最近のいずみ

Last Update:2005/9/30

パートタイムアスリートいずみ 5年目に突入!! 


■2005年9月30日(金曜日)
 6時半には起床。学校へ通学する時間がないため、1時間目の授業までは 自分のもの。久しぶりに朝練をした。大学の競技場では、4年生の山口くんが すでに朝練を始めていて、途中から合流して一緒にジョッグ。朝の大学は、 人がほとんどいなくて、過ごしやすい季節になってきたためかとても 清々しく、気持ちよくジョッグができた。
 睡眠時間が少なかったため、すべての授業が終わった後は、頭がボーっとして、 車を運転して帰れる状態ではなかった。仕方なく少し仮眠をしていたが眠れず、 研究室の同期と話をしているうちに目が覚めて、やっと帰ることができた。

■2005年9月29日(木曜日)
 授業が夜の7時過ぎに終わり、家に帰って、また早朝から通学すると お金と時間がもったいないので、学校にお泊まりすることにした。 家と学校の往復で3時間あると、その時間だけで課題や運動ができてしまう。 実際、明日は課題の発表があったため、本来なら車に乗っている時間で 課題をすることができた。課題が早く終われば、早めに寝ようと思っていたが、 研究室の同期も同じように課題をしていたため、なかなか帰ることがなく、 いつになったら帰るのだろう?と思っているうちに、0時が過ぎ、我慢して 待っていられたのは0時半まで。結局部屋に明かりのついた状態で、 タオルで目隠しして寝ることにした。早く寝られると思ったのに、いつもと 変わらない時間になってしまった・・・

■2005年9月28日(水曜日)


休憩中
 先週に引き続き、武山駐屯地へ行き、新隊員の10km行進の乳酸値測定。 測定は先週と同じ内容だったが、歩いたのは先週とは違う隊員。しかし、結果は、 先週と同じく、体力のない子は、山を歩いて登っただけで、かなりの疲労を 示し、心拍数は150拍/分を超える値を示していた。心拍数が150というのは、 自分たちだったら、かなりいいペースで走るくらいの強度がある。
 同じ訓練で、全く疲労のない人と、これだけ疲労のある人がいると、指導する 側はどうしたらいいのだろう?と思ってしまった。ある程度能力別にするしかない のだろうか・・・自衛隊の新隊員教育も難しい時代になってきた。

■2005年9月27日(火曜日)
 テレビで全国高校ウォーターボーイズ選手権を見た。普通のプールで、10〜 14人の生徒がシンクロの演技をするというものだが、プールの底に足がつける ため、かなり迫力のある演技が見られた。特に目を引いたのはジャンプの高さ。 人2人分くらいの高さのジャンプが決まったときは、関係者でもないのに、 感動がこみ上げてきた。
 元々は川越の高校で始まったこのイベントが、競技会にまで発展したのは、 この話が映画になったから。マスコミの影響力というのは本当に大きなものだ。

■2005年9月26日(月曜日)
 大学で行われたメンタルトレーニング講習会に参加。この講習会は、筑波大学 スポーツクリニック・メンタル部門が毎年行っているもので、今年で13回目に なったらしい。メンタルトレーニングに関心のある学生を集めて、講義だけでなく 実際にトレーニングを経験し、競技に役立てるということがこの講習会の目的。
 今日は、第1回だったが、講習会前に配られていた心理適正検査から、自分を 理解する、それぞれの競技における理想の状態を考えることを行った。
そして最後に、指示された内容を自分のイメージをもとに絵を描くという 風景構成法を行った。指示というのは、「川を描いてください」というような指示で、 今回は、川、山、田、道、木、家、動物、花、人、石という10項目を、描き入れた。 これで何がわかるかはわからないが、今回は描くだけで終わった。
 絵を描くのは、久しぶりのことで、こんなに自分の思う通りに絵を描く ことができないのかぁというのが一番感じたこと。真っ白な紙に、川という 一つの情報から、いきなり川だけを描くというときに、どこから描いたら いいのかわからず、かなり戸惑った。
 メンタルトレーニングは、自分のことを知るのに、イヤだなぁとか、どうしたら いいのだろう?というような、普段考えないような面倒くさいことをいろいろやる というイメージだが、受講してみてイメージ通りな感じがした。イヤなことを進んで 求めたのだから、この講習会を通して、今の自分というのもをよりよい方向へ 変えていけたらいいなぁと思う。

■2005年9月25日(日曜日)


吉岡くん、渡辺さんと



男子100m決勝



男子800m決勝
 全日本実業団800mに出場。ウォーミングアップでは、先週と同じくらいの 調子の良さで、これなら1分52秒台は狙えるのではないかという手応えがあった。
 予選は3組あり、決勝へは2着までの選手と3着以降でタイムのいい選手2人が進出 できた。自分の組には、1分50秒を切る選手が2人いたので、3着狙いで走り、 1分52秒台が出れば、決勝に残れるのではないかと思っていた。
 自分の走った組は、前半のペースが予想よりも早く、岡山県で教員をしている東原くん が先頭を引っ張り、1周目が54秒台通過。自分は、スタートからずっと2番手につけ、 550m付近で東原くんのペースが落ちてきたところで、タイムを狙うにはここしかないと 思いスパート。しかし、スパートは、2,3歩で終わり、あとは失速気味になり、 600m付近で、竹井(アコム)、鈴木(自衛隊)、福沢(豊橋市役所)に抜かれ てしまった。距離は離れているが、何とか3着に入りたいという気持ちでがんばったが、 そのまま4着でゴール。トップが1分51秒6だったので、52秒台の可能性が あるかもしれないと期待していたが、3着が1分52秒50で自分は1分53秒61。
 結局3着以降のタイムでは3番目となり、あと一人のところで決勝進出を逃した。 しかし、このタイムはシーズンベストであり、しかも昨年のシーズンベストを上回った。 前年度ベストを上回ったのは、1分49秒53を出した1998年以来7年ぶり。 毎年タイムが落ちていたのを食い止めたというだけで、とても意味のある レースだった。

■2005年9月24日(土曜日)


父の実家にて
 家族は高松へ残し、一人で丸亀の競技場へ行き最終調整。ウォーミングアップの 状態で、先週ほどではないが、結構走れそうな感覚があった。はじめは300mの タイムトライアルをするつもりでいたが、タイムの悪かった時の精神的なダメージが 大きいので、結局やらずに、軽くウインドスプリントをするだけで終了。
 競技場で、元日本チャンピオンの北村くん(英明高校教諭)が役員をしていて、 5年ぶりくらいに話ができた。先生になってからは、試合に出場することが なかったが、練習は継続しているようで、今年は、400mで国体の代表になったらしい。 自分たちの世代の選手がほとんど引退してしまっているので、昔一緒に走った選手が まだがんばっていることを聞くと本当にうれしい。

■2005年9月23日(金曜日)


山田屋



山田屋のうどん



那須与一の岩の前で
 丸亀で行われる全日本実業団に出場するため、飛行機で高松へ行った。開催地の 丸亀は、宿泊施設が少なく、宿泊の手配を始めたときには、高松しかなかったため、 高松で宿泊した。父の実家が高松の近くだったので、空港からレンタカーで、父の 実家へ直行した。自分はちょうど1年ぶり、妻と子供は初めての訪問。
 昨年は、台風による水害で、家が海水につかり、大変な状態だったが、今年も 床上までは浸水しなかったようだが、似たような状態になったらしい。
 父の実家では、仏壇に手を合わせ、その後お墓参り。水辺が近くにあるせいか、 大量の蚊が襲ってきて、子供は全身を刺され、かわいそうだった。大人の自分たちも 刺されたが、刺される量が全く違う。蚊も新鮮な血はどれかということをよく 知っている。
 香川といえば”讃岐うどん”ということで、近所のうどんや「山田屋」へ行った。 山田屋の建物や庭園は江戸時代からのもので、登録文化財に指定され、とても 落ち着いたきれいなお店だった。うどんを食べる前に、景色で満腹になり、 更にうどんでお腹を満たした。
 最後に那須与一が矢を射ったときに乗ったといわれる岩を見に行った。 父の実家から歩いて3分もかからないところにあり、今ではただのどぶ川で しかないが、NHKの大河ドラマの影響で、きれいにライトアップされ、 観光案内所もあり、立派な観光地になっていた。
 今日の行動からは、本当に試合にきているのかどうかわからないくらい 観光モードになった。明日からはもう少し考えて行動しよう。

■2005年9月22日(木曜日)
 スポーツマッサージ「ナズー」で治療。ハムストリングスが相変わらず よくならないので、みてもらったが今回は、大腿の付け根ともいえる座骨結節 あたりに焦点が当てられ、どうやら座骨神経に影響を与えやすい梨状筋がかなり 緊張しているという結論になった。確かに梨状筋を押してもらうと、ものすごく 痛い。自分では全く気がつかず、ハムストリングスだけが痛いと思っていたが、 ハムストリングスに影響を与える梨状筋の方がもっとひどかった。
 治療は、電気と針でやってもらい、治療後の感じは、あまり変化なく、 逆に体が重くなった感じもある。針をやったあとは、こんな感じなので、 あと2日もすれば、体調はよくなってくるのではないかと思う。

■2005年9月21日(水曜日)


行進中
 横須賀で陸上自衛隊の新隊員の10km行進に付き添い、測定をしてきた。 測定は、自覚的運動強度、血中乳酸値、心拍数の3種類。10km行進は、 荷物を背負い、銃を担いで歩き、途中で武山という山の山頂まで行き、駐屯地まで 帰ってくるという内容。その間に4回の測定を実施した。運動強度としては、 それほど高いものではないと考えられるが、体力のない子は、きついようで、 山を登ったところで測定したときには、心拍数も乳酸値もかなり上昇していた。 体力のある子たちは、全体を通してほとんど変化がなかった。
 新隊員の訓練では、全員が同じ訓練をすることになるが、体力の違いを 考慮しないため、体力のない子たちは、疲労する上に、疲労の回復しない間に 次の訓練に入るため、疲労困憊になるのではないかと考えられた。

■2005年9月20日(火曜日)
 市ヶ谷へ出張し、入間でお世話になった元上司のところへ挨拶へいったところ、 夕食を一緒に食べに行くことになり、前の勤務地が沖永良部島だったということで、 島の話をいろいろと聞くことができた。
 沖永良部島には、太った人がいないというのが最も印象に残る話だった。この島は、 西郷隆盛が島流しにされたことで有名らしく、西郷さんの影響で、島では子供のころから、 文武両道、勤勉に育てられたそうで、、今でもその名残で、島の人たちは勤勉で よく運動もするらしい。そういうことから、全く太った人がいないということだった。 日本中がそうなれば、肥満の人がいなくなり、国の医療費負担は減り、増税なしで、 財政が立て直せてしまうのではないかと、ふと思った。

■2005年9月19日(月曜日)
 スーパー陸上をテレビで観戦。女子400mでは日本新記録、男子の400mでは 高校新記録が出た。自分が放送で見たかった1500mでは、最後のハイライトで、 10秒くらい映像が映っただけで、先頭を走っていた外国人選手しか見られなかった。 相変わらずTBSの放送は、注目選手だけを取り上げて、その他の種目は、ほぼ排除 という感じ。もう少し行われている種目全般の放送をしてもらいたい。 

■2005年9月18日(日曜日)


お互いの子供と
 午前中は、妻の希望で、ゴールドウィンのバーゲンへ。自分のほしいものは 何もなかったので、妻が買い物をしている間、子供の面倒を見ていた。子供は、 すぐに「ママ、ママ」と言って泣き出すので困った。
 午後からは、大学の同期が実家へ帰るということで、彼の実家へ遊びに行った。 彼の家には、彼の子供、彼の弟の子供、そしてうちの子供が集まりかなりにぎやかだった。 0歳児が1人と1歳児が2人なので、まだおとなしいのかもしれないが、1歳児の 2人は、あっという間に仲良くなり大騒ぎで遊び回っていた。子供も普段は母親と 2人きりということが多いが、子供は同じくらいの年齢の子と遊ばせると、普段とは 違った行動をしておもしろい。どんどん外で遊ばせた方がいいなぁと思った。

■2005年9月17日(土曜日)
 体育学校の三澤くんと練習。メニューは600m×2。
 寝不足で今日は走れないだろうなぁと思っていたのに、ウォーミングアップを 始めてみると、最近の調子からは全く想像できないほど体がよく動き、自分自身が 驚くほどの動きができた。しかしウォーミングアップで動きがよくても練習が 始まれば動かないかもしれないと思いながら、練習に入ったが、やっぱり よく動いた。設定は400mを55秒で通過し、残り200mはスピードを 上げるというものだったが、55秒のペースが楽で、残り200mのスピードアップ にも楽に対応でき、最後には三澤くんも抜いてしまい、更にペースが上げられた。 終わった後もジョッグが終わったくらいの感覚で全くつかれもなかった。そのまま 更に200mを走り続けたとしても、そのままのペースでいけそうだった。体育 学校の選手をやめさせられてから、もう5年経った、この5年で初めて調子がいいと 自分で思える瞬間だった。
 2本目は、三澤くんがバテていたので、自分が引っ張って走ったが、やっぱり 楽で、最後の200mは26秒3で走り切れた。昨日までの自分とは全く違い、 昨日から今日の間に、自分の中で何が変わったのかがわからず、自分自身が 全く理解できない状態で頭は混乱したが、とにかく、調子が上がり、気分は最高。 このままの状態をあと1週間維持できれば、来週の全日本実業団では、すばらしい 結果がついてくると思う。

■2005年9月16日(金曜日)
 今週最初のスピード練習。メニューは600m、500m、400m。 気持ちよく8割くらいのスピードで走ろうと思っていたが、走ってみると、 8割のつもりなのにゴール前では手足が動かなくなる。相変わらず8割も 10割も変わらない感覚。昔はもっと気持ちよく走れていたのになぁ・・・ と過去のことを考えたが、今更そんなことを考えても変わるわけもない。 今の状態で、できる限りの走りをするしかない。あきらめずがんばろう!!

■2005年9月15日(木曜日)
 放送大学大学院の才能教育論という番組を見ていて、目にとまったのは、 日本では400万人以上の人が障害者だという事実。障害は、身体障害、 知的障害、精神障害の3つに分類され、パーセンテージにすると、 日本の人口の約5%くらいらしい。つまり100人に5人は、何らかの障害を もっている人ということになる。普段の生活では、障害を持った人と接することが なく、意識をすることがなかったが、この数字をみると、障害を持った人が身近に いてもおかしくないと思った。
 最近の障害者スポーツは、リハビリテーションの一環で行うのではなく、 完全に競技スポーツ化している。パラリンピックという障害者のための 大会があるが、オリンピックにも少しずつ彼らの出場できるチャンスが 増えてきている。アーチェリーや陸上競技では車いすの選手が出場している。 バリアフリーとい言葉をよく耳にするが、これもバリアフリーの一つなのだと思う。  障害者スポーツのことを、最近ではアダプテッドスポーツと呼ぶらしい。 それぞれに適したスポーツというような意味合いなのだろう。

■2005年9月14日(水曜日)
 日曜日のレースのタイムが知りたかったので、ビアスレのホームページを見たところ、 ビアスレに国際大会があることを知った。9月18日にはモナコで世界選手権が行われる。 自費であれば、近代五種・バイアスロン連合に連絡すれば、出場ができるらしい。 国際大会でのビアスレは、1500mRun+200mSwim+1500mRunと なっていた。200mの水泳を克服できれば、自分にはかなり向た競技になりそう。 世界選手権であれば、日本代表という肩書きで出られるのだろうか?マイナー競技を 探せば、簡単に日本代表になれるものがいくらでもあるように思えてきた。

■2005年9月13日(火曜日)
 昨日心配していた参議院の話は、反対していた議員が、次の国会では 賛成に回るということで、あっけなく、解決してしまった。
 自民党がこれだけ大勝したのは、民意が郵政民営化に賛成だから、と 短絡的に考えていいのかどうかわからないが、結論としては、そういうことで、 参議院で反対した人たちが、自分たちの意志を曲げて?民意に添う形に したようだ。
 このまま反対していたのでは、党から何らかの処分があったり、離党 するように求められたり、いろいろとややこしい、という理由もあるのだと思う。 党員には無言の圧力がかかり、かなりの威圧感を感じる。それほど今の自民党の 総裁というのは、ものすごい力を持つ人なのだろう。リーダーシップというのは こういうものなのだろうか・・・?

■2005年9月12日(月曜日)
 昨日の選挙結果をテレビで見た。投票はすでに火曜日に済ませていたので、 ずいぶん前にやった選挙の結果がやっと出たか、という感じ。自分の選挙区は、 自分の応援した人が当選した。自民党が予想以上の勝利で、民主党の本部からの 中継は、見ていて気の毒だった。
 自民党は、郵政民営化を掲げて、大勝したが、もともと衆議院の解散のきっかけと なったのは、郵政民営化法案が参議院で通らなかったこと。衆議院で野党を圧倒 しても、参議院が解散したわけではないので、これで法案は通るのだろうか? よくわからない。

■2005年9月11日(日曜日)


マンモスプール



ラン



射撃中(左から3番目)



ゴール前(前は韓国選手)



ゴール後(吐いてます)



表彰(近代五種の部3位)
 日本エアロビクスセンターで行われた、チャレンジ近代五種国際大会(CV)IN千葉 に出場した。競技は、スイム、ラン、射撃が連続で行われるもので、自分の出場した ミドルという種目は、200mスイム、1900mラン、射撃、500mラン、射撃、 600mランを連続で行ってゴールするものだった。射撃は、BB弾のおもちゃの ピストルだったが、競技用に開発されたもので、重さは1kg程度。参加者の ほとんどは、射撃を全くやったことがないので、レース前に射撃の説明と練習の 時間があった。落ち着いて撃てばかなり当たったが、呼吸の乱れた状態で 当たるとは思えなかった。3つの的を5発以内ですべて倒せばクリアーで、残った的の 枚数によりペナルティーのランがあった。
 ミドル競技には、近代五種選手の部、一般の部、ジュニアの部にエントリーした24人 が出場した。水泳は、近代五種の選手が当然速く、スタートして30m位はついて行けたが、 その後は、前の人のバタ足で発生した泡をかぶるばかりで、自分だけが全く進んで いない気がした。100mの折り返しで、近代五種選手を中心とした先頭集団は、遙か 彼方へ行ってしまい、残りの100mは、自分との戦いだった。呼吸が苦しく、半分 溺れている感覚だった。何とか泳ぎ終え、靴を履いて着替えをする トランジッションエリアへ向かったときには、近代五種の選手は誰もいなかった。
 ランは下りが多かった。水泳の出遅れはランで取り戻さなければならなかったが、 なかなか前にいる選手が見えなかった。周回コースで、先頭の選手とすれ違い、先頭との 差を確認できた。だいたい150mくらい。最初の射撃までに5,6人を抜くことができた。 しかし、射撃場が近づき、ランの終わるところで具合が悪くなり、こらえきれず吐き、 具合の悪いまま射撃へ入った。
 射撃は、5発とも当たらず、3枚のペナルティーラン。しかし、素早く5発を撃って ペナルティーランを走り終えたので、1発ずつ集中している選手よりも速く、射撃で 何人かを追い越した。
 次の500mランでは、相変わらず吐きそうな雰囲気だったが、また2,3人抜いて、 射撃へ入った。1発目が的に当たり、かなりうれしかったが、残り4発ははずれ、 2枚のペナルティー。ここでも何人か追い抜いて、また順位を上げてしまった。
 最後の600mは、ダッシュをすればいいだけなのに、気持ち悪さと呼吸のつらさで、 全く進まず、ジョッグのような感じ。しかし、近代五種の選手たちのペースは自分より 遅く、2人抜くことができた。残り100mくらいで、3位の韓国選手に届きそうな 距離だったので、彼に気づかれないようにそっと近づいていったが、後ろを振り向かれ、 気づかれた。結局そこでスパートをかけられ、とらえることができず4位でゴール。 ゴール直後にも2度吐いてしまった。
 後でわかったことだが、3位の韓国選手は中学生だった。中学生に負けてショックを 受けたが、彼はジュニアの部で、自分はなぜか近代五種をやったことがないのに、 近代五種の部にエントリーされていたため、近代五種の部で3位という結果になり、 表彰台に上がることができた。我が社の近代五種の若手が3人出ていたが、全員に 勝つことができ、1,2位は警視庁の選手だった。
 もし、一般の部にエントリーされていれば、優勝できていたので、来年は是非 一般の部で優勝をいただこうと思う。

■2005年9月10日(土曜日)
 体育学校の選手と200m×4本を3セット。設定は1、2本目が27秒台、 3本目が26秒台、4本目が25秒台。練習がしっかりできていない割には、 意外と走ることができた。
 2セット目が終わったときに吐きそうになり、3セット目の3本目からは 本格的に危なくなり、4本目終了直後にやっぱり吐いてしまった。これを 治すにはどうしたらいいのだろう?困ったなぁ・・・

■2005年9月9日(金曜日)
 「太りすぎは大腸がんに注意 男性でリスク1・4倍に」ニュースを目にした。 体格指数(BMI)が27以上の太りすぎの男性は、25未満の男性よりも 大腸がんの発生率が1・4倍に上昇するということで、女性はそのような関係は ないらしい。BMIというのは、体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)という 計算式で求められ、22が標準で、25以上は日本では一般に肥満と呼ばれる。 太れば、いろいろなリスクがあるという認識はあるが、こうやって数値で示されると やせなければ、という意識が生まれやすくなると思う。こういう具体的な数値の 発表はどんどん公表してほしい。

■2005年9月8日(木曜日)
 アイシングは、スポーツの世界では当たり前に行われているが、一般には まだあまり認識されていないらしい。捻挫をすれば、湿布を貼る人が多い。 貼った時に冷たく感じるからだろうが、これは、全くの迷信。消炎鎮痛の効果が あると言うが、血流をよくして腫れている状態をさらに悪化させる可能性がある。 温湿布と冷湿布は何が違うのかといえば、ただ温かく感じるか冷たく感じるか。 効果は同じなので、季節によって温かいのがいいか、冷たいのがいいかを 使い分けるくらいの違いでしかない。
 アイシングで気になるのは、アテネオリンピックで金メダルを獲得した 谷亮子選手。捻挫のアイシングに馬肉を使い、患部の腫れや内出血が 沈静化したらしい。本当にそんな作用があるのだろうか?
 アニメ「巨人の星」でも主人公の星飛雄馬がアイシングに馬肉を 使っていたという話もあるが、この馬肉でアイシングは迷信なのだろうか・・・?

■2005年9月7日(水曜日)
 台風が九州を通過し、日本海へ抜けたが、関東にも影響は残り、かなり風が 強かった。高速道路では50km規制であまりスピードを上げられなかったが、 どの車もあまり気にすることなく普通に走っていた。しかし、風の影響は 大きく、突然ハンドルを取られて、車が左右に振られることもあり怖かった。
 今回の台風では、九州地方を中心にかなりの被害があった。被害のあった ところは、とても気の毒だが、四国では、この台風のおかげで、ずっと続いていた 取水制限が解かれた。9月下旬に高松へ行く予定になっているが、水が 使えなかったらどうしよう、と心配していた。その心配もなくなり、一安心。
 学校から帰る夜10時過ぎには、風はおさまったが、自然の力というものを 感じる1日だった。

■2005年9月6日(火曜日)
 大学で機能解剖学の授業があった。ただの解剖学ではなく、機能という言葉が ついているのには意味があり、形だけを見るのではなく、形には必ず意味がある はずという視点から解剖を見ていくのが機能解剖学というものらしい。
 横隔膜は、膜という言葉が使われているが、膜ではなく完全な筋で、膜という 言葉が使われているために、くず肉として扱われ、市場ではかなり安く売られている。 それに目をつけた某ハンバーガー屋は、その肉をハンバーガーにして、100% 牛肉として売り出しているらしい。本当なのだろうか?商売は、やっぱり目の付け所 だと思った。
 人間が筋を動かすのに、大きな役割を果たしているのは脳の中でも小脳という ところらしい。ここには、筋を動かすためのプログラムが蓄えられている。 そもそもこのプログラムはどうやって小脳に覚えさせているかといえば、 基本的には、繰り返しの動作ということになる。
 鳥は、頭の小ささの割には、小脳が大きい。なぜ大きいかといえば、空を 飛ぶために上下左右という3次元を把握しなければならないため、いろいろな プログラムが必要だから。そして、生まれたときからあらかじめ羽を 広げて羽ばたくプログラムが入っている。馬や牛が、生まれたときから立ち 上がれるのもこのプログラムが小脳にあらかじめインプットされているため。
 実は人間の小脳にも、あらかじめ立って歩くプログラムがインプットされているが、 人間の赤ん坊は、生まれたときには筋肉が発達していないので、他の動物のようには いかない。しかも4本足ではなく2本足で歩かなければならないので、他の動物より さらに難しいことになる。残念なことに、人間は生まれて1ヶ月もすると、この 歩くプログラムは消えてしまうので、もう1度このプログラムを作るのに、 寝返りからハイハイ、つかまり立ちという繰り返しの動作を行い、歩くという プログラムを小脳にインプットすることになる。
 体で覚え込ませたプログラムは死ぬまで覚えているということなので、小さい ときにいろいろな動きをどれだけ繰り返してきたかが、その後のその人の動きを 決めるといってもいいかもしれない。子供には、どんどん運動させようと思う。

■2005年9月5日(月曜日)
 スペインで行われたマスターズ世界陸上に出場していた同じ職場の谷さんが スペインから帰国した。今回は50歳代の8kmクロスカントリー、5000m、 マラソンの3種目に出場し、最後に出場したマラソンで2時間40分台という すばらしい記録で金メダルを獲得した。
 2年前プエルトリコで行われたこの大会では10000mで金メダルを獲得して いるので、今回は種目は違っているが、2大会連続の金メダル。
 50歳代になっても、若者にも負けない高いモチベーションで競技を続ける ということは本当にすばらしいことだと思う。50歳というと自分はあと20年 くらいかかる。それまでトップクラスでがんばろうというモチベーションが 保てるかといえば、そこまでやっていける自信はない。有言実行、この言葉を 示すように成果を残す谷さんを心から尊敬する。
 我が社の選手は、元世界チャンピオンはいても現世界チャンピオンはいない。 身近にこういうすばらしい先輩がいるので、多くのことを学んで、それぞれの競技に 生かしてもらえたらいいなぁと思う。

■2005年9月4日(日曜日)


測定中
 国立スポーツ科学センターへ行き、アーチェリーの筋電図測定を見学した。 今回の測定は、アーチェリーのシューティング技術が、初級、中級、上級者で 何が違うのかを調べるものだった。我が社の選手2名が上級者の被験者として 参加したため、それに便乗して見学することができた。
 筋電図を測定する機材は、我が社にあるものとは違い、最新のものなので、 パソコンへの出力も簡単にでき、動作解析のソフトも高速度カメラと接続し、 すぐに出力できるようになっていて、こんな装置が我が社にもあったら なぁ・・・と思いながら見ていた。
 選手の体には、筋電図を測定するために電極がたくさんつけられ、 鼻にも呼吸の状態を調べるチューブが貼り付けられ、いくらか違和感は ありそうだったが、特に気にすることなく、いつも通りのシューティングを していた。しかし試合中の動きと実験室内での動きでは、環境が違うので、 本当にねらいとする結果が出るのかなぁ?という疑問はあった。こういった 実験は、実験室でいかに本当の試合に近づけた環境にするかがカギなのだと思う。

■2005年9月3日(土曜日)
 一晩渡辺家で泊めてもらい、起きたのは11時ごろ。バーベキューであまった ものを渡辺さんがアレンジし、朝食とも昼食ともいえない食事。昨日のあまりとは 思えない味付けで大満足。昨日も渡辺さんが、みんなの食べる料理を用意するのを 見て思ったが、男が料理を作るということは、とてもかっこいいことではないか、 と改めて思った。自分もやってみたいというような気持ちになった。やれば、 妻も子供も喜ぶかも・・・
 食事の後は、かなりゆったりとくつろぎ、渡辺さんといろいろな話ができた。 渡辺さんは役所の仕事なので、選挙の時になると開票作業を手伝うらしく、 開票時は、笑える投票用紙が結構あるということだった。政治の不満を 細かく書く人もいれば、その選挙区ではない立候補者、例えば小泉純一郎 と書く人もいるらしい。今回はホリエモンと書く人が必ずいるだろうと言っていた。 漢字が一文字違っていると、有効か無効かを審査することになり、結構面倒くさい らしい。
 渡辺家で本当にリラックスでき、これで家に帰って、また明日から仕事だと 思ったら、まだ今日は土曜日。もう一日休みがあると思うと、ものすごく うれしく、得した気分になった。金曜日の夜が長く、頭の中で、それを休みと 勘違いしてしまったのだろう。楽しい週末だった。

■2005年9月2日(金曜日)


パエリア作ってます
 相模川の河原でバーベキューをした。主催者はいつもレースで一緒に なる陸上仲間の渡辺さん。彼の一声で、知り合いの知り合いというような 人たちも遊びに来たりして、河原には最大40人くらいの人が集まった。 10人前後の小さなバーベキューをイメージしていたので、河原へ行ったときには 人の多さに驚いた。
 さらに驚いたことに、みんなの使うキャンプ用のイスやテーブル、料理についても ほとんどが渡辺さんの準備したもので、豚の角煮、もつ煮込み、パエリア、サーモンの 味付けホイール焼きなど、次から次へと渡辺さんが下準備してきたものが、炭火の上で みんなの食べる料理になっていった。バーベキューだけでなく、いろいろな料理が食べられ、 さらに数多くの飲み物も用意され、河原にあるお店にきているのではないかと思った。
 陸上関係者もたくさんきていて、箱根駅伝を走った人が2人もいて驚いた。陸上とは 全く関係ない人もたくさんいたが、いろいろな職業の人が集まり、新しい出会いの場が できておもしろかった。
 夜8時からこのパーティーは始まり、終わったのが深夜2時くらい。片づけをして 渡辺さんの家に戻ったのが3時前。結局寝たのは4時近くだった。久しぶりに 夜更かしをして遊び、休みではなかったが夏休みを満喫した気分になれた。 誘ってくれた渡辺さんに感謝。

■2005年9月1日(木曜日)
 大学院で2学期の授業が始まった。いきなり授業が5時間もあり、かなり 疲れた。どの授業も最初は授業の流れや評価の方法について話がある。 1学期に履修した科目の評価はすべてレポート課題で、一部出席も加味される 科目もあった。しかし2学期は、出席のみで評価し、6回出席できなければ レポートでも書いてくれ、という適当な授業があった。先生は適当か と言えば、そうではないようで、先生にはそれなりの理由があった。
 レポートや試験で、学生を評価しても、たいした意味はなく、卒業後に 授業をきっかけに勉強し、身につけたことをどう生かすかが重要なことで、 評価するのであれば、それを評価しなければならないので、授業では 評価することができないということだった。もっともらしい理由には 聞こえたが、評価できないものを評価するのも大学の先生の仕事なのでは? と思ったが、学生としては、出席だけで評価されると言われると、試験期間の 負担が少なくなって、正直かなりうれしかった。



[昔のいずみ]