最近のいずみ

Last Update:2007/8/31

パートタイムアスリートいずみ 7年目に突入!! 


■2007年8月31日(金曜日)
 男子4×100mリレーの予選の日本チームの走りに大興奮した。予選は 3着だったが、10年ぶりに日本新記録を樹立した。3走の中盤では アメリカとジャマイカを従えて先頭を走っていた。ジャマイカの4走は、 さすがに世界記録保持者なので先頭に立った後、後半は流す余裕があったが、 日本も、バトンパスでつまっていたので、まだ改善できるところはある。
 明日は決勝。完璧なバトンパスで、アメリカ、ジャマイカに続いて欲しい。

■2007年8月30日(木曜日)
 世界選手権男子800m予選は、横田くん(慶応大)が日本代表として 出場した。前半は集団の前の方でレースを展開し、中盤は後方に下がったが、 残り200mからは、しっかりと粘り、先頭から10m程度の差でゴールした。 1分47秒16で自己ベストを1秒以上上回るすばらしいタイムだった。 日本記録まで約1秒。日本記録を突破しても予選突破の可能性は低いかも しれないが、これがきっかけとなり来年のオリンピックでは予選を突破して もらいたい。
 女子400mハードルでは、オーストラリアのローリンソン選手が 優勝した。彼女はなんと出産後8ヶ月での優勝だった。妊娠中の運動は かなり制限されていただろうし、出産後もすぐには運動はできなかった ことを考えると、ライバルたちとは練習量が格段に少なかったはず。 それでも世界チャンピオンになれるというのがすごい。世界選手権代表 選考会が日本では6月にあったが、オーストラリアではいつあったのだろう? 日本と同じ頃だったとすれば、出産後半年で競技に完全復帰している ことになる。ケガで練習ができず、自分の力を発揮できないなんて 言っている場合ではない。やる気になれば、きちんと結果は残せるのだ ということを証明したレースだった。

■2007年8月29日(水曜日)
 次男が誕生して以来、長男が急に親の言うことを聞かなくなった。 ひどいときは無視することもある。言い聞かせようと何度も言えば 言うほど悪循環・・・。腹が立ってきて、怒鳴ると泣き出しさらに ややこしいことになる・・・。今まで独り占めしていた両親を 独り占めできなくなったという心理が働いているのだろうか?
 最近の口癖は「何で?」。何を言っても「何で?」と返ってくるので 困る。答えられる範囲では答えるが、「何で」を説明しているのに 「何で?」が返ってくる。子供の発達段階で必ず通る道なのだから 仕方ないが、だんだん疲れてきた。子育ては難しい・・・。

■2007年8月28日(火曜日)
 昨日発足した内閣の農水大臣は、誰もがやりたくないポストだったらしく、 いろいろとたらい回しされた後に、今回の遠藤大臣に決まったという。 遠藤大臣も、「農水だけは嫌だった。本当に嫌だった。ここだけは 行きたくないと思っていた」と愚痴った。
 嫌々大臣を引き受ける人がいるというのに驚いたが、それをわざわざ 口に出して言うということにも驚いた。上司が嫌々仕事をしていたら、 部下もやる気がそがれるような気がするが・・・農水大臣の下で働く 人たちの気持ちはどうなのだろう?

■2007年8月27日(月曜日)
 内閣改造が行われ、新しい内閣が発足し、防衛大臣は、2ヶ月で 交替することになった。小池前大臣は、ついこの間アメリカへ行ってきた ばかり。国外からみればどうでもよい問題で大臣をやめることになり、 国外からの信用が低下することはないのだろうか?
 野党は、新しく内閣が発足するたびに内閣に名前を付けている。 前回はお友達内閣と名付けられていたが、今回は何内閣となるのだろう? 首相の再チャレンジという言葉から、再チャレンジ内閣というのはどうか?  テレビを見ていると、政府与党の政策に野党がケチをつけるばかりなので、 与党と野党という枠を超えて内閣を組んでみたらどうかと思う。
 陸上の世界選手権は、男子ハンマー投げの決勝があった。これほど 80m台が連発する大会を見るのは初めてで、特に優勝したティホン選手の 逆転の投擲はすばらしかった。また、男子10000m決勝のベケレ選手の スパートにも驚いた。どの選手も最後まで諦めない気持ちが優勝をもたらす 原動力になっているように見えた。

■2007年8月26日(日曜日)
 長男を妻の実家に預けていたので、迎えに行き、やっと家族4人で生活 できるようになった。長男は、弟の前ではなんでも頑張りたいようで、 普段親の手を借りながら食事をしているが、今日からは一人で食べると 言い出してみたり、今まで親が一緒に寝ないと寝られなかったのに、 今日からは一人で寝ると言ってみたりしていた。しかし、急に変化する わけもなく、結局親が助けることになった。寝るときには、一人で 床に入ったが、1時間半ほど寝られず、結局泣きついてきた。まだまだ、 3歳児は赤ん坊に近い。

■2007年8月25日(土曜日)
 陸上の世界選手権が始まった。マラソンでは、日本勢は5,6,7位となり、 最初の種目でのメダル獲得はならなかったが、5位の尾方さんの3〜4位争いは 見応えがあり、すばらしかった。
 学生の午前の練習直後に男子1500mがあり、学生たちと一緒に観戦した。 小林くんがなんとかプラスで拾われ準決勝に進出できたことがとてもうれしかった。 ラスト300mからのペースアップで、40秒を切られてしまうと、どうすることも できない。その時のベストを尽くすしかタイムを伸ばす方法はなく、今の日本の 中距離のレベルでは、かなり厳しいことを再認識させられた。普段学生たちに ラスト300mからのペースアップを強調していて、今回のレースで、強調している ところが映像として学生たちも確認できたのではないかと思う。

■2007年8月24日(金曜日)


寝てます
 妻と赤ん坊が退院した。今日からは、我が家だけですべてを対処しなければ ならない。今日はさっそく沐浴をした。足をお湯に浸すと泣き出したが、 全身を湯に入れてジッとしていたら寝てしまった。羊水の中にいたときと 同じような感覚だったのだろうか?
 ついこの間までへそを通して呼吸したり栄養を摂っていたのに、お腹から 出てきた直後から、口をしっかり閉じて鼻で呼吸し、口から栄養を摂っている。 この素早い切り替えはどのような仕組みでできているのだろう? 本当にうまくできている。

■2007年8月23日(木曜日)


手はなかなか大きいです
 今日から通常勤務となり、学生たちも授業が始まった。授業では、 まだ、夏休みの気分が抜けない学生が多いためか、なんとなくダラ〜ッと した感じがあって困った。
 クラブも通常通り始まり、久しぶりに会った中距離パートの学生たちは、 「生まれましたか?」と聞いてくれ、出産に立ち会ったことなどについて 話をすることができた。学生たちが、我が家の出産予定日を覚えていてくれた ことがとてもうれしかった。

■2007年8月22日(水曜日)


抜かれた親知らず
 歯医者へ行き、先週1週間歯茎が腫れて、かなり痛かったことを話したところ、 親知らずを抜いた方がいいということになり、いきなり親知らずを抜くことに なった。予定では、歯のかみ合わせなどの調整をすることになっていたのに、 心の準備もなく、始まってしまった。
 麻酔をして、10分くらいで、ペンチの様な物で、ゴリゴリ歯を動かされ、 30秒程度であっさり抜けた。こんなに簡単に抜けるものなのかと驚いた。 一度抜かれてしまった歯は二度と戻らない。本当にこれで良かったのだろうか? と思いながら、とても立派な歯と対面した。
 抜かれた歯のあった場所は、鼻腔とそれほど離れていないので、強く鼻をかむと 鼻腔とつながってしまう可能性があるので、1週間は穏やかに過ごすように言われた。 麻酔が切れた後も、それほど痛みはなく安心したが、ずっと口の中は血の味がして、 食事も食べづらかった。関東選手権後、練習を全くしていないが、あと1週間 ほどは、その状態が続きそうだ。

■2007年8月21日(火曜日)


赤ん坊の足
 医務室へ行き、8月10日に撮影したMRIの結果について医官から 説明を受けた。半月板後方に炎症らしきものが見えること、後十字靱帯の たわみがあることなどが、痛みに関わっている可能性があるが、直ちに 対処しなければならない事項はなく、このまま様子を見ていき、もし それでも痛みが続くのであれば、注射を考えなければならないという ことだった。
 見た目は異常ないと言われるのかと思っていたので、この結果は意外で、 後十字靱帯は確かにテンションが保たれずたわんでいるように見えたので、 少し不安になった。しかし、今回の撮影は患側のみの撮影だったので、 健側の撮影も行い比較ができたらよりよかった。

■2007年8月20日(月曜日)


ようこそ我が家へ



家族が一人増えました
 17時12分に次男が誕生した。今回は、子供と共に立ち会い出産ができた。 男は、出産に立ち会うと、気分が悪くなると聞いていたが、そんなことはなく、 自分は、うちわで妻に風を送り続け、子供は、母の脚が閉じないように膝を 押さえながら、出産をずっと見ていた。妻は、自分の体と対話しながら、体の 中の変化を感じ取っていた。妻が、「あっ破水」と発言したところ、子供は、 「えっ暑い?」と妻に聞き返し、緊迫した雰囲気がとても和んだ。子供も 必死に母の言動に注目しているのだと思った。
 破水後30分で出産し、無事に赤ん坊が出てきた。頭が出るまでは、 かなり大変だったが、頭が出てしまった後の体はつるっと出てきて驚いた。 へその緒は、太くて白くホースと言った方がいいくらいしっかりしていて、 助産師さんが必死に切ろうとしていたがなかなか切ることができず、 医師から早く切るように催促されていた。こんなホースでつながれ栄養を 摂っていたのに、生まれた瞬間からは、栄養を口から摂るようになって しまうというのが本当に不思議だった。
 身長49cm、体重3220g。長男が生まれたときよりちょっと身長が低く ちょっと体重は重かった。久しぶりに生まれたての赤ん坊を初めて抱くことが できた。とても小さく、脚は筋肉がなくとても細く頼りない生き物だと思った。

■2007年8月19日(日曜日)


短距離跳躍合宿5日目
 この1週間、「白い恋人」で有名な石屋製菓が賞味期限改ざんや、大腸菌群の 検出にもかかわらず消費者への公表をしていなかったなどして、社長が辞任を表明 した。
 ついこの間ミートホープの事件があったばかりで、また同じようなことが起きる ということは、この業界では、どこの企業でもある程度不正には目をつぶっている のか?と思えてしまう。以前雪印が問題になり、企業の信用を一気に失ったことが あったが、それを見ても周りの企業は何とも思わなかったということなのだろう。 なんとなく北海道の企業ばかりがやり玉にあがっているが、北海道特有の何かが あるのだろうか?

■2007年8月18日(土曜日)
 関東選手権2日目。800mに出場した。左の大腿二頭筋と右の大腿直筋は、 昨日より痛みを増し、ウォーミングアップが終わった時点では、歩くだけで 痛みがあり、走れる状況ではなく、棄権するかどうか迷う状態まで来ていた。
 結局スタートラインには立ち、スタートしてみたが、何となく走っている だけで、あまりレースには集中していなかった。1周目は58秒台で、2,3番手 について走っていたが、600m通過ごろからペースダウンし、最後は、全員に 抜かれて8位でフィニッシュした。タイムは、1分57秒02。
 今日は、完走しただけで十分だったと思うしかない。

■2007年8月17日(金曜日)
 関東選手権初日。1500mに出場した。ランニング時の膝内側の痛みは 少し緩和したが、左の大腿二頭筋と右の大腿直筋が切れそうなくらいの痛みがあり、 ウォーミングアップでそれらの痛みが増してしまった。
 あまり良い状態ではスタートラインには立てなかったが、先月の県選手権以来 殆ど走っていなかったことを考えれば、出場できただけで奇跡に近かった。
 スタートから体が重く、ペースも遅かったためリズムも悪かった。1周目は64秒台、 2周目は65秒台とスローペースだったが、常に2,3番手につきながら、ラスト 1周まではなんとか走れていたが、そこから、体が動かなくなり、途中でやめたく なってしまった。残り1周は、体育学校の後輩もペースダウンしていたので、自分の ことはどうでもよくなり、後輩の名前を叫び、応援しながら走った。最後の直線は、 大失速し、ゴールは8着。タイムは4分08秒87。
 関東選手権で初めての予選落ち。練習で50mしか走っていなかったのだから、 当然の結果。明日は、最低でも決勝には残りたい。

■2007年8月16日(木曜日)


短距離合宿2日目
 多治見と熊谷で40.9度という日本の観測史上最高気温を記録した。 毎晩暑くて、なかなか眠れず、朝も暑さで目覚めることが多い。
 今日は熱中症で10名が亡くなり、そのうち8名がお年寄りで、 寝ている間に熱中症でなった人もいた。中学生がクラブ活動中に 熱中症で亡くなる事故もあった。我が校も多くのクラブが合宿中だが、 監督している自分たちは、とても大きな責任があることを改めて 認識した。
 北極海の氷は過去最小になり、予測よりも氷の減少ペースが速く、 30〜40年後には北極の氷が消滅してしまう可能性があるらしい。 自分たちが定年になるころには、地球はどうなってしまうのだろう? 大地震はいつ起きるのか?年金は本当にもらえるのか?など、 最近は、気になる話題が多い。

■2007年8月15日(水曜日)


短距離合宿初日
 8月になるとテレビでは戦争に関連した番組が多く、そういった番組を見るたびに 戦争の悲惨さを思い知らされる。戦争は、関わった人がすべて悲しい思いをし、何も 解決できないと多くの人がわかっているのに世の中から排除できない。
 イラクでは、200人以上が亡くなるテロが発生した。アメリカは、イラクで 軍事作戦を相変わらず遂行しているが、派兵されている兵士たちは、どういう思いで 毎日戦っているのだろう?戦闘状態に入ったら、ただ自分が生きるだけに戦い、 国の威信などどうでもよくなるのではないだろうか? 

■2007年8月14日(火曜日)
 NHKで「パール判事は何を問いかけたのか」というタイトルの番組があった。 東京裁判は、戦勝国が裁く裁判というイメージが強く、判決は最初から決まって いて、決められたシナリオ通り進んでいったものだと思っていたが、判事団の 意見が大きく別れ、判決が導き出せない可能性まであったという事実に驚いた。 「平和に対する罪」という現在もはっきりと定義されていない罪で、日本は 裁かれていた。何が正義なのか?何が正しいのか?はっきりと言い切ることは できないと思った。

■2007年8月13日(月曜日)
 1000m程度の上り坂のダッシュを3本行った。1本目は、やっぱり痛みが 発生し、長い距離を走るのは無理かと思ったが、2本目以降は、痛みがなくなり、 スピードも上げられた。しかし、2本目からは、途中で吐き気を催し、とても 辛いランニングとなった。また、練習強度は、中距離のスピードには対応していないが、 週末までにはなんとかなるのではないかと思えてきた。

■2007年8月12日(日曜日)
 練習を再開して1週間。トラックで走った3日間は、ずっと50m×4を5セット だった。1セット目は、必ず痛みがあり、やっぱり800mは走れないのか?と 思いながら走っているが、2セット目以降は、なぜか痛みはなくなり、走っている 瞬間だけは、痛みから解放されるが、ゴール後痛みが出てくる。
 コーナーでのダッシュもなんとかできたので、300mを8割程度で走ってみた。 痛みは全くなく、意外にしっかりと進み気持ちよくゴールできた。タイムは40秒9。 43秒程度で走るつもりだったので、予想していたよりもよく走れた。回復へ 一歩一歩近づいてきている。  

■2007年8月11日(土曜日)


フットケアラボ



右がオーダーメイド
 横浜にあるフットケアラボというお店へ行ってきた。ここでは、靴底に入れる 中敷きを販売している。
 最初に歩行をすることで、踵骨の動きを中心にしたチェックがあった。自分の足は、 関節がすべて柔らかく、歩くたびに踵骨が動き、足のアーチが潰れてしまう傾向が あるらしい。そのため、中敷きは柔らかいものよりも硬いものの方が自分には合っている と説明された。また、接地時に左膝が少し内側へねじれる傾向があり、膝の痛みに 関連している可能性もあるということだった。昔から小指が曲がっているのが気に なっていたが、足の接地の度にアーチが潰れることでできあがったことがわかり、 長年の疑問が解決した。
 いろいろと話を聞いてみた結果、スパイクとランニングシューズに中敷きを 入れることにし、ランニングシューズ用の中敷きはオーダーメイドにした。 オーダーメイド用の中敷きは、荷重のかからない状態で熱を加えた中敷きを 足の裏に貼り、ビニール袋で包み空気を抜き、真空状態にして形を作った。多くの 中敷きメーカーでは、立位姿勢での型どりを行っているが、それではアーチが 潰れた状態での形となっているということだった。今回の中敷きは、アメリカの 足病医がデザインしていて、医療現場で使われ成果を出しているそうで、店の 人も自信を持っていた。アメリカの足病医は、中敷きで外反母趾や糖尿病の治療を 行っていることもあるらしい。
 靴は、踵をしっかりとサポートする固さを保持し、足の指が曲がるポイントで 靴も曲げられるものがよいなど、最後に最適な靴の選び方を教えてもらった。 久しぶりに大学院の授業のように引き込まれる話だった。

■2007年8月10日(金曜日)
 膝の痛みは、まだ残っているが、以前ほど辛い痛みではなくなってきた。 大津接骨院では、頭の中の切り替えができれば痛みはなくなると言われた。実際に 動いたときに痛みが出ると、なかなか切り替えはできないが、痛みを忘れて 走るしかないのだろう。
 先生からは、本気で自己ベストを出すつもりでやり、アナトミーはどうでも いいから、キネシオロジーをよく勉強しなさいと言われた。アスレティック トレーナー資格取得のために解剖の本を読んでいるが、否定されて困った。 キネシオロジーは、動作解析に関連した学問だが、最近日本ではあまり 使われていない言葉だった様な気がする。少し調べてみなければならない。

■2007年8月9日(木曜日)


今朝の富士山
 長崎は62回目の原爆の日だった。一瞬にして7万人以上の命が奪われ、 62年経った今日までに被爆で亡くなった人が14万人以上となっている。 放射線がもたらした被害の全容は未だ解明されず、被害者は原爆の恐怖と今も 戦い続けている。
 NHKでは、原爆症の認定を求め、裁判で争っている原告団を追ったドキュメントが 放映されていた。被爆と病との関連が未だにはっきりしないのが現状らしく、 どこからどこまでが原爆症で原爆症ではないのかとうことがはっきりしていない。 原告の人たちは、発病以来、病に苦しんできた理由をずっと探し続け、答えが 出せないままでいる。
 被爆により今も苦しんでいる人が大勢いるという事実がどのくらい、国外に 知られているのだろうか?この被害を訴えられるのは日本人しかいないのだから、 学校教育でもきちんと教え、日本人なら誰もが、原爆の被害を世界に訴えられる ようにしなければならないと思った。

■2007年8月8日(水曜日)
 また大津接骨院へ行き、左手の甲を刺され痛い思いをした。先生からは、 アイシングは絶対にするなと指示が出たので、今までは、常にやっていたことを 話すと、本当に炎症が起きているのを確認したのか?と強い口調で攻められてしまった。 炎症が本当に起きているかどうかわからないが、今までに学んできた知識からは、 それが最善の策だと考えていることを話すと、実際にどうなっているか確認できて いないのに、それを信じるのはおかしく、常識やマニュアルにとらわれるなと 言われた。それ以上は、反論できなかった。これからは、常識を疑い、自分で 確認できる事実を常識とするようにしなければならないのか・・・?
 昨日の練習で、下半身はかなりの筋肉痛になった。ずっと走っていなかったのに、 いきなり全力で走ったのだから、当然と言えば当然。しかし試合までに時間がない。 今日も、昨日同様のメニューで、痛みと相談しながらの全力走をした。昨日よりも さらに無痛で走れる本数は増え、後半は、力感なく、スムーズに走れるような感覚も 出てきた。筋肉痛の中走っているので、実際にスピードが出ているかどうかは、よく わからないが、昨日よりは良くなっている気がする。
 最後のセットは、トラックのコーナーを使いながら走ってみたが、左足の 母指球をうまく接地できない感じで、なんとなく痛みが残り、まだコーナー走を 行うレベルにはなかった。コーナーが走れなければ、レースには出場できない。 この課題が突破できれば、なんとかスタートラインに立てそうだ。

■2007年8月7日(火曜日)
 昨日、大津接骨院で言われたことに注意しながら、久しぶりにトラックで全力走を 行った。メニューは50m×4を5セット。全力で走るのは、先月の試合以来 1ヶ月ぶり。初めは、痛みがあったが、何度も注意されたことを意識して 走っているうちに、無痛で走れるようになり、後半2セットは、ほぼ痛みなく 走ることができた。全力で走っているつもりだが、ピッチがあまり上がらず、 自分の意識と動作が今ひとつかみ合っていなかった。
 メニュー終了後、ジョッグをしたが、久しぶりに地面の反発を感じながらの ジョッグができ、自然とジョッグのスピードが上がり、気持ちよく走れた。 10日後のレースには、なんとか間に合わせたい。



横須賀の町と富士山

■2007年8月6日(月曜日)


投擲合宿最終日
 膝の内側から裏にかけての痛みが改善せず、以前知り合いから紹介されていた 大津接骨院という所へ行った。
 先生は、筋肉の付き方を見るだけで、その人の体の使い方がわかるらしく、 症状を聞き、体を触ることなく、体の使い方の特徴と改善法について話を始めた。 その後、ペンの様なもので、左手の甲を探るようにしながら、何カ所も刺し、 その度にいや〜な鈍い痛みが走った。刺した場所には、丸い小さな玉のついた テープを貼り付け、それらの刺激による痛みのためか、膝の痛みは軽減した。 そして、外の道路で全力で走るよう言われ、先生が見守る中、20mくらいの 全力往復走を2,3度した。当然痛みがあり、左脚で支えるのがとても辛かった。 先生は、その走りを見て、最初に話をした体の使い方について指摘し、改善法を 守って走るよう指示した。それに従い、ちょっとした意識を変えただけで、 その後のダッシュでは痛みが大きく軽減した。うまくいくと無痛で走れ、 さらに体がうまくスピードに乗せられている瞬間まであって驚いた。
 この3ヶ月間、痛みがほとんど改善せず、全力で走ったのは、レースだけ だったので、今日の出来事は、大きなターニングポイントとなりそうだ。

■2007年8月5日(日曜日)


投擲合宿
 疲労骨折の診断で、巡業を休み、モンゴルでサッカーをし、相撲協会から処分を 受けた朝青龍は、精神的に不安定でまともに会話ができず、うつ病の一歩手前という 診断が出た。普段とても強気で、誰から何を言われようとも動じないイメージの あった大人物でも、うつになる可能性があるということに驚いた。しかし、常に 世間から注目され、プレッシャーのかかる環境にさらされていることを考えると、 いつうつになってもおかしくないとも言える。行き先を制限される謹慎という 処分は、相当なストレスなのだろう。症状だけを聞くと、たった数日で人は 全く別人になってしまうことが証明されたと言えるくらいの変わり様。これは、 誰もが同じような状況になる可能性があるのだから、人ごとではない。

■2007年8月4日(土曜日)


夕涼み会



初花火
 夕方から子供の幼稚園で夕涼み会というイベントがあった。会の最後に 子供たちは、やぐらの周りに並び、練習してきた踊りを音楽に合わせて踊り、 ご褒美として花火をもらった。
 今日は、たまたま幼稚園が一緒の家族と花火をする約束をしていて、 花火を買っていたのに、さらに花火をもらってしまい、子供はやる気満々 になってしまった。
 子供は自分で火をつけて花火をするのは初めてだった。花火と言えば、 花火大会でみるような花火をイメージしているため、もらった花火も上に 向けるものだと思っていたようだ。火をつけた後、「上にするの?」と 言いながら、花火を上に上げようとしたので、あわてて下に下ろさせた。 人に花火を向けると危ないということも知らないため、花火を人に見せようと したり、周りに人がいることを気にすることなく、花火を人に向けようと していて何度か注意したが、初めてなのでたぶん訳がわかっていない。 少しずつ、周りに注意することを教えていかなければならない。

■2007年8月3日(金曜日)
 陸上部の学生が肺炎で一昨日入院したので、見舞いに行った。昨日お見舞いに 行った学生から、彼はすでに元気ですぐに退院したいと言っていたようなので、 特に心配はなかった。
 実際に会ってみると、病人には見えないくらい元気だった。携帯電話やゲーム機が 使用禁止になっているので、暇で仕方ないと愚痴っていたので、この機会に 本を読むように勧めたが、あまり前向きな答えは返ってこなかった。
 彼は入院して3日目になるが、責任者の署名と印鑑がないと入院届が出せない というとこで、入院届を出せずにいたが、自分が印鑑を押すことで、やっと 入院届を出すことができた。すでに入院しているのに、入院届が受理されていない・・・ よくわからないシステムだ。

■2007年8月2日(木曜日)
 機械システム工学の先生が中心となり、測定機器の業者を集めて器材の デモをしてもらった。今回は高速度カメラと足圧を測る装置。うちの職場にも 高速度カメラはあるが、最新のカメラは、小型で、コンパクトデジカメとそれほど 大きさがかわらず、小型のノートパソコンがあれば、撮影ができる。今までは、 一人では持ち歩けない大荷物だったのが、手軽に持ち運べ、すぐに撮影ができてしまう。 いろんな物がどんどん小型化、高性能化している。仕組みが複雑すぎて、中身に ついて知ることは、不可能になってきた。修理して使うよりも新しい物を買った ほうが安くなる場合も多く、物を大事にしていると、時の流れに取り残されて しまうのではないかと思えてきた。



中・長・投擲パート

■2007年8月1日(水曜日)
 赤城農水大臣が更迭された。首相から更迭される前に辞表を出したということで、 本人は辞任という形にしたようだが、そんなのは、どうでもいいような気がする。 領収書問題をはっきりせず、その責任をとって辞任したというよりも党に迷惑をかけた ということで辞任したように見える。とにかく本人が大臣にふさわしくないとの 判断でやめたのだから仕方ないが、農水省の人たちは、トップの人がこんなに頻繁に 替わることで仕事への影響はないのだろうか?
 防衛省では、内閣総理大臣、防衛大臣、防衛事務次官などの顔写真入りのポスターが、 人が替わるたびに新しくなっているが、いちいち作り替えなければならない。本来は 必要のないところでお金を使うようになる。
 トップが替われば、方針も変わる可能性もあり、大臣と省内の人の関係は初めから 作り直しになるし、相当な手間がかかるはず。大臣が頻繁に替わっても、影響が ないように見えるのは、官僚がしっかりしているということなのだろう。



[昔のいずみ]