最近のいずみ

Last Update:2005/4/30

パートタイムアスリートいずみ 5年目に突入!! 


■2005年4月30日(土曜日)
   臀部から下腿部にかけての痛みがひどいため、小牧にあるゴールドフレックスで 体をみてもらった。今回は、痛みをまったく感じることなく、筋肉の疲労などが 取れる新兵器があると先生から聞いていたので、楽しみにしていた。
 治療は、うつぶせになって、タオルと、謎の新兵器の布を敷いて、その上から アイロンがけをするというものだった。この謎の布というのは、ある地域でしか 産出されない土を使って作られたセラミックが縫い込まれた布で、この布を 体に当てておくだけで体の状態が良くなると言う。
 自分はこの布の効果をあまり感じることができず、いろいろと原因を探って いったところ、体の前面と後面のバランスが崩れすぎて、後面が常に引っ張っている 状態だったことが分かった。バランスが整った状態でないと、いくら後面の筋の 張りを取り去ったとしても、前面の引っ張る力がないため、すぐに後面が引っ張ってしまうので 元に戻ってしまう。先生に「最近、一般に言われているような腹筋ってしてる?」と 聞かれた。考えてみると、半年以上、普通の腹筋をやった覚えがない。使っていないの だからどんどん衰える。これがバランスを崩した原因の1つになっていて、走っている 時にスピードがあがらない原因にもなっているということで、腹筋や腸腰筋を刺激する ような運動をマメにやるようにアドバイスを受けた。
 謎の布で、筋肉の緊張を緩めることはできなかったが、肩や手首に布をかけ、ストレッチを すると、可動域が急激に広まることは実感でき、この布の効果が少しは理解できたような 気がした。これからは当分、腹筋、腸腰筋第一でトレーニングに励みたい。

■2005年4月29日(金曜日)


1周目





ゴール前
   東京選手権に出場。この大会に出るのは大学3年の時以来、10年ぶり。 会場は国立競技場。国立競技場を走るのは4年ぶり。関東に住んでいても、 最近はなかなか国立でのレースがなく、どちらかというと一般にはサッカー場 というイメージになってしまっているのが陸上競技をしている者としては許せない。
 今日で3週連続のレース。先週のレース後、左の尻周りが凝り固まり痛みが出て、 それが大腿後面まで広がってきて万全の状態ではなかったが、日本選手権の標準記録を 目指し走った。
 800mは予選4組で、各組2着までが決勝へ進めた。第1組は1着が2分台。 2組、3組も1着が1分55秒台。自分の走った4組だけは、レベルの高い選手が集まり、 1周目からペースが速く、自分は3番手で1周目を通過し55秒後半から56秒台。 後半もあまりペースは変わらず、最終コーナーを回った時点で3位。2着になれる 可能性はあったが、最後の直線は離され、後ろから来た選手にも抜かれ4位でゴール。 タイムは1分54秒45。先週よりも良く、予選は全体の4番目のタイムだったが予選落ち。 日本選手権への道はほぼ絶たれ、ショックも大きかった。唯一の救いは、来年の 全日本実業団の標準記録(1分54秒5)を突破したこと。なんとか10年連続出場に つながった。
 今日は妻の家族が全員応援に来てくれていたが、情けない結果に終わり、申し訳なかった。
レース後は、決勝をみることなく、妻の家族と昼食を食べに行き、その後、車で 実家の岡崎へ帰った。高速道路は練習初日なのに全然混み合うこともなく、4時間半ほどで 実家へ着いた。車の運転で、臀部の痛みが、もも裏から膝裏まで広がり痛みも強くなった。

■2005年4月28日(木曜日)
   明日のレースの最終調整。メニューは400m。先週の調整と同じメニュー。 先週のレース以降左の尻に痛みがあり、全く痛みが取れない。火曜日に整体を学んでいる 友達にみてもらったら、小さな筋肉から大きな筋肉まで全部がひとかたまりの ようになってしまっていると言われ、筋膜マッサージをしてもらい、悲鳴を上げて 耐えたが、今のところ、痛みに変化はない。
 先週よりはスピードを高めて400mを走りたいと思っていたが、実際は、先週より 遅い56秒0。400mを走るだけで精一杯。あと1周走るとは思えないほどの疲れだった。
 こんなスピードでの最終調整ではまずいと思い、200mを全力で走った。タイムは25秒2。 800mの最初の200mがこれくらいなのに、200mの全力がこのタイム。400m 以上にショックが大きかった。
 明日のレースはどうなるのだろう・・・

■2005年4月27日(水曜日)
   毎週水曜日は夜、大学院の授業があり、4月からはアンビバレンスの練習に 参加することができなくなった。この授業はスポーツのコンディショニングや リハビリテーションについての授業で、学生が調べてきたことを順に発表していく。 4月は2年生が発表し、実技まで行っている。内容が医学的なもののため、 解剖学など基礎的な知識の乏しい自分は、理解できないことが多くなかなか辛い。
 今回は下肢・足関節の評価ということで、実技では実際に触って相手の状況を 把握する触診ということをした。筋肉の起始と停止(始まりと終わりの部分)が よく分かっていないので、どの関節をどう曲げるとどの筋肉が触診できるという ことがなかなか理解できない。一緒に実習した社会人入試で入ってきたおばちゃんも 自分と同じような感じだった。何度も繰り返し自分の体を触って復習するしかない。

■2005年4月26日(火曜日)
   昨日の尼崎で起こった列車の脱線事故では、死者が100人へ近づいている。 夜のニュースでは、列車は制限時速70kmのところを100kmで走行していた と言っていた。列車の1両目はマンションの1階駐車場へ全て入ってしまい車と 一緒にぐちゃぐちゃになっていた。2両目はマンションに巻き付くようにつぶれていた。
 時速100kmという速度はこういう大事故になるような速度なのだと再認識した。 自分は大学へ通うのにいつも車で高速道路を利用している。時速100kmを越えて 運転していることもある。車と列車の重さが違うので、運動量や持っている エネルギーは違うのだろうが、それでも時速100kmの車が衝突したら生きては いられない。
 高速道路を運転していると、眠くなるときがある。一瞬寝ていたのではないかと ハッと我に返るときがある。この列車の事故を見て、一瞬たりとも気を抜いては いけないと思った。高速道路での道のりにはサービスエリアが1つしかないのが 問題だが、授業に遅れても自分の身を第1に安全運転でいきたい。

■2005年4月25日(月曜日)
   懸賞が3つも当たった。1つは自分、2つは妻。
 自分が当てたのは、スプレータイプの洗剤。以前「洗剤革命」という洗剤をテレビ ショッピングを見て購入したが、テレビの映像のようにきれいにはならず、だまされた という内容のコメントを書いて、この懸賞に応募していた。こんな挑戦的なコメントに 対して、プレゼントをくれるというのだから、この会社はかなり自信があるのかもしれない。
 妻はオリジン弁当のお店に置いてあったフリーペーパーの中にあった懸賞で一気に2つも 当てた。内容は水着と1万円。どちらも何かコメントを書く懸賞で、コメントが次回の記事に なるという。
 夫婦共々ますます懸賞にやる気が出てきた。

■2005年4月24日(日曜日)
   今週も筑波大学競技会に出場。種目はもちろん800m。今日は、第1組に入れて もらえたが、筑波の学生は関東インカレの選手選考レースになっていたので、 ペースメーカーはつかず、本当に勝負のレースだった。
 1周目は56秒台。ホームストレートの向かい風の影響もあり、かなりゆったりと したペースだった。残り300mになっても全員が様子見の走りでペースは上がらず、 600m通過が1分24秒台。今の自分のレベルではちょうどいいペースだった。
 今日の課題は残り150mからの走り。残り150mからはスピードを切り替える 意識ではいたが、ピッチもスピードも全く切り替えられず、残り80mくらいから 失速。最後の100mで先頭からは1秒5も離され1分54秒56の4位。
 出せるだけの力を出したつもりだったが、先週と比べると、疲労は少なかった。 まだ、タイムは上げることができるはず。今度の金曜日は東京選手権。なんとか ここで日本選手権B標準を突破したい。

■2005年4月23日(土曜日)
   4ヶ月ぶりの平石クリニック。今回はオリエンテーリングの日本代表を 3人連れて行き、一緒に血液検査をしてきた。先生は、今まで オリエンテーリング選手を診たことがなかったようで、興味を持って いろいろと話をしてくれた。
 午前中は平石クリニックへ行って帰ってくるだけになってしまい、 昼から練習。明日の調整ということで、800mの1周目を意識した 400mを走った。ウォーミングアップ不足のためか、体が全く動かず 全力に近い状態で55秒6。レースであれば、まだ残り1周ある。 このまま走りきれるとは全く思えない疲労感。
 400mがあまりにもひどかったので、もう少しスピードを上げて 気持ちよく終わるために200mを走った。こちらも最後は足が もつれて転びそうになり、タイムは24秒9。こちらも感覚と タイムが全く一致せず、400m以上に落ち込んだ。

■2005年4月22日(金曜日)


かなりのお宝?
 大学院へ入学して2週間が終わった。研究室にも自分の机が置かれ、 6人で共有している。建物が古く、部屋は倉庫のような造りになっていて、 昔からあるらしい棚の中には、古い論文や書籍が大量に放置され、 何年も手を付けられていない様子。一人が何となくあさり始め、 論文だけでも項目別に並べてみようと言い始め、気がつけば自分を含めた 3人で、論文や書籍を引っ張り出して掃除をしていた。
 自分たちの先生が学生の時に作成した論文があったり、陸上競技 マガジンはローマオリンピックへ向けての記事が書かれているものを はじめ、昭和30年代からのものが100冊以上あった。 「マニアからすればきっとお宝だろう」なんて言いながら、 棚のホコリを拭いて順番に並べていった。3時間くらいは熱中して 掃除し、随分きれいになり、3人とも満足した。

■2005年4月21日(木曜日)
 脱力という言葉があるが、人間は意識して脱力ができるかといえば、 ほとんどの人はできないようだ。実際に腕を脱力して、誰かに 後ろから押してもらい、腕を水平近くまで挙上したとき、 どのくらい脱力しているかということをやってみたが、全然脱力 できていない。おもしろかったのは、自分の感じる脱力度と 押している人が感じる脱力度が違うということ。これが一致すれば、 相手と意識の共有ができているのかも知れない。
 脱力していても人間は知らない間に緊張をしている。意に反して 動いている動きについては、当然人間は自覚がない。癖というのは そういうものなのかもしれない。
 逆に、スポーツなどの動きは、意識せずに動いているプレーが 多いのかもしれない。それがすばらしいプレーにつながっている とも言える。この自分の自覚できる意識というものはまさに 「氷山の一角」だと思った。

■2005年4月20日(水曜日)
 外反母趾は日本人よりも欧米人に多いらしい。なぜなら日本人は家にはいると 靴を脱ぐが、欧米人は靴を履いたまま生活するから。靴を履いているから 外反母趾になりやすいということがわかっていても、それが生活習慣として 完全に定着してしまっていると変えることができないのだろう。
 少し方向は違うが、タバコが好きな人はタバコが体に悪いことが わかっていても吸い続けるし、お酒もやっぱり飲み過ぎる人はいつも 飲み過ぎる。自分の場合は、もう走るのやめたら?と思われているのに、 ずっと走っている。意地になって続けているわけでもないが、1度身に付いた ものというのはなかなかやめられないのが人間なのだと思う。

■2005年4月19日(火曜日)
 日曜日の記録会では、大した記録も出なかったのに、疲労だけは今も残っている。 体もだるさがあり、練習で追い込もうとしても全然追い込めない。 今日は600m、500m、400mを気持ちよく走ろうと思っていたが、 思うようにはいかなかった。600mでいっぱいになり、残りの2本を やりきる意志がなくなり、結局300mを走った。後半200mを一緒に 走ってくれる人がいたので、なんとが走り切れたが、一人だったら、 どうなっていたか・・・
 試合期に入り、体が対応せずなかなか辛い時期。練習か、疲労回復か、 難しい選択だ。

■2005年4月18日(月曜日)


かなりお気に入り
 学校で使う体育館シューズを買いに職場の売店へ行った。いつもサービスしてくれる 顔なじみのお店なので、「安いのでいいよね?」なんて言いながらすぐに対応してくれた。
 こちらの希望としては28.5cm前後。「28.5も29もあるから、29から履いてみたら?」 と言われ、29cmから履いてみた。29cmは普段履いている大きさだが、フィット感が なく、指が少し曲がってあまりいい感じではなかった。「少し指が曲がって合わないみたいです」と 言うと、「30もあるよ」と、すぐに30cmの靴を出してくれた。履いてみると、 快適な大きさだった。
 初めて買う30cmの靴。靴の厚さが厚いためサイズが大きくなったのであって、足の大きさが 大きくなったわけでないはず。家に帰って妻に靴を見せたら、子供に履かせて大笑い。 子供も大きな靴が気に入って、大喜びしていた。

■2005年4月17日(日曜日)
 筑波大学競技会800mに出場。一番ペースの速い第1組に入れてもらえて いると思ったら、第2組になっていてショック。メンバーを見る限りでは、 タイムを狙うには、自分で引っ張るしかなくなった。
 予想通りスタート直後、先頭に出て引っ張る人がいなかったため自分が引っ張った。 200mを26秒台で通過し、400mは54秒台。1周目は余裕があり、 残り300mから、少しピッチを上げ、後続を引き離した。600m通過が 1分23秒台。残り150mくらいからだんだん体が固まってきて、 最後の直線はもがきながら必死に走った。残り50mで2人にかわされ、 3位でゴール。
 タイムは1分55秒10。一人で引っ張って走ったので、後半のペースダウン が激しかった。残り300mからのスピードの切り替えは、後ろのペースが落ちた だけで、自分自身のペースは全然変化がないか、逆にペースが落ちている感じだった。 スピードの切り替えを意識したトレーニングをやっていないのだから本番で やろうとしてもできるわけがない。今日は、トレーニングの方向性が少しつかめた だけ収穫があった。標準記録の有効日まであと2週間ちょっと。なんとか 1分52秒5を突破したい。

■2005年4月16日(土曜日)


赤いユニフォームです
 体育学校の練習に参加。メニューは600mを2本。400mを51秒台 で通過し、残りを27秒で行くという設定。
 1本目は51秒8で通過し、最後まで走り切れなさそうだったので、400mで 走るのをやめた。2本目は少し離されて52秒4で通過し、最後まで走れそうだったが 明日のレースを考えて無理をしてはいけないと思い400mでやめた。
 練習としては中途半端だったが、タイムとしてはまずまず。明日は、54〜55秒 くらいで前半を通過できれば、なんと目標のタイムが出るのではないかと思う。 シーズン最初のレース、頑張りたい。

■2005年4月15日(金曜日)
 血液検査をするとHDLコレステロールという数値が出されるが、一般に 善玉コレステロールと呼ばれる。善玉があれば、悪玉があるわけで、 LDLコレステロールを悪玉コレステロールと呼んでいる。言葉としては、 健康番組や健康雑誌ではよく聞く言葉だが、最近は、この善玉、悪玉と いう言葉をできるだけ使わないように努力しよう、と栄養学の世界では 言われているらしい。
 LDLはコレステロールを各組織へ運ぶ機能を果たし、HDLは 各組織であまったコレステロールを肝臓に運び動脈硬化の防止に役立っている。 この働きだけを見て、今までは善玉、悪玉という言葉を使っていたようだが、 コレステロールは摂りすぎると体に悪いが、細胞にとっては必要なものなので、 これを一方的に悪玉ということはできない。これが善玉、悪玉という言葉を 使わないようにしようという理由となっている。
 今日からスポーツ栄養学について学び始め、いきなり小テストがあった。 今の知識がどれくらいあるかというチェックなのだが、リポたんぱく質の 種類を4つ書くように言われ、リポたんぱく質という言葉自体を知らなかった。 答えは、カイロミクロン、VLDL、LDL、HDLというもので、 ここにLDLとHDLという言葉が出てきて、善玉、悪玉という話になった。 少し聞いたことのある言葉にその説明が加わると、強烈な印象が残る。 これからは、いろいろな場面でこういうことが起こるのだろう。楽しみだ。

■2005年4月14日(木曜日)
 1日フルに休みを取って朝から授業。特に興味を引いた授業は、ボディーワーク論という 授業。最近急に注目されるようになった、ナンバ歩きに通ずる、体の動かし方に関する授業。 キーワードは、気、呼吸、意識、身体技法など。はっきり言って、科学的には証明されておらず、 数値では表現できないし、言葉でも表現できないことが多い。今後の授業では、先生の話す 言葉は、真実を意味していないことが多いと言われて驚いた。結局言葉では表現できない ことを言葉で表現するので、感覚で理解しないといけないらしい。
 今回は、「無心」に関するテレビ番組を見たあと、2人組になり、その番組を見て 思ったことや考えたことを1人2分間相手に話し、その後5分間お互いの話について 意見を言うということをした。自分に与えられた2分間という時間は、普段何でもなく 過ぎていく時間だが、随分長く感じた。番組では武道や書道の達人が出てきて、 「無心」とはどういうものかということを動きで実戦していた。これは仙人のような、全てを 超越したような感覚なのかも知れない。この達人のレベルに達すると、人間業では ないようなことがどんどんできてくる。ほんとうに、すげぇ〜と圧倒されるばかりだった。
 今後の授業では、その達人までは行かないにしても、そうなっていくための身体の 使い方なども実習していくらしい。どこかの道場に入門したみたいな感覚。大学院の 授業にはこんな変わった授業があるんだなぁと思った。

■2005年4月13日(水曜日)
 今週最初のトラック練習。メニューは550m+150mを3セット。設定は 550mのうち400mを53〜55秒で通過すること。残りは全力。ゴールして 15秒後の150mも全力。
 1本目から設定ギリギリの55秒で通過し、残りは失速。150mもそれ以上に 失速。周りから見ればジョギングよりも遅くスローモーションで走っているように 見えたに違いない。2セット、3セットとやっていく度にタイムはどんどん落ちた。
 練習がこんなにきついものだったのか?と改めて考えてしまった。思っている以上に 走れず、またまた不安になってきた。良いときもあれば悪いときもある。その時その時の 気分に調子も左右される。コンディショニングって難しい。

■2005年4月12日(火曜日)
 学生生活も始まり、修士論文のことも考えなければならず、担当の先生に 修論の進め方について指導を受けた。
 自分は、大学で体育を専攻してこなかったので、まずは体育の論文を多読し、 慣れることから始めるように勧められた。興味がある分野の論文を図書館で 検索し、日本文でも英文でもどんどん読む。そしていくつか材料となりそうな ものを集め、1学期の終わる頃には、やってみたいことを大まかに決めることが 第1の目標。その後陸上競技のシーズンが終わる頃には実験を始めて、次の年には データをまとめるところまでいければ最高の進み具合。進みが遅くても次の年の シーズン直前までには実験をしておかないと、間に合わなくなるようだ。
 自分は追い込まれて、どうしよう・・・となってから始めるタイプだが、 今回だけはなんとしても余裕を持ってやれるようにしたい。

■2005年4月11日(月曜日)
 中国では反日感情が高まっているようで、テレビでは連日放送されている。 デモの人数も中国の規模は日本とは比べ物にならない人数が集まる。その人たちが、 暴走して日本食のレストランを破壊したり、大使館へ石を投げたりしている映像を 見た。領土的にはちっぽけな日本に、大国中国の国民がそんなにムキになる必要が あるのだろうか?古い昔の中国は、もっと心の大きな国で、日本は、 あらゆることをお手本にしてきた。今でも宗教をはじめその名残はたくさんあり、 それらが土台となって今の日本ができている。お手本となってきた国がこういう 状況になるのはとても悲しい。
 歴史問題はいろいろあるのだろうが、テレビで見る映像は全てが感情的に 動いているだけのように見えてしまう。映像のような感情的な人たちが、 中国人のほんの一部の人たちだけであることを願う。

■2005年4月10日(日曜日)
 昨夜は鼻がが詰まって、なかなか眠れなかった。鼻が詰まって口で呼吸を するようになると、喉を痛めてさらに風邪をひいたりするので、とにかく 口を開かなかった。鼻から吸う空気の量がいつもより少ないためか、 普通に呼吸をすることが苦しい。脳に酸素が行き渡っていない感じがして、 頭の中も普段と違い、落ち着いた感じではいられなかった。
 妻は1ヶ月近く前から花粉症のため鼻が詰まって眠れず頭痛になる こともあったが、やっとその苦労が分かった。人の気持ちというのは、 実際同じ状況になってみないと本当のところは分からないのではないかと思う。

■2005年4月9日(土曜日)
 体育学校の鈴木くん練習。メニューは600m+200mを2セット。 設定タイムは特になく、600mは気持ちよく走り後半150mのペースを 少し上げていき、200mはさらにペースアップをするというのもだった。
 600mの1本目300mを47秒台というかなり遅いペースだったが、 最後の150mもあまりあがらず、1分31秒5でゴール。これが考えている以上に 辛かった。次の200mは25秒6。
 2セット目は1分28秒6と26秒9。終わった後は久しぶりにケツ割れ。 タイムだけを見るとたいして追い込んでいないのに、体の疲れはタイム以上の状態。 火、水の練習で追い込みすぎて疲労があったので、この2日間は休んでいた。 いくらか回復したが、しっかりとは回復できていなかったようだ。週3回も 追い込めれば、十分トレーニングしているといってもいい。しかし、今週の やりすぎには少し反省。

■2005年4月8日(金曜日)


外では三味線の演奏



歓迎の歌(入学式)
 筑波大学大学院の入学式があった。午前中は学部生の入学式で午後が院生の入学式だった ため、院生の入学式の前には、ちょうど両者の入場と退場が重なったため大人数が会場付近 に集まった。黒のスーツが多く、異様な雰囲気だった。
 入学式は筑波大学管弦楽団の演奏から始まった。曲はワーグナーの 「マイスタージンガー第1幕への前奏曲」。なんとなく、アカデミックな場所に来たなぁという 実感がわいてきた。
 学長の式辞は、ノーベル賞をもらった小柴さんの話が中心だった。「研究の卵」をいくつか 持ち、できれば7つくらいがいいと言っていた。学長が学生の頃、小柴さんは、ニュートリノの 話を全く関係ない分野の研究をしていたときにすでに話していたというので驚いた。これも、 研究の卵の1つだったようだ。
 入学式後は、体育研究科のオリエンテーション。2時間みっちり話があった。大半の人は 学生だけをしているので、科長の話しでも初めから就職活動が話題になった。昨年は6割の人が 卒業後の進路を明らかにしないまま卒業し、昨年度以前の人たちでも3分の1の人たちが就職 したくても就職できず無職でいるという。体育の世界で飯を食っていくのはとても大変な ことだと思った。今となっては自衛隊に就職できてよかったと思えてきた。

■2005年4月7日(木曜日)
 桜が急に咲き始め、今日から2,3日で満開になりそう。出勤の時に見る桜の木と 帰りがけに見る同じ桜の木は明らかに花の咲き方が違う。植物の時間の流れは、 人間から見ればとてもゆっくりで長く見えるが、この桜の花が咲いて散っていく時期は もの凄く速く短く感じる。植物も生きているんだなぁと実感できる1日だった。

■2005年4月6日(水曜日)
 昨日の練習が思った以上にでき、調子にのって2000m+1000m3セットと 500m+300mを2セットやった。500mは68秒0で走ってしまい、その後は 体が動かなくなった。300mは何とか38秒台で走ったが、次の500mは81秒台。 ここでやめたかったが、最後の300mも走るだけ走って、量だけはかなりできた。  1本目の500mはちょうどレースペース。500mで一杯一杯なのに、レースでは あと300m余分に走らなければならない。試合のレベルへ持って行くには、まだまだ 時間がかかる。昨日は何とかなると思ったが、何とも言えない。

■2005年4月5日(火曜日)
 2ヶ月ぶりに陸上班と一緒に練習をさせてもらった。メニューは4000mペース走と 300m。4000mは3分20秒/kmからビルドアップで3分10秒/kmまで 上げるという設定だったが、1000m通過は3分11秒6。タイムは速かったが、 思ったよりもペースは遅い感覚で楽に入れた。その後は3分17秒3,3分12秒6, 3分08秒3。最後の2周くらいはきつかったが、この3週間まともに運動できて いなかったことを考えると、なんでこんなに走れたのだろう?と思うばかり。悪いこと ではないので、素直に喜んだ。
 300mは特に設定はなく、先頭にただついていくだけ。前半は風の影響もあり、 ペースは遅く楽だったが、最後の直線はペースが上がり、離れそうになったが、 それ程離されずにゴールできた。タイムは37秒7。去年は38秒を切って走ったのは、 たった2回。一昨年は3回。そう考えると貴重な38秒切り。こんなにタイムが 出ていいの?という感じだった。
 昨日と比べ膝周りの痛みがなく、走っているときは打撲をしていることを 忘れていた。日本選手権B標準、なんとかなるかもしれない。

■2005年4月4日(月曜日)
 久しぶりに60分ジョッグ。昨日の疲れが少しあり、大腿前面は少し筋肉痛。 右膝上にある内側広筋のしこりは全然小さくならず、膝を屈曲すると相変わらず、 痛みがあるが、ジョッグをするくらいならまったく痛みは出なくなった。
 ジョッグも45分くらいは、とても辛かったが、残りの15分くらいから、 急に調子がよくなり、気持ちよく走ることができた。調子に乗ってジョッグの後 そのまま300mを走ってみた。タイムは44秒2。45秒くらいのつもりで 走ったので、感覚は鈍っていなかったが、スピードを上げると、膝が鋭角に 曲がるので、筋肉が伸びてしこりが押さえ込まれるたびに痛みがあった。 この痛み、もう少し時間がかかるかも・・・

■2005年4月3日(日曜日)


篠原さん(全日本優勝者)
 今年の世界オリエンテーリング選手権選考のための参考レースに出場した。今日の種目は 最も短いスプリント。昨日はミドルの参考レースが静岡県富士市であったが、今日の会場は 埼玉県飯能市。2日連続で出場している人が大半で、みんなどうやって移動して宿泊して いるのだろう?と思った。
 レースは予選と決勝があり、決勝へは予選の各組で上位6位に入った人が進出できた。 予選は11人で争ったので真ん中より上にいれば決勝に残れると思っていたが、そんなに 甘くなかった。
 会場は山の中。公園とは違って、ナビゲーションがしっかりしていないとどうにもならない。 長い距離を走らなければならない区間は真っ直ぐ進むことができず、迷子になった。ほとんどの 選手が20分以内でゴールするところを、自分は42分36秒もかかり、文句なしの予選落ち。
 予選落ちした人は、予選落ちした人たちだけで、B決勝があり、このレースは一斉スタート。 このレースは先頭について行けば、自分でナビゲーションするよりも正確で、ほぼ2番手で 走ることができ、2位でゴールした。
 オリエンテーリングの選手とかわらないスピードで山の中を走れるようになり、昨年と 比べると成長したが、そのスピードの中で地図を見てきちっと方向を見定めることが できていない。今後の課題は考えるまでもなく、地図読みの力。レースの時だけ オリエンテーリングをするのではなく、普段のジョッグから地図を持つなど工夫して いかないとなかなか改善はできなさそう。

■2005年4月2日(土曜日)
 家族で自転車に乗り近くの公園まで遊びに行った。公園は、どこも人だらけ。 バーベキューをしているグループがいくつもあって、本当ににぎわっていた。
 我が家もあるベンチに陣取った。子供は自転車から降ろされると、いろんなところを 歩き回り、ボール遊びをしている子供たちの中に一生懸命入ろうとしていた。 子供の世界では、誰と遊ぼうがあまり関係ないようで、勝手に遊んでいる輪に 入っていく。何のしがらみもないというのは、こういうことなのかなぁと思った。
 ボールに興味を示さなくなったら、次は、石や木の枝を拾って、ベンチの穴に 入れ始めた。こちらが声をかけても全然気がつかないくらい集中していた。 拾った物が石や枝ならいいが、タバコの吸い殻もかなり落ちていて困った。 子供は石や枝よりもタバコに興味を示す。つぶせば、形が壊れ、バラバラになる。 そこが興味をそそるところなのかも知れない。公園には、想像以上にタバコの吸い殻が 多い。タバコを吸う人は、適切な吸い殻の捨て場所を確保してから吸って欲しい。

■2005年4月1日(金曜日)
 ガソリンが急に値上がりした。先週ガソリンスタンドを通ったときに見たレギュラー の値段は、確か108円だった。しかし、今日見てみると118円。4月1日から 値上げがあることを全く知らなかった。周りの人たちは、昨日ガソリンスタンドで満タンに していたという話を聞いて、なんと損をしたのだろうと思った。10円の値上げは、 すごく高くなった気がしてしまうが、我が家は軽自動車。満タンに入れてもせいぜい 20リットルちょっと。10円の値上がりでも負担が200円ほど増えただけ。 そんなに大した負担ではないが、やっぱりそれでも損をしたと思ってしまう。 これって小市民?



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