最近のいずみ

Last Update:2007/9/30

パートタイムアスリートいずみ 7年目に突入!! 


■2007年9月30日(日曜日)


走水神社にて
 自分の両親も妻の両親も集合し、走水神社へ次男のお宮参りへ行った。 雨も風も強く、最悪の天候だった。初詣や祭りで神社へ来ることはあったが、 建物の中には入ったことがなかった。
 建物の中には、たくさんの額が掲げられ、海軍や海上自衛隊に関係する写真が 多かった。日本武尊と弟橘媛が祀られているだけでも歴史を感じ、 社務所には走水神社を訪れた東郷平八郎や乃木希典の写真が飾られていて、 明治時代には特に大事にされた神社だったことを知った。
 神主さんによる儀式は、順調に進む中、後半、長男が突然帰りたいと言い出し、 困った。妻は、必死に説得し、とどまらせたが、本当に気分を悪くした長男を なだめるのは難しく、両親たちも笑うしかないという感じだった。

■2007年9月29日(土曜日)


次男をあやす父
 明日は次男のお宮参りをすることとなっているため、両親がまた我が家へ やってきた。火曜日まで岡崎にいたので、子供もまた祖父母に会うことが でき大喜びだった。
 次男の出産をきっかけに長男がなかなか親の言うことを聞かなくなり、 特に食事の時に自分も妻も大きなストレスを抱えていることを両親も 理解してくれていたため、長男の食事は両親が面倒を見てくれた。次男が 生まれてから、長男は、食事中に遊びだしたり、自分で食べられず人から 食べさせてもらいたがったりするのだが、今日も同じようにそれを実行し、 祖父母も我慢強く対応していたが相当ストレスをためていたようだ。

■2007年9月28日(金曜日)
 午前1時頃に近所で火事があった。みんなが寝静まっている時間なので、 消防車のサイレンは、かなり大きく聞こえた。火事は、官舎に 続いて並んでいる県営の団地の方からだった。深夜にもかかわらず、 野次馬が次々と団地の玄関を出ていく姿が見えた。自分は、直接見に 行かなかったが、風向きの関係で黒い煙が我が家にも次々と入り、 焦げ付いたニオイが充満した。
 火事は、県営住宅の駐輪場で起こったことが官舎の回覧でわかった。 しかも放火の可能性が高く、常習性の高い犯罪なので、近隣に おいて繰り返される恐れがあるとの注意が記されていた。
 9月の初旬にも、近所の釣り船のお店が火事となり、通勤時に 通勤経路で起こったため、迂回させられた。最近、頻繁に煙に 遭遇している気がする。放火は勘弁して頂きたい。

■2007年9月27日(木曜日)
 職場で自衛官の体力測定が行われた。昨年から航空自衛隊は、 体力測定の種目が変更となり、40歳未満の隊員は2分間の腕立て伏せ、 腹筋、3000m走の体力測定Tと、ソフトボール投げ、走り幅跳び、懸垂の 体力測定Uという6種目をすることとなった。
 体力測定Tについては、腕立てが73回、腹筋が71回、3000mが 9分52秒となり、30〜34歳の1級基準を突破できた。
 体力測定Uの3種目につては、走り幅跳びは膝の痛みもあり、 スピードを上げて走りきれないため9歩の助走で5m20cmを跳び、 1級基準の5m10cm突破できたが、ソフトボール投げが57mとなり、 1級基準の60mに到達できなかった。最後に行った懸垂は17回で 終了し1級基準に到達させた。
 ソフトボール投げが思っていたよりも飛ばせず、ショックが大きかった。 普段全くやっていない運動なので力の加減がわからず、リリース時のスピードが まだまだ上げられそうな気がした。ソフトボールを除いた5種目は、ある程度 余裕を持ってできたので、次回はもう少し上の記録を意識してやってみたい。

■2007年9月26日(水曜日)
 大相撲の時津風部屋で、稽古中に17歳の力士が死亡し、死因がいじめだった という可能性があり、問題となっている。相撲部屋の稽古というと、親方が 竹刀を振り回し、力士は、フラフラになりながら、なんとか稽古を続けている というイメージが強く、いじめとは紙一重のような気もして、あまり良い印象は ない。稽古をさせる側が、紙一重の部分をしっかりと認識して、うまく指導 できていなければ、稽古する側は、ただいじめられてやらされているだけに なってしまう。これは、それぞれの部屋次第なのだろうが、親方は自分が されてきたことがすべての経験で、それを元に弟子たちにも指導をすることから、 今回の件がいじめであれば、当然伝統的になされていたことと思われても 仕方なくなる。朝青龍の問題がやっと静かになったと思ったら、新しい問題が 浮上し、理事長の不機嫌な顔ばかりがテレビに映され、それを見る側も 気分が良くない。大相撲は、新弟子が少ないこの時期に、さらに新弟子が入りづらい 環境が次々とできあがってきている。 

■2007年9月25日(火曜日)
 中学3年生がおので就寝中の自分の父親を殺害しようとする事件が起きた。 中日新聞の記事では、専門家が学力重視に偏る教育が原因だと述べていた。  先週は、16歳の娘がおので父親を殺害する事件が起き、これも父親が 就寝中に襲われている。ニュースの報道が、今回の事件を起こすきっかけに なっているのではないかとも思えるが、最大の原因は、子供をそのように 育ててしまった親にあったのではないかと思えてくる。
 日本は少子化のため、自分の兄弟を持たない一人っ子が多くなっているため、 赤ん坊を間近で見る機会が少なく、小さい者や弱い者をいたわる気持ちが 育まれていないために、凶悪な事件が続くのではないかと、以前ラジオで 聞いたことがあった。それと関係があるのかどうかはわからないが、今回の 2つの事件は、次男と次女が起こしている。  我が家も次男が誕生し長男が急に親の話を無視するなど、自分たち親が 腹をたてることが多くなっている。親はいつも怒ってばかりで長男に とってもおもしろくないことばかりかもしれない。両親から長男をうまく 育てないと後で、凶悪事件を起こすようなことになるから、できるだけ 褒めろと言われた。そういわれてもこちらの言ってことを無視され、 何度言っても変わらず、なかなか褒められない。子育ては難しい。

■2007年9月24日(月曜日)


父が山で取ってきた毒キノコ
 左膝内側が痛くなって5ヶ月経つが、痛みは継続しているため、 解決策を求め小牧のゴールドフレックスへ行った。
 電気で、腸腰筋、足底、小臀筋、腰方形筋などを刺激して、 それぞれの筋の緊張を緩和してもらった。その場で膝の痛みは 緩和し、下半身の関節の動きはかなり良くなった。
 しかし、明日は、横須賀へ帰るため長時間のドライブが 待っている。そのドライブを乗り越え、痛みが緩和したままで あればいいが、どうなることやら・・・ 

■2007年9月23日(日曜日)


祖母や叔母たちと
 祖母と叔母の家へ子供たちを見せに行った。祖母は80歳を過ぎ、 ますます体が小さくなっていく感じがしたが、祖母は、孫の自分を 見て「また体が大きくなった?」と聞いてきた。こちらの体の 大きさは、高校以来ほとんど変わっていないので、相対的に 祖母の体が縮んできているのだろう。祖母には年に1回会うかどうか。 会うたびに同じことを聞かれているような気がする。 

■2007年9月22日(土曜日)


800m決勝



3位入賞の田口くん



通算10回出場表彰



表彰後(田口くんと)
 岐阜メモリアルセンター長良川競技場で行われた全日本実業団に800m で出場した。大学卒業以来11年連続の出場。最近は、標準記録が突破できるか どうか、不安になりながら1年1年を過ごしているが、今年もこの大会の スタートラインに立つことができ、うれしく思う。
 今年は、決勝進出が4組1着プラス4ということで、タイム次第では 5着でも決勝へ進出できるという力のない者にもチャンスのある予選だった。
 練習をしっかりと積んでいれば、積極的に先頭に出てタイムを狙っていく ところだが、ほとんど練習できず、試合だけ出場しているため、ただついて 行けるところまでついていって、我慢するという選択肢しかなかった。
 スタートから堤(アコム)、森(体育学校)、東原(倉敷鷲羽高教)の 順に並び、自分は4番手になった。先頭が1周目を56秒台で通過し、 自分は57秒台で通過。残り300mになってもあまりペースは上がらず、 タイムを狙いたかったので、ペースを上げようとしたが、アウトレーンに 東原くんがいたこともあり抜け出るスペースがなく、無駄に力を使ってしまった。 最終コーナーまで4番手のまま走り、ラスト100mからは、全員が 一斉にスパートし、自分はその集団について行けなかった。練習が全く できていないから仕方ないと思っているうちに、5番手だった選手にも 抜かれ5位でのフィニッシュとなった。タイムは1分54秒93。
 結果的にはイーブンペースで走れ、先月の関東選手権よりはまともに 走れ、シーズン記録から1秒しか遅れなかったこともあり、あまり 悔しさはなかった。
 800mの決勝は、予選で1分50秒台で走った田口くん(DNP)が 積極的に引っ張り、3位に入ったのがとても印象的だった。彼も仕事とは 別に余暇を利用してトレーニングをしているので、彼の活躍は、自分の ことのようにうれしい。
 800mの表彰では、3位までに入賞した人たちと一緒に通算10回出場の 表彰を受けた。本当は昨年の大会で表彰してもらうはずだったが、表彰の 申込みを忘れ、11年目で10回表彰となった。実力で表彰台へ上がる可能性は かなり低くなってきたが、出場回数を重ねることで表彰台へ上がることは できる。次に表彰されるとすれば、何回出場なのだろう?今後の目標は、 次回の連続出場表彰まで出場し続けることになりそうだ。

■2007年9月21日(金曜日)
 明日は岐阜でレースがあるため、仕事が終わった後、家族を連れて 愛知の実家へ車で帰省した。5月末に車を買い換えて以来、車で初めての 遠出となった。今までの軽自動車と違い、楽にスピードが上がるところが すばらく、とても快適だった。子供たちは、すぐに寝てしまい、妻は、 広いスペースでくつろぐことができ、ストレスをためることなく無事に 実家へたどり着くことができた。

■2007年9月20日(木曜日)
 我が校では、1週間後、学生の前期試験がある。競技として 運動を続けている者にとっては、試験というのは、なかなか辛い 時期であり、試験と練習との兼ね合いについて考えながら、 なんとか試験を乗り切るというのが一般的だろうが、我が校では、 なんと試験1週間前から試験が終わるまでの間は、クラブ活動 禁止という決まり事がある。平成15年度にできた決まり事 らしい。昨年度は、あまり気にしていなかったが、今年は、 学生たちの競技力が上がっていることもあり、もの凄く気になっている。
 クラブ活動を禁止し、その時間をすべて勉強に集中させることが でき、学生の教養が高まればそれほどいいことはないが・・・
 自分の在学中にはクラブ活動に関してはうるさくなく、練習は 継続できていたが、当時、練習が禁止になっていたら学業成績は 低下したのではないかと思う。競技志向の学生にとっては、何とも ストレスのたまる決まり事だ。

■2007年9月19日(水曜日)
 暴走族の集会を開いたことで広島市の暴走族追放条例違反の罪を問われている 元暴走族の上告審判決が出され、最高裁は合憲判断をした。しかし、裁判官 5人のうち2人が違憲という判断を示し、「規制対象が広すぎ、表現、集会の 自由は最大限保護されるべきで憲法に違反する」などと述べた。
 暴走族の集会は、多くの人が迷惑だと思うので、裁判をするまでもなく 暴走族が悪いと思うが、法律上は「表現、集会の自由」で守られると 判断する裁判官もいるということに驚いた。自由って何だろう?

■2007年9月18日(火曜日)
 午前中は、休みを取って長男を連れて皮膚科へ行った。膝裏の飛び火が ガーゼにくっついて痛いためか、階段を下りるときには、できるだけ膝を 曲げないように片足ずつゆっくり降りたり、歩くときにも、膝を曲げないように 脚を引きずりながら歩くなど、子供もいろいろ考えていることがわかり、 痛々しかった。長男が、「運動会はいつあるの?」と妻に質問をしていた ようで、年に1回しかない運動会を楽しみにしていたと思うと、とても心が痛かった。

■2007年9月17日(月曜日)
 久しぶりに横須賀中央まで行き、出産祝いのお返しを選ぶべく百貨店へ 入った。外もずいぶん涼しくなり快適な気温になってきたが、百貨店内の クーラーはあまりにも効き過ぎ、極寒という感じだった。政府が、地球温暖化 に関連してクーラーの設定温度を少しでも上げるよう広報活動を行っているが、 このお店には、その活動に協力しようという気は全くなさそうだ。全国の 百貨店が1度でも設定温度を上げたら、電力消費もずいぶん変わるかもしれない。

■2007年9月16日(日曜日)
 子供は、幼稚園の運動会があったが、昨日小児科へ連れて行ったところ、 当分飛び火が治るまでは幼稚園へは行かせてはならないと言われたため、 運動会への参加を取りやめた。張り切ってビデオや一眼レフのデジカメを 借りてきていたが、残念ながら活躍する場がなくなった。
 子供には小児科で言われたとおりの処置をしているが、1日経って さらに悪化しているように見える。本当にこの処置で間違っていないのか 不安になってきた。 

■2007年9月15日(土曜日)
 ライフプランを立ててくれたファイナンシャルプランナーが 家に来てくれ、保険の紹介などがあった。終身保険がついた貯蓄のできる 保険があることを聞かされ驚いた。アメリカ国債を利用し年4%の利息を 見込み、満期後はお金が戻って来るという。満期後も、90%までは、 借り入れという形で自分でお金を使うことができ、終身保険は満額保証され、 死亡したときに残りのお金は家族にわたるという、なんだが得すること ばかり。
 気になるのは、アメリカの国債を信用していいのかどうか。今の金額で 年4%ずつ利息が付いても、30年、40年経った時代の貨幣価値が どうなっているかまったくわからない。
 あまりにもうまい話で、どこかでだまされているのではないかと 思うほどだが、検討してみる価値はあると思う。 

■2007年9月14日(金曜日)
 大学の同期が市ヶ谷や目黒で勤務するようになり、同じ訓練班だった 同期が集まって飲むこととなった。当時自分たちの訓練を担当した 指導教官も参加し、当時の裏話をいろいろと聞くことができた。
 参加者の多くが、海外での勤務を経験し、そこでの苦労話をしていた。 みんなから「太ったなぁ」と言われていた同期は、上司との駆け引きで ストレスがたまり急激に太ったということを語っていた。
 それぞれ、この10年で他人にはない経験をしていることがよくわかった。 

■2007年9月13日(木曜日)
 昨日突然辞任表明した安倍首相は、緊急入院したという。体調を 崩していたと官房長官は説明していたが、テレビの映像を見ていても 最近は、覇気がなく、ボーっとしているように見えた。先月までの朝青龍 問題では、うつ病の一歩手前という話があったが、首相も似たような状態だった のかもしれない。精神的に追い込まれ、自分で解決できる容量をオーバー し、辞任表明となったのだろう。所信表明をした直後の辞任表明は、 発言と行動が一致していないとしか言いようがなく、本当に正常な判断が できなくなる寸前で、辞任により、最悪の事態を回避することができた のかもしれない。
 国のトップに立つ人でも発言と行動が一致させられないほどになって しまうのだから、国は、自殺予防を含め精神疾患について真剣に考える 必要があるように思う。自分が精神的に耐えられる許容量はわからないが、 その許容量内で生活できなければ、誰もが、正常な判断のできない状況に 陥る危険性があるのだと思う。

■2007年9月12日(水曜日)
 1週間ぶりに走った。あと10日後には、全日本実業団が迫っているのに 相変わらず膝の痛みは回復せず、関東選手権以来、あまり走っていない・・・
 今日は、3分30秒/kmで8000mを走ってみることにしたが、5000m 手前で、何度も吐き、その苦しみに耐えられず、5000mで終了した。その後に 300mを走ってみたが、39秒6。考えていたよりはまともなタイムだったが、 800mを走れる体ではないことを認識した。関東選手権よりはまともに 走りたいが、どうなることやら・・・

■2007年9月11日(火曜日)


できあがったマウスピース
 先週型を取ったマウスピースができあがった。かみ合わせを調整し、 毎晩寝る時に装着するよう指示され、受け取った。寝ているときに 歯ぎしりをして歯が削れるので、マウスピースを作ったのだが、 想像していたよりも素材が硬く、歯ぎしりをすると、マウスピースと 歯がこすれて両者が削れてしまうのでは?と思った。また、 今までマウスピースを使ったことがなかったので、装着した時の 感覚が息詰まる感じで、吐きそうになることさえある。本当に 一晩中装着したままで眠れるのか不安でしかたない。

■2007年9月10日(月曜日)
 男子100mでアサファ・パウエル選手が9秒74の世界記録を樹立した。 しかもこの記録は予選で出し、余力を残してのゴールだったという。決勝は 9秒78という好記録だった。大阪の世界選手権では、残念ながら3位という 結果だったが、気を抜くことなく次のレースに合わせ、きちっと記録を 出してくるところがすばらしい。
 また、同じ大会で、ハンマー投げの室伏選手が、世界チャンピオンの イワン・ティホン選手の記録を最終投擲で1センチ上回り優勝を飾った。世界 選手権で出したシーズン記録を上回り、常に自分を向上させているところが すばらしい。来年のオリンピックではさらに進化したパフォーマンスを 見せて欲しい。

■2007年9月9日(日曜日)


男子5000m決勝




男子円盤投げ決勝
 関東理工系2日目。最初の種目となった4×400mリレーの 予選では、着順で決勝進出を決められなかったものの、プラスで拾われ、 なんとか決勝に進出した。4年ぶりの決勝進出だったと部長から話があった。 昨年は短距離種目が全員予選落ちで、今年も個人は準決勝進出がやっと という状況だったので、リレーでの決勝進出には、大きな意味があった。
 男子5000mでは、昨年同様1日に予選と決勝が行われた。 昨年2位の河野くんが昨日は1500mで優勝し、2冠に挑戦した。 レースは比較的スローな展開で、河野くんは、ずっと2番手につけて 先頭の様子をうかがっていた。彼は、残り1000m辺りから、先頭に出て、 一気にスパートすると、誰もついてこなくなり、昨日の1500mよりは 楽に優勝できた。彼は3年生なので、また来年も2冠に輝いてくれればと 思う。
 投擲では、円盤投げの藤川くんが自己ベストで優勝し、関東インカレの 標準記録も突破してしまった。本人も上位に入れればいいと考えて いただけなので、無心の勝利という感じだった。
 我が校の男子総合順位は惜しくも4位だった。昨年の8位から比べれば 大躍進と言える。長距離の得点に偏ってはいるが、フィールドで全く 得点が稼げなかった昨年と比べ、今年は、円盤投げの他に幅跳びと やり投げでも入賞し、チームとしての力は高まりつつあるように感じた。 来年は、今年以上の成績を残せるよう取り組んでいきたい。

■2007年9月8日(土曜日)


理工系男子1500m決勝



チャンピオンシップ5000m



ラスト200m



表彰



応援に行った学生たちと
 鴻巣で関東理工系学生陸上競技大会が行われた。我が部では、部の目標とする 大会に位置づけられているが、対校戦には理系の学生しか出場できないため、 文系の学生はオープン参加となった。
 男子1500mと男子3000m障害では、我が校からはそれぞれ3名が 決勝に進出し、特に1500mではラスト200mで我が校の3名が優勝争い をするという世界陸上のケニア並みの勝負となり、かなり盛り上がった。 昨年度は優勝する学生がいなかったが、今年は、この1500mで優勝者を 出すことができた。明日は5000mとの2冠を勝ち取って欲しい。
 鴻巣での大会初日が終了後、何人かの学生たちが平塚へ行こうと言い出した。 平塚では全日本学生チャンピオンシップが行われていて、20時過ぎからの 5000mに我が校の学生が出場することになっていた。なんとかスタート 時間に間に合いそうなので、明日のレースがない長距離の学生たちと平塚へ 向かった。
 鴻巣では、昼は暑く、午後からは強風が吹いて競技に影響があったが、 平塚は、風もなく、昼とは違って涼しく最高のコンディションだった。
 5000mは2組タイムレース決勝で、我が校の岡本くんは、第2組での 出走だった。1組のトップが14分45秒台とそれほどタイムが よくなかったので2組から優勝者が出る可能性が高かった。しかし2組も 1000mあたり2分55秒から3分のペースでそれほどペースがあがらず、 逆に我が校の岡本くんにとっては、最高のペースとなった。
 3000m手前くらいから、上野くん(中央大)がこのペースに我慢できず、 先頭に立ち独走し、2番手集団は相変わらず同じペースで、岡本くんも その集団に混じって走った。4000m過ぎから、少しペースが上がりだし、 脱落者が次々と出たが、彼はそこでなんとか踏ん張り4番手をキープして残り 1周に入った。みんながきついところで、彼は、ギアを切り替えるように スピードを上げ、3番手に上がり、2位の選手との差は詰められなかったが、 そのまま3位でゴールに入った。ラスト200mは30秒というすばらしい スパートだった。タイムは14分37秒23で彼自身の持つ大学記録を更新した。
 彼は、何で最後に体が動いたか良くわからなかったと話していた。よくわからない いけど、走れてしまうことがあるから、陸上競技はおもしろいのだと思う。 今後は、訳もわからずに走れてしまったことを、確信して走れるように トレーニングを継続してもらいたい。
 お金と時間をかけて応援に駆けつけて本当に良かった。自分の関わっている 学生が全国3位になるとは、考えもしなかった。自分も学生時代、運良く 全国タイトルを取ることができたが、我が校のように年間を通して 練習が継続できない学校でも、やる気次第では、このような結果が出せるの だという自信が湧いてきた。応援をした学生たちも、自分次第で変わることが できるのだということを感じたのではないかと思う。鴻巣から平塚へ応援に 行こうと言い出した学生たちの行動力にも関心した。自分のチームという 意識、仲間という意識があるのだと思う。
 ますます陸上競技にはまってしまいそうだ。

■2007年9月7日(金曜日)


お昼寝中
 昨日から台風9号が関東に接近し、小田原辺りに上陸し、北上していった。 午前中のうちに暴風域や強風域からは遠ざかり、午後には晴れてしまった。
 昨夜は、かなりの強風で、体育館の窓ガラスもサランラップに風が当たったように 曲がり、すべてのガラスが割れてしまうのではないかと思うほどだったが、 体育館のガラスは無事だった。しかし、学生たちの生活する学生舎では、 かなりガラスが割れたらしい。部屋によっては、窓のサンに新聞紙を入れて 雨水の浸入を防いでいたにもかかわらず、水はその新聞を伝って床に垂れ、 朝起きたら床が水浸しになり、使っていた毛布もその水を吸って重くなって いたという。学生舎は老朽化しているという認識があったが、そこまで ひどい状況になっているとは驚きだった。

■2007年9月6日(木曜日)
 介護福祉士の岡田慎一郎さんが来校し、「スポーツ技術論」の授業で、 古武術介護についての実技を交えた講義を行った。
 介護の仕事は、大変な割に収入が少なく、足腰に無理な負担をかけながら 介護をし、長続きせず、どんどん人がやめていくという現状がある。今後は ますます介護を必要とする人が増えてくることが予想され、将来は国家予算を 超えるような医療費と介護費用が必要になるのではないかという。
 実技では、寝ている人を起こして、さらに立たせるまでの一連の動作を 行った。普段の体の使い方ではなく、できるだけ筋肉を使わず、力の伝達を 良くすることを考えて体を使うことで、同じ動作でも格段に楽に動くことが できるということが示された。岡田さんは、うちの学生と比べても体は小さく、 断然学生の方が力もあるように見えたが、体の使い方によっては、その力の 差を埋めることができるということも証明してくれた。

■2007年9月5日(水曜日)
 世界陸上をハードディスクレコーダーで録画していたので、CMカット してハードディスクの容量を減らそうとした。まず録画した映像を 確認しようと再生したところ、再生できず、機械が止まってしまった。2,3分 すると、再生停止という表示が出て、自動的に画面は、テレビの放送になった。 なぜだろう?と思い、もう一度、ファイルを選択し再生ボタンを押した ところ、また同じ症状が出た。何度か繰り返したところで急にハンマー投げの 映像が現れたが、すぐに画像は停止し、その後はまた最初の症状に戻ってしまった。 さらにしつこく再生をしていたところ、ハードディスクが機能しなくなったため、 初期化してくださいという表示がで出て、初期化をしていないのに、いきなり すべてのファイルがなくなった。突然の出来事に、目の前で起こったことが 理解できず、その後は、放心状態となり、何も手につかなくなった。
 世界陸上は、2年に1回しかなく、今回は日本での開催のため時差がなく、 織田裕二が4時間も5時間も後の競技を「もうまもなくです」と言うことも ないストレスの少ない放送だった。ハードディスクレコーダーの ハードディスクがこれほど不安定なものだとは認識しておらず、録画して 一度も見ないうちにすべてのファイルがなくなってしまうとは全く 考えていなかった。DVDへの直接録画かビデオを使う方が確実なの かもしれない。もうハードディスクへ録画するのはやめたほうがよさそうだ。

■2007年9月4日(火曜日)
 ステップワゴンのブレーキの調子が悪く、点検をしてもらうために車を預けた。 代車は、セフィーロワゴン。たばこの匂いが染みついていて、車の中に入る度に 具合が悪くなる。しかし、乗っているうちに匂いは感じられなくなった。
 サイドブレーキやATシフトレバーの配置が違うので、いつもの感じで 手を動かそうとすると、そこには必要なものはなくハッとした。普段の運転は、 無意識にやっていることが多いのかもしれない。
 セフィーロワゴンは、車高が低く、乗り降りが辛い。しかしいったん乗って しまうと、ボタンやミラーがステップワゴンよりも運転席の近くにあり 操作しやすく、乗り心地はとても良かった。

■2007年9月3日(月曜日)
 遠藤農水大臣と坂本外務政務官が辞任し、玉沢議員が自民党を離党した。 ルールを決める人たちが自らルールを破っていては、ルールの意義は 損なわれてしまう。与謝野官房長官は、身体検査ですべてがわかるわけでは ない旨の発言をしていたが、議員本人は、自分のことなのだから、自覚していた のだろうし、任命される立場にふさわしくないと自ら判断すれば、それぞれの 役職を引き受けることもなかった。大臣になる人たちまでが、これだけ 立て続けに不正をしているということは、この問題は氷山の一角であって、 まだまだ多くの議員が行っていると考えるしかない。領収書を何度も使い 回すなど詐欺にしか見えないのだが、犯罪ではないのだろうか?
 年金保険料は、市町村の職員が2億円を超える横領をしていたことがわかった。 公のために働く公務員とは何なのか?自分自身も同じ立場なので、自分の立場を きちんと理解し、本来あるべき姿を追及しなければならないと思った。

■2007年9月2日(日曜日)


みんなで
 両親と妹が、次男を見るために岡崎からやってきた。昔は、大きく見え、 本当に大きな存在だった両親が、加齢により身長なども縮んだ影響もあってか、 ずいぶん小さく見えた。自分も家庭を持ち、日常生活ではそれほど重要な 存在ではなくなってしまったことも関係があるのかもしれない。
 自分の息子たちも、大人になれば、同じように思うのだろう。子供の 年齢が低ければ低いほど親への依存度は高く、年を重ねるほど影響度は 低くなっていく。影響を及ぼすのは、二十歳くらいまでなのかもしれない。 それまでは、子供たちが間違った道へ進まぬようしっかりと見守ってゆきたい。

■2007年9月1日(土曜日)
 初めて50km競歩を見た。競技会場が、5月の日本選手権で行われた 長居競技場前の周回コース。気温は35度近くはあり、次々と選手が 競歩でない通常の歩きになり、さらに棄権し、熱中症のような状態で 運ばれる選手もいた。前回のチャンピオンも途中で止まってしまった。 さらに、3回の警告で失格になる選手も多く、本当に生き残りのレースと いう感じだった。アナウンサーが「命を削って」という表現をしていたが、 選手たちは、本当に命をかけて歩いているように見えた。たった2km くらいの周回コースでは、選手は中盤で自分が何周しているかわからなく なり、心理的にも厳しいレースだったように思う。
 前半は先頭にも立ちメダル争いをしていた山崎選手も、後半は急激な ペースダウンをしてしまった。なんとか入賞はできるのではと思って いたところ、残り1周を残して、なぜか誘導員が競技場へ誘導し、 50kmを歩ききることなく、フィニッシュラインを通過してしまった。 彼は、そのまま仰向けに倒れこみ、失格となってしまった。 信じられない光景だった。4時間近く歩き、意識があるかないか という状況では、誘導員の指示に従うしかなく、その結果が 失格というのは、かわいそうだった。
 それにしても土井アナウンサーの絶叫はうるさく、サッカーの ゴールをしたときのような絶叫だった。もう少し静かに見せて もらえないだろうか。



[昔のいずみ]