最近のいずみ

Last Update:2007/6/30

パートタイムアスリートいずみ 7年目に突入!! 


■2007年6月30日(土曜日)


1周目
 県選1日目。800m予選に出場。膝が痛く、明日の準決勝以降のレースに 出場できるかどうかもわからないため、シーズンベストを狙うため、初めから 積極的に走った。1周目は54秒95で通過し、余裕を持ちながら通過できた。 600mの通過が1分22秒台だったので、今日は、シーズン記録が出ると 確信してラスト200mに突っ込んでいった。しかし、最後の直線で 大失速し、ラスト200mは32秒程度かかり、1分54秒58となってしまった。
 600mまでは、最近の練習では出したことのないタイムで走ることができ、 大きな自信になったが、最後は、練習が全くできていない状況がしっかりと反映された。 明日からは、着順狙いで、最低でも関東選手権へは進みたい。

■2007年6月29日(金曜日)
 7月からは、学生は訓練期間となるため、今日は、夏休み前の最後の授業となった。 授業内容は砲丸投げ。2人一組に砲丸1つを持たせるようにするため、半分の学生を 連れ、倉庫に砲丸を取りに行き、実技を始めようとしたときに、2組の学生たちが 砲丸を持っていないと言い出した。「きちんと話を聞いておけ」と話をし、もう一度 その学生たちを倉庫へ連れて行くことにした。
 倉庫に入り、棒高跳びのポールが横になって頭上に置いてあるので、その下を くぐろうとしたときに、背中に痛みが走った。一瞬呼吸ができないくらいの痛みで その場に倒れそうになった。なぜがポールと一緒にL字になった鉄筋があり 突起のように出ていた所に背中が当たって15cm程度の引っ掻き傷となって、血が にじんでいた。動くのも辛い状況で、話を聞いていなかった学生たちを非難したく なりながら、学生たちが1回で取り出せるよう確認しておかなかった自分にも 落ち度があるので、痛みをグットこらえるしかなかった。明日からレースなのに、 最悪・・・

■2007年6月28日(木曜日)
 宮沢喜一元首相が老衰で亡くなった。老衰とは、「年をとって心身が衰えること」 と新明解国語辞典には載っていたが、死因があるわけではなく、自然に亡くなったと いうことなのだろう。最近では、延命のための医療も発達し、なかなか老衰で 亡くなる人も少ないのではないかと思う。老衰で亡くなるというのは、最も自然な 亡くなり方のような気がする。できれば、自分の死もこのように迎えたい。

■2007年6月27日(水曜日)
 自民党と民主党の政策の違いがよくわからないので、民主党のHPを 見たところ、年金問題について、今の自民党では、納めた年金が何に 使われるかわからず、年金は崩壊するが、民主党であれば、税金の システムを利用し、絶対に崩れない年金制度を作ると述べていた。
 「絶対」という言葉が気になって仕方ない。本当に絶対に崩れない制度が できるのだろうか?政府がいろいろと取り組んでいるが、今のところ解決策が なさそうなくらい難しい問題なのに・・・。
 民主党案は、年金の回収は税金と同じように国税庁と社会保険庁を1つにした 歳入庁が回収し、足りない金額は、談合の根絶や無駄づかい一掃で作り出すと 書いてあった。税金が無駄に使われていないかどうかは、毎年チェック されているはずなのに、それが機能していないと言っているようだ。 年度末にお金があまって、それを使い切らないと次の年の予算が削減される というシステムを廃止し、お金があまって国庫に返納した場合には褒められる システムを作った方が、税金の無駄づかいにならないような気がする。 もともと民主党の議員も自民党出身者が多くいるはずで、今の制度を 作り上げてきた人たちなのではないかと思うと、絶対に崩れない制度が 作れるとはどうしても考えられない。  党の政策に関係なく、良い制度を作るため、党を超えて議論をして欲しい。

■2007年6月26日(火曜日)
 左膝の内側から裏にかけて痛みが続いていたが、膝を伸ばして脚をまっすぐに する動作をすると、きちんと伸びきっていないことが人から指摘されてわかった。 自分の感覚では、左右の膝とも同じように伸ばせているのだが、現実は違っていた ようだ。ハムストリングス(大腿の後ろ側)の方が大腿四頭筋(大腿前面)より 引っ張りが強いのが原因の一つではないかという推測ができ、大腿部の前面を じっくりと観察すると、以前よりも、かなり筋肉の盛り上がりがなくなっている ことに気がついた。大腿前面の筋肉が落ちて、後ろの筋肉がより引っ張ること となり、バランスが崩れた結果、痛みが出ているようだ。そこで、ハムストリングス の内側を螺旋に引っ張るようにストレッチしてみたところ、痛みが少し改善してきた。 左膝を伸ばすと、ストレッチ前より、しっかり膝が伸びていることも確認できた。 ハムストリングス内側のストレッチと、大腿前面のトレーニングをすることで、 痛みがなくなる可能性が見え、うれしくなった。

■2007年6月25日(月曜日)
 安倍首相が年金問題に関連して、6月のボーナスを国庫に返納するという ニュースが流れた。ボーナスを返納することで、年金問題が解決すれば、 正しい選択だと考えられるが、そういうわけではないので、この判断が どういう意味を持つのかが、よくわからない。
 どちらかと言えば、今の年金制度を作ってきた人たちに消えた年金の 補填をしてもらった方が納得がいくが、結局、国民に選ばれた人たちが 作ってきた制度だと考えると、国民にも責任があるということになり、 誰の責任だと決めつけることはきわめて難しくなる。今後この制度が 良い方向へ向くよう、国会での議論を見守り、選挙で正しい方向へ 導ける人を選んで行くしか選択肢はない。

■2007年6月24日(日曜日)


1周目



700m付近



岡本(14'42"11)
 日体大長距離記録会800mに出場。昼から雨が降り出したが、小雨だったため 気温も上がらず、風もなく最高のコンディションだった。
 今回は、申請タイムを1分50秒としていたため、最終組で走ることができた。 スタートから吉岡くん(東京陸協)が先頭を引っ張り、自分は、5,6番手で 内側に閉じこめられ、最悪の位置取りとなった。小さな小競り合いをしながら、 その状況から脱出できず、1周目を55秒台で通過した。自分の想定していた タイムよりは1秒速く、あと1周何とかすれば、今日はタイムが出せると思った。
 先頭集団からは、少しずつ距離が離れていき、600m通過は、1分23秒を切る タイムで通過した。今日は、頑張らないことを目標とし、力が適度に抜けていた ためか、それほどスピードが低下せず、700mで先頭集団に追いつきそうに なった。
 今日は行ける、と思って、残りの100mに入ったところ、先頭集団のスパート により、一気に差が開き、残りはもがきながらゴールへ向かい、5位でゴールした。 タイムは、1分53秒74のシーズンベストだった。久しぶりに走りきったという 感覚だった。練習をしていないのに、タイムは意外と出ている。不思議だ・・・
 今日は、昨日1500mで自己ベストを出した学生たちが5000mに エントリーしていた。学生たちは、昨日の勢いのまま攻め続け、それぞれが 2日連続で自己ベストを更新した。特に昨日1500mで優勝した岡本くんは、 14分42秒11の防大新記録となり、2日続けて防大記録を更新した。
 長距離メンバーの多くは、昨日東海大の記録会に出場しており、殆どが 自己ベストだったと聞いている。それぞれの日々の努力が結果として現れると 指導する側も報われる。

■2007年6月23日(土曜日)


予選(残り300m過ぎ)



決勝(前半)



決勝(先頭集団)



決勝(4〜6番手集団)
 横須賀選手権1500mに出場。今日は、4分10秒以内で走っている学生たち 全員に4分切りをしてもらうために自分がペースを作ると宣言していたので、 左膝の痛みがまったく緩和しなかったが、無理して出場した。
 最近は膝裏に痛みがあるため、週に1回程度トラックで走ればいい方で、殆ど 走っていないという感じ。そのため、予選もペースがわからず、入りの300mを 45秒通過し、かなりのハイペースとなってしまった。800m通過が2分06秒。 残り500mくらいで、疲労が蓄積し、ペースダウンしたため、後ろにぴったりと ついてきた荒井先生(武山中)に抜かれ、ラスト1周は2番手で通過。とにかく 完走して、決勝進出すればいいと投げやりな気持ちになったが、1200m通過が 3分11秒だったので、残りを47秒以内で走れば、昨年度の記録を上回れるので、 少し頑張ってみた。しかし、力はあまり残っておらず、3分59秒90で、昨年の 記録は上回れなかった。
 予選で力を使い果たした感があったが、決勝でレースを引っ張る約束は守らねば ならず、予選と同じペースで走ることを考えてスタートした。しかし1周目は62秒 かかり、2周目の通過は2分09秒となってしまった。さらにペースダウンすることが わかっていたので、2番手の選手に先頭へ出るよう手振りで表明し、先頭に出て ペースを上げてもらった。
 その後は、どんどん後輩たちに抜かれ、残り1周になったところで棄権しようかと 思ったが、妻と子供が応援に来ていたので、やめることができず、何となく 走り続けた。その後は、高校生にも抜かれ、さらにやる気を失いそうになったが、 それではマズイと思い、残り100mからスパートをかけ、2人を抜き返し、 7位でゴールした。タイムは4分04秒71だった。
 学生たちは、1,4,5,6、9位に入り、全員自己ベストとなったが、 4分を突破できたのは、優勝した岡本くんだけで、優勝タイムの3分55秒58は、 大会新記録で、自分の持っていた防大記録を1秒近く上回る記録だった。自分が 引っ張るレースでタイムを出してくれ、とてもうれしかったが、少し寂しい 気持ちもあった。
 その他の競技でも、我が校からは、100m、走り幅跳び、砲丸投げなどで 優勝者がでて、出場した学生の多くが自己ベストを更新した。昨年と比べ、 とても活気があり、雰囲気は良くなっているので、この雰囲気が継続できるよう にしていきたい。

■2007年6月22日(金曜日)
 「スポーツと流体力学」という題名で、機械工学の伊藤先生による図書館 教養講座が夜の8時から図書館で開催された。伊藤先生は、水泳をはじめ さまざまなスポーツの動作解析を研究され、時々テレビにも出られている。
 今回は、野球の変化球について詳しく話された。野球のボールは、縫い目がある おかげで、いろいろな変化球が作られることが詳しくわかった。同じ球種であっても 選手それぞれに、握り方が違い変化の仕方も違う。今後は、テレビでの野球の 見方が変わるようなインパクトのある講義だった。

■2007年6月21日(木曜日)
 北海道の企業が、牛肉コロッケに豚肉を混ぜて販売していたことが問題になっている。 一度偽装をすると、その後はずっと偽装を続けなければならず、どんどん泥沼にはまって いくように見えた。
 テレビドラマで、裁判の最後までウソを突き通した人が、裁判後、組織を守るために やったものだと本当のことを述べている場面をたまたま見たが、まさに組織を守るため には仕方のないことだったのかもしれない。  人は、ウソをつかずにはいられない生き物なのかもしれない。全くウソをつかずに、 生きている人は、どのくらいいるのだろうか。長く生きれば、少しくらいは後ろめたい 気持ちをもつこともあるような気がする。だからといって正当化するわけにはいかないが・・・ 「わかっちゃいるけどやめられない」というフレーズは、なかなか本質を突いている 表現だ。 

■2007年6月20日(水曜日)
 渋谷の温泉がガス爆発し、3名が亡くなった。週末には退職する人もいたらしく、 ちょっとしたタイミングの差で、人生は大きく変わってしまうのだと思った。  誰もが明日のことはわからない。明日はないかもしれないと考えたら、今日を 大事にしなければと思う。
 温泉を運営している会社の幹部が、会見をしていたが、細かいことは、下請けが やっているという説明で、全体を把握していないようだった。会社を運営すると いうことは、全責任を引き受けることなのだと思うが、最近不祥事を起こしている 会社の記者会見では自分の責任ではないという発言が多いように見える。人の上に 立つ人は、それだけの覚悟を持てなければ、やらない方がいいのかもしれない。

■2007年6月19日(火曜日)
 左脚の膝窩(膝の裏)が痛む。歩いていても左脚支持になる直前から、足が 離地するまで痛みが続く。週末から3週連続でレースとなるので、刺激は 入れておかなければならないので、学生と一緒に300m×4を走ることにした。 しかし、左脚支持期の痛みが強く、1本目の300mで47秒もかかり、2本目以降は 痛みに耐えられず、続けることができなかった。
 週末は、1500mで学生たちを引っ張って走る予定になっているが、本当に それができるのか不安になってきた。

■2007年6月18日(月曜日)
 職場でジャンプ実験が始まった。普段測定器材を触っていないため、いざ実験と なると、なかなかスムーズに動かせない。実験は、準備が8割だとある人が言っていたが、 その通りだと思った。準備がきちっとできていないと、実験が始まってから、いろいろ と考えることになり、実験が中断してしまう。実験初日は、まさにその状態で、 いろいろと考えさせられた。これから2週間、少しずつでも改善させ、良い結果が 得られるようにしたい。

■2007年6月17日(日曜日)


我が家の除湿器
 昨年横須賀へ引っ越してきて、2ヶ月ほどで畳が緑色になるほどカビが繁殖し、 困ったことがあった。それ以来、除湿器を買わなければと思いながら1年間過ごして きたが、やっと除湿器を購入した。
 今回購入した除湿器は、布団や靴の乾燥までできるというモノ。目的は、部屋の 除湿なので、どちらでも良いが、妻は、いろいろと機能がついていたほうがうれしい ようだ。
 さっそく箱から除湿器を取り出し電源を入れて、6畳の部屋で4時間除湿してみた。 除湿の機能を強力にすると音はうるさいが、静かなモードにすれば、それほど気にならない。 温風が出てくるので部屋は少し暑くなるが、湿度は体感でわかるほど低下した。除湿した 後にタンクに残された水は、缶ジュース1本分(350ml)くらいの量があり、除湿能力は すばらしいと思った。しかし、除湿をした部屋は締め切っていれば問題ないが、空気を 入れ替えるために窓を開けたら元に戻ってしまうとすると、ずっと部屋を閉め切って 除湿器を稼働しておかなければならない・・・ やっぱりカビは生えるしかないのか・・・

■2007年6月16日(土曜日)


子供は日々成長してます
 幼稚園で父親参観があった。先月は母親参観があり、子供の成長に驚いたが、 今回はさらに驚かされた。
 先月は、先生が出席をとるときに、漢字で書かれた子供たちのネームプレートを順番に 出して、子供の名前を呼んでいたが、今回は、先生はいっさい名前を呼ばず、順番に カードをめくるだけで、子供たちは、自分のネームプレートを見ると「はい」と返事をして 名前を言っていた。彼らは、漢字で書かれた自分たちの名前がわかるらしい。毎日の積み 重ねというのは、とても大事なことなのだと再認識させられた。
 父親参観のメインは、父親に対してお父さんの歌を歌い、プレゼントを渡し、父親と お互いの似顔絵を描くことだった。この間までは、○や直線を描くのも苦労していたのに、 急に顔らしい絵が描けるようになったのを見て日々成長しているのだなぁとうれしくなった。

■2007年6月15日(金曜日)
 大学の陸上部OB会が開催された。50人ほどの出席があり、半分以上が定年を 迎えた人だった。最高齢は、元部長の82歳。大正生まれで海軍少尉だったという 話を聞いたが、とてもしっかりした口調で話され、年を感じさせなかった。
 自分は監督ということで、昨年から今年にかけての現役学生の活動について 発表をした。OBが期待するほどの成績が上げられていないため、とても話し づらかったが、あるOBからは、成績にこだわることも必要だが、我が部は、人間性を 養う場でもあるのだから、4年間陸上部として活動できて良かったと思える部にして ほしいとの要望があった。
 自衛官のトップ(統合幕僚長)も出席され、話をすることが出来た。過去の我が校の 成績を見ていると、4×400mRが強かった時代は、他の種目も強かったと分析され、 400mであれば、素人でもある程度走れるようになるだろうから、まずは、 4×400mRをめざし、その後、選手を短い距離と長い距離へ移行していっては どうかという話をされた。OBは、現役学生に期待し、しっかりと活動を見ているという ことがよくわかった。OBの期待にそえるよう努力したいと思った。

■2007年6月14日(木曜日)
 おもいっきりスイングした竹刀が自分の左前腕に当たり、久しぶりに痛い思いをした。 人に恨まれてやられたわけではなく、授業で、股関節をうまく使えるようになると、 野球のスイングでは、威力に大きな差が出るという例えから、実際に動きをやったところで そうなってしまった。自分は、威力を感じるために竹刀を垂直にしてスイングに耐える 側にいた。スイングが直接竹刀に当たれば問題なかったが、スイングした竹刀は、先に 自分の前腕に当たった後、持っていた竹刀に当たった。こちらは直接竹刀に当たると 思っているので、よける暇もなかった。
 当たった直後から、患部は腫れて紫に変色しだした。すぐに氷水で冷やし医務室へ 行ったが、医務室は大繁盛で、2時間待たされた後やっとレントゲンの撮影ができた。 骨には異常なく、痛み止めと湿布という処置だった。
 昨年、子供が前腕の2本の骨を骨折したことを思い出した。骨折後、レントゲンで 骨がずれていることがわかり、麻酔なしでずれを戻していた。あのときの叫び声は、 本当にすさまじかったが、今更ながら痛かっただろうなぁと思ってしまった。今では 子供もそんなことは忘れて普通に生活しているが、もう救急車には乗りたくないという ことを言っているので、あのときのつらさは覚えているのかもしれない。

■2007年6月13日(水曜日)
 防衛省は、隊員や職員の私物のパソコンにWinnyや業務文書が入っていないかを 点検させている。我が職場でも昨日、上司の面接があり、私物のパソコンの数などを 聞かれた。所持しているパソコンは3台あるが、1台は全く使用しておらず、 段ボールに入ったままだが、わざわざ箱から出して点検しなければならなくなった。
 業務文書の検索は意外と簡単に終わるが、Winnyのチェックは、シマンテックのHP から点検ソフトをダウンロードして点検しなければならなかった。点検の時間が とても長く、なんでこんなことに振り回されなければならないのか?と思う ばかりだった。
 私物パソコンは、デスクトップPCはブロードバンドで接続しているが、ノートPCは、 PHSで接続している。セキュリティーソフトは、週に何度か更新する必要があるが、 ノートPCはそれほど頻繁にネットに接続しているわけではないため、たまにネットに 接続すると、1時間くらいダウンロードに時間が掛かってしまう。PHSは 115kbpsというブロードバンドからは考えられないほどの遅さ。電波の つながりにくい場所に住んでいるため、度々回線が切れ、切れるたびに最初から やり直しになり腹が立つ。ソフトの提供側も接続環境に配慮したサービスを してくれないかと思う。

■2007年6月12日(火曜日)
 昨日の練習は20m×3、50m×3、100m×2というメニューだった。 普段殆どやらないメニューで、かなり強度の高い練習だった。そのため昨日の 夜から、膝を曲げるだけで、ハムストリングスがつりそうになっていたので、 今日は激しい筋肉痛になっているだろうと予測していたが、朝は、全く筋肉痛は なく、意外と自分の体は丈夫だと思って喜んでいた。
 しかし、昼頃から、急激に痛み出し、夕方には、膝を伸ばすのが苦痛で、 歩くにも支障が出てきた。まだまだ明日に向かってどんどん痛みは増しそうな 気配がある。筋肉痛は運動して2日後からというのが当たり前の体になってきた。 そのうち、いつの運動の筋肉痛なのかわからなくなるほど、筋肉痛が遅れて やってくるようになるかもしれない。

■2007年6月11日(月曜日)
 コムスンの不正事件で、グッドウィルグループの折口会長がテレビ局を回り、 必死に謝罪している。現場の細かいことまでトップの人が把握しているかどうかは わからないが、トップの人は、責任を取るためにいる人なのだと思えてくる。
 折口会長は、陸上自衛隊少年工科学校から防衛大学校へ進み、高校と大学は 自衛隊の関係者だったこともあり、自分の先輩なので、その動向にはどうしても 注目したくなる。この事件が起こるまでは、社会的信用のある人というイメージだったが、 事件後は、一気にそういうイメージが崩れてしまった。その人本人は、何の 変化もないはずなのに周りの見方が全く変わってしまうというのが「信用」という ものなのだと思った。

■2007年6月10日(日曜日)
 午前中は激しい雷雨があり、雷はかなり近くで落ちていた。あまりの大音響のため 子供は雷の音が聞こえるたびに顔が引きつっていた。妻と2人で、雷さんは子供の おへそを取りに来るという冗談を言ったところ、子供はそれを本気にしてへそを 隠そうとしている姿がとてもかわいらしかった。
 自分は、休日に家の中にいるとどうしても眠くなり、昼寝をしたくなる。子供は 一緒に遊んで欲しいため寝かせないようにまとわりついてくるが、今日は、雷から 隠れるため一緒に布団に潜ることができ、気がつけば2人とも昼寝をしていた。 

■2007年6月9日(土曜日)
 手のひらを切ってしまい、傷口にバンドエイドを貼った。最近の バンドエイドは、伸縮性と耐水性にすぐれ、時間が経つと貼っている ことを忘れるほどのフィット感があり驚いた。本当にすばらしい。
   同じように見える商品も、実は機能は日々向上し、この向上が あるからこそ企業は生き延びていけるのだと思った。自分も日々成長しなければ・・・

■2007年6月8日(金曜日)
 最近、我が家の子供は、国旗に興味を持っている。幼稚園でもいくらか教えてくれる らしく、ブラジルの旗を見るとブラジルだと教えてくれる。
 風呂やリビングに国旗の描かれた地図が貼ってあるので、それを見るたびに、 子供は、この旗はどこの国かと聞き、少しずつ国を覚えている。それぞれ 貼ってある世界地図は、作成年月日が少しずれているので、同じ国でも国旗が 違う場合がある。ほんのわずかな時間差なのに国旗に違いがあるのには驚いた。 世界は、日々動いているのだと実感できる。風呂にある地図は、イラクに旗がなく、 どうして旗がないの?と聞かれ、返答に困った。子供の疑問というのは、 なかなか鋭い。

■2007年6月7日(木曜日)
 職員の学生舎研修があり、11年ぶりに学生の寮に寝泊まりした。研修は、 クラブ見学から始まり、その後夕食、点呼、学生との懇談などがあった。
 食堂での食事も11年ぶりだったが、中身はあまり変わっていないのには 驚いた。やっぱりあまりおいしいモノではなかった。
 学生舎では、1年生は、掃除や生活態度で叱られてばかりで、ひたすら「はい」と 返事をしているように見え、受け身の姿勢で生活せざるを得ない状況だった。 2年生が、1年生のミスを連帯責任という形で、反省を促すために腕立て伏せを やらせていたが、気分がどんどん落ち込むしかない負のサイクルが繰り返されて いるように見えた。1つくらい良かった点を指摘してやれば、1年生もやる気が 出てくるはずだが、学生たちはどうしても悪い点ばかりが目につくようだ。
 指導とは、叱ることだと勘違いしている学生が多いようなので、授業を通して、 指導は、褒めることだということを教育していきたい。

■2007年6月6日(水曜日)
 昨日、本屋で「3週間続ければ一生が変わる」という本を目にし、題名だけ しか見ていないがずっとその言葉が気になっている。
 一人暮らしをするようになってから、電気代がもったいないので、寝るときには、 冷蔵庫を除いて、電化製品の電源はコンセントを抜くことにしている。しかし、 たまに抜き忘れて寝てしまうことがある。その時には、大きな罪悪感がわき 上がってくる。
 車のシートベルトも、装着していないと普段と違う感覚にすぐ気がつく。
 新しいことを3週間続けるということはなかなか大変だが、それくらい 続けられれば、日常生活での行動の一部となっていて逆にやらないことが 不自然になってくる。いったん身に付いた行動は、逆に変えることが難しい。
 地球温暖化対策についても、何らかの行動を起こし、3週間くらい続けば、 その後も継続していけるようになるのではないだろうか。

■2007年6月5日(火曜日)
 新聞は、地球温暖化対策を推進する広告が多く見られた。地球温暖化対策推進本部 の広告には安倍総理が登場していた。多くの企業が広告に温暖化防止への取り組みを 掲げ、この運動に参加しないと企業の明日はないという雰囲気だった。企業が、利益の ことだけを追及すればよかった時代は終わってしまったようだ。
 地球温暖化対策には、温室効果ガスを多く排出している中国とアメリカが乗り 気でないので、これらの国が参加するように日本がリードしていく決意だと総理が コメントをしていたが、そうなることを望む。ついでに、核兵器保有国すべてに 核兵器を廃棄するよう言ってもらいたい。すでに持っている国が、持っていない国 に対し、今後は持たないようにというのは、どうもおかしい。すべての国が持た ないことがベストなのだと言い切って欲しい。

■2007年6月4日(月曜日)
 職場で自動車の速度違反の話をしていたところ、ある先生が、以前、高速道路で 制限速度が時速80kmだったところを時速95kmで走り、15kmの 速度超過で捕まったことがあるという話をしていた。そんなこともあるのかと驚いた。
 車の速度表示は、以前乗っていた軽自動車でも時速140kmまであった。 今乗っている車は時速180kmまで表示されている。なんでこんなに速度超過して しまうような速度まで出せるようになっているのだろう?高速道路で、上り坂になり、 速度が維持できなくなることを考えても時速120kmくらいまでの余裕があれば、 たぶん法定速度は維持できるはず。
 企業が制限を加えるか、ドライバーが自分たちの良心でルールを守るかという ところだが、ドライバーがルールを守った場合、逆にルールを守った側が流れに 乗れず迷惑ドライバーとなる可能性が高い。警察が速度超過で収入を得るために 企業には、何も言わないのかもしれない。この速度表示には、きっと複雑な 事情があるのだと思う。

■2007年6月3日(日曜日)
 妻と子供は、近所の友達と米軍基地のお祭りへ行くというので、基地のの入り口まで 送りに行き、自分は、家に帰り、テレビをつけながら洗濯を干しているうちに、 だらだらとテレビをみることになってしまった。
 午後から、「僕たちの戦争」というドラマが放送されていた。フリーターがサーフィンで 波にのまれ、一方、戦時中に飛行機のパイロットとして訓練を受けていた兵士が、海に 墜落し、この2人が入れ替わってしまうという内容。戦争の時代に生きた兵士が、 いきなり平成の世を目の当たりにして、見るモノすべてが信じられず、将来が こんな風になるとは思っていなかったというショックを受けていた。
 多くの犠牲のもとに今の世が成り立っているが、犠牲になった人たちの望んだ 世になったのだろうかか?と考えてみると、おそらく望んだ世にはなっていない だろうという結論になる。モノは豊かになったのかもしれないが、精神的に 満たされる人が少なく、自ら死を選ぶ人が後を絶たない。政治は、いろいろと お金の問題に振り回され、選挙の人気取りのための政治をしているように見える。 いろいろと考えているうちに、戦争の犠牲になった人たちに対して、なんだか 申し訳ないという気持ちになってしまった。

■2007年6月2日(土曜日)
 10日ぶりくらいのトラック練習。学生と300m×4を2セット行った。 休息は、100mのジョギングでトータルが1500mになっているので、 トータルタイムも気にしながら走った。
 45秒くらいで4本走れれば上出来だと思って走り始めたが、45秒で走れたのは 1本目だけで2本目以降は46秒台となってしまった。2セット目は1本目を 43秒台で入ったが2本目で48秒台に落ち、その後は46秒台でまとめた。 トータルタイムは4分35秒台と4分34秒台。週に1,2度しか走っていない 状況なので、こんなものなのだろう。
 練習後は、痛めていた左膝裏がさらに痛くなった。長い付き合いになりそうだ・・・

■2007年6月1日(金曜日)
 職場で実験を予定している先生を中心とした研究会があり、参加した先生たちに よる実験計画の話し合いが行われた。それぞれの先生が専門とするところが違うため、 話のわかるものとわからないものがあったが、いろんな分野の先生が集まると アイデアは、どんどん広がっていく。しかし、広げすぎると本来の目的が なんだったかわからなくなってくる。話は尽きないが、どこかで妥協し、ここまでは やってみようという線引きをしなければならない。論文の中身もこの決断により 大きく左右される。実験計画を立てるというのは、本当に神経を使う作業だと思った。



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