最近のいずみ

Last Update:2006/3/31

パートタイムアスリートいずみ 6年目に突入!! 


■2006年3月31日(金曜日)


足の踏み場もありません
 横須賀へ引っ越し。あまり引っ越し準備が進まず、引っ越し業者が 予定の時刻よりも早めにやってきたためさらに焦った。我が家は物が 少なく、それほど引っ越しに時間が掛からないだろうと思っていたが、 意外に物は多く、なかなか部屋の中の物はなくならなかった。業者も 次の仕事があるためか、ある程度荷物を積み込んだら、積み込み完了と 考えて引っ越し先へ向かうと言い出し、勝手に動き出したため、こちらは、 すべての荷物を積み終わる前に、見切り発車されてしまい、かなり困った。 妻は、そのまま荷物をまとめ、自分は、持って行ってもらえなかった荷物を 少しだけ自分の車へ積み込み、あわてて引っ越し先へ向かった。
 引っ越し先は、今住んでいるところよりも少しだけ広かった。平成に なってから建てられた建物なので、今住んでいる昭和40年代の建物と 比べ格段にきれいだった。
 引っ越し業者は、到着すると、すぐに荷物の搬入に取りかかったが、 荷物が多かったため搬入に約3時間掛かった。やっぱり我が家は物が 多かった。
 結局、引っ越しの荷物を搬入し終えたのは、夜の9時前。和光へ 帰ることができず、妻は、体育学校同期の森くんの家へ泊めてもらった。 今日の引っ越しは、かなり森家に助けられた。本当に感謝です。

■2006年3月30日(木曜日)
 陸上班送別会に招待してもらった。陸上班は、自分が選手時代に所属した ところだが、今は、別の部署にいるため、招待される立場ではなかったが、 OBということで、仲間に入れてもらうことができた。
 自分の挨拶では、今いる環境がどんなに恵まれた環境かを理解して、 トップを目指して頑張って欲しいというような内容を話した。その直後に、 今年からコーチになる先輩が来てくれて、和泉の言うことを選手になんとか 理解させて活かしていきたいと言われ、うれしくて涙が出そうになった。

■2006年3月29日(水曜日)


代々木公園の桜
 アンビバレンス練習会。メニューは300m×5。7分休息で40秒の設定。 昨日は暖かかったのに、今日はまた冬の寒さに戻り、体は動かしづらかった。 そのため41秒前後となり、設定よりは抑えめのペースで走ることとなった。 4本目で完全に体力を使い切り、5本目はただもがくだけだった。

■2006年3月28日(火曜日)


この建物の2階です
 つくばでの新しい下宿先への引っ越しをした。引っ越しと言っても、 ただ研究室に置いてある布団一式を運び込むだけで、作業としては 大したことはなかった。
 先月まで借りていた大学の学生宿舎は寂れた感じで、全く温かみ がなかったが、今回は違った。新しい下宿は、人の家の敷地内にある離れで、 1階が物置で2階は下宿人が3名入居できるようになっていて、 日当たりも良く、じゅうたんも敷いてあり、大家さんもとても親切な方で とても温かみのある環境だった。
 引っ越しを終え、4月分の下宿代を払いに行って帰ろうとしたところ、 大家さんに「ほうれん草持ってくか?」と聞かれ、遠慮なくいただくことにした。 すると、「家の裏に来て」と言われ、家の裏にある畑へ連れて行ってくれ、 小松菜、ほうれん草、ネギをその場で切ってくれ自宅へのおみやげに持たせて くれた。久しぶりに田舎の良さというものを味わい、豊かな生活だなぁと思った。

■2006年3月27日(月曜日)


段ボール遊び
 肉離れ以来、久しぶりにまともな練習を再開。メニューはサーキットトレーニング と4000mペース走。サーキットは、セットが増えるに従い、動きが悪くなって しまったため、ペース走もまともに走れないだろうと考えながら、スタートしたが、 意外とタイムは追うことができ、平均3分20秒/kmを上回るペースで走れた。 3分30秒くらいでいいと思っていたので、調子は悪くないかもしれないと思い こみ、最後に600mのウインドスプリントをやることにした。風が強く、走りづらい なか、1分33秒で、大体感覚通りで走れたが、ゴールと同時に吐いた。体の 中は、相変わらずどこかおかしい。もう少し速いペースでもう1本走りたくなり、 さらにもう1本200mのウインドスプリントを行った。26秒8で、気持ちよく 走れ、今日の練習に納得でき、やっと終わることができた。

■2006年3月26日(日曜日)


今日のシンポジウム



新宿のビル群



桜も咲き始めました
 ランニング学会2日目。午前中は、昨年度の優秀発表賞を受賞した先生による 発表があり、特にマラソンレース当日の食事摂取についての研究では、新しい 知識を得た。マラソンの食事と言えば、筋中にグリコーゲンをためるべく、 レース前にはグリコーゲンローディングということで、糖質を中心とした 食事をするのが選手の間では常識になっている。しかし、レース当日に 糖質をたくさん摂ると、最後まで残しておきたいグリコーゲンが最初から 使われてしまうということで、レース前日まではグリコーゲン ローディングをし、レース当日に、高脂肪食を中心にしたらどうなるか ということをテーマにして研究が進められていた。結果は、レース当日は 高脂肪食を摂り、レース直前に糖を摂取することで、運動中に脂質代謝を 亢進させ、勝負所まで糖質を温存できる可能性があるという結論になった。 今まではレース当日も糖質ばかりを摂っていたが、脂質を摂るようにして みようかなぁと思った。
 午後からは、「選手から指導者へ〜勝利の美学を追究する」というテーマで、 シンポジウムが開かれた。最近の男子長距離の停滞原因の一つは、箱根駅伝 にあるのではないかという意見が出された。箱根駅伝では、エースは必要では なく、10人が無難に走れるチームを作る必要があり、最後の9,10, 11人目の選手のレベルをいかに上げるかを考えてトレーニングを組むため、 トップの選手を育てることができないということだった。大学の監督やコーチも それで飯を食っているので、トップの選手を育てたいという矛盾を 感じながらも、レベルを下げたトレーニングをしているようだ。また、 実業団でも同様に、ニューイヤー駅伝とマラソンの間で選手もスタッフも 揺れ動いているようだった。昔であれば、両方をうまくこなす選手が 成功していたが、今は、両方をこなすことが難しい状況になっている という。理想と現実の間で揺れ動く長距離関係者の苦悩がよくわかった。

■2006年3月25日(土曜日)


中村清を考えるシンポジウム







女性ランナーのシンポジウム
 東京工芸大学で行われたランニング学会に参加した。今回のテーマは、 「マラソンは芸術か?」。最初のシンポジウムでは、マラソンの指導者として有名な 中村清氏に指導を受けた人たちがシンポジストで、「マラソンは芸術です」 と語った中村氏とのエピソードを語りながら、テーマに近づいていった。
 中村氏は、人を圧倒する情熱で多くの有名選手を育てたが、とにかく話すのが 好きなようで、シンポジストたちの話から考えると、技術よりも心に訴えかける指導を していたように感じた。同じことを何度も話し、選手は、いつも同じことを 言っていると感じていたようだったが、監督の真意は、自分に変化があれば、 同じ話も違った感じ方ができるということだった。同じように聞こえるということは、 全く成長していないということになる。子供は、ディズニー映画を何度も繰り替えし 見るが、それは、常に新鮮な発見があり、子供が成長している証拠である ということを監督は語ったという。監督の口の調子が良くなってくると、1時間以上 話を続け、終わったところでいきなり練習が開始し、ウォーミングアップや クーリングダウンなど全くなかったらしい。当時は、非科学的と言われてもいいような ことが多くあったが、選手はそれに耐えられ、全く問題がなかった。今の選手であれば 耐えられないであろうが、現在の箱根駅伝のように、レース中に疲労骨折などで、 棄権する選手はおらず、逆に、現代の科学的なトレーニングが選手を弱くしている 可能性もあるようだ。レースで20kmを走った後にもう1本同じコースで 20kmをやるというようなことは、やっぱり今では考えられない。
 芸術は、文明の力を借りず、人を通して成り立ち、心の部分が大きく反映すると 考えられるが、マラソンも同じようなことが成り立つ。瀬古さんは修行僧と 例えられたが、ほとんどのレースは人々にすごいと思わせる何かがあり、 美しく、まさに芸術そのものだったとシンポジスとの全員が賞賛し、中村監督も、 選手に「瀬古が金ならば、おまえたちは全員ただの石だ」と語るほどの思い 入れがあったようだ。すばらしい日本刀は、日本刀の域を超えると言われるが、 走りも同じで、走りを超越したときに芸術の域に達するのではないかという 意見で、このシンポジウムはまとまった感じがした。
 最後のシンポジウムでは、「女性ランナーはなぜ走り続ける?〜ランニングで 得たこと」というテーマで、松田千枝さん(資生堂)や山口衛里さん(天満屋)を シンポジストとなり、これまでのランニング人生と、今後の抱負などを語った。 悪いところを直していくと、角張った円の角が取れて、小さな丸い円に なり、いいところをほめると、角張った円の上に積み重なり大きな丸い円になる という話が印象的だった。

■2006年3月24日(金曜日)


プール教室
 子供の水泳教室が最後の講習ということで、妻と子供の取り組みを見に行った。 妻から、子供がなかなかプールへの飛び込みができないと聞いていたが、 家ではソファーから飛び降りても平気なので、そんなことはないだろうと 思っていた。実際は、周りの子供たちは普通に飛び込むのに、うちの子は やっぱりこわくて、腰が引けまったく飛び込めなかった。なんでだろう?

■2006年3月23日(木曜日)
 子供と英語教室へ行った。この教室へ行くのは、一昨年の8月以来2回目。 前回は、子供が0歳だったので、ほとんど話すこともなく、反応も 少なかったが、今回は、家での会話から、かなり反応は良くなっている に違いないと期待していた。しかし現実は、期待通りには行かず、先生が 何を話しても、一言も言葉を発しなかった。もう2年くらい通っていて、 家では意外と話しているのに、なぜ、肝心なところで話さないのか・・・

■2006年3月22日(水曜日)
 いつも7時半過ぎ出勤するのに、今日は目が覚めたのが7時半。本当に焦った。 社会人になって、今日で9年間が終わる。この9年で、最もピンチな朝だった。さらに まずいことに1日中眠気が強く、全く集中力がなかった。夜は、アンビバレンスの 練習会に行くつもりでいたが、雨が少し降っていたこともあり、よけいに疲れを ためない方がいいと思い、行くのをやめた。全く活動的ではない1日だった。

■2006年3月21日(火曜日)


みんなで
 ワールドベースボールクラシックで日本が世界一になった。予選から、 なかなかいい結果が出せなかったのに、終わってみれば優勝。韓国は、 1回しか負けていないのに、決勝に行けなかった。ルールがちょっと おかしいような気がするが、とにかく体の中から喜びがわき上がるような 優勝の瞬間だった。
 夕方から、妻のママ友達高橋さんから夕食のご招待があり家族で出かけた。 高橋家も我が家と同じ家族構成で同い年の子供がいる。まだ、遊ぶといっても、 個別におもちゃで遊ぶことが多く、一つのおもちゃで遊ぶということは、 おもちゃの取り合いをすることになり、一緒に遊ぶという感じではなかった。 しかし、今日の2人は、机の周りを追いかけっこして大はしゃぎだった。 何がおもしろいのかは大人にはわからないが、こんな単純なことでも おもしろいと思えるということは、それをとても新鮮なこととして感じて いるのだろうと考えられ、子供っていいなぁとうらやましく思った。

■2006年3月20日(月曜日)


坂田選手試合開始



試合終了後
 職場でボクシングのチケットをもらったので、ボクシング好きだった大学時代の 同期を誘い、後楽園へ行った。東京ドームの横に、格闘技の試合をする場所が あることも知らなかったので、見るものすべてが自分にとっては新鮮だった。  今夜のメインイベントは、世界戦も戦っている坂田選手の試合。 7時前くらいから4回戦の試合が始まり、メインは、9時くらい。4回戦の 試合は、プロデビュー戦か2戦目くらいの選手ばかりで、テレビで見るような プロボクシングとは、全く違うものとして見えた。素人が言うものではないが、 見るからに手打ちという感じで、必死に疲れるために腕を動かしているようだった。 しかし、これが6回戦に上がると、少しボクシングらしくなってくる。 10回戦になると、完全にボクシングになり、微妙な間合いでの攻防が見られた。
 メインの坂田選手は、確実にパンチを当てるタイプの選手に見え、世界戦を 戦ってきたプロボクサーという派手さは全くなく、とても好感が持てた。しかし、 派手さがないぶん、面白みは少なかった。ボクシングスタイルにも性格というものが にじみ出てくるのかなぁと思った。しかし、プロには確実に勝つということが 何よりも大事。今夜の坂田選手も危なげなく確実に勝利をおさめていた。

■2006年3月19日(日曜日)


一般男子12kmの先頭集団



引退レースの高橋健一さん



今年も渡辺さんと走りました
 千葉国際クロスカントリー一般男子4kmに出場。この冬は、長距離の トレーニングをほとんどしていないので、トレーニングの一環として 参加するしかなかった。4月の世界クロカン直前ということもあり、 国外招待選手も多く、例年よりはレベルが高かった。
 毎年同じコースを走っているはずなのに、1年ぶりにやってくると、 コースがよくわからない。どの選手に聞いてもはっきりせず、役員に 聞いてやっと理解し、スタートしたが、教えてもらったコースと違い、戸惑った。 1kmの通過が2分32秒9。先頭は2分27秒くらい。かなり押さえて 走っているはずなのにこのタイム。本当だったら、かなりすごいことだと 喜んではみたものの、例年よりも1kmの表示が手前にあるような気もして、 頭は混乱。1km〜2kmのタイムが3分36秒5。エッと思い、もう1度時計を 見たが間違いなかった。それほどペースを落としている感覚はない。 この2kmまでで完全に自分がどうやって走っているかわからなくなった。 その後のラップは3分17秒5、3分23秒6。常に自分の前に富士通の 笹野くんが走っていて、彼だけは何とか抜きたいと思っていたが、最後の直線で 大きく離され、目標は達成できなかった。ゴールタイムは、12分52秒。 昨年よりも10秒ほど悪い。
 優勝は10分55秒。昨年までの大会記録より20秒以上速い。たった 4kmのコースで20秒以上のコースレコードは考えられず、他の選手に 聞いても、今日のコースはおかしいという話になった。コースは約2周を するが、1周目は大回りで、2周目がショートカットのコースを回るはずだった。 それが2周ともショートカットのコースだったため、このような結果に なったのではないかという結論になった。役員は誰も気づかず。 大会終了後、記録担当の先生にこの話をしたところ、あわてて確認作業に 入られたようだ。
 とにかく、昨年よりも距離が短かったにもかかわらず、自分のタイムは 悪くなっているというのはどういうことか?これを考えると、さらに 自分は落ち込むこととなった。

■2006年3月18日(土曜日)


懐かしい人たちと
 午前中は、明日のクロカンの調整走。体育学校の川上くんと山口くんの後に ついて、1000mを走った。入りの400mが61秒台とかなりペースが 速かったが、その後少しペースダウンし、ゴールは2分42秒台。最近、 まともに走っていない割には、楽に走ることができ自分でも驚いた。
 夜は、陸上班の田尻コーチの定年退官パーティーに参加した。このパーティー には、日本全国から陸上班のOBが駆けつけ、滅多に会うことのない人たちと 久しぶりに話をすることができた。特に防大1年生のころにお世話になった 方と会えたことがうれしかった。奥さんを亡くされたということで、 「家族を大事にな」という一言が心に響いた。身体が元気なときは、 身近な人のありがたみというのは、なかなかわからない。家族は最も大切な 存在だなぁと思うひとときだった。

■2006年3月17日(金曜日)
 携帯電話に来る迷惑メールは減少傾向にあるのに対し、パソコンではまだまだ 迷惑メールが猛威を振るっているというニュースを見た。
 自分の実感としても、その通りで、携帯電話は、1週間に2,3件の迷惑メールに対して、 パソコンへの迷惑メールは1日100通近く来る。訳のわからないアルファベットだけの メールとアダルサイトや出会い系サイトの案内メールばかり。迷惑メールのアドレスを 登録することによって、そのメールの受信を阻止することはできるが、無料で登録できる のは、1000件程度。その容量を超えて日々送られてくる。無料の範囲では、 はっきり言って止めようがない。
 しかし、お金を払って止めてもらうのも、なんか悔しいので、結局、暇さえあれば、 迷惑メールの削除をするということになる。時間をお金で買うかどうかというところで、 自分のなかでは、今のところお金を払うだけの価値を見いだしていない。

■2006年3月16日(木曜日)
 美しさというのはどういうものかというと、平均的なことらしい。大勢の女性の顔を 合成していくと、美人になるという。美しいというのは、人とはかなり違っていて 特別なことかと考えていたので、この話は意外な感じがした。要するに、平均にどれだけ 近いかということについては、誰もが感覚でわかる尺度のようで、かなり細かいところ まで、うるさく言う人が出てくる。しかし、平均からはずれると、はずれているのは 明らかなので、細かく言及する必要がなくなる。
 誰が美人なのかというのは、人によって好みがあるかもしれないが、それぞれの 考えている最も平均的な顔にいかに近いかというところで決まるようだ。そう考えると、 世の中のいろいろなことが、特別なことではなく平均的なことを求めて動いている のではないかと思えてきた。統計的な考え方というのは、まさにこのことだ。

■2006年3月15日(水曜日)
 最近、ウイニーによる警察や自衛隊の情報流出が続いている。これを 受けて、とうとう日本政府からウイニーを利用しないようにという コメントが出された。
 職場でもウイニーがパソコンに入っていないかどうかのチェックが これまでに3回は行われた。職場のパソコンはなく、私物のパソコンを 利用している。インターネットにつながる環境はなく、個人的には PHSを使って接続している。当然ウイルス対策ソフトは入れて いるが、本当にウイルスが入っていないかどうかよくわからない。 パソコンで作った文書は、基本的には、パソコンのハードディスク内 には保存しないように指導され、作成の時だけ文書をパソコンへ読み 込んで使っている。
 ウイニーを作った人のコメントでは、ソフトを作って配布することは 犯罪ではないと言っていた。たぶんその通りだと思うが、そのソフトを 利用して、コピーされた音楽や映像は違法なもの。この問題を 理解するのは難しい・・・

■2006年3月14日(火曜日)
 膝の曲げのばしの筋力測定をした。この測定をするのは昨年の8月以来。 先週、右の大腿後面の軽い肉離れがあったので、その部分の筋力は 落ちているだろうという予想だったが、その部分の筋力は、気にする ほどではなく、逆に左足の大腿後面の筋力がかなり低かった。自分の 感覚でも、力が入りにくく、左右差があることを実感した。このまま の状態でトレーニングをしても効果は低くなるだけ。どこに原因があるか、 探っていかなければならない。

■2006年3月13日(月曜日)
 ワールドベースボールクラシックで、日本対アメリカ戦が行われ、残念 ながら日本は3対4で敗れた。試合前半は、日本がリードし、いい雰囲気 だったが、後半は同点に追いつかれ、イヤな雰囲気になった。
 しかし、9回表、1アウト満塁のチャンスとなる場面があり、 日本は、このチャンスに外野フライでタッチアップ。いったんは 4対3で勝ち越したが、外野フライをキャッチする前にランナーが飛び 出していたというアメリカチームの抗議によって、得点は取り消しになり 3アウトで攻撃が終了してしまった。リプレイのビデオを見る限りでは、 フライをキャッチした後に足が離れている。どうしてこれがいけないのか 理解できなかった。アメリカを勝たせるために審判が試合を操作している ように思えてならなかった。
 この出来事が流れを変え、9回裏に、日本はファーストへの送球で アウトにできるはずのプレーで、ファーストがベースを踏めずにアウトに できず、これがきっかけでサヨナラ負けを喫した。このミスというのは、 普通なら絶対にしないようなミスで、集団の落ち込んだ心理が招いた プレーのように思えた。この流れを断ち切るようにピッチャーは次の 打者を三振にしたが、最後の打者にヒットを打たれ、得点を許してしまった。
 一瞬のプレーを見極める審判の公平性を保つのは、とても大変な ことだと思うが、今回のプレーについては、アメリカチームよりの 判定だったのではないかと思う。それが、相手のホームグラウンドで 試合をするということなのかもしれない。
 次に戦うときは、審判の文句のでないくらい大差で勝利して欲しい。

■2006年3月12日(日曜日)


ウイダー・トレーニングラボ
 田町にあるウイダー・トレーニングラボで行われた「スナッチ エクササイズの修得」という講習会に参加。最初に講義があり、 アメリカのNSCA(National Strength and Conditioning Association)の 認定講習会を兼ねていたようで、そのテキストに沿って、 Strength & Conditioningとは?、その目指すところは?というような 内容だった。筋トレは傷害予防のために行うもので、スナッチが 高齢者にも十分適応可能であるという話は衝撃的だった。ついこの間、 スロートレーニング講習会では、クイックリフト(速い動き)は 傷害のリスクの高い危険な動作なのでリスクを避けるために はやらない方がいいという講義を聞いたばかり。何が正しいのかよく わからなくなった。
 また、こちらの講義では身体を車に例えると筋肉がエンジンで、 神経がドライバーだと言っていたが、野口体操では、身体の重みが エンジンで、筋肉はドライバー。やっぱり頭の中は、ぐちゃぐちゃに なった。
 頭の中は混乱しつつも、スナッチエクササイズの動作は、段階的に 少しずつ実際の動作に近いエクササイズに近づき、軽い負荷から 重い負荷へ上がっていき、最終的には、ほぼ全員がスナッチらしい 動きができるようになった。本当だったら何ヶ月かかけて行う 動作をたった1日でやって、それなりにできるようになるのだから、 さすが体育関係者だと思った。

■2006年3月11日(土曜日)


八田先生の挨拶
 東大駒場キャンパスで行われた第2回乳酸研究会に参加。
 今回のサブタイトルは、「乳酸の基礎的理解と応用を目指して」。 東大の八田先生が、乳酸についての基礎的な考えを話した後、 各種目で応用されている先生により、特に最大血中乳酸濃度はどういう 意味を持っているかということを中心に話があった。
 水泳やスピードスケートでは、最大血中乳酸濃度が20mmol/lを越える 選手がいるが、陸上の十種競技では最高でも18〜19mmol/lくらいらしく、 競技によって出る値が違っていた。持久力に優れた選手ほど値は低く、 瞬発力に優れた選手ほど最高値は高い。これは、その人の速筋や遅筋の 割合を示しているようで、ひょっとしたら、乳酸値の測定によって ある程度その人の筋組成が予測できるかもしれないという話が 印象的だった。

■2006年3月10日(金曜日)
 空手の教官をしている方に、空手の心について話を聞いた。長年の経験から、 年齢に応じた指導の方法を体得され、どういう心持ちで指導に当たり、試合に 臨むかということを丁寧に教えてもらった。ボディーワークの授業の時にも話の あった丹田の意識ということは空手でもかなり重要なようだ。
 話だけでは、現場のことはわからないから、一度、道着を着て対戦してみる ことを勧められた。確かに、話だけではわからない多くのことがあると思う。 実際にやったことがない人は、それを体験して感じてもらうことが一番。 一度、空手教官に挑み、張り倒してもらうのも一つの経験だなぁと思った。

■2006年3月9日(木曜日)
 3回目のフェルデンクライスメソッドのレッスンへ行った。今日の狙いは 下肢。しかし、そのことを知ったのは、レッスンが終わってからで、 やっているときは、肩甲骨を動かしたり骨盤を動かす運動が多かったので、 下肢がメインだとは考えられなかった。
 レッスン終了直後の体は、やっぱりいつもの自分の体とは違う不思議な 感覚だった。しかし、これが自分の自然な状態のようだ。普段から このような運動を取り入れられれば、常に自分にとって自然な動きができる ようになるはず。暇を見つけて継続していきたい。

■2006年3月8日(水曜日)
 久しぶりにアンビバレンス練習会に参加。代々木競技場へ行ってみると改修工事を していて、練習がどこで行われているかわからず困った。メンバーに電話をし 東京体育館で練習をしていることを聞きそちらへ向かった。
 東京体育館で走るのは4,5年ぶり。その時も代々木競技場は改修していた。 トラックへ着いたときには、みんなウォーミングアップが終わり、メニューに入る ところだった。自分は何もしていなかったが、十分歩き体が温まっているので、 そのままメニューに入った。
 メニューは200m×7。休息は5分。200mトラックなので、かなり カーブがきつく、遠心力を感じた。スパイクは履かずに走ったので、それほど 体への負担もなく、2本目までは順調に走れたが、3本目で右ハムストリングスの 外側にピリッという軽い痛みが生じ、イヤな感じがしたためそこで練習はやめた。 たぶん軽い肉離れだろう。
 ウォーミングアップをまともにせずにやったのだからこういう結果になっても 仕方ない。2,3日は様子を見て、来週の千葉クロカンには間に合わせたい。

■2006年3月7日(火曜日)


煙ハウス
 消防署の隊員による火災教育を受け、煙ハウスという煙の充満したテントに 入って、火災の際の煙への対処法を学んだ。
 煙は上に上がって行きやすいため、姿勢を低くすること。とっさに用意はできない かもしれないが、水を含ませたタオルを口や鼻に当てて行動すること。木造の建物では 床が抜け落ちる可能性があるので、できるだけ壁や柱づたいで移動することなどの 注意があった。
 実際の火災では、煙(一酸化炭素)を1,2回吸っただけで、気を失いそのまま 死んでしまうらしい。先月の火事で、実際に煙に巻かれた職場の同僚は、黒い煙に 巻かれて、本当に身の危険を感じたと話していた。最近、ストーブや練炭で人が 亡くなるニュースを聞くことがあるが、これも全部一酸化炭素が原因。今後は、消防法 によって各家庭にも火災報知器の設置が義務づけられるらしい。寝ている間に 火災が発生したとき、音が鳴れば、火災に気が付くだろうという発想のようだが、 一つの対処法だと思う。
 火災教育中に、我が社に来ていた2台の消防車の無線が騒がしくなった。何かと いえば、火災発生を知らせる無線だった。消防署の人たちは、全員直ちにはしご車に 乗り、現場へ向かってしまった。講習会は中途半端になったが、火災教育を受けている 最中に実際に火災があり、火災予防の重要性をより認識できる教育になった。

■2006年3月6日(月曜日)






砂浜ダッシュ



海水浴



砂でお山づくり
 合宿最終日。今朝の朝練は砂浜でジョッグ。昨日の夕焼け同様、朝焼けも めまぐるしく色が変わり美しかった。
 午前中は、荷物整理を少しした後、浜辺で最後の練習。練習前に スコールのような激しい雨が短い時間降り、その後は、海に大きな虹が 架かった。これほど見事な虹は初めてで珍しいので、みんなひたすら写真撮影 をしていた。
 メニューは砂浜ダッシュ。周りは短距離選手ばかりなので、なかなか勝て なかった。全体練習は、短いダッシュだけで終わってしまったので、その後 2,3人で、長い距離でダッシュをした。距離が長くなれば、短距離の人とも 同じくらいで走れる。
 練習後、海に入った。流れが強く、ゆっくり泳いでいると、全く進まず、 その場で位置を変えずに泳いでいるという感じだった。その後、妻と子供も 連れてきて海に入った。子供は昨日と同様、腕に浮き輪をして海に入れたが、 やっぱり怖がって親から手を離したがらなかった。無理矢理離すと泣きそうに なりながら、「パパ、ママ」と必死に叫んだ。相当海は嫌いなようだ。
 子供を岸に上げると、すぐに砂遊びを始めた。遊び始めると、やっぱり 一人の世界に入ってしまい、何を言っても聞こえないようだった。最後は、 みんなで記念撮影をして、ホテルに戻り、チェックアウト準備。
 ホテルを昼前に出て、繁華街で1時間ほど買い物の時間を取って飛行場へ 向かった。町でドルをすべて使ってしまい、飛行場内はカードが使えず、 仕方なくまた円をドルに両替してやっと食事ができた。カードくらい使えるように して欲しいと思った。
 飛行機では、本を読んで、機内食を適当に食べて約3時間半の間 エコノミークラスの席で我慢した。子供は少しは寝てくれたので、助かった。
 また来年もグアムで合宿ができたらいいなぁと思う。

■2006年3月5日(日曜日)


トレーニング中



ダンボ?



砂に夢中?



日が落ちても砂遊び
 合宿3日目。朝練は、3人が新たに加わり4人でジョッグ。短距離系の選手ばかり だったので、30分くらいでホテルへ戻っていき、自分一人だけ60分ジョッグ。 走った歩道には電柱がたくさんあり、電線が切れて電気のバチバチという音が 聞こえてきたりして、なんともいい加減な設備がアメリカ的だなぁと思った。
 午前中は、昨日に引き続きレオパレスリゾートでトラック練習。メニューは300m タイムトライアルを全員でやった後、一人で40秒走。220mくらいから、1本ずつ 10m前後距離を伸ばし、40秒で走るトレーニング。風が強く、280mで41秒 かかり終了。疲れたようで疲れない?というよくわからない感じ。
 ホテルに帰ってくると、妻と子供がホテルのプールに入っていたので、そのまま 自分も水着に着替えてプールへ入った。子供は、毎週、市のプール教室へ行って いたが、自分とは一度も一緒に行ったことがなかった。やっと一緒に入ることが できた。まだ2歳なので、プールが怖くて必死に親に捕まるだけで、泳ぐという ところまではいかない。体の上に乗せてやり、泳ぐと「ダンボ、ダンボ」と言って 喜ぶ姿が印象的だった。
 昨日の午後は、ショッピングで子供を連れ回したので、今日は子供の喜びそうな 動物園へ行った。狭いくてぼろい施設の割には、ラマ、ダチョウ、クジャク、サメ、 水牛、シカなどかなりたくさんの動物がいて驚いた。しかし大人が10ドル、 子供が6ドルを支払ったことを考えると、かなり値段としては高いと感じた。
 動物園を見た後は、そばにあるビーチへ出た。子供は海へ足を入れ、一人で黙々と 砂遊びを始めてしまった。その集中力はすごく、親が何を言っても聞くことはなく、 その場から動かなくなってしまった。最後は、無理矢理連れて帰るしかなかったが、 その後、また夕焼けを見るためにもう一度浜へ行き、子供はまた同じように 砂遊びを始めた。グアムの夕焼けは、秒単位で色が変わっていくといっても いいくらい、色の変化がめまぐるしく、本当にきれいだった。写真に撮ると さらに、きれいに見えてしまう。写真で見る夕焼けは、少し実際の色とは違った 色が見えているのではないかと思った。
 夕食は、全員でステーキを食べに行った。そのお店は、かなり人気があるようで、 30分くらいは待たされた。そのころには、子供は寝てしまったため、膝の上で 寝かせながら食事をするしかなかった。1日中体を動かしたので、かなり疲れたの だろう。子供と1日中一緒にいた妻はもっと疲れたに違いない。

■2006年3月4日(土曜日)


貧しい朝食



朝からまぶしい



レオパレスリゾートトラック



干からびたカエル
 合宿2日目。朝は一人で循環バスの通るルートをジョギング。途中から、 1車線をコーンで仕切っている所があり、胸にナンバーカードをつけたランナー が車に先導され走ってきた。時間は6時半くらいだったので、こんな朝早くから レースをするとは考えられず、アメリカ軍の訓練なのかなぁと思ってたが、 給水所では、ジョギングをしている自分にも笑顔で水をくれたので、軍かどうか わからなくなった。朝でも気温は25度近くあるので、給水がないと喉が 渇くため、給水はありがたかった。
 ホテルでは朝食が用意されていたが、その中身は、チーズとハムのサンドイッチと 砂糖のたくさんついたドーナツのみ。野菜は全くなく、アメリカらしい食事だった。 この生活を続ければ、太るという選択肢しかない。この国の肥満率の高さの 原因を垣間見た気がした。
 午前中は、繁華街から20kmくらい離れたレオパレスリゾート内にある陸上競技場 へ行き、トレーニング。先月は日本の水泳やトライアスロンのナショナルチームが 練習に来ていた場所。先週までは400mHの為末選手もトレーニングに来ていたらしい。 これだけ繁華街から隔離されていれば、合宿には向いた施設かもしれない。レオパレスの 施設なので、自然とお客も日本人ばかりになるのだろう。施設内のお客はほとんど日本人 だった。
 競技場は新しかったが、少し硬めのグランドで、強度の高い練習は、危険な気がした。 練習は4000mペース走、300mタイムトライアル、(150m×3)×2。 ペース走は、ペースを守れずペースダウンするばかりで、練習にならなかった。 山の上なので海からの風が強く、なかなか前に進まないのも原因の一つ。300mでも 最後の直線はなかなか進まなかったが、38秒2で走れたので、この時期としては 悪くないタイムだった。最後の150mは8割くらいの力で気持ちよく走って終了。
 午後からは、家族とショッピングモール巡り。昨日買ったバスチケットのおかげで 交通費はかからず。妻が目当てのお店で商品を見ている間、自分は子供とモール内を 散歩。子供は車の形をしたカートが気に入り、おとなしくカートに乗っていてくれたので、 散歩も楽だった。
 ショッピングモールでおみやげを大量に買ったため、自分たちで買い物袋を持ちきれない 状況になり、仕方なく、新しいスーツケースを購入。余分な出費になってしまったが、 かなり気に入った物なので、問題なし。
 夜は、メンバー全員で夕食。ベトナム料理屋へ行った。昨日のベトナム料理屋とは 違う場所にあるお店だったので、今日はおいしい料理が食べられるだろうと思ったら、 店の名前が同じで、メニューも全く同じで妻と一緒にショックを受けた。しかし、 昨日入ったお店だからイヤだとは言えず、昨日注文していない料理を食べた。やっぱり あまりおいしくなかった。

■2006年3月3日(金曜日)


グアム着陸前



ホテルにて



ラムラムバスと記念撮影



スーパーマーケットはでかい
 アンビバレンスグアム合宿初日。昨日のうちに荷物の準備をしていなかったため 4時に起きて準備をし、5時半には家族を連れて車で成田空港へ向かった。 渋滞はなく予定通り成田空港に7時半には到着しチームのメンバーと合流できた。
 グアムまではノースウエスト航空で行くことになっていて、搭乗手続きで、 荷物には鍵をかけないように言われた。テロの関係で、荷物を検査する場合があるので 鍵をかけていると壊されるということだった。鍵をかけずに荷物を預けるというのは、 なんとも不安なことだったが、仕方なく鍵をすべて外した。
 フライトは、日本を9時45分に出てグアムに14時20分着。グアムとの時差は1時間。 約3時間半のフライトで、子供が退屈して騒ぎ出すことが心配だったが、妻は、いくつもの 遊び道具を持ち込み、騒ぎ出すことなく無事にグアムに到着できた。
 グアムの印象は、少し蒸していて温かいという感じ。日本の夏のような蒸し暑さはなく、 過ごしやすい暑さだった。ホテルにチェックアウト後、早速歩いて繁華街へ向かったが、 子供がすぐに横道へそれて座り込んだり、途中で泣き出しおんぶをせがんだりして、 1kmの道のりを1時間以上かけて進まざるを得なかった。しかし、いろいろと道草を 食う子供を見ていると、好奇心旺盛で、いろいろなことに気が付くのだなぁと感心した。 大人も、目的地へ行くことだけを考えず、もっと行くまでの道のりを楽しむことが必要だ と思えてきた。
 町の中は、日本語表示が多く、すれ違う人もほとんどが日本人観光客。お店の店員さんも 日本語で対応してくれるところがほとんど。グアムは想像以上に日本だった。
 結局、この散歩に時間が掛かりすぎ、トレーニングをする時間が取れず、その散歩の延長で、 夕食にすることになった。いろいろと迷った結果、ベトナム料理屋へ入った。
 ベトナム料理のはずなのに、お店のメニューには、ベトナム料理らしい食べ物は少なく、 カレーやニューヨークステーキという料理まで入っていた。表示は日本語。そのお店に いたお客も全員日本人。注文した料理には、レタスと生のもやしがサラダとして付き、 ご飯はタイ米。においが強くて味も独特なので、まずくて食べきれなかった。
 お店を出て、ホテルまで歩いて帰ると、また1時間かかってしまうので、バスを使って 帰った。1日中、点在するショッピングモールを循環しているバスがあり、1回2ドル (240円くらい)、1週間で10ドル(1200円くらい)だったので、これから 何度も乗ることを考え、1週間のチケットを買った。子供はバスに乗って大喜び。 子供が喜んでくれるとそれだけで親も元気になる。

■2006年3月2日(木曜日)
 全身筋肉痛。昨日の体力測定の影響か、それとも体力測定の後にやった ウエイトトレーニングの影響か?普段筋肉痛にはならない腰回りまで筋肉痛に なっている。また、左脚のハムストリングスと前脛骨筋の張りが気になり、力を 入れようとしても、力が入れづらい。意図的に力を入れるとつりそうになる。 走り幅跳びの踏切足が左なので、左脚踏切を意識して跳んでいたためなの だろう。夕方になるにつれ、痛みは徐々に強くなり、運動をしようという 気分にはならなくなった。休養も練習の一つ、と自分で納得し、運動する時間は あったが、何もしなかった。

■2006年3月1日(水曜日)


すし食べ放題



飲み放題はサービス悪い?
 年に1度の体力測定。年々体力測定の記録は低下し、この1年は、あまり運動する 時間がなかったので、今年はどうなるのだろう?と少し不安な気持ちで体力測定に 臨んだ。
 天候は雨。気分も乗らなかったが、走り幅跳びと1500m以外は 室内で行われることになり、雨を気にする必要はなくなった。
 最初のハンドボール投げで、いきなり自己ベストの36m。短い時間を見つけては ウエイトトレーニングなどをしていた成果なのか?
 握力は久々に右手で60kgを超える63kg、左は54kg。ジグザグドリブルは、 自己ベストの11秒5。走り幅跳びも昨年よりは10cm上がり、5m45cm。 最後の1500mは最後にダッシュをしてなんとか満点の4分19秒。 走りのトレーニングは週に1回やっているかどうかの状態だったため、1kmで3分を 切るペースがとても辛かった。結果としては目標通りに行ったが、来シーズンレースで まともな走りができるかどうか心配になる内容だった。
 全体としては、昨年より向上した種目が8種目中7種目。22歳時の記録に次ぐ 高い記録で体力の低下に歯止めをかけることができ、ホッとした。



[昔のいずみ]