最近のいずみ

Last Update:2008/2/29

パートタイムアスリートいずみ 8年目に突入!! 


■2008年2月29日(金曜日)
 昨日から、スパイクを履き始め、今日のメニューは600m+500m+400mを 2セット。2セット目は、すぐに足を攣ってしまったため走るのを止め、結局1セット しかできなかった。走る前からわかっていたことだが、8割くらいの感覚で走った はずだが、余裕は全くなく感覚としては全力と変わらず、タイムがもの凄く悪い。 中途半端なスピードで、中途半端なきつさだった。あと1ヶ月でシーズンインとなるが、 これから1ヶ月で、この中途半端さをなくし、8割程度のスピードであれば、 気持ちよく走れるようにかえていかなければならない。

■2008年2月28日(木曜日)
 大学入試センターのセンター試験を見直し、高校卒業のレベルに あるという証明になるような試験をする必要があるのではないか という議論がなされているという報道があった。最近の大学入試では、 一般入試で大学に入学する学生の数が減少し、学力試験のない推薦入試等で 入学する学生の数が多くなり、本来その大学に入学するレベルにない 学生の入学数が増えているらしい。
 まだ議論の最中らしいが、大学全入時代になり、学生数を確保する ために各大学が必死になった結果が推薦入試やAO入試なのだと思う。 経営が成り立たなければ、大学は成り立たないが、学生のレベルが 低下してしまっては、大学の存在価値にも関わってくる。大学側の 入試方法と、高校での学力の向上の両方から考えていく必要があるが、 高校を卒業するレベルにあるかどうかの試験ができるのであれば、 大学の教員としては、是非やって欲しいと思う。

■2008年2月27日(水曜日)
 南アフリカでゾウの間引きが再開されるという記事を見た。一時は ゾウの数が減少したためにゾウの間引きが禁止されたが、最近は数が 増え、人を襲ったり、食料を奪ったりするなど被害が報告されている という。間引きと言っても具体的には殺すということになるのだろう。 生息区域を移動させるなどの措置もあるのだろうが、生息区域の生態系 が変わってしまうよう可能性もあり、どちらにしてもゾウは、人の 都合で生かされたり殺されたりして、ゾウの都合はまったく考慮は されない。
 同じような問題を抱える日本のサル被害は、生息区域の移動は 難しく、問題はもっと深刻なのかもしれない。また、ブラックバスや ブルーギルの問題も思い浮かぶ。すべてが人間中心の考えが起こした 問題だと思う。お互いの被害ができるだけ少なくなるような共生の 方法が何かないだろうか・・・

■2008年2月26日(火曜日)


昨日目にした新聞
 先週金曜日、自分たちがサイパンへ到着しホテルのテレビをつけたところ、 最初に見たのがNHKの放送で、ロス疑惑の三浦和義氏がサイパンの空港で 逮捕されたというニュースだった。日本に帰ってきてみると、ワイドショーでは かなりの時間を割いて、報道しているのに驚いた。サイパンでの報道の 過熱ぶりはどうですか?というスタジオからの質問に、現地リポーターは、 サイパンの新聞でもトップ記事で報道されるなど過熱しているというような 答えをしていた。確かに、昨日サイパンの新聞を見たときには、トップ記事と して書かれているのを見たが、ただそれだけで、現地のテレビでは特に 報道されている雰囲気はなく、NHKだけが放送しているように見えた。テレビで、 警察の映像が流れると背景に、一昨日まで見ていた市庁舎の映像が映り、 なんとも不思議な感覚だった。
 日本にいると、現地リポーターの言葉を信じるしかないが、本当なのだろうか?と 思った。一昨日は、ちょうど騒ぎの中心となっている市庁舎、裁判所、 警察の隣のお店へ買い物へ行ったり、そこから最も近いビーチで泳いでいたが、 まったく騒がれている様子はなかった。現地の人もこのニュースに関心を 示しているようには見えなかったので、リポーターの説明は過剰ではないか と思った。日本にいると海外のことはほとんどわからず、海外にいると 日本のことはほとんどわからない。正しい情報を得るということは、なかなか 難しいということなのだと思った。
 この事件のニュースを見た職場の先生から、サイパンから帰ってこられない のではないかと思ったと言われた。また、妻の母からは、大丈夫だった?という 電話がかかってきて、気をつけてよと言われたらしい。いったい何に気をつければ いいのだろうか・・・

■2008年2月25日(月曜日)


山頂のキリスト像



山頂は霧だらけ



霧のなくなった下山途中



浜では結婚式の記念撮影



ハイアットのプールにて



お世話になったロビンさんと
 朝6時半頃からチャンさんと沼田くんと一緒にサイパンで最も高い山で あるタポチョ山の山頂を目指しジョッグ&ウォークをした。通常は、 観光会社のツアーで車に乗って山頂まで行くらしく、ツアー会社は、 勝手に「ジャングルツアー」と名前を付けているが、別にジャングルでも ないとチャンさんは話していた。
 走り始めてすぐに子供達が大勢バス停に集まっているのを見て、あまりにも 早い時間帯からバスを待っているのに驚いた。サイパンの子供達は、朝起きたら すぐに学校へ行くのだそうで、学校で朝食が出され、朝食も昼食もすべて無料 になっているとのことだった。
 頂上への道のりは、多くが砂利道で普通の車では登ることができないような 坂が多かった。しかし、山頂までの道のりにいくつも家が建っていて、生活して いる人がいるのには驚いた。また、野犬が多く、チャンさんは野犬に襲われない ように木の棒を携行していたが、これもサイパンでの常識なのかもしれない。
 天気はずっと悪く、山頂に近づくにつれ、雲の中に入っていくような感じで、 山頂についてから、少しの間雲が移動するのを待ってみたが、期待していた オーシャンビューを見ることはできなかった。
 今日は、朝から下痢気味で、山から下るときには、何度かビックウェーブが 押し寄せ、顔を青くし必死に我慢しながらジョッグを続けた。ほぼ下山し終わった ところにチャンさんが毎朝テニスをするテニスコートがあり、そこのトイレに 駆け込み、なんとか危機を脱することができた。
 午前中は、ホテルをチェックアウト後、ハイアットリージェンシーのフィットネス・ センターでジムを使ったり、砂浜ダッシュをしたり、泳いだり、それぞれが好きな トレーニングをした。自分は下痢のため、あまり動かないようにしていたが、 砂浜がとてもきれいで、みんなが海に入っているのをみて、結局海に入り、 すぐに腹がゴロゴロと鳴りだし、トイレへ駆け込むことになってしまった。
 14時過ぎにはハイアットを出発し空港へ向かった。空港では、日本へ帰る人が 搭乗手続きの長い列を作っていた。手続き前に荷物チェックが一人一人行われ、 荷物をすべて開けて見られる人もいたが、自分は中身までは見られなかった。
 自分の搭乗手続きは問題なく終わったが、7人中4人がなかなか手続きが終わらず、 話を聞くと予約してあるはずの席がないということだった。2人はなんとか エコノミーの席が取れ、もう1人はビジネスクラスになったが、残りの1人が どうしても席が取れず、もう1泊しなければならないという状況になった。 結局、明日も休みを取っている小川くんがボランティアで残ることになった。 居残りの人は、ホテルの宿泊と、今晩から明日までの4食分の食事をノース ウェスト航空が負担し、ホテルから飛行場までの送迎がつき、さらに今回の 帰りの便とは別に無料の航空券がもらえるとのことだった。しかも宿泊先は、 ハイアットリージェンシーということで、いつかハイアットに泊まってみたい という話をしていた直後だったので、小川くんはガッツポーズで喜んでいた。 そして、ノースウェストの担当者は、こっちの方がいいだろ!!くらいの 言い回しで、ミスについて全く反省がなく、ますますノースウェスト航空が いい加減な会社だという認識になった。
 日本では、予約をして飛行機のチケットがあるのに席がないということは 考えられないが、海外では何が起こるかわからない。昨年のこの合宿でも 同じことが何人かに起き、なんとか全員搭乗できたが、その裏には、搭乗 できず、1泊を強いられた人たちがいたようだ。今回も、自分たちの グループだけでなく、何人かがボランティアでもう1泊することになった ようだ。これを見る限りノースウェストは、毎日同じようなことを繰り返している のではないかと思った。
 飛行機は、行きと同じように液晶モニター付きの最新機種で、映画 「Bee Movie」を見ることができた。この映画は、日本では映画館での上映が 1月末から始まったばかり。言語は英語のみだったが、アニメーション なので言葉がわからなくても、十分楽しめ、終了直後に飛行機は成田へ着陸し、 サイパン合宿がすべて終了した。

■2008年2月24日(日曜日)


サーキットトレーニング中



ヒトデです



ボブさんと
 競技場が使えるのが朝7時から10時ということで、8時過ぎには競技場へ 行き、昨年一緒に練習した、デイビッドとマッツとともに昨日とは違う サーキットトレーニングを行った。メディシンボール投げでは、デイビッドの 力がとても強く、ボールをキャッチしたときに両手の親指が打撲し、腫れて アザができてしまった。
 午前の練習終了後は、近くのビーチへ行き、昼食まで休憩。クーリングダウンを 兼ねて海へ入った。海はナマコだらけで、あまり魚はいなかったが、海に浮いている ウキの下には、小さな魚たちを見ることができた。
 昼食後はいったんホテルに戻り全員休憩。3日間の洗濯物を洗濯しに近くの コインランドリーへ出かけた。コインランドリーでは、管理人のおばちゃんがいて、 1ドル札の両替を2件隣のポーカー屋でできることやどの洗濯機が調子がいいかなど 親切に教えてくれた。洗濯に1ドル、乾燥に1ドルは、日本と比べてかなり 安いと思った。
 休憩後、午前中泳いだ海へもう1度行った。練習する人は練習し、泳ぐ人は 泳ぎ、昼寝をする人は昼寝をした。自分は、サイパンで唯一の書店へ行き、 子供の土産を買った。その後海で泳ぎ、海中で大きなヒトデを発見した。 このヒトデは真っ青で本当に生き物なのかどうか目を疑ったが、どうやら 生き物だった。
 午後の泳ぎが終わった後、昨日も世話になったチャンさんに連れられ、 サイパンではとても有名な人の家へ連れて行ってもらった。その人の名前は ボブ・ケニーさん。77歳で毎朝77回の懸垂をするという元気なおじいさんだった。 彼は、大きなかめに雨水を入れ、その水を使って自分の体を洗うシャワーにするなど とてもエコロジーな生活を送っていた。いろいろなものを自分で作り、 庭は熱帯植物園という感じだった。元々は数学の先生だったとのことで、 家の中にはいろいろなパズルがあったのが印象的だった。

■2008年2月23日(土曜日)


サーキットトレーニング中



バナナとアボカド



チャンさんと



バンザイクリフ
 朝6時に起き、40分のジョギングをし、朝食後すぐに練習開始時間に 間に合うよう競技場までの5kmの距離を歩いた。途中で、大きな虹を 見たり、大きなカニを見たり、小さなことかもしれないが、いろいろな 発見があり楽しめた。
 競技場では、昨年お世話になったサイパンのクラブチームの人たちが大勢 待っていてお互い再会を喜んだ。
 午前の練習は韓国式サーキットを3セット。昨年も一緒に練習した チャンプくんも一緒だった。セットの最後に1000mを走ることになっているが、 1セット目の1000mを走り始めたときにスコールに遭い、ビショビショに 濡れながら走った。2セット目が始まるときには、スコールは通過し、また 元通りの雲のない気持ちの良い空に戻った。この島は、天気予報があっても、 あまり当てにできないと現地の人がいっていたが、その通りだった。
 サーキットトレーニングが3セット目の中盤にさしかかった頃から、体が 全く動かなくなり、視界がだんだん狭くなってくる感覚があった。メニューは、 なんとか最後までこなしたが、追い込むことはできず、ただもがいているだけだった。
 午後は、昨年メールをやりとりしていたチャンさんに連れられて、チャンさんの 自宅へ行き、農作物を見せてもらった。アボカドが木になっているのを初めて 見た。また、バナナが大量になっているのにも驚いた。その後、サイパンで 唯一の50mプールへ行った。50mプールは屋外で、プールの水は、少し塩分を 含んだ水だった。プールの周りは芝生で、牛が牧畜されていた。目の前には海と 大きな崖があり、とても眺めの良いプールだった。
 プールでは100mの2分サークルのインターバルを10本行った。前半はかなり 余裕があったが、後半は殆ど休憩がなく泳ぎ続ける感じになった。
 泳ぎ終わった後は、チャンさんが観光に連れて行ってくれ、バンザイクリフ、 ラストコマンドポスト、バードアイランド展望所などを見ることができた。 最後にチャンさんの通っている北マリアナ大学へ行き、チャンさんの行っている 仕事場を見せてもらい、仕事について話を聞くことができた。魚をいけすで 飼育しながら、魚の糞を肥料にして、土を使わず水の上にレタスを育てる ということをされ、なかなか興味深かった。
 最後は、みんなが泳いでいるビーチへ戻り、ビーチで泳いで午後の練習が 終了した。

■2008年2月22日(金曜日)


補強中



みんなで



夕暮れ
 アンビバレンスのサイパン合宿に参加。飛行機は、10時20分に成田を 出発し、予定よりも35分早く3時間ちょっとでサイパンへ到着した。搭乗した ノースウェスト航空は、新型の機体らしく、すべての座席の前に液晶画面が あり、映画、音楽、ゲーム、地図など、いろいろな機能があった。映画は、 35本の中から選択でき、自分の見たい時に見たいところから見られる ということにとても驚き、機体には大満足だった。しかし、客室乗務員の おばちゃんは、とてもいい加減で、入国時の税関申告書を配ってくれな かったので、メンバーの一人が申告書をもらいに行ったところ、ドサッと束で 渡され、配ってくれとでも言っているかのような態度だったため、 客室乗務員の仕事だと怒ったところ、後から日本人の客室乗務員が来て 謝罪し、割引のクーポンを渡されたらしい。昨年同様、食事の片づけの際、 ゴミやスプーンを落とし、そのまま放置するなど、客室乗務員の質は 変わっておらず残念だった。
 サイパンに着いて入国出来るまでに約1時間かかり、ホテルへ着いたのは、 4時頃だった。荷物をおいて、着替えをして、さっそく海辺へ走りに行ったが、 残念ながら海は満ちていて砂浜がほとんどなかった。今回も一緒に練習する 沼田くんが今週捻挫をしてあまり良い状態ではないということで、その場で、 補強をするだけで終了した。きれいな海辺で気持ちよく汗をかくことができた。

■2008年2月21日(木曜日)
 2年ほど前に日体大の水泳部の学生が中国昆明での高地トレーニング中に プール内で突然けいれんを起こし、その後原因不明で亡くなるという事故が あった。遺族は、詳しい経緯を知りたいということで大学側に説明を求めたが、 大学側の対応に不信感を抱き、来週訴訟を起こすことになったという。
 一昨日のイージス艦事故でも海上自衛隊と近くにいた漁船の人たちの 話に食い違いがあり、自衛隊への不信感が高まっているように報道されている。
 飲酒運転で問題になった福岡の事件でも、何か真実かはっきりせず、遺族は 真実を知るために、また、今後同じような事故が起きて欲しくないという 願いがあって裁判を起こした。
 事故の関係者が真実をすべて語れば、不信感が高まる可能性は低く、 遺族もその誠意を感じることができ、わざわざ裁判で真実を明らかにする という必要もなくなる。
 運動の現場では突然死ということで人が亡くなることもあるので、 指導者は、事故が起こったときに適切な処置ができるよう知識と技能を 向上させ、自分のやったことに対して説明ができるように日頃から 考えておかなければならないと再認識した。

■2008年2月20日(水曜日)
 沖縄、岩国などのアメリカ軍基地では、沖縄の少女暴行事件の措置として 将兵の外出を禁止した。確かに基地の外に出さなければ、町では問題が 起きないが、外出を制限された側のストレスはたまることになると思う。 我が校でも、寮生活をする学生たちは、何かあると外出禁止にされる。 反省の一つとしてアメリカ軍でも同じことをするのだということに驚いた。
 少女暴行事件の後、同じ地域で不法侵入事件が起き、町村官房長官が 「たるんでいるとしか言いようがない」とのコメントをしたようだが、 自衛隊でも昨日の事故で同じように言われている。「人のふり見て我が ふり直せ」という言葉を思い出した。

■2008年2月19日(火曜日)
 海上自衛隊のイージス艦が漁船に衝突したとのニュースがあった。漁船の乗組員は 見つからず捜索が続いている。事故が起こってしまったということは、現場で何らかの ミスがあったのだと考えるしかない。漁協幹部から「自衛隊はたるんでいるのではないか」 とのコメントがあったが、国民の生命と財産を守るための装備で、国民を傷つけて しまっては、弁解の余地がない。
 イージス艦の性能からすれば、考えられない事故だが、今回の事故からは、この 船でも「灯台もと暗し」で、意外と近くが見えないものなのだろうか?
 この事故を通して、当たり前のことを当たり前に実行することが自衛隊には求められる ということを改めて認識させられた。被害を受けた方たちが救助されることを願う。

■2008年2月18日(月曜日)


4年生は最後の授業でした
 我が社の関係の新聞に、台風の時に植林された山の木はことごとく倒され、雑木 林の山の木は不思議と倒れていなかったという例えがあり、組織においても、 同じ考えや行動をする人だけの集まりではとても弱く、冷静で違ったものの 考え方や見方をする人がいることで組織は強くなるというような内容の記事が あった。
 我が社の組織は、入隊したときに共通の教育を受け、同じ方向に考え方や見方を 統制される傾向にある。しかも、自分が考えず、集団の流れに身を任せると、 とても楽に過ごせるようになってしまう。みんなが同じ行動を取れば、まともな 集団ではなくなってしまう。我が校の学生も下級生ほどその傾向があるような 気がする。自分と関わった学生だけは、そのようにならないよう注意を促して いきたいと思った。

■2008年2月17日(日曜日)


荷物を載せる大型トラック




スタート前




選手たち




フィニッシュ




走り終わった後
 東京マラソンの知的障害者10kmの伴走に参加。参加者のスタート位置は、 A〜Jのカテゴリーに分けられ、同じカテゴリーでもできるだけ早めに並んだ人ほど スタート場所がスタートラインに近くなるため、スタートの1時間くらい前から スタート位置へ並ぶ人も多く、ウォーミングアップをする場所や時間はなく、 トイレに行く暇もないという感じだった。今回は選手4名と伴走3名という グループで参加したため、一人が場所を確保し、残りが歩道に出て体を動かしたり、 トイレへ行ったりして、なんとかスタートできる状態にした。
 スタート位置はカテゴリーCだったため、比較的スタートラインに近く、 なんとかスタート前の招待選手の紹介、国歌斉唱など前の方で盛り上がっている 雰囲気は感じることが出来た。
 スタートの号砲が鳴ったあとは、参加者の大歓声が聞こえ、少しずつ集団が 前に動き出した。スタートラインを通過するのに3分近くかかり、その後も、 多くの人が壁となってなかなかペースを安定させることが出来なかった。
 今回一緒に走った選手は、45分台のベストを持っているということで、 そのベストが切れるように1kmごとにタイムを読み上げてペースを 伝えた。前半の5kmが22分台だったので、自己ベストの出るペースで あることを伝えると、ペースが上がったが、少しすると苦しそうな表情や 呼吸になってしまい、とにかく励まし続けた。1kmごとにタイムを 読み上げベスト更新が可能なことを伝えるたびにスピードが上がり、200m くらいでスピードが落ちるというインターバル的な走りではあったが、順調に 距離を重ね、最後の1kmのペスピードは落ちたが、手元の時計で44分46秒の ベストタイムでフィニッシュラインを通過することができた。
 フィニッシュ直後ドリンクを配るブースがあり、ドリンクに手を伸ばした ところ、ドリンクを手渡してくれたのは、なんとパパイヤ鈴木さんだった。 また自分たちがフィニッシュする直前にマラソンの有森裕子さんがフィニッシュ していて、隣には、あのリディア・シモンさんもいた。走り終わった後に 知ったことだが、今回は、オリンピックや世界選手権の女子マラソンの メダリストがかなり参加していたということだった。これも、2016年の 東京オリンピックへ向けてのアピールなのかもしれない。
 最後に表彰があったが、この表彰に不満があった。それぞれ3位までが表彰 されるのだが、ここで表彰される人は、スタート位置に関係なく、最初に フィニッシュした3人ということになっていた。スタート位置が後ろの方の人が スタートラインからのタイムがどれだけ良くても評価されず、前の方で出走 した人が有利になり、不公平だと思う。今回自分の伴走した選手は、47分12秒で 10位という結果だった。スタートラインからのタイムは発表されないが、 手元で44分46秒だったことを考えると、スタートラインから計った場合の 順位はもう少し上だったかもしれない。
 家へ帰ると、テレビでマラソン中継が続いていて驚いた。7時間もの中継という のは、聞いたことがない。それだけこのマラソンは視聴率が取れるのだろうか? と思いながら放送終了まで見ることにした。放送局が日テレだったためか 24時間テレビのノリで、芸能人ばかりを映し、無理矢理感動を作っているように 見えた。ある芸能人は、走り終わった後、全くおもしろくなかったという感じの コメントをしていた。このマラソンは、多くの落選者がいてたまたま選ばれた人だけ が走ることができたのだから、走りたくても走れなかった人のことを考えると とても腹の立つコメントだった。
 沿道では、音楽隊の演奏、太鼓演奏、ダンスなどいろいろな応援があったが、 最も印象に残っているのは、今回抽選に当たらず走れなかった人たちの応援だった。 自分たちは落選したので、自分たちの分まで頑張ってれといような応援が、 たくさんあった。抽選というものは、残酷なものだと思った。

■2008年2月16日(土曜日)


東大駒場キャンパス
 東大駒場キャンパスで第4回乳酸研究会があった。最初に東大の八田先生から 第3回までの研究会をまとめた本が出版されたという話があった。今までは、 乳酸の生成過程には、無酸素系と有酸素系があるという説明がなされていたが、 その分け方が、乳酸は疲労物質だという間違った認識を作る結果となったため、 この本では無酸素という言葉を使わないように配慮し、この会でも同様にしたい ということだった。
 「高所低酸素トレーニングと乳酸」というテーマで話をされた禰屋(ねや) 先生の研究では、国内の自然の高地を利用したトレーニングと、人工の低酸素室 を利用したトレーニングなどの研究が紹介され、血液の量は増やすことができず、 最大下のランニングエコノミーは向上する可能性があることを示唆するだけに とどまり、国内での高地トレーニングに疑問を呈するという意外な結果と なっていた。
 日本体育協会の伊藤先生は、スピードスケートのサポートでの血中乳酸濃度の 活用について話をされた。楽な感じで滑っているのに意外と追い込めているという のが最も良いトレーニングではないかという考えを持っていて、東京オリンピック の陸上競技で2冠に輝いたピーター・スネルさんの「最も速かった選手が、最も 楽に走った選手である」という言葉を引用しての説明があった。そして最後に、 3月末にそのピーター・スネルさんが講演をするランニング学会の宣伝し、 話を終わらせ、うまくまとめたことに笑いが起き、とても印象に残った。

■2008年2月15日(金曜日)
 男子マラソンの世界記録保持者が北京の大気汚染がひどいため、 北京オリンピックのマラソンには出場したくないと言っている。また、 英国オリンピック委員会では、北京オリンピックの選手に特殊な フィルターの入ったマスクの着用を認めたというニュースもあった。
 選手がフィルター入りのマスクをして走らなければ耐えられないほどの 環境では、普通はスポーツをする環境にはないとしか考えられない。
 現場に行かなければ、本当のことはわからないが、IOCが オリンピックの開催地を選ぶ時の北京はどうだったのだろうか? 当時は、大気汚染がなかったために、今になってこのような問題が 発生したのか?それとも、選考の際に大気汚染のことは、全く考慮 されていなかったのか?
 もう半年後には、オリンピックが始まってしまう。今更会場の 変更は無理だし、大気汚染の改善も厳しいだろう。あとは、選手たちが 無事に競技ができることを祈るしかない。

■2008年2月14日(木曜日)
 武術を中心に研究をされている甲野陽紀さんの講演を聴いた。はじめに コップに入った水を見せて、「これはどんな水でしょうか?」という質問を された。はじめは見た目の判断、次は、コップを持った感じで判断、最後は、 講演を聴いていた人に飲んでもらって中身を知るということをした。結局、 中身は塩水だった。見た目では判断できないことがあるということを示す 例だったのだが、人の動きも同様に見た目ではわからない場合があり、 意識の持ち方や、視点の持って行き方で力の発揮が変わる方法をいくつも 体験できることができた。
 印象に残ったのは、階段の降り方。どのようにしたら衝撃を受けず、安全に 降りられるかという介護に関係するような内容だった。通常は、最初に 前に出た脚を1つ下の段へ下ろすというところに意識を置くが、それでは、 下ろした脚がまともに衝撃を受けてしまう。そうならないためには、前に出た 脚を意識するのではなく、残っている脚の膝を曲げていき、結果的に前に 出した足が1つ下の段に接地すれば衝撃は少なく、段差を踏み外して転ぶ 可能性も少なくなるとのことだった。全く考えつかない発想で、目から鱗が 落ちるくらいの衝撃だった。単純な動作や、当たり前と考えられていることでも まだまだ違った考え方や意識の仕方があるのではないかと思わされる話だった。

■2008年2月13日(水曜日)
 長男は、月曜日からお腹が痛いようで、昨夜は3回ほどトイレに行き大便を していた。普段は、トイレのドアに鍵をかけて、便がどんなものか見せてくれず、 体調がどうかわからないが、昨夜は、トイレのドアは開けたままで、いつもとは 様子が違っていた。便を見ると明らかに下痢だった。熱が出ているわけでなく、 下痢だけだが、お腹の具合がおかしくなってから3日目になるので、今日は、 病院へ連れて行った。昼食をして薬を飲んで、絵本を読んでいるうちに眠くなり、 夕方まで3時間ほど昼寝をしたらしく、自分が家へ帰ったときは、かなり元気 だった。明日からは、幼稚園へ行くことになるので、いつも通り9時ごろには、 寝かせたが、昼寝の影響で、なかなか眠れず、10時半頃に泣きながら喉が 渇いたと言って起きてきた。なんとか寝ようと頑張っていたのかもしれない。 普段は全く昼寝をしないので、昼寝をしたために生活リズムが崩れてしまった ようだ。

■2008年2月12日(火曜日)
 最近、よく夢を見る。何の夢かはよく覚えていないが、実写でカラーという感じ。 しかし、非現実的な場面ばかり。夢の中で出てきたいくつかの場面は目が覚めてからでも 思い出せることがある。実に鮮やかにイメージができたりする。普段、目を閉じて、 目の前にある道具を具体的にイメージしようと思ってもなかなかできないのに、 夢の中では、動きのあるイメージがいくらでもできてしまう。ということは、イメージ する能力はあるが、目が覚めている時には、なかなかその能力が発揮できないで いるということになる。このイメージ能力が目の開いている時にも使えるようになり、 すべてが映像のイメージとして頭の中に残すことができれば、いろいろなことを無理して 暗記する必要はなく、必要な時にその映像のイメージを引っ張り出して使うことができる。 そんな便利な頭にならないだろうかと夢を見るたびに思う。

■2008年2月11日(月曜日)


海でも遊びました




鋸山山頂からの眺め




エサに群がってました
 昨日は、アウトレットモールでゆっくりしたため、東京湾フェリーの最終に 間に合わなくなり、結局蘇我のホテルに宿泊した。
 ホテルのチェックアウトが11時だったので、午前中はゆっくり過ごし、 その後フェリーの出ている金谷へ向かった。
 連休最後の休日なので、もう少し子供を楽しませたいと思い、ロープウェーの ある金谷近くの鋸山へ行ってみようと思った。しかし、妻は、マザー牧場で ソフトクリームが食べたいと言うので、子供にロープウェーかソフトクリームかを 選択させた。その結果行き先はロープウェーに決定。その直後長男は、「ママは、 いつも悔しいです」と言った。悔しいという言葉を知っていて、なかなかいい タイミングで放ったので、妻は少し腹が立ったようだが、妻と2人で大爆笑した。 語彙がどんどん増えている子供の話は本当におもしろい。
 鋸山のロープウェーは、山頂まで3分ちょっとでついた。鋸山は、日本一の 石像の大仏があるなど、遊歩道が整備され散歩のできるところだったようだが、 ベビーカーで次男を連れていたため、岩や階段だらけの場所には踏み入ることが できず、山頂建物の屋上から東京湾を眺めることしかできなかった。
 鋸山は、石の産地だったため、今では、「のこぎりやま」という名前のごとく 石を切り出したギザギザの跡が大きく残る山だった。小さな資料室には、 切り出された石の使われ先の写真などが展示してあり、横須賀市内の小学校の 石垣や東京の靖国神社でも使われているとの説明があった。
 長男は、展望台の景色をちょっと見ると、すぐに飽きてしまい、ロープウェーの 到着口にあった団子屋の団子が食べたいと言い出した。まさに「花より団子」 だった。
 金谷から久里浜までは、東京湾フェリーでゆっくりしたかったが、長男は、 ジッとしていられなかったので、外に連れ出し、行きたいところへ行かせた。 すると彼は、フェリーの最後方へ向かった。そこには、大勢の人がいて、 その周りには大量のカモメが飛び回っていた。フェリーの最後方では、カモメに エサを上げることのできるエリアだったようで、多くの人が、カモメに向かって ポップコーンなどを投げ与えていた。長男は大興奮し、一緒になってエサを 投げていた。子供だけでなく大人でも興奮するカモメの多さだった。

■2008年2月10日(日曜日)


スタート直後





笹野くんと





観覧車からの眺め(富士山)
 千葉国際クロスカントリー一般男子4000mに出場。この冬場は、 モチベーションが低く、寒いと練習が面倒になってやらず、週に2回走れば、 よくやったという感じだったため、あまり期待はしていなかったが、 修士論文を書いていて全く走っていなかった昨年並みの12分30秒台では、 走りたいと考えていた。
 今までは、前半のハイペースにある程度ついて行って貯金をし、後半は大いに だれて、貯金を食いつぶしながらなんとかゴールへたどり着くという戦法だったが、 これでは、今年は、最後までもたないと判断し、できるだけ一定のペースで走る ことにした。
 最初の1kmは3分を切るくらいで入り、いつもよりは15秒程度遅めの入り となったが、一定ペースにするには速過ぎるペースだった。2km通過が6分9秒台で、 大きくペースダウンし、このペースでなんとか維持したかったが、2km〜3kmは、 3分31秒もかかり、普段のペース走よりも遅いペースとなってしまった。
 最後の1kmは、3分18秒台にもどしたが、フィニッシュはなんと13分00秒で、 今回を含め7回の出場で初めての13分台となってしまった。順位は61人中47位で、 こちらも最も悪い順位だった。
 レース前に富士通の笹野くんから、「和泉さんについて行きますから」と今年も 宣言されていた。しかし、前半は、笹野くんの方が随分前にいて、中盤で彼を抜き、 その後は彼を一度も見ることはなかったので、最後の直線でつめてくるのではないか、と ドキドキしていたが、彼は、前半でつぶれてしまったようで、今回は、競り合う 場面はなかった。
 今日は、家族が応援に来てくれていて、長男は、昨日妻の妹からもらったでんでん太鼓を 振りながら大声で必死に応援してくれていた。不本意な結果に終わったが、長男が、走り 終わった後に、公園内で一生懸命拾ったドングリの山を袋に入れてご褒美にくれたことが 何よりもうれしかった。来年は、長男にかっこいいところが見せられるようにしたいと 思った。
 昭和の森からの帰り道、長柄のアウトレットモールへ寄った。ちょっと買い物をして、 食事をして帰ろうと思っていたが、行ってみると大きな観覧車があり、長男が乗りたがった ので、みんなで乗ることにした。山の中にポツンとあるアウトレットモールなので、 人は少なく、観覧車は誰も乗っていなかった。こんなところで営業してやっていけるの だろうか?と心配してしまった。長男は、観覧車初体験。日が落ち始め、東京湾は、 はっきり見えなかったが、富士山のシルエットだけは、うっすらと見えて、乗った甲斐が あった。長男は、初めは喜んでいたが、高さが上昇するにつれ、顔がこわばっていった。 妻は、怖かったと言うと、長男は、全然怖くなかったと言い、親に強い姿を見せたがる 姿が子供だなぁと思った。

■2008年2月9日(土曜日)
 長男は、幼稚園でメロディオンを習っている。メロディオンという単語を 聞いたとき何のことか全くわからなかった。物をみるとピアニカだった。 自分も幼稚園と小学校の時に弾いていたが、妻は、小さい頃から メロディオンと言っていたというので、地域によって呼び名が違うのかと 思ったが、メーカーの違いで呼び名が違うということらしい。
 長男は、我が家の電子ピアノで、メロディオンで弾いている曲を弾いてくれた。 驚いたことにそのメロディーは、ベートーベンの「交響曲第九番」。そして、最近 鼻歌で口ずさんでいるメロディーは、「エリーゼのために」。幼稚園では、 ベートーベンが流行っているのだろうか?「きらきら星」や「かえるのうた」では なくベートーベンの曲になじんでいる子供にとても驚いた。

■2008年2月8日(金曜日)
 海上自衛隊では、艦艇、潜水艦、飛行機での勤務があるが、艦艇や潜水艦での 生活は、行動範囲が狭く、必要な運動量が確保できないらしく、筋肉の衰えが かなりあるらしい。宇宙へ行った宇宙飛行士が、無重力状態でも、筋肉へ刺激を 入れるべくトレーニングをしている映像を見ることがあるが、船乗りや潜水艦乗りも 同様に、仕事の合間にわずかな時間でもトレーニングをすることで、体力を維持 または向上させているという研究結果を見せてもらった。
 これは、海上自衛隊に限ったことではなく、一般の人でも同じことで、本人が、 どれだけ自覚を持つか、本人のモチベーションにより成果は左右される。ちょっと した隙間時間を探せば、1日の間でもかなりいろいろなことができるはずなの だが、それがなかなかできない。毎日、コツコツと積み上げることが大切なのは わかっているが、1日終わってみると、やっぱり今日もできなかったと後悔する日が 多い。もう少し意志の強い人にならなければ・・・と思う。

■2008年2月7日(木曜日)
 国会では、道路特定財源について話し合われている。このまま継続するか 一般財源化するか、大局的な観点から話し合っている国会でも意見が分かれる くらいだから国民には当然わかりづらい。とにかく、税金が適正に使われて くれれば良いと思っている。こんなことを妻と話しているうちに、宝くじが 公共事業に使われているという話題になり、妻が、国の借金が増えて、困って いるなら、税金にも宝くじをつけてみたら税収が増えるのではないか?と いうおもしろいことを言った。税金を払わなければチャンスはないが、税金を 払えば、大金を得るチャンスが出てくる。脱税が少なくなるかもしれない。 しかし、払った額に対して当選確率が上がるとすると、当選するのは、一部の 高額納税者だけになってしまう。どうすれば、当選確率を公平にできるかという ところまでは考えつかなかったが、宝くじがついていたら、税金を払うのが 楽しくなりそうな気がした。

■2008年2月6日(水曜日)
 ソフトボール投げがうまく投げられない学生を対象に高速度カメラでの撮影を 行った。昼から雨が降り出し明るくないため画像が真っ暗に近い状態だったが、 ボールのリリースポイントはなんとか見ることができた。
 ボールがすっぽ抜けて力のない球になる学生は、リリースポイントが随分 後ろで、殆ど真上に投げているような感じだった。目ではよくわからなかった ことが、映像でしっかりと見ることができ、学生たちも自分の動きと感覚との 差を認識することができたようだ。あとは、その感覚と実際の動きの差を縮めて、 記録の向上を目指して欲しい。

■2008年2月5日(火曜日)
 学生の防衛学の授業の課外講演があった。他校で活躍されている自衛隊OBが 講師として招かれ、その講師が陸上部の先輩だったので話を聞きに行った。
 はじめに自衛隊はどういう環境で仕事をしているのかという話があった。 自衛隊を取り巻く防衛行政、防衛外交、防衛情報などは、自衛官が直接タッチ できず、内部部局や別の省など、現場のことを知らない人たちがその仕事を しているため、自衛官が出向する形で手伝いに行っているのが現状だという。 他の国では、軍事に関することは、すべて軍が行っているが、日本は、過去の 戦争により二度と同じことが繰り返されないようにするための措置として、 回りくどいことをしているということだった。
 他人の体験を真似ることが「学ぶ」ことであり、その要点をつないで論理を つくること、つまり整理しなおすことが「考える」ことだと語られたことが 印象に残った。孔子は、「学びて思わざれば、すなわちくらし、思いて学ば ざれば、すなわちあやうし」と、両者の重要性が語っている。両者のどちらを 優先するかということは、大きな問題であるが、現在の自分にとってどちらが 大事かは自分で決めればよく、一般には、考えれば学びたくなるが、学べば 考えたくなるとは言えないので、「考える」ことを優先した方がよいのでは ないかとのことだった。
 最後にこれまでの人生体験についての話があった。学生時代、教官に 理学部と工学部の違いは何かという質問をしたところ、教官からは、明確な 答えはなかったが、ある例えが戻ってきて納得したことが印象に残っている とのことだった。それは、レポートを課した場合に、工学部の学生は、 全員が何とか締め切りに間に合わせるが、レポートの内容は、いい加減なものが 多く、理学部の学生は、締め切りに間に合わない人が多いが、出された レポートは、満点に近いものばかりであるということだった。我が校は、 理工学部となっていて、どちらという分け方はできないが、両者の良い面が 発揮されることを期待したいと思った。

■2008年2月4日(月曜日)
 愛知大学のスキー研修中、学生が雪崩に巻き込まれて1名が亡くなり、 1名が重体になった。引率は非常勤講師だったようで、雪崩に巻き込まれた 林間コースは、雪崩の可能性があり場内放送や立ち入り禁止の表示がして あった。しかし非常勤講師は、それを承知で立ち入り禁止区域に入って いったらしい。指導者は、安全管理を常に考えなければならず、リスクの 高いことはできるだけ避ける必要があるが、今回は、注意を完全に無視した 行動で、弁解の余地がない。今回の件で指導者として最も重要なことは 何かを再認識させられた。

■2008年2月3日(日曜日)


かなり吹き付けてました





車にも積もりました





横須賀でも降りました
 講習会2日目。朝練をするつもりでいたが、外は雪が積もり、吹雪のように 降り続いていたため朝練は諦めた。車には雪が10cm以上積もり、夕方、横須賀へ 戻ることができなくなるのではないかと思うほどだった。東京では、青梅マラソンが 中止になったり、ラグビーの試合が延期になるなど、スポーツへの影響は 大きかったようだ。
   講習2日目は、昨日の復習、地図の合成の方法、コースマップの作り方などを 教えてもらった。地図作製の下絵となる地図をスキャナーで取り込みOCADに 読み込む際、方位の北をどう扱うかということがややこしかった。北には、真北、 方眼北、磁北の3つがある。真北と方眼北の差は、丸い地球を地図にするために 無理矢理平面にするために起こるズレで、地図を厳密に描こうとすると、考慮 しなければならなくなる。また、日本には、地図を描く際に基準となる地点が 19カ所あるということで、自治体によって基準点が異なるため、自治体を またいだ地図を合成する場合には、ややこしい問題があるなど、素人では知ることの ない話をたくさん聞くことができた。
 講習会が終わり帰るときには、天気が雪から雨に変わり、関越道では 出口で少しだけ渋滞があったものの、環状8号線と第三京浜は順調に通過できた。 しかし、横浜横須賀道路は雪のため全線が通行禁止で、横浜からは、一般道で 帰るしかなかったが、路面が凍結する前に帰ることができホッとした。 横須賀の中心街では雪が残っていたが、馬堀海岸や走水の地区では雪は全く 残っていなかった。同じ市内でも、随分気候の差があるのかもしれない。
 NHKスペシャルで、大リーグのレッドソックスが強くなった裏に何が あったのかという特集をしていた。とにかくデータ重視しているという印象を 持った。ファンサービスのためのデータをファンのアンケートから集め、 データベースに蓄積し、経営の新たな指針に役立てていたり、新たな選手を 獲得するのに、データを重視し、新しい指標を作り、利用していた。投手で あれば防御率、打者であれば打率が一般的な指標だが、レッドソックスでは、 投手は三振÷四球、打者は、(塁打数−安打+四球+四球)÷打数という 聞いたことのない指標を利用していた。野球のデータは、1試合のデータ でも膨大なものだが、日本では、プロ野球の全試合の1球1球すべてを データベース化する会社があり、日本だけでなく大リーグのチームでも 利用しているという。すべての試合をデータベース化すれば、いろいろな 指標を作ることができるが、他球団にはない独自の指標を作り、常に新しい 視点からチームを見つめるレッドソックススタッフの努力はすばらしいと思った。
 陸上競技でも、選手の能力を見るのに、それぞれの種目により一般的な指標が あるが、この放送を見て、まだまだ新しい指標を作れる可能性があるような 気がし、考えてみたいと思った。

■2008年2月2日(土曜日)
 オリエンテーリングの地図を描くOCADというソフトの使い方の講習会に 参加するために東松山へ行った。会場へ早く着いたので、ジョギングをして 森林公園へ行くことにした。地図がなく、自分の感覚を頼りに走っていったが、 方向は間違いなく目的地に到着できた。帰りは違う道で戻ろうと思い、 森林公園の案内所にあった地図を見てルートを決めて走り始めたが、地図に 書いてある信号が見つからず、山道をどんどん登り山の頂上まだ来たところ、 遠くに熊谷のドームが見えるようった。道を間違えたことを後悔しても仕方なく、 そのまままっすぐ進み信号のある大通りに出て、東松山と書いてある方向へ 向かい、なんとか戻ることが出来た。
 講習会は、13時から始まり夕飯の30分を除き、21時までずっと パソコンと目を合わせていた。地図を描くというのはとても面倒な作業で、 蛇行するような川や等高線を1本描くだけでも、初心者の自分には時間が かかり、動作解析ソフトでスティックピクチャーを作るためのデジタイズを 行うことと同じような単純作業だった。地図を描き終えたときには かなりの達成感があると思う。

■2008年2月1日(金曜日)
 殺虫剤入りの餃子問題に関連し、関連企業が次々と商品の自主回収を始めた。 その中には生協のカレーもあり、それを妻が正月に実家で見かけたらしく、実家に 連絡したが、対象商品と同じものではあったが賞味期限が示された時期とは 違っていた。これで安心していいのかどうかよくわからない。
 なんでカレーなのだろうと思いながら他の対象商品を見たところ、多くが牛に 関連する商品だった。狂牛病の流行った時期に牛タン名物の仙台では、輸入が止まり 困っているという話を聞いたことがあったが、自主回収の商品にも牛タンが多くあり、 中国からも多く輸入していることを初めて知った。
 中国産の食材は知らず知らず口にしているし、その食材がなくなったら生活できなく なるほど浸透しているはず。フードマイレージを低くしようというが、生活をして いくには、フードマイレージが高くても価格が低い方に手を出すしかない。多くの 人は、フードマイレージと価格を天秤にかけ、妥協しながら買い物しているのだと思う。



[昔のいずみ]