最近のいずみ

Last Update:2007/2/28

パートタイムアスリートいずみ 7年目に突入!! 


■2007年2月28日(水曜日)
 サイパンでお世話になった日本語の話せるコーチからメールがあった。陸上 クリニックをとても喜んでくれ、個人的でもオフィシャルでもまた 訪れて欲しいという内容が書かれていた。記述は英語だったので、返事も 英語で書くことにしたため時間がかかった。現地へ行ったときには、もう少し 意思疎通ができるよう英語の力を高める必要があると感じていたが、また ここでも同じことを感じた。
 以前、韓国の選手へハングルでメールを書いて送っていたが、今回海外へ メールを送ることで、2年以上連絡を取っていないことを思い出した。もう一度 ハングルにも挑戦したいと思った。

■2007年2月27日(火曜日)
 自分が大学時代に大学の図書館だったところが、今は大学の資料館となっている。 身近に存在し、いつでも入れるという気持ちがあるためか、資料館へは近づくことが なかった。東京に住んでいる人が、東京タワーへは行ったことがないというのと似ている。
 転勤してもうすぐ1年になるが、まだ、職場内で行ったことのない場所がたくさんある なぁと思いながら、資料館へ入ってみた。学校の歴史、施設、学生の生活などが紹介され、 いくつかビデオもあった。映像に映る学校は、現実よりもすばらしく見え、これほどの 教育を自分は受けて来たのだろうか?本当に自分がこの学校を卒業したのだろうか?と 思えるほどの出来だった。映像では、単純に述べられていることも、実際は、人間関係を はじめとして、いろいろとややこしく絡み合うので、間違ってはいないが、そのまま 正しいものとして受け入れることもできなかった。しかし、この映像で述べられて いるような立派な教育を自分も目指さなければならないと感じた。

■2007年2月26日(月曜日)
 サイパンは気温が30度を上回っていたが、昨夜、成田へ降り立ったときは、気温は4度。 3時間半の間に、気温が30度近く違う環境へ移動したことになる。そのためか、昨夜は、 寒くて眠れなかった。
 合宿中は、かなり体が動いていたが、今日は、全身が筋肉痛で、動ける気がしない。 修論作成などで練習を積まないまま、いきなり合宿へ行き、1日3部練を2日繰り返したの だから当然の結果だったが、頭の中は、陸上で飯を食っていた時のイメージのままだから 仕方ない。いまだに自分のことがわかっていないということなのかもしれない。とにかく、 現実の生活に頭も体も戻さなければならない。
 今日付のSaipanの新聞に、今回の合宿で行った陸上クリニックに関する 記事が掲載された。施設、飲み物、記念品、歓迎パーディー、そして新聞記事など、 本当に感激しっぱなしの合宿だった。

■2007年2月25日(日曜日)


200m×15



中距離メニュー参加者



デイビッドからもらった絵



海岸に打ち上げられるトド?



午後の練習後

 朝練は、45分のジョッグ。サイパンの天気は変わりやすく、ホテル前の 道は乾いていたのに、道を一本隔てたところは、雨が通過した跡が残っていた。 昨日は、陸上競技場の隣の野球場で、シャワーのような大雨が降っているのが、 見え、すごいスコールだと思っていたら、陸上競技場でも、ポツポツと雨粒が 落ちてきて、数分後には、洪水のよう雨が降ってきた。
 朝練は、昨日とは違うコースを走ってみたが、野良犬が多く、車が通らない ことを見計らって道を横断するなどなかなか賢い犬たちだったが、途中追い かけられそうな雰囲気なり、恐い思いをした。
 午前中は、昨日と同様、陸上クリニックを兼ねた練習会だった。全員で ウォーミングアップとスプリントドリルを行った後、各種目毎に別れて 練習した。メニューは200m×15のインターバル走。サイパン陸連は、 高校生が4人参加した。彼らには強度が高すぎるので、1本おきに 走ればいいと考えていたが、彼らは、15本行うと言ってきたので、 それを受け入れた。28〜29秒程度の少し押さえたペースで行ったので、 自分にとっては気持ちよく走れるスピードだったが、高校生たちには かなりきつかった。つなぎのジョッグ中に、アドバイスをしたり、 彼らからの質問に答えたりでき、走りを通じて交流ができた。4人中 3人がすべてのメニューをこなすことができ、終了後、十種競技が 終了したときのように、お互い握手をし、さらに交流が深まった。  メニュー終了後、全員で6×100mRを2本行った。適当に組分けした 割には、最終走者は、ゴール直前まで競り合いがあり、盛り上がり、 チーム毎に国を超えた連帯感が芽生えた。  インターバルを一緒に走った高校生の中に絵を描くのが得意な デイビットという青年がいたが、リレー終了後、彼が自分で描いた スーパマンの絵を自分にプレゼントしてくれた。それだけ、今日の 練習が印象に残り、自分のことを気に入ってくれたのだろう。 本当にうれしいプレゼントだった。
 最後に、自分の指導で2人組で行う補強をした。ゲーム性のある 補強だったので、リレーでの連帯感もあったためか、各組が競い合い、 最後まで盛り上がって練習会は終了した。
 午後は、帰りの飛行機のチェックイン時間まで、競技場前の 海で遠泳。沖に米軍の補給船が常に停泊していたので、全員がその船 目指し泳いでいった。しかし、船は遠く、途中で断念し引き返した。 海は遠浅でどこまで行っても立つと頭が出せるくらいの深さだった。 初めは魚を見るために沖まで行くつもりだったが、熱帯魚らしき 魚は全く見ることができず、目標を船に変える結果となった。 なまこだけが、異様に繁殖し、なかなか踏んだ感触を忘れることができない。
 ギリギリまで海にいたため、チェックインの指定時間までには 空港へ着かなかったが、問題なくチェックインでき、搭乗時間には 十分間に合った。しかし、出発時刻になっても、搭乗が始まらず 特に搭乗が遅れている放送もなかった。出発時刻から15分ほど遅れて 搭乗が始まり、飛行機に着席し、そのまま一眠りしたが、目を覚ました 時にも飛行機は、全く動いていなかった。最終的に出発時刻から、 40分遅れて出発した。今回の旅行でノースウエストはいい加減という 印象が強烈に残ってしまった。

■2007年2月24日(土曜日)


スコール(競技場にて)



トラック走



補強指導中



クリニック参加者



午後の練習後



日の入り



感謝状と記念の帽子

 今日からアンビバレンスのサイパン合宿。昨日成田を午後9時頃に 出発した。
 ノースウエスト航空に搭乗したが、出発後、通常機内設備の案内は スクリーンに映像が映し出されるが、今回は映像がなかった。イヤホンを 配られたが、リモコンを触っても音が出ず、機内は、非常灯がともるだけで 暗いままだった。通常手元の明かりのボタンを押せば、自分のスペースだけは、 明かりをつけることができるのにそれもできなかった。ある客室乗務員に、 音が出ないと話をしたが、「I don't think so.」と言いながら、目を大きく 開いて踊り出してしまい、どうリアクションを取ればいいのかわからず 困った。その後、日本語の通じる客室乗務員に話したところ、 機内の電源系統で異常があり、電気が使えない状態なので、しばらく待って欲しい という説明があった。そんないい加減な飛行機に乗せないで欲しい。結局明かりや 音が入ったのは、離陸して1時間ちょっと経ったころだった。
 客室乗務員は、かなりアバウトで、コーヒーの砂糖が欲しいと言ったら、 砂糖とクリームガバッと適当にとって、それぞれ4袋もくれたり、 食事を片づけるときも、いい加減な取り方をするので、ゴミやナイフを 下に落とし、それも拾わずに引き上げてしまった。このいい加減さが、 アメリカの常識なのだろうか?
 サイパンには、現地時間の午前1時半に到着した。空港からは、バスで ホテルに移動し、ホテルへ到着したのは3時近かった。
 ホテルの部屋に入った後、すぐにシャワーを浴びようとしたが、お湯は 出なかった。洗面所はお湯が出るが、塩水だった。テレビをつけようとしたが、 テレビの電源を入れるスイッチは引き抜かれていて、リモコンもなし。 貴重品を入れる金庫は開かなず、ただ寝るだけのスペースという部屋だった。
 約3時間仮眠した後、朝練を行い、朝食後レンタカーで競技場へ向かった。 今回は、チームの代表者がサイパン陸連と調整し、陸上クリニックを開くことを 条件に陸上競技場を使わせてもらうことができた。
 陸上クリニックに参加したサイパンのメンバーは、子供から大人まで幅広い 年齢層だったが、全員で、ウォーミングアップやスプリントドリルを行い、 各種目毎のトレーニングへ移行した。
 我が中距離パートのメニューは500m+300m+200mを2セット。アンビバレンス からは自分を含めて4名、サイパン陸連からは4名が参加した。参加者の中に 日本語を話せるコーチがいたので、指示が出しやすく、いくつかアドバイスを することができた。久しぶりのトラック練習だったので、かなりきつかった
 昼食後は、競技場前の海で泳ぎ、その後午後の練習に入った。午後は、走りを あまり入れないサーキットトレーニング的な運動を行った。メニューを こなした後、ジュニアハードルを跳ぶ練習をした。今までに一度もやった ことのない高さだったが、意外に簡単に通過できた。これならば、400mHは 間違いなくできるし、110mHもなんとかできるのではないかと思った。
 午後の練習後、ホテルに戻りシャワーを浴び、競技場の前の海へ行った。 今回の合宿に協力してくれたサイパン陸連の方たちが、歓迎のための バーベキューパーティーを開いてくれるということだった。午前中の練習に 参加した子供たちを中心に、大勢の人たちが集まり、パーティーが始まった。 食べきれないほどの料理と飲み物が用意され、お互い意思疎通ができるよう 言葉を選び話をしながら食事をした。現地の料理もいくつかあり、椰子の 実から作ったお酒が出された。ある人は、甘酒と梅酒を混ぜたような味と 言っていたが、自分は甘酒と焼酎を混ぜたような味に思えた。全員が一通り 食事が終わった頃に、サイパン陸連からアンビバレンスへ感謝状が用意してある という話があり、代表者が感謝状を受け取った。またメンバー全員に、記念の 帽子まで用意してくれていた。こちらは、タダで競技場を使わせてもらい、 歓迎会まで開いてもらってさらに感謝状までもらってしまい、本当に 感謝するしかなかった。

■2007年2月23日(金曜日)


成田空港で営業していた
不二家のレストラン
 我が家の息子は、トイレで小をするときには、親が見ていないと「見てて!!」 と言って泣き出す。逆に大の時には、ドアの鍵をかけて、親を絶対に入れない。 小の方も勝手にやってくれればいいのにと思い、ほったらかしておくと、わざと声を 大きくして泣き、本当に面倒なことになる。
 食事では、少し筋のあるような食べ物は、あまり噛まずに吐き捨てるので、 親は何度もそれを食べさせている。しっかり噛めば噛み切れるのに、それをしない。 子供には、子供なりの理由があるのかもしれないが、これが始まると、30分でも 1時間でもどんどん時間が経っていく。「かみかみ、ごっくんね」と言い聞かせながら、 何とか粘るが、時間が経つほど、イライラしてしまう。子供を急かせず、おおらかに 対応したいが、時間には限度があるため、最終的には、親が我慢できなくなり 怒りだし、子供は大泣きというループに入る。どこかで譲歩しなければ、 常に悪循環になってしまう・・・

■2007年2月22日(木曜日)
 テレビのニュース番組では、スポーツコーナーになると、どこの局でも 最初に大リーグのキャンプ映像が映し出される。スポーツコーナーの3分の2 くらいは、大リーグで、残りは日本のプロ野球などという感じ。有力選手が どんどん海外へ移籍し、マスコミの注目も完全に海外へ移ってしまった。 マスコミの力の入れ方が偏っているためか、日本のプロ野球は全然盛り上がって いないように見えてしまう。北京オリンピック日本代表の星野監督の映像が 印象に残るくらい。マスコミの力でもう少し国内のプロ野球を盛り上げたらどうか と思う。
 ところで野茂選手はどうしているのだろう?大リーグの情報には、まったく 出てこない。もう一度彼の活躍が見てみたい。

■2007年2月21日(水曜日)
 日経新聞で「ネットと文化」というテーマの連載がある。社員の全行動が 監視できるシステムを導入している企業があったり、多くの企業では、 情報流出を防ぐためのコストが膨らんでいる現実が示され、企業の分厚い よろいは社員を動きにくくしいる。"いつの間にか「窮屈社会」"という フレーズが印象的だった。
 我が職場でも、他人事ではなく、情報を管理する部署が、ネットワークに つながっているパソコンを監視している。情報流出にはかなり敏感で、情報に 関わる記憶媒体の管理はかなり徹底しているし、自宅にある私有のパソコンも 検査の対象になりそうな勢いがある。便利だったモノがだんだん不便なモノに なりつつある。最近は、データを残すなら、作成は面倒でも手書きにしてしまい たくなってきた。

■2007年2月20日(火曜日)
 筑波大学での学生生活最後の授業が終わった。小学校から大学院までトータル 18年間学校で授業を受けたが、大学までの16年間と大学院での2年間の授業では、 自分の学ぶ態度が全く違っていたためか、授業のとらえ方が全く違っていた。 この2年間は本当に楽しかった。早く次週の授業がやってこないかと思っていた。 大学院生は、授業で学ぶことはあまりなく、自分で調べ自分で学ぶことの方が 多いと話す先生もいたが、授業で学ぶことは山ほどあった。毎回新しい発見があった。 卒業により、この喜びを感じる機会がなくなってしまうというのがなんとも寂しい。 しかし、職場は大学なので、体育の分野に限らず、自分の興味のある分野の先生の 所へ行けば、いくらでも新しい知識は入ってくるはず。特に防衛学は、我が職場 にしか存在しない。職場での利点を活用して、どんどん新しい知識を獲得していきたい。

■2007年2月19日(月曜日)
 神経や血管なども形成された完全な歯が再生できるという研究成果が出たという 記事を読んだ。まだマウスを使った研究だが、将来は当然人間に応用される。
 約10年前、歯茎が腫れて歯医者へ行ったところ、その場で最も立派な奥歯を 抜かれ、出血が止まらず直後に別の歯医者へ行ったところ、抜かなくていい歯 だったと言われ、大きなショックを受けた。今回の情報で、将来自分の歯が元に 戻るのではないかという希望が見えたような気がしてうれしくなった。人間が パーツとして見ることが当たり前になり、何でも再生できるようになると、 何が自分なのかわからなくなりそうだ。

■2007年2月18日(日曜日)
 東京マラソンの中継を見た。うちの学校の学生もエントリーしていたが、故障に より棄権した。しかし、天候は悪くマラソンには向かないコンディション だったので、棄権で良かったのかもしれない。
 スポンサーが東京メトロだったためか、うちの子供が盛り上がって見ていた。 CMでは必ず東京メトロのCMが入る。「あっ東京メトロ!!」とCMになる 度に叫ぶ。いくつかバージョンがあるので、子供はまったく飽きない。彼にとっては 東京メトロのCMがテレビの番組で、マラソン中継は、CMという感覚だったようだ。 マラソン中継も少しは見ていたようだが、「黄色は注意で赤は渡っちゃ行けない」と 言っていた。選手が信号が赤でも横断していく姿を見て、間違っていると思ったらしい。 子供は素直だ。
 ペースメーカーは30kmまで行くはずだったのに結局25kmまでで終了し、残りはダニエル・ ジェンガ選手が独走してしまった。スピードの変化に徳本くんがついていって くれるだろうと期待したが、寒さが影響したためかついて行けなかった。油谷くんは 途中で棄権だったようで、日本人の活躍が見られず残念だった。

■2007年2月17日(土曜日)


渋谷公会堂の名前が
変わっていました
 乳酸研究会が東大駒場キャンパスで行われた。今年で3回目。年々参加者は 増えているらしい。それだけ興味を持つ人が増えてきたということなのだろうか?
 今回のテーマは、ジュニアとシニアの違いだったが、縦断的なデータを収集するのは 困難な場合が多いためか、テーマに沿った内容の発表は少なく感じた。
 日本体育協会の森丘さんが陸上競技の現場で、「パフォーマンスを下げずに 努力感を下げる」ように指導をしていると話していたことが印象に残った。
 「乳酸=疲労」というイメージが多くの人に植え付けられているが、この研究会では、 「乳酸=使えるエネルギー」というイメージが定着してきた。誰も疲労とは 考えないようになっている。研究者は、研究によって得られたデータから、考え方を 変化させることは容易だが、一般にそれが普及するには時間がかかる。まずは、 自分の目の前にいる学生たちに「乳酸=使えるエネルギー」という考え方を 普及してイメージを変えていきたい。

■2007年2月16日(金曜日)
 NHKの人間ドキュメントでプロボクサーの西澤選手が特集されていた。 彼は、遅咲きの選手として有名になり中年の星と言われている。現役に こだわり続けたが、1月のタイトル防衛戦で防衛できず、協会の規則に 年齢制限があることから、協会から引退勧告が出され、国内では プロボクサーとしての競技が続けられなくなってしまった。 そのため今後は、活動の拠点を海外に移そうとしている。
 年齢制限の規則があるので仕方のないことかもしれないが、 周りが一方的に引退を勧めても本人が納得できなければ、いつまで たっても納得して辞められなかったという思いを引きずってしまう。 年齢とともに体の動きは鈍くなってしまうが、彼が指標としている体力 測定の結果はいまだに向上していて、まだうまくなれるという気持ちが あるのだから、納得して辞められるまで続けられることが最もよい ことなのだと思う。なんだか昨日の話と重なってしまった・・・

■2007年2月15日(木曜日)
 プロボクサーを対象に警察の説明会が行われたらしい。プロボクサーは、 ボクシングだけで飯が食えるのはほんの一握りで、残りの人たちは、別の仕事で 生計を立てながら競技をしている。
 最近スポーツ選手のセカンドキャリアということが盛んに言われるようになり、 国内では、Jリーグや一部のプロ野球チームで選手のサポートを始めている。
 陸上競技は、実業団が選手を抱えていることもあり、あまり注目されていない。 大学卒業後企業に属さず競技を続けようとする人のために、競技力の高い選手を 対象に、年間240万円の強化費を支給する制度が始まっているが、競技引退後の サポートまでは行われていない。
 自分の場合は、競技を辞めさせられた後、自衛官として働くことができたので、 セカンドキャリアについては、スムーズに移行できたかもしれないが、気持ちの 面での移行はスムーズではなく、納得するまでにはかなりの時間がかかった
 セカンドキャリアは、引退後スムーズに仕事に就くだけでなく、気持ちの面でも 気持ちよく移行できる必要がある。選手が引退後の心配をすることなく、 納得して競技を辞められる環境を作ることが理想なのかもしれない。

■2007年2月14日(水曜日)
 早稲田大学に保育所がオープンしたというニュースを見た。子育て中でも 学生として学べる環境が提供されることは、子育てに専念しなければならず、 社会とのつながりを断念せざるを得ないと考えていた子供たちの親にとっては 有り難い環境だと思う。
 最近、世田谷にある自衛隊の駐屯地でも託児所を作っているという記事が 自衛隊の新聞に書いてあった。文部科学省では、すでに託児所が稼働しているらしく、 中央省庁では2例目なのだとか。少子化対策が少しずつ動き出しているということ なのだろう。我が職場にも託児所ができ、子供と出勤できる環境ができあがる ことを願う。

■2007年2月13日(火曜日)
 夫婦で子供の大泣きに苦戦。夕食後、インターネットでラーメン屋を紹介する 動画があり、それを見た子供がずいぶん気に入って何度も再生することとなった。 何十回と再生している間に、子供の寝る時間になったため、寝る時間だと子供に 説明しパソコンの電源を切ったら、泣き出し、その後、歯磨き拒否、口の濯ぎ 拒否、トイレ拒否ということで、1時間以上大泣きされた。なんでそんなに 意地になるのだろう?動画の停止はただのきっかけで、その後は、何度も「眠い」 という言葉を発していたので、眠くて何もしたくないという意味での大泣き だったようだが、眠いなら、歯磨きとトイレをさっさと済ませて寝ればいいのに なぜできないのだろうか?子供が泣き叫ぶほど、こちらもイライラするばかり・・・

■2007年2月12日(月曜日)
 妻と子が実家に帰っていたので、車で迎えに行った。帰りの車の中で 子供は寝てしまったため、子供を抱っこして官舎の階段を上らなければ ならなくなった。体重が17kg近く、完全に脱力して眠っているためか、 かなり重く感じた。妻が子供を抱っこするのは、厳しい重さに なってきた。2年ほど前は、自分の両手で支えられるくらい 小さくて軽かったのに・・・。子供の成長は著しい。 

■2007年2月11日(日曜日)


一般男子12000m
カリウキ選手(スズキ)





一般男子12000m
昨年はご近所さんだった
池谷くん(日清)
 千葉国際クロスカントリーの一般男子4000mに出場。昨年の全日本実業団以来 練習らしい練習はできず、スパイクを履くのも5ヶ月半ぶり。今年はきちんとした 目標をもっていなかったが、とにかくスタートラインに立つことが1つの 目標になっていたのかもしれない。スタートラインに立ったとき、この場に 戻れてもどれてよかったと思った。
 レース前に、笹野くん(富士通)から、「和泉さん目標に走りますから」と 言われていたので、彼の近くでレースをしようという決意でスタートした。 また、この種目には、アンビバレンスの中距離メンバー3人が出場しているので、 彼らにどのくらい近づいて走ることができるかというところにも興味を持ちつつ スタートした。
 スタートの300mの直線で、まったく先頭のスピードにはついていけず、集団の 後方に位置してしまったが、目の前に笹野くんを発見し、彼について走ることにした。 しかし、彼のペースは少し遅く感じたため、目標を切り替え、竹井くん(アコム) の後ろへつくことにした。1km通過が自分の時計で2分37秒。明らかに、1kmの 表示位置が間違っていた。2kmを過ぎたころから竹井くんにはついて行けなくなり、 このまま歩きたいと思った。なんでもない緩やかなアップダウンで急激なペース ダウンをし、ジョギングの感覚になり3kmを9分16秒で通過した。残りの1kmは、 あと3分ちょっとで終わると自分に言い聞かせたが、ゴールまではとても長く 感じた。
 最終障害を越え、残りは下り坂だけになったが、全くペースは上がらず 相変わらずジョギングのようになったが、応援の中に「笹野さん」という 声が自分の後ろで聞こえたので、必死に逃げた結果それがスパートとなった。 そのおかげで、ゴール直前で2人を抜き、笹野くんには抜かれずにゴールできた。 12分36秒で48人中32位。過去6回の出場中3番目に良い記録だった。順位は、 竹井くんの次で、タイム差が7秒あったが、目標は達成された。アンビバレンスの メンバー3人には勝てなかったが、予想していたよりもタイムは近く、今の 練習状況から考えれば上出来すぎる結果だった。
 トップは10分47秒でマーティン・マサシ選手(スズキ)。たった4kmで 1分50秒くらい離された。世界との距離はかなりある・・・
 レース後、城西大の平塚監督と話をした。教員なので論文を出さないと 評価されないが、箱根駅伝にも出場もしないと学校からは評価されないという ことで困っているということだった。有力校の監督の立場というのは、なかなか 難しい。 

■2007年2月10日(土曜日)
 子供の幼稚園説明会に行った。親が副園長の説明を聞いている間、子供たちは、 後ろにあるトランポリンや跳び箱に上ったりブロックなどのおもちゃで遊び 回っていた。自分も説明を聞くつもりだったが、妻が説明を聞きいていたので、 子供の面倒を見ることにした。遊び回っている子供たちは主に2歳児と3歳児だったが、 1年の違いで言葉の発達が違うことを感じた。トランポリンは、大勢がいっぺんに 勝手に跳んでいるので、かなり危なかった。子供たちは他の子供が倒れても構わず 踏んづけて跳んでいる。まだ他人を気遣うということはないのかもしれない。 蹴られたら蹴り返す子供もいたが、特にけんかにはならず、なんとなく秩序が 保たれているところがすごいと思った。

■2007年2月9日(金曜日)
 朝6時半ごろ、品川駅で、京浜急行の改札を出て、京浜東北線へ乗り換えるための 下り階段へさしかかった頃、急に後ろから「すみません」と見知らぬおじさんから 声をかけられた。すぐさま「こういう者です」と言われ、ポケットから小さな手帳の ようなものが自分の腰の当たりに見えるように出された。なんと警察手帳。「少し 伺って良いですか」と言われ、「はい」と答えると「これからどこへ向かわれるんですか」 と聞かれた。すぐさま「筑波大学です」と答えると、想定した答えとは全く違ったようで 意外な顔をされた。「そうですか」「ところで、お名前は村上さんっておっしゃいますか」 「違います」「失礼しました」ということで無事解放された。どのあたりからマーク されていたのだろう?その後マークされていないだろうか?疑われるような挙動を していたのか?背丈や顔が村上さんという人に似ていたのだろうか?とにかく、 テレビの世界でしか見たことのない光景が自分の目の前に広がり、あまり心地 よくない貴重な経験だった。

■2007年2月8日(木曜日)
 何ヶ月ぶりかのインターバルを行った。メニューは1000m×5。3分10秒以内 を目標にしてみた。ペース感覚は全くなかったが、思ったよりもうまく走れ、5本とも 目標通りのタイムで走れた。意外と走れることに驚いた。日曜は千葉クロカン。 なんとか4000mは走り切れそうだ。

■2007年2月7日(水曜日)
 3学期の授業のレポートと論文の抄録を提出し、大学院の卒業に関わる書類の 提出がすべて終了した。あとは、卒業式に出席するのみ。1年目はとても長く 感じたが、2年目は1年目の半分くらいの期間しかなかったような感覚だった。 今後は、ここで学んだことを生かし、現在の職場で還元できればと思う。

■2007年2月6日(火曜日)
 「文部科学省は、授業で騒ぐ子供の教室外退去を容認した」と新聞報道があった。 問題のある子供を放課後教室で居残りをさせたり、授業中に立たせたり、立ち歩くことの 多い子をしっかり着席させるなどの懲戒行為は認められるということだが、それって、 今までできなかったの?と思う。この文章を読んでいると、学校は、まともに授業が 行われる環境にはないように見えてくる。どうせなら、授業を放棄し、眠り込んでいる 生徒にも、何か懲戒行為をしてもよいということにしてはどうか。こんな子供ができあがって しまったのは、学校の責任ではない。間違いなく親にある。親を教育する機関をでも つくって親を教育した方がいいかもしれない。勝手なことばかり書いてしまった・・・

■2007年2月5日(月曜日)
 いろいろなところで落とし物が急増していおり、警察では、落とし物の 扱いに困っているらしい。最近は、名前が個人情報になるということもあり、 自分の持ち物に名前を書きたがらない風潮がある。家の表札を出さない家庭もある。
 そこである会社では、お客さんから連絡先などの個人情報を預かり、番号札を 渡し、その番号札を自分の持ち物につけるというサービスを始めている。落とし物を 拾った人は、番号札に載っている電話番号に電話すれば、拾った人が落とし主に直接 関わらず、落とし主に落とし物が戻って来るというシステム。
 どんどん人と人との関わりのない社会になってきて寂しい気がする。多くの人がそれを 望んでいるのだから仕方ない。でも人間関係が疎になってきた結果、いじめ、虐待、 殺人など最近話題になる事件が増えているのではないかと思えてならない。

■2007年2月4日(日曜日)




とにかく込んでいました
 子供を連れて、横浜のランドマークタワー内で行われている 「ヨコハマ鉄道模型フェスタ2007」へ行った。子供は、横浜市営地下鉄に 乗るのを楽しみにしていたが、乗ってみると窓の外が真っ暗なので、 「お外が夜の電車じゃなくて、朝の電車に乗りたい」と言い出した。 そう言われても地下鉄だからどうしようもない。子供には、地下と地上の 区別がないようだ。
 会場へ入ってみると、超満員で、なかなか前に進めなかった。意外と 小さな子供連れが多かったが、電車男も多かった。人が多すぎて、電車の 走っている所まで近づけず、子供は肩車をして上から見させた。知っている 電車を見ると名前を教えてくれ、わからないと名前を聞いてきたが、 答えられなかった。
 会場の外では、鉄道模型を扱う企業の販売ブースと、関東地域の鉄道会社の 販売ブースがあった。いろいろなおもちゃがあり、鉄道分野の趣味も奥が 深いなぁと思った。

■2007年2月3日(土曜日)
 筑波の研究室の卒業論文・修士論文発表会があった。修士2年生は、 すでに修論審査が終わっているので、報告会という感覚だったが、 学群4年生は、初めての発表ということでかなり緊張していた。しかし、 ビジュアルを意識したプレゼンテーションをきちんとしていてすばらしかった。
 自分の大学時代は、Windows95が出たばかりで、Windowsって何?という くらいの認識で、プレゼンテーションと言えば白黒のOHPだった。あれから 10年。学生に必要なプレゼンテーション技術はどんどん変化し、当時では 想像のつかないものになっている。
 発表会後、研究室の打ち上げがあった。お世話になった先生にそれぞれ 挨拶したが、永井教授に、「君のやった研究の結果は当たり前と言えば 当たり前の結果だったね」というお言葉を頂戴した。同じ中距離選手として、 少しは期待して見てくれていたようだった。次は、先生に認めてもらえるような 研究ができればと思う。

■2007年2月2日(金曜日)
 スポーツ選手がメンタル面に問題が生じた場合には、2つの特徴があることが 多いという。1つ目は、先を見通せないこと。目標が持てないと言い換えることもできる。 2つ目は、視野が狭くなること。多くは、自分のことしか考えられず、他者は、自分の ことを見てくれないと勝手に思いこみ、今自分がどういう状況なのかが把握が できない。
 自分が体育学校を出されたとき、まさにその状態に陥った。競技に対してある目標を もち、それに向かって必死にやってきたのに、全く心の準備のないまま突然それが 断ち切られた。目標が持てなくなった。この先どうすべきかまったくわからなくなった。 突然転勤の話を持ち出した上司を恨み、上司の意図など考える余裕はまったくなかった。 その後の1年は、その上司を見返してやりたい一心で困難な環境でも必死に競技を続けて なんとか前年度までのランクにはとどまった。その後、だんだん恨みも消え、与えられた 環境の中でやっていくしかないという考え方になり、現状を受け入れるようになった。
 過去の研究では、メンタル面の問題は、最初に拒否や否定をし、だんだんと自分の 置かれた状況を認識し、受け入れるようになるという流れがあると言っている。自分も その事例の1つなのだと思った。今でも同期が日本のトップで活躍しているのを見ると、 あのまま続けられていたらと思うこともあり、まだ少しだけ心の傷は残っている。 しかし、ほとんど現状を受け入れ楽しくやっている。

■2007年2月1日(木曜日)
 柳沢厚生労働大臣は、「女性を機械に例えた」話をしてしまったことから、 激しく批判され、野党からは辞任の要求が出されている。大臣の 辞任がなければ、国会の審議をすべて欠席するとして、審議は、自民党 だけの参加で行われている。
 大臣は不適切な言葉を発したのだから、批判されても仕方ないが、 謝罪をすぐにしている(なんとなく形だけのようにも見えたが・・・)。 その後もマスコミなどで批判され続け、十分な仕打ちを受けているように見える。 この状況は、今話題の、「いじめ」となんら変わりない。辞任するまで、嫌がらせに 近い批判が続くのではないだろうか?
 こういう状況でも首相が続投させると言っているのだから、後は、大臣の行う 政策で評価し、評価できなければもう一度辞任を要求すればいいと思う。 首相は、再チャレンジできる世の中にしたいと言っているのだから、大臣にも 再チャレンジの機会を与えてもいいのではないだろうか。
 野党は、意地になって審議に出てこないが、それでいいのかどうか よくわからない。抗議の意味での欠席かもしれないが、欠席するということは、 選挙で支持してくれた人たちの意見が国会に持ち込まれないことを意味し、単純に 考えれば、仕事を放棄しているとも言える。自分が抗議のために、仕事を休んだら、 それは、当然無断欠勤として扱われる。欠席しても自民党だけで審議は通過して しまう。それでは、野党の意味がない。



[昔のいずみ]