最近のいずみ

Last Update:2006/11/30

パートタイムアスリートいずみ 7年目に突入!! 


■2006年11月30日(木曜日)
 昨夜も修論データとにらめっこをしているうちに気が付けば午前3時半。 5時には起きて、つくばへ向かい、研究室の指導教官に指導受け。この2週間で 考えたこと、結果などを報告したが、質問されると、答えられないことが 多く、勉強不足だと感じる。今まで自分のやってきたことに、ミスのある 可能性があり、もう一度最初からやり直さなければならなくなった。今までの 手順をもう一度行うことで、頭の中は整理されるかもしれないが、昨日の ところまで戻ってくるのに、また膨大な時間が掛かることが、気分を落ち込ませる。 あと1ヶ月で本当に完成させられるのか、不安で仕方ない。

■2006年11月29日(水曜日)
 今週は、長時間パソコンに向かい、ずっと同じ姿勢をしているが、不思議なことに 腰が痛くならない。バランスボールに座っていたおかげではないかと気が付いた。 バランスボールの上なので、ずっと同じ姿勢といっても、常にバランスを取るために 筋肉が微妙に動いているからなのだろう。イスに座れば、1時間もすれば尻や腰が痛く なってくるのに、ボールの上では、何ともない。しかも、集中力が持続できるような 感じで、あっという間に時間が経ってしまう感覚がある。
 スイスでは、イスのかわりにバランスボールを使っている小学校もあり、企業でも オフィスに導入しているところもあるらしい。見た目は変な感じかもしれないが、 大きな効果があるのではないかと思う。

■2006年11月28日(火曜日)
 夕食は、骨抜きの鯖だった。本当に見事に骨がない。今まであったものがなくなる というのは、奇妙な感覚。人間はどんどん楽を追及しているなぁと思う。骨がないので 苦労することなく簡単に食べられるが、骨に苦戦していたことが懐かしくなってくる。 苦労して食べるということに、手先を器用にする作用があったりするのに、それが ないために、子供たちは苦労して食べることを知らず、魚は骨がないと勘違いする かもしれないと思うと、この食べ物は、あまり歓迎できない気分になった。
 妻は、鯖の骨がないと、ゴミが減らせて助かるし、骨がゴミ袋を突き破ることが ないので大歓迎だと言っていた。困ったことと言えば、焼けた鯖を皿に移すときに 身が崩れそうでつかみづらいことくらいだとか。これでいいのかなぁ・・・?

■2006年11月27日(月曜日)
 子供の頃から嫌いだったポン酢が最近だんだん好きになってきている。 2年くらい前には考えられないような味覚。ついこの間までは、 油ギトギトの食べ物を好んでいたが、最近は、さっぱりしたものの方が 好きになっている。ポン酢もその一つ。急に老けてきたのか、やっと大人に なったということなのか・・・
 自分は変わらないと思っていても、自分の身体の中は日々変化し、ただ 気が付かないだけでなのだと思えてきた。古典には「無常」という言葉が よく出てくるような気がするが、その意味がやっとわかってきたとも言える。 日々の変化を楽しめるよう、自分自身をしっかり感じていきたい。

■2006年11月26日(日曜日)
 競馬のジャパンカップは、ディープインパクトが圧勝した。前半は、最後方につけ 最終コーナーから一気にスパートした。陸上競技の800mのレースを見るような 感覚で見ていたが、日本のトップクラスの選手たちと同じようなレースパターンだった。 あれだけの力があるのならば、最初から上位集団にいても十分戦えるのではないかと 思うが、一番後ろの方が、よけいな競り合いを避けることができ、全体が見渡せると いう利点がある。しかし力のある馬でなければこの位置取りで勝つのは難しい。それだけ 騎手も馬も自信があったということなのだろう。

■2006年11月25日(土曜日)
 文部科学省学術フロンティア推進事業第17回研究フォーラムが日本女子体育大学 で開かれた。今回は、「運動時における循環調節機構の統合的解明−スポーツによる 健康・体力づくりプログラムの構築へむけて−」というテーマで、6人の先生による 研究成果が報告された。
 日本女子体育大学へは吉祥寺駅からバスで向かったが、吉祥寺周辺は、道路が 狭くて信号が多いためバスがなかなか進まず、それほど時間は掛からないはずなのに、 ずいぶん時間がかかってしまった。結局、プログラムを初めから聞くことはできず、 着いた頃にはプログラムは半分終わっていた。
 後半のプログラムを聞き、神経、血流、脳の関係を追っている研究だという ことはわかったが、専門的な知識を持ち合わせていないため、それ以上のことはわから なかった。全体を通して、人体の中で起こっていることを、外から機器を使って、 無理矢理数値化して、関係性を導いているのではないかと思えた。テレビの 健康番組と一緒で、複雑に絡み合う要因の中で、いくつかをピックアップし、 複雑さを単純化して、結果を導く方法なので、なかなか真実はつかめないような 気がした。
 最後に特別講演として「脳を正しく使おう」という題で、国立精神・神経センター 総長の金澤一郎先生が講演された。日本女子体育大学の学長が講師の紹介で、 9月の紀子さま出産に関して記者会見でテレビに登場した先生だということを 話していたが全く印象がなかった。とにかくすごい先生らしい。
 脳の機能には、文化によって違う場合もあり、日本人は鈴虫の音を心地よく 感じるが、フランス人にとっては雑音でしかないという話が印象に残った。
 記憶についての話もあり、人の名前が覚えられないのは、意味がないからで、 それを覚えるには、何か手がかりを利用したほうがよいということだった。
 脳は、人間らしさを作り出す場所であるということに関連して、人間に育てられな かった人が、人間の世界に入り、人間としての機能を回復できたかどうかという 調査では、3歳ころまで、人と接した経験のあった人は、機能を回復していたが、 3歳ころまでに人と接する経験のなかった人は、人間としての機能の回復は なかったということだった。マウスの実験では、単独で育てられたマウスよりも 多くのマウスに囲まれて育ったマウスの方が脳が重かったということで、 小さい頃にたくさんの人と関わることで、豊かな心が育まれる可能性があるらしい。
 年を取ると一般に記憶力は低下すると考えられるが、年とともに向上する能力も あるという。それは、状況判断能力、人間関係調整能力、本質を抽出し洞察する能力、 林を見るだけでなく森を見るという大きな視点を持つような能力、耐えたり我慢したり する能力などがそれに当たり、これらのことを総合すると、政治家や経営者などは、 年を取るほどふさわしい人が出てくるのではないかということだった。年を取らなく ても、これらの能力は、向上させたいものだと思った。

■2006年11月24日(金曜日)


紅葉してきました
 最近の小学校では、水泳の授業が成り立たないらしい。なぜなら多くの子供たちが 小さい頃からスイミングスクールへ通い、きちんと泳げてしまうから。その子供たちに 先生が何を教えればいいのかわからないし、スイミングスクールで習ってきたことを 崩すようなことを発言したらややこしくなることもあり、先生の心境はかなり複雑。 授業では、泳げる子供たちは勝手に泳がせておいて、泳げない一部の子供たちにだけ 教えることになる。
 飛び込みは危険だから、させないという話もよく耳にする。自分が小学生の時も 飛び込みは禁止だった。飛び込みが危険ならば、なぜ、競泳には飛び込みがあるのか? ということになる。結局、先生が飛び込みを教えられないというだけのこと。きちんと 危険ではない飛び込みが教えられれば、全く問題ないのに、教えられないから危険だと いうことにしているようだ。
 小学校では音楽、家庭科、美術などには専科の先生が多くいるが、なぜか体育の 先生はあまりいない。水泳の例を1つ取っても、担任の先生が授業をするのには限界が あることがわかる。子供にとって身体を動かすことの最も大事な時期であるのに、 体育の苦手な先生が授業を受け持つと、何も教えてもらえず、十分な運動ができない。 そして、ますます身体を動かせない子供が増えることになり、体育の地位もますます 低くなってくる。それは、将来の医療問題にもつながってくることのように思う。 小学校でも体育専科の先生が必要だという認識を広げなければ、日本の将来が 危ないかもしれない。

■2006年11月23日(木曜日)


女子10kmの部



大学対抗の部
 横須賀シーサイドマラソンの応援に行った。自分もハーフマラソンに エントリーをしていたが、最近の運動不足と、捻挫の影響もあり、 棄権することにした。
 男子ハーフマラソンには、長距離の学生が参加したが、先頭は、神奈川大学 が上位を占め、うちの学生は、第2集団に1人入って健闘していたが、力の差は かなりあった。この大会には、大学対抗の部という表彰もあり、我が校は、 神奈川大、松蔭大に次ぐ3位だった。しかし参加校は3位ということで、 何とも言えない表彰だった。
 女子10kmでは、1年生が、第2位と健闘した。この1,2週間は、腰痛を 訴えていたため心配していたが、痛みがなく走り切れたということで安心した。 1位は高校生だったので、来年はトップで戻ってきて欲しい。
 中距離は、男女とも5kmに出場。前半から、スローペースで、トップのゴール タイムも16分22秒ということでかなり遅かった。しかし、誰も上位に入れず、 なかなか厳しい結果だった。練習の状況と照らし合わせると、妥当な結果かも しれない。
 我が校の特性上、学園祭の時期に、クラブ活動が制限され、練習が継続できな かったことが、そのまま跳ね返ってきているように感じた。毎年同じように、 練習の継続はできないが、同じことの繰り返しでは、進歩がない。何らかの 策を立てなければならない。

■2006年11月22日(水曜日)
 人それぞれ、いろんな経緯があって今があり、いろんな立場にいる。人との関わり があって組織を作っているが、人によって属する組織が幾層にも重なり合い、年を 取っていけば行くほど、その層が厚くなっていく。そのため人間関係もどんどん複雑に なり、立場によっては、自分の意図することとは違うことを人に言わなければならない こともある。
 自分は、職場では、最も年齢が若いということもあり、思ったことを言っても 非難されることはあまりないが、自分より上の先輩たちは、なんとなく 立場によりものを申す大変さがあるように見える。できる限り、年を重ねても、 あまり自分の中でややこしい矛盾を作らないようにできたらなぁと思う。

■2006年11月21日(火曜日)
 久しぶりに走った。学生のメニューが4000mペース走で、ペースが3分30秒/km だったため、適度な強度だと思って臨んだが、ペースを作る学生が、だんだんペースを 上げていき、最後の1000mは3分10秒を切るペースで走ったため、残り2周くらいから、 捻挫で痛めていた右足首の痛みを復活させてしまった。ペースが遅いときには、足の 接地に関していくらか衝撃を緩和するにはどうしたら良いかと考えながら走っていたが、 ペースが上がるとそんなことを考える余裕はなく、衝撃はどんどん強くなっていく ばかりだった。
 今日の練習は、木曜に出場する5kmのレースを想定したペース走だったので、 一定ペースでなんとか走りきれるくらいのペースを設定し走ってもらいたかったが、 学生には、意図が伝わらなかったようだ。ペースは体調に合わせるように指示して いたが、先頭を走った学生にとっては、今の自分の体調がわかっていなかったのかも しれない。前日にビルドアップ走をしているので、違いは当然わかっているものと こちらが思いこんでいたのもまずかった。

■2006年11月20日(月曜日)
 一昨年、我が職場では、入試の採点ミスが発生し、関係者に多大なご迷惑を おかけしたことがあり、昨年から、入試の採点をさらに確認する作業が入っている。 ということで、自分もこれに関係するお手伝いをした。修論データと同じく、 ひたすら数字と向き合うという作業で、かなり肩が凝った。数字の確認だけなら 良いが、実際に採点する人は、記述式の解答であれば、それを1枚1枚読まなければ ならないのだから、とんでもない作業量だと思った。しかし我が学校に関して 言えば、何千人分かの解答用紙を処理すればそれで終わりだが、大手進学塾で 行うような全国一斉の模試の採点は、気が遠くなるほどの作業なのだろうなぁと 思った。 

■2006年11月19日(日曜日)
 講習会2日目。内容はドーピング・コントロール。先月大阪の講習会 で見たDVDを最初に見たので前回と同じような内容なのかとがっかりしたが、 実際は前回よりもかなり深い内容で、禁止薬物については、昨年度と 来年度の違いや、注意点など細かく説明された。
 ドーピング検査では、採取した尿をA検体とB検体の2つに分けて保存し、 普通はA検体で分析することになっている。禁止薬物などが発見された場合、 念のためB検体でも分析が行われるが、普通は、AとBで違う結果になることは 考えられない。しかし、2,3ヶ月前に話題になった女子100mのマリオン・ ジョーンズの事例は、このAとBの結果が違っていたことだったことを思い出した。 採取の方法からみれば、AとBが違うはずはないので、この事例の解釈に ついて講師に質問をしたが、AとB が違っている時点で検査は無効になるため 結果としては白で、疑いはかけられないことになっているということだった。 そういう規則になっているのだから、それで納得するしかないのだろうが、 わかったようなわからなかったような・・・あまりすっきりとした 気分にはなれなかった。

■2006年11月18日(土曜日)


岸記念体育会館



NHK前



ファミリーマートの看板
(恵比寿ガーデンプレイス)
 日本体育協会公認アスレティックトレーナー適応コース特別講習会が渋谷にある 岸記念体育会館で行われた。適応コースというのは、大学又は専門学校で、 アスレティックトレーナー養成授業を履修している人が対象で、参加者は200人 以上で、想像以上の大人数で驚いた。自分のような社会人は 少なく、ほとんどが学生なので、講習会の流れをコントロールするスタッフも、 授業を妨害する人が出た場合の対処や、途中で退出してしまう人への注意など 少しレベルの低いことまで気にして講習会の初めに注意を促していた。
 今日は、アスレティックトレーナーの役割ということで、朝9時半から夜7時 までの予定で行われた。大学で一通り聞いたことのある内容であったため、 あまり印象に残る話はなかった。それよりも、講義の開始時刻になっても席に 座らず話し込んでいる人たちがあまりにも多く、スタッフがマイクを使って 時刻を伝えるという状況が気になった。学生とは、こういうものなのだろうが、 人から信用してもらって人の身体にふれる仕事を志す人たちなのだから、 約束事くらいは守って欲しいと思った。半分スタッフの気分で講習会を 見ている自分に気が付き、年取ったなぁとも思った。
 夜は、たまたま目黒へ来ている大学の同期たちと再開を果たした。人によっては 大学卒業以来10年ぶりの再開だった。恵比寿ガーデンプレイスの38階にある うどん居酒屋を同期が予約していたが、どう考えても男4人で来るような場所 ではなかった。うどん居酒屋なのに、うどんはおいしくないのがお店の印象だった。 とにかく、きれいな夜景を見ながら、お互いの近況を話し合うことができ、 なかななか有意義な時間を過ごすことができた。

■2006年11月17日(金曜日)
 気が付けば約12時間睡眠をしていた。昨日は徹夜の影響もあり、 早めに床につき、9時間くらい寝られればいいなぁと思いながら、 目覚ましをかけていた。しかし、何度目覚ましが鳴っても、その音が 気にならず、そのまま寝てしまっていた。普段は6時間くらいの睡眠 時間なので、2日分寝たことになる。ああぁぁぁぁ・・・・
 徹夜をしても、次の日からそれに影響されず生活できれば全く 問題ないが、徹夜をした分、後でそれを補うかのように睡眠を してしまっては効率が悪い。中学・高校時代は、試験前になると 徹夜で勉強し、そのまま部活もやっていてかなり効率は良かったが、 今の現状を見ると、徹夜は間違いなく効率が悪い。できるだけ徹夜を しないように努力しよう。

■2006年11月16日(木曜日)


秋らしくなってきました
 徹夜をして、中途半端ながら発表用パワーポイントを作り、朝5時半の 電車になんとか乗り込むことがき、間に合ったとホッと一安心。
 しかし大学へ行ってみると、すでに発表は始まっていて、結果的には遅刻。 どうやら開始時刻が早まっていたようで、自分の発表は最後になった。 他の人たちの発表は、内容にストーリーがあり、すでに統計処理をして、 ある程度方向性が決まっているように見えた。振り返って自分自身を見ると、 みんなより進み具合は遅く、不安が高まった。
 発表では、今の現状を話、方向性について意見を求めた。その結果、 博士課程の方々からいろいろと意見をいただくことができ、少し 方向が見えてきた様な気がした。少しずつでもとにかく前進しなければ・・・

■2006年11月15日(水曜日)
 明日が修士論文の中間報告だというのに、何もまとまっていない。昨日から、 内蔵の居心地が悪いというか、何かモヤモヤっとした感じで、今朝からは、 胃がキリキリと痛む感覚。今までに経験したことのないストレスを感じている ようだ。自分の行動次第で、いくらでも緩和させられるのだろうが、今のところ 進むべき道が見えてこない。妻からは、胃が痛む感覚がやっとわかった?と 言われた。今まで妻が抱えていた痛みをやっと共感できるようになったようだ。

■2006年11月14日(火曜日)
 昨日は、研究室の教官と、実験データを見ながら今後の展開について話した。 今あるデータでは、仮説が成り立たないので、今まで考えていたことを白紙に もどして、もう一度考え直すほうが良いということだった。
 頭の中をまっさらににして、考え直すということが難しく、今日は、 考え込むばかりで、何も出てこなかった。頭の柔軟性が全然ない(もともと ないのかもしれないが・・・)。結局何も行動が起こせず、全く進歩のない 1日だった。解決の糸口は見つかるのだろうか・・・

■2006年11月13日(月曜日)


この看板です
 秋葉原駅で下車して、改札口へ向かう階段でいつも目にするのが、 ファミ通(子供のころよく立ち読みしたファミコン雑誌)の看板。 内閣ゲーム大臣なるおっさんの顔が大きく載っていて、何らかの キャッチコピーが書いてあるが、それが変わっていることに気が 付いた。
 「若者よ! 人生にゲームオーバーはない。何度でも コンティニューするんだ! 内閣ゲーム大臣」
 なんとなくこのフレーズがすっと入ってきた。けっこう わかりやすいかもと思ったが、以前は、この看板で、 ゲームはリセットできても人生はリセットできないという ような内容があったような気がした。人生はリセットはできなくても コンティニューはできるということか・・・。わかったような わらないような・・・。最近の自殺のニュースに絡めたキャッチ コピーなのだろう。

■2006年11月12日(日曜日)


窓からの眺め



棒倒し
 職場では学祭(開校祭)が行われた。今日は、千葉で東日本実業団対抗 駅伝にアンビバレンスチームのメンバーとしてエントリーをしていたが、 捻挫の影響で走れないのと、修士論文に取り組まなければならないことも あり補欠にしてもらい、職場で数字と向き合っていた。
 開校祭では、陸上競技場でいくつかのイベントがあり、特に観閲式と 棒倒しには、競技場のスタンドを埋め尽くすほど観客が群がっていた。
 棒倒しは、じっくり見ると、それぞれが殴り合ったりけり合ったり していて、棒を倒すこととはかけ離れた激しい戦いをしているように見えた。 1本の棒を倒すための役割分担なのだろうが、けんかに近い。しかし、 棒が倒れた後に素早く戦いをやめるところは、なかなかすばらしかった。 けんかであれば、試合が終わってもまだ続けようとする人がいるはず。 それを見て少し安心した。
 優勝は2大隊(関係者にしか理解できないかもしれませんが・・・)。 毎年棒倒しに強い大隊というものは決まっていて、自分が学生の頃は、 2大隊は初戦で敗れることが多いというイメージだった。時代が変われ ばいろいろと変わるものだ。

■2006年11月11日(土曜日)
 相変わらず、子供は頑固になることが多く、いったんイヤだと言い出すと どうしようもない。子供が1歳を過ぎた頃、子供が泣く度に「人生は思い 通りには行かないんだぞ!!」と言い聞かせていたことを思い出した。
 子供が自分の言うことを聞かないことで、今まさに親をしている自分が、 「人生思い通りには行っていない」状況に陥っている。なんという皮肉だろう。 自分が子供に言い聞かせていたことを、子供から教えられるなんて・・・

■2006年11月10日(金曜日)


つくばは霧でした




蜘蛛の巣が
目立ちました




本当にきれいです
 「名選手、名監督にあらず」と言われることがあるが、なぜそうなるのか。 どんな人でも、何らかの運動で、ある技術を身につけるには、何度も繰り返し その動作をすることで身につけられるようになるのだが、名選手は、時に 何度も繰り返さなくてもできてしまうことがある。センスがあればあるほど、 あまり苦労なく新しい技術ができるようになるため、苦労の過程がないまま 名選手として活躍することになる。
 その名選手が監督になって、選手の指導をする場合、監督は、自分が選手時代に 簡単に身につけられた技術を選手がなかなか身につけられないという状況に 直面する。監督からすれば、なぜできないのか?ということになる。監督は、 自分でやってみせることはできても、どうやってできるようになるかが説明できず、 選手の苦労がわからない。指導者は、自分の経験したことからしか指導が できず、それ以上のことはできないと言うこともできる。
 才能に恵まれた選手は、並の選手が、一段一段階段を駆け上がるところを、 2段、3段抜きで駆け上がってしまうため、その飛び越えた段階を説明する ことができなくなってしまう。
 逆に、苦労した選手ほど、指導者になった場合の指導力は高く、名選手で なくとも監督は務まるのかもしれない。しかし、カリスマ的な存在でないと いうのが問題なのかもしれない。
 巨人の長嶋さんが、「来たボールをタダ打つだけ」とバッティングについて アドバイスをしても、アドバイスを受けた方は、どうすればいいかさっぱり わからない。長嶋さん本人は、本当にその表現の通りに感じて、打っている 可能性が高い。しかし、アドバイスを受けた方は、長嶋さんと同じレベルの 感覚を持っていない限り、同じように打てるものではない。
 指導できない人が、指導できるようになるにはどうしたらいいか?それは、 指導者自身ができないところへ戻ること。とにかく自分をできないところへ 追いやり、ゼロから始めること。何を意識して、何を見て、どういう タイミングでということを内省しながら、何度も繰り返し、自分の運動を 自分で感じ、今まで意識下にあったものを意識化することが必要となる。 自分の運動を自分で感じられなければ、他人の運動を自分のことのように 感じることはできない。
 4月から大学の陸上部顧問をしているが、自分にできて学生にできない ことがたくさんある。自分をできない状態にするということの難しさを 感じる。高鉄棒での懸垂逆上がり1つとっても、できない人に説明するのが 難しい。できなかった学生は、何度もやっているうちに勝手にできるように なり、こちらの説明を必要としない。できるようになった学生に、 できるようになった過程をまだできていない学生に説明するよう頼むが、 誰一人その説明ができない。いったんできるようになると、その瞬間に その過程を忘れてしまうようだ。つまり頭で考えてできるようになったの ではなく、やっているうちに身体が勝手に覚えたという感覚なのかもしれない。 それだけ、注意深く意識をして身につけた技術でなければ、人に説明する ことは難しいということなのだ。

■2006年11月9日(木曜日)
 職場では、毎週建物毎の電力消費量が発表される。これは、政府の行う 温室効果ガス削減に関連して行われている。温室効果ガスとは、二酸化炭素、 メタン、一酸化窒素、代替フロン等3ガスのことを言うらしい。平成17年度の 政府の温室効果ガスの総排出量は、約197万トンCO2(平成13年度比−1.2%)で、 年々わずかずつだが減少している。しかし、目標の−7%に達していない。 温室効果ガスのうち二酸化炭素だけが毎年増加し、残りのガスについては、 かなり減少しているため、温室効果ガスを減らそうという場合には、 二酸化炭素を減らそうと言い換えても問題ないようだ。
 国内の総排出量は、13.6億トンCO2(平成13年度比+8.1%)。国全体としての 目標は−6%だが、現実は、減らすどころかどんどん増えている。その内訳を 見ると、工場などは努力し排出量が削減されているようだが、家庭から排出 される量が増加している。まずは、政府がお手本を見せなければならないと いうことで、各省庁毎に排出量を算出しているが、上記のようになかなか うまくいかない。会計検査院は、−43.2%とずいぶん削減しているが、 我が防衛庁は、+12.1%と増加している。
 職場では、昼休みに最小限の明かりを除き、電気をつけないようにするなど 小さな努力はしているが、理工系の実験室で大きな器材を動かすと、それだけで かなりの電力になるらしく、毎週の電力消費量の増減も実験次第で変化してしまう。 個人としては、パソコンを使わないときは、電源を切ったり、不必要な コンセントは抜くようにしている。
 11月に入って、かなり温かい気候が続いている。北海道では、例年は雪が 降っている時期なのに、いまだに雪が降っていないらしい。3日ほど前に、 北海道佐呂間町で大きな竜巻が発生し、町が大変な状態になっているが、 この竜巻が起こったのも、例年にはないくらいの温暖な気候が影響していた らしい。この1週間くらいの気候を、地球温暖化と結びつけるというのは 間違っているかもしれないが、やっぱり何か関係しているのではないかと 思ってしまう。

■2006年11月8日(水曜日)


この晴れ渡った空のように
明るい話題はないものか...
 聖路加国際病院で90歳を超える年齢で現役の医師をしている日野原重明先生 が最近盛んにテレビに登場する。命の大切さというものについて語ることが 多いが、その他にも「pay it forward」というキーワードが印象に残った。
 日本人は、とても恩を感じる民族で、借りができた人には恩を尽くす が、それを「pay it back」と言い、多くは、過剰なまでに恩を尽くす。 「pay it forward」は、自分の感じた恩を、借りのある人でない別の人に返す ことを言い、別の人に返す恩を1人ではなく3人にすれば、世の中はどんどん 良くなっていくという考え方らしい。どこかで聞いたことのある話だと 思ったら、映画「ペイフォワード」に出てくる内容そのものだった。
 とにかく、復讐をやめなさいと説いていた。復讐からは何も生まれず、 そこから生まれるのは、更なる悲劇でしかない。イラクでの戦いは、まさに その悲劇だった。
 昨日は、文部科学大臣宛に届いた自殺予告の手紙について騒がれていたが、 そこには、復讐のための自殺という雰囲気があった。自らの命を絶つことで、 その子の両親は、その悲しみや苦しみを一生背負うことになり、復讐できたか どうかは、結果としてはよくわからなくなる。自分の苦しみや悲しみを、 さらに別の2人へ移していくという「pay it forward」とは全く逆のことを しているようにも考えられる。これでは、世の中はどんどんマイナスの方向へ 進むことになってしまう。あれだけの手紙を書く意気込みがあるのなら、 もっと前向きな考え方を文字にしてみれば、解決策が見つかるかもしれない。 手紙の主は、周りに信頼できる人が誰もいないと考えているようだが、 それは、周りを何も見ていないのと同じ。子供が、「みんなが言ってる」と 言うときのみんながせいぜい1人か2人というのと同じ。手紙の主の言う 周りとは、たぶん1人か2人くらいのことでしかない。必ず信頼できる 人はいる。もっと大勢の人と関わるべきだと思う。

■2006年11月7日(火曜日)
 32歳の誕生日を迎えた。感動がなく、あまり人間らしくない。妻が 一生懸命作ってくれる料理にコメントをすることもなく、「何か言ってよ!!」 と怒られることもある。このままじゃ、良くないとは思っていても、なかなか 改善できない。
 最近は、一人で数字ばかりのデータとにらめっこしているためか、 一人でいるときは、なんとなくふさぎ込んだ気分になることが多い。 途中でボーっとしていて、データの打ち込みを間違えたりする。自分は 今何をしているのだろう?と思うこともある。無気力になることもある。 研究でのデータ整理というのは、単純作業が多いが、孤独で性格を暗く する作用がある。この先研究者としてやっていけるのだろうか?という 不安ばかりがつのる・・・

■2006年11月6日(月曜日)
 千葉で航空自衛官が酒気帯び運転で現行犯逮捕された。先月までは、 マスコミでも飲酒運転が大きく取り上げられ、公務員は特にやり玉に 挙げられていた。誰もが行うべきではないが、3等空尉(幹部)という 指導する側の人が起こしてしまったというのはかなり問題。ちょっと 注意をして、タクシーで移動すれば済むことなのに、何でそれが できないのだろう?
 ニュースによると、彼の年齢は52歳。あと2年で定年を迎える年齢。 この年齢の人であれば、幹部でなくとも若い隊員を指導する立場であり、 彼らの模範となるべき立場のはず。定年を迎えられれば、退職金も 得られただろうに、なんでわざわざそれを捨てるような行動をするのか? 自衛隊生活約30年の結末がこれでは悲しすぎる。
 人は、やってはならないとわかっていて、やってしまうことがある という。その一つが飲酒に関わることなのだろう。一歩踏みとどまる 自制心が必要なのだと思う。毎日いろんな事件や事故が発生している。 それが起きるか起きないかは、その人の自制心次第だったということが 多いのではないか?自制心を持つことが、人と関わって生活するための マナーなのだと思う。

■2006年11月5日(日曜日)
 子供の歯磨きをしているときに、なかなか口を開かなかったり、 こちらの要求を受け入れないことが多い。ちょっと我慢して、「い」の 口にしてくれれば磨けるのに、泣いて嫌がる。嫌がっている時間が 過ぎるうちに磨いてしまえば、すぐに終わり解放されるのに、とこちらは 思う。しかし子供は頑固になり絶対に口を開いてくれない。最終的には 親が実力行使で無理に口を開けほんの数秒で歯を磨き終わることになる。
 磨いた後は、口の中をゆすがなければならないが、その時には、 大泣きをしているため口がゆすげない。よだれを流しまくるので それだけでゆすぎが終わってしまいそう。とにかく、絶対に口を ゆすごうとしない。
 最近は、一人でできることについてもできないと言ってやらないことが 多く、こちらはそれに腹が立ってしまう。何でもやってみたいというのが 子供かと思っていたが、そうではないらしい。子供の育て方がまず かったのか?と悩んでしまう。
 ひとつひとつが進まず、こちらもどんどん腹が立ってくる。子供は 泣くばかり・・・妻は日々こうやって子育てに奮闘している。子供は、 母親の言うことを聞かなくても、友達のお母さんが同じことを言うと しっかり聞くらしい。他の子供も同じような傾向らしいが、母が子供と 2人だけでいるときのストレスはとてつもないものだと思う。
 いつまでもこの実力行使をしていると、子供が親の顔色をうかがいながら 親の言うことを聞く良い子に育ち、言われたことしかできない子供に なってしまう。自分で何でもやってみようという子供になってもらいたい。 子供は、与えられた環境の中で生活して来ただけなので、子供に非はない。 自分たち親が、どう変わっていくかが問題なのだと思う。まだまだ 自問自答の日々が続く。

■2006年11月4日(土曜日)


桜発見!!
 人の美しいという感覚は、万国共通ではないらしい。ある地域では、太った 人が美しいと言われ、またある地域では首が長い人ほど美しいと言われる。
 恥ずかしいという感覚も地域差があるらしい。ある地域では、首飾りと腰巻き が正装とされ、女性でも胸を出した格好が普通で、誰も恥ずかしいと考える人は いない。これは、我が家の子供を見ていても同じで、風呂から出て、素っ裸のまま 家中を動き回る。妻は、恥ずかしいからパンツをはきなさいと言って 追いかけ回すが、彼にとってはパンツはどうでもよく、恥ずかしいという 感覚はない。
 人の感覚は、生まれたときには、それほど備わっておらず、育った環境に よって形作られる。そう考えると、今、国際社会で問題になるような行動を 起こす国々に生まれた子供たちは、その国での感覚を身につけて大人に なるので、周りの国々からいろいろと圧力を受けても、考え方は簡単には 変わるはずがない。死を恐れず、テロを起こす人が出てくるし、拉致を 何とも思わない人も出てくる。
 子供を育てる環境は、とても大事だと思う。国会では、教育基本法について 議論が始まるようだが、大人の都合ではなく、子供たちのことをしっかりと 考えて議論を進めて欲しい。

■2006年11月3日(金曜日)


紅葉はまだまだです



800mスタート



2周目



ゴール前
 先月からの下宿代を払いにつくばへ行ったが、大家さんが不在で払うことが できなかった。筑波大学では、ポストシーズン競技会があり、うちの学校の 学生もエントリーしているので応援に行った。自転車を盗まれたため、 下宿から大学までは徒歩で移動するしかなかった。自転車で約20分のところが 徒歩だと50分もかかった。捻挫以来できるだけ動かないようにしていたので、 久しぶりに長時間運動した気分になった。
 競技会に出場した学生たちは、全員800mにエントリーし、当日申込みだったため、 新たに1組が編成され、学内記録会になってしまった。学外の人にレースを作って もらい、その流れにのって記録を出そうと考えていたので、想定外の組み合わせに 困った。
 最終的には、3年生2人がレースを引っ張るということになったが、 同じ大学の選手しかいないと、レースであっても少し妥協が入ってくる。 1周目を58秒台で入る予定だったが、62秒となってしまった。ゴールタイムも 全員が目指していた結果にはならなかった。この2週間くらいは、学校行事 のため練習の制限が多く、一人も満足に練習ができなかったので、仕方ない 面もある。それぞれが今出せる力を出した結果だったのだと思う。
 我が大学では、訓練や学校行事などで、1年間に何度も練習を 継続できない期間が出てくる。しかもそれが週単位や月単位でやってくる。 その練習のできない期間に、個人がどれだけ競技のことを考えているかで、 4年間の競技成績が左右される。全員に競技について考えてもらいたいが、 それで飯を食うわけではないので、当然競技に価値を置かない者もいる。 誰がどの程度考えているかということが、はっきり見えず、競技がイヤ ならやめなさいと言うことはできないので、他の大学のように強くものを 言えない感じが自分の中にある。学校の特性上、我が校は、負けることの 許されない集団なのではないかと自分は考えているが、元々競技力の高い人が 入ってくる学校ではないので、試合で勝つということがなかなか難しい。 まずは、どのレベルでもいいので、レースでトップになるということを 経験させたい。

■2006年11月2日(木曜日)
 最近報道されるいじめによる自殺では、首つりが多い。首つりというと、 首が絞まることで苦しみながら死んでいくのではないかというイメージを 持っていたが、実は、柔道などでいう「落ちる」という感覚がすぐに来て 気を失ってしまうため、それほど苦しみはないらしい。
 インターネットで、検索してみると、首つりの方法が事細かに書かれて いるサイトもあり、どんな場所で、どんな準備をして行うと、比較的 多くの人に迷惑をかけずに実行できるかなどが載っている。ロープの 太さの比較や、実際に死なないように体験をする方法、身近な人が 亡くなった経験のある人たちの話まで載っていた。さらに、実際に行って いるところが画像や動画として記録されているところまである。その ページをクリックする勇気はなかったが、調べるとどんどん出てくる。
 自殺幇助になるのではないかと思ったが、ただの情報提供であって、 裁判になっても罰せられることはないらしい。しかし、これらのサイトを きっかけに実行する人もいることを考えると、それで本当にいいのだろうか と思う。こういうことを追及していくと「生と死」というような哲学的な ことにまで及んでしまう。人間は最後にたどり着くのは哲学だ、 と心理学の先生が言っていたが、そういうことになるのかもしれない。

■2006年11月1日(水曜日)


開校祭は11/11〜12です





前夜祭は絢香が来ます
(学内関係者限定です)
 3ヶ月の新聞購読契約が昨日で終わった。10月中に販売員が継続の のために我が家へ来たが、3ヶ月という約束だったので断った。 しかし今日また別の販売員が来た。彼は、階段を走って上がって きたようで、もの凄く息が切れていた。わざわざ走ってくる 必要もないだろうに・・・
 いきなり、いろいろな施設の割引券をもらった。継続しなかったのに なぜくれるのだろう?と思ったが、くれると言うので受け取った。しかし、 もらった券の中には、期限切れの券や、今週末しか利用できない券もあり、 あまり利用価値はなさそうだった。
 販売員は新聞奨学生だった。7月に妻が同様に新聞奨学生の話を聞き、 仕方なく購読が始まった。妻は、新聞奨学生の経験があり、その苦労を 知っていたので、半分同情もして購読に踏み切ることになってしまった。
 今回の学生も、あと2件のノルマをこなさないと今日の仕事が終わることが できず、購読してくれるまでは帰れないという勢いだった。妻が 新聞奨学生だった時には、同情して購読契約をしてもらうことだけは、 絶対にやりたくなかったと言っていた。しかし、彼にはそういう考えは なさそうだった。妻が言うには、ノルマがこなせなければ、こなせ なかったというだけで、特に給料に影響するわけではないらしい。 しかし、彼は、ノルマをこなさなければ、明日が来ることはなく、 自分の立場も危うくなるというような話だった。
 ドアを閉めるタイミングが取れず、長々と話を聞くことになったが、 初めから購読するつもりがなく、自分も何とかお金をやりくりしながら 学校へ通っているので、同情はするが、それ以上のことは考えられなかった。 しつこく断り続けた結果、やっと諦めてくれた。こうやって訪問販売員に モノを買わされてしまう人がたくさんいるのだろうと思った。



[昔のいずみ]