最近のいずみ

Last Update:2008/12/31

パートタイムアスリートいずみ 9年目に突入!! 


■2008年12月31日(水曜日)
 今更ながら、リビングの大掃除。妻と自分は、掃除に専念して、子供たちは勝手に遊んでもらった。長男は、ブロックやミニカーがあれば、自分で遊んでくれるが、次男は、誰かにかまって欲しくて仕方なさそうだった。カーペットを掃除しようと思えば、カーペットの上に乗ってくるし、掃除機で掃除していれば、掃除機に捕まろうとするし、彼にとっては、すべてが遊びの対象なのだろう。
 今年は、やりたいことがあまりやりきれず、かなりのんびりしていた。来年は、もう少し早く行動に移せるようにしたい。

■2008年12月30日(火曜日)


次男の砂遊び



貝拾い
 最近は12月とは思えないほど暖かく、昨日は、海岸を散歩していたときに長男が、海岸でバーベキューをしたいと話していたことを思い出し、季節はずれのバーベキューをした。長男の友達の2家族を誘ってみたが、残念ながら参加する家族はなく、結局我が家だけのイベントとなった。
 長男も、次男も海岸での砂遊びに夢中になり、砂だらけになっていた。炭を並べ、着火剤をおき、日をつけようと思ったが、火をつける道具がなく、近所のコンビにまで走って買いに行く場面もあったが、無事に火がつき、野菜を焼き始めることができた。しかし、炭の量が少なかったためか、肉を焼き始めようとしたときには、火力が弱ってしまい、肉を焼くことができずに終了してしまった。バーベキューとしては、不完全燃焼だったが、子供たちを思いっきり砂で遊ばせることができ、子供たちは満足したようなので、それで満足した。

■2008年12月29日(月曜日)


ローラー滑り台
 家族で、近所の山にあるアスレティックへ行った。長男は、そのアスレティックにあるローラー滑り台が大好きで、一緒に滑りたいと言っていたので、一緒に滑ったが、終わったあとは、かなり顔がこわばっていた。この滑り台は、大人が滑ると、子供と比べ、滑り降りる勢いが違う。さらに子供とくっついて滑ると、別々に滑るよりもスピードが上がってしまうため、カーブでは、かなりの遠心力を感じることになる。一緒に滑り降りた後は、大人と滑る怖さがよくわかったようで、一人で滑るようになった。ブレーキは、靴で行うしかなく、かなりの勢いの中でブレーキをするため、靴の裏が磨り減ってしまいそうな感じだった。ローラー滑り台のもっとも嫌なことは、スタート地点へ行くのに、かなり山を登らなければならないことだった。1回上るだけでも汗をかくほどの山だが、子供は、滑りたいという気持ちがとても強いため、何度でも山を登って滑ってくる。一人で滑らせると心配なので、後ろからついて行くが、回数が増えてくると、山に登るのが嫌になってくる。最後は、下で見ながら、子供だけ滑ってくることになった。子供は、自分の好きなことには、まったく疲れを感じることがない。大人になってから、そんな体験をしたことがあっただろうか?夢中になるというのは、こういうことなのだと思った。

■2008年12月28日(日曜日)
 陸上仲間の友人からかき鍋パーティーの招待があり、相模原の友人宅を訪問した。相模原へ行く途中で、ガソリンスタンドをいくつも通過したが、最安値は1リットル当たり93円という値段で、横須賀と比べ10円以上安くて驚いた。
 パーティーには、20名以上が集まり、牡蠣鍋、きりたんぽ鍋、牡蠣グラタンを中心に、10品以上の料理が並んでいた。これを一人で作り上げたというのだから、本当に驚きだった。久しぶりに会う人もたくさんいて、食事だけでなく、いろいろな人とも話すことができ、とても充実した時間をすごせた。パーティーを開いてくれた友人に感謝したい。

■2008年12月27日(土曜日)
 横浜にあるコストコへ行った。コストコは、アメリカの大型会員制ショッピングセンターで、会員になるには5000円程度の入会費が必要だった。店内は、かなりの広さで、品も山積みになり、日本のショッピングセンターとは雰囲気が違っていた。食品は、試食がいくつもあり、大人も子供もこれを楽しみ、試食だけで腹が膨れてしまうのではないかとほど種類が豊富だった。お客の買いっぷりもすばらしく、1袋1000円もするせんべいの袋を山盛りにして買っていく人もいた。どうやって食べるのか、今後の消費の仕方に興味をもってしまった。
 店内には、軽食コーナーもあり、メニューはそれほど多くはなかったが、ボリュームがありかなりのお買い得感があった。特に飲み物の紙コップは、日本のサイズではなく、不必要なでかさだった。飲み放題だったため、子供は、いったん飲み終わった後、コップいっぱいに飲み物を入れなおし、お土産にもってかえっていた。
 安い安いといって、次々と商品をカートに載せていくと、レジでは信じられない金額が請求されることになる。買いたいものをあらかじめ決めてからでないと、ここにはいかないくらいの気持ちがないと行ってはまずいと思った。

■2008年12月26日(金曜日)


美術館からの眺め(君津方面)
 25日までに出せば、元旦に配達されるらしい年賀状だが、今年も結局間に合わなかった。住所変更や喪中の人など、ハガキが届いた時点で変更しておけば、年末にまとめて変更するような手間がないのに、それがなかなかできない。住所変更している人のハガキが見つからなかったりもする。毎年同じことの繰り返しで、進歩がない。来年こそ、と今は思っている。

■2008年12月25日(木曜日)
 一時期通勤で自転車に乗っていたが、パンクをして、自分で修理をしてみたものの、結局直らず、そのまま放置していたら、前輪と後輪の両方のブレーキが、効かなくなった。効かなくなったというよりも、効いてしまって両輪とも回らなくなってしまった。自分では直せないので、自転車屋にお願いしようと思ったが、以前パンク修理で5000円もかかったことを考えると、新しい自転車が買えるのではないかと思い、修理は頼まず、処分することにした。買ってから1年ほどしか経っていないのに、さびる部分は、すべてさびてしまい、この地域特有の細かい砂の混じった雨により、触るだけで手が真っ黒になりそうなほどのひどい汚れがついていた。
 市の処理場へ処理をしてもらいに行ったが、年末掃除で家庭からのごみが多いためか、車で渋滞ができるほど並んでいて、20分ほど待った。処理には150円かかった。想像を超える安さで驚いた。

■2008年12月24日(水曜日)


トナカイとクリスマスツリー
 横須賀美術館は、クリスマスイブということで、本日と明日は、先着50組のカップルにつき、所蔵展、谷内六郎展、、駐車料金が無料というイベントをやっていた。閉館20分前に家族で行ってみたところ、余裕で先着50組に入ることができてしまった。横須賀美術館は、恋人の聖地という場所を作り、おしゃれなイタリア料理店を併設するなど、必死になって入館者を増やそうと努力しているが、今日の時点では、先着50名に達しなかったということなのだろう。カップルを呼び込むには、都内からも、市の中心部からもちょっと距離がありすぎ不便な立地なのだと思う。受付には、先着50組に対応するためか、受付担当が3名もいたが、1名でも十分な感じがした。閉館直前ということもあり、お客は、我が家だけで、完全に貸し切り状態だった。閉館後も営業しているレストランには、お客が一人もいなかった。
 横須賀美術館は、自分にとって魅力的な展示がほとんどない。また、あまりお客が入っているようにも見えない。これだけお客さんの来ない施設では、市民の税金を使って運営するには、厳しいのではないかと思った。

■2008年12月23日(火曜日)
 この2,3日は、足首の痛みが先週よりも強くなり、走ることができなかったが、今朝は、少し緩和したため、走ってみることにした。一昨日から妻の実家に泊まっているので、東京駅まで行ってみて、余裕があれば、天皇誕生日なので、皇居まで行ってみようかと考えながら妻の実家を出発してみたが、ジョギングを始めて15分で足首の痛みが強くなり、20分で歩いてしまった。全く東京駅どころではなかった。20分以降は、歩きとジョギングを交互にしてなんとか帰宅した。休みに入って超音波をかけることができなくなったことが、大きく影響しているように感じる。

■2008年12月22日(月曜日)


25周年らしいです



コーヒーカップ



クリスマスツリー
 家族と東京ディズニーランドへ行った。妻は、園内にいてもなかなか見られないミッキーマウスを見て、大喜びしていたが、子供たちの反応は薄く、とても残念そうだった。
 アトラクションは、長男の行きたいところへ気の向くまま行くことにした。最初に行きたいと言ったのは、ゴーカート。わざわざディズニーランドで乗らなくてもいいのに、と妻と共に思ってしまう。長男は、自分でハンドルを握ってみて、車の運転の難しさを感じたようだった。その後も、船と汽車など乗り物に乗りたがった。途中で、コーヒーカップが目に入り、それに乗ると言い出した。こちらは、苦手な乗り物なので、できれば控えたかったが、妻が先に放棄したため長男と2人で乗ることになった。カップの中央にあるハンドルを無理に回さなければ、回転も少ないだろうと思い、ハンドルを触るだけにしていたら、長男から「パパもしっかり回して!!」と怒られてしまった。子供の力では回らないが大人の力だと回転が急激に高まる。こちらは、すぐに気持ち悪くなり、早く終わらないものかとばかり思っていたが、長男は、大喜びで、終わった後も元気だった。
 子供たちの冬休みが始まったこともあり、お客は多く、園内では、蛇行しなければ前に進めないほどだった。子供が小さいため、長時間列を作るようなアトラクションには、並ばなかったが、もう少し大きくなってくると、お父さんは並ぶ係として働くことになるのだろう。園内は、ベビーカーを引く家族が多く、段差はほとんどなく、そういう面では、とても配慮のある施設だと思った。
 世の中不況で、明日の生活もままならない人たちがいるという報道が毎日テレビで流されている。それとは対照的にディズニーランド内では、バブルのような大量消費が続いていて、別の世界に来ているように思えた。

■2008年12月21日(日曜日)


優勝を決めた最終区



表彰後
 荒川大学対校駅伝が行われた。我が校は、昨年初優勝し、今年は、2連覇を目指してのスタートラインに立った。天気は快晴、気温は少し高いくらいだったが、例年のような強い風がなく、選手にとっては、とても走りやすい環境だった。
 1区では出遅れてしまい、前半は予想よりも順位は悪く、先頭からはかなり離されてしまったが、後半の3区間で4年生が巻き返し、最終区で先頭に立ち2連覇となった。タイムは2時間11分15秒ということで、目標の2時間10分台は出なかったが、昨年の大会記録を更新することができた。距離は、マラソンの距離なので、まだまだ全国高校駅伝のレベルにはかなわないが、少しずつチームの力は上がっているし、大会のレベルも上がってきているように感じた。我が校は、もう1チームがオープン参加の部にも出場し、見事1位となり、2部門で優勝できた。
 今回は、幹事校という役割もあったため、多くの学生が運営にも携わったが、みなしっかりと自分の役割を果たしてくれた。自分は、閉会式で幹事校の監督講評ということで仕事をした。今回は、自分も運営側の一員となったが、駅伝は、見るよりも自分で走るほうが好きだ。

■2008年12月20日(土曜日)
 国の来年度予算案が、過去最大規模になる見通しという報道があった。一般会計を88兆円とし、財源として、税収が約46兆円、国債の発行が33兆円になるという。今まで、あまり国家予算について気にしたことがなかったが、予算のかなりの割合が借金ということに驚いた。景気対策のためにお金を使うということは、回り回って自分たちの借金になっている。これほどの借金をしても、破綻せずに国が維持できていることが不思議に思えた。

■2008年12月19日(金曜日)
 長男は、今年の4月からピアノを習い始めた。始めた頃は、楽譜が読めず、イライラしていたが、最近は、楽譜が読めるようになり、知っている曲があれば、習っていなくても自分で弾き出すようになった。練習を始めるまでには、時間がかかり、1週間に1回か2回程度の練習だが、練習を始めると、課題の曲は1日で弾けるようになってしまう。教室では、曲が弾けるごとに、はなまるがもらえ、長男は、はなまるがもらえるだけでかなりうれしいらしい。最近は、毎週2,3曲の課題をミスなくこなしている。まだ簡単な曲ばかりだが、彼にとっては、大きな自信になっているようで、はなまるをもらって得意げな顔をしている長男をみると、こちらもうれしくなる。

■2008年12月18日(木曜日)
 アメリカンフットボールのオンワードとアイスホッケーの西武が廃部するというニュースが流れた。2チームとも、大企業の後ろ盾で活動していただけに、今回のアメリカ発の金融不安は、スポーツ関係者にも大きな影響があるのだと思った。駅伝を中心に活動している自動車産業の有力実業団チームがいくつかあるが、期間従業員などが解雇されるなど、企業も存続をかけた厳しい状態なので、これらのチームも今後何らかの影響を受ける可能性がある。スポーツは、お金がかかるので、底辺で支えているのは、多くのスポーツ愛好家ではなく、お金を出してくれるスポンサーなのだと思った。

■2008年12月17日(水曜日)
 インフルエンザの流行が始まったというニュースが流れた。授業時に学生たちにインフルエンザに感染した学生がいるかどうか聞いてみたところ、「すでに感染者が何人かいますよ」との答えが返ってきた。寮生活なので、一人が感染すれば、次々と感染していくことは、必然と言えるのかもしれない。
 新型インフルエンザの発生が近い将来に大流行するのではないかと言われているが、日本では4人に1人が感染し、64万人が死亡するという予測が立てられている。流行に敏感な我が校の学生たちは、どのくらい影響を受けるのだろうか。自分でできることは、外出時にはマスクをし、帰宅時には手荒いとうがいをするくらいしかない。

■2008年12月16日(火曜日)
 昨夜から、右の喉と耳が痛くなり、少々頭痛も感じるようになってきた。一晩寝ても緩和することはなく、逆にそれぞれの痛みが強くなっていた。受診し薬をもらい、飲んだ後は、かなり痛みは緩和してきたが、完全には回復しなかった。午後から休みをとって、家に帰って寝た。
 家の中では、妻と、子供2人が、とても騒がしくて寝られなかった。長男は、次男に対して、少し意地悪な態度を取るので、次男も負けずに長男の体をギュット握りしめ痛めつけようとする。強く握られると長男も仕返しをしたり、グッとこらえて泣き出したりする。長男が泣けば、次男もつられて泣く。仲良く遊んでくれないかと思う。妻は、大声で子供たちを叱り、子供もそれに負けずに大声で怒鳴り返したり、泣いてみたり・・・。普段、家に帰ると妻が不機嫌な時があるが、その気持ちはよく分かる。 結局夕方まで一睡もできなかった。仕方ない・・・。

■2008年12月15日(月曜日)


富士山
 24日ぶりにジョギングを開始。まだ足関節の可動域には痛みによる制限はあるが、可動域ギリギリのポジションでの痛みなので、普段の歩きには支障がなく、ジャンプをしたときにも痛みを感じることがなくなり、片足立ちでの不安定性も感じなくなってきた。ジョギングは、歩くくらいのスピードだったが、走れるだけでうれしかった。走っているうちに自然とスピードが上がってくるので、必死にこらえ低速で走った。30分くらいで、前距腓靱帯に痛みが出てきて終了。年末までには、ジョギングを開始したいと考えていたので、自分の希望より2週間早くジョギングに復帰でき満足。来月の駅伝まで約1ヶ月。なんとかなりそうだ。

■2008年12月14日(日曜日)
 久里浜で市民駅伝が行われた。出走する予定でいたが捻挫のため補助員となった。朝から雨が降り続き、気温は上がらず、風も強く、傘は骨組みがあらぬ方向へ曲がり使えなくなってしまった。
 人口が40万人を越える市での駅伝大会なのだが、3km程度の周回コースで、規模が小さく注目度も低く関係者を除く応援はほとんどない。出場チーム数は50チーム近くあるが、中高生の出場もすくなく、女子チームは6チームほどで、毎回ちょっと寂しいなぁと思う。
 我が校の男子チームは、毎年競り合う相手がいないことが多く、ほぼ優勝する。今年も男子は3チームが出場し1,3,7位となった。今年は女子もチームが組めるほどの人数が集まり2位となった。ちなみに自分のチームは、昨年の5位に続く6位入賞だった。
 自分は、競技開始前から競技が終わるまで、約2時間半ほど、雨に打たれながら補助員をしていた。手の感覚はなくなり、膝から下は雨がしみこみ、かなり寒かった。大会でサポートに回る人たちの大変さを改めて実感した。これまで以上に今後のレースでは、レースができることに感謝したいと思った。



参加した学生たち

■2008年12月13日(土曜日)
 長男は、幼稚園の宿題で、毎日日記を書いている。最近、日記を書くのに、2時間以上かかり、日記を書くことに集中できず、別のことをやったり、持っている鉛筆で、別の落書きをしたりして、なかなかやるべきことができない。日記が終わらず、風呂や食事の時間がずれて、最終的には寝る時間まで変わってきてしまうため、妻はキレそうになっている。何度言っても、変わらないので、困る。妻が次男の世話をするようになると、長男は、母親を取られたと思うらしく、自分の世話をしてくれと泣き出しそうになる。さっきまで怒られていたのに、それでも世話を焼いてもらいたいらしい。自分に興味を向けてもらうために、やるべきことをわざと引き延ばしていると考えることもできる。子供も無意識ながらいろいろと考えた末の戦略が表に出てきているのかもしれない。困った・・・

■2008年12月12日(金曜日)
 先週からリハビリを兼ね、エアロバイクを始め、持久力の低下を防ごうと思っていたが、ジョギングと比べ苦痛で、先週は結局1回しかやらなかった。これではマズイと思い、今週は今日を含めて3回行い、少しずつ苦痛が苦痛ではなくなってきた。エアロバイクでは、負荷、消費カロリー、走行距離などが数値で表される。運動時間は、60分で終了するプログラムで、負荷は最大250W、消費カロリーは、毎回目標を変え、徐々に増やすようにしている。昨日は、600kcalを目指していたが、今日は700kcalを目指し、実際は、690kcalまで行った。走行距離も昨日は、38.9kmで、今日が43.8kmと数値はのびてきている。どこかで頭打ちにはなるだろうが、記録がのばせるとこまで、のばしたくなってきた。記録がのびることを楽しみに、なんとか続けられそうだ。

■2008年12月11日(木曜日)
 何かを見た時の脳の視覚野の活動パターンを読み取り、コンピューターの画面上に画像として再現する技術が現実的になってきた。テレビの報道では、アルファベットの文字認識程度だったが、これが、発展すれば、頭の中のイメージが、本人だけのものではなく、他人からも見ることができる可能性が出てくる。寝ている間に夢としてみている映像が、人に見られるということ。この先、どこまでこの技術が発展していくのだろう?必要な人にはすぐにでも欲しい技術だと思う。これらの技術が悪用されないことを願う。

■2008年12月10日(水曜日)
 国際理数テストの結果が新聞などで報道されている。日本のレベルは低下傾向にあったが、今回のテストではなんとか下げ止まりになったようだ。テストと同時にアンケートもあったようで、「勉強が楽しいか」という問いについて、中学2年生の肯定的な答えの割合が、数学で40%だった。理数の学習が「日常生活に役立つ」と思う中学2年生の割合が53%と国際平均よりもかなり低かったようだ。
 中学2年生で日常生活に役立つことが分かって勉強することのほうが異常ではないかと思った。海外のほうが、日常生活に役立つことを分かって勉強しているということなのだろうか。勉強が、何の役立つか分からないので、それを知るために一生懸命勉強するということのほうが、自然な気もする。その中には、楽しい勉強もあれば、楽しくないものもあるかもしれない。とにかく、すべてを体を使って経験することによって何か身に付くのではないか。だから数学が楽しくない生徒が60%を占めても、そんなに悲観的になることはないように思う。何かの役に立つから、と自分にとっての利益ばかりを追求していては、偏った人間になってしまう。何も言わず、とにかくやってみる。やれることをできるだけやってみてから勉強について不満を言えばいい。中学生では、勉強について不満を言う立場にはないと思う。

■2008年12月9日(火曜日)


カチカチ付



新型浴槽
 官舎の風呂が変わった。昨日までは、ガスの元栓を捻った後、ハンドルをカチカチと回して火をつけてお湯を入れなければならず、時間指定などは当然できず、自分が入る前に入れなければならなかった。保温の機能もなく、カチカチと回すハンドルの装置が大きく、風呂がとても狭いために、膝と股関節をしっかりと曲げなければ湯船に入ることはできず、子供と入ると窮屈で仕方なかった。
 今日からは、ボタンひとつでお湯が入る時間や水位が指定できしまう。カチカチの部分がなくなり、昨日までより浴槽が広くなった。不満は、壁まで10cmほど空間があり、もう10cm長い浴槽であってもよかったのではないかということくらい。以前よりは、膝と股関節を曲げる角度が広がり、浴槽の中には、肘を置く場所もあり、少し横になって入れるようになった。浴槽の高さがかなり低くなり、子供たちも入りやすく、次男はいつでも浴槽の中で立つことができるようになった。昭和の時代から突然平成の時代になった気分。
 これからは、家に帰ったら風呂が沸いているという、今まではかなわなかったことが可能になる。お湯を入れているのを忘れて、浴槽からお湯があふれ出ることもない。本当にうれしいことばかりだ。

■2008年12月8日(月曜日)
 リハビリを兼ねて、職場へは歩いていった。行きは山を登り、帰りは山を下るという道。行きは、それほど気にならなかったが、帰りは、足への負担がかなり大きかった。一歩踏み出すごとに、足首を伸ばした感じで着地するためなのか、前距腓靱帯と外果が痛んだ。階段ではそれほど気にならないが、坂道で下れば下るほど痛みが強くなった。
 受傷してから、2週間以上が経った。重傷度は、3段階のうちの2なのだと改めて実感した。1は、軽度で1週間くらいで競技復帰ができるが、2は、靱帯の部分断裂も考えられ、復帰は、3週間以上とされている。医師の診断からも完全断裂はしてないはずなので、可能な限りリハビリに取り組むしかない。授業で、学生たちに手本が見せられず口で説明しなければならないところがとてももどかしい。

■2008年12月7日(日曜日)


富士山
 福岡国際マラソンをテレビで観戦。大きな番狂わせもなく、優勝は北京オリンピックの銅メダリストだったこともあり、妥当な結果だったと思う。2位以降も日本の有力選手が入り、来年の世界選手権への出場者も1名決まった。解説は小中学生時代のヒーロー瀬古さんだった。中間点を過ぎたところで、中間点は、中間点ではなく、35kmが中間点だとコメントしていた。現役で走っていたときには、本当にそのように思っていたことなのかもしれない。あのイカンガーとの最後の直線勝負では、ラスト100mが13秒台と言われていた。あれほどのラストスパートの切れは、瀬古さんを除いて今まで見たことがない。あんなスパートが出せる日本人がまた出てきたらいいのになぁと思いながらレースを見ていたが、上位の日本人選手でも、後半失速して、やっとのことでフィニッシュする選手ばかりだった。

■2008年12月6日(土曜日)


横須賀美術館と波
 長男が昨日から発熱で幼稚園を休み、今日も熱が下がっていないため、次男を長男から離すため、次男と一日外出した。
 午前中は、学生たちの練習があったので、練習を見に行き、グラウンドで次男を離し、適当に歩いてもらった。途中から体育館内でのトレーニングとなり、ボールで遊んでもらった。
 午後は、横須賀美術館とその周辺を散歩。美術館での展覧会は、先月と変わっていないが、年間パスポートがあるので、また同じ展覧会を見に行った。今の展覧会のメインは、彫刻だったが、自分が気になるのは、美術館所蔵の絵で、パステルで風景が描かれているのだが、それを遠くから見て、また近くから見たりするのが好きになってきた。ジッとしていると次男がベビーカーから乗り出してしまうので、ゆっくりと見ることはできず、また何回でも来ればいいや、といつも思う。年間パスポートの期限が切れるまで何回でも通ってやろう、という気持ちがますます強まってきた。

■2008年12月5日(金曜日)
 捻挫の痛みが、ここ2,3日でまた強くなり、痛みの箇所が局限されはっきりしてきた。以前は靱帯が気になっていたが、昨日から、歩いていると外果で、何かが収まっていない感じがあり、一歩一歩足を進めるたびに、違和感を感じていた。整形外科の先生に聞いてみたところ、短腓骨筋腱の脱臼が考えられるとのことだったが、実際に触診してみると、脱臼しているほどの感じはなく、少し乗り上げている感じがあるかもしれないというくらいのものだった。底背屈(足首の曲げ伸ばし)にも痛みが伴い、普通に歩けない。あまり体重をかけたくないので、エアロバイクもこげなくなった。振り出しに戻ったようで、この2週間は何だったのだろうという思いが込み上げてきた。

■2008年12月4日(木曜日)
 昨日、大阪府は、小中学生の学校への携帯電話持ち込みを禁止する発表をした。携帯サイトを使ったいじめに対処するという意味合いもあるらしいが、学校への持ち込みが禁止されても、家に帰って使うのであれば、それほど効果はないいような気もする。禁止すればするほど、隠れて使用するということも考えられる。最近よくニュースになる大麻は、日本では禁止されているが、海外では、隠れてやられるくらいなら他のドラックよりも害が少ないということで禁止されていない国もあると聞く。何事も禁止にするかどうかということは、メリットとデメリットを考えなければならず、判断はかなり難しい。 今回の発表は、そういう難しい判断だったのだろうが、授業の妨げになるのであれば、禁止は当然のことだと思う。

■2008年12月3日(水曜日)
 「肥料をやらないと、木は根をのばすようになる。必死で栄養を獲得しようとするからである。逆に十分な肥料を与えれば、伸びが悪くなる。現代社会を見ていると、要するに栄養の与えすぎではないか、と思うことが多い。子育てがそうである。肥料は十分だから、見た目も習い事も、ともあれ子どもは立派に育っているのだが、根が張っていないのと違うか。」と解剖学者の養老孟司さんが武道(平成二十年十二月号)という雑誌で述べていた。ドキッとする文章だった。毎日、同じことで子供を怒ってしまう。食事や歯磨きなど、最終的にできないと、幼稚園バスの時間や寝かせる時間が迫っていたりして、我慢できずこちらが動いてしまうことが多い。子供が鼻水をたらしているだけで、こちらは我慢ができず、すぐに鼻紙でぬぐおうとしてしまう。子供に介入しすぎなのだろうか?子供が自分自身で根をのばしてもらうためには、親は何もやらないくらいの覚悟や我慢をする必要があるのかもしれない。
 学生たちへの教育も同じことのように思えてきた。今は、自分の持っている知識をできるだけ伝えようという気持ちがあるので、肥料を与えすぎているかもしれない。何かを与えるのではなく、学生が自ら考えられるようなことを考えていかなければならない。簡単にできることではないが、教員が最もやらなければならないことだと思う。

■2008年12月2日(火曜日)
 捻挫をして10日が経った。この間、日常生活で歩くくらいが運動で、その他は全くやっていない。患部のことばかりが気になり、患部外トレーニングについては、なかなかやる気になれなかった。もうそろそろやっていかなければ、復帰した後の負担が大きいので、まずは、半荷重のエアロバイクでの運動を行った。250ワットまで負荷がかけられるが、自分がどのくらいの負荷でこぎ続けられるか分からず、1分間に10ワットずつ上げ、どのくらいが最適か考えながらこぎ続けた。200ワット近くなると気を抜くと回転数が落ちるくらいの負荷になり、ちょうどよいと思ったのは、210ワットだった。しかし、こぎ続けられたのは、20分ほどで、あとは、60分で終了するまで、回転数が落ちるたびに少しずつ負荷を軽くしなんとか継続させた。エアロバイクでは、風景が変わるわけでもなく、ジョギングと違って非常に苦痛だった。早くこんな運動からはお別れしたいと思った。

■2008年12月1日(月曜日)
 昨日、朝電車に乗り遅れそうになり、走れないのに、足を引きずって急いだため、また捻挫の痛みが強くなってきた。外果の上辺りの腫れは、1週間経っても変化がない。脛骨と腓骨をつないでいる靱帯、外果の下と後ろにある靱帯、第4趾と第5趾をつなぐ靱帯の痛みがあるので、その辺りが損傷しているのかもしれない。先週よりも歩きがぎこちなくなってきた。こういう痛みには、波があるのだろうから、焦っても仕方ないが、受傷3日後の方が痛みが少なかったので、あまり良い気持ちはしない。患部外のトレーニングはできるのだから、そろそろ痛みの部分を忘れ、できることをやっていかなければならない。



[昔のいずみ]