最近のいずみ

Last Update:2006/1/31

パートタイムアスリートいずみ 6年目に突入!! 


■2006年1月31日(火曜日)
 トリノオリンピックの出場権を手にしていたボブスレーの代表選手と スケートの代表選手が、直前になって突然出場ができない事態になっている。
 ボブスレーは男女4選手で、ワールドカップの成績が基準に満たず、 大陸で1枠もなかったためにアジア枠が発生し、アジア代表として出場できる はずだったが、取り消された。
 スケートは、急に標準記録が上げられ、それを満たしていない選手が 出場できなくなった。これに引っかかり出場できなくなった選手は、 世界で30人もいるという。
 あと10日でオリンピックが開幕するのに、急に出られないと言われても 困る。選手は当日着るユニフォームなどももらい、試合の準備をして 現地に入る直前なのに、人数が急に増えたから出られないという 各連盟の判断は、なんとも納得がいかない。もう少し出場する選手の ことも考えて判断して欲しい。

■2006年1月30日(月曜日)
 久しぶりに一人で4000mペース走。今日は、風がなく比較的温かかったので、 体が動いた。後半は少しペースダウンしたが、平均3分18秒/kmくらいで走れ満足。 残りの1000mで4回吐いたが、いつもよりは、きつさはなかった。
 ペース走の後は、300mのウインドスプリント。41秒1で走り、タイムと 感覚が一致。こちらも満足。
 最後は、ウエイトトレーニングとパワーMAXを使ってミドルパワートレーニング。 トレーニングのフルコースという感じで、やりすぎと思えるくらい追い込めた。 しかし、今週もあと何回運動できるかわからないのだから、このくらいやる日が あってもいいのかなぁと思う。

■2006年1月29日(日曜日)
 大学の図書館へ行き、3学期のレポート資料探し。文献検索をすると、結構 キーワードに引っかかってくる文献があるが、学校の図書館にあるものが半分、 ないものが半分。とりあえず図書館にあるものだけを手に入れた。
 研究室では、2人が勉強していた。修士論文に使う実験の計画ができ、 実験へ移る段階の人もいて、自分は何も決まっていないため、研究室へ 来るたびに不安で仕方なくなる。さっさと決めてしまえば、不安も多少緩和 するだろうに、まずは目先の単位という感じで、レポート優先。当分不安感は 続きそうだ。

■2006年1月28日(土曜日)


東京タワーがきれいでした
 田町で行われたスポーツサイエンスセミナーに参加した。内容は、「アスリートの貧血と オーバートレーニング」、「アスリートのための栄養マネジメント」。そして最後に 全日本女子バレーボールの柳本監督の特別講演があった。
 トレーニングをすると、血漿の量が特に増えるようで、ヘモグロビンの量も少し 増えているはずなのに、相対的には減ったように見えるため、血液が希釈したと 勘違いしてしまうことがある。これは生理的適応で貧血ではないという。血液に ついては、数値を見ただけでは判断できないことがたくさんあるのだろうと思った。
 鉄などのミネラルは、過剰に摂取すると過剰症になるということで、 限度はわきまえて摂取する必要があるようだ。
 柳本監督の話は、選手の名前がたくさん出てきて、バレーボールの関係者には、 とてもおもしろい内容だったかもしれないが、バレーボールを全く見ていない 自分には、わからないことだらけだった。女子選手は男子選手と同じ感覚で、 コミュニケーションをしていては、選手はついてこないということで、メールでも 絵文字くらいは入れないとやっていけないなど、女子選手を育てていくときに どうしたらいいのかということが参考になった。
 今回は、女子バレーを復活させた監督ということで、このセミナーでの講演を 依頼されたのだろうが、監督の目標は当然金メダルということで、アテネ オリンピックの5位では、復活させたとはいえないはず。今後、さらにいい結果が 出るように応援していきたいと思った。

■2006年1月27日(金曜日)
 韓国で、論文のねつ造が大問題になっているが、日本でも東大で論文の問題が 起こっている。こちらも実験記録が残っておらず、再現性がないということで 信頼できず、不正行為をしているのではないかと疑われている。
 大学に身を置く者として、人ごとではない問題に思えて仕方ない。データが あったとしても統計にかける時に意図的に操作してしまうと、それは何の 価値もなくなってしまう。しかし自分の期待する結果に導くために、 気がつかずに操作してしまうことは十分あり得る。常に客観を意識して データを見つめ、データの分析を進めていかなければならないと思った。

■2006年1月26日(木曜日)
 先週体験したフェルデンクライスメソッドをもう少し深く体験してみたくなり、 今日は、プロの先生のレッスンを新宿まで受けに行った。
 レッスンは、3人の予約があり、1人がなかなか来なかったため、30分 近く待ち、結局2人でレッスンを開始した。自分は初めてのレッスンだったので、 もう一人の生徒さんの希望で肩甲骨の動きを重視したレッスンになった。
 最初は、先週と同じで、仰向けに寝た状態で、体が床に触れている部分は どうなっているか、左右差はあるかに意識を置くことから始まった。その後、 下肢を動かす運動を行い、最後は、上肢を動かす運動をやった。細かくは覚え られなかったが、本当に単純な動きばかりで、これなら家でもできると思える ものばかりだった。しかし、レッスンはこまめに休憩を入れながら2時間近く 行ったため、動きとしてはかなりの量があった。最後に、ゆっくりと立ち上がり、 自分の立っている状態を確認してみたら、「自分は足の上に立っているんだ」 という当たり前のことなのに、新しい発見をしたかのような感激があった。 歩いてみると、腕がいつもよりもうまく脱力できていてここちよく、腕を振らずに 歩くほうが、その状況では自然な感じがした。腕の脱力というのは、こういうことなのだ と思った。
 フェルデンクライスメソッドは、動きとしては、特にモデルとなる動きも なく自分の思うように動かせ、とても自然な動作法だと感じた。また何度か レッスンに参加してみたいと思った。

■2006年1月25日(水曜日)
 久しぶりにインターバル。内容は1000m×10。あまりトレーニングは できていないため、強度は低く、3分25秒のペース。前半の5本はトラックで 後半はロードで行った。トラックでは、ある程度ペースがつかめかなり楽に走れたが、 ロードでは、ペースがつかめず、6本目は3分30秒近くまでペースダウンした。 その後は、少し速いなぁという感覚で走り、3分22秒前後のタイムで走り切れた。 走る練習は本当に不足しているので、完走できただけで満足してしまった。

■2006年1月24日(火曜日)
 人間は、動物の進化の中で、最も進化した動物だと思っていた。しかし、 今わかっている進化の過程からすると、人間は、哺乳類の中でも意外と 原始的な動物に入るという。爬虫類から進化した哺乳類は、地上生活型 哺乳類と樹上生活型哺乳類に分けられる。サルや人間は、樹上生活型に属する らしく、犬や猫などは地上生活型。樹上生活型は、指が5本あり、鎖骨もあるが、 地上生活型には、指が5本なかったり、鎖骨もない。地上生活型は、もともと 5本の指があったが、使わなかったため不要となり短くなって今の状態になった。 これが進化した最終的な結果。地上生活型の馬は指が1本。今から指を5本に 戻そうと思っても進化は後戻りができない。ということで、人間は、最も進化した 動物だというのは、間違いで意外と原始的な動物だった。
 一般的な哺乳類は、道具にたとえると、のこぎり、かんな、金づちなど、 専門化した道具といえ、サルや人間などの霊長類は、専門的な道具ではない 万能ナイフのようなものといえる。つまり、専門的なものにはかなわないが、 そこそこいろいろなことができる。これが重要なことで、そこそこいろいろなことが できるために変化する環境に対して対応しやすく、生きながらえることができ、 今の繁栄につながったといえる。たまには動物の進化を考えてみるのもなかなか おもしろい。

■2006年1月23日(月曜日)
 ライブドアの堀江氏が逮捕された。今朝までは、事情聴取間近というような ニュースが流れていたのに夜には逮捕。あまりの速さに驚いた。
 詳しいことはよくわからないが、逮捕されたということは、 法律を犯すようなことをしていた疑いが強いのだろう。  ライブドアはプロ野球に参入しようとして、参入できなかったが、 判断を下したプロ野球のオーナーたちは正しかったと言えるのかもしれない。 また、自民党も選挙のときに公認にしなかったのは、これも正解だった のかもしれない。しかし、明らかに自民党は堀江氏を後押し していたので、中途半端な感じで、野党から追及されても 仕方のないことなのかもしれない。
 この逮捕の話題で、すっかり欠陥マンションの話がかき消されてしまったが、 次は、ヒューザーの小嶋社長に注目が集まるのだろうか?とにかく、公正な判断で 被害者が少しでも納得できる結果になることを願う。

■2006年1月22日(日曜日)
 1日中、英語の論文とにらめっこ。上司から時間のあるときに訳しておいて と言われてから、すでに1ヶ月近くが経ってしまった。年末年始の当直中に やってしまおういう計画で、多少訳していたが、予定の期間に終わったのは、 8枚中の1枚。今日も朝から頑張ってみたものの、半分まで進めるのがやっとだった。 本当に外国語というものはもどかしい・・・

■2006年1月21日(土曜日)


2次会
 大学の同期がケニアから一時帰国したので、関東近辺で勤務している同期で 集まって歓迎の宴会。大学卒業以来の再会をする人もいて、お互い近況を話すだけで 1次会の時間は終了。そのまま2次会でもお互いの近況を話し合った。
 ケニアで勤務している同期は、明日の大阪国際女子マラソンに出場する ヌデレバ選手を知っていて、オリンピックで銀メダルと銅メダルを獲得している コニカのワイナイナ選手とはちょくちょく話をすると言っていた。陸上に 関係していない人でも、ケニアに行けば、陸上関係者と接触することに なるんだなぁと思った。2次会で行ったお店では、店のマスターがケニアの 陸上関係者と知り合いで、ケニアで勤務する同期とは共通の知り合いということに なり、盛り上がった。世の中はとても狭い。

■2006年1月20日(金曜日)
 野口体操を創始した野口三千三氏が講演しているDVDを見る機会があった。 養老孟司氏との対談前の講演ということで、解剖学というものを意識した内容で、 現在の解剖学は死体解剖学であって、生きた人間にはあまり役に立たない、と 痛烈に批判していた。解剖には、生身の人間にある重さの方向と時間の 概念がないという主張で、何のことだろう?と考えながら聞いていたが、体重の 例えで納得した。秤の上で計った重さは時間には関係がないが、この時間に関係なく 出てきた最大値が体重というのでは、動いているときに人間の体重は常に変化している のだから正しくない。時間により常に変化している体重が人間の体重なのであって、 数字で固定できるものではないという。なるほどなぁと思った。
 自分とは何か、自然とは何かを探求することが体操であり、世の中にあふれている 運動には、目的や効果というものが示されることが多いが、そんなものは人によって 違うのだから、目的や効果はわからないものだと考えた方が正しいのではないか。
 バランスは大事だというが、バランスが取れている状態では動けず、バランスが 崩れるから動くことができる。ちょっと崩してアンバランスを作ることで、体の 重さが体の動くエネルギーとなる。筋肉がなくても動かせることが動きの原理であり、 動きのきっかけや微妙な動きを作るのが筋肉である。筋肉は、動くためのエネルギーを 作り出すものではない。車に例えるとエンジンが体の重さで、ドライバーが筋肉という ことになる。
 力一杯の動きや速く動こうとする動きは感覚が鈍る。これは、味付けと同じ。味付けが 濃いとその素材本来の味がわからなくなる。
 自分にとって自然とは何か?ということをいろいろと考えさせてくれる講演だった。 極論にも聞こえるがほとんどが納得できることだったため、だんだんと野口ワールドへ 引き込まれてしまった。

■2006年1月19日(木曜日)
 フェルデンクライスメソッドを体験した。名前がとても立派そうな感じがしたので、 どんなにすごい動きをするのだろう?と思いながらの体験だったが、実際は、 あまり動きがなく、ほとんど寝ているような状態だった。
 フェルデンクライスメソッドは、人間本来の自然な体の動きを、自分の感覚を通して 気づくための方法で、指導者が大勢の人に対して動作を説明して実際に体を動かす方法と、 指導者と1対1で実際に体にふれながら体の動きを体感していく方法の2つがある。
 今回は、大勢の人に対して行うATMという方法で体験した。基本は寝た姿勢で、 何か動作をした後には、いつも、体と床との接触面がどのようになっているかを 考えるように指示された。普段、体と床や地面との接触面がどうなっているか、 左右差はあるかなど考えたことがなかったが、左右はなんとなく違うように感じるし、 少し体を動かすだけで、前の状態とは違う感じがあるような気がした。
 こういった微妙な感覚をいつも感じることができるようになれば、精神的なものを 含めた自分の内面がよくわかるようになるのではないかと思った。

■2006年1月18日(水曜日)
 水泳の動作解析の専門家が我が社にやってきて我が社の水泳選手の動作解析を 行った。動作解析の道具は、プールの中に入るカメラ。これがプラネタリウムの ドームのような透明なケースに入っていて、360度動くようになっている。 真横、正面、真後ろ、真下からフォームがチェックできる。カメラの性能自体は、 普通のDVカメラと変わらないが、リモートでカメラの角度が自由に変えられところが いい。また、パソコンで、すぐにスピード曲線が求められるところもいい。
 フォームのチェックは、イアンソープや北島康介のようなトップクラスの選手と 比べてどうかというような観点から指摘されていた。
 平泳ぎでは、一瞬スピードが0になるポイントがあるが、それをいかに減らすか ということがタイムを左右する。北島選手と我が社の木村選手では、スピードが0になる 時間に大きな差があった。
 それぞれの選手にいいところと悪いところがあったが、上のクラスの選手は、 いいところがたくさんあるが、下の選手になると、直すべきところが多すぎて、 あまり評価されるところはなかった。それだけ、トップの選手とは違いがあり、 改善できるところがたくさんある。改善すべきところを少しずつ改善し、 今年の日本選手権では全員が決勝に残り、世界への切符をつかんで欲しい。

■2006年1月17日(火曜日)


もらった画像(出火中)
 官舎地域で火事があった。出火は夜11時前くらい。消防車がサイレンを鳴らして たくさん通っていくなぁと思うくらいで、あまり気にしていなかったが、上司から 連絡があり、火事があったことを知った。職場の同僚が火事のあった官舎にいたため、 連絡をしてみたが、待避して車の中にいるということで安心した。0時くらいに、 同僚が心配で、現場を見に行ったところ、多くの人でごった返していた。火は消し止められ 照明に照らされる煙が見えた。火はかなり広がったようで、2階か3階から出火し、 5階まで上ったような感じだった。死者がいなかったようなのでよかった。出火原因 などは何もわかっていないが、こういう災害は人ごとではないということを再認識した。 地震が不安で保険に入ったが、このような時にも役に立つ。保険にも入っておくべきだ なぁと思った。

■2006年1月16日(月曜日)


戻ってきた破損部品
 昨年8月に買ったばかりのノートパソコンを、先月道路に落としてしまい、 キーボードとディスプレイをつないでいるヒンジの部分が潰れてひびが入ったり部品が 欠けたりしていた。パソコン自体は、問題なく起動するのでよかったが、とにかく 年が明けてから修理に出し、約2週間かかってパソコンが戻ってきた。修理代は約37000円。 高いのか安いのかわからないが、なんとか我慢できる値段だったので、修理することにした。 昨年は、サムスン製のノートパソコンのハードディスクが壊れ、データの復旧に約30万円 かかり、さらにこのパソコンを買うのに23万ちょっとかかった。今回の修理代も含めると、 全部で57,8万円くらい。ずいぶん高いパソコンになってしまった。

■2006年1月15日(日曜日)


ノースオカザキチーム
 岡崎市民駅伝に出場した。チームは高校のOBチーム。今年は、昨年高校を卒業した ばかりの陸上競技は現役の学生から、40歳近くの人まで、大きな幅のある年齢層で チームが結成され2チームが出場。自分のチームの目標は、優勝争いに加わりながら 3位に入ることだった。豊川工業高校に通う岡崎出身の選手で結成された 豊川工業チーム(昨年全国高校駅伝3位)が優勝することは決まっているので、 自分たちの関心も2位以下の動向。1区で3番手くらいで入れば、2区の自分で2位に 上がり2位争いができるという設定で大会に臨んだ。
 自分は、チームの責任者から区間賞を取って欲しいと言われて、それに合わせた 設定タイムが与えられた。そのタイムは3.4kmくらいで10分30秒。
 実際にレースが始まると予定通りには行かないもので、1区の選手が、先頭が 通過し、3位が通過してもなかなか来なかった。2区の自分は結局6位でたすきを もらい、すぐに5位に上がった。その後は、遠くに見える選手(高校生や中学生) を一人一人抜いていった。それほど調子は良くなかったが、後半は追い風で 走ることができ、頑張らずにある程度スピードが出せた。途中で、自分の考えていた コースと違う道に進路が変わり、どこが中継点なのかわからなくなったが、 中継点が見えてからスパートし順位をもう一つ上げて4位でたすきを渡した。
 3区ではすぐに3位に順位を上げ、そのまま最終区まで逃げ切り、4位と1秒差で 3位に入賞し目標を達成した。
 さらに自分は期待されていた区間賞を獲得。相手は豊川工業の生徒なので、 区間2位が取れればいいのかなぁと思っていたが、設定よりも4秒早い 10分26秒で走ったことが区間賞につながったのかもしれない。 チーム始まって以来の区間賞で、タイムを設定した責任者の人もすごいなぁと思った。 この駅伝での区間賞は、これで4回目。同じ区間では3回目。16,7歳の高校生を 相手に、年齢が倍の30を過ぎたおっさんが頑張るというのもなかなかおもしろい。

■2006年1月14日(土曜日)


全員集合?
 昨日実家の岡崎へ帰ってきて、夜寝たのが1時近く。目が覚めたのが8時半過ぎ。 外は雨空で、朝からあまりいい気分ではなかったが、まだ雨がそれほど強くなかった ので、今しかないと思い走りに出た。久しぶりの実家近辺のジョッグ。いつも走って いる山へ向かうコースを走った。山の中に水上ゴルフ場があるが、そこには、あまり 水がなく、営業しているようには見えなかった。ジョッグして30分が過ぎる頃には 雨が強くなり、進むにも戻るにも時間は同じくらいかかるためそのまま進み、 ビショビショになりながら、70分ジョッグして帰ってきた。
 昼からは祖母の家へ行き、久しぶりに祖母と会うことができた。妹も子供を連れて きてかなりにぎやかになった。妹の子供は1歳になっていないので、自分の子供が もの凄く大きく見え、子供の成長は早いなぁと思った。

■2006年1月13日(金曜日)
 スポーツにおける緊張は、「間」のあるスポーツに多いという。サッカーや バスケットボールなど、常に動き回るようなスポーツでは、あまり緊張は 関係しない。唯一関係しているのは、PKやフリースローの時。 プレイヤーはプレーをするまでに「間」があり、十分プレーの準備ができる はずなのに、実はしっかりと準備ができずプレーに入ってしまい、迷いが 出る。ゴルフでは、プレーをするたびに「間」があり、緊張は1プレーごとに つきまとう。
 人間は、がんばればがんばるほどできなくなることが2つあるという。それは、 リラックスと寝ること。これをがんばろうとすると、逆に興奮してしまい 悪循環に陥る。ゴルフの選手には、心のコントロールの難しさを知っているため、 それに目を向けないようにして、乗り切っている選手もいるらしい。心を コントロールできる技術がなければ、これも緊張を乗り切る方法の一つになる。
 一般には、心をコントロールすることは難しい。僧侶が長く修行を積むのは そのためで、普通の人が心をコントロールしようとすることは、基本的には、 あきらめた方がよく、体からコントロールする方が、悪循環を断ち切れる 可能性が高い。
 体からコントロールするというのは、体の力を抜くというようなこと。 体の力を抜くだけで気分が変わる。脳は、筋肉に対して、収縮するか、 収縮をやめるかの命令しか出さない。つまり体の力が抜けないときは、 思いっきり力を入れ続けれやり、時間が経てばそれ以上力を入れ続けられ なくなるので、そこで一気に力を抜いてやればいい。これだけで気分が変わり 悪い循環がなくなり、それだけで十分いい結果が望める。
 何でもいいから、普段のトレーニングのときから自分の落ち着く方法を見つけて おくといい。それがいざというときに役に立つ。

■2006年1月12日(木曜日)
 大学院の1年目ももうあと3ヶ月を切った。まだまともに修士論文の テーマは決まらず、どうしよう・・・と考える毎日が続いている。自分は 修論のことだけを考えればいいが(仕事もあるけど・・・)、同じ研究室の 同期たちは、そろそろ就職活動が忙しくなってきている。いくつもの会社の 門をたたき、砕け散って帰ってくるという日々が続いているようだ。会社訪問 やインターンなど、いろいろと活動し、だんだん学生から社会人という意識へ 変わってきている。就職活動を通じて自分のことをさらに知り、本当の 大人になっていくのかなぁと思った。みんながんばれ!!

■2006年1月11日(水曜日)
 焼き物で出てくる「ハツ」が心臓の筋肉だということを知った。確かに コリコリしていて、心臓と言われれば、そんな気がしてくる。さらに「ミノ」は 牛の第1番目の胃の部分らしい。人間はなんだかややこしい部分まで食べている。 しかし、動物の1つの命を絶って食べ物にしているのだから、必要なところ だけ切り取って残りは捨ててしまうという考え方では、命を絶たれた動物が 報われない。そう考えてみると人間は、内蔵も残らず食べようとしているの だから、大事に動物を食べているのではないかと思えてきた。

■2006年1月10日(火曜日)
 久しぶりに、ウエイトリフティングの選手にハイクリーンのフォームを 見てもらった。教えてもらったことをひとりで考えながら半年近く反復練習 してきたので、フォームは安定していて問題なしというお墨付きをもらった。 そこで、今日は、スナッチとジャークを教えてもらった。ハイクリーンが きちっとできるようになったので、スナッチは、その応用という感じで、 意外に簡単にできた。フォームもそれほど間違っていないと言われ、嬉しく なった。ジャークも問題はないということなので、これからフォームを 安定させて重量を上げていきたい。少しウエイトリフターへ近づいた1日だった。

■2006年1月9日(月曜日)
 朝起きたのが10時。それからブランチをして夕方まで家の中で子供と 遊んだ。やらなければならないことがたくさんあったので、子供を 横で遊ばせておいて、やることをやればいいと思っていたが、甘かった。 パソコンをさわれば、子供も画面を見たりさわりたがるので、結局 何もできず。子供と2人きりでは、遊ぶ以外に選択肢はなかった。 妻の方は、ゆっくりと買い物ができ、いつもよりは自分のやりたい ことができたようだ。妻にとっては少し楽ができ、子供にとっては、 久しぶりに1日中父親と遊べた楽しい日になったのかもしれない。

■2006年1月8日(日曜日)


レストランからの眺め



防大関係者
 天王洲アイルにあるレストランで大学同期の結婚披露宴があった。 子供が産まれてからの披露宴なので、メインの席には、新郎新婦の間に 2人の子供のベビーカーが置かれた。今回の招待者は、色々な方面で 活躍されている人たちばかりで、バイオリニスト、写真家、デザイナーなど かなり多彩だった。自分たちもある意味普通の人たちとは違う職業なので、 周りの人たちから見れば、変わった方面で活躍している人たちに見えた かもしれない。
 2次会はお互いの家族を紹介し合うということで、多くの人が家族連れで 集まった。子供への配慮があったためか全席禁煙ということで、とても 快適な2次会だった。受付で配られた番号札で、かなり豪華な賞品が 当たる抽選会があったり、新郎が中学時代に主演をしたテレビ番組を 流したりなかなか楽しかった。最後は、新郎の母からの手紙を新郎の 妹が涙しながら読み上げ、新郎も涙するという場面もあり、感動のうちに 終了した。今まで出席した結婚式2次会でも最も印象に残るすばらしい 会だった。

■2006年1月7日(土曜日)
 来週駅伝に出ることもあり、今の力がどの程度か知りたくて3000mの タイムトライアルをした。目標は9分。1kmを3分で走ればいい。 先月の記録会での5000mでは9分16秒の通過なので、3000mだけならば、 なんとか目標は達成できるだろうという予測があった。1000m通過は 2分57秒台。目標達成ペースだったが、残念ながらすでに身体は 動かなくなっていて、その後はペースダウン。次の1000mは 3分17秒台。最後の1000mは3分23秒台。トータル9分37秒。 全く動かなかった。先月よりもかなり悪い。チームでは自分の区間賞 獲得が望まれているが、この走りではどうにもならない。あと1週間、 どこまでうまくコンディショニングを整えられるだろうか?

■2006年1月6日(金曜日)
 朝霞駐屯地で、イラクへ行く復興業務支援隊第5次要員が出発した。 要員を送り出している部隊の人たちが大半だと思うが、大勢の人たちが 見送りに来ていた。自分も知り合いが何人か行くことを聞いていたので、 見送りに出た。当然、復興支援要員は見送りの人の中を歩いて出発して いくのだと思いこんでいたが、全員バスに乗ってバスが徐行する形で 出発していった。全く知り合いの顔も確認できず、残念だった。
 現地へ行けば何が起こるかわからず、命の保証もない。そう考えると この見送りは戦争の出征のような感じで、みんな無事で帰ってこいと 思いながらの見送りだった。

■2006年1月5日(木曜日)
 今度は妻の具合が悪くなった。2日に妻の母が話していた症状とほとんど 同じなので、インフルエンザの疑いが強かった。ずっと子供と一緒にいるので、感染の可能性は高い。
 さっそく病院へ連れていき、子供の世話は自分がすることになった。病院の待ち時間が長いので、その間、子供と子育て支援センターへ行った。子供はよく行っているので、遊び道具がどこにあるか知っていて、自分の遊びたいもので遊び始めた。
 支援センターは、思っていたよりも広く、おもちゃも多く、子供連れの母親がたくさん来ていた。子供が言うことを聞かず、子供を叩いて怒鳴っている母親もいて、見ていられなかった。「これだけいつも言っているのになぜ聞かないの?」と2歳くらいの子供に怒鳴りつけてもどうにもならない。子供も泣くだけ。親の都合を子供に押しつけて怒っても、子供は理解しないような気がする。我が家でも同じようにイライラすることはあるが、できるだけ否定を少なく落ち着いて話すようにしている。たぶんこちらの方が怒鳴りつけるよりはましだと思う。
 妻は、結局インフルエンザの検査は陰性ということだったが、念のたインフルエンザのA型にもB型にも効くタミフルを処方してもらった。寒気を感じてから2,3時間ということで、早期に対処したため陽性反応も出にくかったらしい。とにかく、早く治ることを願う。

■2006年1月4日(水曜日)


今日の富士山
 早期の対処が良かったためか、子供はすっかり回復して、何事もなかったかのように元気に遊んでいる。これで、自分たちの感染の可能性も低くなってきた。とにかく一安心。
 1月15日に駅伝を走るので、そろそろスピード練習も入れていかなければならないと思い、1000m×5をやってみた。ペースは3分に設定していたが、1本目から3分03秒かかり、2本目以降は3分10秒を切れず、3分20秒まで落ちてしまった。ペース走より遅いインターバルトレーニングとなってしまい、ただ疲れただけだった。このままだとまずい・・・

■2006年1月3日(火曜日)
 午前3時頃、子供が突然泣き出した。高熱でうなされ、痙攣しそうな雰囲気だったため、すぐに座薬を入れた。いったんそれで子供は静かになったが、熱は平熱に戻ることがなかったので、午前中は、救急で対処している病院へ行った。
 検査の結果、インフルエンザA型。これは妻の母が感染したものと同じ。実家から持って帰ってきたのか、別のところでもらってきたのか・・・ とにかく次は、一緒に生活する自分たち夫婦が最も危険な環境にさらされることになるので、お互いマスクをして生活することにした。インフルエンザは発症後48時間以内で対処すれば、比較的早期に回復するらしい。今回は、発症後9時間で対処できたため、うまく対処できたと思っている。早く良くなることを願うばかり・・・

■2006年1月2日(月曜日)
 やっと当直が終わった。妻と子供は年末に実家へ帰り、今日は自分の到着を待っていた。妻の父が還暦ということで、家族でお祝いをすることになっていたが、年末からずっと寝込んでいて、お祝いをするような状況ではなかった。さらに今朝から妻の母まで具合が悪くなり、病院で検査をしてもらったところインフルエンザのA型と診断されてしまった。家でゆっくりしていると移ってしまうかもしれないので、早めに実家を出て家に帰ってきた。
 今日は箱根駅伝の往路。前半はテレビで見ることができたが、後半は妻の実家へ行っていたので見られなかった。しかし予想とは違い、めまぐるしく順位が入れ替わる最近では珍しいレース展開だった。2区では、期待された外国人選手が期待通りの走りができなかったことが、このような展開になった要因の一つではないかと思う。前半の10kmを27分37秒で走る外国人選手を見て、同じ人間ではないと思ったが、後半は想像以上にペースが落ち、結局区間歴代4位の記録に終わり、やっぱり人間だと思った。これだけ力のある外国人選手でも記録が出せないほどなのだから、三代くんの区間記録は偉大だなぁと思った。

■2006年1月1日(日曜日)


朝食(アップルパイとみそ汁)




昼食(おせち弁当と力うどん)




ゴール前(岩瀬くん)
 全日本実業団駅伝をテレビで応援。今回は記念大会ということで出場チームは 43チーム。今年の我が社は、12月に何人かが自己ベストを出すなど調子が 上がりつつあるなかでのレースだったので、昨年の30位台よりはいい結果が 出るだろうという予想を持っていた。
 1区は、上位の選手が区間新記録に近づく記録で走っていたのに対し、我が社は、 谷末くんが31位。自衛隊では27位の滝ヶ原自衛隊に遅れをとってしまった。
 2区では、松村さんがいつも通り順位を上げ、23位でたすきを渡した。
 3区の平田くんは、ほとんどテレビには映らなかったが、区間16位で、 順位を2つ上げ21位でたすきを渡した。区間は16位だったが、黒人選手が 11人走っていたので、日本人では5番手。上位は日本を代表する選手ばかり なのだから、これもすばらしい走りだった。
 4区はまったくテレビに映らず。状況はわからなかったが、室塚くんが、 区間10位で、ここでも順位を2つ上げ19位でたすきを渡した。
 5区も全くテレビに映らなかったが、橘くんが区間7位の走りで、 順位を2つ上げ、17位でたすきを渡した。
 もっとも驚いたのは6区の濱砂くん。なんと区間順位は2位。区間1位の 藤田(富士通)くんから35秒差ということで、区間賞は難しかったが、 ケニア代表にもなったことのあるギタヒ(日清)選手と同タイムでの 区間2位だった。ここでも順位を1つ上げ、16位になった。
 最終7区は岩瀬くん。前のチームは集団で走っていたので、なかなか 追いつくことはできず、順位をキープしたまま16位でゴールとなった。
 来年のシード権を獲得できるのは15位までということで、残念ながら シード権は獲得できず。例年、前半は上位にいても後半は順位を下げることが 多かったが、今年は順位を一度も下げることなく、順位を上げ続けながら ゴールまで行けたところがすばらしかった。
 1500mの選手もたくさん走り、特に1区の辻(ヤクルト)くんの走りは すばらしかった。日本人2位だったが、彼の走りがヤクルトを4位まで導いた。 また、最近はまったくレースでも見ることがなくなった、徳本(日清)くんや 三代(富士通)くんがレースに復帰していたのを見てうれしくなった。
 多くのチームが黒人選手を入れているので、なかなか上位で走るのは難しい。 その中でも日本人だけで戦い2位に入った中国電力はすばらしいと思った。



[昔のいずみ]