最近のいずみ

Last Update:2005/3/31

パートタイムアスリートいずみ 5年目に突入!! 


■2005年3月31日(木曜日)
 打撲をして10日が経ち、痛み範囲は小さくなり、限定されてきたが膝蓋骨を 押すと痛みがあり、内側広筋には、大きなしこりがある。このしこりが気になって 仕方ない。膝を曲げようとするとそのしこりの部分の筋肉が引っ張られて痛みが出る。 このしこりと膝蓋骨の痛みがどうなっているのか知りたくて医務室へ行った。
 レントゲンを見る限りは、骨には異常がないそうで、安心した。また、しこりは 血のかたまりではないかと言われた。痛みが引くには後1週間は必要で、それまでは あまり激しく動かさない方がいいということだった。もう少し安静なのかなぁ?

■2005年3月30日(水曜日)
 アンビバレンス練習会。昨日は40分走れたので、もう少し長く走るつもりで 織田フィールドへ行ったが、1人で走ったこともあって、20分ジョッグすると きつくなってきて結局30分で終了。あとは、アンビバレンスやオリエンテーリングの 関係者とおしゃべり。3月に大学を卒業し、4月から社会人となる人が多く、 今の不安な状況をいろいろ聞かせてもらった。競技は自分の置かれた状況の中で できる範囲でやるしかない。それぞれが自分の置かれた状況でベストが尽くせるよう 祈る。

■2005年3月29日(火曜日)
 加圧スーツを着て15分ジョッグ。その後、加圧スーツを脱いで、人と話ながら ジョッグ。人と話ながら走ると、痛みも紛れて思った以上に長い時間走れた。 しかし、時間が長くなるにつれ、少しずつ痛みが強くなってきて40分で終了。
 昨日は続けて10分間しかジョッグできなかったことを考えると、今日は昨日よりは 進歩。少しずつ機能は回復してきている。

■2005年3月28日(月曜日)
 膝の痛みの範囲が小さくなってきた。週末のレースに出場することを考えると、 少しずつジョギングもする必要があると思い、加圧スーツを着て30分ジョッグを 試みた。加圧をしている分、痛みの感覚は鈍くなり、最初は気持ちいいスピードで 走れていたが、走り始めて10分もすると、痛みが強くなり歩いてしまった。
 加圧を解いて少し休憩すし、また加圧をして10分ジョッグ。結局10分ジョッグを 3セットやった。初めは痛みをあまり感じずに走れるが、10分くらいで痛みが出てくる。
 1週間ぶりに走ることができ、10分間でも走れるというだけでもの凄く嬉しかった。 まだまだ走るには無理な状態なのかも知れないが、週末のレースには出るつもりで、 調整をしていこうという気持ちが強まった。

■2005年3月27日(日曜日)
 我が家の今年の目標は、ブロードバンド。我が家のある官舎にも光ファイバーが 導入され、選択肢はNTTのBフレッツのみということだったが、それに従って、 とうとうブロードバンドが導入された。
 説明書の通りに器材や線をつなぎ、パソコンにCD−ROMを入れて、後は、 指示通りにクリックするだけ。インターネットにつながり、その速さを体感し感動。 今まで32k通信だったのが、ブロードバンドにして50Mちょっとのスピードが あった。数字で見るだけでも今までの1000倍以上のスピード。クリックしたら すぐに見たいページが見られ、動画もスムーズに動いている。
 調子に乗って色々なページへ行ってみたが、クリックすると確認のOKというボタンを 押さなければならないページがよくあり、今までは何も考えずにOKを押していたが、 これからは、知らずに押していると、まずいことになると思った。今までなら押した後でも 次のページにつながる前にやめることができたが、これからは、すぐに次のページへ 行ってしまう。気がついたら何でもダウンロードしていたり、何かを購入してしまったり、 有料のページを見てしまう可能性もある。便利になった分、気を付けなければならないことが たくさんあるような気がした。

■2005年3月26日(土曜日)


都立大とショッピングモール



トレーニングカンファレス
 日本トレーニング科学会による第44回トレーニングカンファレンスに参加した。 場所は東京都立大学。京王線の南大沢駅に行くのは、6,7年ぶり。駅を降りたら 目の前にショッピングモールがあり、以前の景色と全く違っていたので変わり様に 驚いた。そのショッピングモールの先に都立大があり、ショッピングモールと 一体化していて、最初は大学がどこにあるか分からなかった。
 今回のトレーニングカンファレンスのテーマは、「動きを見る・・・スポーツ動作解析 最前線」。最新の動作解析ソフトを使って、いろいろなスポーツへの応用事例を紹介していた。  もっとも驚いたのは、3次元で人間の運動を筋肉別にとらえ、人が動くと 筋肉がどう使われているか分かるソフト。映像やフォースプレートを使って力の 強さを推定しているらしく、本当に表示されている力の強さを発揮しているかどうかは 疑問だが、ここまで人間の動きが映像で再現されることに驚いた。

■2005年3月25日(金曜日)


転勤していった同期と
 体育学校に選手として入ったときの同期が選手をやめて転勤していった。 彼の種目は近代五種。全日本選手権でも優勝したことがあり、オリンピックを目指していた。 もともと陸上長距離出身なので、仲良くなり家族ぐるみで付き合っていた。 彼は、まだ競技を続けるつもりでいたが、監督の決定で選手が続けられなくなった。 自分も選手としてやっていきたかったのに、途中でやめさせられたことがあるので、 この悔しさというのは、本当によく分かる。しかし、決まってしまったことなので、 それに従って転勤するしかない。転勤先での仕事は、当然今まで経験したことのない 仕事。慣れるまでは大変だろうが、頑張って欲しい。

■2005年3月24日(木曜日)
 全日本オリエンテーリングで転んだときに、右脚は打撲をして腫れ、左脚には トゲが刺さり、抜こうと思ったが抜けず、そのまま放置してあった。
 トゲをそのまま放置しておくと膿んでくると聞き、このままではまずいと 思い、医務室へ行った。トゲ抜きは注射の針で医務室の人がやってくれた。 ピンセットで何度もチャレンジして抜けなかったのに、注射針を使うと、 簡単に抜けた。トゲは思ったよりも太く、3角錐のトゲらしいトゲだった。 別のかさぶたの部分にもトゲが入っている可能性があるので、一つ一つ かさぶたを取って確認したが、トゲは確認できなかった。
 ずっと気になっていた物が抜けてなくなりすっきりした。あとは膝周りを 回復させるだけ。がんばろう。

■2005年3月23日(水曜日)


さっそく膝のテーピング
 キネシオテーピングの講習を受けた。キネシオテーピングは伸縮性のあるテープを 皮膚に密着させ、皮膚がほんの少し持ち上がることにより、流れの滞っていたリンパ液の 流れをよくし、自然治癒力を促進させ、痛みを和らげることができるテーピング。
 以前からよく使ってはいるが、きちっと使用方法を教えてもらったことがなかったので、 今回は、しっかしと基礎から学ぶことができてよかった。
 内容は、キネシオテープの効果や種類、上肢から下肢にわたる約20種類のテーピングの 説明と実習で6時間の予定で、実際は5時間で終了。知っていた貼り方もあれば、 初めて見る貼り方もあり、どの筋肉を意識しながら貼ればいいかということがわかり、 かなり身になった。

■2005年3月22日(火曜日)
 昨夜もずっと冷やし続け、腫れも引いてきた。痛みは変化なし。腫れが引いてきたということで、 そろそろ温めてもいい時期だと思い、赤外線を当てて温めてみた。今までずっと冷やしてきたため 筋肉が硬直していたが、急激に柔らかくなった。筋肉ってこんなに柔らかかったのかと思った。 筋肉の状態が変化したことを除いて痛みなどは変化なし。このまま温めていけば問題ないことが わかった。歩くのは、相変わらず難しく、自然と右脚をかばった歩きになっている。自分で 意識しなくても無意識のうちに、体がそうしてしまうらしい。まだまだ走りへの道は遠い。

■2005年3月21日(月曜日)
 一晩中、膝の周囲を冷やし、昨日よりは痛みが引いてきた。相変わらずまともには 歩けない。今日が休みでよかった。この状態で仕事だったら、何もできない。膝を曲げても のばしても痛みが出る。特に曲げる方の可動域はかなり制限されている。膝の痛みばかりが 気になったためか先週ずっと気にしていた肩甲骨周りの痛みは全然気にならなくなった。 とにかく腫れが引くまでは冷やしていくしかない。

■2005年3月20日(日曜日)


日本代表選手紹介コーナー




安斎先輩




富士山はよく見えました
 全日本オリエンテーリング大会に出場。場所は静岡県富士市。大会は9時半から始まるのに、 寝坊で、家を出発したのは6時半。環状八号線は順調に進んだが、東名高速は横浜から渋滞。 結局会場へ着いたのは9時半前。テーピングをして、競技の服装に着替えたら、ウォーミング アップなしでスタートしなければならなかった。
 今回のコースは地図上の直線距離が5.5km、優勝設定時間が60分のコース。アップも できず、昨日までの状態もあって調子は最悪。最悪なら最悪なりに、走れない分 ナビゲーションだけはしっかりやっていこうと思って、スタートしたが、いきなり迷子。
 第1コントロールを見つけるのに予想以上に時間がかかり、第2コントロールでは 沢を勘違いし大きく目標からそれて時間がかかった。ゴール後に出た結果を見ると、 第2コントロール通過時点で、49人中47位。
 その後は小さなミスを重ねながら、少しずつペースを取り戻し、ロングレッグ (長い道のり)のあるところは、極力道路や小道を走ることで、走力で時間を短縮していき、 区間1位も2区間あった。中盤でまた大きくミスをして区間48位を記録したが、 あきらめずに攻めていき、順位を少しずつ上げていった。
 残り3コントロールになった第16コントロール手前で、同じクラスの選手と集団走になり、 順位を争うように先頭の取り合いになり、走力を活かして自分がリードしていたが、 突然岩につまずき、右膝を強打した。今までに聞いたことのない大きく鈍い音がして、右脚が 痛くて声が出ないという状態。これから陸上競技のシーズンが始まることを考えると まずいことになったと思うばかりで、競技どころではなくなった。そのまま棄権しようにも、 自分のいるところは山の中。結局ゴールまで帰らないとどうにもならないので、地図も見ず、 脚を引きずりながら、周りの人たちの後を追い、ついでに見つけたコントロールをチェックし、 残り3つのコントロールをなんとなく通過し、なんとかゴールまでたどり着いた。
 ゴールは1時間07分41秒で9位。最後は転んで走れなかった割には順位はよかった。 昨年は36位だったので、昨年よりもいい。
 ゴール後は、すぐに脚を冷やしたが、膝周りがかなり腫れていた。まともに歩けない。 この腫れ方だど、普通に歩けるようになるのに当分かかりそうだ。

■2005年3月19日(土曜日)
 午前中は、トレーニング。メニューは6000mペース走。設定は3分30秒/km。 出だしの1000mは設定通りに行ったが、その後は、ペースがどんどん落ち、 4000mで3分50秒以上かかり、そこで終了。調子が悪すぎる。一昨日は 30分ジョッグ、昨日は20分ジョッグしかできず、全然体が動かないという 感覚だったが、今日のペース走は、体が動かないというだけでなく、さらに 精神的なダメージをくらった。明日は、全日本オリエンテーリング大会。陸上競技とは 違って山の中だから直接スピードが速ければいいわけではないが、前日の調整としては 最悪な調整になってしまった。

■2005年3月18日(金曜日)
 肩甲骨周りの痛みが消えないので、整体を勉強している友達に見てもらい、 いくつかの筋力テストをしてもらった。上腕三頭筋(腕の力こぶの裏側)の 長頭を押さえながら腕を上げていくと、痛みが緩和した。この筋肉も肩甲骨に つながっているんだなぁと実感した。
 いくつかのテストの結果を総合すると、肩甲骨周りにある、棘下筋や小円筋 が痛んでいるようで、ボールを投げたりする動作などをした覚えがないかと 言われた。10日ほど前にハンドボール投げをした覚えはあるが、そんなに前の 影響があるとは考えられず、結局原因となった動作はわからなかった。痛みが あるということは炎症がまだあるということなので、アイシングを欠かさないように した方が良いとアドバイスを受けた。

■2005年3月17日(木曜日)
 島根県で「竹島の日」条例が制定された。韓国の反発は大きく、デモが起きたり、 韓国政府からは、日本への対応方針まで発表された。
 韓国では新聞の多くを割いて記事が出たり、テレビでもトップニュースで取り扱って いるのに、日本では、それほど大きく取り上げられることはなかった。韓国側は、 過剰なほど感情的になっているような気がするが、日本人は、この領土問題に ついて、あまりにも関心がないような気がする。2つの国の意識の差が 大きすぎて、これでは国同士の交渉も議論にならないのではないか。 北方領土の件もそうだが、どうして日本では、領土問題が国民の中で大きな 話題にならないのだろうか?国民性?

■2005年3月16日(水曜日)
 起きたときから、右の肩甲骨周りに痛みがあり、腕を水平にあげるあたりで もっとも痛みが大きくなる。昨日までに変わったことをした覚えはなく、 寝相が悪かったとしか思えない。確かに昨夜は何度も寝返りをうって、 ゴロゴロ転がっていたような気がする。
 普通にしていても痛みが出るときがあるので、できるだけ左腕を使うように して生活してみた。左腕を使ってみるととても不自由。普段何気なくしている動作は ほとんどが右手でやっていて、身の回りの物も意外と右手を使うようにできている。
 寝相が原因の痛みなら、そのうち消えるはず。2,3日は様子を見てみるしかない。

■2005年3月15日(火曜日)


藤田監督の基調講演






シンポジウム
 国立スポーツ科学センターで行われた平成16年度スポーツコーチサミットに参加。 今回は、基調講演で「世界で勝つために −野口みずき選手のトレーニング−」という 題で藤田監督が話をし、シンポジウムでは「北京で勝利するには −アテネの勝因分析と 今後の対策−」という題でアテネオリンピックの関係者の話があった。
 藤田さんの話を聞いて、最終的には、選手の勝ちたいという気持ちがどのくらいあるか、 ということが大事だと思った。結局、苦しく厳しいトレーニングに耐えてきた結果、 それだけでメンタル面も強化される。最後は、どういう練習内容だったかというものは、 関係ないようだ。野口選手の精神面というのは、失業でどん底を味わったところに あり、それよりいい待遇であれば、恵まれていると思え、何事にも感謝できることに 強さがある。メンタルトレーニングというものは特にしていないし、教育をしようと 思ったことはないと監督は言っていた。苦しいことを続けると、3年以内に脱落する のが大半らしい。それに耐えて、続けるだけで、それがメンタルの強さになるし、 生き残っている人たちが結果を出している。
 シンポジウムはシンポジスト4名によりそれぞれの競技での分析があった。 どの競技団体もジュニアの育成を重要視し、今回の結果につなげていることが分かった。 また、若いときから海外遠征を経験し、外国人のパワーに対抗するために技術を磨いて いた。
 北京への強化ということでは、北京オリンピックの前年までに強化をしっかりして、 世界選手権などの国際大会で結果を出さなければ、間に合わないらしく、危機感を もって取り組む必要があるということだった。また、指導者の心構えとしては、 指導者が自信を持ってやること、これに尽きるようだ。指導者が自信なさげに やっていては、選手が不安になるだけ。その通りだと思った。

■2005年3月14日(月曜日)
 2004年度の日本ランキングがわかった。800mは92位、1500mは116位。 1500mでは100傑に入れなくなった。800mももう時間の問題。いつかこんな 日がやってくるとは思っていたが、もう少しなんとか100傑以内のとどまっていたい。 今のところ、去年の今頃よりは、トレーニングはできている。もう少し上位にランク されるように頑張りたい。
 今日は世界選手権のマラソン代表が発表された。自分の予想ははずれ、橋本さんは 補欠にも入れず、弘山さんが代表になった。男子ではコニカの松宮くんを期待していたが、 代表になれず補欠だった。男子の尾方さんを除き代表9名が世界選手権のマラソン初出場。 積極的に攻めていってほしい。

■2005年3月13日(日曜日)
 名古屋国際女子マラソンをテレビで見た。日本記録保持者の渋井さんが出場し、 好記録が期待されたが、後半失速し、世界選手権への出場はならなかった。
 今回は初マラソンの、原さん(京セラ)が粘りに粘って優勝し、世界選手権 代表に決まった。35kmを過ぎてからは鬼の形相で、腹痛になりながらも ペースアップ。本当に気合いの走りで、感心した。
 個人的には、大島健太くんの奥さんの大島めぐみさん(しまむら)と、 ヨーロッパ遠征に一緒に行った橋本さん(セガサミー)を応援していた。2人はそれぞれ 2時間26分を切り2位と4位に入り、何とか世界選手権代表候補には残った。
 このレースを引退レースにしていた江田さん(ヤマダ電機)も2時間24分台で 3位に入り、世界選手権への可能性があり、引退レースにはならなさそう。この先 どうするのだろうか?
 今回の結果からすると、大阪で日本人2位に入った弘山さんは、今回も代表漏れに なりそう。明日、正式に世界選手権代表が決定する。5人の枠に誰が入るのか楽しみだ。

■2005年3月12日(土曜日)
 当直3日目。朝から体育館の火災報知器が鳴り、駐屯地の消防車も駆けつけ、 大事になったが、火事ではなかった。火災報知器が反応したのは、体育館の地下で、 人の入れるところではなく、迷路のような土管の中をはいつくばって、やっと 辿り着けるようなところに設置されていた。専門の人が確認したところでは、 湿気などによって、火災報知器に過電流が流れてしまい、鳴ったのだろうという 推測。この報知器は、取り外しができず、線を切ると、ループ上につながっている 報知器全てが作動しなくなるということで、何も処置ができなかった。処置は 週明けになるらしい。ややこしい報知器だ。とにかく火事ではなくてよかった。

■2005年3月11日(金曜日)


駐屯地の夕食(貧しい・・・)
 昨日は、国会議員が強制わいせつ罪で現行犯逮捕された。先日は、長野オリンピックで 金メダルを獲得した里谷選手が警察にお世話になっていた。有名人になると、いつでも 周りの人が見ていて悪いことなんてできないだろうと思っていたが、そうでもないようだ。 こういうニュースを聞き、お酒を飲むと、人はそんなに変わってしまうものなのかと驚いた。 自分は普段は全く飲まず、飲み会の時に少し飲むだけ。あまりおいしいと思わないので、 わけがわからなくなるまで飲んだことがない。
 わけのわからない状態になるまで行ったことのある人は、自分の知らない世界を知っている。 それがいいのか悪いのか分からないが、周りの人たちに迷惑をかけるような世界であれば、 知らない方がいい。   

■2005年3月10日(木曜日)
 妻から、車のエンジンがかからないという電話があった。「どうしたらいいの?」 と言われ、現場にいるわけでもないので、答えに困った。今日から当直なので現場に 行くこともできない。
 普通に動かしていて、エンジンがかからなくなることなんて、それほどあるわけはない。 バッテリーがあがるくらいしか考えられず、結局トンネルに入ったときにライトをつけて それを消していないことが原因だった。
 近くの車をつかまえて充電してもらえば済むが、なかなか簡単にはいかず、自動車 保険の会社に電話して、無料のロードサービスを受けることになり、それで問題は 解決した。
 これからは、充電ができるように、バッテリーをつなぐコードを車に備えて おいたほうがいいと思った。

■2005年3月9日(水曜日)
 職員訓練ということで、国立スポーツ科学センター(JISS)研修があった。 昨年末に、初めてJISSへ行ったが、その時は国際会議に参加しただけで、 施設を見ることができなかった。今回は施設研修ということで、一通り施設を 見せてもらえた。
 自分たちがJISSに入った直後、水泳の北嶋選手がJISSから帰っていった。 彼がトレーニングをしてるところは、どんなところだろうと期待して、競泳用の プールを見学した。このプールは1コースだけビニールハウスのような状態に なっていて、その中は低酸素でのトレーニングが可能ということだった。「すげぇ〜!!」 と思ったが、もっと驚いたのは、5階と6階にある宿泊施設。約80の部屋があって 全ての部屋が低酸素ルームになるという。低酸素状態になっていたら、窓だって 開けられない。部屋での生活は、息苦しいのだろうか?一度生活してみたいと思った。

■2005年3月8日(火曜日)
 筋肉痛がひどい。昨日の体力測定が原因なのか、宮古島合宿が原因なのか。筋肉痛 の部位は、肩甲骨周りと大腿部の後ろ側。肩甲骨周りは、体力測定の懸垂が原因だろう。 大腿部は50mと走り幅跳びの可能性が高いが、宮古島の可能性もある。
 筋肉痛が次の日に来るなら、まだ若いなぁと思い、一昨日の運動が原因なら、 年取ったなぁと思う。どちらということが言えないので、気分は複雑。
 とにかく筋肉痛がひどいので、今日は、60分ジョッグのみ。かなり辛かった。

■2005年3月7日(月曜日)
 年に1度の体力測定があった。気温は宮古島よりも低いが、よく晴れて風がないため、 宮古島よりもかなり温かく感じた。どうして宮古島まで、合宿に行ったのだろう?と思えた。
 種目は9種目。握力が右60kg、左48kgで、左右差が大きくなり、左が50kg を切って大きなショックを受けた。バランスが悪すぎる。5種目は満点が取れる はずだったが、その中で50m走が6秒5で満点が取れず、これまたショック。
 走り幅跳びは、年に1度しかやらないので、助走の距離を決めるにも、何度が 跳ばないと決めることができず、時間がかかった。何度も跳んでいるうちに、 跳躍距離もだんだん伸びてくる。ある程度のところで妥協して、測定に入らないと 時間がかかって仕方ない。結局、記録は5m35。納得がいかない。
 1500mは、余裕を持って4分20秒の満点を取るつもりだったが、最後は ダッシュで、ほぼ全力で走り、ギリギリの4分20秒。危なかった。
 総合点は、昨年より悪く、ギリギリ1級にとどまった。年々記録が低下してきている。 なんとかくい止められるよう頑張りたい。

■2005年3月6日(日曜日)


サーキット中



競技場にて



来間島長間浜にて

 宮古島合宿最終日。練習は朝練から開始。ゆっくりと50分ジョッグ。 宮古島は関東よりも日が出るのが1時間以上遅く、6時を過ぎても夜だった。
 朝食後、昨日と同じ競技場へ行き午前の練習。気候は、昨日と変わらず、風が強く 寒かった。
 練習メニューは、想定していた気温であれば、質の高い練習をする予定 だったが、全く想定しなかった気温だったため、サーキットトレーニングに変更。 自分が昨年末に韓国でやってきたサーキットをベースに、距離をかえてやってみた。 9種目を100mのダッシュでつなぎ、最後に400m。一つ一つの種目は それ程辛くないが、100mダッシュでつなぐとかなりきつい。一緒にやった メンバーは110mハードルと400mの選手。サーキットトレーニングは、 普段やらないので、1セット目からばてていた。しかし、合宿ということで、 遅れながらも、脚がつりながらも3セット全てをこなした。110mハードル がメインの人は、1年に1回くらいはやってもいいと言っていたが、1年に1回では あまり練習の効果はないですよと返答しておいた。
 昼は、昨日の昼と同じお店へ行って食事。ラフテー定食と宮古そばを注文。ラフテー とは豚の三枚肉を煮込んだもの。厚さはあるのに柔らかくおいしい。子供の 食欲は相変わらずで、今日ももずくを取られた。
 午後は、宮古島の南にある来間島(くりまじま)へ行った。来間島は宮古島と橋でつながり 車で行くことができる。
 来間島には、来間島憲法というものがあり、住民にはいろいろな義務があった。 例えば、屋敷内にはブーゲンビリアとハイビスカスの花を1本以上植えなければ ならなかったり、庭の雑草も放置しておいてはいけない。常に島をきれいに しなければならず、車やバイクに乗る際は、必ずゴミ袋を携行しなければ ならなかったりする。
 感動したのは、島の西側にある長間浜。真っ白でサラサラの砂に青い海。雲の合間から 日が差し込み、幻想的な光景だった。
 帰りは、また那覇経由で羽田へ。羽田には23時半ごろに到着。飛行機では、子供が 泣きまくり、周りの人に迷惑をかけた。2時間半、子供をジッとさせるのは、 難しい。
 羽田からは、行きと同じで首都高速を使って帰った。帰りも分岐の度に、どっちへ 曲がったらいいのか迷い、冷や汗。帰りも事故に遭うことなく無事に帰ってくることができた。



来間島竜宮城展望台からの眺め(前方に見えるのは前浜ビーチ、右には来間大橋)

■2005年3月5日(土曜日)


40秒走



参加者全員で



2000円宴会



お店のライブ
 宮古島合宿に参加。羽田出発が8時05分なので、5時半には家を出発し、 首都高速で羽田まで向かった。首都高速を使ったのは初めてで、分岐の度に 冷や汗をかきながら何とか事故なく羽田まで行けた。いつもなら環状8号線で 2時間近くかかるのに首都高速では50分もかからない。お金で時間を 買ったという感じで、通行料金は630円。
 那覇までは予定通りに到着したが、宮古行きの飛行機が天候のためか遅れ、 予定よりもかなり遅れて宮古島へ着いた。
 宮古島へ着いたら、前日までに来ていたメンバーが迎えにきてくれ、 レンタカーに乗って、さっそく昼食先の沖縄料理店へ。先に店に入っていた メンバーは、すでに食事が終わっている人が多く、先に午後の練習へ向かった。
 昼食はトウフチャンプルー。妻は海ぶどう丼を注文し、子供も何の戸惑いもなく、 海ぶどうを食べて、人のもずくまで全部平らげた。普通子供は嫌いになりそうな 食べ物なのに、うちの子供は何でも食べる。妻の教育が行き届いているようだ\(^o^)/
 お店の駐車場は車が10台くらい入るスペースがあるが、それでも入りきらないくらい 車が来る。このお店は人気があるらしい。近くの駐車場に勝手に駐車する人もいるようで、 その駐車場は無断駐車5000円。安い・・・
 午後の練習は、平良市内の陸上競技場。オールウェザーのトラックだったが、 ゴムが乾燥し、ヒビ割れしそうな感じで、スパイクを履いて走っても、ピンのない かかとの部分はズルズルと滑り、スパイクを履く甲斐がなかった。これなら、土の グラウンドで走った方がいいかもしれない。
 メニューは40秒走。250mから5mずつ距離を伸ばしていき、40秒で走り 切れなくなったところで終了。海も近いため風が強く、ホームストレートは、全然 進まなかった。結局295mまで走り、最後は46秒もかかってしまった。
 今日の気温は、13度くらい。この冬一番の寒さらしい。この気温でも風が強いので、 関東よりもかなり寒く感じる。一昨日までは20度くらいだったらしい。来たタイミング が悪かった。
 夕食は、昼とは別の沖縄料理店で宴会。予算は一人2000円だったが、食べきれない ほどの料理が出てきて驚いた。食べ放題と言ってもいいくらい。関東だったら間違いなく 5000円はかかるはず。店のステージでは、沖縄の楽器で演奏しながらおばちゃんが 沖縄民謡を歌い、店員さんやお客さんが踊り始めた。沖縄に来たなぁと実感。
 今日関東へ帰る人を送っていったメンバーが、レンタカーを返却しタクシーでお店へ 遅れてやってきた。そこで聞いた驚きの話。宮古島のタクシーは初乗り380円。 安すぎ!!今日は、何回安いという言葉を使ったのだろうか?

■2005年3月4日(金曜日)
 朝から大雪。昨夜は雨が降っただけだったが、天気予報の通りになった。 午前中は、吹雪のようだった。列車が止まり、首都高速は通行止め。飛行機も 欠航が多かった。
 今日からアンビバレンスは宮古島合宿。自分は明日出発だが、今日出発の人たちは、 宮古島へ行くことができたのだろうか?
 午後は、雪がやみ、道の雪も溶けていた。明日の朝、雪で道が凍結していたら どうやって空港へ行ったらいいのかと心配していたが、心配する必要はなくなり安心した。

■2005年3月3日(木曜日)


みんなで記念撮影
 職場の同僚と家族を家に招待した。来月には初めての出産がある同僚の奥さんの お腹は、かなり大きくなっていた。我が家も1年半前は同じような状況だった。そう思うと、 あっという間に、子供が歩くようになったような気がする。同僚の家もついこの間 子供ができたという話を聞いたばかりなのに、もう生まれるという感覚。
 子供が産まれた頃は、まめに写真やビデオを撮っていたが、最近は、全然撮って いない。普段から子供が新しいことができるようになるのを目撃するのはほとんどが妻。 自分の知らないうちに、色々なことができるようになっている。これからは、もう少し 生まれた頃のように、記録していこうと思った。

■2005年3月2日(水曜日)
 春の火災予防運動が始まったということで、職場では、消火栓と消火器の訓練が あった。今までは説明を受けるだけで、実際にやってみることはなかったが、 今回は、実際に体験できた。消火栓は水を出しているところが見られ、水の出方が 霧状だったり、目標に真っ直ぐ飛んでいったりと調節できることを初めて知った。
 消火器は実際に握って、栓を抜き、中身は水だったが実際に放水できた。思っていた よりも出が悪く、本当にこれで消火できるのか?と疑問に思った。実際に消火液が 入っていれば、もう少し圧も高まり、きっと消火するのだろう。

■2005年3月1日(火曜日)


お店の中



皮脂が見られる機械
 3万円エステ券が当たり、エステが体験できるというので、池袋にあるお店へ 行った。施術の前に、どの部位に困っているのか聞かれ、困った。痩せたいわけでも 脱毛したいわけでもない。苦し紛れに、顔のシミやしわということにした。すると、 顔にブラックライトを当てるような機械を使い、顔の皮脂を見せてくれた。目の周りは、 かなりくすみがあり、鼻の辺りは皮脂がすごかった。最終的に、顔にあるシミを 薄くするということをメインに体験することになった。
 初めに、使用前の写真を撮り、床屋よりも大きめのイスに座り、仰向けになった。 顔を洗ってもらい、掃除機の吸い込み口が小さくなったようなもので、毛穴から皮脂を 取った。これで皮脂が取れているのか疑問。
 その後は、パックをして、自分の意識はなくなった。寝てしまったようだ。気が ついたときには、パックがはがされていた。一通り施術は終わったようで使用後の写真撮影。
 これで終了かと思ったら、最後に、シミを取り去るという作業が残っていて、 針のような物でシミに向かって電気を流した。顔に電気が流れるたびに、チクチクと 痛みがあり、終わると、少し赤くなっていた。今後、この部分は、かさぶたのようになり、 最終的にはかさぶたが取れてシミが取れるという。本当かなぁ?
 体験が全て終わって、使用前と使用後の写真を見せてもらったが、自分では違いが 分からなかった。お店の人が言うには、随分変わったとか。半分くらいは寝てしまったので、 体験はしたが、よく分からずに終わったという感じだった。



[昔のいずみ]