最近のいずみ

Last Update:2005/8/31

パートタイムアスリートいずみ 5年目に突入!! 


■2005年8月31日(水曜日)
 我が家の電話は、妻と自分がそれぞれ携帯電話を持っているだけで固定電話は 持っていない。最近は、こういう世帯も多くなっているのではないかと思う。 職場や地域で、連絡網というものが作られ、何か緊急なことが起きたときには、 その連絡網で情報を伝えるということになっている。しかし、地震が起きたときには、 すぐに通話制限になり、携帯電話ではつながらない場合が高い。そういったときに どうやって情報を伝えたらよいのだろう?と思った。メールであれば、つながるの だろうか?あとは、災害用の掲示板?それ以上の考えが浮かんでこない。今のところ 連絡網では携帯電話の番号だけが載っている。将来的には、2次的、3次的な手段まで 考えた連絡網を考える必要があるのではないかと思った。

■2005年8月30日(火曜日)


160Gのハードディスクでした
 やっと壊れたハードディスクのデータが戻ってきた。先週戻ってきた自作の ケースに入ったハードディスクは、パソコンが認識しなかったが、今回は メーカーの外付けハードディスクで、パソコンへUSBを差し込めば、 インストールなしで認識するとパッケージに書いてあり、全く問題なく データを読み込め、2週間ぶりに自分の元へ戻ってきた。
 業者からは、発送したという連絡もなく、こちらから問い合わせて やっと答えるという状況で、商売をしているとは考えられない対応だった。 ホームページだけを頼りにして、業者を選んだので、実際のところは、 どんな業者かは全くわからずに依頼することになった。目に見えない部分が 多いので、一歩間違えば、詐欺にあっていたかもしれない。
 今後は、インターネットにより、ますます相手の顔を知らずに いろいろなやりとりをする機会が増えてくると思う。一歩間違えば、 詐欺にもあうということをよく認識しながら、自分の側だけは、顔の わからない人であってもきちっと対応するようにしたい。

■2005年8月29日(月曜日)
 5日ぶりにトラック練習。メニューは800m、600m、500m。休憩は10分で、 8割くらいの力で楽に走るのが目標。最近は、8割で走っても全力で走ってもあまり 変わらず、楽に走るということができていないので、少しでも楽に走るという感覚を 取り戻したかった。
 800mは、気持ちよく走っていたつもりが後半は手足がしびれ、全力と変わらない 状態になってゴール。タイムは2分01秒2。速すぎて、全力と変わらないタイムだった。 次の600mまでの休憩中は呼吸は治まらず動けなかった。
 600mは8割という力も出せず、惰性で走った。後半はペースがかなり落ち、残りの50m くらいから吐き気におそわれ、ゴール手前で吐きながらゴールした。
 400mは気持ち悪さが抜けない状態でスタートし、6割くらいのスピードでそれ以上 上げられなかった。ほぼイーブンペースで走ることができ、それほど体には負担がなかった はずなのに、ゴールをしてまた吐いた。
 今日は2度も吐き、胃の中がおかしい。追い込む練習ではなく、気持ちよく終わる 練習だったのに、予定通りには行かなかった。8割という感覚をつかむまでは、まだまだ 時間がかかりそうだ。

■2005年8月28日(日曜日)


それぞれの子供と
 中学の同級生と家族同士で食事。同窓生のホームページを介して、 久しぶりに連絡をとり、お互い近所に住んでいることがわかった。 高校は別々の学校だったため、高校時代は1,2度しか会っていない ので、13,4年ぶりの再会。中学の頃は、自分より友達の方が身長は高かったが、 今では自分の方が高くなっていた。お互い大学を卒業し、就職し、結婚し、子供も できた。それぞれ違う人生を歩んでいて、連絡をとることもなかったが、この 同窓生のページを介してつながりができた。改めてインターネットは便利なツールだと 思った。

■2005年8月27日(土曜日)
 久しぶりに防衛大学校へ行った。体育の先生に用があったが、陸上部の指導を している後輩にも会うことができた。今日まで陸上部は合宿だったらしい。 大学へ着いたのが昼ごろだったので、練習が終わっていて、学生に会うこは できなかった。
 環八通りが予想以上に渋滞し、片道2時間半以上かかった。帰りも同じくらい かかり、往復5時間以上。子供がチャイルドシートでジッとしていられず、 何度も「降りる」を連発していた。親の都合につきあわされる子供はかわいそうな気がした。

■2005年8月26日(金曜日)
 読売新聞のWEBニュースに「超怪力の5歳児、52キロ持ち上げる」という記事があった。  この子供は、身長1メートル06、体重も18キロ足らずの普通の5歳児だが、 「力持ち」とのうわさを聞いて駆けつけた体育学校コーチの目の前で52キロもの重りを持ち上げて見せたとか。普通の5歳児では6キロ程度を持ち上げるのがやっとらしい。 体育学校の採用は小学6年生だが、まれに見る重量挙げの奇才ということで採用が決まり、 今後は、選手としての専門訓練を受けることになるらしい。
 この記事では、子供の怪力にも驚いたが、中国のスポーツにおけるエリート教育が ここまで進んでいるのか!!と驚いた。才能があれば5歳児でも採用する。子供は、 まだ自分の意志もしっかりしているとはいえないのに、もう進むべきレールが 敷かれてしまっている。この年齢から専門的なトレーニングができるのだろうか? という疑問もある。とにかく、中国のスポーツは日本では考えられないようなことが 普通に行われているようだ。

■2005年8月25日(木曜日)
 甲子園で2連覇した駒大苫小牧高校の暴力事件がニュースでも連日取り上げられて いる。学校側と生徒側の意見は食い違い、議論は先に進んでいない。学校側は謝罪を したようだが、暴力を受けた側はそれだけでは納得がいかないと思う。
 昔だったら、先生が生徒を殴ってもそれは仕方ないとして、見過ごされていたこと だが、だんだんそういうことが問題になる風潮になってきた。今回は、生徒側の言い 分からすれば、完全ないじめだが、先生によっては愛情を持って、叩くということも あるかもしれない。しかし、愛情を持って、叩くということも今ではできなくなり、 言葉で叱っても、相手の捉え方により言葉での暴力と言われてしまう。学校の先生は なにも生徒に口出しできず、生徒は野放し状態になり、授業が成り立たない学級崩壊 という状況になる場合もある。
 先生の指導力不足ということがささやかれているが、先生をそういう状況に追い 込んでしまうのは、生徒に何も口出しできないという環境にも原因があると思う。 また生徒の父兄は、自分の子供をしっかりと育てられず、それを学校の責任にして いるような気もする。

■2005年8月24日(水曜日)
 アンビバレンス練習会。練習は短距離と一緒に200mを7本。5分おきに 25秒台の設定で走った。ハムストリングスの痛みがまだあるため、25秒台と いう設定は速すぎると思っていたが、走ってみたら意外と楽に走れた。スタートは 自分の加速が悪いため、短距離の選手に離され、いい気分ではなかったが、後半は 気持ちよく走れ、ゴールをしてみると設定通りのタイムだった。結局7本中6本は 25秒台で走れた。
 真剣になって短距離の選手を追って、ピッチを合わせてみたが、ストライドや 進む距離が全然違い、どんどん離れてしまう。足の接地時の地面の捉え方が全然 違うことを実感した。これは人それぞれ違うのだろうが、自分も短距離選手まで いかないにしても、もう少し前に進むように改善したい。

■2005年8月23日(火曜日)
 自衛隊中央病院へ先々週の血液検査結果を聞きに行った。予約をしていなかったので、 診療開始の時間に病院へ行き、1番に手続きをしたが、結局2時間半も待ち、診察が 終わったのは11時を過ぎていた。
 診察は、前回と同じく、鼻からファイバースコープを入れ、喉の状態を診ること から始まった。2度ほどむせたためそのたびに入れ直すのが辛かった。この感覚は、 もう体験したくない。先日診た時にあった潰瘍はなくなり、今は正常な状態だった。 血液検査も問題なし。ただしヘルペスの値が少し高めなので、再発する可能性はある ということで、再発したときにはまた来るように言われた。先生の話し方からは、 とても気軽な病気に聞こえた。もう再発は勘弁して欲しい。
 午後からは、大学へ行った。まずは、7月の実習で得られたデータが、 ハードディスクが壊れたために自分の手元になく、課題提出期限が迫っているのに 何もできない状態なので、同じ班だった人にデータをもらいにいった。そして、 やり残した処理をして、なんとか課題に取り組める状態にした。
 次に、自分の研究室で、1学期の成績と2学期の履修届ができているか確認。 頑張って通った割には、1学期で完結する授業が少なかったため単位が取れたのは 4単位だけ。単位の取れているはずの授業が履修中のままになっているものもあり、 よくわからなかった。
 1ヶ月半ぶりに筑波へ来たが、その間にも通学経路の風景がどんどん変わっていた ことに驚いた。明日からは「つくばエクスプレス」が開通し、つくばと東京が随分 近くなるという。つくばエクスプレスの駅近辺の住宅や道路の整備は急ピッチで 進んでいる。便利になれば、土地の価値も高くなってくるのだろう。今が一番の 買い時なのかもしれない。



大学から見た筑波山 (滝のような雲がかかっていた)

■2005年8月22日(月曜日)


問題の外付けハードディスク
 壊れたハードディスクが業者から戻ってきた。復旧したデータはDVDに焼いて 返ってくると聞いていたが、戻ってきたものは、外付けのハードディスクだった。 この外付けのハードディスクは、自作のものだった。初めは自分で 作らなければならないのかと思ったが、もうできあがっていて、パソコンに 接続すれば、そのまま使えるようになっていた。
 USBを接続すると、パソコンが認識して勝手にドライバをインストールし始めたが、 途中で「インストール中に問題が発生しました」という表示が出てしまい、結局この ハードディスクは認識されなかった。何度もチャレンジしたが同じ状態になったので、 家のパソコンに問題があると思い、先週来たばかりのノートパソコンに接続して 確認してみた。しかし同じ表示が出て認識できなかった。明日にはデータが必要で、 なんとか間に合ったと喜んでいたのに、結局データを手に入れることができなかった。
 これでは30万円というお金を払った意味がないので、業者へ電話してみたが、 業者が接続したときにはきちんと認識しているので、運送の問題ではないかと言われた。 自分のところの責任でなく、宅急便の責任だというので腹が立った。宅急便もしっかり と精密機器という張り紙をして持ってきているのだからそんなはずはないだろうに・・・
 ハードディスクには問題はなくケースの問題だろうから、ケースを自分で買って 作り直すか、直接デスクトップのパソコンに入れれば問題は解決するだろうという ことだった。費用は、データを抽出するだけの費用で、それを除いて全て無料と 言われたのに、自分で物を買って作らなければならないというのにまた腹が立った。 業者のホームページでは、運送中に問題がないように梱包にも独自の方法をとって いると書かれていたが、実際には、そのような梱包はしていなかった。データは ハードディスクの中に入っているので、戻ってきていることは確かだが、自分で 取り出せなければ意味がない。この業者は詐欺をしているのではないかと思う くらい腹が立った。
 最終的には、着払いで送られてきた物を送り返してチェックしてもらうことで 決着した。明日は、ハードディスクを持ってきた宅急便にお宅の責任にされて ますよと一言言おうと思う。

■2005年8月21日(日曜日)
 1ヶ月ぶりに何も予定のない休みになった。この1ヶ月の土日がすべて勤務で、 子供に会う機会も少なく、家族サービスは全くしていなかった。今日は家族で どこかへ行こうということになり、結婚式をした晴海トリトンスクエアへ 出かけることにした。
 晴海トリトンスクエアは、結婚したころにあった店がいくつかなくなり、 別の店になっていた。また、当時は植えたばかりの木が、今ではずいぶん 大きくなっていた。3年も経つといろいろなものが変わっている。自分の仕事の 内容は変わり、自分の元にはもうすぐ2歳になる子供がいる。時の流れを 感じるひとときだった。

■2005年8月20日(土曜日)


予選(最後の直線)




決勝(550m付近で2番手)




体育学校の與儀くんと

 関東選手権に出場。最近は、練習どころではなかったので、走れるわけはない と思ったが、気持ちでそう思いこんだだけで体は動かなくなるので、あまり気にせず レースに望んだ。
 800mは今年も予選と決勝のみで、予選の1着と、2着以降タイムのいい3人が 決勝へ進出できた。予選は、同じ組に神奈川県チャンピオンがいたため、決勝に 残るには、タイムで拾われるしかないと考えていた。とにかく最低2着だ!!と。
 予選1組が終わり、上位4名が自分のシーズンベストより上のタイムで、着順は 1着でないと決勝進出がきびしくなったが、あまり気にはならなかった。
 自分の走った3組目は、神奈川県チャンピオンがレースを引っ張るものだと 考えていたが、実際は、引っ張らなかったので、ペースはそれほど速くなく、 自分は3番手について1周目を56秒台で通過。神奈川県チャンピオンが 2周目に入って先頭に立ったが、あまりペースは上がらなかった。
 1周目のダメージは予想よりも少なかったので、残り300mからスパートを かけて逃げられるだけ逃げてみようという気持ちになり、そのまま実行した。 600mまではついてくる選手がいたが、それ以降は後ろの選手の足音が 聞こえなくなった。最後の直線になっても、意外とリラックスして走れ、 ゴールまで気を抜かずシーズンベストが出ると確信して走り抜いた。結果は 1分53秒97のシーズンベストで1着。決勝進出も決定してしまった。
 練習はできていなかったのに、予想外にいい走りができてしまった。疲れもないので 決勝も走れそうな気がしていたが、決勝は最下位の8位。500m通過までは 予選と同じ展開だった。優勝者が残り300mからスパートし、最初にそれに反応し、 2番手で彼を追ったが、550mくらいで力尽き、全員に抜かれてしまった。 レース展開は思い通りだったが、練習ができていないので、2本目は持たなかった。
 これだけ走れない状態でシーズンベストが出たので、大きな自信になった。 次は9月末の全日本実業団。もう一度シーズンベストを更新したいと思った。

■2005年8月19日(金曜日)
 朝から頭痛。この1週間は毎朝具合が悪い。火曜日には1度吐いたが、その後も 毎日程度に違いはあるが、気持ち悪い日が続いていた。今朝は気持ち悪くはなかったが、 その替わりに頭痛。
 昨日までの気持ち悪さは朝だけで、出勤してしまえば知らぬ間に治っていたが、 今日の頭痛は職場にいる間も続いた。
 先週の喉の関連か?、今週のハードディスクに関連するストレスの影響か?、はたまた 自分の認識していない未知の病気でもあるのか?自分の体が今までとはちょっと違うので、 気持ちもちょっと不安定。いつまで続くのだろうか?

■2005年8月18日(木曜日)


4年ぶりの新品ノート
 新しいパソコンが届いた。機種はPanasonic のLet's note。Panasonic製は 6年前に同じLet's noteを中古で買って使っていたが、携帯性に優れ、バッテリーの 持続時間が長いところがいい。以前買ったLet's noteは重量が2kgだったが 今回は約1.2kg。本体の重量だけでなくアダプターもかなり軽量化した ところがさらにいい。
 大手のパソコンは、付属するソフトが多く、いらないソフトもたくさん入って いるが、Let's noteはほとんど入っていない。自分で必要なソフトを入れな ければならないが、必要なソフトは手元にあるので、必要のないソフトで ハードディスクの容量を食うというストレスもない。
 今回壊れたノートパソコンは、サムスンの韓国製で、使用2年くらいで、画面と キーボードのつなぎ目が壊れ、本立てなしでは使えない状態になってしまった。 そして、半年くらい前からは、アダプターとの接続部の接触が悪くなり、電源が 入らなくなったり、突然電源が切れるようになり、終了の時に「Windouws Me」の 画面のまま終了しなくなったりした。いつかは買い換えなければと思いながら、 延ばし延ばしにがんばってきた。今回は日本製。こんな不具合は生じないと信じている。
 大学院へ入学したら、新しいノートを買おうと考えていたが、結局買ったのは、 研究室へ備え付けのデスクトップ。そして昨年末は、テレビが壊れたので、家にも テレビ兼用のデスクトップを購入ということで、この1年で3台も新品のパソコンを 買ってしまった。最後に買ったノートはデータ復旧も加えると、50万円を超える 高い買い物になってしまったが、データのバックアップという教訓を得た。もう 二度と同じ失敗は繰り返さないようにしたい。

■2005年8月17日(水曜日)
 ここ何年か小説を読んだことがなかったが、なんとなくインターネットを見ていて 目に留まった小説を読むことになった。その小説とは佐野良二という人の書いた 「われらリフター」という作品。ある図書館の司書をしている運動音痴な男性が、 たまたま女性と腕相撲をして全て負けたことから、身体を鍛えるためにトレーニングを 始めたことにより、いろいろな人々との出会いを通して、ボディービルに 目覚め、最後にはウエイトリフターとして大会に出るまでの出来事をつづった内容。
 インターネット上の読み物なので、プリントすると紙がもったいなく思い、 パソコンでそのまま読み続けていたら、一気に最後まで読み切ってしまった。 A4の紙にして63枚。小説としては短いが、一気に読んでしまおうとすると結構 長かった。普段はノンフィクションの読み物しか読んでいないので、いろいろな 人物の感情が交錯する小説はとても新鮮だった。たまには小説を読んで、頭の 中でいろいろな感情や状況を擬似的に経験するのも大切だと思った。 

■2005年8月16日(火曜日)
 朝食後歯を磨いていたが、突然気持ち悪くなり吐いてしまった。なんで吐いたのかは わからないが、それで吐き気は治まり出勤はできた。先週の喉の痛みの関係か、それとも、 昨日のハードディスククラッシュのショックの関係か、いろいろストレスはあるのかも・・・
 昼前にはかなり大きな地震。テレビでは和光市は震度3の表示が出ていたが、宮城県では 震度6弱という表示になっていた。最近本当に地震が多い。関東でも大きな地震がくると 言われているが、関東周辺ばかりに大きな地震がくる。来るべき日に備え、我が家でも しっかりと地震の対策をしなければ、 と思った。
 昨日ハードディスクはクラッシュしたということでデータ復旧は不可能と言われたが、 インターネットで調べてみた結果、修復は可能であることが判明した。そしてネット上で 見つけたある業者に電話をして、データの修復を依頼することにした。メールで何度か やりとりし、最終的に修復するのにとんでもない金額が見積もられた。値段は税別 283,290円。見積書を見たときには桁が1つ違うのではないかと疑った。他の業者の ページをいくつか見てみたが、それくらいが相場らしい。なくしたデータの価値と 金額のを天秤にかけ、悩んだ結果、修復することにした。必要なデータというのは それほどないが、なければ困るものもあるので、仕方なかった。あまりにも高いので 業者にディスカウントしてくれと頼んでみたら、消費税分だけ引いてくれるという 回答が送られてきた。無理だと判っていても言ってみるものだ。 

■2005年8月15日(月曜日)


問題のハードディスク
 普段使っているノートパソコンが動かなくなった。朝、最初に電源を入れたときには、Windouws Meと表示され、その表示のまま動かなかった。いったん強制終了し、もう一度電源を入れてみると、電源は入り、冷却ファンの動く音はするがハードディスクがまったく動かなくなり、画面は真っ暗のまま。これはおかしいと思い、もう一度強制終了し、電源を入れ直したが、同じ症状。
 自分ではどうすることもできず、パソコンの専門店へ持ち込んでみたが、ハードディスクが動かない時点で、ハードディスクがクラッシュしたと推測され、ハードディスクの中身を新品と入れ替えれば、パソコンの復活は可能だが、データの修復は無理だと言われ、ショックを受けた。
 バックアップの必要性がよく言われるが、最近データのバックアップをしておらず、必要なデータが一瞬にして全部無くなってしまった。
 ハードディスクを入れ替えてパソコンを復旧するのに6,7万円はかかるということで、思い切って新しいパソコンを買うことにした。欲しいノートパソコンは元々頭の中にあったので、すぐにヤマダ電気へ買いに行ったが、その日に2台売れて、周辺の店にも1台もないということであきらめて家に帰った。その後、価格の比較サイトで一番安いお店を見つけてその場でインターネットショッピング。メモリを1Gに増やして値段は23万円ちょっと。前のパソコンが使えなくなるのは残念だが、新しいパソコンをやっと購入することができた。

■2005年8月14(日曜日)
 木曜から当直勤務で、やっと最終日になった。この4週間で3度土日に当直を している。家にはほとんどいない。その間に喉が痛くなったが、やっと痛みがなくなった。 食事も普通に食べられるようになり、普通に食べ物が喉を通る幸せを感じている。しかし、 ここ2,3日は、食べたものがなかなか消化せず、胸やけがひどい。薬で胃を悪くした のではないかと考えているが、飲まなければ喉の具合は良くならない。薬はその効果と その副作用を天秤にかけてみなければならない。

■2005年8月13(土曜日)
 世界陸上は男子マラソンが行われた。日本は尾方選手が3位で銅メダルを獲得し、 優勝候補とされていた高岡選手が惜しくも4位に入賞した。
 高岡選手、入船選手は前半から積極的に集団の前方についていたが、尾方選手だけは、 集団の後方で自分のリズムを崩さず走っていた。できるだけエネルギーを節約して 走っているように見えた。前回は12位だったことでかなり考えた走りをしているなぁ と思った。結果としては銅メダルを獲得できたが、あまり攻めの走りではなく、 どちらかといえば、高岡選手の方が攻めの走りだった。結果を出すための走りというのは、 積極性があってもうまくいかないのだなぁと思った。高岡選手はいったん8位まで 順位を落としたが、最後は4位まで順位を上げ、すばらしかった。また、いったんは50位 くらいまで順位を落としていた奥谷選手は、最後に14位まで順位を上げ来たのには驚いた。
 ヘルシンキのコースは、1度歩き回ったことのある地域なので、映像を見ていると 懐かしい場所がたくさんあった。空からの映像を見ていると、本当にきれいな街だった。

■2005年8月12日(金曜日)
 為末選手に続くメダルは、男子棒高跳びの澤野選手が獲得するだろうと思っていたが、 澤野選手は残念ながら8位入賞にとどまった。5m50cmを1回で跳び、これは行ける、 と映像を見ていた誰もが思ったはず。しかし5m65cmは、3回失敗してしまった。 結果から見れば、5m65cmを1回で跳んでいれば銅メダル以上だった。自己ベスト と同じ記録であれば金メダルだった。気象条件でこの種目の記録は大きく変化する。 優勝候補に挙げられていた選手が早々と脱落していくのを見て、決勝に残れれば、誰にでも チャンスのある種目なのではないかと思った。たまたま跳べなかっただけで、跳べる可能性も あったのだから、今後もメダルの狙える選手には違いないと思った。是非次回は自分の納得 のいく結果を出してもらいたい。

■2005年8月11日(木曜日)
 為末選手が銅メダルを獲得した。前半からいつものように攻めていき、300mの 通過時点ではトップ、その後失速し始めたが、なんとかこらえて、最後は3位争い。 執念のフィニッシュでアメリカの選手をおさえた。
 テレビではラストサムライと名付けられていたが、まさにそんな感じだった。 レース前から周りの選手の状態を感じ、自分の気持ちをプラスにどんどん持ち上げ、 集中させていた。集中しているが周りがよく見えているという、一番いい状態 だったのではないかと思う。若い選手が動揺しているのがわかったというが、 相手の心も読むくらいの勢いは、まさにサムライと言える精神状態だったのでは ないか。テレビでは「武士道」という本を持っている映像が映っていたが、 競技だけでなく、こういった本からもいろいろなことを学んでいるのだろう。 準決勝のときもそうだったが、結果を出したいという気持ちやイメージが、 本当にそれを実現させる力となったのだと思う。

■2005年8月10日(水曜日)
 自衛隊中央病院で昨日と同じところを診察してもらった。喉の痛みは昨日の 夜がピークで、それよりは痛みが治まっていた。昨日と同様鼻からカメラを入れて 喉を確認してもらい、写真で見た白いものが相変わらずあることが確認された。
 先生の診断はウイルス性のものということだった。隣で診察していた先生も 来てカメラを覗いてウイルス性のものということを確認しあっていた。2人の先生が 言うのだから間違いないと思い、安心した。医務室で出ている薬をそのまま飲んでいれば、 痛みはだんだん治まってくるということだった。残りの薬が少ないので、新しく 処方してもらったが、処方してもらった薬は、以前具合が悪くなったものだった。 もらった後なので、替えてくれと言えなかった。あす職場の医務室で替えてもらおう。
 今日診察してくれた先生は、自分のことを見て、「陸上やっているよね?800m 走ってた?」と尋ねてきた。なんとなく新聞か何かで見覚えがあったようで、本当に 驚いた。自分の知らない人が自分のことを見てくれていて、そういう人がたくさん いるのかもしれないと思うとうれしくなった。

■2005年8月9日(火曜日)


カメラで撮影された潰瘍?
 木曜から痛みの続いている喉の状態が悪化した。寝ているときに喉の痛みで 目が覚め、痛すぎてツバが飲み込めなかった。うがいくらいしか対処の方法がなく、 我慢して寝たが、朝になっても辛い状態が続いた。食事もまともにはできず、この ままではまずいと思い、耳鼻咽喉科へ通院した。午前中10時過ぎに病院へ着いたが、 診察が受けられたのは1時過ぎ。自分の番がいつ来るかわからず、つらい3時間だった。
 診察では、鼻からカメラを入れて喉の中を確認し、カメラで撮影もした。診断は 具体的な名前は出ず、普通はあまりできないところに白いものができていて、 ウイルス性のものかもしれないし、免疫性のものかもしれない と言われた。治すのに時間かかかりそうでしっかりと精密検査をして、よく話し合って 治療を進めていかなければならないということだった。
 先生の話し方がとても慎重な感じだったので、これはかなり重症なのではないかと 思ってしまった。免疫性のものって何だろう?ひょっとしてガン?ということまで 考えてしまった。とにかく精密検査を受けることから始めた方がいいということで、 あすは我が社の病院へ行って検査してもらおうと思う。

■2005年8月8日(月曜日)
 世界陸上男子400mハードルでは為末選手が決勝へ進出した。前半から飛び出し、 いつもの攻めの走りをしていたが、後半はのびなかった。着順で2着以内が決勝進出 だったが、着順は4位。どうなるかと思ってみていたが、最終組が終わって2着以降の タイムで2番目。決勝進出8名の中にギリギリ入った。執念というか、なんとか 決勝に残りたいという気持ちが決勝に進出する力になったのではないかと思う。
 うちの大学の成迫選手は残念ながら決勝には進めなかった。彼も最後まであきらめず、 組で3着になったが、タイムでは拾われなかった。来年はアジア大会、そして再来年は 大阪で世界陸上がある。これから伸びる選手なので、今後に期待したい。

■2005年8月7日(日曜日)


駐屯地で出された朝食
(カップラーメン・・・)
 富士登山駅伝がテレビで放送されていた。今回から、一般の部と自衛隊の部が設けられ、 一般の選手も優勝の喜びを味わえるようになった。一般の部は大学勢が上位に入ってくると 予想していたが、上位へ来たのは前半だけで、後半はどんどん順位を落としていった。最後に 残ったのは山梨学院大学。前半は上位にはいなかったが、後半盛り返して一般の部で初優勝を 飾った。
 自衛隊の部は滝ヶ原自衛隊が連覇。3月まで体育学校所属だった宮原くんが ゴールデンルーキーと呼ばれていた。とても力のある選手だったが、体育学校時代は ケガが多く、なかなか試合には出られなかった。こうやってテレビの中で走っている 姿を見るととても頼もしく見えた。他にも自衛隊関係者でない知り合いが走っている 姿が映りうれしくなった。みんなそれぞれの道で頑張っているなぁと思った。

■2005年8月6日(土曜日)


職場から見えた朝霞の花火
 世界陸上が開幕した。女子3000m障害では早狩さんが日本記録を17秒更新する すばらしい記録で、決勝に進出した。レース前の持ちタイムは後ろから2番目。決勝に 残れるとは考えられないタイムだった。
 いつも試合で会うと、頑張れ、と声をかけてくれるいい先輩で、競技は、仕事として やっているわけではなく、大学の職員として仕事をしながら競技を続けている。自分と 似たような境遇なので、こういう先輩が頑張っている姿を見ると本当に頑張ろうという 気持ちになれる。決勝でも更に記録を更新し上位へ行って欲しい。

■2005年8月5日(金曜日)
 昨日から喉が痛くなり、少しずつ痛みが強くなり気になっている。昨日から 当直について、エアコンをかけた中で寝ていたためにひどくなったのかと思ったが、 熱が出そうな感じもなく、ただ喉が痛い。駐屯地の売店で喉の薬を買ってみたが、 なんとなく効いた気もするが、それ程変化のないような気もする。明日は医務室へ 行ってしっかり診てもらおう。

■2005年8月4日(木曜日)


フィリピンのヒラタクワガタ
 最近、カブトムシやクワガタのブームが起きていると聞いていたが、自分の職場でも 知らないところで大ブームが起きていた。職場の後輩が、机の脇に虫かごを置いていたので 何かなぁ?と思って覗いてみたら、大きなクワガタが入っていた。昨日買ったばかりで、 値段は4000円ほど。とても安い買い物だったと言っていた。彼の買ったクワガタは フィリピンにある島で取れたヒラタクワガタらしい。
 クワガタを飼っているのは、一人だけでなく、職場ではかなりの人が飼っているという 話を聞いた。ある人は、ブリーダーのように120匹も飼っていて、エサをやるのに1日 2時間もかけているらしい。エアコンもクワガタのためだけに使っているとか・・・
 朝霞には、全国でも有名なブリーダーがいて、あるマンションの一室が虫かごで埋まっていて 全国からお客さんがやってくるらしい。後輩も昨日その店へ行って飼ってきたらしいが、 値段の高いものだと1匹が何万とするらしい。店に行ったときに、別の客は、いくつも 買って何万という金額を払っていたと聞いた。
 外国から直接日本へ持ち込むときは、お店に届くまで検疫で3ヶ月くらいかかるらしい。 ブリーダーは卵から育てるそうで、成虫させるまでにかなりの手間暇をかけている。生き物 というよりも観賞用の植物みたいで、成長させるというよりも生長させるというのか、 生産するというイメージ。同じヒラタクワガタでも、フィリピン産とインドネシア産では 全く形がちがう。カラダの大きいものは重すぎて動くことができず、本当に観賞用という 感じで、2年ほど生きるらしい。飼っているひとは、それを見ているだけで癒されたり、 少し動くだけで、こうやって動くのかぁ、と感動したりするとか・・・
 東南アジアではタダみたいにたくさんとれるが、日本では高額で売れるので黒いダイヤと 呼ばれる。一度お店へ行って見てくると世界が変わると熱く語られたが、あまり 興味はないので、行ってみようという気にはなれなかった。自分の知らない世界というのは、 いろんな分野にあるものだ。

■2005年8月3日(水曜日)
 練習は30分ジョッグだけ。もっと長く走ろうと思っていたが、 走るのが辛くてやめてしまった。その後もウエイトトレーニングをやろうと思って トレーニング場へは行ってみたが、腹筋をやろうとして、寝転がったらそのまま 寝てしまった。結局何もできず家に帰った。こんな状態なので、アンビバレンスの 練習会にも行くことができず、やりたいことが何もできなかった気がして自己嫌悪。
 夜は世界陸上の前哨戦となるゴールデンリーグを録画したビデオを見たところ、 世界陸上の放送に先駆けてさっそく織田裕二が出ていてがっかりした。陸上競技を 静かに見せて欲しい。やっぱりスポーツの放送はNHKに限る。以前ゴールデンリーグは NHKのBSでやっていたが最近はまったく放送してくれなくなり、とても寂しい。 しかし、織田裕二も以前よりコメントができるようになり良くなってきた。すばらしい パフォーマンスを生で見ていて、最新の情報に触れているので、種目によっては 自分よりも知識があるところがくやしくてたまらなかった。変なところで嫉妬している・・・

■2005年8月2日(火曜日)
 5時前に目が覚め、朝練をしようと思い、起きあがったところ、子供がもぞもぞと 動きだし、起きそうな雰囲気だったので、子供が眠るまで待っていた。次に気がついたのは 妻に声をかけられた5時半。先月に続き、また子供が熱を出し、痙攣止めの薬がないので、 病院へ行かなければならなかった。
 救急でやっている小児科を電話で聞き、その病院へ電話をかけたが、誰もでなかったので 困ったが、とにかく病院へ行ってみた。
 病院はやっていたが、受付で聞いてみると、先生は5時でまでが診察で、もう帰って しまった後だった。電話に出なかったのは、受付に偶然人がいなかった時のようだった。
 先生がいないのならどうしようもないので、別の病院を紹介してもらい、住所を頼りに 迷いながらなんとか次の病院へたどり着いた。病院へ着く頃には少し子供の熱は下がり、 いくらか具合は良さそうだった。初めの病院へ電話をしてから、診察してもらえる病院へ 着くまでに1時間半もかかった。今回はそれ程高熱ではなかったのでそれ程急ぐ必要は なく、無事に診察と痙攣止めを入れることができたが、救急専用の電話で対応している 人が医師のいない病院を紹介したために時間がかかってしまった。患者はこの救急の電話を 頼りにしているので、正確な情報を伝えて欲しい。

■2005年8月1日(月曜日)
 2ヶ月ぶりにサーキットトレーニングをした。最近は、短い時間で ウエイトトレーニングをするくらいで、走るのも週1、2回。あまり運動を しているとは言えないが、マメにウエイトをやっていたためか、1セット目は 思った以上に体が動いた。しかし2セット目以降は、突然動きが悪くなって かなり時間もかかった。3セット終わったときには、気分が悪くなり吐きそうになった。 持久力は確実に落ちている。
 その後、選手がペース走をするというので、4000mまでついていくことにした。 3000mまではついていくことができ、3分13秒台/kmで走れたのは収穫だった。 最後の1000mはペースダウンし残り200mで吐き、ゴール後も吐いた。
 最後に若手が300mを走るというので、後ろについて走った。40秒が切れれば いいと思っていたが、最後の直線では選手を抜いてゴールし、37秒8が出てしまった。 やればできるという気分になり、かなり満足。



[昔のいずみ]