最近のいずみ

Last Update:2005/2/28

パートタイムアスリートいずみ 5年目に突入!! 


■2005年2月28日(月曜日)


みんなで記念撮影
 大学の陸上部の友達や同期と飲み会。自衛隊を辞めた人もいれば、自衛隊内で、 トップを目指す人もいる。それぞれがいろいろな方向へ進んでいておもしろい。
 話の中身は、仕事のことが多いが、みんな結婚して子供が生まれ、子供の 話もするようになってきた。誰もが自分の子供がかわいく、お互いが子供の 写真を見せ合った。親であれば当然子供のことはかわいいが、どの子供も かわいい。
 全員が30代に突入し、大学時代の話も昔話。年を取ったなぁと思う。

■2005年2月27日(日曜日)


駐屯地の朝食
 横浜国際女子駅伝を見た。最近は外国勢が強く、なかなか日本が活躍できなかったが、 今日は違っていた。1区こそトップで走れなかったが、2区から4区までは区間新を 連発。一気に日本は独走態勢を築いた。その後も危なげなくトップを守り優勝。 久しぶりに安心して見ていることができた。
 エチオピアのアンカーはアテネオリンピックの金メダリストで、たった5.195 qの区間で日本との差を1分近く縮めてきたのには驚いた。

■2005年2月26日(土曜日)
 種子島でH2Aロケットが打ち上げられた。一昨年の11月に打ち上げを失敗して以来の 打ち上げで、今回は成功。最近の打ち上げは成功したり、失敗したりして、なかなか信頼性が なかった。
 気象衛星ひまわりが使えなくなって、気象情報が得られなくなるというような話が一時期 あったが、今回の成功でやっとしっかりした衛星が軌道に乗り、心配がなくなった。
 ニュースを見て何だ?と思ったことは、JAXAというところ。宇宙航空研究開発機構と いうらしい。今までは宇宙開発事業団のNASDAだったような気がしたが、前回の失敗以降 新しく立ち上げたようだ。これからの打ち上げは民営化だとか。お金だけかかって、なかなか 採算とれないような気がする。

■2005年2月25日(金曜日)
 この3日間はまともに運動していないので、そろそろ運動しなければ、と 思いジョッグをはじめたが、やっぱりきつくて、すぐに終了。代わりにバイクを 40分。たいして汗もかかなかった。昨日よりは長く運動ができ、少し進歩。 1日1日少しでも回復していけばいつかはマイナスから抜け出し、プラスの状態へ 移るはず。回復への第1歩と思えば、大きな進歩。

■2005年2月24日(木曜日)
 お腹の具合は、まだ本調子ではないが、今日から当直。食堂で普通に食事を しなければならない。内臓の調子を含めて、最近の体調不良は別に原因が あるかもも知れないと思ったので、医務室で血液検査をお願いした。
 結果は、全て正常。先生からは、「俺より正常だよ」と言われた。血液から 見れば、何も問題なく、運動も食事も普通にできるということだった。その 結果を聞き安心し、ジョッグをしてみる気になり、ジョッグをしたが、 かなり辛かった。日曜日にレースに出ていたとは思えない身体の辛さ。元の 体調に戻るまでは、まだ時間がかかるかもしれない。

■2005年2月23日(水曜日)
 腹の具合は、良くなったかどうかは、分からず、朝食は具のないスープを 1杯すすっただけ。午前中もお腹は空かず、なんとなく元の状態には戻っていない 感じだった。昼にうどんをすすったら、胃が回復していないようで、午後は チクチクと小さな痛みが続いた。当然運動はできず、アンビバレンスの練習にも 参加できなかった。

■2005年2月22日(火曜日)
 午後3時半頃から急に腹がムカムカしして気持ち悪くなった。勤務時間の5時半までは 我慢して、すぐに家に帰って寝ようとしたが、吐き気がどんどん増してきたので、 病院へ行くことにした。しかし、病院へ行く決断をした直後に吐いた。体調が悪くて 吐くのは、本当に辛い。
 吐いた後は、体も少しは楽になり、病院へ行くことができた。診察してもらったところ 風邪だと言われた。とにかく胃腸がかなり弱っているので、胃腸に負担をかけないように 当分何も食べない方がいいということだった。胃腸に負担をかけるような食べ方をしたこと はないので、原因がわからなかったが、よく考えてみると、練習や試合で運動している 最中によく吐いていたし、先週から体調は悪かった。特に千葉クロカンの時は、 吐いた後に腹痛になりながら走り続け、ゴールしたらまた吐いた。これほど胃腸を 酷使することはなかなかない。かなり無理してたみたい。
 病院から帰ってきたら、また気持ち悪くなり吐いた。もうこれ以上は勘弁だと思い、 すぐに寝床に入った。

■2005年2月21日(月曜日)
 昨日はかなり追い込んだので、たまには、体に違う刺激を入れようと考え、 水泳をした。50mを20本で1000m。平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライは 1本ずつ、残りは全部自由形。
 久しぶりの水泳で、50m泳ぐだけで腕がパンパンに張る。50m泳ぐたびに 休憩を入れないと、次が泳げない。ウエイトトレーニングよりも加圧トレーニングよりも 早く腕がパンプアップし、すごく運動した気分になれる。前に水泳をしたのは、 何ヶ月前だろうか?クロストレーニングという言葉があるが、普段使わない筋肉に 刺激を入れるためにも水泳を取り入れた方がいいと思った。

■2005年2月20日(日曜日)


注目の高校生ダブル佐藤対決



渡辺さん、野村さんと
 千葉国際クロスカントリー大会一般男子4000mに出場。この種目は、最終種目で NHKBSの放送終了時刻にスタートするため、テレビに映ることはなかった。
 この大会のベストは12分29秒。今回の目標は12分30秒。この1週間のコンディション からは少し厳しいタイムにも思えたが、前半でできるだけタイムを稼げば可能だと 考えていた。
 入りの1000mは2分50秒で、集団の中盤に位置し、まずまずの通過。昨年までと 比べると余裕はまだあった。
 2000mの通過は5分54秒。ペースが落ちてきたが、今まで参加してきた中では 一番良い通過タイムで、後はこの稼いだタイムを食いつぶしても目標は達成できそうな 感じだった。
 しかし、2000mを過ぎて、上りの階段とその後のちょっとした登り坂で、急に きつくなりスピードを落とし止まりそうになりながら嘔吐。そのまま止めようかと 思ったが、2000mまでのペースで行けば目標が達成できそうなので、そのまま 走り続けた。
 3000m手前から横っ腹が痛み出し、この痛みにもこらえながら、一番厳しい坂を 登り、更にペースダウン。後ろから来る選手にどんどん抜かれた。
 ゴール前の直線では、スピードを上げたいところだったが、全く動かず、一人も抜けず ゴールし、またその場で嘔吐。ゴールタイムは12分39秒だったが、正式タイムは 12分41秒。この2秒の差はよく分からないが、どの選手もみんな自分で測ったタイム よりも1〜2秒遅かったらしい。
 今回は今まで出場したレースの中で最も身体を酷使した。練習でもよく吐き、 試合でも吐くようになった。身体がどこかおかしいのか?とにかくきついレースだった。

■2005年2月19日(土曜日)


八田先生の挨拶
 午前中は、ゴールドウィンのバーゲンで羽田空港方面にある流通センターへ行った。 初めは何も買うつもりがなく見ているだけだったが、値段の差はあれ、どの商品も半額以下 の値段だったため、買わなきゃ損という気分になり、ベンチコート、ロングタイツ、 ランニングソックスを購入。思わぬ出費になり、ふところが寂しくなった。
 午後は、東大駒場キャンパスで行われた第1回乳酸研究会に参加。この会は東大助教授の 八田先生の呼びかけで、乳酸をテーマに研究や事業を行っている人を中心に参加者が集まり、 発表が行われた。
 今回の会では、一般に定着してしまった「乳酸は疲労物質である」という認識を変える ことが大きな目的に思えた。八田先生は20年以上も前から、乳酸は疲労物質ではない と唱えているらしく、初めの挨拶でも強調していた。最近の研究では、乳酸は重要な エネルギーであるという認識になり、一般の認識とは逆に、乳酸は競技者にとって 競技力を高めるものであると唱えている研究者もいるということだった。
 今までは、強度の高いトレーニングをして、筋肉がパンパンに張った状態になると、 乳酸がたまってきたという認識でいたが、それは間違い。それは、筋肉に血液がたくさん 必要になったため、流れきれずたまったという状態。
 一般常識というのは、常識というだけあって、なかなかその認識を変えることは難しい。 今後、乳酸については正しいことを広めていきたい。

■2005年2月18日(金曜日)
 千葉クロカンの最終調整。気持ちよく1000mを2分40秒で走ることが目標だったが、 走ってみると、いっぱいいっぱい。入りの200mは31秒台で入り、楽に目標達成だと 思ったが、400mを通過したときには、動きが鈍くなり、頑張って体を動かす感じ。 残りの600mも無理に体を動かす感じで、なんとか1000mを走り切った。走り終わった 後は、かなりの疲労。タイムは2分50秒。本番は最低このくらいのタイムで1000mを 通過したいが、この調子では、なかなか辛そう・・・

■2005年2月17日(木曜日)
 体がだるく、全く動かない。月曜日よりも体がきつい。ジョッグをしてみたが あまりの辛さに30分でやめた。トレーニングも今日はそれだけで終了。 山の疲れか、昨日までのトレーニングの疲れか、よくわからないが、 とにかくいい状態ではない。しっかり休もう。

■2005年2月16日(水曜日)
 早大OC大会の結果がわかった。結果は51人中41位。26区間中ラップがトップだったのは 2区間。その2区間は、誰もが行き先が分かっていてただ走るだけの区間。最低走るだけの区間は トップをとらなければならないと思っていたので、最低のラインだけは超えることができた。
 トップは70分21秒で昨年日本チャンピオンの松澤さん。自分より30分以上早かった。 第2コントロール通過のラップは51位の最下位で、通過のトータル順位もこの時点では 51位だった。その後のラップも20位〜40位台が13区間あり、結果を見ても自分が 現場で感じたのと同じで、迷子に近かったということがよくわかった。ナビゲーションの力は、 そんなに簡単にはつかない。マメに大会に出て山に入って、たくさん迷子になって解決 していくしかない。

■2005年2月15日(火曜日)
 48分変化走をやった。中身は2分ダッシュ+2分ジョッグを12セット。 昨日と同様、あまり体の動きは良くなかったが、本数を重ねていくと、その感覚も 麻痺し、かなり頑張れた。12本目が終わった時には吐いた。
 太陽が出ている時間が長くなり、風は強いかもしれないが、少しは気温も高くなってきた。 気候が変化するだけで、やる気も高まってくる。練習で吐く回数も減ってきて、 だんだんアスリートの体に戻りつつある。この調子でやっていきたい。

■2005年2月14日(月曜日)
 昨日競技が終わったときから、膝裏に痛みがあったが、今朝は、さらに 左の足首を背屈させるとスネの外側の筋肉に痛みがあり、脚は枝などが 刺さった跡や、ひっかき傷が大量にあり、いろんなところが痛い。これだけ 傷があったということは、履いていたロングタイツもいくらか穴が あいてしまっているかもしれない。
 今朝は朝練のために起きることがでなかった。山の中を走ったダメージは大きい。 練習はサーキットとジョッグをしたが、ジョッグは無理矢理体を動かしている 感じで、とても辛い60分だった。

■2005年2月13日(日曜日)


競技会場となった成東の山
 早稲田大学OC大会に参加。場所は千葉県山武郡成東町、山武町、松尾町。東京から 2時間という距離でかなり不便な地域だが、参加者は昨日よりも多く、集合会場の 小学校では、地元の商工会が中心となり、地元の特産物などの出店がいくつか並んで、 町を上げての歓迎だった。
 今日のコースは昨日と違って直線距離が10.91km、優勝設定時間が75分で とても長いコースだった。場所は山の中。昨日の公園で迷子になるくらいの自分は、 当然迷子になる可能性は高かった。
 コントロールは25あり、第1コントロールは無難に発見でき、今日は調子よく いけそうだと思ったが、第2コントロールでさっそく、現地把握ができなくなり、 第2コントロール付近を行ったり来たりして、時間が経過してしまった。第2 コントロール以降も次々とミスを重ね、かなり後からスタートした人たちに追い越された。 後半は、自分の前を走る人についていき、抜きつ抜かれつのレース。人について行くと その人のナビゲーションの方が自分より正確なので、ミスも少なくいけた。その代わり 走力は自分の方が上なので、ある程度スピードを落とさなければならず、もどかしい感じも あった。
 ゴールタイムは1時間42分44秒。90分で回ることを目標にしていたが、およばなかった。 順位は今のところ分からないが、後ろから数えた方がいいくらいの順位のはず。昨日は、 トップ選手に近づけた感覚があったが、今日はどうにもならないという感じ。やっぱり 山の中では、その道のプロたちとは大きな差がある。山に入った回数の差なのだろう。

■2005年2月12日(土曜日)


千葉ポートタワー
 京葉オリエンテーリングクラブ大会に参加。今回は千葉港にある千葉ポートパークが 会場。日本代表選手がほぼ全員出場するので、自分の力がどこまで通用するか、 とても楽しみな大会だった。
 出場したMクラスは地図上の直線距離が2.8km。コントロール数は18、 優勝設定時間が11分という短いオリエンテーリング。公園内での競技なので、 正確なナビゲーションと走力が要求される。
 スタートから第2コントロールまでは順調に進んでいたが、第3コントロールで 現在地把握ができず迷子。公園のなかで迷子なんてなさけないが、それが現実。 第3コントロールを見つけたときには、2分後にスタートした選手が、後ろにいた。
 後ろの選手に追いつかれないよう必死に逃げたが、第16コントロールで、 コントロールが見つけられず、抜かれてしまった。残りの2つのコントロールで 逆転し、先にゴールはできたが、2分後にスタートした選手を抜いても、順位が 上がるわけでもなく、むなしかった。
 結果は55人中13位。タイムは13分22秒。ラップは19区間中5区間 トップだった。日本代表クラスの選手は上位7位までを独占していて、 トップの選手は11分22秒。ラップの数だけなら、上位の選手と 戦える数を取っているが、ミスが小さなミスではなく大きなミスが多いため、 こんな短い距離のレースでも2分の差がついた。
 たぶんここを走っているだろうという推定が多いので、それを確信に近づけ られるよう努力していきたい。

■2005年2月11日(金曜日)
 中央出版の「モンテッソーリ式プルチノ」とう子供の教材の紹介に販売員が 訪ねてきた。以前子供の発達状況の検査をして、教材の紹介を妻が受けていたが、 購入するには値段が高いため、父親である自分も納得して購入して欲しいという ことで、今回は自分への紹介のための訪問だった。
 最近の小学校は週休2日になり、授業時間が少なくなったため進度がはやく、 以前は成績の中間層の子供たちを対象にして行っていた授業が、今は上位層の子供たちを 対象に行っているらしい。この授業についていける子は6割で、ついていけない子が 4割。この4割の子供たちは、学校から補習塾へ行くことを勧められるという。今や 塾は学校公認。これほど週休2日の影響が大きいとは思わなかった。
 小学校では、入学前までに字が書けて読めるというのが前提で1年生の授業を 行うということで、何も準備してこなかった子供は、入学してすぐに落ちこぼれてしまう らしい。今回は、入学前までに遊びながらそれらの力をつけるような教材の 紹介で、入学後苦労して塾へ通うことを考えると、経済的な負担は教材の方が少ない ということだった。
 教材は、遊びながら入学準備ができそうなものだったが、親の工夫次第では、お金を かけなくても十分できるような気がした。説明が終わった後は、ひたすら契約書に サインをするよう説得にかかり、最後には、「絶対買った方が良い」「この教材なら 子供は絶対続けられる」というように、話しの節々に「絶対」という言葉を連発し、 今の小学校の現状などいい話が聞けたと思っていたが、一気にそういう気分が冷めて、 うっとうしくなった。販売員は、結局ものを売りつけるために来ているのだから、 仕方ない。最後は、購入を迫られて、お互いイヤな気分になるだけなのだから、 初めから買うつもりがないのなら、販売員を入れるべきではなかった。反省。 最後は、購入を迫られて、お互いイヤな気分になるだけ。

■2005年2月10日(木曜日)
 最近国民の体力が落ちているという話をよく聞くが、自衛官もその傾向から はずれることはなく、やっぱり低下傾向にある。特に新入隊員の体力低下は 深刻なものらしい。女子では、学生時代に体育の授業をほとんど見学で過ごし、 運動を全然経験せず入隊してくる場合もあるという。自衛官として、必要な 銃を持って走ることや、銃を構えるということができないので、教育する側は とても困っているらしい。運動を経験してきている人たちとの2極化が見られ、 同じ教育をすることが難しい。
 自衛官として必要な体力を持ち合わせていないのならば、入隊試験で、 体力測定をして、そこで足切りしてしまえば、そんな問題はなくなるのではないか と思ったが、逆に、体力測定をすると、入隊できる人が少なくなり、必要な 人数が確保できなくなる可能性もある。なかなか難しい問題だ。

■2005年2月9日(水曜日)


明後日牛丼が復活?
 アンビバレンス練習会。今日は、中央大学の田口くんが練習に参加。一緒に走るのは 韓国合宿以来。冬の練習は順調にできているということで、こちらもかなり気合いが入った。
 メニューは500mと300mを3セット。短距離のメニューのため、休憩が長く、 ひとりジョッグしながら休憩をつないだ。1本目はかなりきつく感じたが、2本目以降は、 自然にペースも上がり気持ちよく走り切れた。
 大学3年生は、今ちょうど就職活動で会社周りをする時期らしい。アンビバレンスのメンバーでも 普段見慣れないスーツを着て競技場へ来ていたが、あてもなく会社を大量に回るというのは かなりストレスになるようだ。

■2005年2月8日(火曜日)
 今日はモチベーションが低く、走ろうという気分になれなかったため、 室内でバイク。短時間で終わりたかったので、パワーMAXで 無酸素パワーテストとミドルパワートレーニングをした。
 無酸素パワーテストは、昨年の5月以来。最大無酸素パワーは かなり伸びていて、冬場のトレーニングの成果は出ていると実感。 しかし、大学時代に記録した最高数値には、およばず。大学時代は、 数値はあまり気にせず、その数値が普通で、こんなもんだと 思っていたが、今の自分のレベルからすれば、かなり高い数値。 数値はだんだん近づいているので、良い傾向。練習が終わった後は、 やる気が高まってきた。

■2005年2月7日(月曜日)
 6000mのペース走。ペースは3分20秒/kmの予定だったが、 2000m〜5000mまではペースダウンし、そのまま終わってしまいそうだった。 最後の1000mは3分18秒まで上がったが、一度落ちたペースはなかなか もどらない。昨日の別大マラソンの入船選手も、落ちたペースを戻すことが できなかった。35kmまでは2位を走っていた大島選手は途中で歩いて止めてしまった。 今日のペースはちょうど、昨日2人の選手が苦しみながら走っていたペースと 同じくらいのペース。こんな気分で走っていたんだろうなぁと思いながら、 マラソンの残り5kmという感覚で彼らを重ね合わせ走り、苦しみながらも 楽しんで走れた。

■2005年2月6日(日曜日)
 全自衛隊レスリング大会の支援2日目。今日は個人戦。各階級ごと試合があった。 昼過ぎには、エキシビジョンマッチとして、女子のレスリングが1試合行われた。 元世界チャンピオンの坂本選手(和光クラブ)と防大の女子学生。坂本選手が いくらか手加減をしたと思うが、やっぱり力の差大きく、圧倒的な強さで坂本選手が勝利。 防大にもいろいろなクラブに女子が進出しているんだなぁと思った。

■2005年2月5日(土曜日)
 全自衛隊レスリング大会の支援。役目はVIPの接遇や選手の表彰。 準備だけしてしまえば、時間はあるので、ずっと試合を見ていた。
 今日は団体戦。体育学校のレスリング班OBが多いチームほど、上位に入ってくる。 レスリングを始めたばかりの防大チームや少年工科学校チームは全く試合にならない。 レスリングOBのための大会という雰囲気で、みんなが知り合いなので、 試合というよりも練習会という感じでとても和やかだった。
 決勝は練馬駐屯地と青森駐屯地。どちらもほとんどがOBで、日本や世界の頂点を 目指していた人たちなので、この試合だけは緊迫した雰囲気で、ポイントも 拮抗しおもしろかった。 

■2005年2月4日(金曜日)
 歯医者へ行った。先月、保険の範囲外で歯を入れるかどうか決めてくるように 言われていたが、保険の範囲内でやるという結論で先生に伝えた。30万円を払っても 前回のようにすぐに割れてしまったら、またやり直さなければならないので、 それならば、見栄えは悪いが割れにくい、銀歯でいいと思った。
 保険の範囲内であれば、安くすむだろうと思っていたが、支払いは、9380円。 1万円近くもかかった。医療費は3割負担だから、銀歯入れるだけで10割にすると 3万円もかかるということ。大した時間も費やしていないのに、これだけの金額が 請求できる歯医者って儲かるなぁと思ってしまった。歯医者へ行くとどんどんお金を 吸い取られる。虫歯のない子供には、歯医者には縁のない生活を送れるように気をつけたい。

■2005年2月3日(木曜日)
 500円硬貨の偽造が話題になっている。九州の郵便局を中心に、偽の500円硬貨を 大量にATMに入れて、別の場所でお金を引き出すという事件。5年前、韓国の 500ウォン硬貨を加工したものが、500円硬貨として大量に出回ったことがあった。 自動販売機のおつりでこの硬貨が出てきてショックだったことを思い出す。
 今回の偽物は、見た目はそれほど違わないので、出てきたおつりが偽貨であっても、 気づかずに自分が使ってしまう可能性がある。使ってしまえば、犯罪者。知らないうちに 犯罪に巻き込まれるなんて、面倒くさい世の中になってきた。

■2005年2月2日(水曜日)
 最近、電車内の広告は大学の入試案内が多い。それぞれの大学に特色ある 独自の学部を設けている学校が増えている。現代ライフ学部、健康メディカル学部、 ヒューマンケア学部、ライフデザイン学部など・・・更に細分化された学科の内容を見ると、 鍼灸、スポーツトレーナーなど、名前を聞いただけだと専門学校なのでは?と思えてくる 学科が多い。
 こうなると大学と専門学校の差はどこにあるのか分からなくなってくる。専門学校の 単位が認められ大学への編入も可能になってきている。大学が専門学校に近くなったのか、 専門学校が大学に近くなったのか?
 専門学校は、社会に出てすぐに使える実用的なことを学び、大学は、どちらかというと 理論的なことが多く、社会に出ても学んだことがすぐに使えるものでもないというイメージを 持っていたが、最近は、そういうイメージではなくなってきているのかも知れない。 とにかくそれぞれの垣根がだんだんなくなってきているのだと思う。質の高い教育が 成されれば、その垣根がどうのこうのという必要はない。今の学生が将来、日本を 望ましい方向へ進めてくれるような教育が成されれば、何を学んでもいいのかなぁと思う。

■2005年2月1日(火曜日)
 昨日決まったことがさっそく実行された。昨日のうちに自分のところに来てくれれば、 いくらか勉強の手伝いができると伝えておいたので、さっそく彼が問題集を持って やってきた。
 問題集は、過去3年分の過去問集。数学は全然分からないというので、数学から 始めた。連立方程式や図形の問題は、少しだけヒントを与えれば、答えが導き出せたが、 確率や組み合わせの問題は、自分も答えが導き出せなくて考えてしまう問題だった。
 問題のレベルは中学3年生程度なのに、なかなか解けなくて、時間をかけて2人で考え やっと解けた。これでは教えるという状態ではない。今後は、過去問の傾向から 模擬試験を作ることになっているが、自分が勉強しておかないと問題も作れない。 随分学力が落ちてしまったなぁ、と思った。本当に大学院でやっていけるのだろうか・・・



[昔のいずみ]