最近のいずみ

Last Update:2006/5/31

パートタイムアスリートいずみ 6年目継続中!! 


■2006年5月31日(水曜日)
 子供の体温が低くなったと言われるが、これは、3歳くらいまでに汗をかくような 運動を行っていたかどうかで決まるらしい。体温調節の機能として、汗がとても 大事だということ。いつも室温が一定に保たれた場所で遊んでいると、子供の体温 調節機能は働かず、このような結果になるのではないかという。
 しかし、体温というのは、1日のうちでかなり変化があるようで、幼稚園で 使われる体温は、主に幼児が幼稚園へ向かう前(つまり朝)に測ったもので、 一般には、まだ体温が上昇していない時間帯のもの。昼から夕方にかけて体温は 上昇し、37度を超える子もかなりいるので、体温が低下しているかどうかは、 測る時間帯まで考慮しないと、はっきりとは言えない。
 逆に、昼から夕方にかけて子供の体温が上昇することをよく認識していないと、 午後の外遊びで熱中症にさせてしまい、命に関わる問題にまで発展してしまう 可能性がある。熱中症は、地球温暖化にも影響があるのかもしれないが、ヒトの 体温も1日のうちでかなり変動があることも考慮して、対策を立てる必要が あり、子供の外遊びは、紫外線が少なく、体温が上昇する前の午前中までの方が 合理的なのかなぁと思った。

■2006年5月30日(火曜日)
 5月30日は、ごみゼロの日。できるだけゴミは少なく、リサイクルできる ものについては、リサイクルしようということを呼びかける日なのだろうが、 テレビでは、自分の見た範囲ではそんな話題はなかった。
 ゴミの分別については、市町村によって全然違う。筑波大学では、まだ 昔のままという感じで、分別することなくゴミ箱に投げ捨てている。後から 清掃担当の人たちが分別するのかもしれないが、それであれば、初めから 分別したゴミ箱を置けばいいのに・・・と思う。
 我が家では、買い物に行くときには、買い物袋をいくつか持って行く。 そしてスーパーのビニール袋をもらわないようにしている。これも些細な ことかもしれないが、ゴミを増やさないようにする努力だと考えている。 あとは、牛乳パックや、プラスチックのトレイもスーパーのリサイクル箱に 入れるようにしている。
 昔に比べると、商品のいろいろなものが過剰に包装され、ゴミを増やしている ように感じる。また、集合団地では、新聞受けに入るダイレクトメールや チラシがずいぶん多く、ゴミを出したくないと思っているのに、ゴミは 増えていくばかり。新聞受けをあけるたびに、またゴミだと思うように なってしまった。たまには、興味を引くものもあるので、なくなると 寂しい気もして、ごみゼロからはかけ離れた感情もあるのが現状である のかもしれない。

■2006年5月29日(月曜日)
 腰の痛みは、多少緩和し、昨日よりも前屈ができるようにはなってきた。 腹の両脇(外腹斜筋と内腹斜筋)が筋肉痛で、今まで試合後にこんなところが 筋肉痛になったことはなかったので、自分の腹筋が弱くなったのか、いつも以上に うまく体幹を使えた結果なのかわからないが、とにかく何らかの負荷はかかって いたのだということを実感した。
 ハムストリングスの張りは、左だけ強く、右はあまりなかった。腰の痛みは右。 何か関係はあるのだろうか?
 昨日走ってみて、腰のことはそれほど気にしなくてもいいように感じたため 今日は1時間ジョッグ。左ハムストリングスの張りが気になり、ジョッグは ぎこちなく、昨日の自分とは全くの別人で、無理してジョッグをしているように 感じた。
 次のレースは6月末。昨日の勢いを継続できるようにしたい。

■2006年5月28日(日曜日)


同じ研究室の成田くん
(男子ハンマー投げ優勝)





800m表彰
(11年前は3位でした)
 東京選手権に出場。昨年は、予選で全体の4番目の記録でありながら着順で 決勝に進めず悲しい思いをしたが、今年は参加者が少なく、メンバーを見ても 表彰台に上れそうな感じで、問題は自分のぎっくり腰だけだった。
 朝から降っていた雨も走る頃にはやみ、走りやすい気候になった。朝食後、 痛み止めを飲んだおかげか、ウォーミングアップをするころには、あまり 痛みを感じなかったため走ることを決意した。とりあえず走ってみるだけという 感じで、予選で終わるつもりでスタートラインに立った。
 予選は、元アンビバレンスの根本くんが、引っ張ってくれ、1周目が57秒台。 1周目が終わる頃には、ペースが落ちてきたので、残り400mで先頭に出て、 そのままスパートした。2周目も57秒のイーブンペースを維持する感覚で 走り、意外と体は思うように動き、全く疲れず、自分のペースに誰もついて くることなくそのまま独走でゴールしてしまった。タイムは、1分55秒31。 先週の東日本実業団のタイムとあまり変わらなかったが、疲労感が全くなく、 あと1本走ってもいいなぁという気分になってきた。予選の状況を見て、優勝は 間違いなく田口くん、自分は2位争いになることが予想でき、久しぶりに 表彰台に上がれるということも動機となって、決勝も走ることを決めた。
 決勝は、大会記録を狙う田口くんのレースで、1周目は54秒を切るくらいで 通過し、予定通り自分は2番手で追走。2周目からは、少しずつ田口くんとの 差が開きはじめたため、できるだけその差を開かれないように努力することだけを 考えた。2番手争いの駆け引きは全くなく孤独な闘いだったが、最後の直線に 入っても自分の体は固まらず、最後まであきらめずに田口くんを追うことができ、 「今日は最後まで体が動く」という喜びを感じながらゴールへ向かった。
 田口くんがガッツポーズでゴールをしたとき、タイマーは1分50秒を示し、 頭の中で3秒をカウントする間には自分も2位でゴールした。結果は1分52秒95。 3年ぶりの1分52秒台であり、11年ぶりの東京選手権の表彰台だった。 田口くんは1分50秒80の大会新記録。本当に強かった。
 レース前の練習状況やコンディションからは、考えられない結果が出てしまい、 自分の体に驚いているが、ペースを作ってくれた田口くんや、前日宿泊させて もらった渡辺さん、応援してくれたアンビバレンスのメンバーなど、多くの 人たちに支えられた結果だと思う。みなさんに感謝です。

■2006年5月27日(土曜日)
 陸上部に入ってきた1年生の留学生が自分のところに質問に来て、「ななめ」とは どういうことなのか?と聞いてきた。「ななめ」のななという部分を数字の7だと 思ったようで、角度の7度なのだと考えていたらしい。0度から90度であれば、 0度と90度を除いて、0から90の間はすべて斜めだと説明したが理解してもらえず、 70度のことか?とまた聞き返されてしまった。普段当たり前に使っている言葉だが、 いざ説明しようとすると難しい。結局縦と横を考えた場合、縦と横でないときは、 すべて斜めという説明をしてみたら、何となくわかったようで、ストレッチで 「上体を斜めにする」という時の動作も理解してくれた。
 留学生に質問されると自分の日本語の能力が低いことを思い知らされ、本当に 勉強になり、その度にどんどんうち解けていけるような気がする。

■2006年5月26日(金曜日)
 腰痛は少し緩和したかもしれない。今日は、ほとんどの学生がジョッグだったが、 昨日練習のできなかった学生が昨日のメニューをするというので、それを見ていた。 メニューは800m×3。800mの中で変化をつけて走らせたが、1本目だけ 快調に走り、2本目からは、急激にペースダウン。まったく変化走になっていな かったので、3本目は、自分が引っ張って走ることにした。400mは8割くらい で走り、残りは全力で走るという設定。前半は、なんとか自分の後についてきたが、 後半のダッシュでは、遠くに離れてしまい、結局自分の練習になってしまった。 しかし、途中で離れてしまった学生は、かなり悔しがっていたので、そういう気持ちが でてきただけでも収穫なのかもしれない。
 タイムは2分04秒台。前半が63秒で後半が61秒。走ったら腰がどうなる のだろう?と不安だったが、特に痛みには関係なくまともに走れた。週末のレースは、 あきらめていたが、ひょっとしたら走れるかもしれないという気持ちになってきた。

■2006年5月25日(木曜日)
 腰痛に変化なし。運動はできず、学生の練習を眺めているしかなかった。 学生を指導するときには、自分が走っていては、ほとんど学生の走る姿を見る ことができないので、これも良い機会なのかもしれない。なかなか自分が意図した 通りの練習にはならないが、それぞれ一生懸命走っている姿は美しかった。
 最初に話しておいた練習メニューをすべてこなし、やっと終わったと 思わせておいて、さらに補強を課すというのが、最近の楽しみ。自分だけが 知っているというのがいい。学生にとってはたまらないが、これも自分を 高めるために必要だと思ってやって欲しい。補強は、走力と関係なく、 下級生の方がよくできたりするので、おもしろい。これが下級生の自信に なって、何ヶ月か後には、走力でも追いついてくれたらなぁと思う。

■2006年5月24日(水曜日)
 一昨日から急に、鼻水やくしゃみが出るようになり、花粉症のような症状になっている。 朝、洗面所で顔を洗おうとしてかがんだ瞬間に大きなくしゃみが出て、その勢いで、 腰の筋肉が一瞬急激に伸ばされ、ぎっくり腰になった。どんな姿勢をしていても 腰が痛む。先月の痛みがようやく治まり、やっとまともに競技ができるようになったと 思っていたのに、また振り出しに戻ってしまった。1日中、アイシングをしたが、 変化なし。くしゃみをしただけでぎっくり腰というのでは、はっきり言って若者では ない。
 自分の体が自由に動かせないというのは、本当につらいし、原因が原因なので情けない。 週末のレースは、厳しい状況になってきた・・・。

■2006年5月23日(火曜日)
 最近は、万引きをした子供をお店は直接警察に突き出すという。一昔前では、親を 呼んで親と子供が反省するだけで話は済んでいたが、最近は、自分の子供に限って そんなことはしない、お金を払えば済むことだ、証拠を見せろという親まで出てきて、 お店の方も困り、仕方なくこの問題を警察へ持って行く。証拠を見せるために 防犯カメラを設置したというお店もあるらしい。警察へ突き出しても、当事者たちに、 反省がなければ何をしても効果がない。子供の反省が最も大事だが、反省を促す はずの親もまったく反省がないとなると、こういう小さな犯罪というのは、どんどん 拡大するしかなくなる。親の世代までが一昔前とは変わってきたことが、最近増大する 殺人などの多くの犯罪を招いているのではないかと思えてきた。親としてしっかり せねば、と思う話題だった。

■2006年5月22日(月曜日)
 大学の陸上部のOBが関東に集まっているということで、急遽飲み会が あった。先輩が4人と同期が1人。仕事の話や昔話で、3時間とぎれることなく話は 続いた。調整で電話をかけた時は、話した相手、内容、時刻をしっかりと忘備録に 記すようにしていたら、後でもめ事があったときに役に立ったという話は印象的だった。 みんなそれぞれのところでいろいろな仕事をしているんだなぁと思った。自分にとって 今は、全く関係のない仕事の話かもしれないが、参考になることはたくさんあった。 実りある飲み会だった。

■2006年5月21日(日曜日)


1周目



残り120m



800m決勝
 東日本実業団2日目。男子800mに出場。予選は、3組あり、2着までと 3着以降タイムのいい者が2名決勝に進めた。最低でも4着に入らないと、 決勝には進出できない。自分の組は、自分よりも持ちタイムの良い選手が4名 いたので、どう頑張っても5位という着順しか想像できなかった。そのため、 昨年のシーズンベストに近づくことを考えてスタートラインについた。
 1周目は、3番手について、適度なイーブンペースで56秒後半。 頭の中は、急に修士論文のことが思い浮かび、今この状況で、自分の酸素摂取量は どのくらいになっているのだろう、まだピークには来ていないのではないか? などとレース中なのにレースのことを考えていなかった。
 残り300mから2番手を走っていた三澤くん(体育学校)が先頭に 並びかけたので、このままペースが上がるのかなぁと思って様子をうかがったが、 先頭を抜くことなく併走し、ペースはかなり落ち込んだ。
 残り200mで、ようやく竹井くん(アコム)が先頭に出て、ペースを上げ、 笹野くん(富士通)もやっと先頭を伺う2番手まで順位を上げて最後の直線に入った。 先頭争いは、自分を含めて4人。このまま行けば、決勝進出の可能性もある順位内に いた。笹野くんが少しリードし、三澤くんと竹井くんは、まったくペースが 上がらずもがき出したので、ひょっとして2番手に上がれるかもしれないと 思ったが、自分も同じようにもがいてしまい、結局順位は上げられず、そのまま 4着でゴール。タイムは1分55秒07。
 決勝進出の可能性を残した順位だったが、最終組の4着までのタイムの方が 速かったため、決勝進出はならなかった。タイムは別にして、これだけの 1分50秒を切っているメンバーと一緒に最後の直線で順位を争うことが できたことがうれしかった。トレーニングもまともにできず、昨日の1500mも ひどかったこと考えると、今日は、現状でのベストだったように思う。

■2006年5月20日(土曜日)


レース中盤



最後の直線



4×100mRで第2位



牛タン定食(1.5人前)
 宮城県の利府で行われた東日本実業団男子1500mに出場。自宅を朝6時過ぎに出て 近くのバス停に着く頃には、スコールのような大雨が降り出し、仙台へ向かうのが 面倒になった。バス停でバスに乗り込むときに、見たことある人物がバスに乗り込む のを見かけた。元早稲田大学の田野くんだった。お互い、目を合わせると、何で ここにいるのかという話になった。以前会ったのは、約4年前。早稲田大学所沢 キャンパスで行われた記録会の時。そのときに1度話しただけだったのに、 電車とバスでの約1時間でずいぶん親しくなった。彼は、小田原で行われる 県高校総体と新横浜で行われる関東インカレに行くということだった。
 田野くんと別れた後、品川から東海道線に乗り、東京駅へ向かった。もう2,3 分で到着するというころで眠ってしまい、気がつけば自分一人が車両に残されていた。 これはマズイと思い、すぐに車両の外に出ようとしたが、ドアが閉まったままで あけられず焦った。結局10分くらいして、折り返し下りの電車ということでドアが 相手一安心。
 5時間半くらい掛かって利府の競技場へ到着した。利府行きの列車は1時間に1本しか ないことが多く、不便で仕方ない。バスの本数も少なすぎる。仙台でレースをするので あれば、断然宮城野原だと思った。
 男子1500m決勝は2組タイムレースだった。参加者が少ないため、自分は、 徳本くん(日清)や辻くん(ヤクルト)の出場する持ちタイムの速い組に入れて もらえた。スタートから辻くんが飛び出し、自分は、位置取りがうまくいってしまい、 3,4番手につけて1周目を走った。1周目は59秒。このままでは持たないと思ったが、 ペースを落とすわけにも行かず、ゴールまでただ耐えるだけのレースになった。 気がつけば先頭集団は、70〜80mくらい前でゴールし、自分は、最下位でゴール。 タイムは4分02秒37。トップは3分47秒台。この大会で4分台を出すのは初めての ことで、ショックは大きかった。今できることを出し尽くしてのタイムなので仕方ない。 明日は800mがあるが、本当に2分を切れるのだろうかという、不安を煽る結果となって しまった。

■2006年5月19日(金曜日)
 横須賀へ引っ越してきて1ヶ月半。同じ職場で働いている同期とやっと飲むことが できた。それぞれ同じ敷地の中にいても仕事は全く違い、顔を合わすことはないので、 なかなかスケジュールも合わせづらかったが、職場でいろいろなストレスを抱え、 納得がいかなくてもそれに従わなければならないこともたくさんあるようで、 どうしても今飲みたいということで、急遽集まることになった。
 自分は、今のところ職場にストレスを感じることはなく、楽しくやっているので、 ひたすら話を聞くという立場だったが、みんないろいろ悩みながら、仕事をしている ことがよくわかり、好きなことをやらせてもらっている自分は、本当に恵まれている ことを感じた。

■2006年5月18日(木曜日)
 大学時代によく通っていた、広島風お好み焼きのお店「ちんちくりん」が この週末で閉店するということで、家族で食事に出かけた。週末は、お客さんが 殺到するかもしれないので、わざわざ平日を選んで行ってみたが、常にお店は 満員だった。早めに電話で連絡を入れておいたのが功を奏し、それほど待つことなく お店へ入ることができた。
 お店の方も、最後ということで、注文していないものまでいろいろと出してくれ、 お好み焼きだけの支払いでは、気の毒になるくらいのサービスだった。
 このお店は、高校時代までは嫌いだったお好み焼きについての考え方を180度変えて くれたお店だった。14年間の営業だったということなので、自分がお店に顔を 出したのは、まだ開店したばかりのころだったようだ。大学を卒業してからも 年に1回くらいは、お店に顔を出し、マスターも顔をおぼえてくれ、なじみの店だった ので、閉店は残念だが、お店の事情もあるので仕方ない。また新しいなじみの店を 見つけていきたい。

■2006年5月17日(水曜日)
 先週、100mで9秒76の世界記録が出たが、その記録が訂正され、 9秒77の世界タイ記録になってしまった。今のルールでは、1000分の1秒の 単位は、すべて切り上げるはずのところが、今回の記録は、切り捨ててしまった と発表された。国際陸連のグランプリシーリーズでのレースで、間違うという ことがあるのか?と驚いた。何事も人間のすることは、絶対とか、間違いないと いうことはないということか。世界記録を出したガトリンの気持ちのダメージは、 かなり大きいのではないかと思った。

■2006年5月16日(火曜日)
 専門を極めるということは、限りなく可能性を狭めていくことだという話を聞き、 なるほどと思った。自分は中距離を始めて16年目に入った。16年前までは、 水泳、テニス、長距離という種目をやり、いろいろな方向へ向いていた。 しかし、専門を決めてからは、別の方向へ向けることなく、それらの可能性を 捨てて、中距離の道へ進んだ。
 スポーツ選手を目指すということは、別の可能性を捨てることなのだろう。 子供の時は、幅広く、多くの種目を行うことで、いろいろな可能性を秘めた 時期とも言える。そして、ある種目でトップを目指すことになると、どんどん その幅を狭めていく必要が出てくる。いろいろな種目をやることも必要だが、 極めようとするとそこに矛盾が生じてくる。
 最近は、いろいろな団体がタレント発掘ということで、セレクションを行う ことが多い。子供の進む方向を決めるということは、その子供にとっては、 別の可能性を狭めることになる。そう考えると、このタレント発掘というのは、 かなり重大な決断であり、道を作ったからには、きちんと最後までフォローする 制度が必要なのではないかと思った。

■2006年5月15日(月曜日)
 先週、世界反ドーピング機関で低酸素室の使用をドーピング違反として禁止する かどうかを検討することが発表されたが、結局この問題は先送りになった。 今のところ違反ではないということ。日本では低酸素室を備えたトレーニング 施設がいくつかあり、実際にトップ選手がそこで生活したりトレーニングをしている。 日本では、高地トレーニングのできる環境は少なく、多くのトップ選手は、海外まで 行ってトレーニングをする。そのため、国内でも簡易的に同じような環境をつくる ために低酸素室が作られた。これがドーピング違反になる可能性がでてきたという ことに驚いたが、技術の進歩がルールまで変える可能性があるのだなぁと思った。 スポーツメーカーも、ほんのわずかな細かいところで、技術をしのぎ合って、 選手のパフォーマンス向上に寄与している。ルールの変更によって、逆にマイナスに なる場合も今後は出てくるのかもしれない。
 禁止になった場合の各施設のダメージは大きかったことだろうが、今回は、先送り ということで、ホッとしたことだろう。

■2006年5月14日(日曜日)


トイレトレーニング中
 我が子は2歳7ヶ月を過ぎ、妻が言うには、今は最初の反抗期らしい。話す言葉を 聞いていると、親が言うことに対して、同じ言葉を繰り返しながらも、末尾に 否定の「ない」をつけている。何をするにもとにかく否定しながら、実際には、 言葉とは反対の肯定の動作をすることもある。また、「イヤ」と言って、親の 言うことを聞かないことも多い。
 インターネットで調べてみると、1〜3歳にかけて「第一次反抗期」が始まり、 自主性が急に伸び、自立が始まる一歩で、子供に振り回されることが 多いが、反抗することで自分を育てているということで、親は喜ぶように、と 書いてあった。確かに、何でも「自分で」と言って自分一人でやりたがる。 それに対して、親はややこしいことになるのが面倒で、つい「ダメ」と言ってしまう。 まず納得するまでやらせたほうが良いようだが、1日中つきあっている妻は、 やっぱりうんざりという感じがあり、何でも禁止しそうになる。わかっては いるが、ずっと一緒だとなかなか一呼吸おいて冷静になるというのが難しい。 できるだけ、一人の人間として認める姿勢を作っていきたい。

■2006年5月13日(土曜日)
 久しぶりに朝練をした。走水海岸の地域は、いつもジョギングや、ウォーキングを している人が多いが、すれ違ったときに挨拶をする人が少ない。こちらは、すれ 違うたびに一応気持ちよく挨拶をしてみるが、目を合わせてくれることはほとんどない。 自分の挨拶に気持ちよく答えてくれるのは、ほとんどは外国人。彼らは、同じように 目を合わせて、同時に挨拶をしてくれる。
 すれ違うのは中高年の人が多いので、挨拶は普通にしてくれるのだろうと考えて いたが、そうでもない。どうしてなのだろう?他人には無関心なのだろうか?子供を 教育する立場の人たちがこの調子では、この先どうなってしまうのだろう?
 知らない人には、話をしないというのでは、旅行者が道を尋ねても無視という ことになってしまう。そんな国はイヤだ。
 まず人の目を見て、そして挨拶をする。社会生活を営むのに最も基本となる ところを学生にも子供にも教えていきたいと思った。

■2006年5月12日(金曜日)
 子供の発想にハッとさせられることがある。語彙がないため、自分の知っている 言葉でなんとか自分の考えを伝えようとするところがかわいらしい。
 今日は、風呂場で髪の毛が落ちていたのを見て「ママの落とし物」、 テレビを見ていて、妻に「今度大きい赤ちゃん買って」、相撲を見ていて、 力士のまわしのことを「お相撲さんのおむつ」という言葉を発した。
 また口がうまく回らずなかなか正しい発音ができないことも多い。 「鯉のぼり」は「こいのごり」、東武東上線は「とうぶとうぼうせん」 なんど繰り返しても同じ発音になる。子供が真剣に話す姿に笑っては いけないが、口が回らないために全く違う言葉になることもあり、 思わず妻とともに笑ってしまう。

■2006年5月11日(木曜日)
 社会人になったら、どんな服や靴を買うべきか。就職の決まった同期たちと 話しているときの話題になった。今までは体育専門だったので、運動靴 (特にランニングシューズ)を普段履いていたのに、就職活動をするように なってから、よそ行きの靴を履くようになって足が痛くなったという。安い靴 だから足が痛くなっているのかもしれず、今後仕事で使っていく靴には お金をかけるべきかどうか、が悩みどころらしい。
 服であれば、毎日同じ服装もおかしいので、どのくらい服を買うべきか、 選ぶのは楽しいかもしれないが、服にお金をかけすぎると生活できなく なってしまう。制服のあるところは、服にお金をかけなくてもいいという メリットもあるが、いつも同じ格好で、特に女性にとってはおもしろく なかったりする。
 自衛隊では、服装も靴も決まっているので、あまり考えたことがなかったが、 この問題は、自分の生活スタイルを決める重要なことかもしれないと思った。 先に社会人になっている自分がアドバイスできれば一番よかったが、自分に は全く経験のないことで、この話題の中では、アドバイスもできず、結論は 出なかった。

■2006年5月10日(水曜日)
 昨日の疲れが残っている学生が多かったため、少し強度を落として韓国式サーキット。 セットの終了ごとにいつもは1000mを走るところを今日はカットして、 しかもダッシュは7,8割にした。
 強度はかなり落ちるので、楽々こなせるかと思ったが、結局同じような きつさになり、みんな苦しんだため、予定とは違った練習になってしまった。 せっかく状況を見て練習を変更したのに・・・。失敗は成功の元。 次は失敗しないようにしていきたい。

■2006年5月9日(火曜日)


朝練で見つけた竹の子
 メニューは4000mペース走と300mタイムトライアル。4000mは 学生が後にぴったりとついてきてくれたため、ペースは落ちることなく、 3分20秒/kmを切って走り切れた。吐きそうになることもなく、久しぶりに まともなペース走になった。
 300mは、遅い人からスタートさせ、自分は一番最後にスタート。先頭との 距離を開けすぎ、追いつくことができず、全力で走りきることもできなかった。 タイムが39秒1で、さらに落ち込んだ。
 300mは良くなかったが、ペース走が走れたことで、なんとか今月の レースには、間に合いそうな気がしてきた。

■2006年5月8日(月曜日)
 連休が終わりリフレッシュして日常生活に戻りたいところだが、休みだった ようで、そうでもない感じの連休だった。電車に乗っていても、お疲れな人 たちが多く、「連休明けに、疲れた顔は、マズイよな。」というアリナミンAの キャッチコピーが妙に的を射ていて笑ってしまった。結局休みの日でも 動いていれば、体はあまり休んでいない。
 4月から生活環境がかわった人には、5月病と言われるようなものもそろそろ 出てくるはず。昨日は、そんな気分で、体が怠く何事もやる気が湧かず、だらだらと 寝転がり、家の中に閉じこもっていたが、昨日のそんなだらしない1日があった おかげか、昨日よりは少しはシャキッとして1日を過ごせた。

■2006年5月7日(日曜日)
 我が家の子供もやっとおむつが取れそうな前兆が始まった。3日前に一度、 トイレでおしっこをして、かなり褒めたので、本人は上機嫌だった。昨日と一昨日は、 友達が来ていたこともあり、遊びに夢中で、トイレということが頭に浮かばなかった ようだが、また今日からやる気を見せてくれ、2度もトイレでおしっこができた。 しかし、トイレに入ってからおしっこが出るまでに時間がかかる。待っている親は、 本人の目の前で腰を下ろして待ち、尿を出すのを見ていたが、途中から「パパ、 見ないで」と言い出したため、トイレから出ることにした。妻の場合は下を向いて、 目の前で見ているらしいが、自分は、子供の意志を尊重した。
 子供を毎日見ていると、小さな変化になかなか気づかないが、毎日、少しずつ 成長していっているということを実感できるゴールデンウィークとなった。

■2006年5月6日(土曜日)


仲良く砂遊び
 我が家にあるバーベキューセットを持って、観音崎でバーベキュー。 着火剤を忘れ、着火剤なしで、木炭に火をつけようと努力したが、努力は 報われず、結局着火剤を取りに帰り、やっと火をつけることに成功。
 その後は、順調に、肉や野菜を焼くことができたが、子供たちは、 食べることよりも砂浜での砂遊びの方が忙しく、食べるのを楽しんでいる 感じはなかった。この1ヶ月間、仲良しだった2人が離ればなれに なっていたので、それを埋めるかのように仲良く遊び、それを見るだけで、 親はうれしくなった。

■2006年5月5日(金曜日)


大はしゃぎの2人です
 3月までいた和光市で妻と子供が仲良しにしていた飛鳥井さん一家が我が家へ 遊びにやってきた。我が家の子供は、新しい友達ができたかもしれないが、 この1ヶ月間はそれほど外に行って遊ぶことはなかったので、仲良しだった子が 遊びに来たことで、大はしゃぎだった。しかし、同じおもちゃを取り合うことが 多く、いつも泣くのは、我が子ばかり。泣く必要のない場面でも泣き出し、かなりの 泣き虫だということがわかった。

■2006年5月4日(木曜日)
 中距離パートはコントロールテストとして、50m走、パワーMAX(無酸素 パワーテスト)と12分間走を行った。50mは全員が7秒前後で走ったが、 パワーMAXと12分間走には、大きなばらつきがあった。50m走と12分間走 から筋組成の推定をして、速筋線維が40〜60%という結果になり、中距離 選手らしい組成をしていることがわかった。自分もすべてのテストを一緒に やってみたが、最大無酸素パワーは学生時代よりも200Wほど低下し、12分間走 では3730mという、今までで最も低い値を出してショックを受けた。 この2,3ヶ月間の成果としか言いようがない。
 今日は長距離の学生にも栄養の話をし、多くの者が弁当を注文した。しかし中には、 お金を使いたくないので注文しないという者も何とも複雑な気分になった。

■2006年5月3日(水曜日)
 陸上部の合宿が始まった。メニューは坂ダッシュ6本。観音崎にある坂を使い、 上り坂を600mくらい走った。初めは全員一緒にスタートしたが、かなり 差が出たので、2本目からは、最も遅い人からスタートさせ、先頭がゴールするときに ちょうど自分が追いつくくらいの距離を離してスタートするようにした。 それぞれが前の人との差を考えて走り始めるが、ほとんどがゴールより前で 追いついてしまったため、最後は、こちらが指示して差を作ることで、ほぼ 集団でゴールすることができ、それぞれが自分のレベルにあった走りができた。
 練習後、学生に昼に何を食べるかを聞いてみた。すると「リッツ」という答えが 返ってきて驚いた。他の学生に聞いても、お菓子やカップラーメンというような 返事があり、あきれてしまった。休みの期間は、食事の代わりにお菓子やカップラーメンが でるシステムになっているのが原因で、学生の責任ではないが、合宿で集中して 追い込んだ体に、栄養が与えられなければ、合宿の意味がないので、弁当の買い出しに 行くことにした。自分が学生の時は、買い出しに行って自炊をしたこともあったが、 やっぱりお菓子で済ませていた時期もあった。練習、栄養、休養という最も基本と なるところからしっかりと教えていかなければ、と思った。

■2006年5月2日(火曜日)
 高橋尚子さんの座右の銘に「何も咲かない寒い冬は下へ下へと根を伸ばせ やがて大きな花が咲く」というような詩があるが、本当はどうかという話を聞いた。
 このことついて研究をして、博士号を取得された方が北海道にいた。実際は どうかというと、葉がしっかりと出て光合成をしてエネルギーをため込んだものを 根に向けていき、根をのばすという順序らしい。つまりタイミングとしては、少し ずれるだけで、冬には、ほとんど根は伸びていないということになる。 温かい地域では、1年中それができるかもしれないが、寒い地域では冬は、 土が固まるくらいだから、さすがに根をのばすのも無理だろう。 そう考えると、詩は何かの例えであるのだろう。読む人がそれをどう 解釈するかで意味も変わってくる。言葉のとらえ方は考え方次第なのだ。

■2006年5月1日(月曜日)
 一般的に言われる正しい姿勢で座ると、なかなか長時間それを維持できない。 正しい姿勢なのに、なぜ維持できないのか?それはたぶん疲れるから。座っている イスが身体に合っていないという考え方もできるが、とにかく、正しい姿勢なら 疲れないほうがいいのにどうしても疲れる。そのため、正しい姿勢を維持するための 方法として、微妙に座る位置をずらしたりして、少し身体を動かしながら座ること が挙げられる。これによりある筋肉が疲れる前に、別の筋肉へ負担を移すことができる。 自分の身体に合ったイスであれば、長時間座っても疲れないかもしれないが、 なかなかそういうイスに巡り会うことはない。
 以上のような説明があったあと、バランスボール(別名Gボール)を勧められた。 自分は、もともとバランスボールに座っているので、特に勧められる必要はなかったが、 なんとなくいいなぁと思って使っていただけなので、なぜいいかということまでは 考えたことがなかった。バランスボールでは、ある程度きちっとした姿勢でないと 座ることができず、バランスがずれれば座れなくなる。そのためバランスがずれる 前に無意識に自分でバランスを調整することになる。長時間イスに座っていると、 微妙に座る位置をずらすが、バランスボールであれば、スムーズに無意識でやってしまう。 気分転換には、ボールを使った運動ができ、なかなかクッション性がいい。スイスでは、 小学校の生徒のイスがこのボールであり、イスよりも集中力が高いという話も聞く。 役所でもこれを導入したところがあるらしい。強制しては、意味がないが、 なかなかおもしろい話だと思った。



[昔のいずみ]