最近のいずみ

Last Update:2006/4/30

パートタイムアスリートいずみ 6年目継続中!! 


■2006年4月30日(日曜日)
 我が家の子供は、日中は父親にべったりとくっつき、夕食後眠くなったとたん 母親にべったりとくっつく。昼間は「夜になったらお父さんと歯を磨いてねんね しようね」と言うと「うん」と元気よく返事をするが、夜になると、「ママ、ママ」 と泣きながら、父親から逃げて母親にまとわりつく。絶対に一緒に寝てもらえない。 昼間と夜の差は何なのだろう?と考えてみた。
 寝起きは機嫌の悪いときは母親に行き、機嫌のいいときは父親に行く。なんとなく 自律神経が関係しているように思えてきた。交感神経が優位に立つときは父親で 副交感神経が優位なときは母親。いったん眠くなって「ママ」と言っていても、 別のことで目が覚めてきたとたん父親へ向かってくることから考えても、一致する 気がする。新たな発見をしたようでうれしくなったが、夜一緒に寝てもらえないのが やっぱり寂しい。

■2006年4月29日(土曜日)
 8割程度の力で3000m、2000m、1000mを1本ずつ走った。3000mと2000m では、ペースが全く維持できず、どんどんペースダウンして、全く8割の気分では なく、持久力もかなり落ちてしまったなぁという感覚だったが、1000mでは、 別人のようにペースが維持でき、2分45秒台で走りきった。3分が切れれば、 いいかなぁという感じで走っていたので、1000mだけは上出来だった。 この1ヶ月は、腰痛もあったし、走れるようになっただけで、十分な回復だと 思う。

■2006年4月28日(金曜日)


ゴール目前
 学生は、1日カッター競技会という行事があった。カッターというは、 ボートのようなもので、海上自衛隊の護衛艦には備え付けられ、海上自衛隊での 教育では、頻繁に訓練で漕いでいる。この競技会に参加するのは、主に2年生。 2年生は4月の1ヶ月間、4年生の厳しい指導の元で訓練してきた。カッターに 乗れる人数には制限があるので、そこから漏れた人は、ひたすら陸上で筋トレ を中心としたトレーニングをしている。そのため全員が漕げるというわけではない というところが、訓練としては、これでいいのかなぁ?と思うところだが、 上の人が決めていることなのだろうから仕方ない。
 レースは、午前中に予選があり、決勝が午後からあった。チームによって 全く勢いが違い、優勝したところは、他を全く寄せ付けない横綱相撲だった。 みんながうまく合わせて漕げたかどうかで、進み方が違うのだろうが、 たった1ヶ月でもチームによってずいぶんと差がつくことに驚いた。

■2006年4月27日(木曜日)
 内閣府が行った「少子化社会に関する国際意識調査」は、自分の国が「子供を 産み育てやすい国だと思う」という質問に対し、日本では47.6%の人がハイと 答えたという結果が出た。スウェーデンでは、97.7%の人がハイと答えるらしく、 ほぼ全員が、子育て環境に満足していることに驚いた。どういう風に子育て環境が 充実しているかはわからないが、たぶん、母親にかかる負担が少なくなるような 政策がたくさん打ち出されているのではないかと思う。我が家も一人っ子では イヤだなぁと思っているが、もう一人育てられるか?ということを考えると、 あまりにも妻の負担が大きくなりすぎるので、なかなか厳しいのが現状。 少子化対策の大臣がいるわけだし、何か画期的な政策を出るとうれしい。

■2006年4月26日(水曜日)
 天気が悪く体育館の中で30分ジョッグ。その後ウエイトリフティング場へ 行き、スナッチとハイクリーンの練習。ウエイトリフティング部の学生が 練習をしているので、堂々と練習はできないが、学生と交代でプラットフォームを 使わせてもらった。腰痛は、気にならなくなったが、負荷を重くすると、どうなるか わからないので、軽めの負荷で、股関節の動きをチェックすることだけを ひたすらやって終了。最近は、あまりシャフトを握っていなかったが、 それほど感覚は鈍っていなかった。

■2006年4月25日(火曜日)
 高校2年生の男子が先生にしかられむしゃくしゃして全く関係のなかった人を殺害し、 中学3年生の女子2人が、担任先生にしかられて、給食に抗うつ剤を混入させて、 先生の具合を悪くさせ出勤できなくさせたり、先週は、高校生の男子が中学生を 殺害する事件があった。なんで、これほど中高生の犯罪が多いのだろうか? ちょっとしたことでそれをストレスに感じ、あっという間に我慢の限界を超え、 とんでもないことを引き起こしている。小さい頃から、耐えるとか我慢するという ことをあまり経験していないのだろうか。親の責任は重大だと思った。我が家も 子供がわがままを言って食事をしなかったりするが、子供の要求を受け入れ続けれ ば、ただ甘やかしているだけになってしまう。自分の思い通りに行かないことが 多く、我慢も必要だということを教えなければと思った。

■2006年4月24日(月曜日)
 1週間ぶりに韓国式サーキットトレーニング。この3日間ほとんど座りっぱなしで、 まったく動かなかったので、かなり辛かったが、京都大学の小田先生の推奨する 常足(なみあし)という動き方を意識しながら走ってみたところ、ものすごく 楽に身体が前に進むようになり驚いた。先週のサーキットで走った1000mよりも 20秒ほどタイムが上がり、かなりまともな練習になった。

■2006年4月23日(日曜日)
 インターネットカフェで全く寝ることなく徹夜で朝まで過ごした。その間、 必死に英語の論文を訳したが、血液の用語などがよくわからず、1時間に2,3行しか 進まないこともあり、かなり疲れた。大塚キャンパスの図書館は、あまり 遅くまで利用できないことがわかったので、今日は、つくばキャンパスまで 行き、さらに1日英語と格闘した。ずっと座りっぱなしで、腰痛に影響がありそうだが、 集中しているためか、それほど気にならなかった。

■2006年4月22日(土曜日)


絵本原画展
 絵本作家をしている妻の友達が、新宿で絵本原画展を開催しているという ことで、家族で見に行った。妻の友達が今回出展している絵本の原画は 「もぐらのホーリーともぐらいも」という絵本で、昨年秋に出版され、 我が家でも1冊購入し、子供も気に入った本だったので、絵本よりも 大きな絵を見て、家にある本と同じだと言って喜んでいた。
 絵本原画展を見た後は、家族と別れ、筑波大学大塚キャンパスへ 行き、英語の論文と格闘。夜の8時前には、つくばキャンパスの学生は 閉め出されるということで、行き場を失い、池袋のインターネットカフェで そのまま残りの作業を続けた。 

■2006年4月21日(金曜日)
 日本政府による竹島近海の測量調査に関して、韓国側の強硬姿勢などが ニュースで盛んに報道されている。韓国は、すでに竹島を占領し、武装も しているため、日本は島の近くへ行くことすらできない。完全に既成事実 を作られてしまい、これからどうやってその状況を変えていけばいいのだろう? 島根県は、条例を作って頑張っているが、県民が誰もその島に住んでいない。 ニュースを見た感じでは、韓国側は、まともに話し合いに応じるようには見えない。
 日本人拉致事件に関して、韓国側との関係をうまく築かなければならないときに、 なんとも面倒な問題が起こってしまったように思う。

■2006年4月20日(木曜日)
 昨日よりもさらに筋肉痛はひどくなった。なぜか、上腕三頭筋から三角筋の辺りに 大きな痛みを感じる。サーキットで、腕を体側につけた状態から頭上まで持って行く 動作を何度もやったことが原因らしい。これほどまで、腕の力が落ちていたのか・・・ とショックを受けた。弱いところがわかったのだから、良かったと思うしかない。
 夜は、バスケットを担当されている先生の実験の手伝い。垂直に素早く高く跳ぶには、 どうしたらいいかということで、今流行の古武術的な動作を取り入れたジャンプを試す ことを行った。ある刺激に対する反応の素早さという観点からは、かなり効果がある ように見えた。

■2006年4月19日(水曜日)
 今日のメニューは400m+300m+200mを3セット。昨日の筋肉痛がひどく、 まともに走れそうになかったため、8割くらいの気持ちで走った。 学生と一緒にやったので、自分は、みんなを引っ張って走ったが、 走っている最中は、ほとんど腰痛は気にならず、今の状態では、 満足できる内容だった。先週の状態を考えれば、かなり希望が もてるような体になってきた。

■2006年4月18日(火曜日)
 久しぶりに韓国式サーキットをした。腰の痛みと相談して走ったため、 全力で走ることなく、速くて8割程度のスピードで走った。しかし、余裕をもって 走っているはずなのに、8割も全力も同じようなもので、とにかく疲労感は大きかった。
 2セット目の1000mから攣りはじめ、厳しい状況だったが、なんとか3セットを こなすことができた。うちの大学のグランドは、作られて25年。タータンの部分が ずいぶん薄くなり、タータンのすぐ下がコンクリートのため、衝撃が大きかったため、 疲労感が大きくなったのかもしれない。

■2006年4月17日(月曜日)
 保険は掛け捨てに換えた方がいいという提案を受けた。
 2035年には、高齢者の数がピークを迎え、その後、数としては減ってくるが、 要介護の人数はどんどん増えていき、保険屋の想像のできないような事態になる のではないかという推測からの提案らしい。さらに若い人たちの体力が落ちていると 言われるが、こういわれる若者たちが高齢者になっていくことを考えると、 さらに今の状況からは想像できないような(はっきり言ってよくわからない) 事態になり、終身保険などは成り立たなくなるのではないかということだった。 これを提案した先生は、すでに自分の保険は、掛け捨てに換えていた。
 保険屋さんがどういう予測をたてて保険のプランを考えているのか 全くわからないが、その背景も知り、今後の世の中の動きを自分の中でイメージ していかないと、自分の生活が崩壊してしまうこともあり得るのではないかと 思った。

■2006年4月16日(日曜日)
 昨日は妻の具合が悪かったこともあり、家族で9時前には就寝し、今朝起きたのは、 9時前。久しぶりに12時間も寝た。子供はかなり元気だったが、妻の熱は下がらず。 自分は、まだ寝足りない感じで、朝食後、また就寝。結局起きたのは1時前。昨夜から 15時間くらい寝てしまった。
 午後からは家族で買い物に出かけたが、十分寝たはずなのに、眠気に襲われ、 買い物はかなり辛かった。その勢いで、夜は9時過ぎに就寝。寝るばかりの、 無駄にしたかもしれない1日だった。

■2006年4月15日(土曜日)
 10日ぶりにジョギングをした。腰痛になって以来、いっさい運動ができなかったが、 ようやく痛みは緩和し、運動しても大丈夫かなぁという感じになってきた。
 1時間くらいのジョギングを考えてスタートしたが、家から防大までが上り坂だった ためか、大学のグランドまできてグランドの周りを回っている間に痛みが出だし、 開始後25分で終了した。しかし、久しぶりに身体を動かすことができ、気分は 良かった。

■2006年4月14日(金曜日)
 修士論文のテーマがなかなか決まらない。今の時期に決まっていないというのは かなり致命的な状態。いろいろな人に話をしたり聞いたりする度に、やってみよう と考えていることが崩れていく。一人一人専門が違うため、ある人はできると 言っても、別の人に話をするとそれはやめた方がいいということになる。結局 自分がしっかりした考えを持っていないと、何もできない。そういうことが わかっただけ進歩なのか?とにかく、まずい状況にあることには変わりない。

■2006年4月13日(木曜日)
 大学時代の卒論の指導教官のところへ挨拶に行ったところ、先生の ところで研究している助教授の方を紹介してくれ、今の研究について 話を聞くことができた。
 最近は、腕がなくなってしまった人のために、残っている腕の筋肉に うまく電極を貼り付けると、腕の代わりとなるような、自分の意志で 動く義手が、意外と簡単にできるらしい。実際の人間とロボットを融合 するような研究は、情報工学と体育の分野が関わってくるので、将来 一緒に何かできたらいいなぁと思った。自分は、身体を動かすことに 興味がありながらも、もの作りというものにもかなり興味がある。 こんな風に思うのは、自分が元々体育出身でないからなのだろうか? 先生との話は、とても刺激になる話だった。

■2006年4月12日(水曜日)
 腰の痛みが復活し、また寝た状態でも痛みが出るほどになってしまった。 日本体育協会公認アスレティックトレーナーの資格をもった先生が心配してくれ、 自分の部屋にリハビリの道具を持ってきてくれた。主にストレッチポールを 使った運動を教えてくれて、実行した。多少楽になった気がする。とにかく 安静にしておくしかない。

■2006年4月11日(火曜日)
 午前中は、大学院の授業。5時半には家を出て、授業開始の8時40分に ギリギリ間に合った。1限の授業を受けた後は、職場のある横須賀へ とんぼ返り。往復約6時間の電車通学と出勤は、かなりつらい。腰にも かなり悪いが、この環境は帰られないので、あと1年は耐えていくしかない。
 夜は、職場の人たちが歓迎会を開いてくれた。職場の先生の多くは、自分が 学生時代に自分の体育の授業を受け持ってもらった先生たち。自分がこの道に 入ったことをみんなが歓迎してくれて、本当にうれしかった。この道で30年以上 勤務されている方も多く、変化のないように思われる大学での勤務も、年を 重ねて気が付けば、学生にも先生の中にも大きな変化が起こっているようだ。 常に新鮮な気持ちで臨めるよう、自分なりの考え方を持たなければ、と思った。

■2006年4月10日(月曜日)
 最近の若者の体力は低下傾向にあると言われる。しかし、これを単純に昔の 人たちと比べていいのかどうかわからない。最近は、体力テストをまじめに 受けている人が少なくなり、それで評価が落ちているという考え方もある。 モチベーションは間違いなく落ちていて、さらにまともに運動してこなかった 人たちがテストを受けるから低下しているのかもしれない。
 握力は、全身の筋力と相関があり、軽易に測定ができるので測定項目と なっているが、ある特定のスポーツを行っている人にとっては、その筋力は あまり関係ないかもしれない。例えば水泳。
 結局体力テストというものは、一部の身体能力しか測定できず、その項目 とは関係ない動作をしたり日常生活を送っている者にとっては、全く意義が 見いだせない。最近の子供は賢いので、こういうことを感覚的に理解し、 一生懸命やらないのかもしれない。
 人間は、20代の前半までは直線的に体力が向上し、その後は、その人の 生き方次第で低下率が変わってくる。人生が80年あったとすると、体力の 向上する時代は生まれてからの約20年で、残りの約60年は体力の低下する 時代を生きることになる。最近は、トレーニングの理論も発達し、厚生 労働省までがお年寄りに筋力トレーニングマシーンを推奨するなど、 体力向上のための施策を実施しているようだが、体力の低下をいかに 鈍らせるかということをもっと考える必要がある。お年寄りは自分の 年齢にあった歩きが自然で、胸を張って歩幅を広げる必要はない。若者と 同じことをすると転倒や障害のリスクを高めるだけになる。身体の発達は、 体力の向上する20代までのことだけでなく、年を取ってからの発達も 考えられる。それは、その年齢にあった身体の動きをすること。その年齢に あった身体の動きはどういうものかと考えていくと、お年寄りに若者と 同じことをさせることはどう考えても自然でないことがわかってくるはず。 同じように、自分のトレーニングについても、今の自分に合ったことを やらなければ、効率的効果的ではない。パートタイムアスリートになってから 練習計画を立てたことがほとんどないが、その日その日に合ったトレーニングを していると考えれば、意外と合理的だったのかなぁと思う。

■2006年4月9日(日曜日)


新郎新婦
 妻の妹の結婚式が名古屋のホテルで行われた。一昨日は腰痛を我慢して 実家まで帰ってきたが、痛みはアイシングなどで少しは緩和してきた。しかし この痛みのままでは結婚式にはいけないということになり、母が3年くらい 前に歯医者でもらった痛み止めを飲んだ。普段痛み止めはロキソニンを飲むが、 この痛み止めはサンロキソと書いてあった。似ているようでちょっと違う。 しかも古いので心配だったが、とにかく痛み止めにすがった。
 結婚式は昼頃から始まり、人前式、親族写真撮影、披露宴と続いた。新郎 新婦が大学時代のサークルがきっかけで結婚することになったので、友人の 多くはサークルの関係者。余興は大学のノリで、親族は多少引いていたが、 新婦の小中学校の同級生の歌と語りの余興で、一気に雰囲気が変わり、 多くの人がうれしさと寂しさの入り交じった涙を流し、さらに新婦の両親への 手紙がそれを加速させ、温かないい結婚式になった。
 結婚式終了後は、実家へ戻り、荷物を車に詰め込んで横須賀までのロング ドライブ。母の痛み止めは、かなり効果があり、痛みが3分の1以下に緩和し、 結婚式も車の運転も気にならなかった。3年前のものでも薬は薬。大事に 保管しておくべきだ。

■2006年4月8日(土曜日)


実家にて
 昨夜からの腰痛は相変わらず。これを改善すべく、痛みを我慢し車を運転して 小牧のゴールドフレックスへ行った。今回は、持つだけで、体のバランスが 良くなるというe3フィットネスグリップというものを紹介してもらった。 これを握るだけで腰痛が緩和するのには驚いた。しかしそれだけでは治らず、 いくらか筋肉をさわってもらいながら治療をしてもらったが、結局痛みは取れず。 最後に超音波をかけてみると、患部が真っ赤になったということで、まだ炎症が 強いことがわかった。いろいろと治療を始める前に、まずアイシングが必要だった。 昨日のドライブでは、まったくアイシングをしていない。普段からアイシングは 大事なことは認識していたはずなのに・・・反省。

■2006年4月7日(金曜日)
 筑波大学の入学式。今年度の履修便覧をもらいに、家族を連れ横須賀から車で 向かった。首都高速の渋滞にはまり、途中昼食の休憩を含め約5時間のドライブ。 昨日からの腰痛が、さらにひどくなり、普通に立っていることすら厳しい状況。 1999年にやったぎっくり腰と同じような症状になった。大学で用を済ませ、 そのま横須賀へ戻ってもやっぱり5時間くらいかかったかもしれないが、 わざわざ車で来たのは、実家へ帰るためだった。また同じように渋滞の首都高速 を通り、東名高速に出るまでに2時間近く。さらに東名を5時間近くかけて走った。 つくばを夕方5時くらいに出て、実家に着いたのは日が替わって午前1時前。 腰の状態は最悪。寝ていても少しでも姿勢を変えると激痛が走るようになって しまった。これからの生活はどうなるのだろう?

■2006年4月6日(木曜日)
 朝、起きたときに腰が痛いことに気が付いた。昨日のウエイトが原因なのか、 それとも最近の引っ越しなどの疲れなのか、よくわからないが、とにかく あまり経験することのない痛みだった。1日中気になったが、なんとか 普通に生活はできた。
 今日は、引っ越して初めて子供と風呂に入った。昨日まではシャワーで 済ませていたので湯船には入っていなかったが、今度の湯船は、今まで 住んできた官舎の中でも特別に狭い湯船だった。腕で膝を抱えて縮こまって 入らないと入れない。子供と入るとさらに狭く身動きが取れない。前の 官舎では、風呂は時間の設定で自動的に入れる状態にしてくれたが、 この風呂は、ハンドルを回して自分でガスに日をつけ、自分でお湯を温め、 自分で止める。風呂を沸かしたことを忘れると火事の危険性もあるずいぶん 旧式の風呂だった。風呂の中はゆったりとできる空間ではなく、シャワー だけの方が気分は楽なような気がした。

■2006年4月5日(水曜日)
 天気予報では、朝から雨が降るという予報だったが、朝は雨が降りそうで 降っていなかったため、40分ジョッグ。朝のジョギングは、気持ちいいはず だが、天気の悪いときは、あまりいい気分ではない。
 出勤の時には、少しずつ雨が降り始め、結局1日中、強い風と雨で、気分は 沈んだ感じになった。トレーニングも外を走る気分にはなれず、軽くウエイト トレーニングをするだけでやめてしまった。

■2006年4月4日(火曜日)
 またまた久しぶりのトラック練習。4月に入ってしまい、そろそろ スピードを上げなければと思い、600m、500m、400mの ウインドスプリントをやった。
 風が強く、全く思うように走れなかったが、自分の感覚と、そのときの タイムはほぼ一致していたので、悪くはなかった。

■2006年4月3日(月曜日)


朝の横須賀湾
 防大へ初出勤。1日いろいろな所へ挨拶回りをして、多くの人が 歓迎してくれたが、一部の人は、「こういう道ができたのは、はっきり 言って君のわがままだ」とあまり歓迎でない方もいて、いろいろな考えに 遭遇することができた。みんながみんな同じ方向へ向くというのは、 別の見方をする人がいないということで、戦中のようなことになって しまうので、それはそれで有り難く受け止めるしかない。

■2006年4月2日(日曜日)
 冷蔵庫の中は何もなく、朝食を食べることができないので、自転車で、 近所の喫茶店へ行くことにした。近所と言っても、自転車で15分くらい かかり、途中に長い坂道もあり、全然近所ではなかった。さらに、喫茶店は、 まだ営業していなかったため、駅前の弁当屋とマクドナルドで朝食を買うしか なかった。
 そのまま官舎へ戻って食べるのもつまらないので、官舎近くの海辺で、海を 見ながら朝食を食べた。天気はあまり良くなく寒かったため、あまり快適な 環境ではなかったが、子供は喜んでいた。子供が喜べば問題なし。
 その後は、段ボールの山を片づけるべく働いた。子供は、親のやって いることが何なのかよくわからず、電動ドリルを使っているところに 近づいてきたりして、かなり危なかった。
 頑張って片づけた割には、昨日と見た目が変わらず、もの凄く疲れた。 まだ当分、この状態が続きそうだ。

■2006年4月1日(土曜日)


森家と(食後)
 昨日までの引っ越しで、新聞、段ボール、ガムテープなどを頻繁にさわったり 食事もままならなかったためか、かなり手が荒れてささくれなどができ、 普段手が荒れて痛がっていた妻の気持ちがやっと理解できた。そこで、少しでも 妻の負担を減らすべく、段ボールの封をしているガムテープをできるだけ 取り去る作業をして、その後引っ越しもとの和光へ戻った。
 環八は渋滞になることが予測できたので、午前中ならば、首都高を使った方が 速いと考え、首都高へ入ったが、そこは渋滞。結局環八を通るのと変わらない くらい時間が掛かり、和光へ着いたのは昼過ぎだった。
 元の官舎で妻と合流し、大量のゴミを捨てに行き、残りの荷物をすべて車に 詰め込んた。その後、昼食を森家とすることになっていたので、森家と合流して、 夕食の時間に近い昼食を食べに近くのベーカリーレストランへ行った。
 朝霞に3年間いながら、1度も家族で一緒に食事をしたことがなかったので、 最後の最後で食事ができて良かった。
 横須賀へ戻ってきたのは、夜の9時近くだった。やっと残りの荷物を 新居に持ち込めた。しかし、部屋の中は段ボールの山。いつになったらこの 段ボールがなくなり、この引っ越しが終わるのだろうか・・・



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