 思った。

■2005年11月26日(土曜日)


ショーター氏と
 体育学会最終日。朝6時台からジョギングツアーがあった。このツアーに オリンピック2大会で金メダルと銀メダルを獲得したフランク・ショーター氏が 参加するということで、約30名のランニング愛好家が集まった。
 午前中はポスター展示のみで、午後は、フランク・ショーター氏の記念講演。 「マラソン&マイライフ」という題名で行われた。
 マラソンでメダルを2つ獲得した10年間のトレーニングは、とてもシンプルで、 1週間のサイクルが1つ決められているだけだった。日曜に32km走、月曜と木曜に インターバル、残りはイージージョッグ。本当にこれだけなのか?と思ったが、本人は これだけだと言っていた。しかしトレーニング環境は2000m以上の高地。彼が マラソンのトレーニングに初めて高地トレーニングという概念を導入したらしい。 それまでにもアフリカの選手は意識せずにやっていたはずだが・・・ とにかく、 高地での32km走というものは、あの高橋尚子選手もやっていた。このトレーニングの 元がショーター氏にあったということに驚いた。日本の女子選手の多くが、この ショーター氏のトレーニングを元に高地トレーニングをしているらしい。
 彼は、大学では心理学を専攻し、卒業後は、弁護士の資格を取得している。その後 フランクショーターというブランドを立ち上げ、グッズを販売する会社を経営している。 最近ではドーピングの問題に関わり、ドーピングをなくすための方法を模索するための 法律の改正も今実際に動かしていて、弁護士の資格が役立っているという。 薬物ドーピングの関連では第一人者だと本人は言っていた。想像つかないほど 多くの活動をしていて本当に驚いた。

■2005年11月25日(金曜日)


福永先生の講演



福永先生の握力変動
 体育学会3日目。午前中はポスター展示と研究発表をいくつか見た。 午後は「体育・スポーツにおける事例研究の展開」というセッションに参加した。 特に印象に残るものはなかった。
 夜は昨夜に引き続き「大学院セミナー」。今夜は早稲田大学の福永先生による「私の スポーツ科学研究への取り組み」という題での講演。
 超音波を使って筋肉の中を見るということを最初に始めたのが福永先生で、これにより 世界的な権威になられた。とにかく若い頃は、人の実験をまねしてどんどん追実験をやり、 いろんなことを学んだいうことだった。データをとり続けることのおもしろさや大切さ というものを強く語っていたように感じる。
 先生は、毎朝、体重や握力などを欠かさず計測しているということで、この6年間 くらいの変動グラフもプレゼンテーションの中に入っていた。1ヶ月の間でも握力は 8kgも変化することがあり、今のところ、この8kgの筋力差を科学的に説明できない ということだった。いろいろな要因が絡み合っているのだろう。本当に人間の体は複雑 にできあがっているなぁと思った。

■2005年11月24日(木曜日)
 体育学会2日目。興味を持った発表は「史上最強横綱の可能性を秘めた朝青龍の強さの秘訣」 と題した発表。今場所の取り組みすべてを動作解析し、朝青龍の身体重心が入った映像が 流れた。彼はどんな状況になってもほとんど重心が動くことがない。これほど安定して 立っていられることが強さの一つだと思った。今のところ、朝青龍を上回るような日本人力士は 出てこないという結論で終わった。なんだか寂しい結論だった。
 夜は「大学院セミナー」というものがあった。最近、体育学会の勢いがなく、 これからこの学会を引っ張っていくのは大学院生なのだという内容で、活発な 議論が行われた。体育学会といっても、分野が細分化され、他人の分野にはあまり顔を 出さず、自分のところだけで議論していることが停滞の原因ではないかという意見があった。 他分野同士で議論をする場を作っていけば、活性化されるのではないかという意見に賛成。

■2005年11月23日(水曜日)


シンポジウム
 職場の上司と筑波大学で行われている日本体育学会に参加。
 最初に「子供の心と体の現状と課題」と題したシンポジウムに参加。ゲームばかりを している子供の脳波を調べてみると、ゲーム中の波形が認知症の患者と同じだったという 驚くべき発表を聞いた。彼らの特徴は、「教科書を読んでも5〜10分くらいしかもたず、 イスにもずっと座っていられない、鉛筆の持ち方ひとつとっても異常な持ち方をする 子もいる、安静時中、脳は機能低下状態である」という。運動に関して言えば、「つま先 立ちをさせるとできない、ジャンプするとうまく着地できない、バランスがとれない、 旗揚げがうまくできない」などの症状が現れるようだ。本当にそうであれば、彼らは 人間として生活ができないのではないかと思った。
 別の研究では子供の体力は1979年をさかいに低下しているという発表があった。 この1979年というのが、YMO、インベーダーゲーム、ウォークマンなど、 電子的な刺激が流行り出した時期で、身体接触を忌避する風潮が始まり、お父さんの 入ったふろはイヤだったり、電気的反応(キレル、プッツン)などの症状を示す人が 出てきたのではないかと言っていた。体力を研究するにもいろいろな方向からの アプローチが考えられるということに驚きを感じた。
 午後からは養老孟司氏の講演会があった。人の意見の食い違いが180度違っていたら お互いの主張がぶつかって合力は0になるが、意見の食い違いを直角(90度)にすれば、 全く衝突はなく、2つの軸が成り立ち、お互いの主張よりもすばらしいものが生まれるかも しれないという話をしていた。これはおもしろい考え方だと思った。
 最後に「身体からの体育・スポーツ科学:トータルな実践知の構築に向けて」という シンポジウムがあった。このシンポジウムには、オリンピック3連覇をした柔道の野村 選手もシンポジストとして壇上に上がっていた。
 神戸女学院大の内田先生は、「対人競技など2人以上の人が接触すると、身体の 接触により情報戦が始まる。それぞれ違う身体システム・身体イメージが重なり、 第3の身体が生まれる。絡んだ瞬間に複雑な構造体ができあがる。この法則を理解 してそれを運転した方が勝てる。出会い頭のコミュニケーションを通じて、 それを制した側が勝てる。」と少し哲学的な感じで話をしていたが、これまた おもしろい考え方だなぁと感心した。
 学会は自分の知らない情報がたくさん入ってくる。こちらは口を開けて待ちかまえて いるだけだが、将来は発表する側にまわりたいと思った。

■2005年11月22日(火曜日)
 13ヶ月ぶりにウエイトのMAX測定。今年は、走れなかった時期に、短い 時間を見つけては、ウエイトをしていたので、まずまずの結果が出るだろうと 予想していたが、全体的にはあまり変化はなかった。まめにやっていたことで、 なんとか維持できたと言った方がいいのかもしれない。
 結果にがっかりしたので、もう一つ別のMAX測定をすることにした。それは、 パワーMAXでの無酸素パワーテスト。内容は、簡単に言うと、自転車を 10秒間全力でこぎ、120秒休むということを3回繰り返すというもの。 負荷は、1セットごとに上がっていく設定になっている。これも向上している と予想していたのに、結果は、かなり低下していてショックを受けた。陸上競技を 始めて最も練習をしなかった(できなかった?)年だったので、当然の結果と 言えるが、それでもそれはやっぱりつらい・・・

■2005年11月21日(月曜日)
 突然グランドへ行って、1000m×5をやろうと思った。1週間に1度の トラック練習では今年も5000mで16分台になってしまうという危機感もあり、 とにかくやってみようという何の計画性もない思いつきだった。この練習を してみれば、自分の今の力がわかり、5000mがどのくらいで走れるかもわかる。
 1本目は、初めの200mが36秒通過ということで、順調だったが、2周目以降は、 自分がどうやって走っているのかわからないような状況で、結局3分08秒。 2本目は3分10秒、3、4本目は3分14秒。4本目では走りながら3回 吐いてしまった。5本目は気持ち悪くなりながらもこらえて3分12秒。
 厳しい結果に呆然とした。このままでは確実に16分台。一人で 走った結果なので、人と走れば、もっと楽になり、タイムは上がるはず。 結果は気にしないように自分自身に言い聞かせた。

■2005年11月20日(日曜日)


まだイチョウは緑でした
 家族で神宮外苑へ散歩。朝起きて、天気も良く、そろそろ神宮外苑のイチョウが きれいだろうなぁという思いつきで行ってみることにした。
 子供は駅に行くだけで大喜び。電車に乗ったり、いろいろな電車が見られるのがいいらしい。 電車を降りるたびに、電車に乗りたいと言って、駅の改札口へ戻ろうとした。外出の 度に妻は大変なんだなぁと思った。
 神宮外苑は、まだイチョウが黄色に染まりきらず、中途半端な状態だった。きれいに 黄色く染まるにはあと1,2週間必要な感じ。
 神宮外苑周辺では、この2週間くらいの期間中、いろいろな催し物が行われていた。 うちの子供は太鼓が好きなようで、そこから離れようとすると泣くので、無理矢理 抱きかかえて移動するしかなかった。他にもバイオリンや民族楽器の演奏があり、 どの演奏にも熱心に聞き入り、2歳の子供なのにたいした集中力だと思った。
 今日は、国立競技場をスタートとゴールに、東京国際女子マラソンが行われていた。 国立競技場の間近まで行っていて、このイベントがあることを忘れていた。ゴールだけを 新宿の電気屋で見ることができたが、高橋尚子選手の走りはすばらしく、感動した。 止まっていた時間が動き出したというコメントがあったが、それだけ苦しい2年間 だったのだということが伝わってきた。自分より年齢の上の世代がまだ世界の トップクラスで競技生活を送っているという事実は、自分をとても勇気づけてくれる。 自分もまだまだトップを目指してやっていこうという気持ちになった。 

■2005年11月19日(土曜日)
 体育学校の選手と練習。メニューは3分30秒/kmのペースで20kmの ロード走。昨日は4分ペースを保つのがやっとだったので、一緒にできるかどうか わからなかったが、15kmを目指して走った。
 人と一緒に走ると、かなり楽に走れ、最初の5kmが17分40秒。ほぼ設定 通りのペースで通過できた。5〜10kmの間にきつくなったが、我慢の走りで、 17分15秒。10〜15kmでは、中盤から気持ち悪くなり吐きそうになるのを こらえながら走った。ペースに変化はなかったので、なんとかこらえられ、吐かずに 15kmを走りきった。最後の5kmは17分11秒。
 昨日とは全く別人で、予想外にしっかりと走れた。最後に1000mを走ったが、 残り150mから2度吐きながらも何とか完走。タイムは2分58秒。風が強く 進まなかったが、予定していた3分をクリアーでき満足。

■2005年11月18日(金曜日)


体芸食堂は今日で最後でした
 授業の合間に12000mペース走。4分から入り、徐々にペースが 上げられればいいなぁと思いながら走り始めたが、ペースは上がらず、 逆に下がりそうになるのをこらえながら走った。
 ウォーミングアップをしっかりやらずに走り始めたためか本当にきつく、 途中でやめたくなった。なんとか我慢して走り、4分を切るペースを 持続して最後まで走りきった。
 昨日の練習の疲れでハムストリングスに少し張りがあり、昨日と同様、 接地時に膝の屈曲角度が固定できず、潰れたようなフォームになった。 トレーニングを再開したばかり。のんびりと慣らしていこうと思う。

■2005年11月17日(木曜日)
 朝8時半から夜7時15分まで6つの授業。練習は、空いた時間を使って、 2分ジョッグ+2分ダッシュを10本。11月に入ってからほとんど走っていない ので、徐々に体を慣らして、12月中旬には、まともに走れるようになれば いいと思いながら、軽めに走った。前半は、心肺機能にあまり負荷がかからず、 少し強度が低いかなぁと感じるくらいだったが、後半は、だんだんきつくなってきて、 最後の10本目はゴール直後に2度吐いた。吐き癖はまだ完治していない。
 ずっと運動していなかったためか、後半は、足が地面に接地するたびに、大腿前面の 力の発揮が悪く、膝が少し曲がる感じで潰れたフォームになった。筋肉にも 刺激を入れるようなトレーニングが必要だなぁと思った。

■2005年11月16日(水曜日)
 先週木曜日に行った実験の発表を明日に控え、グループで最後の発表準備。 データを抽出してグラフにするところまではできあがっていたので、結果を どう見せるかということについて議論をした。明日が発表ということで、 突貫工事気味の準備だったが、何とかまとまった。作業が終わったのは、 日付が変わった1時半。徹夜を覚悟していたので、それほど時間がかからず、 寝る時間が確保できうれしかった。

■2005年11月15日(火曜日)


雲はどこへ向かってるの?
 紀宮さまが皇族から民間に嫁がれた。テレビは、この話題で持ちきり。 新居は、1LDKということを聞き、急に一般庶民の暮らしになってしまうんだなぁ、 と驚いた。我が家はまめに懸賞へ応募しているが、庶民になったら、懸賞の一つでも するようになるのかなぁ、なんて、アホな話を妻としてしまった。 皇族の位を離れたということで、これからは静かに暮らせるようになるのだろうか?

■2005年11月14日(月曜日)
 ラジオでNHKを聞いていたら、聞いていた番組が終わり、「みんなのうた」が 始まった。なんとなく聞いていたら、2曲目が「ごっつぉうさん」とかいう 題名で歌が流れ出した。よくわからん題名だと思いながら聞いていたが、内容は かなり重いものだった。
 人を含めた動物は、みんな何かの命の支えがあって食べ物にありつけているので、 食べ終わったときには、感謝の気持ちを込めてごちそうさまと言ってくれ、という 内容。
 普段は何気なく食事をしているが、すべて何かの命が犠牲になって、 できあがっているものなのだと考えると、食事の前後に「いただきます」と 「ごちそうさま」を発声することは大事なことだなぁと思った。子供には 食事の前後に発声するようにしつけているが、やらせている親がその意味を 忘れていては、全く意味がない。忘れていたことを思い出させてくれる 「みんなのうた」だった。

■2005年11月13日(日曜日)


スタート



川上&鈴木
 東日本実業団対抗駅伝の応援。この大会は、来年の元旦に行われる全日本実業団対抗 駅伝の予選会。今年の我が社は、故障者や故障から復帰したばかりの選手が多く ギリギリの状態での出場だったため、一人もミスができないという緊張感があった。 本戦への出場は、12位まで。
 1区の谷末くんが12位で返ってきて、今年も厳しい順位争いになることが 予想された。毎年我が社と争っている、JALや小森コーポレーションが、上位にいて、 予想もしていなかった東京電力もかなり上位にいたため焦った。
 しかし2区で新人の室塚くんが区間3位の走りで順位を上げ勢いづけた。黒人選手が 多く走った最長区間の4区では、松村さんが日本人2位の走りで順位を9位まで上げ、 4区以降も一人のブレーキもなく、集団で9位争いを続け、最終区までたすきが 渡った。最終区では、12位の富士通と13位の東京電力の差が完全なものになり、 本戦出場が決定的になり、興味は順位争いになり、ホッとした。
 最後は、JR東日本との9位争いになったが、競り負けて10位でのゴールとなった。
 故障上がりの選手のブレーキが一番心配だったが、それぞれが、自分の責任を 果たし、結果的には、昨年のこの大会よりも5分ほど速いタイムでのゴールとなった。
 次の戦いは、元旦のニューイヤー駅伝。少しでもいい結果が出るようにできるだけの サポートをしていきたい。

■2005年11月12日(土曜日)


ゴール



チーム全員で
 午前中は、長距離選手のリハビリトレーニングを指導し、午後は、 大学の同期から4日前に打診があった駅伝大会に参加。ほとんど寝ていない ので、まともに走れるとは思えなかったが、メンバーがどうしても足りないという ことで、引き受けた。
 チームは、大学陸上部の先輩2人と同期と自分の4人で構成。大会名は、 EKIDENカーニバル2005西東京大会in国営昭和記念公園で、全長23kmロングの部 に出場した。
 会場へ着いたのが駅伝のスタート直前ということで、自分は最終第4区 5.3kmを任された。いくつかの部に分かれていたが、走る距離が一緒なので、 すべて一緒に行われた。人数が多く、ランナーであふれかえっていた。
 人数が多すぎて、順位は全くわからず、自分のチームが来たときに たすきがもらえるようにすることだけを考えて待機していた。
 たすきをもらってからは、ゴールまで、前にいる人がとぎれることなく、 常に人を抜きながら走っていた。歩いている人も何人かいて、そんな チームが、自分のチームより上の順位なのか、とショックを受けたが、 あとから考えてみると周回遅れのチームだったみたい。途中からは 3km区間の選手と一緒になり、通路をまっすぐ走れないほど混み合い、 本当に走りづらかった。
 初めの2kmは3分10秒/kmのペースだったが、後半はどんどん落ち、 5km通過が16分30秒くらい。5km付近で気持ち悪くなり2回吐き、 苦しみながら残り300mを走りゴールした。タイムは17分50秒切りくらい。
 結果発表が遅く、順位もわからず帰ってきた。今の状況からすれば、 妥当な走りだった。来月には5000mの記録会がある。あと1ヶ月で、 なんとか15分前半に持って行きたい。

■2005年11月11日(金曜日)
 昨夜も徹夜。自分の興味ある英語の論文を訳して発表するという課題があり、 発表が今日ということで、昨夜は頑張った。今までは英語の論文を訳すには、 最低1週間かけないと訳せなかったが、課題続きで、時間をかけて訳す余裕はなく、 たった1晩でそれをやりきらなければならなかった。
 朝まで10時間くらい時間があったが、訳している内に、少しずつ、同じ単語で つまずかなくなり、なんとか与えられた時間内で訳し終わった。人間やれば できるということが証明できたような気分になった。
 昨日も英語訳の発表だったが、昨日のアドバイスもあり、昨日よりは自分の思うように 発表でき、なんとか1週間の大きな峠を乗り切ることができた。とにかく寝たい・・・

■2005年11月10日(木曜日)
 昨夜の授業が終わった後は、また別の課題。徹夜まではいかなかったが、 いくらか睡眠時間を削った。1時間目に早速自分の発表があったが、自分の思っていた ような発表ができず、暗い雰囲気になった。それに関して先輩からは改善点などを アドバイスしてもらった。次回はもう少しまともな発表ができるようにしたい。

■2005年11月9日(水曜日)
 体育学校では、近代五種日本選手権初日が行われた。自分がトレーニングを 見ている選手がどれくらい頑張ってくれるか楽しみにしていたが、フェンシングで あまり伸びず、ランニングでも勢いがなく、初日は、入賞できるかどうかの厳しい順位で 終了した。初日トップだった選手は、膝の手術をしていて、今回が初出場だった。 ランニングでのラストスパートはすばらしく、リハビリに関わったこともあり、 トップでゴールしたときには、感激した。
 明日の最終日は馬事公苑で馬術のみ。選手それぞれが納得のいくパフォーマンスを 発揮することを願う。
 自分の方は、また徹夜したために、心拍数が高く、眠れそうで眠れないという感じ。 大学へ行く途中、高速道路では、何度かヒヤッとしたが、無事に授業に間に合い、 準備していた発表を実施。先生からは、いくつか指摘があり次回の課題になってしまった。

■2005年11月8日(火曜日)
 仕事は朝からあるので、5時半にはつくばを出発し、朝食を食べに家に寄り、 その後出勤。
 寝られない日々は、まだ始まったばかりで、昨日までに作った資料を、 パワーポイントにまとめて明日の朝までにはまた送らなければならなかった。 明日の夜には、課題の発表。資料を作るだけでなく発表の準備もしなくてはならない。 今晩もまたまた徹夜・・・

■2005年11月7日(月曜日)


気がつけば外は紅葉してます
 朝5時まで徹夜で課題。グループでの課題で、自分の担当の部分をグループの 代表者へ朝までに送らなければならなかった。焦って作っていたが、なんとか 自分では納得いくものができた。
 気がつけば、今日は自分の31回目の誕生日。2時間しか寝られず、 1日中心拍数が高かった。仕事もあり、学校もありということで、まったく 休む余裕はなかった。
 夕方にはグループの代表者が、できあがった課題の指導を先生から受け、夜には グループで集まり、資料の作り直しのミーティングをした。資料を作り直すという ことで家には帰ることができず、結局つくばに泊まるしか選択肢がなくなってしまった。

■2005年11月6日(日曜日)


筋肉の確認してます
 大学でテーピング・マッサージ実習2日目。今日は、マッサージ実習と 足関節テーピングの試験。
 マッサージは足から始まり頭まで全身の実技をやった。モデルを希望し、 モデルとして先生のマッサージを全身受けることができた。筋肉の付き方が はっきりと見えるので、筋肉の標本としてもうまく利用され、モデルとしての 役目もしっかり果たせた。先生の手本に続いて、学生同士でマッサージを体験 するので、自分は2回体験することができ、かなり得した気分。
 授業の最後は、足関節のテーピング試験。アンダーラップは少し丸まって しまい、評価はA。テーピングは3分40秒ちょっとかかり、目標の3分以内には できなかった。これだけ時間がかかった割には、できていないという評価で Bだった。総合はAということで、2日間だけの練習の割には頑張ったほうだと 自分では思った。

■2005年11月5日(土曜日)


肩のテーピング
 大学でテーピング・マッサージ実習初日。今日は、テーピング。 テーピング講習は、スポーツプログラマー、体育学校での授業、ニチバンの講習など、 いろいろなところで受講してきたが、オリエンテーリングで足関節のテーピングを する以外は、全く使ったことがない。今回の授業では、その道の専門家が たくさん参加し、先生もアスレチックトレーナーの講師をしている先生 だったため、基本だけでなく、応用についても実習できかなり充実したものだった。
 最終的には、足関節のテーピングを3分以内できれいに行うということが課題で、 この部位の練習にかなりの時間を要したが、そのほかにも、膝、肩、肘の テーピングを行い、今まで受けてきた講習会よりも内容が濃かった。試験は明日。 今日の時点では、5分30秒。できるようになるのかなぁ・・・

■2005年11月4日(金曜日)
 「うがい薬でのうがいは、うがいをしないのと大差なし」という話を聞いた。 最近の研究で明らかになったらしく、うがいをしていない人、水でうがいをする人、 うがい薬でうがいをする人の3グループに分けて、実験を行ったところ、水で うがいをした人が、最も風邪にかからず、うがいをしない人とうがい薬で うがいをした人が風邪にかかった数はほぼ同数で、水でうがいをした人たちより 風邪にかかる率が高かったらしい。
 うがい薬を作っている企業はたまったもんじゃないという感じだが、これが 本当ならば、安上がりだし、口の中に受け付けたくないものをわざわざ入れなくて すむので大歓迎。
 最近は、擦り傷などをしたときに、消毒するとかえって治りが悪くなるという 話もあり、この研究もそれに似ているのかもしれない。うがい薬で喉を消毒 すると、体に必要なものまで消し去ってしまうのかもしれない。
 外から室内に入ったら、1年中できるだけうがいをするように心がけているが、 ずっと水でやってきた。やってきたことが正しいという研究結果がでて、 ちょっとうれしい。

■2005年11月3日(木曜日)


宿舎の外観



中身(どうでしょう・・・)
 筑波大学ポストシーズン競技会男子1500mに出場。今シーズン最後の中距離 レースだったが、この1週間は、いろいろな仕事や課題に追われ、運動らしい運動を していなかった。唯一していたトレーニングは、メンタルトレーニングで学んだ イメージのみ。月曜の夜から、毎日レースのイメージをしていた。イメージ通りに レースが展開するとは思っていなかったが、意外にイメージに近い展開になり驚いた。
 今回のレースはペースメーカーが1000mまで行くということだったが、記録を 狙う人たちがついて行けず、ペースは上がらず1周が61〜62秒になり、 ちょうど自分に合ったペースになった。
 残り1周を2番手で2分50秒くらいで通過し、63秒で回れば、前年度のベストが 上回れる可能性があった。がんばろうとするとそれだけで体が固まり動けなくなるので、 できるだけがんばらないように、先頭から離れないように走った。先頭は、イメージ で想定していた通り泉くん(筑波大)。イメージではぴったりとくっついて走っていたが、 現実は、5mくらい距離が離れていてさらに離されそうな感じだった。しかし、 泉くんのペースは上がらず、最後の直線で距離が詰まってきてそのままゴール。 タイムは3分54秒32のシーズンベストだったが、昨年の記録は上回れなかった。 今の練習状況から考えれば上出来。イメージトレーニングの成果といってもいいかも しれない。
 レース後は、学生宿舎へ入居。独房のような暗さと狭さと汚さ。月1万円ちょっと だし、寝るだけなので、我慢するしかないと思ったが、汚さが許せず、100円ショップで バケツとぞうきんを買い、窓を中心に掃除をしてしまった。何年分の汚れだったの だろうか?部屋を明け渡すときには掃除をしないのだろうか?などいろいろと疑問が 湧いてきたが、誰かが答えてくれるわけもなく、一人黙々ときれいにしているうちに 外はすっかり真っ暗になってしまった。

■2005年11月2日(水曜日)
 毎週水曜夜に行われるアスレチックトレーナー実習の授業に参加。今日は、 体幹部、股関節を中心としたストレッチの授業だった。講義するのもその話を 聞くのも全員大学院生。最近は、少しずつ内容が工夫されはじめ、興味を持って 聞けるものが多い。
 ストレッチは、スポーツプログラマー講習会で、しっかりと教えてもらった はずなのに、頭には何も残らず、今回改めて勉強することになった。内容は、 似たようなもので、勉強するというよりは思い出すという感じだったが、 今現場ですぐにでも使えるものばかりで、今まで何で忘れていたのだろう?と 思うくらい、今回は強烈に頭に残った。

■2005年11月1日(火曜日)
 新内閣が発足したニュースを耳にした。我が社の親分はどんな人だろうと 思っていたら、聞いたことのある名前だった。額賀nu郎氏。6,7年前に も同じ防衛庁長官を務めていた人だった。
 驚いたのは、少子化・男女共同参画担当の大臣。いつの間にこんな 役職ができたのだろう?と思った。しかも、ついこの間選挙で初当選した ばかりの人が務めることになった。
 少子化・男女共同参画といっても、どんなことをするのか想像もつかない。 とにかく、父親が子供を育てるためにもっと休みが取れる制度や、母親が 2人目、3人目の子供を産んでもうまく生活できるような制度を作っていって 欲しい。



[昔のいずみ]