最近のいずみ

Last Update:2007/5/31

パートタイムアスリートいずみ 7年目に突入!! 


■2007年5月31日(木曜日)
 ここ2週間くらい左膝の裏側が痛く、大きなしこりができているような感じがある。 先週末くらいから寝ているときでも気になり、歩いていても気になるようになった。 発熱が原因かと思っていたが、熱が治まっても痛みは治まることなく、逆にひどくなって きた。走るときには、左脚支持期に大きな痛みが走る。左脚で自分の体を支えるのが つらい。そのため、走ることができない。2周連続でレースを棄権し、その後も練習が できず、いつまでこのもどかしい日々が続くのだろうか・・・

■2007年5月30日(水曜日)


我が家のステップワゴン
 我が家の新しい車が納車となった。今までが軽自動車だったため、 こんな大きな車を本当に運転できるのだろうか?と思ったが、乗ってみれば、 それほど違和感はなかった。今まで乗っていたムーヴのブレーキの効きが 弱かったためか、ステップワゴンのブレーキは急ブレーキをかけるように 良く効き、ブレーキをかけるたびに急ブレーキのようになってしまった。
 純正のナビがついているが、CDナビらしく、データは古くて使えないことが 判明。今までは地図でやってきたのだから、これからもナビに頼る ことなく地図でやっていこうという気持ちになった。ナビに頼っていたら 脳を使う機会がなくなる。脳を使う機会を作るためにも地図は必要だ。

■2007年5月29日(火曜日)
 昨日の寒気が気になったので、授業のない今日は休暇を取って安静にする ことにした。
 朝からテレビでは、松岡大臣、ZARDの話題が大きく取り上げられ、その後に 白鵬の横綱昇進の話題が出ていた。松岡大臣とZARDについては、各局とも なぜ亡くなったかというところを追及していたが、結局答えは見つからない という感じだった。
 午後からは、妻と観音崎を散歩。日差しが強い割には気温は低く散歩には 向いていた。子供が幼稚園へ行っているため久しぶりに妻と2人だけで過ごす 休みとなった。

■2007年5月28日(月曜日)
 朝から外は涼しく、職場の自分の部屋は北側にあるためかとても寒く、このまま だとさらに風邪を引きずると思ったので、午前中は、ストーブをつけしまった。 まだ風邪は完治していないのかもしれない。
 昼に松岡農水大臣が自殺したというニュースが流れた。また、ZARDのボーカル 坂井泉水さんが事故死したというニュースも流れた。
 何ヶ月か前に、文部科学大臣宛に自殺予告の手紙が届き、文部科学大臣が 子供たちに対し、自殺は思いとどまるよう説得の会見をしていたが、同僚の 大臣がこのようなことになるとは考えていなかっただろう。何でこうなって しまったのかということを考えたくなるが、真相は本人にしかわからないし、 本人にもわからないのかもしれない。とにかく、政治とお金の問題は、 絡んでいるのだろう。
 ZARDの「負けないで」は、大学1年生のときにヒットした曲で、ほっと 一息つける休日には、同期がよくこの曲を流していた。1年生の時には この曲にとても元気づけられたことを思い出す。こんな形でZARDの歌が 聴けなくなるとは思わず、残念でならない。
 人の一生はどういう形で終わるのかは、終わる瞬間までわからないが、 終わる瞬間まで大事に生きていきたいと思った。

■2007年5月27日(日曜日)


観音崎ボードウォーク
 朝起きたときに、何度か体温を測り、36.5度以下だったため、なんとか 試合に間に合ったと思い、ホッとした。しかし、一昨日くらいから、妻と 子供が激しい咳をしており、昨夜の妻は、腹筋が筋肉痛になるほど咳が止まらず あまり寝られなかったということで、病院へ連れて行くこととなり、東京選手権は 棄権するしかなくなった。シーズン前半のメインレースに位置づけていたので、 少し気分が落ち込んでしまった。
 午後は、妻を家で寝かせるために子供を連れて外へ出た。子供はお昼に薬を 飲んだら、咳があまりでなくなった。薬の効果は絶大だった。

■2007年5月26日(土曜日)
 朝起きた時にのどの痛みがあり、軽い筋肉痛もあり、だるかったので、 念のため体温を測ってみたら37.4度。結果を疑いもう一度測ったら37.5度 だった。また今週も発熱するとは考えてもみなかった。仕方がないので、 学生の試合の応援はあきらめ、家で静かに寝ていた。10時過ぎにもう一度 測ったら38.2度となっていた。10時過ぎに朝食を食べ、また寝て、 15時過ぎに目を覚まし、もう一度測ったら37.7度。少し落ちてきたが、 頭痛もあったので、救急病院へ行って薬をもらってきた。
 明日は、東京選手権。とにかく平熱に戻しレースに出られるようにしたい。

■2007年5月25日(金曜日)
 ヘリコプターペアレンツという言葉が新聞に出ていた。子供の周りをぐるぐると回 る親という意味らしく、最近の大学生にまつわる話が出されていた。
 奨学金の申請には学生本人ではなく親が来たり、履修定員以上の希望者が 殺到し、履修ができず、親が「なぜうちの子は履修できないのか」と問い合わせを してくる例などがあった。
 我が校では、学生が学校を辞めたいと言っても、親が続けさせたいと言えば、 続けざるを得ないというなんとも言えない問題がある。なぜこんなことが起きる かというと、親の同意がないと辞められないという決まりがあるから。我が校は 入校する時に、学生本人が世帯主となり、学生とはいえ、給料は少ないが もらっている。親のすねをかじっているわけではない。それなのに、なぜ親の 同意がいるのか?今のところ理由はわからない。

■2007年5月24日(木曜日)
 日曜以来のトラック走。3日間ほとんど動いていなかったので、久しぶりに 走るという感覚だったが、週末にはまたレースがあるため、その刺激として 600mのタイムトライアルを1本行った。
 風が強かったため、追い風が2回、向かい風が1回になるように走ったが、 向かい風でかなりスピードが落ちた。ゴールタイムは1分23秒0。タイム としては悪くない。週末のレースでは、このタイムが通過となるように したい。

■2007年5月23日(水曜日)
 最近、トウモロコシやサトウキビなどを燃料とするバイオ燃料が注目されている。 先月からは、首都圏のガソリンスタンドで、バイオ燃料とガソリンを混ぜた 自動車用新燃料の販売が始まった。
 注目されている理由は、石油や石炭などの化石燃料の消費が押さえられるから。 地球温暖化に配慮するためというところにつながるが、結局バイオ燃料でも 二酸化炭素は放出される。植物が燃料となり、それが燃えて二酸化炭素となり、 最終的に植物に吸収されるというサイクルができるので、一定量以上に 二酸化炭素を増やすことなく、エネルギーを作り続けられると考えられている。
 しかし、すでに二酸化炭素は過剰に排出されているのだから、地球温暖化に 配慮するなら、二酸化炭素を出さないようにしなければならない。車は使わず、 自転車か歩きにするしかない。これができなければ、地球温暖化はどんどん 進むしかない。人は、いったん手に入れた便利さをたぶん手放せない。 自分の子孫のことを真剣に考えるのであれば、真剣に二酸化炭素を排出 しないように行動するだろうが、自分が生きている間は、大丈夫だと考え、 便利さを追及することになる。自分が死んでからの世の中のことまで 考える人は、どのくらいいるのだろうか?政治家さんたちは、どのくらい 本気なのだろうか?
 今のところ、自分は、エスカレーターに乗らず階段を使うようにすること くらいで、通勤で車に乗ってしまう。子孫のことまでは頭が回っていない。

■2007年5月22日(火曜日)
 中古車購入のための書類を販売店へ提出に行った。車は、週末には販売店 に輸送され、板金業者へ渡り、大きな傷を修復した後に、クリーニングされ、 納車になるらしい。納車は、6月初旬ということで、意外と時間が掛かるのだと 思った。
 5年間乗ってきたムーヴは今日でお別れ。これで見納めになると考えると とても寂しい気持ちになってしまった。

■2007年5月21日(月曜日)
 午後は、2コマ授業があり、サングラスがないと目がおかしくなりそうな くらいの日差しだった。最近は、日焼けにも注意して日焼け止めを塗っているが、 毎日日焼け止めを塗って皮膚は大丈夫なのか?と不安になる。
 テレビで、ビーチバレーの特集をしていたが、彼女たちは、練習でも 水着だけでプレーをしている。普通の女性よりは日焼けしているように見えたが、 真っ黒ではなかった。相当な予防をしているのだろう。
 外で授業をする仕事なので、日焼けは避けられない。顔と首と腕だけが真っ黒で 体が真っ白というのが体育の先生というイメージを持っていたが、自分がその立場に なってしまった。ささやかな抵抗をすることくらいしか手だてはなさそうだ。

■2007年5月20日(日曜日)






 東日本実業団800mに出場。予選は3組あり、2着までと3着以降上位2名が 決勝に進出できた。
 予選の組み合わせをみると、昨年のベストタイムが自分より上の選手が3名は いたため、着順よりも1分55秒を切ることを目安に走ることにした。
 スタートから田口くん(DNP)が飛び出し、すぐに2番手につくことができ、 自分が最もレースをしやすいポジションに入ることができた。バック ストレートはかなりの向かい風でなかなか進まず、ホームストレートは、 追い風が強いためか逆にリズムが作りづらかった。先頭の田口くんは、風に 左右されることなく、かなりハイペースで引っ張ってくれたため、ついて行く だけで必死だった。1周目の通過は55秒台。自分の感覚はもっと速いペース という感覚だった。
 2周目のバックストレートで、田口くんのペースが落ちてきたため、 600m手前で、外から田口くんをかわし先頭に立った。ここまでは完璧な レース展開だった。まだ和泉は競技をやってるぞ!!ということがアピール できたが、先頭に立ったとたんペースダウンし、残り120mで田口くんと 鈴木くん(体育学校)にかわされ直線へ入った。まだ3着があると思い必死に 走ったが、佐藤くん(体育学校)にも抜かれ、4位でフィニッシュ。タイムは 1分55秒52だった。  先週は4日ほど全く走っておらず、昨日は寝込んでいたことを考えると まずまずの走りだったが、目標は達成できず、3着であれば、決勝に 進出できるタイムとなったこともあり、悔しい思いをした。来週の 東京選手権では、さらにタイムを縮められるようにしたい。

■2007年5月19日(土曜日)
 昨日は、8時前に就寝し、なんとか喉の痛みが治まればと思っていたが、 今朝も昨日と全く変わらず。何となくからだが怠かったので、熱を測ってみた ところ37.0度あった。体調としては昨日より悪化していたため、今日のレースは 断念し、午前中は、ずっと寝ていた。発熱でレースに出られなかったのは、 陸上競技を始めた高校以来初めてのこと。本当に情けない・・・
 午後からは、体調が戻り、近所の中古車買い取り店へ行き、車の査定と 中古車の紹介をお願いした。ワゴンの軽自動車が欲しかったが、人気がある らしく、同じ値段で、1500〜2000ccの車が買えてしまうということで、 軽自動車を諦め、大きな車を探すことにした。最終的にストリームと ステップワゴンに絞られ、車内スペースの大きいステップワゴンを購入する ことにした。予算は100万円と決めていたが、かなり予算をオーバーする こととなった。宝くじでも当たらないかな・・・

■2007年5月18日(金曜日)


2位争い





フィニッシュ後
 関東インカレは3日目。我が校は無得点のまま、最終種目の10000m競歩となった。 平日開催のため、普通の大学だったら、授業を欠席して学生は応援に来るところだが、 我が校はそれが許されないため、応援する学生はゼロで、選手1名のみの参加となった。 得点を取れる種目なのに、応援はゼロというのはなんとも悲しい。午後の授業が ある自分が、午前中だけ休暇を取り、応援に行くことで、応援は1名となった。
 競歩に出場する野口くんは、2部校エントリー中ランキングは2位となっていた ため、表彰台になんとか上がって欲しいと思っていた。1部校と同時にスタート したため、順位のカウントが難しかったが、2部校では、ずっと2番手争いを していた。残り1000mを切ったところで、3番手となり、そのままゴールとなった。 目標タイムは突破できなかったが、表彰台に上がり、学校としての得点も獲得でき 本当に良かった。
 関東の大学では、はしかが流行しているらしいが、わが校では、風邪が 流行っている。今日の授業でも風邪が原因の欠席が多かった。その影響か、 昨日の夜から、喉に痛みがあり、大きな深呼吸をすると特に痛く、呼吸しづらい。
 明日から東日本実業団が始まり、本格的なシーズンインとなるが、この具合では、 まともな走りができそうにない。日本のトップ選手と走ることができ、シーズン 前半の目標としている大会なのに、体は動きそうにない。学生には、自己管理を しっかりするようにと言っているが、言っている本人が体調管理すらできていない・・・

■2007年5月17日(木曜日)
 400m+200m+100mを3セット実施。久しぶりのインターバルということもあり、 後半は、接地の衝撃に脚が耐えられず、潰れながら走っていた。筋力が低下している ので、自分の意志ではどうすることもできない。さらに、3セット目の途中で、 吐いてしまった。インターバル走では、全力で走ることはないので、今までは 吐いたことはなかった。そのくらい、内蔵もちょっとした負荷に耐えられない体に なってきているのかもしれない。向上を目指すよりも、低下を必死に押さえる方に 神経を注がなければならない時期になってきたのだろうか・・・

■2007年5月16日(水曜日)
 今夜も妻と中古車検索。昨日のアドバイスを元に普通車にも目を向けてみた。 値段のことは別にしてトヨタのシエンタという車が気に入った。結構小型なようで、 7人乗り。しかし完全に考えていた予算はオーバー。どうするべきか・・・ 昨日よりもますますわからなくなってきた。

■2007年5月15日(火曜日)
 子供を寝かしつけ、妻と2人で、ネットを使って中古車検索をしてみた。 新車も視野に入れてみようかと思っていたが、あまりの値段の高さに諦めた。 中古車は、ワゴン型の軽自動車を中心に見ていたが、値段を見ていいなぁと 思った車は、修復歴があったり、走行距離がかなりいっていた。
 妻の妹の夫が車に関連した仕事に就いているので、中古車選びについて 聞いてみたが、走行距離がいっている車はやめたほうがいいということだった。 最近は軽自動車は人気があるので、なかなか値が落ちず、普通車の方が値の 落ち方が速いため、同じ値段かそれ以下で買えてしまう場合もあるので、 そちらを考えてみるのも1つの方法だと言うことを教えてもらった。

■2007年5月14日(月曜日)
 ダイハツの系列店へ行き、車の修理代を見積もってもらうことにした。 車は、前輪の車軸が曲がっているらしく、このまま運転するととても危険なこと がわかった。特に高速道路の運転は控えて欲しいと言われた。車の修理代は 30万円以上かかるということで、新たに中古車を買った方が良いかもしれない ということだった。こんなに大事になるとは思っていなかったが、仕方がない。 修理のことも考えつつ、新たに車を購入することも考えなければならない。

■2007年5月13日(日曜日)




 関東インカレ2日目。我が校は、午前中にハーフマラソンとハンマー投げ、 午後は4×400mリレーに出場した。
 ハーフマラソンは、神宮外苑の周回コースで行われ、前半は、スローペース となり、大集団での展開となったが、途中からペースアップがあったようで、 うちの学生は、自分のペースに切り替えて走っていた。
 ハーフマラソンの途中から、日大グランドで行われているハンマー投げを 見に行った。1投目は、まずまずの投げのように見えたが、その後2投は、 失投ぎみの投げになり、ベスト8には残れなかった。普段の練習場所が、 本気で投げられる場所ではないため、本気で投げたのは半年ぶりくらいだった。 我が校では、陸上競技場の中でフィールドホッケーをしているので、 ハンマーが投げられない。本来の陸上競技場の使い方ができるように ならないものか・・・
 最後は、リレーの応援となったが、全くレースには絡んでいなかった。 今年は、標準記録がなく昨年度の公認記録があるだけで出場できたため、 昨年までは、出場できなかった種目なので、参加するだけで意義が あると思って出場させた。OBからは、「走っているとは言えない。 ただ頑張っているだけだ。」と厳しいお言葉をもらったが、その通り かもしれない。それぞれの学生は、ベストを尽くし、予想していた よりもタイムは良かったので、

■2007年5月12日(土曜日)


4×100mR
 子供の幼稚園で、母の日にちなんだ母親参観というものがあり、一緒に ついて行った。最初は、音楽に合わせて体操をしていたようだが、自分の 子供がどこにいるかわからなかった。体操が終わった後は、教室に戻り、 先生は、一人一人、漢字で書かれたネームプレートを見せながら、子供の 名前を読んでいくと、子供たちは手を挙げながら「はいっ」と答えた。 その後、子供たちは先生の伴奏に合わせて歌を歌いながら体を動かしていた。 よく調教されているという印象だった。さすが幼稚園。うまく子供たちの 心を掴んでいる。親ではうまくいかないことがここでは、易々と達成させられ 親の立場がないと思った。妻は感動し、涙を流していた。幼稚園というと頃は、 なんとすばらしいところなのかと自分も感動した。
 母親参観後、すぐに国立競技場へ向かい、関東インカレを観戦した。初日の 我が校の出場種目は4×400mリレーだった。1〜3走へは、うまくバトンが 渡っていたが、3走の学生が途中で肉離れになったらしく、4走へはリレーゾーンを オーバーしてバトンを受け渡したようで失格となってしまった。
 2,3年生は、とても悔しがっていたので、これから1年でどこまで 自分たちを変えていけるのか、この悔しさを力に変えて練習に臨んで欲しいと思った。

■2007年5月11日(金曜日)
 昼間、妻から車を電柱にぶつけ、ウインカーのカバーが粉々になったという 連絡があった。車には人を乗せていたが、けが人がいなくて良かった。
 対向車を通すため、車を歩道よりに寄せて、車を発進させようとしたときに ぶつけたらしい。ウインカーのカバーの他に、少しボディーがへこんだ感じは あったが、たいした傷には見えないので、来週には修理に出そうと思う。

■2007年5月10日(木曜日)
 NHKの夜のニュースを見ていたところ、スポーツコーナーで近代五種の アジア選手権の報道があり、体育学校の村上くんが、北京オリンピックの 出場権を獲得したという内容で、驚き、感激した。
 この大会で5位以内に入ると出場権が獲得できたようで、4種目を終わって 村上くんはトップだったが、最後のランニングで5位となり、何とか枠に入る ことができた。インタビューの時に、うれし泣きをしていたのが印象的だった。 また、妻の誕生日に勝ち取った出場権は、本当に大きなプレゼントだった のではないかと思う。6位には、同じく体育学校の藤森くんが入り、あと 一人のところで、出場権が得られなかった。
 村上くんは、ケガが多く、何度も挫折しそうになったという印象が強く、 よくここまで競技力を戻してきたなぁと思った。彼の苦労は、長い間 見てきてるので、出場権を獲得して本当にうれしく思った。
 ランニングの能力を高め、来年の本戦では、決勝進出を目指して欲しい。、

■2007年5月9日(水曜日)
 教育再生審議会は、子供を持つ親などを対象として、緊急提言をまとめた というニュースがあった。幼児期から「早寝・早起き・朝ごはん」の習慣を つけさせ、赤ちゃんに対しては瞳をのぞきながら、話をしたり、歌を歌い、 母乳で育てるというような内容が挙げられていた。当たり前だと思っていたこと ばかりで、わざわざ提言をすることなのか?と思った。しかし、それくらい 当たり前のことができない親が増えているということなのだろう。やりたくても できない親もいるのかもしれない。とにかく、提言に出されたことがなされずに 育ってきた子供たちは、たくさんいるのだろうから、そういう子供たちを どうやって変えていけばいいかも考えていかなければならない。

■2007年5月8日(火曜日)


不二家が戻って来ました
 関東インカレの招待状のようなものが監督宛に学連から届けられた。今年から 陸上競技部の監督となったので、この招待状をもらうことになったのだが、 中身は、大会と連盟の懇親会への招待や、大会開催中に弁当が出ることなど、 いろいろと特典があった。監督になって初めて、監督という立場は偉いのだと 思った。懇親会は、金曜日の午後で授業があるため参加できないが、こういう場に 参加して、人脈が広げられると、レベルの高い学生を他大学の練習に加えて もらう相談もできるのになぁと思った。

■2007年5月7日(月曜日)
 小学生の書く能力が低下しているという。特に高学年になるほどその傾向が 顕著になるらしい。こういう記事が出ると、小学生も学力が低下してきているのか と思ってしまうが、大人の書く能力は、さらにひどいのではないかと思った。
 最近は、自分の手を使って書くという行為をほどんど行わなくなっている。パソコン を打って漢字変換して印刷するということばかり。講話や会議で実際にペンを 動かそうとすると、漢字がわからなくて、ひらがなを書くことになる。わかっている はずだった漢字が全く書けなくなっている。そのたびに書く能力の低下にショックを 受けるが、書く能力を高めようという意欲は全く湧かない。なぜなら文書はパソコンで 打つから。相当意識して書くことをしない限り、大人の書く能力はどんどん低下 していくと思う。子供の心配をする前に自分の心配をしなければならない。

■2007年5月6日(日曜日)




 日本選手権競歩に学生が出場することになり、大阪まで応援に行った。 会場となった長居陸上競技場は、10年前のなみはや国体で1度走った ことがある。長居に来たのは、その時以来だったので、とても懐かしかった。
 昨日は、国際陸連の大阪国際グランプリが開催され、多くの観客が 来ていたようだが、今日の大会は、競技場のスタンドへは入ることができず、 観客がほとんどいない大会関係者だけの寂しい大会だった。
 しかし、世界選手権代表選考会であり、今年の世界選手権と全く同じ コースでレースをするということで、選手にとってはとても意味のある大会だった。
 我が校からは、3月に標準記録を突破した野口くんが出場し、10kmの通過で、 日本インカレ標準記録突破を目指した。天候が悪く、昨日も香川県選手権に 出場したこともあり、前半でタイムをのばせず、10km通過の目標タイムは 達成できなかった。後半は、20kmのための練習をしていなかったため、急激に ペースダウンをし、なんとか完歩したという感じだった。次は関東インカレ。 表彰台へ上がることを願っている。

■2007年5月5日(土曜日)
 子供が夕食時に箸を使いたいと言い出し、箸を持たせることにした。 持ち方を教えて欲しいというので、本人に箸を持たせて、持ち方と使い方を 教えたが、今までやったことのない動きなので、当然使うことはできず、 食べることができないので、泣きそうになりながら挑戦していた。
 途中からは、「1本でいい」と言い、1本で食べようとしたが、うまく 食べられず、2本の箸で器に口を近づけかき込むように食べていた。
 子供がやっと箸に興味を持ってくれたので、これからは、自分も一緒に 箸で苦しもうと思い、久しぶりに左手で箸を持ってみた。おかずがアジだった ので、食べることは難しすぎ、イライラも限界に来て結局右手に箸を持って しまった。我慢が足りないのかも・・・

■2007年5月4日(金曜日)
 陸上仲間の開くカレーパーティーに招待された。以前、バーベキューに招待され たときに60人くらいが招待され、その人数分のお腹を満たす料理をほぼ一人で 作っていたことに驚いた覚えがある。
 今回はマンションの一室でのパーティーだったが、30人くらいは来ていた。カレーは 4種類、ご飯は2種類用意されていた。そのほかにもサラダやデザートが何種類か 用意され、盛りだくさんだった。子供も好きなモノが食べられ、さらに遊んでくれる 大人がたくさんいて大興奮だった。

■2007年5月3日(木曜日)
 学生は今日から、4日間の合宿が始まった。自分は、長距離に混じって、 1000m×4を走った。先頭が3分ペースで、休息の200mを60秒ジョッグでつなぐ というので、適度な強度だと思い、先頭についていった。1本目は普通に走れたが、 2本目の400mを過ぎたところで吐いてしまい、スピードダウン。3本目以降も スピードが上がらず、4本目にも何度か吐いた。走るだけは走ったが、2本目で ダウンするとは思わなかった。このままでは1500mは間違いなく走りきれない。
 その後、300mのタイムトライアルをしたが、38秒2だった。持久力もスピードも なく、少し気落ちした。長い目で見ていくしかない。

■2007年5月2日(水曜日)
 高校野球で特待制度を設けている学校が334校になったと報道があった。 甲子園の常連校や優勝校が多く含まれていた。特待生は、この契約を解除 しない限り試合には出場できないという。いままで学費が無料だったのに、 急に学費がかかるとなると、学費が払えないという家庭もあり、野球を 辞めなければならない生徒が発生するかもしれない。
 学校側は学生野球憲章を知っていたかもしれないが、学校から説明が ない限り、生徒や親は知るわけがない。生徒や親に責任の一部を担わせる ことが正しい判断なのかどうかがよくわからない。

■2007年5月1日(火曜日)
 「ミッキーマウスおなまえおしえておしゃべりあいうえお」という子供の おもちゃがある。スイッチをオンにすると、電子音の音楽が流れ、ミッキーマウス の声が聞こえてくる。五十音順にボタンが並び、ボタンを押すとその音が出てくる。 電源を切るとミッキーマウスが「バイバーイ」と言って終了する。
 一昨日の深夜、電源がOFFになっているはずなのに、電子音が鳴り、ミッキーマウス がしゃべり出し、直後に「バイバーイ」という声に切り替わり、また電源をONに する時の音が始まった。気味が悪いので、おもちゃを確認したが、電源はOFFに なっていた。
 昨夜も深夜に同じように鳴り出し、何度か連続でONとOFFの時の音が繰り返された。 目に見えない何かがいるのだろうか。なぜ深夜だけ鳴るのか?ただ、おもちゃが 壊れただけなのだろうか?
 今日は、日中にも鳴っていたようで、電池を抜けば、音は出ないはずなので、 電池を抜くことで問題を解決させた。これで鳴り出したら、本当に何かがいることに なるだろう。



[昔のいずみ]