最近のいずみ

Last Update:2008/10/31

パートタイムアスリートいずみ 8年目に突入!! 


■2008年10月31日(金曜日)


我が家の玄関前
 今週に入ってから左足にシンスプリントの痛みがあり、ジョギングをしていても気になるため、ジョギングもあまりしていなかった。そのためシンスプリントの痛みが緩和し、安心してジョギングを再開したところ、左足外けい骨の痛みがまた出てきた。左足が接地する度に痛みが走り、歩いていても気になり始めた。また当分走ることのできない日が続きそうだ。

■2008年10月30日(木曜日)
 麻生大臣が追加経済対策を決定した。定額給付金が全世帯に支給され、我が家であれば6万円くらいの支給になるという。また、第二子から子育て支援手当の支給もあるらしい。もらえるのはうれしいが、国の借金が大変な額になっているのに、本当に大丈夫なのか心配になる。
 妊婦検診無料化という話もあった。日本全体が産科医不足という話もあり、横須賀市でも子供の産める場所が次々と減ってきている。産める場所がない状態で検診無料になっても、「もう一人子供を」という考えにはなかなかなれない。
 ETC利用の乗用車対象に高速道路料金を1000円にすることについては、トラックを使う運送会社は除外されているらしく、最も困っている人たちにはメリットが全くなさそうだ。普段あまり高速道路を利用しない人にとってもメリットはない。車を使いやすくする政策は、二酸化炭素排出削減とは逆の方向に進んでしまうのではないかと思う。
 消費税は3年後に引き上げるという明言は、今までの首相があまりはっきりと示していなかったこともあり、いよいよ来るのかという心構えができたが、もらったものをあとで返さなければならないという感じもある。消費税が安いうちに必要なものは買った方がよさそうだ。

■2008年10月29日(水曜日)
 今月10日締め切りで、第2回観音崎写真コンテストというコンテストがあった。観音崎で撮った写真であれば、何でもよく、1人3点の応募まで受け付けるとのことだったので、横須賀に引っ越してから撮ってきた写真を眺め、妻が3点、自分が2点の写真を選んだ。写真の裏には、作品タイトルと、30字程度のコメントを載せる必要があり、それらしくタイトルとコメントを入れて応募してみた。
 今日、選考の結果が2通の封筒で返信されてきた。2通は、妻宛と自分宛。返信されてきたということで、何らかの賞を獲得したということということはわかった。妻は、3点とも入選、自分は、1点が入選、そしてもう1点は、なんと賞の中で最も良い1点しか選ばれない「グランプリ」を獲得してしまった。出展した作品すべてが受賞してしまい、誰も応募しなかったのだろうかと思うほどで、かなりの拍子抜けだった。作品は11月1日から9日まで観音崎自然博物館隣のビジターセンターで展示されるということなので、家族で見に行きたいと思う。

■2008年10月28日(火曜日)
 高橋尚子選手が現役引退を宣言した。練習の過程でプロとしての走りができていると本人が感じられなくなり、中途半端な形ではファンの前には出られないというプロ意識が、引退を決断する引き金になったようだ。彼女は、今の心境を「台風が過ぎ去った後のすがすがしさ」と話し、完全燃焼したことを協調していた。プロ選手の引き際は、いろいろな形があるが、本人の中では、整理され比較的スッキリしたということなのだと思う。引退しても、まだまだランニングを続けるということなので、今後も陸上競技の普及に頑張って欲しい。 

■2008年10月27日(月曜日)
 一昨日、大学時代の同期がガンで亡くなった。今朝そのことを知って驚いた。今日、職場の近くで告別式が行われた。家族は、奥さんと3歳くらいの男の子がいた。子供は、父の死については、よく分からない感じで、これから母子だけで生きていくことを考えると、本当に大変だと思う。
 6年前に自分の部下がガンで亡くなったことを思い出した。お見舞いに行った際に「家族を大事にしてください」と言われたことが今でもずっと頭の中に残っている。子供が生まれたばかりということもあり、いろいろな感染を考えると病院には連れてくることができず、入院中の父親には、面会ができないということで、亡くなるまでに子供に会えたのはほんの数回で、本当にもどかしく思った。
 人は誰でも死を迎える。その時期が早く来るか遅く来るかだけ。先のことばかり考えて生活するのではなく、今を充実させなければ、突然死が訪れたときに後悔することになる。1日1日を大事にしなければと思う。

■2008年10月26日(日曜日)


綱渡り中
 子供2人を連れて、よこすかわんぱくフェスティバルというイベントに行った。このイベントには、壊れてしまったおもちゃを修理してくれるおもちゃの病院というコーナーがあったため、我が家で壊れてしまったおもちゃを持って行った。おもちゃの病院には、以前からお世話になっていて、いろいろなイベントが行われる際に設けられている。修理してくれるのは、ボランティアの方々で、特に修理代を請求されることもなく、丁寧におもちゃを直してくれるため、たくさんのおもちゃが集まる。修理には1ヶ月程度の時間が必要になるので、気長に待たなければならない。
 このフェスティバルでは、子供たちがいろいろなことに挑戦でき、長男は、紙飛行機と綱渡りに挑戦した。紙飛行機は、本人が作るというよりもボランティアの方がほとんど折ってくれ、本人は飛ばすだけだった。綱渡りについては、誰も助けてくれないので、本人はかなり真剣な顔つきで挑戦していた。周りのボランティアの方からも「笑ってみたら?」言われていたが、本人の顔つきは全く変わらなかった。終わったあとに「恐かった?」と聞いてみたが「恐くなかった」と強がりを言っていた。

■2008年10月25日(土曜日)


変装した子供たち
 長男の通っている英語教室のハロウィンパーティーがあった。子供たちは全員パーティーのために変装し参加した。パーティーでは、ハロウィンに関する迷路、クイズ、ビンゴなどがあった。先生は、英語で質問などをして、子供たちは、それを聞いて行動していた。クイズでは、ハロウィンはアイルランドで始まったものなど初めて知る知識が多かった。長男に先生の話していることがわかったかどうか聞いたところ、全部分かったと言っていた。こちらは半分くらいしか分からなかったので、長男が全部分かったというのは納得できなかったが、すごいねぇと褒めておいた。長男は、クイズについては、周りのお兄ちゃんお姉ちゃんの行動を見て判断していたので、ほとんど分からなかったと思うが、本当に分かっていたとしたらかなり悔しい。

■2008年10月24日(金曜日)
 勤務中に一本の電話が内線電話にかかってきた。「和泉先生のお電話でしょうか?」という言葉で始まった。聞いたこともないマンション経営の会社からだった。勤務時間中に内線電話にかかってきたことに驚いた。えっ何で?と思っている間に、次々と相手は話し始めた。頭金なしで、毎月定期収入が得られ儲かるというようなことを言っていた。そんなに儲かるならこんな電話をかけず、自分一人で独占すればいいのにと思う。興味がありませんと断ると、必死に電話を続けようと何かを言っていたが、無視して切った。どこで内線番号を手に入れたのだろう?たぶん教えてくれないだろうけど、聞いてみればよかった。

■2008年10月23日(木曜日)
 妊婦が脳内出血を起こし、搬送先の病院がなかなか決まらず出産後亡くなったというニュースが大きく取り上げられている。東京のような病院がたくさんある地域でもこんなことがあるのかと驚いた。東京だろうが地方だろうが、産科医や小児科医は人手が足りず、どこに行っても激務なのだということを知った。横須賀でも出産できる病院がどんどん少なくなっていると聞く。子育て支援の充実も重要だが、出産できる環境がなければ、子供を産むことができない。今までも患者がたらい回しになったというニュースは何度も聞いていたが、かなり深刻な状況だということがよく分かった。厚生労働省や文部科学省、少子化担当大臣など、関係する部署や人が連携し、少しでも今の状況が改善されるよう願いたい。

■2008年10月22日(水曜日)
 小学6年生が、給食のパンで喉を詰まらせ亡くなった。ついこの間は、子供がこんにゃくゼリーを食べて喉を詰まらせ亡くなったという事故があったが、パンで喉を詰まらせることにより死亡する可能性があることに驚いた。
 我が家の長男は、食事をスプーンにちょっとだけのせて食べ、なかなか食事が終わらないので、大きな口で食べるように話している。次男は、食欲旺盛で歯も生えてきたため、一度にたくさんの量をスプーンに乗せて食べさせていた。今回の事故により、どちらも危険なことをさせているのではないかと思えてきた。
 今回の事件では、教師の管理はどうだったかということが問われていると報道されていたが、先生は、子供の食事の摂り方についても注意しなくてはならないとなると、まともに食事もできないのではないかと思った。以前だったら考えられない事件や事故が起こり、行政は何でも管理責任を問われるように感じる。

■2008年10月21日(火曜日)
 昨日の疲労は、回復したものの、ハムストリングス(大腿の後ろ側)の疲労を感じるようになった。歩くだけであれば、それほど問題ないが、ジョギングをするとかなり痛む。普段強度の高い運動をあまりしていないのに、試合では、強度の高い運動してしまうので、その代償はかなり大きい。すぐにはハムストリングスの痛みは回復しそうになく、当分まともな運動もできないかもしれない。

■2008年10月20日(月曜日)
 今朝から、股関節周りと横腹に疲労を感じる。以前は意識してトレーニングをしていたことがあった部位だが、最近は、全くやっていない。昨日たった2本のレースを走っただけなのに、これだけの疲労が出てくるということは、これらの部位を普段以上に使って走っていたということであり、走るという動作にはとても重要な部位だったということ。改めて気づかされた。タイムを上げて行くには、この部位の疲労が抑えられるようにトレーニングをしていかなければならない。

■2008年10月19日(日曜日)


800m





4番手へ





残り130m
 かわさき陸上競技フェスティバルのミドルディスタンスデュアスロンに出場。ミドルディスタンスデュアスロンとは、1日で800mと1500mを走り、国際陸連の得点表に基づき、フィニッシュタイムを得点に換算し、2種目の合計得点で順位を争う種目。気温は低めで、天候は曇り、ホームストレートには追い風が吹き、バックストレートはあまり風を感じないという好条件の中でのレースとなった。
 ミドルディスタンスデュアスロンには、我が校中距離パートの学生たち3名も出場した。自分は2種目とも第1組目で、学生たちは2組目以降だったため、こうやって走ればいいという手本を見せなければならなかった。木曜日の状態からすれば、あまり良い結果はでないので、とにかく、頑張らずに楽に走ることだけを考えた。学生たちもレースになると頑張って力が入った状態で走るため、同じように頑張らないようアドバイスした。
 800mは、筑波大学の学生が53秒台で1周目を入るということを聞いていたので、無理に付いていくことはせず、集団から離れないようにすることだけを心がけた。出場者が5名で、スタートから4番手につき、先頭は予定通りのタイムで通過し、自分は55秒台で通過した。後半も、リズムを変えないことだけを考え、無理に前の選手を抜くことなく、3番手の後ろにぴたりとついて、残り100mでの勝負につなげた。最後の100mは、ちょっとだけ頑張り3番手に並びかけたが、結局抜けず、4位でフィニッシュした。タイムは1分53秒33だった。1分55秒程度が出れば上出来だと思っていたので、このタイムには驚いた。
 1500mは、スタートで出遅れ、集団の後方につけたが、ホームストレートで3人が集団から飛び出したため、遅れを取らないよう、集団を抜き4番手について1周目を64秒で通過した。その後は、少しずつ3番手から離れてしまったが、10m以上は離されず、なんとか間隔を開けながらも速度を維持して走った。後半は、かなりきつくて途中で止めたくなったが、学生たちが見ていて、手本を見せなければならないと思い、とにかく我慢して走った。残り300mから先頭のペースは上がり、少しずつ自分との距離は離れてきたが、3番手とはあまり位置関係は変わらず、最終コーナーを曲がったところで、学生たちに手本を見せるべく、スパートしてみた。すると意外にスピードが上がり、一気に3番手の選手を抜くことができ、先頭との距離も少しずつ詰まってきたところで、3位でのフィニッシュとなった。タイムは3分57秒97だった。木曜に4分32秒だったので、ダメかと思ったが、なんとかごまかしの走りができた。まったく走れていない状態でのこのタイムには、自分が驚いた。
 2種目ともシーズン2番目の記録だった。6年前に同じ大会で同じ種目にチャレンジしているが、2種目とも今日のタイムの方が良く、総合順位はなんと2位という結果だった。まったく期待していなかったので、驚きの連続だった。今日は、学生たちの存在がとても力になった。
 3名の学生たちも、こちらの手本に従って走ってくれ、800mで3名とも自己ベスト、1500mでも2名が自己ベストを更新してくれた。全員が満足できる結果が出て、みんなで喜びを共有できたことがとてもうれしかった。

■2008年10月18日(土曜日)


岡本
 学生たちが、箱根駅伝予選会に出場した。昨年は、国公立大トップを目指し、残念ながら4番目だった。10名の合計タイムが11時間22分03秒、27番目のタイムで、関東インカレポイントにより28位となり順位を落としてしまった。今年も国公立大学トップと、合計タイムで11時間を切ることを目標とした。これは、昨年と比べ、1人2分のタイム短縮を意味した。
 箱根駅伝予選会は、スタート直後のスピードがとても速く感じられるため、相手に惑わされずに自分のペースを貫けるかが結果を左右する。全員が前半をおさえ、昭和記念公園に入ってからの後半に備えた。
 長距離を走るには気温は高く、意外と風があり、向かい風の時には、走りづらかったと選手たちは話していた。5名の学生は、昨年よりもタイムを上げたが、全員設定タイム通りには走れなかった。合計タイムは11時間13分09秒となり、昨年よりも順位を上げ、関東インカレポイントでも順位は変わらず、23位となった。
 我が校は、7月の1ヶ月間に全く練習ができず、8月以降のトレーニングで試合に臨んでいる。2ヶ月で作ってきた体で、昨年よりも1人1分のタイム短縮をした。目標タイムには届かなかったが、国公立大ではトップとなり、すばらしい結果だったと思う。チームトップの岡本くんは、1時間03分06秒で160位となった。関東学連選抜チームは、予選会を突破できなかった各校のトップ選手11名と、各校2番目の選手が選抜されるとのことで、岡本くんは予選会を突破できなかった学校で12番目となってしまった。11番目の選手とは17秒差だった。箱根駅伝への道はなかなか厳しい・・・



関東学連の大会なのに、すごい数の観客がいました。

■2008年10月17日(金曜日)
 学生のレポートの採点をしていて、中学時代の先生が試験を返す時にクラス全員に言っていた言葉を急に思い出した。「名前くらいきれいに書きなさい。名前すらきれいに書けないのなら、試験を受ける必要はない。」というようお叱りの言葉だった。相手に見てもらうのだから、相手が見やすいように、本人のできる範囲で丁寧に書きなさいという意味合いだったのだが、レポートを見ていると、字は、本人を表すということがよく分かる。全く読めない字を書いてくる学生もいて、なんでこちらが解読しなければならないのかと思うレポートもあって困った。本人だけが見るメモであれば、それでいいのだが、今回はそういうメモではない。中学時代の先生の気持ちが今になって本当によく分かり、字は、その人を表すということを考えると、自分用のメモであってもできるだけきれいに書く努力をしようと思った。

■2008年10月16日(木曜日)
 長距離の学生たちが箱根駅伝予選会へ向け、最後の調整走として2000mのペース走をするというので、6分切りのペース設定の集団について走ることにした。目標は気持ちよく6分で走りきることだったが、昨日の疲労も影響し、思ったような走りはできなかった。最初の1000mは、比較的楽に入ることができ、2分59秒で通過したが、残り800mくらいから、呼吸が苦しくなり、ストライドが急激に短くなり、集団から離されてしまった。後ろの6分15秒の集団に捕まってしまうのではと思ったが、なんとか捕まらず6分08秒で走りきった。
 週末に800mと1500mを1日で走るレースに出る予定にしているが、1500mを走りきる自信がなくなった。今シーズンは3分56秒台で走っているが、本当にそんなタイムで走れたのだろうか?と思うほど持久力がなさ過ぎる。どんな状況であれ、レースは3日後にある。あと2日休養を入れ、レースではついて行けるところまでついていくしかない。

■2008年10月15日(水曜日)
 400m+300m+200mを2セット行った。設定は60秒、43秒、27秒だったが、1セット目は、400mのペース以上のスピードは出ず、設定通りにはいかなかった。2セット目は、さらに苦しく、左足を接地する度に左腰の痛みを感じ、ふくらはぎと内側広筋も攣りそうになりながら走った。気持ちよく走りきるつもりだったが、1セット目からかなりの疲労感があり、無理矢理体を動かして、出せるだけのスピードを出し切って2セット目を走った。1セット目よりは、スピードを上げることができたが、設定のタイムまでは上げられなかった。自分の体を自分の脚で支えられていない感じがある。

■2008年10月14日(火曜日)
 アルコールを飲めば飲むほど、脳は小さくなるという研究結果が報告された。研究では、適量のアルコールは、加齢による脳容積の減少を防ぐのではないかという予想ったようだが、結果は、全く違い、全く飲まない人が、最も脳容積の減少が小さかったという。
 「酒は百薬の長」という言葉もあり、適量は体を健康にすると一般には考えられているような感じだが、今回の研究からは、飲めば飲むほど、脳には良くないということで、ことわざを覆すような結果だった。
 自分は、酒は、あまり好きではないので、家ではほとんど飲むことがなく、飲み会でたまに飲むだけ。このニュースにより、ますます飲もうという気分にはならなくなった。好きな人は、好きなことを制限されると逆にストレスで脳には良くないかもしれない。そう考えると一般には適度な量は必要なのかもしれない。

■2008年10月13日(月曜日)


記念撮影
 長男のが5歳の誕生日を迎え、少し時期は早かったが七五三ということで近所の走水神社へお参りに行った。昨日から妻の両親も我が家に来てくれていて、一緒に祝ってくれた。
 昨夜は、祖父母が家に来ているということもあり、長男も次男も9時には寝かせたものの興奮していて寝たのは11時過ぎだった。今朝は、いつもより起きる時間が遅いのではないかと思っていたら、祖父母の存在があったためかいつも通りの時間に目覚めてくれた。
 5歳になったら、何でも自分でできるようになるんだよと、幼稚園の年中になってから、ずっと言い聞かせて、本人も5歳になったら変わろうという気持ちを持っていたようなので、自分で起きられるようになり、5歳になるとすごいねぇと褒めてやった。

■2008年10月12日(日曜日)


スタート直後




学生たちと
 早大同好会記録挑戦会の4×800mリレーに出場した。学生だけで出場する予定だったが、1年生が航空観閲式見学のため出場ができず、メンバーが1名足りなくなり、学連登録の選手でなくても問題ないとのことで、出場することにした。ユニフォームを学生に借り、12年ぶりに母校のユニフォームを着てレースに出ることとなった。
 4×800mリレーという種目は、今までに走ったことがない。どのくらいの記録を目指せばいいか予想ができなかったので、今の状況から、1走の自分が1分55秒台、2走が2分、3,4走は2分10秒ということで、8分15秒を目標にした。
 1走の自分は、1周目を56秒7で通過し、1周目で他の選手たちを大きく引き離すことができた。 バトンを持って800mを走るのは、いつもよりも腕が振りづらく、何も持たない時よりも走りづらかった。残り300mからスピードを上げるつもりだったが、全く上がらず、惰性で走る感じで、何とか2周を回りきった。800mのタイムは1分56秒7だった。
 第2走者は、予定よりは5秒ほど遅かったが、それでも独走でトップを守った。我がチームは先攻逃げ切りの作戦だったが、第3走者で2番手に下がり、第4走者は何とかトップを追走し、最後の直線で追い込んだが、抜くことはできず2着でのフィニッシュとなった。第3走者は2分9秒台、第4走者は2分10秒台で、手元の時計ではトータル8分22秒0だった。リードをした1,2走が予定通り走れなかったが、それぞれ今出せる力を出し切っての結果なので、特に悔いはなかった。
 学生たちとリレーチームを組むなど考えたことがなかったので、お互い良い思い出となった。

■2008年10月11日(土曜日)


観音崎の夕暮れ
 ハイハイしかできなかった次男が少し歩き始め、今日は、目の前で2歩前歩いてくれた。木曜に妻から3歩歩いたと言う話を聞いていたが、やっとそれを見ることができた。長男と比べると、歩き出す時期が少し遅いような気がするが、その分ハイハイで、体幹を鍛えているのかもしれない。無理に歩かせず、自然に歩くようになるまで待ちたい。
 最近は、アンパンマンの絵をみると「まんまんまんまん・・・」と言ってみたり、いないいないばぁをするのが好きで、鼻と口をつまんで、「ないないない・・・」と何度も言いながら、最後は、手を広げ顔の前に出して「あー」と言う。鼻と口をつまむ際、指が目の中に入りそうで、いつもドキッとするが、本人は、全く気にすることなく、こちらが喜べば何度でも続けてやってくれる。相手が喜ぶことは、自分にとってもうれしいことだということがよく分かっているようだ。どんどん新しいことができるようになる赤ん坊は、本人はうれしいだろうし、こちらも見ていて本当に楽しい。

■2008年10月10日(金曜日)
 世界中で株価が暴落し、大和生命が破綻した。今朝の日経新聞の株式欄を見ると終値が黒くマーキングされている企業がとても多かった。たぶん大きく値下がりした企業なのだと思う。業種によっては、ほとんどの企業が黒くなっていた。
 最近ネットで株を始め、鉄道会社の株を購入したという人の話を聞いたが、鉄道会社の株もどんどん値が下がっていた。サブプライムローンとどう関係しているのかよく分からないが、株価は需要と供給で成り立つものだろうから、一斉に株を手放したい人が増えたということなのだろう。逆に、随分値が下がったし、各国政府も株価を戻すための対策をするようなので、今が買い時なのかもしれない。お金があれば、やってみようかなという気になるが、使えるお金がない。新聞で眺めているのが、儲かりはしないが、リスクもなく一番賢いかもしれない。

■2008年10月9日(木曜日)
 2000mを2本行った。設定は3分10秒/km。1本目は、設定通りに走れたが、つなぎのジョッグが400mで、2本目に入ったときには、スタートからかなりきつかった。なんとか1000mまでは設定通りに行ったが、残り1000mは3分26秒までペースダウンした。フィニッシュ後は、吐いた。12月には5000mの記録会に出場しようと考えているが、こんな調子では、16分切りは難しい。不完全燃焼だったが、短距離の学生たちが300mを走るというので、すぐに気持ちを切り替え一緒に走った。前半から、それほど離されなかったため、気持ちよく走れた。タイムは37秒8。スパイクを履かずに走ったのに、かなり良い記録が出てしまった。週末の記録会にはちょうど良い刺激になった。

■2008年10月8日(水曜日)
 下村氏が50年前の研究成果によりノーベル化学賞を受賞した。昨日物理学賞を受賞した3人も35年以上前の業績が認められている。受賞者はみな何十年も先を行く発見で、当時の人たちには、価値が見えてなかったのかもしれない。
 受賞した人たちは、戦後日本の復興と共に頑張ってきた人たちばかりで、評価された研究は、20代の頃ということからも、当時の若手研究者の研究に対するパワーというものは、すさまじいものがあったのだと思った。
 トヨタ自動車の研究開発は、20年先を見据えた開発をするという話を聞いたことがあり、世界の頂点を見据える会社は違うなぁと思ったが、今回の受賞から考えれば、彼らの偉業は、それ以上の先取りをしていたことになる。自分も頑張らねば、と思う。

■2008年10月7日(火曜日)
 妻が、やっとバナナを買うことができたと喜んでいた。子供たちもバナナは好きなので、よく食べるが、最近は手に入らずなかなか食べることができなかった。テレビで朝食バナナダイエットというダイエット法が紹介され、それを見た人たちが毎朝バナナだけを食べるため、多くの店でバナナが買い占められてしまうらしい。近所のスーパーでも、バナナが朝は大量に並べてあっても、午前中には売り切れてしまうという。
 「あるある大辞典」で納豆の特集があったときには納豆が店頭からあっという間に消えてしまうことがあった。テレビでは、テーマを1つに絞り番組を作るため、テーマにしたモノだけが注目される。いろいろな効果があるのかもしれないが、番組では視聴者にわかりやすく説明するため、いろいろなことを単純化している。しかし、番組を見ていると、それがすべてだと勘違いしてしまいそうになる。テレビに影響されすぎないように気をつけなければ、と思う。

■2008年10月6日(月曜日)
 月曜日は雨が多く、外で行う陸上競技の授業は、外で行うことができずいつも困る。体育館内でできる内容であれば、体育館内で行うが、できない内容の方が多い。今日の天気は、午前中雨で、午後から曇りという予報だったため、グランドが濡れていてもなんとかやりたいと思い、直線走路の水を吸水ローラーで必死にとった。昼前の1時間半をかけて作業をした。その間も小雨があったがなんとか水を吸い取った。
 雨のグランド上は、アリ、ミミズ、芋虫などいろいろな生き物がいた。吸水ローラーで彼らを引いてしまわないよう、彼らが移動して、ローラーの進行方向をあけてくれるまで、のんきに眺めていた。時間の流れがとてもゆっくりで、こころがとても癒される時間でもあった。

■2008年10月5日(日曜日)


横須賀中央





園児たちのパレード
 NHKスペシャルで、腰痛についての特集があった。番組では、腰痛は、人が2足歩行をするようになったのが始まりと考えられがちだが、農耕の始まりが起源ではないかと述べていた。腰椎はさまざまな動きができるように進化したが、同じ動きを同じ姿勢で長時間するなど、日常生活で想定外のストレスが与えられることになり、腰痛が始まったという考え方だった。
 現在の腰痛は、診断のつく腰痛が15%、あきらかに腰に原因があるが、どこから来ているのか分からない腰痛が85%という。多くの腰痛は、痛みの原因が分からないということなので、治し方も当然分からないということなのだろう。骨に異常が見られなければ、よく筋膜性腰痛などと診断される。結局、原因が分からないということなのかもしれない。
 体重が72kgの人が、直立した場合、腰椎椎間板に66kgの圧力がかかるが、前屈をすることにより235kgの圧力がかかるという測定が行われていた。背筋群に緊張が高まるため、腰椎に加わる負荷も高まるらしい。また、心理的ストレスを増やすだけで、同じ動作であっても、背筋群への緊張が、ストレスのない場合よりも高まり、腰痛につながるという。
 最近は、病院の心療内科で、心因性腰痛という診断もされ、心理的ストレスが腰へ及ぼす影響も考えられている。重い腰痛になる人は、気分が沈みがちになるなど、心の問題や家庭や職場に問題を抱えている人が多いらしく、問題のない人の30倍も重い腰痛になりやすいという研究結果もあるという。「病は気から」という言葉があるように、心が痛みを生み出しているということもあり得ると思う。ストレスのある人は、腰からくるわずかな痛みで、心を司る前頭葉だけが活動し激しい痛みを感じているという映像もあった。
 腰痛緩和対策に、痛みが強くない限り歩くことを勧めていた。歩くことは椎間板に適度な刺激が加わり、脳は歩くことに集中しストレスが和らぐからという理由だった。何も考えずに適度な運動をする事が大事なのだろう。無心でラジオ体操をやってみることでも十分腰痛緩和効果が現れるのではないかと思った。

■2008年10月4日(土曜日)


横須賀美術館からの眺め
 次男は、長男が横たわっていると噛みつこうとする。噛みつかれた長男は泣き、それにつられ次男も泣く。長男は、常に噛まれるのではないか警戒して、次男を近づけないため、次男が近づくと手で払いのけようとする。それをすればするほどさらに次男は長男に近づこうとする。最終的には次男が泣かされ、それにつられ長男が泣く。結局どちらに転んでもお互いが泣くことになる。
 妻の顔にも頻繁に噛みつき、引っ掻いたり、爪で握りつぶしたりするため、妻の顔には、常に傷がある。親のスネをかじるという言葉があるが、次男はその言葉の通り、妻のスネに噛みついたりする。スネをかじられる親は相当痛いということも実感としてわかってしまう。次男にも何か自分の主張があるのだろうが、手荒な方法ではないことで、示してくれればと思っている。

■2008年10月3日(金曜日)
 今週は月曜から疲れていて、一晩寝ても全く回復しない。先週末に全日本実業団が終わり、今月もレースは残っているが、気持ちの中では区切りがつき、来期へ向けて練習をしていこうと思い、長い距離を始めたためなのかもしれない。
 今シーズンは、昨年まで以上に練習をせず、試合にだけ出ていた印象が強いが、1本だけ引っかかり、久しぶりにまともなタイムが出た。逆にそれで満足してしまった感じもあった。練習しなくても何とかなるという甘えや、職場の目の前に競技場があるという環境のためいつでも走れるという甘えがあって、結局練習しなかったのではないかと反省している。
 指導するときには練習計画を立てるように指導しておきながら、自分に関しては、この8年間、ほとんど練習計画を立ててこなかった。3年前までは、その日に練習ができるかどうかもわからなかったため、計画を立てる意味がなかった。ここ3年は、練習計画を立てられる環境にあったにもかかわらず、従来通りその日にメニューを決めるということを続けていた。以前であれば、練習できる日には、この日しかないという気持ちで、かなりの集中力もあったが、ここ3年は、集中力が全くなく、気持ちが天候に左右されることもあり、練習が継続できない。そのためか、毎年違う部位を故障して、何ヶ月かはそれを引きずりながら競技をしている。この流れを断ち切るためにも、少し計画性を持って練習をしていかなければならないと思っている。来年こそは、練習に裏付けられた走りができるようにしたい。

■2008年10月2日(木曜日)
 学生たちの16000mのペース走について、12000mに挑んだ。設定は、3分35秒/km。5000mまでは、設定通りに走れたが、集団から離れそうな学生が一人いたために、集団から離れないよう、彼の後ろにぴたりと付いて無言の圧力をかけたが、1000mも保てず、3秒ほどペースダウンしたため、また集団に戻るべくペースを上げ、7000mでまた設定ペースへ戻した。しかし、その後は、ペースダウンするばかりだったため、4分以上かかったところで止めることにして、結局10000mで終了した。長距離の能力が格段に落ちてしまった。今日はとにかくきつかった。長かった。

■2008年10月1日(水曜日)
 大阪の個室ビデオ店で放火があり、15名が亡くなった。犯人は当日の利用者で、生きていくのが嫌で、死ぬつもりで火を付けたが、煙が充満してきて怖くなって逃げたという。周りの人を巻き込むなと言いたいが、自分の事がどうでもよくなるのだから、周りの人のことなど自分のこと以上にどうでもよくなるのかもしれない。
 本人が問題を抱えると、それをきっかけに周りに危害を加える人はいると思う。本人には、その自覚はないので、やっかいなのかもしれない。周りの人がその問題ごとサポートできればいいが、サポートする人がいないので、孤立してしまう。悪循環にしかならないような気がしてきた。原点はやっぱり育てられてきた環境なのかもしれない。親として気をつけなければ・・・ 



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