最近のいずみ

Last Update:2006/7/31

パートタイムアスリートいずみ 6年目に突入!! 


■2006年7月31日(月曜日)


砂浜にて




補強で倒れてます
 中距離パートは、近くの砂浜までジョッグし、砂浜ダッシュを行った。 夏休みの割には、観光客は少なく、走るのにはとても都合が良かった。しかし、 バーベキューや花火のゴミが目立ったため、練習前にゴミを拾い集め、 練習環境を整えなければならなかった。自然環境を守るには、その場所を利用する 利用者のマナーが大事だなぁと思う瞬間だった。
 学校では、オープンキャンパスというイベントがあり、高校生やその保護者を 中心に多くの見学者が訪れた。学生は夏期休暇であり、合宿中のクラブの学生が いるだけなので、学生が何かをするということはなかった。
 砂浜ダッシュが終わり、ジョッグで学校へ戻ってくると、競歩の学生と 話をしている見たことのない学生がいた。競歩の学生から、「入部希望者です」と 言われ紹介された。彼は、オープンキャンパスに来ていた高校生だった。
 中距離をやっていて先週までは大会に出ていたということで、この学校の陸上部は どういう活動をしているのだろう?という興味があり競技場を見に来たという ことだった。話をしてみると、今年の神奈川県選手権で同じ800mに出場して いることがわかった。そこからどんどん話は膨らみ2時間半も話し込んでしまった。 彼は、このトラックを見て、そして自分と話をして、ここで陸上を続けたいという 気持ちになったようだった。こういうやる気に満ちた学生がどんどん入ってきて 欲しい。彼が秋の入試を突破し来年同じフィールドで走れることを願っている。

■2006年7月30日(日曜日)
 今日から陸上部の中長距離パートは校内合宿。午前中は、スタビライゼーション やアウフバウトレーニング。約1時間の補強だったが、昨日まで1ヶ月間は、 訓練期間でほとんどトレーニングをしていない学生が多かったため、これだけで かなりきつそうだった。
 午後は、観音崎の周回コースでクロカン走。一度も走ったことのない コースだったので、学生に教えてもらった後各自の周回数を決めた。
 8〜10周を目安にしたが、暑さの影響もあり、途中で歩いてしまう学生もいた。 自分も5周目にはペースが落ち始め、後半はかなりの辛さだったが、自分が 言い出したことなので、やめることができなかった。トレーニングの量としては 長すぎて不適切。久しぶりに倒れそうなくらいのきつさだった。

■2006年7月29日(土曜日)


かなりの大きさです
 転勤のため明後日引っ越してしまう後輩にプロジェクターをもらった。以前 一緒に飲んだときに、プロジェクターいりませんか?と聞かれたので、 もらうよと即答していた。
 もらう前からかなり大きいという話を聞いていて覚悟していて、 プロジェクターは想像通りの大きさだったが、プロジェクターを 入れているアタッシュケースがものさらに大きく凄く重かった。 一人では持ち運ぶのが大変な大きさで、もともとは企業で使われていた モノらしい。何年か前にインターネットオークションで落札した ということで、かなり古いモノだった。画素数が30万画素だが、 スクリーンに映すとそれほど画質が低いのはわからないようだ。 これで、我が家でも白い壁をスクリーンにホームシアターができる。 あとは、映画を見る時間を作るだけ。

■2006年7月28日(金曜日)
 家に帰ってきたときに、見たことのない洗濯洗剤の箱が3つも玄関において あった。何だろう?と思っただけでそれほど気にしていなかったが、その後、 妻から、新聞を購読することになったと言われ、そういうことかと思った。
 妻は、学生時代新聞奨学生をやったこともあるため、新聞の勧誘が来て 話を聞いてしまうと、苦労がよくわかり断れなくなってしまうため、 話を聞かずにいつも断っていた。しかし今回は、なんとなくドアを開けてしまい 話を聞いてしまった。話を聞いてみると3ヶ月間購読すれば、2ヶ月間はタダに するという内容だった。2ヶ月分は新聞の配達員が支払ってくれ、彼が 2ヶ月分払っても、3ヶ月間の購読を取り付ければ1万円がもらえるということで 彼も損はしないのでなんとかならないかと説得され、それならば、3ヶ月間だけ 購読しましょうということになった。彼は、その後2ヶ月分の金額を封筒に 入れて持ってきたらしい。そんなことしていいの?と思った。

■2006年7月27日(木曜日)
 防大1年生が、夏の訓練の総仕上げとして東京湾での8kmの遠泳訓練を 行った。今年は、天候が悪く、海での訓練の大半は雨の中だったが、今日は、 天気も回復して、応援をする側から見れば訓練日和だった。しかし、 学生からすれば、それほど変わりはなく寒かったようだ。
 学生が泳ぎ始める所は見ていなかったが、8kmを泳ぎ終わって、 浜辺に上がってきたときの顔を見ると、とてもたくましくなったように 見えた。特に入校したときに全く泳げなかった学生が、8kmを 一人で泳いだ感動は大きく、涙を流す学生もいた。モンゴルの留学生は、 泳ぎ終わって、こちらに気が付き大きく手を振ってくれた。彼もこの学校へ 来るまではほとんど泳げず、遠泳を心配していたが、しっかりと泳ぎ切った。
 自分もこの訓練を13年前に経験しているが、もともと泳ぐことができた ためか、それほど感動もなく、訓練のこともあまり鮮明に覚えていない。 泳げる学生には、ちょっと我慢すれば終わるというだけの訓練だったのかも しれない。泳げなかった学生にとっては、困難に打ち勝ったという大きな 自信になったに違いない。同じ遠泳でも、元々泳げた人と泳げなかった 人では、この訓練のとらえ方が大きく違っているように感じる。今回、 訓練を見学でき自分の学生時代と重ね合わせいろいろなことを考えさせられた。

■2006年7月26日(水曜日)
 「お疲れさま」と「ご苦労さま」という言葉を現代人がどのように 使っているかという文化庁の調査結果がニュースになっていた。
 目上の人には「お疲れさまです」と言い、目下の人には「ご苦労さま」と いうのが普通かなぁというのが自分の感覚。しかし、最近は、目上の人に 対して「ご苦労さま」と言ったり、目下の人に対して「お疲れさま」を 使う人がいるということだった。確かに我が社でも人とすれ違う時の 挨拶として目上の人には「お疲れさまです」と言い、目下の人には 「お疲れさま」と言っている。我が社のような階級がしっかりと 分かれている社会でもこのような使われ方をしているのだから、おもしろい。 言葉は時代とともに変化していくものなのだということが実感できる 実例だと思う。

■2006年7月25日(火曜日)


念願の便座だそうです
 我が家のトイレに、新しい便座が入った。どうしてもウォシュレットのついた 便座が欲しいという妻の強い希望だった。今まで生活してきた自衛隊の官舎の トイレは、便座にフタすらなく、妻はそれが不満で仕方なかったらしい。 自分は、特に気にしたことはなかったが、4月から入居した官舎では、フタが ついているだけ、かなりまともになったのではないかと思っていた。
 今日は、業者の人が設置に来てくれたが、便器の横に、大きなパイプが 2本もあり、取り付けの時に、操作ボタンの部分が入らず、業者の人も 経験したことのない事態になってしまった。これでは設置できないということで、 業者の人はいったん店へ戻って、どうするかを検討した結果、リモコン式の ものであれば設置できるという結論になった。しかし、その機種では、 今回購入した機種よりも2万円高くなるということで、業者も勧めるにも 勧めづらかったようで、1万円の上乗せだけでいいので、どうでしょう?と いうことで、こちらは了承して購入することになった。
 新しい便座は、人が来るとそれに反応して便座のフタが開く。子供は 大喜び。そんなものくらい、自分であければいいのにと思う。便座に座ると、 機械の作動している音がして、今まで静かだったトイレが、なんだか うるさくなってしまった。今まで電気を使う必要のなかったところに わざわざ電気を使うことになったので、なんだかもったいないというのが、 正直な自分の気持ち。考え方が古くさいのだろうか・・・

■2006年7月24日(月曜日)
 家にあるパソコンのウイルス対策ソフトが期限切れになるので、先々週 延長キーを購入した。しかし、購入した延長キーを入力しても、間違っている という表示が出てしまい、入力ができなかった。メーカーのホームページを見て 間違ったことをしていないか何度も確認したが、間違った操作は何もして いなかった。このままではまずいので、メーカーのカスタマーセンターに 電話を何度もしているが、いつも話し中か、かけ直すように促すアナウンスが 流れるだけ。更新期間が14日間あるが、明日で期間終了のため、かなり 焦っていた。
 ユーザー登録をして、オンラインサポートからメールで今の状況を伝えたが、 返ってきたメールには、現在サポートしていないバージョンだということだけで 何の解決にもならなかった。サポートしていないなら、延長キーの販売も やめて欲しい。
 今日はなんとか解決したいと思い、公衆電話から0570で始まるカスタマー センターの番号に電話をした。一発でつながったが、17秒で10円という 高額な通話料を取られた。センターにつながっても、対応するオペレーターに つながるまでに10分待ち、つながったと思ったら、担当の部署の番号に電話を するように言われた。教えられた番号に電話し、また担当者が出るまでに待たされ、 最後は、テレホンカードの度数が0になってしまった。当然、電話は切れて しまい、担当者と話ができなかった。テレホンカードは64度数を使っても 望みが叶わず、その間わずか20分足らず。あまりにも通話料が高く、 さらに担当者にはつながらず腹が立って仕方なかった。
 このままでは、延長キーのお金を取られるだけで、サポートがないという 最悪な状況になる。こちらからの連絡手段がメールか電話しかないのに、 メールでは断られ、電話は高額の通話料を取られ、つながらない。 どうしたらいいのか?これでは詐欺だ。

■2006年7月23日(日曜日)
 今生活している地域は、湿度が高い。子供が風呂で遊んでいるおもちゃが 気が付くとカビだらけになっていた。先月まではそれほど目立たなかったのに・・・
 先週は、タンスを移動したときに、タンスの下敷きになっていた畳が、 緑のカビに被われていてびっくりした。
 布団やを干していても、夕方までそのままにしておくと逆に、布団が 湿気を吸い取り、重みを増すことすらあるので、最近は、昼を過ぎたら 布団をしまうようにしている。
 学生時代にも、夏期休暇で1ヶ月近く部屋を空けて帰ってきたとき、 黒い制服にびっしりと白いカビが生えていたことを思い出す。
 海が近いだけに湿気からは逃れられない。駐車場に置いてある車も どんどんさびてくるだろう。自分たちの健康への影響も考えて、 湿気の対策を万全にしなければならないと思った。

■2006年7月22日(土曜日)
 神奈川県の高校野球の放送を見た。横浜高校と大和東高校の対戦だったが、 横浜高校が1点を先制されながら、4回までに21点をとり、5回コールド 勝ちをおさめた。
 20人の選手中、エースピッチャーを除いた19人が入れ替わりながら出場し、 春の選抜高校野球優勝校の強さを見せた。出場機会のない選手たちが、出場できる 貴重な試合だったのかもしれない。代打で打席に立った選手がホームランを打つなど、 控えの選手の力も他のチームの選手よりも上だった。11人連続安打の大会新記録を つくり、大和東のピッチャーは1年生2人を含む3人が投げたが、本当に気の毒だった。

■2006年7月21日(金曜日)


マグロなど
 家族を連れて、馬堀海岸にある銀平鮨へ行った。我が家は、子供が生まれてからは 回転寿司しか行っていないため、すし屋と言えば、子供はぐるぐる回るところだと いう印象を持っている。それでは、寂しいので、今日は、本格的な回らないすし屋に 行くことになった。
 銀平鮨は、自分の生活している地域では、数少ないすし屋で、インターネットや 友人から聞く評判はかなりいい。特ににネタが大きく、満足度の高い人が多い。
 今回は、とくとくセットと銀平セットという2つのセットを注文した。ネタは回転寿司 の3倍くらい大きく、おいしさは3倍以上。値段は、回転寿司の3倍くらい。 値段は高かったが、それに見合った味があり、自分も妻もかなり満足することができた。

■2006年7月20日(木曜日)
 日本各地で、土石流や河川の氾濫が発生し、避難勧告が出ている。土石流に ついては、4〜5メートルくらいの高さでやってきたという目撃者がいた。石が 浮いて飛んでくるという表現もしていて、想像を絶する光景だったことがわかる。
 家が土石流に押し潰されたり、家の壁に木が突き刺さっている映像は衝撃的だった。 この災害のはじまりはたった一滴の雨からのはず。家はある程度丈夫だというのが 人間の感覚だが、一滴一滴の雨が重なりそれが地面を動かすほどまでになっている。 自然の力には人間はまったく抵抗するすべがない。恐竜が滅びたのもやっぱり 自然の力によるものだった。自然災害の映像が世界各地から入ってくるが、 それを目にする度に、自然の持つ大きな力を感じる。

■2006年7月19日(水曜日)
 欽ちゃんの作った野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」が解散することに なった。「極楽とんぼ」の山本の暴行による事情聴取の影響で、たった1年半 での解散というのは、とても悲しい。欽ちゃんは、テレビカメラの前で、 「大好きな野球だったけど、やめることにしました」とコメントをし、原因と なった人間に対しては、「球団なくなっちゃったよ」と言うだけで、それ以上の ことは言わなかった。
 社会人野球が衰退する中、欽ちゃんの球団をはじめ、多くの有名人が野球チーム を立ち上げ、各地で地域の活性化に寄与している。茨城は、特にゴールデンゴールズ の影響は大きく、つくばに行くと、いろいろなところでこのゴールデンゴールズの 文字を目にする。
 このチームのためにホームグラウンドが整備され、多くのスポンサーがつき、 多くの交流試合が行われるようになった。今後もいくつも試合が組まれていて、 多くのファンが楽しみにしているはずだが、このまま解散してしまうのは、 ファンをがっかりさせてしまうことになる。
 欽ちゃんは、とにかくお客さんを楽しませることを第一に考えていると、 先週のNHK教育の番組で話をしていたのが印象に残っている。球団を 解散するということは、欽ちゃんの考えることとは、全く逆の行動をすることに なるし、これからも球団を支えていくつもりでいた支援者の落胆が あまりにも大きいのではないかと思う。この球団のために作ったグラウンドは どうするのか?たくさんの球団応援グッズの販売はどうなるのか?いろいろと 問題が出てくる。
 この事件は、一人の誤った行動が、多くの人たちに影響を与えてしまった。 自分も職業柄、誤った行動を取れば、同じような影響が考えられる。自分の 行動は、間違っていないかどうか常に考え、進む方向を間違わないようにしたい。

■2006年7月18日(火曜日)


購入した下駄
 一本歯の下駄を購入。先月行われたフルート奏者の白川さんの講演会をきっかけに、 うちの職場では、一本歯の下駄を使うと、腰痛が予防できるのではないか? 正しい姿勢で歩いたり走ったりできるようになるのではないか?などいろいろと 利用の方法を考える人が出てきて、ついに職場の希望者で共同購入をするところまで きてしまった。下駄は5200円。妻は値段が高いと言っていたが、そんなに 需要のないものだと考えれば、妥当な値段なのではないかと思う。
 さっそく履いてみたが、脚をまっすぐに出さないとうまく歩くことはできない。 確かにきちんと歩くための矯正になるような気がした。足下が不安定で、小さな 筋肉をうまく使ってバランスを取らないとジッと立っていることはできない。 履いているだけでトレーニングになる。自重を使い、無駄な筋力を使わない 歩行やランニングをするための道具にもなるような気がする。これをうまく 陸上競技に結びつけていきたい。

■2006年7月17日(月曜日)
 子供の反抗期が続いている。以前は、親が何かを言えば、それを否定するだけで 行動までは起こさなかったが、最近は、何を言ってもそれを否定して行動に移す。 親がそれを「やめなさい」と怒れば怒るほどそれに固執し、やめなくなってしまい、 結局自分たちを苦しめる。この時期はやりたいようにやらしてやればいいと言われる が、なかなかそれが難しい。
 人間は、脳の中が大きく変わる時期が何度かあり、常に成長しているらしく、 その最初の変化がこの2歳から3歳くらいにやってくるのだそうだ。脳の仕組みが 変わると今までと世界が違って見えるということで、物事にこだわる場所が 変わり、2歳を過ぎていろいろなことを否定するようになるということは、人並みの 健全な脳の変化が起きていることを示し、親はうんざりするのではなく、 喜ぶべきだと言う人もいる。
 20歳までに何度か反抗期は存在するらしく、思春期になって初めて反抗を するようになる子供は、大反抗を起こしたり、反抗期が全くなかった子供は、 社会に出てから他人とぶつかって悩むことになってしまう。生きていると どこかのタイミングで、脳の変化があり、反抗をすることになるのであれば、 親の対処しやすいこの時期の反抗は喜ぶべき事なのだろう。すぐに「押入に いれるよ!!」と言って怒ってしまうが、なんとかその言葉をこらえて、 問題のない範囲では、できるだけ好きにできるような環境を作りたい。親には かなりの忍耐が必要だ。

■2006年7月16日(日曜日)


コクワガタ?
 近所のホームセンターへ行った。妻はどうしても便座にウォシュレットを 取り付けたいというので、便座にこだわりのない自分は、たいした助言も できないので、子供を連れて、店内を見て回ることにした。
 最も子供たちが集まっていたのは、動物や昆虫を販売しているペットの スペース。うちの子供も、子犬や子猫を見て喜んでいた。子犬や子猫は、 大人になってもやっぱりかわいいなぁと思うし、動き回っている光景を 目にするだけで微笑ましくなる。その中で、ハムスターや一部のウサギが 2000円以下で売っていたのには驚いた。こんなに手軽に買えるものだとは 考えもしなかった。飼い主は、飼うのが面倒になれば、簡単に飼育を放棄して しまいそうな値段で、動物の命ってこんなに安いのだろうか?と思ってしまった。
 さらに驚いたのは、昆虫や鳥のコーナー。見たことのない、カブトムシやクワガタ、 いかにも熱帯に生息していそうなくちばしの大きな鳥やカメレオン、1m以上の 大きさのグリーンイグアナには、かわいらしいという感覚は持てず、なんで こんなところにこんなものが売っているのか?という気持ちの方が強くなった。 カブトムシやクワガタについては、瓶に詰められた幼虫が売っていたりする。 今や外国の昆虫を幼虫から育てる時代なのだ。角が3つあるようなカブトムシや クワガタが日本で野生化していたら恐い、そういう気持ちになった。その辺の 森に行って昆虫を取ってくるという時代は終わってしまったのだろうか?
 買い物から帰ってきて、家族で近くの観音崎へ散歩へ行ったところ、たまたま 小さな雌のコクワガタを2匹発見した。まだ我が家の近所は、昔の 日本が生きている。しかし、今後子供が大きくなるとテレビの影響を 受けて、店で売っている昆虫を欲しいと言い出すかもしれない。日本で本来 生活していないはずの昆虫を日本で飼育することを認めていいのかどうか? 今の自分には、やっぱり許容範囲外であり、認めたくない。旬の野菜が旬の時期で なくても食べられるような状況は自然でなく不自然だと思うのと同じで、昆虫に 関しても自然なことではないように思う。 

■2006年7月15日(土曜日)
 鴨居の生協で行われた親子パン教室に家族で参加。パンの生地を作るところを 学びたいと考え、妻はこの教室に申し込んでいたようだが、この教室では、 あらかじめパン屋さんによって生地ができあがった状態からトッピングを 入れるだけということで、かなりがっかりしていた。さすがに、親子のパン 教室なので、生地から作っていては、日が暮れてしまうということなのだろうか?
 今回はできあがった生地に、あんこ又はチョコレートをトッピングとして入れる ことになっていた。うちの子供は、どんなパンを作りたいか聞いたところ、 「ピアノパン」と答えた。「からすのパンやさん」という絵本にこの「 ピアノパン」が出ていて、絵本を見るたびに、「このパン好き」と言っていた のだから、答えの内容は当然といえば当然。妻は、苦労してピアノパンらしきものを 形作っていた。
 形をつくったあと、何十分か発酵させると、かなり大きくふくれあがり、さらに、 10分ほど焼くことで、最初の状態からは想像できないくらい膨らむことに驚いた。
 できあがったものは、焼きたての状態で食べることができ、ふわふわの温かい パンを食べられ、ある程度満足したが、中身が中身なので、甘いというだけのパン になってしまったのが残念だった。


■2006年7月14日(金曜日)
 昼休みのバドミントンは3日目。初日の筋肉痛は、ピークを過ぎ、疲れは、 初日ほど感じなくなったが、自分の思うとおりにシャトルを打ち込むことが できず、もどかしさは続いた。
 初心者の自分用にコート半面をつかったシングルスの試合を用意してもらったが、 初心者の自分を完全にもてあそぶように、シャトルをコートの前後に落とす 先輩たちの技術はすばらしかった。こちらは、後半になると空振りも多くなり、 かなり力が入っていた。ラケットのフレームに当たると思いがけない場所へ シャトルが落ちて得点になるという、自分も相手も納得のいかない得点だけが 自分の得点で、おもしろくなかった。まずは、きちんとシャトルをラケットで とらえられるようにしたい。

■2006年7月13日(木曜日)
 我が子の最近の流行は、横須賀線。まだしっかりと発音ができず、「よそすかしぇん」 と言っている。口を開くと電車の話ばかり。とにかく電車が好きなようだ。そして 使い終わったパスネットカードを収集するのも趣味。
 「お母さんのこと好き?」と聞くと、「電車のカード好き」と返事が返ってきて 会話にならない。「お母さんと電車のカードどっちが好き?」と聞いてみると 「電車のカード」と言われた。ちなみにお父さんと比べても電車のカードの勝ち。 両親としては、少し寂しい回答だった。
 子供がこれだけ電車が好きだと、電車の写真の入った本を見ていると 「これ何?」というように次々と質問をしてくる。そして、親も答えていくうちに マニアな知識が入って来る。今では、電車や新幹線の型の番号まで覚えてしまった。 子供は、電車の姿を少し見ただけで、何の電車か区別ができる。子供は自分の 興味を持ったことには、どんどんはまり、驚くべき記憶力を持つ。別のことに はまれば、やっぱりその方向ですばらしい能力を発揮するのではないかと思う。 電車に限らず、いろいろなことに興味を持てるように育てていきたい。

■2006年7月12日(水曜日)
 警察官の知り合いと話す機会があった。いろいろな事件を見ていて、何で そういう反応をするの?ということが多いという。
 親が子供に熱湯を平気でかけたり、身内を殺してしまっても、自分が やったのではなく他人がやったかのような反応を示すらしい。人の「死」と いうことについて考えたことのない人が多いのではないかということだった。
 「死」は、宗教と大きく関わり、宗教を通して学ぶ機会が多いのだろうが、 日本ではその宗教にいいイメージを持つ人が少なくなり、結果的に「死」からも 目を背けることになったのではないかと彼は言っていた。
 田舎では、人が亡くなれば、身内が中心となって若い人でも自分の やるべき事を知っていて手際よく葬儀の準備を行う光景を目にするが、 田舎から離れた地域では、葬儀屋が勝手に準備を行い、身内が少し他人事の ように構えていたりする。
 最近、急に「死」についての教育はとても大事なことなのではないかと 考えるようになった。「死」ということを自分に関係のあることとしてとらえ、 行動をしなければならない我が社でも、どのくらいの人が深く考えているの だろうか?自分たちの行動の元となる法律を作る政治家たちは、どう 考えているのだろう?

■2006年7月11日(火曜日)
 昼休みに、教授の先生方がやっているバドミントンの仲間に入れてもらった。 バドミントンを競技として意識したことはないが、軟式テニスをやっていたので、 ある程度はついて行けるだろうと思っていた。しかし、先生たちのやっている バドミントンは遊びではなく、完全に競技としてやっていたこともあり、 揺さぶりなどがうまく、まったくついて行けなかった。
 スマッシュをすると難なく取られ、スマッシュでこちらが体勢を崩している間に、 ネットの際にシャトルを落とされ、全く手がでないという場面が何度もあった。
 テニスの打ち方では、当然対応できない。グリップをどうしても力強く 握ってしまい、切れのある振りができない。いろいろと考えるところがあるが、 最終的には体で身につけるしかない。自分の倍の年齢の人たちがこれだけできる のだから、若い自分はもっと動けてもいいし、速いシャトルが打ててもいい、という よりも打ちたい。先生方が定年する前までには、追いつけるようにしたい。

■2006年7月10日(月曜日)
 昨日は、レースの疲れをそれほど感じることがなかったが、1日経って、 どっと疲れが出てきた。特に、大腿部前面内側(内側広筋)の痛みがひどい。 階段を下りるたびに、引き裂かれそうな痛みが走る。自分の筋肉を そこまで追い込むほどのレースをした感覚はないのに、体はそういう反応 を示しているということは、やっぱり、そういうレースだったのか? 3週連続のレースということも関係していたのかもしれない。年齢を 理由にはしたくないが、10年前とは、体の中身は全く別人のはずなので、 経年変化により疲労回復や疲労の感じ方にも変化が出てきたということ なのだろう。

■2006年7月9日(日曜日)
 1学期のレポート提出と、下宿代の支払いでつくばへ行った。下宿先がどんなところか 家族にも見せたかったため、家族を連れて車で出かけた。4月に、つくばへ行ったときには、 渋滞に引っかかり5時間ほどかかったが、今回は渋滞がまったくなかったため 3時間はかからなかった。
 下宿先の大家さんの家では、うちの子供よりも2つ上のお兄ちゃんと同じ学年の女の子が いたため、すぐに仲良くなり、遊び始めてしまった。彼らは、ほとんど会話がないのにも かかわらず仲良くできてしまう。これを心が通った状態と言うのだろうか?大人の 世界でもこんな状態ができれば、ミサイルだ、戦争だと言うことなく、平和な世の中が できるのに、と思った。
 レポート提出後、つくばセンターのショッピングモールへ行った。子供を遊ばせておく スペースのあるお店もいくつかあり、うちの子供も他の子供と同じように遊ばせた。 そこでも子供同士のおもちゃのやり取りがあるが、ほとんど会話はなく目だけで 行われていた。うちの子供は、少し年上のお姉さんが好きなようで、そういう 子供がくるとニコッと笑い、おもちゃを渡したりする。もらう側も悪い気は しないようで、そのまま、初めて知り合ったとは思えないくらい仲良く遊んでいたりする。 大人の世界は、自己主張ばかりする子供のような世界で、子供の世界の方が、実は、 本来の大人らしい世界なのではないかと思えてきた。子供から学ぶことは多い。

■2006年7月8日(土曜日)


平塚は七夕祭り開催中





表彰
 神奈川県選手権3日目。1500mに出場することになっていたが、1500mの 決勝の後に行われる4×400mRの決勝にも出場要請があったため、2つの決勝を 両立させることはできないと考え、1500mの予選でタイムをねらい、決勝は 棄権し、リレーに専念することにした。
 1500mの予選は、予定通りスタートから飛び出し、300mの通過が43秒台。 このまま行けば、自己ベストも出てしまう、なんて考えながら通過したが、その後は、 ペースを維持しているつもりが、どんどんペースダウンし、残り2周が1分46秒台、 残り1周が2分55秒台。ゴールが近くなるにつれ、後ろの選手の足音がどんどん 近づき、そのまま抜かれて、予選落ちになるかと思ったが、最後の直線で、なんとか スパートをかけ、トップでゴールした。タイムは3分58秒37。全体のトップ だったが、中盤はものすごい失速をしたレースで、ゴール直後は、かなりの疲労感が あった。
 予選の後にリレーの準決勝があったが、アンビバレンスチームは準決勝で敗退して しまい、結局1500mの決勝に出場することになった。
 1500mの決勝は、リレーを走るつもりでいたので、気が抜けてしまったことも あり、タイム狙いではなく、勝負に徹することにした。ラップタイムはあまり気にする ことなく、ポジショニングだけを気を付けた。
 残り650mから、徳地くん(中大)がスパート気味のペースアップをし、その まま2番手でついていった。残り300mで自分は力尽き、徳地くんは独走。残り 200mの地点で3位となり、何とか表彰台には上れるかなぁ?と考えていたら、 同じチームの野沢くんに抜かれ、さらに深瀬くん(三浦市役所)にも抜かれてしまった。 2人とも、表彰台に上がれるという意識で走っていることを感じることができたので、 もう少し2人をいじめてやろうという気持ちが出てきて、直線に入ったところで スパートをかけた。そして2人を抜き3位でゴール。2人を抜く瞬間は、「ごめんね」 という気持ちを持ちながら、一方では、2人の夢を打ち砕いた快感もあった。
 決勝のタイムは3分58秒23。シーズンベストではあったが、タイムとしては 納得いかないものだった。ゴールまで先頭争いができれば、全日本実業団の標準記録 (3分54秒0)突破の可能性もあったが、1日に2本走るのは、今の状態では難しい。 次に1500mに出場するのは、いつになるかわからないが、せめて昨年のシーズン記録 程度まではタイムを戻したい。

■2006年7月7日(金曜日)
 防大を卒業している防大教官の集まりがあった。参加者のうち、2人を除いて 全員教授ということで、話題は学校の運営に関することが多く、まだこの職に ついて間もない自分にとってはレベルの高い話ばかりで、ほとんど会話に 加われず聞くことしかできなかった。
 6月の新聞に、防衛庁の人数削減のために防衛医大が独立行政法人化するという ニュースがあったこともあり、この先自分たちの母校が進む方向についてはそれぞれ 持論があり、OB教官は誰よりも母校に愛着を持っていることが実感できた。

■2006年7月6日(木曜日)
 「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問に対して、養老孟司氏の「死の壁」 には、わかりやすい考え方が載っていた。「殺したら2度と作れない」と。
 「死」には「1人称の死」、「2人称の死」、「3人称の死」があると考えると 考えやすい。1人称は自分のこと。はっきり言って、自分が死んだ状態というのは、 自分ではわからない。2人称は、自分の身近な存在。これが普通の人たちが認識する 「死」。3人称は、自分の関わっていない人たちで、交通事故で死亡が確認された というニュースを見たときに自分の事として感じることのない「死」。
 仏教では、生き物を無闇に殺すことを戒めている。人が生きるということは、 食べ続けることが必要であり、何らかの生き物の犠牲の上に成り立っていると 考えれば、人は誰もがそういう罪深い存在であるという思いになる。
 ブータンでは生き物の生命はつながっているという考え方があり、自分に近づいて くるハエであっても自分の祖先が生まれ変わった形なのかもしれないということで、 ハエですら簡単には殺してはいけないという論理が存在しているという。日本では、 平気にハエを殺すが、ブータンの考え方では、考えられないことをしているようだ。
 人は、人との関わりの中で生きているのだから、人を殺して自分一人になったと したらたぶん生きていけない。さらに、殺人を犯した人にとっては「3人称の死」で あっても、殺された人の身内にとっては「2人称の死」であり、元に戻せないのだから 大きな影響がある。また、自殺については、自分にとっては「1人称の死」であり、 死んだこともわからないかもしれないが、身内にとっては「2人称の死」となるので、 これも影響が大きい。周りの人たちにどれだけ影響があるかを考えると、殺人は なかなかできない。しかし、最近は、自分の子供や親を殺す事件が頻発し、 普通に考えると理解できないことが多い。周りの人に大きな影響があることを 理解していながら、わざと事を起こしているように見える。素直でない人が どんどん増えているということか?彼らに後悔の念が生まれないのであれば、 もはや人として扱うべきなのかよくわからない。

■2006年7月5日(水曜日)


久しぶりの本格的な雨でした
 北朝鮮がミサイルを発射したという情報が、テレビのニュースで盛んに流された。 1発ではなく6発も発射していたことに驚き、さらに夕方にもう1発発射された ということで、またまた驚いた。誰もが想像できないことを、やってのける 北朝鮮は、本当に想像を絶する国だ。ミサイルは、製造するまでにずいぶん お金がかかっているだろうに、それを7発も披露してしまうのだから、かなり 気前がいい。どこかの国を狙ったという着弾ではなかったので、威嚇発射のような ものだったのだろうが、何のアピールなのだろう?ずいぶん高額なミサイルを 連発して、この国の人々の生活は、本当のところどうなっているのかが気になる。 そういう情報があまり外に漏れないようにできるこの国の制度もすごい。
 このミサイル発射に対して妻は怒っていた。何で怒っているのかと思ったら、 NHKの連続テレビ小説が中止になったから。朝も昼も中止になり、毎日の楽しみが 奪われてしまったというわけ。これは、多くの主婦に共通の怒りであったのかも しれない。

■2006年7月4日(火曜日)
 サッカーの中田選手が引退を宣言した。スポーツ新聞が号外を出すほどの 騒ぎだったようで、テレビでの報道もかなりの時間を割いていた。
 中田選手は、少し体の切れが悪くなり始めた感じはあるが、まだまだ 日本チームの主軸として絶頂期にあった選手だと思う。一流選手の引退は、 中田選手のように、最も輝いているときに引退をするタイプと、三浦カズ 選手のように、選手生活を長く続けるタイプに分かれるような気がする。 どちらが良いとか悪いというのはなく、それは、それぞれの選手の考え方次第。
 自分は、三浦選手のように、プレーができる間、またサポーターが応援して くれる間は、とにかく現役を続けるという選手が好きで、応援したくなる。なぜ 続けるのかは本人にしかわからないが、きっと続けることに何らかの価値が あるのだと思う。
 自分のやっている競技には、プロ選手は少なく、もともと引退という 考え方をする必要はない。走ることが好きならば、仕事や家庭に支障がない 程度で続ければいい。アンビバレス内でも40歳を超える競技者が何人か 出てきた。10年ほど前に、彼らは30歳を超えて競技をしていることに 驚いた。しかし気がつけば、自分も同じように30歳を超えて競技をしている。 あと10年ほど先の事はわからないが、過去10年間があっという間に 過ぎたと考えると、その先の10年もやっぱりあっという間に過ぎ、 40歳を超えてもやっぱり競技者を続けているのだろうなぁと思う。

■2006年7月3日(月曜日)
 土曜日のレースでは、全く疲れはなく、自分の体にやさしい走りができた のではないかと思っていたが、日曜日は、疲労感が大きく、体には厳しい走りを していた。今日は、昨日よりも疲労感がさらに増し、大腿部は、前部も後部も かなりの筋肉痛で、動くのが面倒なくらいになった、土曜と日曜の走りの差は 何かなぁと考えてみた。
 土曜日は、あまり張り切ることなく、なんとなく走ってまずまずのペースで、 最後まで体は動いていたが、日曜日の準決勝では、タイムを狙うということを 周りの選手にも公言してしまったことからも、やる気がありすぎて、後半は 体が完全に固まっていた。その後の決勝は、準決勝の疲労が大きすぎて、まともに 走れなかった。
 やる気というのは、あった方が良いのかもしれないが、実は、良い結果が出るとき は、それほど、やる気が関与せず、スムーズに事が進んでいく。力を入れている つもりではないのに、大きな力が発揮できているという感じ。だから自分自身が 頑張った感じが全くない。リラックスとはそういうことなのではないかと思う。 ムチを振り回すのと棒を振り回すのでは、どっちの方が力の発揮が大きいか 考えると、やっぱりムチの方が大きいような気がする。やる気満々で行く というのは、棒になるということと考えるとわかりやすいかもしれない。

■2006年7月2日(日曜日)


表彰





走り高跳びの君野さん
(本日、日本選手権で日本記録が破られてしまいました)
 神奈川県選手権2日目。800mの準決勝に出場し、昨日同様、スタートから タイム狙いで飛び出した。1周目は55秒を切るくらい。ホームストレートでは 少し向かい風を感じたが、あまり気にせず通過できた。残り300mからスピードを 切り替えたつもりだったが、ほとんど上がらず、残り200mからは失速し始め、 最後の直線は風の影響もあり、完全に止まった。後から、2位以下の選手が 近づいてくるのがよくわかったが、動かない脚を動かし、必死に逃げて 何とかトップでゴール。タイムは1分55秒27。2周目の失速が大きく影響し、 疲労度も大きかった。
 朝の時点では、準決勝も決勝もタイム狙いで積極的なレースをするつもりだったが、 準決勝で力尽きたことで、決勝はスタートから消極的な走りをしてしまった。 気が付けば、100mを通過したときには、最下位。これはマズイと思い、 あわててバックストレートで先頭に追いつき2番手につけた。
 1周目の通過は、タイマーが42秒で止まったまま。マイケルジョンソンの タイムで走れるわけないだろ!!といい加減な表示に腹が立ったが、 レース中に文句を言っても仕方がない。自分の感覚でペースがわかるほど 練習ができていないので、ペースがわからなかったことは、2周目の走り方を 考える上でとても困った。
 2周目に入って、林くん(すぱっつ)が何段階かに分けてスパートをしたが、 そのたびに食らいつき、気が付けは、最終コーナー。コーナーを出る所を きっかけに一気に先頭に出て、逃げ切りを目指した。50mくらいは、スピードが 保てたが、その後は、失速し、残り20mくらいで、服部くん(東海大)に かわされ2位でゴール。タイムは1分57秒05。
 5月の東京選手権につづき神奈川県選手権でも2位。11年前と10年前にも 2位になり、4年前は優勝、2年前は3位、昨年は5位。順位としては、まずまず の位置にいるが、昔の2位と比べるとタイムが遅く、10年以上前から参加している 自分がまだこの位置にいることを考えると神奈川県のレベルは低迷している。 1分50秒を切る高校生や大学生ががいた時期もあったので、もうちょっと 学生が頑張り、レベルを上げていってくれればなぁと思う。

■2006年7月1日(土曜日)


400m通過



ゴール
 神奈川県選手権初日。800m予選に出場。この1週間は、背中の筋肉痛が ひどく、まともに運動ができなかった。なぜ筋肉痛になったのかわからないので 困る。しかし、おおかた痛みは治まり、やっと運動しても気にならなくなり、 なんとかレースには間に合った。
 今日は予選のみなので、シーズンベストを狙って走ることにした。渡辺さん (愛川町役場)が31歳の時に1分52秒7台の記録を出しているので、この 記録をなんとか切りたいと考え、スタートからかなり良いペースで入った。
 1周目は54秒台。あと58秒でカバーすれば記録達成で、なんとか 走れそうな感覚だった。誰も付いてくる人もいないので、スタートから 完全な一人旅。残り200mから、ペースはダウンし、ゴール手前で 1分50秒が過ぎ、タイマーを見ながら「51,52」と頭の中でカウント しながら、走った。結局53とカウントしたときにゴール。タイムは 1分53秒19。目標のタイムは達成できなかったが、昨年と一昨年 のベスト記録は上回った。今の自分の力で、一人で走りきったタイムとしては、 まずまずのタイムではないかと思った。明日は準決勝と決勝がある。あと2本の うちに目標タイムを切りたい。明日も積極的に行きます。



[昔のいずみ]