最近のいずみ

Last Update:2005/7/31

パートタイムアスリートいずみ 5年目に突入!! 


■2005年7月31日(日曜日)


400mリレー



総合5連覇
 実業団2日目。昨日は1日で、4本も泳いだ選手もいて、かなり辛そうだったが、 今日は、出場種目も少なく、選手が泳ぐのも1時間おきで、ゆっくりと 競技を見ることができた。
 今日最も印象に残ったのは、連続出場選手の表彰。陸上競技の実業団では10年連続出場 で表彰されるが、水泳の実業団では40年連続出場の選手が何人かいた。他にも30年、 20年、10年連続という選手がたくさんいて、とても長い表彰式だった。室内での 競技なので、音響効果もあり、すばらしい表彰式だった。この大会は、年齢別に別れて いるので年齢別の標準記録が突破できればずっと出場できる。陸上競技では年齢別の標準記録が ないので、20年連続で出場する人は、ほとんどないのではないかと思う。年齢別に分けられて いるからこそ、年を取っても次の目標があり、連続表彰も目標になる。お腹の出た運動とは 縁のなさそうな選手もいるが、その選手もしっかりと標準記録を突破して参加している。 いろいろな境遇の選手が、それぞれに目標を持って参加できるすばらしい大会だと思った。
 我が社の成績は、谷口選手が200m自由形で優勝、最後の400mリレーが2位、 その他の選手も表彰台に登ったり、入賞するなどして得点を稼ぎ、総合100点で 総合1位となり、念願の5連覇を達成した。ちなみに2位のチームは2チームあり、 得点は62点で、圧倒的な差での勝利だった。2日間見ていて、我が社の選手の 強さが際だち、本当に気持ちの良い勝利だった。みなさんお疲れさまでした。

■2005年7月30日(土曜日)


谷口選手



400mメドレーリレー優勝
 日本実業団水泳競技大会が始まった。我が社はこの大会で4連覇中。今年は、主力の 木村選手が世界水泳に参加しているため得点力は低下している。チームによっては 20人以上の選手が参加しているところもあるが、我が社は8人という少ない人数で 5連覇に挑んだ。
 この大会は、年齢ごとに種目が別けられ、30歳未満を一般の部として、30歳以上、 40歳以上、50歳以上で区分されていた。我が社は一般の部での戦い。30歳以上の部では、 たくさんの知り合いが出場していてかなり楽しめた。
 イアン・ソープの着ているウエットスーツのような水着を着ている選手が いないかなぁと楽しみにしてみていたら、自分の元同僚が黄色いキャップをかぶり、 ソープそっくりな格好で100m自由形に登場した。彼は、50mまでトップで泳ぎ、 後半は、腕が水面より上に上がらなくなりそうになり、おぼれるようにしてゴール。 持久力のなさは泳ぐ前から想像していたが、彼に注目していた人は大爆笑だった。
 我が社の成績は、谷口選手が200m個人メドレーで大会新の優勝。米原選手は 200m平泳ぎで、予選・決勝どちらも大会新を出し優勝した。最後に400m メドレーリレーでも優勝し、その他の選手も全員が入賞し大量に得点を稼いだ。
 初日で2位以下のチームの倍近くの得点で5連覇にもかなり近づくことができた。 水泳は個人競技というイメージがあったが、みんなでチームをもり立てているところを 見て、チーム競技という気がしてきた。

■2005年7月29日(金曜日)


アクアウイング
 試泳のため、松本から1時間半かけて長野市にある大会会場 「アクアウイング」へ行った。会場へ着いたのは昼頃。昼食を 食べて、1時間もしないうちに選手たちは試泳し始めた。陸上競技では 食事をして1時間ではまだ走れないが、水泳ではこれが普通らしい。
 今日は何も仕事がないので、自分も選手と共にプールに入り泳いだ。 プールに入ってみると、プールの底に足がつかないことに驚いた。 普段使っているプールでは、最も深いところでは足はつかないが、 スタート台のある端の方は水面から肩が出るくらい水深が浅いのが 自分の中では常識だった。世界水泳を見ていてもゴールした選手が、 壁にしがみついて電光掲示板を見ている映像があったが、なんで あんなにしがみついているのだろう?と思っていた。壁にしっかりと つかまっていないと、水の上に顔が出せず、沈んでしまうからなのだ。 一つ賢くなった気分。一度体験してみないと理解できないことって たくさんあるんだろうなぁと思った。

■2005年7月28日(木曜日)


諏訪湖



選手と(谷口、和泉、小泉)
 我が社の水泳班支援で松本へ出張。週末に長野で行われる日本実業団 水泳競技大会へ参加のため松本駐屯地へ宿泊。職場を10時過ぎに 出て松本へ着いたのは4時近く。5時間くらいはマイクロバスに 乗っていた。今回乗ったマイクロバスは、力がなく、アクセルを完全に 踏んでも急な坂道では時速60kmくらいしか出ず、高速道路では、 周りの車に迷惑をかけていた。もう少し力のある車であれば、もう少し 早く到着できたのかもしれない。
 駐屯地到着後は、さっそく駐屯地のプールで泳いだ。プールは25m しかなく、コースロープも張っていないので泳ぎづらかった。壁は少し ぬるぬるしていて、通常は防火水槽として使っているような感じ。 駐屯地の隣が、金属を加工する工場らしく、金属を削ったときのにおいが 漂い、普通に呼吸をするだけで気持ち悪くなりそうだった。プールの水もその 影響があるようで、選手も少しプールに浸かっただけで上がってしまった。 この駐屯地で生活する人は慣れてしまって、それほど気にならないかも しれないが、長年この空気を吸っていたら、身体には何らかの影響が 出てくるような気がする。

■2005年7月27日(水曜日)


岩原高原
 大学の研究室の勉強会で新潟の岩原(いわっぱら)高原へ行った。勉強会の場所は、 アンビバレンスの夏合宿の時に宿泊する栄屋。2週間前の合宿には行くことは できなかったが、別の形で栄屋に来てしまった。
 今回の勉強会の内容は、2日間の予定で、修士課程と博士課程の研究の進行状況や 中間報告をすること。初日は修士課程1年生の発表で、トップバッターが自分。 今考えていることを話したが、いろいろと指導してもらい今考えている内容の 大半は変更しなければならなくなった。スポーツのパフォーマンスを考える 時には、何が最も影響を与えるかを考えて研究する方が受け入れられやすく、 それほど影響を与えないことを研究することは、受け入れられにくい。
 東京は気温が35度まで上がったらしいが、岩原は多少雨も降り、気温は 22〜23度。肌寒いくらいで天然のクーラー。高速道路も窓を開けて 走ってしまった。

■2005年7月26日(火曜日)
 世界水泳男子100m決勝は、北島康介選手が惜しくも2位だった。優勝した ハンセン選手は前半からリードし、最後まで先頭を譲ることがなかった。しかし 後半の北島選手の追い上げはすばらしく、ゴールでの順位はタッチの差だった。 ストロークの状態とタッチがうまく合えばひょっとしたら勝てたかもしれない。 50m平泳ぎの予選でも最後のタッチがストロークと合わなかった。最後の タッチの部分がもどかしい。

■2005年7月25日(月曜日)
 3ヶ月ぶりに平石クリニックで血液検査。先生と血液の話になり、 先生が血液で驚いたのは、アルピニスト、野口憲氏の血液の結果を 見たときだったと言っていた。それはヘモグロビンの値で、通常 男性は13.5〜17.6(g/dl)の範囲におさまり、なかなか16 以上の値を示すことはなく、トップアスリートでやっと16を超えるくらい なのに、彼は18.5という数値だったから。この数値であれば、 普通に考えればドーピングと言われてもおかしくない値。彼は、 1年のうちかなりの期間を高地で過ごしているため、自然にヘモグロビンの 量が増え、酸素運搬能力を向上させたようだ。
 先生はそれに付け加え、巨人の清原選手もヘモグロビンの値が18を 超えると言っていた。「彼も血の気が多いからねぇ」とコメントしていたが、 こちらは高地で生活しているわけではないのに、高いのだから、野口氏の 話よりも驚きだった。

■2005年7月24日(日曜日)
 昨日はエジプトのリゾート地でテロがあり83人が亡くなったという。木曜に ロンドンでテロがあったばかり。どこで何が起きるかわからない。
 ロンドンのテロの時には、ニュース番組は予定を変更して放送していたが、 エジプトのテロではニュースの一つとして取り上げるだけで、あまり突っ込んで 報道することはなかった。なんとなく、中東はテロがよく起こる地域で、また 起こったというだけの報道に見えた。しかし80人を超える人が亡くなったのだから ロンドンの事件よりもかなり深刻な事件で、もっと報道してもいいのではないか と思う。
 また、昨日は地震があったが、地震の報道も今日はほとんどなかった。あっという 間に忘れ去られる。関東では大地震が来ると言われ続けている割には、それ以上 突っ込んだ報道がないのも残念。こちらももう少し報道されてもいいではないかと 思った。

■2005年7月23日(土曜日)
 夕方関東地方ではかなり大きな地震があった。職場でも、建物がミシミシと 音を立てながら長い間揺れた。職場の施設や人には特に異状はなかったが、 テレビの中継では、鉄塔が倒れたり、車が立体駐車場から落ちたりしていた。 自分のいた地域は震度4。最も強かった東京都足立区は震度5強。数字だけでは どのくらいの違いかわからないが、とにかく地震は人間の力ではどうすることもできない。
 地震の後も、被害がなかったので通常の勤務だったが、都心では、電車が長い時間 動かなかったりして多くの人が困ったようだ。自分が困ったのは携帯電話が全く つながらなかったこと。こういうときは公衆電話があったらいいのにと思った。 以前は、職場にも公衆電話があったが、携帯電話の普及と共に公衆電話の姿は 消えてしまった。普段は携帯電話が便利だが、いざというときに利用できるよう 公衆電話はいくらかは設置して欲しい。

■2005年7月22日(金曜日)


測定中(井上謙二選手)



夕食はいかごはんと焼きそば
 バイオフォトニックスキャナーという測定機器の紹介があった。自分自身の栄養状態を チェックする世界初のツールで、青いレーザー光を手の皮膚表面に照射することで、 今の栄養状態がわかるらしい。よく話を聞いてみると、ネットワークビジネスで有名な ニュースキンの関係業者で、ニュースキンのサプリメントを売り込む一つの手段として 利用しているようだった。
 測定時間は約3分。機械から出ている青いレーザー光に手を置いてジッとしているだけ。 結果は、15段階で表示される。食習慣、サプリメント、ライフスタイルの3つの項目が 総合的に判定されるようで、自分の測定結果は、上から11番目。つまり下から5番目で、 栄養状態から言えば、果物や野菜が少ないというような結果。サプリメントは、あまり 摂らず、ライフスタイルは、タバコを吸っている人と変わらないという判定だった。
 最近は体調も悪く、あまりいい結果は臨めないと思っていたが、タバコを吸っている人と 変わらないという、考えている以上にひどい結果だった。しかもこの日測定した人の 中で最も悪かったということを最後に聞き大きなショックを受けた。
 この状態を解決する手段の一つとして、ニュースキンで販売しているライフパックを 飲むことを勧められるようだが、今回は特に勧められることはなかった。できれば、 野菜や果物をしっかり摂り、サプリメントに頼らずに栄養状態を改善したい。それが 自然なことだと思う。
 しかし今夜の夕食は、また運搬食。これでは、野菜や果物と言っている場合ではない・・・

■2005年7月21日(木曜日)


本日の夕食



花火
 今日から当直。当直に就いたときの楽しみといえば、食堂の食事。しかし、 今週は、当直に就いている4日間のうち、夜2回と朝2回は食堂で食事が出ない。 出ないときは運搬食。つまり演習の時に食べるようなパック飯や菓子パンなど。
 今晩の食事は4回の運搬食のうちの1回目。献立は肉じゃがのパックと白飯の パック。量が少ないため、食べると量が足りなくて逆に腹が空いてしまった。 貧しすぎる・・・
 今日は、朝霞駐屯地の納涼大会ということで、会場では、出店がたくさん出て、 外部の人たちが大勢来て、みんな飲んで騒いでいるはず。阿波踊りなど いろいろなイベントもあるので、かなり盛りあがったのではないかと思う。 いつもよりもお客さんが多かったという話も聞いた。タイミングの悪いときに 当直に就いてしまった。
 納涼大会のクライマックスは打ち上げ花火と仕掛け花火。仕掛け花火はナイアガラの滝 で、これは会場でしか見られないが、打ち上げ花火は、当直室からも見ることができた。 もの凄く近くで打ち上げているので、打ち上げの音が内蔵まで響き、花火をカラダで 感じることができた。納涼大会には参加できなかったが、花火を見ることができただけで 参加した気分になり満足。

■2005年7月20日(水曜日)
 スポーツマッサージ・ナズーへ行った。中田英寿選手のトレーナーの山本 さんは、先週イタリアへ戻ってしまったということで、今回は別のトレーナー にみてもらった。以前よりは、腿裏の張りは治まっているが、やっぱり芯のような 部分があると言われた。前回、鍼での治療を薦められたので、鍼をやってもらおう と思ったら、今回のトレーナーは、鍼ができない人だったため、結局マッサージと 低周波での治療になってしまった。多少楽にはなったが、芯といわれた部分の 改善まではできなかった。次回は、鍼のできる人を指名してもらって、治療を してもらおうと思う。

■2005年7月19日(火曜日)
 先月の神奈川県選手権初日以来、体調が悪い。最近は、走ると吐くことが多い。 先週土曜日は、4分/kmのペースで16kmを走っていたら、12kmくらいで 吐きそうになり走るのをやめた。ジョッグのようなペースなのに、吐きそうになる というのはかなりショックだった。
 また、最近はいくら寝ても眠気があり1日中眠い。なんとなく力が入ったまま 寝ているようで、朝起きたときに疲れが取れるどころか更に疲れていたりする。
 2週間前に医務室で血液検査をしてもらい、異常の有無をみてもらったが、 異常はないといわれた。今日は、朝から内臓の状態がおかしくずっと気持ち悪かった ので、職場の医師に状況を話してみたが、それだけの強度の運動をして気持ち悪くなる のは当然だと言われてしまった。十分運動できるじゃないか!!と。先生からすれば、 強度の高い運動かも知れないが、自分からすれば、低強度の運動で、普通じゃないと 説明したが、その後は、話にならなかった。
 医師の診断は、異常なしということなので、異常を感じている自分は、自分に対して どう説明をつけようか?と悩んだ。結局、自分で異常があると思いこんでいる時点で 病気になってしまっているという結論に達し、気にしないようにすることにした。 元気だぞぉ〜!!

■2005年7月18日(月曜日)
 1日中、子供と一緒に過ごすことができた。子供の食事は手づかみ、 嫌いな食べ物は口に入れてもそのまま吐き出し、気分が乗らないと まったく食べなくなり、食べ物で遊びだしてしまう。手を付けない 食べ物をいかにして気分を乗せて食べさせるかということが、最も 苦労するところ。好きな物に少しだけ混ぜたり、言葉でその気にさせたり・・・ バランス良く食事をさせるのはとても難しい。しかし、子供の気分に 妥協してしまうと、この先いろいろなわがままを通してしまうことに なるし、将来はキレる子供になってしまうと思い、ムッとする気持ちを おさえて、なんとか食べさせた。毎日3食、この状態に付き合う妻の 大変さを実感した。

■2005年7月17日(日曜日)


綾部選手
 ウエイトリフティングの国体選考会の応援に行った。県の代表選考会なのに、 次の関東の大会があり、選手として選考されるのは、関東の大会での結果に よるらしい。陸上では県の選考会で決定するので、ウエイトのシステムが よくわからない。
 妻が自動車免許更新のため自分が1日子供の世話をすることになった。 必然的に子供を応援に連れて行くことになった。初めは、体の大きな 選手ばかりで驚いたのか、静かにしていたが、慣れてくるといろいろと 動き回り、選手の試技を見ている場合ではなかった。
 今回の大会は、高校から一般までいろいろなレベルの選手が出場していた。 高校生と一般の選手、特に我が社の選手とのレベルの差は歴然としていた。 一日中練習できる環境に身を置けば、こんな風に変わることができるのかと 思った。

■2005年7月16日(土曜日)


水遊びをする母と子
 家族で公園に遊びに行った。子供が水遊びをするのを初めて見た。最近では、プール用の オムツがある。これで本当にお漏らしをしても大丈夫なのか?と思ったが、プール用と なっているのだから大丈夫なのだろう。見た目がやっぱりオムツなので、その上にズボンを 履かせて水遊びをさせた。
 子供は、噴水を触ってみようという動作はするが、少し水を怖がっているようで、 顔に水がつくのは特に嫌がっていた。
 天気は曇っていて、時折雷の音がしたが、蒸し暑さがあり、水の中に入るのは とても気持ちよさそうだった。

■2005年7月15日(金曜日)


スポーツ情報室



自分で合成した連続写真
 近代五種の選手が国立スポーツ科学センター(JISS)で測定とトレーニングを 行っていて、動作解析の説明を受けると聞き、一緒に参加させてもらった。
 動作解析の説明なので、近代五種の映像を撮っておいて、それを具体的に 説明してくれるのかと思っていたが、実際は、JISSにある器材でどのようなことが できるかという説明や動作解析ソフトの利用の仕方の説明だった。
 動作解析ソフトの説明では「Dart Trainer」というソフトの操作方法を学んだ。 このソフトは、映像を取り込むだけで、連続写真のような画像を作ったり、 別々に競技をしている2人の人を、一つの画面で同時に競技をしているように 合成できたりする。
 選手は、操作が難しかったと言っていたが、このソフトは、かなり手軽に 使えてフィードバックもすぐできるので便利だと思った。以前このソフトを販売する 会社の人が職場に説明に来たが、値段が100万円近かった。こんなソフトが、 JISSのスポーツ情報室のすべてのパソコンに入っている。うらやましい環境だ。

■2005年7月14日(木曜日)
 自分がトレーニングの一部を見ているウエイトリフティングの選手が、週末の 試合の調整で、試合時のスタート重量を挙げるというので、ウォーミングアップから 一部始終を見ていた。ウォーミングアップからスタート重量まで挙げるのに約20分。 一気に重い重量を挙げることは難しいので、少しずつ重量を挙げて本番の重量にしていく。 スタート重量といっても、試合では3回しか挑戦することができないので、ほとんど ベストに近い重量でスタートする。シャフトに付けるプレートがどんどん重なって シャフトがしなるくらいになる重さになる。選手の顔つきは、自分が普段 トレーニングで見ている顔とは全く違う。重量が重いだけに危険と隣り合わせ ということもあるためか、本当に引き締まった顔になっている。アスリートだなぁ と思う瞬間だった。

■2005年7月13日(水曜日)
 職場でジョギングをよくする人たちが集まって宴会をした。初めはジョギングの好きな おじさんたちの集まりだったので、マスターズ同好会という名前にしようとしていたようだが、 自分のようなマスターズにまだ入れない年齢が2人いたため、陸上競技同好会ということで、 発足会と称しての宴会だった。集まったのは12人。さらにジョギングをよくやっている人を 会員に加えようという話になり、名前を上げていったら全部で30人を超えてしまった。次回は 30人を超える大人数で宴会をやるのだろうか?とにかく、会を立ち上げたので、何か 目標を作ろうということになり、一部の人たちは筑波マラソンに参加することになり、 来年は駅伝にも参加することになった。同じ職場でも部署が違うので、これからは、同好会 のメンバーというだけで、業務の調整が円滑に行われるようになれば、走ることだけでなく、 仕事の面でもこの会を持つ意味が出てくるかもしれない。

■2005年7月12日(火曜日)
 今日も走ることができた。2日連続で走るのは、先月の県選手権800m以来3週間ぶり。 6000mのペース走を3分30秒/qの設定で走るつもりでスタートした。初めの1000mが 3分40秒、2000m以降は4分以上かかり、結局4000mで終了。ペース走なのに、 ジョギングよりも遅いペースになってきて、かなりの重症だった。コンディションは今が どん底。今後は、少しずつまともな状態に戻っていけるだろうと考えている。

■2005年7月11日(月曜日)
 9日ぶりに走った。この1週間は、運動する時間が少なく、少しウエイトトレーニングを したくらいだったので、走ることがとても新鮮だった。初めは、ゆっくりなペース走から 始めようと考えていたが、近代五種の監督に選手と一緒に走らないかと言われ、結局 選手のトレーニングに付き合うことになった。メニューは500m×10。休息は100mの ジョッグ。ずっと走っていなかったのにいきなりこのメニューは無理だろうとは思ったが、 選手が一人で走るよりも、人がいた方がいいということだったので、頑張ってみることにした。
 設定が1分33〜35秒ということで、いつもであれば、なんでもないペースだったが、 1本目から、かなり追い込まれた。体は重く、呼吸も荒かった。なんとか選手についていく という感じだったが、選手も6本目以降ペースが落ちてきたため、自分が先頭に出て引っ張る ことになってしまった。7本目の後半になると吐き気がしてきて、こらえながら走り、 なんとか設定通りでゴール。8本目も先頭で走ったが、残り150m程で吐いて、そのまま 何度か吐きながらゴールまでたどり着き終了。今までの競技人生で、これほど一度に 何度も吐いたことはない。体がトレーニングの強度に順応していない。無理をしているとしか 考えられない。逆にまだ追い込めるまで頑張れると考えることもできるが・・・。この 2週間の間に3度走る機会があったが、3度とも吐き気で具合が悪くなっている。これでは トレーニングができない。困った・・・

■2005年7月10日(日曜日)


クラリネット五重奏
 午前中は、大学院の課題作成。午後からは、朝霞駐屯地にある陸上自衛隊広報センターで 東部方面音楽隊の演奏があるということで、家族で聞きに行ったが、実際は、音楽隊の 人は一人しかいなかった。今回は、弦楽四重奏ということで、外部のプロの人たちが 集まりモーツァルトを中心とした演奏が行われ、後半は音楽隊の人がクラリネットで 入ってきて、モーツァルトの曲の中でも最も有名な曲の1つと言われる「クラリネット 五重奏」の演奏があった。子供は、演奏前には元気にしていたが、演奏が始まった とたん昼寝に入り、演奏が全て終わった後に起きた。帰るときには、受付の人たちが、 どうぞお持ち帰り下さいという感じで、いろんなパンフレットを配っていたようで、 うちの子供は、自衛官募集の受験希望のハガキをもらってきていた。まだ1歳なのに・・・
 演奏が終わった後もひたすら課題作成をして、なんとか課題を終わらせることができ、 すぐに課題を提出するために大学へ向かった。学校へ着いたのは夜の7時半頃だったが、 先生の部屋はまだ明かりがついていた。無事に課題は提出でき、8時からは、昨日まで 一緒に実習をやってきた仲間と夜の集中実習と称して打ち上げがあった。車で来ているので 飲むことはできなかったが、その場でいろいろと情報交換ができ、さらにお互いを 知ることができ、有意義だった。学生をしてるなぁという気分に浸れた。

■2005年7月9日(土曜日)


田口くんと(来年度は
ぜひうちのチームへ!!)







三澤夫妻
 午前中は、集中実習最後の発表会。昨夜は、子供が熱をまだ出したこともあって、 我が家の都合で、一人だけ早く帰ることになり、どんな状況になっているか わからなかったが、話を聞いてみると、朝の4時までやって、少し仮眠を取っただけ ということだった。みんなに迷惑をかけてしまった。発表資料作成には、関わること ができなかったが、その替わりに、別の班の発表の座長を引き受けた。座長は、 発表に対する質問がない場合には、質問が出るまで時間稼ぎをするための質問を しなければならない。かなり緊張して発表を聞いていたが、自分の担当した班は、 質問がどんどん出て、大混乱になりそうで、それをおさめる役目という感じで終了 した。この5日間は、学生として集中でき、新しいことをたくさん学べ、本当に 有意義だった。夏期休暇を早めに取らせてくれた職場の人たちに感謝したい。
 夕方からは、体育学校の後輩三澤くんの結婚式披露宴2次会に参加した。披露宴にも 招待されていたが、実習と重なったため参加できなかったのは残念だった。
 会場へ行ってみると、試合で会う顔ぶれと変わらず、日本のトップクラスの800m ランナーが集っていた。懐かしい顔もあり、近況を聞くことができてとても良かった。 三澤くんの奥さんも大学まで陸上をしていたということで、大学の友達が多く、 招待者のほとんどが陸上競技に関係していたという異様な集団だった。
 会場がダーツのできる飲み屋さんだったので、ゲームはダーツ。初めてやったが まったく的に当たらなかった。当たるとかっこいいが、当たらないと本当に格好悪い。 運動神経がないなぁと思った。それはともかく、三澤家は、ご近所さんなので、近いうちに 家族で食事でもしようと思う。2人はラーメン屋と温泉巡りが好きらしい。我が家と ラーメン屋巡りになるのだろうか・・・
 夕方からは雨が強く、東京23区では警報が出ていたようだ。久しぶりに駅から 傘をさし歩いて家まで帰った。帰る途中で本屋に寄り立ち読みをした。最近は、 全く本を読んでいない。読みたい本を時間を気にせずゆっくり読みたいなぁと思った。
 歩いて帰っている時に考えたことは、最近運動をしていないが、それだけではなく、 歩いていないということ。運動以前の問題。移動手段はほとんど車。仕方ないことだが、 どうやったら運動をすることができるのだろうかといろいろと考えてみた。結局 結論は出なかった。

■2005年7月8日(金曜日)
 実習の前半は木塚先生による筋電図についての講義。後半は、昨日までのデータ整理と そのデータを使ったプレゼンテーションの準備。
 筋電図というものは、筋繊維で起こっている微弱な電位変化を総合的にひろったもの だそうで、表面の筋放電を計測することが多い。しかし医者の行う筋電図は、髪の毛 よりも細い針の電極を体の中にいれて、深層部の筋放電を測ることを示すらしい。自分 たちは、被験者に針を刺すことができないので、必然的に表面の筋放電しか測れない。
 筋放電は運動が起こっていても他動的に動かすと放電量は少ないらしい。高齢者の リハビリでは、本人の代わりに人が体を動かしてあげることがあるが、それでは、 そのお年寄りは動かせるようにならないということを示している。本当に自分の 意志で動くようにしたければ、自分で動かす努力をしなければならない。
 現在、筋電を測定する器材は、狙った筋肉に電極を付けて、電極から測定器材までは コードでつながれている。しかし将来的には、電極から測定器材までを電波で飛ばすこと で運動が自由にできるようになるという。実際、蜂の動作の観察で、いつ運動しているのか など、1日の運動パターンを研究するのに、蜂の背中に筋電の電極をつけて無線で飛ばして 研究をしている人がいるらしい。小型化と無線化は技術的には可能なので、コスト面に 問題があるだけなのかも知れない。無線化できれば、今よりも手軽に測定でき、 筋電図が身近な測定機材になり、どこの筋肉を使って運動しているかということが 簡単にわかるようになると思う。 

■2005年7月7日(木曜日)
 一昨日やった実験のデータ処理の方法について学んだ。昨日は、苦労してデジタイズしたが、 そのデータにより、3次元のデータは、実際にスティックピクチャー(アニメーションのようなもの) にして、3次元で、いろいろな方向から運動を見ることができきる。自分の見たい方向から 運動が見られることに感動した。本当にデジタイズした甲斐があった。また別の運動で試してみたい と思った。しかし、これを専門にするのは、ストレスがたまり、体に悪そう。こういう計測については、 適度に付き合っていったほうがいい。

■2005年7月6日(水曜日)
 動作分析装置の操作法について学び、午後からは画像を見ながらデジタイズ。 デジタイズというのは、画像を見て、手、手首、肘、肩など、関節となっているポイントを マウスでクリックして、画面上の座標をデータとして取り込むこと。1枚の画面で、体の ポイントとなる25のポイントを取り込まなければならない。普通のデジタルビデオカメラ が1秒間に60枚の画像があり、高速度カメラでは1秒で250枚の画像がある。 たった1秒の動作でも相当な量のデータになる。それを一つ一つクリックして、データに するのだから、気が遠くなる。先生の見積もりでは、2次元の画像と3次元の画像の2つで 2時間あれば終わるだろうということだったが、自分は3時間かかってしまった。 途中で眠くなったり、イライラしたり・・・パソコンの画面とずっとにらめっこ はストレスがたまる。

■2005年7月5日(火曜日)
 今日から職場で夏期休暇をもらい、大学院の集中実習に参加。今回の実習は、スポーツ バイオメカニクス実験の実習。今日から5日間は、フルタイムの学生になる。
 実習の初めは、この道の権威と言われる阿江先生の話があった。先生は陸上競技を 中心に、いろいろな種目の動作解析をしている。最近のスポーツには、動作解析は 欠かせないもので、これを利用していない種目は、成績があまり良くないという話を された。例えば、男子バレー。最近の男子バレーはかなり停滞しているが、20年前と 今の選手は、かなり動きが違っているという。20年前と今を比べると、スパイクを するときのボールを打つ打点は全く変わっていないが、選手の身長は、かなり高く なっているらしい。つまり逆に言えば、選手のジャンプ力は20年前より劣っている ということになる。外国のチームのジャンプ力は上がって高い打点からのスパイクが 決まるのに対して、日本は進歩するどころか退化している状態。また、以前は、 コートの端から端まで、立ち三段跳びで行けた選手が大半だったのに、今では、 三段跳びでコートの端まで行ける選手が数えるほどしかいないという指摘もあった。  競技成績で良い結果をおさめている競技団体には、必ず大学院を出た修士や博士が スタッフとして入っているという話もあった。博士が関わっている柔道は、アテネの 結果をみればわかるし、その他、陸上競技、スケート、水泳なども、学歴の高い人 たちがサポートすることによってすばらしい結果を残している。現場と研究をうまく ミックスすることで、スポーツの成績を上げることができる。これから研究と現場の 両方を視野に入れていこうと考えている人たちには、やる気の出る話だった。
 午後からはさっそく実験が始まった。実験は、2次元と3次元の動作解析をするための 運動をカメラの前ですることだった。あらかじめ4,5人の班に分けられていたので、 各班で、2次元と3次元に使う動作を考えた。自分の班は、2次元がランニング、 3次元が野球のバッティングになった。やることが決まってしまえば、あとは撮影する だけ。実験は、それぞれの動作をたった2〜3秒するだけで終了。実験は準備が 面倒だが、実験自体は短く何でもないものだった。

■2005年7月4日(月曜日)
 子供の風邪は一晩寝て治ってしまった。流行りの夏風邪は、何日間か発熱が続き 大変だと聞いていたが、たった1日で治してしまうとは、なんと生命力の強いことか!! 昨日乗った救急車のことを覚えていて「ピーポー、ピーポー」とよく口にする。 外で救急車のサイレンの音が鳴るたびに口にする。元気になって良かった。健康という 状態は、本当にかけがえのないものだと思った。

■2005年7月3日(日曜日)
 子供が熱を出した。朝の4時過ぎに起こされて、すぐに病院へ行った。病院では、 最近赤ん坊にはやりの夏風邪だと診断され、ひきつけなどを起こした場合はすぐに 連れてくるように指示された。
 家に帰ってからは、子供は寝てしまったので、職場に行って学校の課題をひたすら作成。 午後になって、妻からメールがあり、子供がひきつけを起こし救急車で病院に運ばれたことを 知った。病院では落ち着いたようで、タクシーで家に帰るということだったが、心配だったので、 迎えに行った。今回のひきつけは痙攣がすごく、手足が紫になったようで、妻もパニックに なりそうだった。肝心なときにいつも自分はいないので、妻には本当に申し訳ないと思う。 病院から帰るときは、解熱剤を入れたおかげで、グッタリしながらもいくらか元気になっていた。

■2005年7月2日(土曜日)


マイルメンバー(3位でした)
 神奈川県選手権3日目。1500mに出場。
 予選は3組あり、3着までと4着以降タイムの速い者3名が決勝進出。申告タイムからすれば、 自分は、上位3名に入っているので、無難に走れば決勝には問題なく進めるだろうと思っていたが、 先週からの調子の悪さがどのくらい影響するかが問題だった。
 予選は、前半、適度なペースでレースが進み、後半は水曜日に一緒に練習した野澤くんが積極的に引っ張り、 自分は3番手をマークしながら走った。残りの200mはかなりきつくなり、最後の直線は4人で3着争い。 結局全員に競り負け4着。タイムは3分59秒74。このタイムは全体でも4番目のタイムだったため、 なんとか決勝には進出。しかし、着順で決勝に残れなかったことにショック。また、野澤くんにも 初めて負けてショック。
 走り終わった後は、吐き気がひどく、1時間半ほどは動くと吐きそうになり普通ではなかった。このまま 決勝は棄権するつもりでいたが、決勝までは4時間以上あいていたので、様子を見ることにした。
 決勝のウォーミングアップをする頃には、吐き気もおさまったため、一応決勝には出ることにした。 決勝は、徳地くん(中大)が引っ張ることがわかっていたので、どうせ走れないのであれば、ついていける ところまでついていこうと思い、スタートから先頭について飛び出した。しかしスタートしてすぐに ついていけなくなり、2周目以降は、どんどん順位を下げ最下位になった。そのままやめようか続けようか という葛藤があったが、ラストスパートすれば6位に入れる可能性が残っていたので、そのまま走り続けた。
 残り1周になって、ペースを上げていったが、抜けたのは2人だけ。最後の直線に入ってきたら、 吐き気がひどくなり、何とかこらえてゴールへ。フィニッシュ直前に一人にかわされ11位でゴール。 タイムは4分08秒56。社会人になって走った公認の1500mでは最も遅いタイムだった。
 以前であればジョギングのようなペースなのに、最後の直線で吐きそうになり、ゴール後は 吐いてしまい、自分の体がどうなっているのかわけがわからない。
 野澤くんは4位に入り、関東選手権への出場権を獲得した。2度続けて彼に負け、世代交代 という言葉が頭に浮かんだ。

■2005年7月1日(金曜日)
 職場のトレーナー室で、話をしているときに、レスリングの選手が目を真っ赤にして 鼻を骨折したと言って入ってきた。かなり鼻は腫れていた。彼は国立スポーツ科学センターで 行われた合宿に参加していて、ドイツチームの選手と練習をして、骨折したということだった。 骨折したときの出血は激しかったらしい。鼻が曲がってしまっているので、鼻の穴に割り箸の ような棒を2本突っ込まれて、鼻の形を元の状態に修正したという。この世の痛みではないくらい 信じられない痛みで泣いたと言っていた。それから何時間か経っているだろうが、まだ目は 赤い。そうとうな痛みだったのだろう。当分は、安静にするのかと思ったら、明日はドイツ人 やっつけます、と語っていた。凹んだ割には元気だ。困難な状態であっても、前に進んでいく 精神にまだまだ彼は伸びるのではないかと思った。しかし、少しの間安静にした方がいいようが 気がする。



[昔のいずみ]