最近のいずみ

Last Update:2005/5/31

パートタイムアスリートいずみ 5年目に突入!! 


■2005年5月31日(火曜日)
 体の具合がよくならず、この2週間はほとんどトレーニングができない。 このままではまずいので、身体調整をしてもらいにホリスティックコンディショニングを 研究されている矢野雅知先生のところへ行った。矢野先生はスポーツプログラマーの 講師で、体育学校にも何度か教育に来られていて、自分も顔を出しているので、 「君かぁ」という感じで顔は覚えていてくれた。
 体をみる前に、症状からどこの具合がよくないかということがだいたい出てきて、 それに沿って筋力チェックをした。体の状態からすれば、本来力の抜けるはずの ところにも力が入ってしまっているということで、副腎が過剰反応し、交感神経も あまりにも優位になっていると指摘された。交感神経が優位ということは、寝ていても 結構緊張したりストレスがかかっているのかもしれない。
 骨盤の状態は、左側がロックして動かず、右側は傾いているということだった。 一番気になっているハムストリングスは、大腸と小腸をつなぐ弁が働かず、 ハムストリングスの力が抜けると説明された。また膝の裏にある膝窩あたりに よくしこりができるが、膝窩筋がうまく機能せず脛骨が前方に出ているという状態 だった。
 その後、話は更に脳の中にまでおよび、視床下部や脳下垂体という言葉まで出てきて、 その辺りの働きの関係で内分泌系の働きも良くなく、メンタル面でもストレスを感じ、 全体の流れが良くないと説明された。
 先生の話は、自分の理解する範囲を完全に超えていて、半分以上はわからなかった。 施術の半分は体を触り、半分は体に触ることなく、体の前で腕をいろいろと動かすだけで、 多くの問題を解決していった。端から見れば、ほとんど宗教。自分も本当に良くなったのか どうかよくわからない。これは気功なのか?とにかく自分の具合が良くなればいいので、 信じてみようという感じ。いろいろと指摘されたが、全ての状態は正常になっているので、 これで1ヶ月から1ヶ月半は大丈夫だろうと説明され施術は終了した。治っていればいいけど、 よくわからない・・・

■2005年5月30日(月曜日)
 相撲と柔道では筋肉の使い方にどこに違いがあるか?と聞かれ、種目が違うの だから当然違うのはわかるが、具体的に言葉にしようとするとなかなか出てこない。
 それぞれの種目を大きくとらえると、相撲は押しが主で伸筋(腕や脚を伸ばす筋肉)を 多く使い、柔道は引きが主で屈筋(腕や脚を引いて曲げる筋肉)を使う。
 柔道では主に屈筋を多く使うため、どちらかといえば伸筋を使うのが苦手になる。 ゴルフは主に伸筋を使うのだが、柔道を長くやってきた人がゴルフをすると、 なかなか上達できないらしい。運動をしていれば、神経の適応も早く別のスポーツを するのにも上達は早いのかと思っていたが、トレーニングにより優位な筋肉が 出てくるとそうはいかない場合も出てくるということがわかった。
 筋肉の使われ方だけでも運動の上達に影響する一つの要因になる。運動は いろいろな要素が絡み合って成り立っていると考えると、本当に複雑なことを 考えないと上達に結びつかない。しかし、人間はその複雑なことを 無意識にやっているのかもしれない。運動するって大変なことだ。

■2005年5月29日(日曜日)
 一日中、大学院の課題をやっていた。内容は膝の慢性障害の症状や原因を まとめて、配付資料と発表資料を作成すること。だいたいよくある障害というのは、 どの本にも載っているが、同じように書いてあるのではなく、本によっては、 原因や症状が違っていたりして、まとめるのにはとても困る。結局慢性の障害 というのは、膝を繰り返し屈伸するような運動をしていると起こるもので、 原因は単純なように見えるが、どういうメカニズムで痛みがでるようになるかは、 本当のところは医者でもよくわかっていないのだろう。よくわからないことを まとめて発表するというのは、なかなか辛い。しかし課題なので、やるしかない。 1日で終わらせる予定だったが、全体の4割くらいしかできあがらなかった。 明日から睡眠時間が足りなくなりそう・・・

■2005年5月28日(土曜日)


みんなで
 大学の同期、柵木(ませきと読みます)くんが実家へ生まれたばかりの赤ん坊を お披露目にいくということで、遊びに来ないかと誘われ、遊びに行った。生まれた ばかりの赤ん坊は本当に小さい。泣き声も小さく、手も小さい。自分の子供も まだまだ小さいと思っていたが、生まれたての赤ん坊と比べるともの凄く大きく見える。 ちょっと前までは、同じように小さかったはずなのに、たった1年半くらいで、 人間らしくなり、言葉も多少理解するようになった。そして、自分より小さい 赤ん坊をみて、頭をなでるという行為をする。だんだん人間らしい行動が増えてくる。 人間は日々成長するものなんだなぁと改めて思った。

■2005年5月27日(金曜日)
 職場の仕事と、学校の課題がたまっている。締め切りがあり、追い込まれている。 いろいろとやらなければならないことが出てくると、逆にいろいろとやりたいことが 出てきてしまう。
 調べものをしていると、フッと別のところに目がいって、調べものとは関係ないのに おもしろくなってきて脇道にそれ、別のことを調べ始め、やりたいことがでるという構図。 何からやったらいいかわからなくなりそうになるが、優先順位は当然あり、自分の気持ちとは 別のところでやらなければいけないのが辛い。課題が自分の興味あることになれば、これほど 気分のいいことはないのに・・・と思う。

■2005年5月26日(木曜日)
 「気」というものは、科学的に証明されていないらしいが、大学院の ボディーワーク論という授業では、最近気がテーマになっている。気は目には 見えないが、感じることはなんとなくできる。両手を触れない程度の距離に 保ち、手の平を地面の方へ向け、息をゆっくりと口からはくのに合わせて、 頭の辺りから両手を腰の辺りまで下ろしていくと気が上から下に降りてきて、 なんとなくおさまりがいいような感じになる。逆に手の平を上に向け下から上に 動かしていくと、気分が悪くなる。あまりやらない方がいいと指導されたが、 具合の悪くなる手前でやめるようにということで少し試したら、一人が 本当に具合が悪くなってしまった。これほど人の体に影響を与えるものなのかと 驚いた。何だかわからないものだが、何かある。もう少し体験して、自分なりに 判断してみたい。

■2005年5月25日(水曜日)
 「四股」は力士のする運動だと一般には思われているが、最近では、四股が 中高年の運動不足解消や、女性のダイエットに向いているのではないかという 研究が進んでいるという。
 下肢の運動といえば、スクワットという種目がよく出てくるが、中高年や、 運動をあまりしてこなかった女性には、膝の負担があり、やりたいのに できないということが多い。しかし股関節を大きく開いて行う四股は、意外と 膝への負担が少なく、しかもスクワットと同じ部位に刺激が行き、更に お尻の上の部分(大殿筋上部)にも刺激が行く。お尻の上の部分に刺激が行くと、 キュッと上がった引き締まったお尻を作り上げることができる。力士は、ちょうど この盛りあがった尻の上の部分にまわしが載ってくる。
 この研究によっていろんな効果があることが証明されると、近いうちに 老若男女問わず四股を踏む時代が来るかもしれない。

■2005年5月24日(火曜日)
 昨日からまた、通学で車に乗るようになり、脚と尻の痛みが復活した。 この痛みは、間違いなく運転にある。水曜から昨日までまったく運動をせず、 安静にしていたおかげで、随分体調がよくなったと思っていたのに、簡単に 元に戻ってしまった。
 6月にも試合があるので、1週間も休むとまずいと思い、今日から体を 動かしはじめた。たった30分のジョギングだったがやっぱり辛い。 下半身はいろいろと痛みがあるので、上半身ならばトレーニング できるだろうということで、上半身のウエイトトレーニングをしたが、 普段やっていないためか、上腕三頭筋を鍛えるフレンチプレスで手首を痛めた。 またこの痛みが引くのも時間がかかりそう。

■2005年5月23日(月曜日)
 土曜日に英語の論文検索で、かなり苦労していたが、最近の検索機能というのは なかなかすごい。自分の知っているキーワードを入れると、それに関連した言葉や 似たような言葉をいくつも勝手に出してくれる。自分が思いつかなかった言葉が、 その関連した言葉の中に入っていて、その言葉をクリックすれば、そのまま 検索できてしまう。なんと便利なのか!!と驚いた。Thesaurus(シソーラス) という機能らしい。
 いろいろな検索条件によって検索結果の絞り込みができるが、全部の機能を 使いこなすのは難しい。まめにいじってみることが使いこなせるようになる 秘訣なのだろう。

■2005年5月22日(日曜日)
 水曜日以降まったく運動をしていない。今回は、運動をしないことに 罪悪感やストレスを感じることなく、普通に生活できている。それほど、 体の状態が良くなかったのだろう。昨日から1日中座りっぱなしの状態が 続いている割には、脚や尻の痛みが緩和してきて不思議な感じ。 座りっぱなしとはいっても、座っているのはイスではなく、バランスボール だからいいのかもしれない。
 スイスでは、学校のイスにバランスボールを使っているところもあるという。 バランスボールに座ると、学習能力が上がるらしい。 本当かどうかわからないが、普通のイスに座るよりは、疲れが少ないというのは 確かだ。

■2005年5月21日(土曜日)
 1日、英語と格闘。スポーツと栄養に関する英語の論文を自分で見つけだし、 内容と自分の意見をまとめ発表できるようにという課題があり、まずは論文を 検索するところで、かなりの時間を要した。発表するには、ある程度、図や表が 出ている論文のほうがやりやすそうだが、論文をインターネットから無料で ダウンロードできるところを探し出すにも、自分の検索能力では限りがあり苦労した。
 論文は何とかダウンロードできたが、いざ訳そうと思っても、そう簡単には いかないので、WEB上の翻訳機能を利用した。専門用語を網羅していないため、 訳は意味を成さないものが多く、結局自力でやらざるを得ず、論文の内容に 関する基礎的な知識を入れるべく、最後は日本語のページを読みあさることに なってしまった。

■2005年5月20日(金曜日)
 同じ研究室の大学院1年生は、みんな大学からそのまま上がって来た人 ばかりで、卒業後の進路の話になると、なかなか具体的な内容が出てこない。 入学したときに、すぐに就職活動をするように言われたが、現実は、難しく、 学校の授業の流れに慣れるだけで、実際に行動に移している人はいない。  働きながら通っている自分は、フルタイムの学生は、時間があって良いなぁと、 思っていたが、そのあいた時間は研究と自分の進路について考えなければ ならないのだから、社会人よりもきついのかもしれないと思った。

■2005年5月19日(木曜日)
 軽い運動というのは特別な意味があり、ただ単に楽だというのではないのだよ、 という研究をしている征矢先生の話を社会人のみが対象の夜の授業で聞いた。
 一般に運動=カロリー消費というように考えられがちだが、運動をすると 気持ちいいとか、気分が良くなるというように、感情的には大きな変化がある。先生は そういうところに着目して研究をしている。
 突然胸の筋肉を左右交互に動かしてと言われても動かすことはできないが、 ボディービルダーなどは、要求通りに動かせる。それは脳がどこを意識するか 知っているから。運動不足は脳が筋肉を意識することを忘れている状態で、運動は、 脳に筋肉など必要なところを意識させることを覚えさせ、脳を活性化させる 働きがある。しかし強度が高かったりやりすぎると逆にストレスになってしまう。 だから軽い運動が重要になってくる。研究ではフリフリ・グッパーという運動を推奨 して、ある町の高齢者に3年間継続してもらい、すばらしい成果が出たという ことで、来月ワシントンで行われるアルツハイマーの予防学会で発表する ということだった。先生はこれを脳フィットネスと呼んでいた。
 最新の話題が聞けるというのが、研究をしている大学なのだと思い、かなり満足。

■2005年5月18日(水曜日)
 全自衛隊陸上競技会が自衛隊体育学校で行われた。脚の痛みは昨日よりは 少し緩和したが、それでも走れるという状態ではなかった。
 400mは予選が3組で2着までと2着以降の上位2人が決勝進出。 自分の組には昨年インターハイで6位だったという新隊員がいたので、 2着狙いで走るしかなかった。
 脚の痛みもあり、スタートは張り切らず、あまり負担が来ないようにスタートした。 6レーンスタートだったため、自分より速い選手が見えず、押さえ気味で走っていたので、 200mの通過時点で3位。後半は風速7mという強い風が 吹いていたため、上位2人との差がどんどん縮まり、追いつけそうだったが、 残りの距離が足りず3着でゴール。2位とは0秒05差の52秒34で、残りの2組の タイムが遅かったため、全体でも4位のタイムで予選通過。
 決勝は、予選よりも更に風が強く、スタートしてみると追い風になると思って いたところが、向かい風になり、スピードも上がらず、前半で先頭にはかなり差を 開かれた。残りの100mでは5,6位というあたり。目指すは3位だと思い、残りの 100mから追い込み、3位に手が届きそうな状態でゴール。結果は3位とは 0秒02差の53秒51で4位。
 800mの1周目のようなタイムで、ショックが大きかったが、風の影響や 東日本実業団の疲れ、走れるような状態ではなかったことを考えれば、良く走ったと 思うしかなかった。
 4×100mリレーは、肉離れの危険があるので棄権し、補欠選手がいないので、 自分の決断がチームとして棄権になった。
 もし来年も出られるのであれば、400mでは優勝し、リレーの方にもしっかり 走れるようにしたい。



400m決勝(右から3人目)

■2005年5月17日(火曜日)
 東日本実業団の疲労がピーク。特にももの裏の痛みはひどく、常にもも裏に げんこつか石が入っているような感じで、動くたびに痛みが出る。どの筋肉に 痛みが出ているかというのがわかるくらい敏感になっている。寝ているときに 寝返りをうつだけでも気になる。
 明日は、全自衛隊陸上競技会というレースがあり、400mと4×100mRに 出場する予定。この状態では棄権した方が一番いいが、大会が職場で行われる こともあり、棄権するわけにもいかない。
 昨日は体を動かさなかったが、今日は少し動かさないといけないと思い、 ジョギングをしてみたが、もちろん走れる状態ではなかった。リレーの バトンパス練習を1度もやっていなかったので、軽く走るという感じで やってみたが、走りはじめの3,4歩でのもも裏にかかる負担が大きく、 いつ筋肉が切れてもおかしくない状態。明日は少しでも痛みが引いて いることを祈る。

■2005年5月16日(月曜日)
 最近の車は、運転する人がアクセルを踏まなくても、設定をしておくと、 自動的に一定の速度を保って走ってくれるという話を聞き、驚いた。 値段の高い車になると、前方を走っている車との車間もしっかりと取ったり するらしい。人間はハンドルを回すだけ。狭い軽自動車で一生懸命アクセルを 踏んで高速道路を走っている自分からすれば夢のような話だった。
 また、車によっては、縦列駐車や車庫入れを自動で行ってくれるという。 今の車の進化に驚きの連続。何でもかんでも自動になってくると、人間は 何もしなくてよくなり、運転は全然うまくならないのではないかと思う。 人間は手を抜くことに一生懸命になる動物なのだ。もう少ししたら本当に 目的地を設定しただけでそこまで自動で運転してくれる車が出てくるのかもしれない。

■2005年5月15日(日曜日)


800m(200m通過)




800m(600m通過)




4×400mR(ゴール)
 東日本実業団2日目。800mと4×400mRに出場。800mは予選と決勝。 予選は、4人でスタートし、1人はスタートして100mで棄権。自分は1周目から 先頭になり、1周目を58秒台通過。かなり遅かったが、すでに疲労がたまっていた。 500mを通過した頃に、400m付近で鐘が1回鳴り、振り向くと3番手の選手が 400mを通過していた。3人の集団で走っていると思っていたので、ガックリきた。 予選通過は2着までなので、もう頑張る必要はなく、そのままスピードを緩めて ゴール。タイムは1分59秒27。3年ぶりの決勝進出。なんとか2分を 切ったという感じで、思った以上に疲労があった。
 決勝は、日本選手権の決勝に出るメンバーが大半で、一人だけレベルが違う という感じ。今年出る大会では一番レベルが高く、シーズンベストを残すには最も 良いレースになるということが、走る前からわかっていた。
 7レーンからのスタートで、スタートと同時に8レーンの梁田くん(AS市川)が 飛び出したため、それに連れられ、100m通過時点では3番手についてしまったが、 あまりにもペースが速かったため、自分からスピードを落とし、7番手まで降りた。 1周目はそのまま7番手で55秒0で通過。先頭は51秒台。先頭は遙か彼方で 走っていて、自分とはまったく別のレースを走っているようだった。
 2周目からは、前方を走っている三澤くん(体育学校)から少しずつ離れ始め、 一人旅。残りの150mで星くん(センコン物流)に抜かれ最下位。残り50mで 先頭を走っていた梁田くんだけはなんとか抜いて7位でゴール。タイムは1分54秒06。 シーズンベストだったが、このレースでこのタイムしかでなかったことがショックだった。
 800m決勝の後は4×400mリレーがあり、ショックを受けている場合では なく、すぐにリレーへ気持ちを切り替えた。リレーの目標は3位だったが、スタート してみると、周りのチームのレベルが思っていたよりも高く、アンビバレンスチームは 1走から5,6位争いで走っていた。アンカーの自分にバトンが来たときには、順位は 確定で、前の選手に追いつくこともできず6位でゴール。タイムは3分22秒48。 自分のラップは51秒0。2日間走り続けた割にはタイムは良かった。

■2005年5月14日(土曜日)


スタート直後



残り150m付近
 東日本実業団1500mに出場。2組タイムレース決勝。組み分けは、 申し込みのタイム順。ちょうど自分の前で速い組と遅い組みが分けられ、自分は 遅い組で走らなければならなかった。毎年組み分けの微妙なタイムなので、 走る前から悔しい思いをする。
 組では自分の持ちタイムが一番いいので、必然的に自分が引っ張るしかないと 思っていたが、JR東日本の選手がスタートから先頭に立ち、いいペースで 引っ張ってくれ、1周目が60秒。
 2周目に入ると急にペースが落ち、先頭に出ようかどうか葛藤があったが、 我慢し、2周目が64秒。
 900m過ぎに、また別のJR東日本の選手が先頭に立ち、ペースを少し上げたが、 それ程上がらずそのまま残り1周になった。体育学校の新人、山口くんが猛烈に 追い上げ、残り120mで先頭集団に入ってきてそのまま逃げ切るのかと 思ったら、そのまま失速し、JR東日本の選手と自分の2人で最後の直線勝負に なったが、追いつけず2位でゴール。タイムは3分55秒75。総合9位。
 久しぶりに先頭争いをして、中距離レースに出ているという実感がわいた。 今の力ではこれくらいでしか走れないだろうと思ったが、2周目のペースダウンが なければ、もう少しタイムが伸びたのではないかと思う。

■2005年5月13日(金曜日)
 週末のレースの最終調整。今回も800mの1周目を意識して400mを 走った。十分ウォーミングアップもでき、今日は2週間前よりはまともに 走れるだろうと思ってスタートしが、800mの1周目とは違う感覚で、 400mを走るので精一杯だった。タイムは55秒3。1周目のペースとしては ちょうどいいが、400mを走っただけで、もう1周あるとは思えないほどの 疲労で、2週間前と同じく、かなり不安になるだけの調整となってしまった。

■2005年5月12日(木曜日)
 アスレチックトレーナーの仕事とはどういうものかという話をシドニーとアテネ でシンクロのトレーナーとして活躍した白木先生から聞いた。
 トレーナーのイメージとしてはマッサージやテーピングが主な仕事のように 思えるが、このシンクロチームでの活動としては、ケガをしないための、また 専門技術向上のための基礎体力トレーニング指導が主だった。
 シンクロの選手は脚が太くなると見栄えが悪いということで普段から歩かせない、 走らせない、立つことさえあまりさせないという。練習するプールへはなるべく タクシーで移動し、飛行機に乗ったときにはすごいむくみになるようで、遠征では ホテルについてすぐにプールへ行き体を動かしてむくみをとることをしている。
 尻についても大きくなると、胴からのラインがまっすぐではなくなるため、 良いとされず、ウエストもくびれるとラインがまっすぐにならないため良いと されない。逆に胴はくびれのないほうが水中で回転しやすく、ラインもきれいに 見えるということで、腹には脂肪をつけて腹周りは意識的に太くすることをしている。
 今まではシンクロの選手といえば、1日中ハードなトレーニングをして、食事を しっかりと摂らないと痩せてくるというイメージで、とてもスタイルの良い人たち だと思っていたが、そうではないことに驚いた。
 選手を指導するコーチやトレーナーは、しっかりと競技特性を考慮した補強を 指導しなければ、選手は競技とはかけ離れた体型になってしまう。競技特性を 考慮するということは、とても難しいことだが、この部分を考えて補強を考える ところに指導者のおもしろさがあるのかもしれない。

■2005年5月11日(水曜日)
 大学の夜の授業が終わって、車に乗り込むのがだいたい9時。今日は、 常磐道で事故があり、高速道路に入って数キロで渋滞。渋滞を抜けるのには、 結構時間がかかった。
 事故をした車はどうなっているんだろうというのが、最も気になるところ。 事故現場を通り過ぎるときには、まだ事故車が残っていたが、車は原形を 留めていなかった。ちょうど先月の列車の事故に近い感じ。100kmを 越えるようなスピードで走っている物体は、もの凄い衝撃を受けるのだと 再認識させられた。
 そうやってじっくりと事故車を眺めながら運転をしていると、前方には、 さっきまで渋滞で並んでいた車がなくなっていた。事故車の隣に来たときには、 まだ前にたくさん並んでいたはずなのに、1台もいない。気がつけば、自分が 渋滞の先頭になっている。これが事故が起きたときに渋滞になる一番の原因では ないかと思う。みんなが、どんな事故だったのかが知りたくて現場を見るのに、 ゆっくり走ってしまうのではないか?
 常磐道を通過し、外環道へ入ったのは10時過ぎ。高速道路は10時を過ぎると 料金が半額になる。渋滞になって、帰るのは遅くなったが、料金が半額で帳消し。 遅く帰るのも悪くない気がした。

■2005年5月10日(火曜日)
 ここ3週間、体の背面の疲労が全然とれない。寝ていても尻やももの裏に痛みを感じる。 歩くと更に痛み、走ったら当然もっと痛む。自分の体が正常ではない。最近の行動 からすれば、これらの主な原因は、通学での車の運転か、授業で小さな椅子に座って ジッとしているためなのではないかと考えられる。
 今日の練習は20分ジョグをしてやめてしまった。通学する限りは、この状態は 変わらない。慣れるしかないのか?

■2005年5月9日(月曜日)
 昨年まで同じ職場で勤務していた後輩が自殺という形で亡くなった。 自衛官の自殺は年々増加しているという話を聞かされ、職場では お互いに注意して勤務してくださいという教育を受けたことがあったが、 自分の知り合いがこのような結果になるとは思わなかった。
 彼は元々躁鬱の傾向があり、自分でも自覚していて薬を飲んでいた。 「薬を飲まないと危険な状態になる可能性が高いから、一生薬を飲み 続けなければならないんですよ。」と言っていたのが印象的だった。 自殺未遂もやったことがあり、その時助けてくれた人たちには本当に 感謝していた。また、彼は、幻聴、幻覚を体験することが多く、「今、 幻聴になりそうな雰囲気です」なんてリアルタイムに自分の状況を 伝えてくれたりもした。これは、そうなった本人しか分からない世界で 理解することは難しいが、そうなのかぁと会った時にはよく話を聞いた ことを思い出す。
 厚生労働省の統計では、自殺者が最も多いのは月曜日、男性は早朝に 多く、男女とも4、5月に自殺する人が集中しているという。彼が どういう心境でことに及んだかは想像できないが、ほぼこの統計通り になってしまった。ご冥福をお祈りいたします。

■2005年5月8日(日曜日)
 昨日はゴッホ展へ行っていて、テレビで大阪国際グランプリを見ることができなかった。 録画しておくことも忘れていたため、国際陸連のページで結果を確認した。男子1500mは スローペースだったと書いてあって、ケニアの選手が1位、日本の小林史和が2位になっていた。 3位から5位まではケニアの選手で、6位は、3分44秒03で、体育学校の川上が 入賞していた。このタイムは、彼の自己ベストであり、自衛隊新記録。
 映像を見た人の話では、かなり我慢のレースだったらしい。とにかくあきらめずに 走りきったようだ。海外の選手からすれば何でもない結果かもしれないが、自分の中では 衝撃的な結果だった。コツコツと地道に頑張ってきた成果がこんな大きな大会で出るということは 本当にすばらしいことだと思う。

■2005年5月7日(土曜日)


東京国立近代美術館前
 先月当たった「ゴッホ展」の招待券があったので、ゴールデンウィーク最後の 家族サービスとして北の丸にある東京国立近代美術館へゴッホ展を見に行った。
 今回の展示はオランダにあるファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館の コレクションから出品されていて、自分は5年前にファン・ゴッホ美術館、6年前に クレラー=ミュラー美術館へ行っているので、展示されている作品のいくつかは 見たことがあった。
 ファン・ゴッホ美術館はいくらか混み合っていたが、クレラー=ミュラー美術館は まったく人がいなくて、ゆっくりと絵を見られ、写真を撮る人もいたが、全く怒られる こともなくとてものんびりしていた。それに比べ、今回の「ゴッホ展」は、40分待ちの 列ができていて、子供をどうやって、飽きさせないようにするかということが最大の 関心事だった。入館した後も、絵に近づけないくらい人が多く、まったくゆっくり できなかった。
 ヨーロッパに行ったときに特に印象に残っているのは、ゴッホが日本の浮世絵を コピーした作品。ゴッホ美術館には、いくつかの浮世絵の模写が展示してあり、 絵の中には漢字も真似して書いてある作品もあった。今回は、浮世絵の模写は 1作品しかなかったが、とても懐かしく思えた。
 ゴッホの油彩の他には、ミレー、セザンヌ、モネ、ゴーギャンなど関連する 作家の油彩もたくさんあった。
 自分はゴッホ美術館でいちばんいいなぁと思った作品がモネの作品だったが、 今回も一番気に入った作品はモネの作品だった。

■2005年5月6日(金曜日)
 ゴールデンウィーク中だが今日は大学院の授業。最近、平日は、あまり子供と 遊んでやることができないためか、自分が家にいるときは、いつも「パパ、パパ」と いって抱きついてくる。朝学校に行く時には、玄関で大泣きで見送ってくれ、 家に帰ってくると、玄関を開ける音がするだけで、「パパ、パパ」といって駆け寄って 抱きついてくる。なんとかわいい子供なのか、と思ってしまうが、父親のことを パパと呼んでもママという言葉は全く言わない。妻は「たまにはママと呼んで」 と子供に言うが、子供には全然通じない。いつでもパパ。妻が苦労して 育てているのに、話す言葉はパパというのは、父親としてもとても複雑。 いつも一緒にいる母親のありがたみは、小さい子供には、わかるはずがない。 わかるのは大人になってからなのか・・・

■2005年5月5日(木曜日)



105kg級優勝の園山くん




+105kg級優勝の森田くん
 全日本ウエイトリフティング3日目。体育学校は女子1種目、男子2種目に出場。
 午前中の女子の種目では今年の大卒で即戦力として入ってきた今鉾さんが優勝。
 男子の2種目は自分がトレーニングに関わった選手が出場するので、試技中はドキドキだったが、 男子105kg級では、高校を卒業して体育学校で地道に頑張ってきた園山くんが 初優勝。そして男子+105kgでも森田くんが優勝した。
 終わってみれば、体育学校は8種目に出場し、6種目で優勝。本当に体育学校の強さが際だった。 どのくらいこのすばらしい結果に貢献できたかは分からないが、半年間一緒にトレーニングを してきて本当に良かったと思う。



体育学校ウエイトリフティング班

■2005年4月4日(水曜日)


ウォームアップエリア





94kg級優勝の佐藤くん
 全日本ウエイトリフティング選手権大会を見に行った。会場はさいたま市記念総合体育館。 陸上競技だったら色々なところにその大会のポスターが貼られ、近所の人たちは、何の 大会が行われているかわかるが、ウエイトリフティングではポスターを作ったりしないようで、 会場にもポスターはなく、外から見たら、この体育館で何をしているのか全く分からないという 状態に驚いた。
 全日本ウエイトリフティングは、3日間行われ今日は2日目。昨日、我が社は男女で3種目に 出場し、2種目優勝、1種目が3位。今日は午前中に男子で1種目あり、我が社の選手は接戦の 末2位。午後は、男子94kg級に3人の選手が出場した。
 ウエイトリフティングは、スナッチとジャークの2種目があり、それぞれ3回の試技ある。 それぞれで順位がつき、2種目の記録を合計した記録で総合の順位も着く。1つの大会に 出るだけで、うまくいくと3つの賞状を手にすることができるのがおもしろい。
 試技順は、記録の低い人から順に始まり、人によっては3回連続の試技をしなければ ならない場合もある。連続試技の場合は、かなりきつい。
 94kg級は、我が社の佐藤くんが、接戦を制して優勝した。ウエイトリフティングは、 接戦の時に相手よりも1sでも上乗せできるかどうかの駆け引きが競技としてのおもしろさ 。接戦でない場合は、競技前から優勝する人はほぼ決まっているので、 あまりおもしろさはない。
 自分がトレーニングに関わった選手が優勝するというのは、自分が競技でいい成績を 残すのとは違った喜びがある。明日の3日目も多くの優勝者が出ることを期待する。

■2005年5月3日(火曜日)


平野家前にて
 大学の同期の家へ遊びに行った。場所は稲城。和光からはそれ程遠くなく、普通に 行けば車で1時間以内には行けるところだったが、連休中ということもあり、 渋滞にはまった。特にひどいところは、多摩川を渡る橋の手前。20分くらい 全く進まなかった。歩いた方がマシだと思ったが、車を置き去りにするわけにも 行かず、ジッと耐えた。結局3時間くらいかかって到着。
 同期の買った家は建て売りで新築。庭には、芝生があり、小さな子供が遊ぶには ちょうどいいスペース。自分の住んでいるところと比べると、広くてうらやましくなる。
 家は住宅地の中にあり、周りもまだ人の入っていない家が何件かあり、鍵の開いた 状態でモデルルームになっている。いくつかの家を覗いてみたが、内装は、ほぼ同じで 少しずつ庭や部屋の広さが違っていて、値段の差があるらしい。こういう新築の家を みていると家が欲しくなる。転勤やローンのことを考えると、いつ決断すべきなのか・・・ まだまだ家の購入は先になりそうだ。

■2005年5月2日(月曜日)
 臀部の痛みは全く取れず、ジッとしていても痛みを感じることがある。 昨日のドライブでは、腹筋に力を入れながらドライブしてみたが、大した効果は ない。
 痛みはあるが、2週間後にレースがあるためトレーニングは継続。 メニューはサーキットトレーニングと1000mと600mのウインドスプリント。 サーキットは先週より少しタイムが悪く、体の動きもよくなかった。
 1000mを走っても動きが悪く、気持ちよく走っているつもりでも、 疲労がすぐにたまり、全然気持ちよく走っていなかった。
 600mを走る前に、腹筋を長くやって腹周りを意識させてみたところ、 臀部の痛みが緩和し、ストライドも1000mの時よりも広がり気持ちよく走れた。 やっぱり腹筋は必要だ。

■2005年5月1日(日曜日)


和泉家全員集合
 夜は筑波で研究室の歓迎会があるというので、午前中に実家を出て、和光市へ帰った。 途中サービスエリアで子供の食事に2時間もかかり、予定よりも遅くなったため、 東名からそのまま首都高速に進みなんとか5時過ぎに和光へ着いた。首都高速は、 何度か渋滞に入ったが、進むのは速くそれ程気にならなかった。
 和光の官舎へ戻り、30分も休憩できず、すぐにまた車で筑波へ向かった。 歓迎会開始が19時からだと聞いていて、歓迎会のお店へ着いたのが18時半。 30分待っても誰も来ず、19時半近くになって先生が来た。その時に19時半 開始だということを知った。今日は関東インカレの壮行会が開かれていたようで、 集合時間を遅らせた連絡があったらしいが、自分は全く知らなかった。結局 会が始まったのは20時過ぎ。22時まで飲み食いして、途中で引き上げてきた。 帰ったのは11時過ぎ。車の走行は1日で約400q。軽自動車でこの距離は なかなか辛い。今までで一番長いドライブをした日になった。



[昔のいずみ]