最近のいずみ

Last Update:2006/9/30

パートタイムアスリートいずみ 6年目継続中!! 


■2006年9月30日(土曜日)


1500m(残り150m)



競技場(九州石油ドーム)



城址公園
 全日本実業団の出場のため大分へ。大分は、初めての滞在で、何も調べずに 向かったため、大分空港から、大分市までバスで1時間と聞いて、予定が狂った。 ホバークラフトであれば、片道40分と聞き、ホバークラフトに気持ちが傾いたが、 バスは1500円、ホバークラフトは3000円近くと聞き、迷わずバスを選んだ。
 競技場は、大分駅からシャトルバスで約20分。山の中に、大きなドーム型の 競技場がポツッとあるだけだった。選手受付にたどり着くのにかなり時間がかかる ほど、複雑で広かった。
 競技場へ着いた頃には、決勝種目も始まり、男子200mでは末續選手が20秒36の 好タイムで優勝していた。最も熱くなったのは、男子1500m決勝。1周目は日本記録 保持者の小林くんが57秒台で引っ張り、2周目以降は、ケニアのマサシ(スズキ) 選手が流れを作り、1200m通過が2分55秒で、残り300mの走り次第では、日本記録の 出るペースとなった。結局日本記録は出なかったが、小林くんは、3分38秒95で2位に入り、 来年の大阪世界選手権B標準を突破した。ほんとうに良かった。体育学校の選手は、 森くんが、自己ベストで9位に入り、3分44秒台に突入。自分と同じ学年の選手の 頑張りは、本当に心強い。
 同じ学年と言えば、今日は、小坂田選手(大阪ガス)の引退セレモニーがあった。 昨日は、やはり同じ学年の土江選手(富士通)も引退を宣言した。どんどん同世代が 少なくなっていく。自分は、体育学校の選手を首になった時点で、事実上引退なので、 もう6年も前になってしまうが、気持ちは、まだ引退はしていない。どこまでこの 気持ちが続くのだろうか。長く続けていきたい。
 一通り競技を見た後、自分の調整に入った。足をまっすぐに接地できれば、 痛みはほとんどない。なんとか走れそうだという気持ちになってきた。明日から 天気が悪いらしいが、それが影響しなければいいなぁと思う。

■2006年9月29日(金曜日)
 朝、家の玄関を出て、階段を下りてすぐに、右足首を軽く捻挫。歩くことはできるが、 少しでもねじれると痛みが走る。すぐに冷やすなど対処しなければならなかったが、 つくばへ行くため、電車の時間を考えるとそんなことをしている時間もなく、結局 何もしなかった。
 1日捻挫の足とつきあってみたが、患部に腫れはなく、まっすぐに足が前に出れば、 痛みはない。走れるかどうかは、走ってみないとわからない。明日から全日本実業団。 マズイ時期にやってしまった・・・

■2006年9月28日(木曜日)
 イタリア人と話をする機会があった。イタリア語は全く知らないので当然 会話は英語。一緒にいた人たちは、全員英語のできる人たちで、生理学的な 専門用語も飛び交わせながら談笑していた。こちらも隣で一生懸命聞いていたが、 あまりわからなかった。
 しかし、家族や旅行などの日常会話に近いものになると、いくらか理解できた。 最近は、英語の論文を必死に訳すということはやっているが、あまり身に付いていない。 会話については、全く経験してない。たった1日でも、別れ際になれば、少し 自信もついて、話もできるようになってくる。言葉は、使う経験が増えれば増えるほど どんどん理解できるようになる。自分から外へ求めで出て行かなければ、向上はない のではないかと思う。

■2006年9月27日(水曜日)
 週末のレースに向けて最終調整。最近は、昼休みにウエイトトレーニングを 行い、すこし身体に刺激を与えているが、肝心な走りの方は、あまり練習できていない。 本当にレースで走りきれるかどうか不安なので、最終調整もタイムトライアルではなく 600mの変化走にした。前半の300mをウインドスプリント、後半の300mは全力走としたが、 全力走は、全力走にはならなかった。しかし、後半のペースはわずかに上がり、最後は 転ぶような感じでゴール。タイムは1分24秒1。今の状態からは上出来かもしれない。 実際のレースで残り200mを走りきれるかどうか・・・。あとは、何も考えず、ただ走る だけ。10回目の全日本実業団を楽しみたい。

■2006年9月26日(火曜日)
 安倍総理大臣が誕生し、新内閣の発表があった。防衛庁は、久間長官。 自分が学生だった約10年ほど前に防衛庁長官だった。省に格上げをする という目標を達成するための人事だったのだろうか?
 前の内閣が発足してから約11ヶ月。この間、最も注目していたのは、 少子化・男女共同参画担当の大臣が、どんな政策を打ち出すのかという ことだった。自分から積極的に情報を集めなかったこともあり、どんな 政策が立てられ実行されたのか何も知らない。11ヶ月間では、政策を 立てて実行するには、短すぎるようにも思うが・・・
 新たに少子化担当になったのは、高市早苗氏。奈良に住んでいたときに、 職場で講演会があったことを思い出す。国会議員は、身近なことから 国際関係まで、多くの問題を抱えながら、仕事をしていることを知った。 こんなにいろいろなことを考えているのかと驚き、国会議員を尊敬した。
 高市氏は、沖縄・北方・少子化担当の大臣になり、これまで3人の人 が担当してきた仕事を1人でやらなければならないらしい。そんなこと できるの?と思う。国会議員は、聖徳太子のように多くの人が同時に 話すことを聞き分けるくらいの能力が必要なのかもしれない。

■2006年9月25日(月曜日)
 朝起きるのがつらい。起きるのがつらくなったのは8月くらいからで、 ずいぶん長い。こんなだらだらした朝では、1日の始まりとしては、 あまりよくない。この流れを変えるため、今日から朝練を再開しようと 思って望んだ第1日目。早速、敗れ去った。寝たのが1時近くで、 十分な睡眠時間を確保できていなかったのと、毛布をいったん取り去って 起きる寸前まで行ったのに、寒くてまた毛布にもぐってしまったのが原因。 あまりにも意志が弱すぎる。こうしてまた、自分で自分を責めるという 悪循環が継続・・・明日こそ・・・ 

■2006年9月24日(日曜日)
 スーパー陸上をテレビで観戦。できるだけ多くの競技をハイライトではなく 放送して欲しかったが、相変わらずTBSらしい放送で、余分な演出ばかりだった。  日中は、とても清々しい天候で、好記録が生まれるのではないかと期待していたが、 夕方になると少し涼しくなってきたためか、期待していたほど好記録は出なかった。 男子100mでは世界記録保持者がフライングで失格し、末續選手が好記録で 優勝。しかし、追い風参考記録になってしまったのが残念だった。
 15年くらい前は、スーパー陸上と言えば、昼から夜まで放送をしていたが、 今日の放送はたった2時間しかなく、注目のハンマー投げも最後の投擲まで 見られず、中途半端な感じがした。

■2006年9月23日(土曜日)
 コンビニで、新しいサプリメントを発見。なんと酸素スプレー。 3種類くらいの味なのか匂いなのかはよくわからないが、色分けして 陳列されていた。最近は、酸素が通常の何倍も入った酸素水が何種類か 売られているので、漠然と酸素が注目されているんだなぁと思っていた。 スポーツの現場では、酸素スプレーが使われる場面があるが、一般の 人たちが使うために酸素そのものが売られるようになるとは思わなかった。 サプリメントを販売する側も、次々と新しい商品を出さなければ、生き残れない ということなのだろう。商品が並んでいるのを見ただけなのに、 商売人の必死さを感じてしまった。

■2006年9月22日(金曜日)
 三田駅で、都営三田線から浅草線に乗り換えようと浅草線のホームへ 階段を上がっていったところ、ホームで頭を中心に血だらけになって 倒れている人がいた。どんな事件があったのかはわからないが、駅員が3人と、 同僚らしき人たちが彼を囲んでいた。すぐに救急隊員がやってきて、首を 固定する措置をしていた。救急隊員は、本人の意識を確認し、目をつぶらないで くださいねと何度も話しかけていた。担架がきたころに、電車が来て しまったので、その後はどうなったのかわからない。倒れた人の無事を祈る。

■2006年9月21日(木曜日)
 出張で筑波大学へ行った。用事が終わり、大学の駐輪場に置いておいてある 自転車を使おうと思い、駐輪場へ行ったところ、あるはずの自転車がなかった。 先週金曜日には駐輪場の柱にしっかりとチェーンをくくりつけておいた。 それなのにない・・・。
 昨年、ネットオークションで落札して1年も経っていなかった。大学の夏休み などもあり、ここ3ヶ月ほどは、全く使っていなかったため、ずいぶん錆付き、 さらにタイヤの空気は抜けてしまっていた。先週乗ろうとしたときにタイヤの 空気が抜けていたため乗れなかった。今日は、空気を入れに行こうと思っていた。 そんな使えなさそうな自転車をなんで盗んで行ってしまったのだろうか?
 大学の校内では、よく自転車が盗まれるということを聞いていたが、まさか自分が その被害者になるとは考えられなかった。鍵は1つだけではダメということなのか。 よく盗まれるということがみんなの認識になっているというのは、とても 悲しいことだ。自転車返して・・・。

■2006年9月20日(水曜日)
 タイ王国でクーデターが起こった。発砲はなく、大きな衝突も全くなかった。 タイではよくあることというようなコメントをテレビで耳にしたが、よくあること として片づけては、まずいのではないか?首相を取り巻くいろいろな問題がある ことが最も大きな要因だったらしいが、タイ国内でも、都市部の住人は、首相に 批判的で、地方の住人は、首相を応援しているということなので、首相が 気に入らなければ、基本的には、選挙で新しい首相を選ぶことが、本来の 流れであるはず。それを無視してクーデターというかたちで首相を交代させよう というやり方は、納得できない。政治が気に入らないと軍が圧力をかけるということ が当たり前になることはとても危険なことだと思う。軍の存在意義というものは、 何なのか?ということにもつながってくる。
 うちの学校には、タイからの留学生がたくさんいる。彼らは、この事件について、 どう考えるのだろうか?とても気になるところだ。 

■2006年9月19日(火曜日)
 4月以来のウエイトトレーニングをした。昨年は、脚の具合が悪いことも あったため年間を通してやっていたが、今シーズンは全くやっていなかった。 ベンチプレスの重量は、半年前よりも10kg減らして、やっと同じ回数が できた。自重でのディップでスは、以前は10回以上できていたのに、 今日は3回チャレンジして3回とも5回以下。この低下には驚いた。 やらなければ力が落ちるということが実感できた。継続すれば、すぐに戻る だろうし、重量が上がってくれば、それがまたやる気につながる。週に2,3回は、 昼休みの30分くらいを使って継続し、アスリートらしい体つきへ戻そうと思う。

■2006年9月18日(月曜日)
 最近は1週間に1,2回走れば、トレーニングの回数としては多いというような 状況で、まったくアスリートではなくなってきている。ジョギングをしていても、 その状態からは、自分が中距離を走っているとは自覚できないほどの走りで、少し 走っただけで疲れる。運動自体をそれほどやっていないのに、毎日なぜか疲れていて、 毎朝起きるのが辛くて仕方ない。修士論文が思うように進んでいないことが最も 大きな原因だろうが、自分のやらなければならないことが、1つも満足にできず 中途半端な自分に腹が立つ。
 全日本実業団も近づいてきたのに、全く準備ができていない。この状態を 断ち切るべく、今日は、1200mと600mのタイムトライアルをした。
 1200mは3周を63"、66"、66"。一定ペースで走りたかったが、今の状態では、 まずまずの走りだと納得するしかない。600mは、1'25"くらいでは行きたかったが、 現実は、1'28"9。全力でこのタイムでは、800mで2分を切るのが精一杯のタイムで しかない。残り2週間。今シーズンの締めくくりとして後悔のない走りができる よう、日常生活から気持ちを切り替え、少しでも自分のやるべき事を進めていきたい。

■2006年9月17日(日曜日)
 「脳」整理法(茂木健一郎著)という本を読み始めた。ここでは、 ほぼ完全な規則性があって予言できることと、ほぼ完全にランダムな場合に ついては、現代の科学はきわめてすぐれた実験的、理論的な方法論を 提供することができると言っていた。
 自分から見る他人の行動は、ある程度予測できるかもしれないが、細かい ことを考えればまったく予測ができなくなる。この本では、半ば偶然に、 半ば必然に起こるというということを「偶有性」という言葉を用いて説明している。 この言葉がとても気に入ってしまった。
 人生は、一生に一度しか起こらない出来事の連続で、一回性の出来事は、 半ば規則的で、半ば偶然であるという「偶有性」に満ちている。物理の世界では、 時間軸が存在し、自分の存在する前から、自分の経験していない未来まで軸を 引くことができる。つまり自分が存在しようがしまいが、未来は決まっている という前提があって軸を引いている。どの時刻をとっても平等に価値を 置いていて、未来は、自分が何をしようが決まっていると言われているような 感じさえある。しかし、今を生きている人間にとっては、今という時間 (正確には時刻?)は、他の時間とは比べることのできない特別な時間なはず。 大きな流れは、ある程度の規則性に沿って予測が可能かもしれないが、自分の 意志によって決められる行動の選択肢はいくつもあり、それが半ば偶然を起こし、 未来をわからないものにしている。人は、その瞬間、瞬間でそういった選択が できるのだから、「ああ、もうダメだ」と考えるよりは、よりよい選択が できるように努めるほうが、結果も良くなる可能性があるし、精神的にも良い。 だんだんプラス思考とつながってきたが、なんでも挑戦した者勝ちかなぁと 思え、明日への活力が沸いてきた。
 偶有性に満ちているから人生は楽しい。一瞬一瞬を大切にしよう。

■2006年9月16日(土曜日)
 おいしい魚を食べに、近くのお店へ家族で行った。そのお店は、地元では人気の 店なので、お店の中は、席待ちのお客さんがたくさんいた。禁煙席と喫煙席は別れ おらず、席を案内されるときには、「近くの人がたばこを吸いませんように」と 祈りながら席へ向かった。しかし、残念ながら隣の席のカップルは、2人とも たばこを吸っていた。シャワーを浴びてきたばかりなのに、あっという間に 体がたばこ臭くなり、妻と2人で気分が沈んだ。
 たばこの臭いだけで、食事のおいしさも半減。魚を食べに来たはずなのに、 たばこの事ばかりを考えてしまった。「こんな煙たいところからは早く出たい」と。
 たばこを吸いたい人もいれば、たばこの煙をかけられたくない人もいる。 たばこを吸う人の世界を知らないので、たばこを吸う人と比べると、生きる世界を 半分知らないことになるかもしれないが、たばこを吸う人は、広い世界を知って いる分、たばこを吸わない人たちの気持ちを少しは酌んで、食事の場面では、 吸わないようにすることはできないのだろうか?禁煙と喫煙が分けられず、 目の前に灰皿があるのだから、それは無理か・・・

■2006年9月15日(金曜日)


つくば万博のロケット





ロケット前の池にて
 先月はドーピングのニュースが多かったが、ドーピングは本当に効果があるのか? ということを考えると、はっきりしたことはよくわからないというのが本当のところ ではないのだろうか。効果があるかどうかは、多くの被験者にドーピングをやらせて、 パフォーマンスが上がっているかどうかを調べ、それを統計によって確率予測をする ということで、証明されるのだろう。しかし被験者の間で、ドーピングを除いた別の 条件が全く一緒というわけにはいかないので、別の要因によりパフォーマンスが向上 した可能性もある。
 ドーピングはパフォーマンスを高める効果があると言われても、その薬が、 この人に効くかどうかという話になると、何とも言えないということになる。 高地トレーニングについても同様のことが言えるのではないか。
 自然科学では確からしさを高めても100%の確かさではないので、傾向を示す だけで、効果が必ずあるとは言い切れないところがある。
 人の行いでは、なぜそうのような行動をしたのかという問いに対して、 明確な理由のないことのほうが多いかもしれない。人の行動は因果関係では 動かないたくさんの選択肢があり、2度と同じ行いをすることはできない。 オリンピックで金メダルを取った人が次のオリンピックでも同じように 金メダルを取れるかといえば、それはわからない。水泳の北島選手はオリンピック 以降なかなか勝つことができないが、それだけ同じことをするというのは 難しいことで、再現性はないといえる。そう考えるとオリンピックで3連覇をした 柔道の野村選手は本当にすごい。
 一般に科学と言われる自然科学によって白黒をはっきりさせられる物事は 意外と少なく、実ははっきりしないグレーな部分の方が多いのではないかと 思えてきた。スポーツを扱うということは、人の行動を研究するようなもので、 それは、白黒のはっきりしないグレーな部分に挑戦することともいえるのでは ないだろうか。スポーツ選手一人一人が違う人間なのだから、結果は一般化が できず、結果を自らの状況に当てはめられる人だけが、結果を利用できることに なる。つまりスポーツ科学では、スポーツを経験した者でないとわからない ことがあるはずで、その経験した者でしかわからない何かを大切にして、 スポーツを行う人たちの問題を解決するということになる。これが、 スポーツを経験してきた人が研究者としてやっていくための存在理由で、 スポーツ科学が、他の分野との違いを特徴づける部分ということになる。

■2006年9月14日(木曜日)
 やっと子供のギブスが取れて、1つ心配事がなくなったと思っていたら、 日曜日くらいから、急に子供の体に水ぶくれが破れたような跡がたくさんできはじめ、 水ぶくれが破れるたびに、どんどん体中に広がっていった。月曜日には、皮膚科へ 行き、薬を処方してもらったが、その後もどんどん悪くなるばかり。服を着ていると、 かさぶたになる部分が服にくっついて、服を脱ぐときには、またかさぶたをむしり取る ような状態になり、子供がいやがった。飛び火という診断だったようだが、さらに、 子供の皮膚はアトピー性の皮膚だと言われ、妻はショックを受けていた。 医者の診断するような皮膚には見えないが、診断は、親ではなく医者がするものなの だから、それはそれで受け止めなければならない。
 今日は、別の皮膚科へ行き、別の薬を処方してもらった。この薬を2日間試して また土曜に再診することになっている。顔が鼻を中心に、ただれて火傷を負ったかの ような状態。子供は自分の顔が見えるわけではないので、それほど気にしていないが、 鼻がかゆくなると体液のついた鼻を触ってしまう。するとその手が別の部分へ 感染させる原因となり、どんどん広がっていく悪循環ができる。子供がかかない ように親が監視しなければならず、それが親と子のストレスになってしまう。 注意していたはずなのに、妻にも同じような症状が脚に出てきた。早く治ってくれ!!

■2006年9月13日(水曜日)
 最近の学生は、500円札の存在を知らないことがわかった。どういう話の 展開かは覚えていないが、500円札の話になり、学生は、500円札が過去に 存在したということに驚いていた。500円玉がこの世に出たのが昭和57年だ と話したら、私が生まれる5年前です、と返ってきた。彼らは、昭和生まれで あっても昭和を知らない世代だった。彼らとはそれほど世代の違いを感じていな かったが、実際には大きな違いがあった。
 来年からは、平成生まれの学生たちが入ってくる。何年か前に、もうちょっと したら平成生まれの子供たちが自衛隊にも就職してくるという話をしていたが、 もうそれが間近に迫っている。当時は、将来どんな宇宙人が入ってくるのだろうかと 冗談を言っていたことを思い出す。今の学生は、自分たちの頃より、自分は 自分という雰囲気があり、人のやることをあまり見ていない。どうしたらこの 運動がうまくなるのだろう?と考えたり、他人の動作を盗んだり、記録を 競ったりという意識が少し欠けているようにも思える。集団よりも個人という 意識を高校までの教育で植え付けられてきたためなのかもしれない。社会では 人とのコミュニケーションが重要で、他人を気遣う必要もある。こういったことを 運動を通じて教えていくことができたらいいなぁと思う。

■2006年9月12日(火曜日)
 ワールドアスレティックファイナル男子ハンマー投げで、室伏広治選手が優勝した。 この大会は、その年の世界のトップ8しか出られない、まさに世界一を決める 大会。しかも彼は、今シーズンは負けなしの6連勝というのがすばらしい。これだけの すばらしい結果を残しているのに、テレビではあまり報道されないのが残念。 アテネオリンピックの時の金メダル報道がもの凄かったので、そのギャップが大きすぎる。
 今週末は、ワールドカップ、その後はスーパー陸上がある。故障からの復帰1年目で、 以前よりも強さを増して、世界の頂点に戻ってきた。故障で、引退を決断する選手が 多い中で、以前よりも強さを増して復帰するというところが、アスリートの中の アスリートだなぁと思う。

■2006年9月11日(月曜日)
 アメリカの同時多発テロから5年が経った。その後も、世界中でテロや紛争が 続き、常に緊張しながらの生活を強いられている人が多い。誰もが、ゆったりと 休息を取れるような世の中になって欲しい。
 自分にとってのこの5年間は今までの人生の中でも最も大きな変化があった。 引っ越しが4回あり、結婚をして子供も生まれた。今の仕事は、5年前の自分 では、まったく想像できないポジションにいる。人は、明日のことですらどうなるのか はわからないのだから、当然5年後のこともわかるはずはない。でも常に先のことを 考えながら生きている。わからないことを考えながら生きていくから、 何らかの成長があるのかなぁと思う。この5年で、自分の何が成長したかは、 よくわからない。しかし、どんどん自分の進みたい道へ進み続けているのは 間違いない。
 逆に自分の変わっていないところを考えると、相変わらず競技を続けている こと。自分の体の中身はどんどん変わり、弱くなっているはずだが、ここ3年の 成績は、向上を示している。だんだん向上の難しい年になってきたかもしれないが、 こちらも常に向上を目指し続けていきたい。

■2006年9月10日(日曜日)


4×400m予選



5000m(右から2位と5位)



全員で
 昨日から鴻巣で関東理工系学生陸上競技大会が行われ、本日は2日目。 陸上部では、この大会を1年間の目標として練習をしている。関東インカレに 出場する学生が現在1名しかいないため、我がの大学の出場する学校対抗の 試合としては、唯一の大会とも言える。
 昨日は、長距離とフィールドでの下位入賞があり、得点としては、あまり 取れていないため、最終日の今日が勝負だった。
 短距離は、最初の4×400mRで、予選敗退。その後の200mと400mHでも次の ラウンドに進めず、得点は長距離に期待するしかなくなった。
 長距離は、午前中に5000mの予選が行われ、3人全員が決勝進出。 その日のうちに決勝があるという過酷な環境の中、3人のうち2人が先頭争い を行い、最終的には2位と5位に入賞した。
 学校対抗の順位は8位。自分たちの学生時代は、常に優勝争いをする位置に いたので、かなり寂しい結果だった。最終種目の4×400mRの決勝に出られない ということが最も寂しかった。
 チームの有力な選手が文系だったためこの大会に出場できなかったり、 得点源だったフィールド種目への出場がほとんどなかったのも得点の伸びなかった 原因かもしれない。自分たちのころは、得点を取るために一人で複数の種目に エントリーをしていたが、今のチームは、ただ自分のやってきた種目のみを 行う感じで、チームとして得点を稼ごうという意識で、戦う雰囲気がなかった。
 来年度は短中距離では決勝に進出できる選手を増やし、フィールド種目への 参加も増やしたい。特に4×400mRの決勝で優勝争いのできるチームを作りたい と思った。
 自分が12年前作ったこの大会の大会記録はいまだに残っていた。うれしい反面、 12年間は、レベルが停滞しているという寂しさもあった。自分の後輩たちが、 この記録を破ってくれれば一番うれしい。

■2006年9月9日(土曜日)


800mリレー
 学生の水泳大会が行われ、役員として参加。担当は水球。今回の水球は、 ハーフタイム2分をはさんで前後半5分の試合。試合中は、選手は自由に 交代できたが、主力となる選手たちの多くは、フル出場していた。
 その場で、5分間の立ち泳ぎをするだけでも、大変なことなのに、 さらにボールを追いながらゲームをするのだから、かなりの運動量になる。 選手たちは、普段は水球をしておらず、この大会のために1ヶ月程度練習を しただけで、あれほど激しい動きが続けられるのには驚いた。学生の体力は 低下していると言われるが、水球を見ていると、そんなことは全く感じられない。 特に優勝したチームの動きはすばらしく、水泳部の先生も、もう少し時間を かけてトレーニングすれば、すぐにインカレに出場できるくらいのレベル にはなるという話をしていた。競技人口も少ないので、何でも良いから インカレに出たいという人たちには、チャンスのある競技なのではないかと思った。

■2006年9月8日(金曜日)


今夜は満月でした
 科学とは、一般に自然科学を指すことが多い。とにかく数字にできるものは なんでも科学っぽく聞こえる。しかし、自然科学は狭義の科学であって、自然科学 でない分野の科学の方が範囲が広い。つまり、自然科学で解決しないことの方が 圧倒的に多い。スポーツ科学の世界も、自然科学の考え方の影響が大きい。なぜなら 自然科学の範囲で考えられないことは難しいので、自然科学の範囲でできることを やろうとしているから。スポーツの勝敗は、やってみなければわからない。 だからJリーグのtotoが成り立つ。自然科学のように、誰がやっても必ず同じ 結果が得られるのであれば、totoは成り立たない。そのくらいスポーツを科学 することは難しいといえる。
 天気予報では、降水確率は何%と表示が出る。0%か100%でなければ、 解釈は何でもありになってしまう。統計的手法は、全体の傾向を示している だけで、実際のところどうなのかは、まったくわからない。
 今までは、科学=自然科学という認識だったので、自然科学ではない科学は、 どんなものなのかは想像できないが、自然科学ではない科学の研究についての 知識をどんどん広げていきたいと思った。今までは自然科学で客観性を重視する あまり、一般論からはずれる事象は無視されてきたように感じる。一般論から はずれる事象も大事に扱っていくことで、何か新しい発見があるのではないかと 思う。

■2006年9月7日(木曜日)
 「今晩は、部分月食が見られるらしいよ」と学生に話をしていたら、ある学生が、 「僕、月の土地買ったんですよ」と言ってきた。そんなところにまで 所有者がいるということに驚いた。売り出した人は、月は誰の所有でもないという ことから、月の権利宣言書を作成し、国連、アメリカ合衆国、旧ソ連に提出し、 異議申し立てがなかったことで、自分のモノにしたらしい。人間の物欲は 恐ろしい。地球上の土地だって、もともと誰のモノなんて決まって いなかったはずなのに、人間の生活する土地は、誰かの所有物になって しまっている。
 月を所有している学生は、月が開発されるようになったときに、高値で 売れるから、その時が楽しみだと語っていた。人間が月に進出するまで、 生きていられるのかどうか・・・今や5年先も予測できない世の中だから、 生きている間に月で生活する人が出てくる可能性もある。夢は広がるが、 人間が月に住まなければならないほど、地球の環境が悪化しているかもしれない。 人間が月に住まなくてもいいように、地球環境を守ろう。

■2006年9月6日(水曜日)
 秋篠宮家に男の子が誕生した。新しい命が誕生することは、本当にすばらしい。 生まれたばかりの子供を見れば誰でも力が湧いてくる。
 ニュースでは、おめでとうございますというお祝いのコメントをしたあとは、 皇位継承順位の話が続く。現行の継承順位とこの間まで議論されていた長子優先の 順位が説明される。議論されている本人たちは、まだ年齢が小さすぎて、 当然理解できず、本人の知らないところで大人が勝手にああでもないこうでもない と言っているように見えてしまう。もう少しそっとして静かに見守ることは できないのだろうか。

■2006年9月5日(火曜日)
 だんだん暑さも落ち着いてきて、夜は涼しく快適に眠ることができていたが、 今夜は、部屋の中が暑く、風もあまり入らず、寝苦しかった。本を読んでいて 急に眠くなってきたので、子供を寝かせてそのまま寝てしまっていた妻を起こし、 自分は寝ることにした。扇風機をつけていたが、なかなか眠れず、床について30分 ほどしたころに、自分の腕の上を何かが這う感触があった。そして、そのまま 自分の腹の上に乗っている重さを感じたので、パッと目を開けたところ、 そこにはムカデがいた。
 とっさに立ち上がり、服にくっつくムカデを振り払ったところ、扇風機の底に 逃げ込んだ。家の中にムカデがいるということが大きなショックで、ゴキブリに かけるスプレーを持ってきて、ムカデに噴射した。ゴキブリ用なので、反応は 悪かったが、動きが鈍くなり、数分後動きが止まった。ムカデは、扇風機の土台の 底にあるわずかな隙間から、土台の中に3分の2ほど入っていた。底の隙間は 2ミリ程度。こんなに小さな隙間へ、長さが15センチはある大きなムカデが 進入するという事実に驚いた。こんな小さな隙間は、いくらでも家の中には存在する。 そう考えると、ムカデはいつでも家に入ってこられるということになる。
 誰もかみつかれることがなかったが、建物の前に山がある環境だと、いろいろな 生き物が家の中へ入ってくる。5階だから、大丈夫だろうと思っていたが、 大丈夫ではない。わけもなく生き物を殺したくないと思っていたのに、結果としては 殺してしまい、危害を加えることのなかったムカデに悪いことをしてしまったと 後悔。世の中にはムカデをつかまえて飼育する人もいるようだが、ムカデが 自分にくっついている状況を見たときには鳥肌が立ち、自分の行動の選択肢には、 殺すことしかなかった。まさに冷静さを失った状態だった。ムカデさん、本当に ごめんなさい。

■2006年9月4日(月曜日)


少し曲がってる?
 子供のギブスがやっと取れた。レントゲンの撮影では、今日は 泣かないと自分で宣言し、母親にしがみついたりせず、自ら撮影室に入り、 泣かずに撮影し、ギブスを取るときも、全く泣かなかったということを聞いた。 先週までは、大泣きしていたのに、1週間でどんな心境の変化があったのだろう? 子供は、親の知らないところで、どんどん成長し、強くなっている。

■2006年9月3日(日曜日)


水泳



ランニング



射撃



フィニッシュ



荻原健司さんと
 第3回チャレンジ近代五種国際大会in千葉に出場。昨年は近代五種選手の部に出場し たが、今年は、近代五種の選手が一人も参加しない(来週世界選手権の選考会) ため一般の部での参加となった。
 自分の出場したミドル男子17歳以上の部は、20人がエントリー。そのうち5人が 台湾、2人が韓国の選手だった。そして注目は、スキーのノルディック複合でオリンピックの 金メダルを2度獲得している、衆議院議員の荻原健司さん。日本近代五種・バイアスロン連合 副会長ということで、運営にも携わりながらの出場だった。
 荻原選手と一緒に競技ができると思っていたのに、人数が多いということで2組に 分けられ、一緒に競技をすることができなかったが、海外招待選手4名とともに スタートラインに経ち、競技が始まった。
 最初の種目は水泳200m。昨年は、先頭に全くついていけず、後ろのほうだったが、 今回は、近代五種の選手がいないためか、前半から先頭の見える位置で泳ぐことができ、 100mの折り返し地点で3番手。昨日の水族館で見たアシカをイメージし、 できるだけストリームラインを崩さないように泳いだ。その後、少し ずつ先頭が見えなくなったが、3番手でトランジッションエリアへ入った。
 次の種目はランニングと射撃。ランニングの途中で2回射撃があった。ランニングに 入って3分くらいで先頭を捉え、トップに立った。その後は、自分との闘いになった。
 射撃は3つの的があり5発撃つことができた。1回目の射撃は、的を1つ倒し、的2枚分の ペナルティーが与えられ、ペナルティーエリアを周回して、2周目に入った。2回目の射撃 では、2つの的を倒し、ペナルティーは的1枚分だった。昨年は、6枚中1枚しか 倒せなかったが、今回は、6枚中3枚倒すことができ、ずいぶん進歩したような気分になった。
 第1組のトップのタイムを知らないので、できる限り早くゴールすることだけを考えて 走りぬいた。中盤は家族の応援がよく聞こえ、先頭で走っているのでとても気持ち良かった。 ゴールは14分50秒。昨年よりも37秒上回るタイムでゴールできた。
 最終結果は、2位に25秒の差をつけての第1位だった。2位も日本人で、3位以降6位までが 海外の選手だった。7位には、陸上仲間の渡辺さん。表彰式では、国別対抗の表彰もあり、 各国上位3人が国の代表とされ、渡辺さんといっしょに表彰台に上がることができ、 渡辺さんを誘った甲斐があった。ちなみに荻原選手は第8位。渡辺さんを誘わなければ、 荻原選手と表彰台だったのだろうか・・・
 表彰式では、自分は、3回表彰台に上がった。その度に子供が一緒に表彰台へ上がり たがったので、3回2人で1位の台に上がった。表彰してくれた役員の方が、子供に メダルをかけてくれたのがとてもうれしかった。

■2006年9月2日(土曜日)


マゼランペンギン



イワシの群に夢中
 しながわ水族館へ行った。うち子供は、電車が好きなので、水族館へ行くまでの 電車に乗るだけで満足そうだった。電車を下りて水族館へ行く間も、自分の頭上で 電車の走る音が聞こえるため、電車が見えないと言って泣きそうになり困った。
 水族館では、イルカショーが始まる時間帯に入館したため、イルカショーを見に行ったが、 子供は、イルカよりもおやつが最優先で、おやつが欲しいとしきりに妻に訴えかけ、 最後は、泣くという手段でおやつを勝ち取ったが、与えられた量が少なかったため、 さらに泣き続けてしまった。結局、イルカをあまり見ることなく退席することに なった。子供にとっては「花より団子」。
 おやつをしっかり食べた後は、イワシの群れを水槽に顔をつけるくらいの勢いで 見ていた。ぐるぐる回っているイワシが面白かったのだろう。しながわ水族館の 売りでもあるトンネル水槽は、たいした反応もなく通過し、ヒトデを触るコーナーで ヒトデを触りたがり、込み合っていてなかなか触れず、泣き出しそうになった。 最後は、ヒトデに触ることができ大満足。
 映画「ファインディング ニモ」の影響もあって、熱帯魚のコーナーには、ずいぶん かじりついて見ていた。「ドリーがたくさんいるね」とか、「大きいニモだね」など、 よくしゃべった。子供にとってテレビの影響というものは、とても大きなものだと 思った。
 自分が一番かじりついてみたのは、アシカの泳ぎ。ひとかきで進む距離に驚いた。 水の抵抗があまりない体型だからそうなるのだろうが、人間には真似のできない 泳ぎで、すばらしい。人間が速く泳ぐには、水の抵抗をなるべく少なくする ストリームラインをきちんととらなければならないと改めて認識することとなった。 明日は、ビアスル・シューティングの大会で泳ぐことになっているので、ストリーム ラインに注意しようと思った。

■2006年9月1日(金曜日)
 重川木材のオツオリ選手が亡くなった。オツオリ選手と言えば、山梨学院 大学を箱根駅伝の常連校に押し上げ、ケニアからの留学生の存在を 大きく示した人だった。彼は、その後トヨタ自動車に入社し、競技を続け、 最近は、大工をしながら、さらに競技を続けていた。日本国内で亡くなったのでは なく、ケニアに帰国していたときに交通事故で亡くなったということだった。
 以前、コニカを引っ張っていたガソ選手が、ケニアで交通事故に遭い走ることが できなくなってしまったが、それだけケニアの交通事情は悪く、普通に 生活をしていても危険が多いということなのだろうか?
 試合のときにオツオリ選手を何度か見かけたが、とても誠実そうな雰囲気の 人で、みんなから慕われていたのではないかと思う。ご冥福をお祈りいたします。



[昔のいずみ]