最近のいずみ

Last Update:2008/3/31

パートタイムアスリートいずみ 8年目に突入!! 


■2008年3月31日(月曜日)
 近所のガソリンスタンドの値段が頻繁に変化している。2週間くらい前は、 1リットル当たり148円だったが、その後147円になり、昨日は151円に なっていた。なぜ頻繁に値段が変わるのだろうか?地域に一軒のみのガソリンスタンド なのだから、少し高くても地元の人はそこで買うはず。今までも、他店が値下げをして いる時に値上げしてみたり、値上げの時に値下げしてみたり、この店の意図が なかなか理解できず、不思議な店だと思っていた。
 ガソリンにかかる揮発油税の暫定税率が今日で期限切れになる。明日から出荷される ガソリンには、1リットル当たり25円の値下げとなるため、販売価格の値下げが 期待されるが、このお店はどういう動きをするのだろうか。

■2008年3月30日(日曜日)
 ランニング学会3日目。午前中に昨日の口頭発表を含むポスター発表があった。 昨日の電磁波の影響について話を聞きたかったので、ポスターを見に行った ところ、先生から、「携帯電話で試してみますか?」と言われたので、すぐに チェックしてもらった。初めは、Oリングテストで、携帯電話を持っていない時と、 持ったときでの力発揮をチェックし、持っていない時の方が力の発揮がよかった。 次に、直立で、目を閉じたところで、先生が携帯電話を近づけたところ、 自分は、倒れることはなかったが、自分の前にある空気に押し倒されるような、 とても重苦しい空気を感じ驚いた。脳などに、体には良くない金属が蓄積している 可能性があるとのことだった。また、チタンネックレスを首にかけてOリングテストを すると、ネックレスをかけない時と比べ、力の発揮が落ちることもわかった。金属を 身につけるということについては、慎重になる必要がありそうだ。
 先生のところにはいろいろな患者さんが来るそうで、ある場所で、NTTの鉄塔が 立ったために近隣住民の一部の人たちが体調を崩したため、鉄塔を撤去して欲しいと いう運動を起こし、昨日のような映像を証拠に見せたところ、NTTは、人体に影響が あることを認めなかったが、土地を貸していた地主が、そんな危険なモノが自分の土地に あるのは耐えられないとのことで、NTTには土地を貸せないということになり、鉄塔は 撤去されることになったというエピソードを聞かせてくれた。電磁波が人体に対して 悪影響があるということがきちんと証明された場合には、このような運動が次々と 起こる可能性があると思った。
 午前中のシンポジウムでは、東京マラソンをきっかけとするランニングブームについて 話し合われた。各地で行われるマラソン大会でも参加者が増加し、全国的にもブームが あるようで、ランニングを継続する市民ランナーと、練習はあまりせず、その大会だけに 参加するにわかランナーが急増していて底辺はかなり大きくなっているが、市民ランナー でもトップの人たちのタイムは、それほど向上していないようだった。最近のランニング は、「高度化・専門化」、「大衆化」、「レジャー化」の3つのカテゴリーに分けられる のではないかという話が印象的だった。
 学会の最後にランニング大会が行われた。群馬大学のキャンパスを使い、1500m の周回コースを2周し、自分の事前申告したタイムに最も近い人が優勝というゲーム だった。3kmなので、普段走っているペースを考えると10分30秒くらいが妥当だと 考え、10分30秒で申告したが、周回コースがふかふかしたウッドチップの走路だった ためか、フィニッシュタイムは12分30秒以上かっかった。周りの人に聞いても、 いつもの感覚で走ったのに2分ほどタイムが悪かったと話していたので、距離が長いの ではないかと思ったが、ウッドチップの影響だったようだ。かなり頑張って走ったはず なのに4分/kmのペースを切ることができなかったのがショックだった。

■2008年3月29日(土曜日)


ピーター・スネル氏と
 ランニング学会2日目。午前中最初は、一般研究発表として9つの口頭発表があった。 特に自分が衝撃を受けたのは、「ランナーに対する電磁波的影響について」と言う タイトルでの歯科の先生の発表だった。通常の発表はパワーポイントで行われるが、 この先生は、DVD映像を流しての説明だった。携帯電話の電磁波が人に対して どのくらい悪い影響を与えるかということを、数字ではなく映像で示した。いろいろな 医者にかかり、病状が回復しないという患者さんが駆け込む歯医者さんらしく、 患者さんが直立した状態で、目隠しをし、携帯電話を近づけると患者さんの体が揺れたり、 そのまま倒れたりしていた。原因は、口の中に入っているチタン製インプラントだった。 そのインプラントを取り払ったところ、携帯電話を近づけても影響がなくなっていた。 また、インプラントを取り払っただけで平衡感覚、下肢の痛みや柔軟性が改善する 映像もあった。また、携帯電話と人体の間にアルミホイルを入れることで、電磁波が シャットアウトされ、人体が電磁波の影響を受けにくくなるのにも驚いた。インプラント をしていない人でも、食物から体に有害な金属などを摂取し、それが体に蓄積されて いると、携帯電話を近づけるだけで、何らかの影響が現れるらしい。
 最も衝撃的だったのは、体に良いと言われて多くの人たちが愛用している チタンネックレスだった。ネックレスを首にかけると、そこに電磁波が吸い寄せ られるらしく、人体に影響があるとのことだった。チタンは人によって合う人と 合わない人がいるのかもしれない。先生は、電磁波の影響を感じるのは、4〜5人に 1人と話しており、意外に多いと思った。また、高橋尚子選手の最近のマラソンでの 失敗は、チタン製品を使っていることも要因の1つだろうと、その先生は述べていた。 今までにはない分析だと思う。
 電磁波は、子供たちには当然影響があり、田舎であれば、影響は少ないかも しれないが、都会は電磁波だらけで、マラソンをするには、あまり良い環境では ないとのことだった。最近は、携帯電話の電波をはじめ、地上波デジタル放送 など、電磁波が日本中ほとんどの場所をカバーしてしまい、年々人の生活環境は 悪くなっているということも話していた。日本で健康に生活するには、携帯電話の 圏外となる場所を探す必要があるのかもしれない。10年後、20年後、自分が 電磁波の影響でどうなってしまうのか少し心配になった。
 午後は、ローマオリンピックと東京オリンピックの中距離種目で3つの金メダル を獲得したピーター・スネル氏の講演があった。彼は中距離選手だったが、練習の 大半は、長距離的なメニューで、マラソンを走ることもあった。マラソン トレーニングをしっかりとやったおかげで、800mでは600m通過までは、 全く疲れていないので、驚異的なスパートができたと話していた。長い距離を 同じペースで走っていると、遅筋線維でのエネルギーの枯渇が始まり、速筋線維が 動員されるため、長距離トレーニングであっても、速筋線維に刺激が与えられると いう。それが事実であれば、長距離選手は、速筋線維を自然と鍛えている ことになり、長距離選手は、誰でも中距離に移行できるのではないかと思った。 スネル氏は、8時過ぎから5時までフルタイムで働きながら、朝と夕方以降の 練習で週間100マイルを走り、メダルを獲得したという話を聞き、自分は、 やっていることが甘く、もっともっと努力できるのではないかと思った。

■2008年3月28日(金曜日)
 前橋でランニング学会大会が開催された。最初は、「ランニングの持つ 可能性について」というテーマで、若手研究者・指導者によるシンポジウムが 行われた。群馬大学、東京学芸大学、筑波大学の代表者が発表をしたが、テーマに 沿った内容での発表ではなかったため、ディスカッションもあまり盛り上がらず 沈黙の間もあり、座長は話をまとめるのがとても大変そうだった。ベテランの 先生たちがシンポジウムを行う時には、沈黙という間はないことを考えると、 ベテランの先生たちは、場慣れしているのだと思う。
 夕方からは、「マラソン風土 群馬から日本そして世界へ走るランナーたち」という テーマで市民公開講座が行われた。思ったよりも会場を埋めるお客さんは少なかったが、 シンポジストは、日本を代表する指導者ばかりで、特に、上武大学の花田監督の話は、 とてもすばらしく、多くの人が聞き入っていたように感じた。個々人で能力が 違うはずの選手たちが、集団でトレーニングを行うのは、弊害があるのではないか という質問があったが、シンポジストたちはうまく回答していた。どのトレーニング にもメリットとデメリットがあり、何を目的とするかでトレーニング方法は変わって くるし、本来は個人や体調を考慮してトレーニングをする必要もあるし、トップの選手を 除いては、集団走により全体のレベルを上げていく必要もあるなど、納得のいく回答が いくつもあった。花田監督は、タイムではなく感覚を大事にするトレーニングを心がけて いると話していたのが最も印象に残った。
 初日から知人を通じ、多くの人と知り合うことができた。学会に来て良かった。

■2008年3月27日(木曜日)


リハーサル中?
 学生の合宿も4日目に入り、学生たちの疲労もかなりの状況だったが、とどめを 刺すかのように、砂浜ダッシュを行った。歩測で100m、200m、300mを 測り、走ってタイムをとってみて、かなり距離が短いことがわかった。砂浜での 歩測は、平地よりも10メートル当たり2歩くらい増やした方が良いと思った。
 歩測後、ウォーミングアップで軽くダッシュをしている最中に、テレビ局のロケバスが きて、多くのスタッフと共に、人気アイドルグループのKさんがタキシードを着て、 女優のTさんがウェディングドレスを着て砂浜に現れて驚いた。我々のダッシュしている コースを横切り、コースの隣で、撮影のリハーサルが始まった。こちらは、コース場に コードが横切るのが嫌だったが、テレビスタッフからすれば、撮影の横で走られるのが 嫌だったのではないかと思った。こちらが先にコースを造り練習をしていたので、 あちらも移動して欲しいとは言えず、本番前のみ30秒だけ止まって欲しいと言われる だけだった。
 100mと200mを交互に2本行い、6本のシャトルランが終わった頃には、 かなりの野次馬が集まってきていた。しかし、ここから先は入らないで欲しいと スタッフから止められているようで、かなり遠くから撮影を見ているという状況で、 練習をしている自分たちは、野次馬の人たちと比べると随分近くで撮影を見ることが できた。
 最後に、200m×3,300m×2のダッシュをして、終了した頃に、撮影も 終了し、役者とスタッフ全員で記念撮影をして、あっという間に器材を撤収し 帰っていった。あまりの手際の良さにとても驚いた。この映像は、某局の日曜ドラマ に使われるらしい。

■2008年3月26日(水曜日)
 筋肉はできるだけ小さく、出力が大きいほうがアスリートにとって良いことではないか という話を聞いて納得した。筋肉が多い人ほど出力が大きいのは当たり前なのだから、 筋肉が少ないが、出力の大きい方がより効率がよく、無駄な重りにならないため 運動には向いている。一生懸命筋肥大をして、最大出力を向上させることが、 パフォーマンス向上にとって良いことなのかどうかわからなくなってきた。
 古武術の関係者の多くも、筋力トレーニングについては否定的で、彼らも、今ある体で、 体にとって自然な状態で、いかに出力を上げるかということを研究している。
 今まで当たり前と考えられていた理論に対し疑問を持ち、新しい視点で考える 姿勢が必要だと思った。 

■2008年3月25日(火曜日)
 「面倒嫌って店頭離れ」という新聞記事を見た。店頭で買い物をする人が 少なくなり、ネットでの買い物が増えているらしい。お店に行って買い物に時間を かけるのが無駄と考えたり、店員とのやりとりが面倒だという理由で、ネット利用 が増えているという。消費者が合理的に買い物をするようになったということ なのだろうが、本当にそれでいいのだろうかと思った。人は、人と関わることで 生きていくことができるはずなのに、人と関わらなくても、家でパソコンや 携帯電話を相手にしていれば生活できてしまうということなのだろう。この 2週間の間にいろいろな殺人事件があったが、その中で「殺すのは誰でもよかった」 という言葉を残す犯人が2人いた。人を人と見ることができなくなっている。 何でも合理的にしていくことで、どんどん無駄がなくなっていく。生活に無駄が なくなると心にも余裕がなくなってきてしまうような気がする。無駄なことを するということは現代でももっとも贅沢なことなのではないかと思った。

■2008年3月24日(月曜日)
 学生たちの春合宿が始まった。午前中は、雨が降り、風が吹き、とても寒く感じ あまりいいコンディションではなかったが、予定通り計画していた練習を行った。 メニューは400m×5+3000m+400m×5。前半の400mは少し 抑えめで走り、後半の400mはペースアップを要求した。先頭の学生は、なんとか その要求に応えたが、後ろの方の学生は、3000mから崩れてしまった。
 午後は、形態測定と筋力測定を行った。12月に測定した結果と比べ、多少 向上しているようには見えた。自分の形態も計ってみたが、体は一回り大きく なっていた。太ったのか?筋肉量が増えたのか?と考えたが、体脂肪計測で 結果が判明し、太ったためだったということがわかった。しかし体脂肪の推定は 10%。1%ほど増えただけなので、そんなに脂肪が付いたとは思わなかった。

■2008年3月23日(日曜日)


恒例の帽子投げ
 学生の卒業式が行われた。今年も内閣総理大臣、防衛大臣、小泉元首相が参加された。 福田総理は、あまり当たり障りのない話だったが、石破大臣の話は、とても良かった。 学校長も総理も、卒業する学生たちに、これからは幹部自衛官となるという話を されていたが、石破大臣は、卒業する学生には、理由があって幹部自衛官にならない人も いるが、国防は、政治と自衛隊だけが行うのではなく、自衛隊に進まない卒業生にも 役割があり、それも大事なことだというような話をされ、4年間一緒に学んできた 卒業生全員に対して話をしてくれたのがとてもうれしかった。今までの卒業式の スピーチで誰も話さなかった内容だったのではないかと思った。

■2008年3月22日(土曜日)


梅と桜
 ヴェルニー公園から横須賀美術館までの約10kmを歩く、「プロムナードウォーク」 というイベントに家族で参加した。長男は、これほどの長い距離を歩くのは初めてだった。 途中で泣き言を言うのではないかと思っていたが、その通りになり、半分も行かない うちに足が痛いと言い出した。ゴールまでにいくつかのチェックポイントがあり そこでスタンプを押してもらうので、スタンプを押してもらったらアメが食べられるよ と言って、なんとか興味をもたせ、チェックポイントまで引っ張り続け、2時間半ほどで、 何とか歩ききった。長男の友達の家族も歩いて、その友達も足が痛いと言って足を 引きずって歩いていたのに、ゴール後は、二人とも、走り回って遊んでいた。さっきの 足痛はなんだったのか?と思った。とにかく、ケガもなく歩き切れてよかった。 

■2008年3月21日(金曜日)
 同期の送別会があった。。自分を除き、同期たちは、学生の近くで仕事を している立場の人たちなので、授業を担当する側からは知ることの出来ない、 学生たちの話を聞くことができた。また、同期たちの職場の同僚で、よく 働く人、働かない人などの特徴を知ることが出来た。あまり人のことを悪く 言うのは良くないが、同期たちが働かない人として挙げられた名前は、同期 全員の意見が一致していた。みんなが同僚たちをよく観察し、そう感じて いることなのだろうが、逆に自分たちもよく観察されているということなのだろう。 常に誰から見られても恥ずかしくないよう仕事に取り組まなければと思った。 今日の会は8人の参加で、そのうち、3人の同期が転勤することになった。 来年度は、同期が入ってくる情報はないので、同期会は少し寂しくなりそうだ。 

■2008年3月20日(木曜日)
 東京のある区では、自転車の鍵を2つつける運動「ワンチャリ・ツーロック」 という運動を展開し、鍵を無料で配っているという。小学生の頃は、鍵をかける ことなど全くなく、盗難を心配したことはなかった。それが今では、1つの鍵 では盗まれる可能性があるからもう一つつけた方がいいというのは、なんだか 悲しい。つくばにいたときには、実際に鍵を1つしかかけていなかったため、 自転車を盗まれ悲しい思いをした。
 子供の頃は、知らない人にはついていかないようにと言われたことはあったが、 周りの人たちを信用できる雰囲気だった。今は、家族に殺害される事件も起きるなど、 自分を除いて誰も信用できないのではないかという雰囲気になってきた。
 国民に信頼されるべき我が社にあっても、時々犯罪を犯す人が発生しニュースに なる。せめて我が校の卒業生には、誰からも信用され、その信頼に答えられる 存在になって欲しい。

■2008年3月19日(水曜日)
 次男が、生後七ヶ月を前にして寝返りがうてるようになった。先週までは、 寝返りをしてもなかなか腕が抜けず苦労しているように見えたが、今では、 何事もなく寝返っている。寝返りは完全にできるようになったが、元に戻れない ため、うつ伏せの姿勢が長く続くとかなり辛いようで、泣きそうな声を出している。 しかし、元の仰向け姿勢に戻しても、また寝返りをするという繰り返しになるので 困る。
 頻繁に寝返りをするようになった結果、子供のウエストが急に細くなったことに 妻は気がついたという。大人から見れば、赤ん坊の運動は、それほど大した運動には 見えないが、子供にとってはウエストが細くなるほどの大運動なのかもしれない。 このウエストの変化は、たった2,3日での変化なので、妻は、自分も少し 運動すれば、同じようにやせるのではないかと思ったらしく、寝る前に運動を するようになった。妻のやる気が、形になって現れるよう願う。

■2008年3月18日(火曜日)
 職場で謝恩会があった。学生たちが鏡割りをしたお酒を飲むための升と マジックを持ってきて、一言書いて欲しいと言ってきた。何と書いたら よいのか困った。学生たちは、学校長をはじめ、校内のVIPに一言ずつ 記入してもらっていた。
 今年の4年生とは、2年間共に過ごしてきて、週末には卒業となる。 卒業後のそれぞれの進路を想像しながら、こうなって欲しいということを 一言として書いた。大勢の人たちの一言の中の1つとして自分の一言も 書かれているので、どれだけその学生に届くかわからないが、この一言が 必要な時に役立ったらうれしい。

■2008年3月17日(月曜日)
 1ドルが95円台を記録した。11月に115円くらいだったことを覚えている。 なぜ11月と比べるのかというと、ドル建ての保険に入った月だから。自分の 誕生日前までに入らないと、支払いの金額が大幅に上がってしまうということで、 誕生日前に急いで入ってしまった。すると、どんどん円高になり、当時より 20円も円高になってしまった。今入っておけば、誕生日を過ぎたとしても もっと安くなっていたと考えられ、タイミングが悪かったと少し後悔している。
 学生時代は、1ドルが80円台の時代で、よく通っていた米海軍横須賀基地 前のお店は、全く商売にならないという話をしていたことを思い出す。円の 価値が上がるのはいいことの様な気がするが、今回の円高はドルに対してだけで、 ユーロなど別の通過に対しては、全く価値が上がっていないので、複雑だ。

■2008年3月16日(日曜日)


中村くん(4区)





林くんのフィニッシュ(5区)
 多摩川リバーサイド駅伝に出場。一昨日学生たちとやった補強の筋肉痛が強く、 一緒にやったことを後悔した。
 我がチームは午前中に男女ショートの部に出場し、男子が9位、女子が6位に なっていた。自分の出場するロングの部は、昨年度までの記録をみると、3位が 狙えるのではないかという声があり、目標を3位とすることにした。
 ロングの部は、今年はなぜか特別招待チームがあり、なんと専修大学が2チーム も出場していた。1区は、10km区間で、昨年の区間賞は33分台だったのに、 専修大の座間選手は30分台で独走し、それに引きずられるように、33分を切る 選手が続出し、我がチームは、1区で30位前後の順位となって、2区の自分に タスキが回ってきた。
 自分の区間は5km。とにかく前にいる選手をひたすら抜いていった。2kmの 通過が6分25秒くらいで予定通りに走れていた。
 折り返しからは、1区で折り返してきている選手たちと一緒に走ることとなり、 だれが自分の前で走っている2区の選手かわからなくなり、モチベーションが下がった。 距離表示も全くなく自分のペースもよくわからなくなり、1区の9kmという表示 を見て残り1kmだと判断し、2kmから4kmのラップを見ると7分もかかっていた。 このままでは、まずいと思い、少しペースアップはしてみたが、それほど上がらず、 気がつけば、タスキの中継、20位を切るくらいの順位で3区の選手にタスキを渡した。
 その後の区間は、4区が終わる頃に、まだ1区の選手が走っているチームがあるなど、 順位は把握できない状況で、終わって結果を見ると、ロングの部で6位だった。 自分たちの走っているときに見ていた順位は、川崎市高校の部やオープン参加だった 専修大学が含まれた場合の順位だった。
 優勝は、市立船橋高校で昨年度よりも3分くらい速い記録だった。我がチームは、 だいたい予想したタイムでのフィニッシュで、目標は達成できなかったが、納得の いく結果ではあったと思う。

■2008年3月15日(土曜日)


東京湾
 先週、富津で潮干狩りが始まったというニュースを見たので、近所で潮干狩りを してみた。潮が最も引く時間帯が16時半頃ということで、少し涼しくなるころで、 周りには誰もいない寂しい雰囲気だったが、子供と2人で砂を掘り返してみた。
 大きなアサリがいるように見えたが、殆どが中身のない貝殻で、収穫は少なかった。 しかし、中身のあるアサリは、昨年4月に採ったアサリと比べるととても大きかった。 子供は、貝殻を拾ったりカニを捕まえたり砂で山を作ることに一生懸命で、一通り やり終え、寒くなってくると帰りたいと言い出したため、1時間経たないうちに 帰ることになった。

■2008年3月14日(金曜日)
 昨日1日中外で声を出していた影響か、昨夜から喉の右奥から右耳にかけて痛みが 出て、今朝からは頭痛も出てきたため、医務室へ受診した。診察が終わったときに 先生が「やっとひと山越えたよ」というような発言をされた。何の話かといえば、 はしかの集団発生のことだった。今週月曜日から学生たちが次々とはしかに なり入院をしていたため、医務室では、かなりバタバタしていたようだった。 しかし、ひと山越えても、また別の学生たちに潜伏している可能性もあり、 また大きな山が来るのではないかと警戒しているとのことだった。
 昨年から横須賀では、はしかが流行しているという話を聞いていたが、 とうとうのその流行が我が校にもやってきたということなのだろうか。いったん 一人が罹れば、集団生活をしているので、あっという間に広まってしまう。 そう考えると教官も常に気をつけていないと、同じように感染することになる。 先月、職場では、今までにはしかに罹ったことがあるか、予防接種をしたことが あるかというアンケートが行われたが、自分は、2歳の時に罹っていた。それで 安心なのかどうかわからないが、常に学生の流行の病には気をつける必要があり、 予防接種できるものについては、早めにやっておくべきだと思った。

■2008年3月13日(木曜日)
 学生の断郊競技会と持続走大会が行われた。3年生の断郊競技は、荷物を 背負い、8人一組で山道を走る競技で、チームの7人が、最も走れない8番目の選手 をどうサポートするかが勝負の分かれ目となる。自分が学生の時にも同じ 競技会があり、その時は、ゴール後に8番目の選手の顔が真っ青になり 死んでしまうのではないかというほどにフラフラになって心配した思い出が あったが、今回も同様に、どのチームにも一人か二人は、フラフラになる者が いて、ゴール後は、顔が真っ青になる状況があったようだった。脱水症状に なっているのではないかと学生は話していたが、その可能性もあるのかもしれない。
 4年生の持続走大会は、5人で1チームの駅伝大会だった。この大会は、 4年生の卒業前の最後の競技会。陸上部の中長距離の学生達が、自分を 最もアピールできる場で、それぞれが、今出せる最高の力を出し切っている ように見えた。卒業後も、続けてくれればなぁと思う。

■2008年3月12日(水曜日)
 職場には、いくつか公衆電話があるが、先週まではあったはずの近くの 公衆電話が、気がつくと撤去されていた。
 最近、公衆電話はあまり見かけなくなり、自分の住んでいる近所は、 どこに設置されているかあまり気にすることもなくなった。携帯電話が 手軽に使えるようになり、利用されなくなったため仕方のないことなのかも しれないが、災害時には、役に立つらしいので、残す必要もあるような 気がするが、赤字であれば、企業としては撤去するしかないのだろう。
 携帯電話を持っていなかった13年前は、大学の時期だった。寮の前に あった1台の公衆電話をめぐって、夜の自習時間の10分休憩は、戦い だったことを思い出す。1人が電話をかけだすと、10分の休みでは次の人が 使えるかどうかだった。1年生の頃は、すぐに電話を切らないと、先輩から 長すぎると言われ、理不尽な言いがかりをつけられたこともあった。 それくらい、我が校では外との架け橋となる貴重なものだったが、今では、 寮の周りには、公衆電話は1つも設置されていない。あったものがなくなる というのは、なんだか寂しいものだ。

■2008年3月11日(火曜日)
 600m、500m、400mのレペティショントレーニングを行った。 全力に近い強度で臨んだはずだったが、全くスピードは上がらず、考えて いるようには走れなかった。600mは1分28秒8だった。このままだと 800mでは2分が切れない。また、400mは全力で走ったと言っても いいくらいの力発揮だったが、57秒4だった。800mの1周目よりも 遅いタイムで、自分の今の状況は、かなり厳しい状況にあることを 認識する練習となった。

■2008年3月10日(月曜日)
 結婚式の引き出物の中にカタログギフトがあり、妻が何にしようか迷っていた。 自分は、カタログギフトをもらったときには、食材が欲しいと主張するが、今回は、 食材がなかったので、妻に任せた。ギフトを見ていて気がついたのは、商品は圧倒的に 中国製が多いということだった。冷凍食品毒物混入事件などで中国製が問題になって いて、どんなモノでも中国製は避けたいと思考が働いているが、このカタログを見て、 中国製がなければ、生活もままならないのではないかと思えてきた。イタリア製、 ドイツ製、フィンランド製など、ヨーロッパの製品もいくつかあったが、響きと イメージがどうしても中国製とは違ってきてしまう。これは、マスメディアに 刷り込まれたイメージなのだと思う。

■2008年3月9日(日曜日)


新郎新婦





両親のケーキカット
 10時から結婚式だというのでそれに間に合えばよいと考えていたら、 直前になって親族紹介があるので、すぐに会場へ来るように言われ、急いで ホテルをでて結婚式場へ向かった。ホテルと会場があるいて5分くらいの 場所だったが、急いでいたため道を間違え10分くらいかかり、結局親族紹介が 式の前にできず、先に式を行うことになってしまった。
 式では、白人の神父が式を執り行い、何よりも愛が最も大事だと言っていた。 そして、すべてを受け入れることが大事だとも言っていた。すべてを受け入れ、 愛を大事だと思うキリスト教の人たちが、なぜ、人が最も悲しむ戦争を起こすの だろうか?と思った。また、神父の言葉を聞いて、家族の間でも腹の立つことは よくあるが、これも腹を立てず受け入れる姿勢が必要だと反省もした。
 親族紹介後、披露宴が行われた。披露宴では新郎新婦のケーキカットの後、 両家の両親のケーキカットも行われ、両親はとてもうれしそうにお互いの口に ケーキを入れ、他の披露宴では見たことのないイベントとなった。新郎新婦の お色直しの間は、新郎新婦の紹介ビデオが流され、懐かしい写真がいくつも 出てきた。妹の赤ん坊のころの顔が、我が家の次男そっくりなのには驚いた。 新郎新婦とも、友人のスピーチでは、涙を流し、新婦のスピーチでは、両親が 涙を流し、涙、涙の披露宴だった。
 これで兄妹が全員そろうことは、なかなか難しくなったが、それぞれ子供を 連れて実家に帰るのが、これからの兄弟兄妹の親孝行なのだろうと思った。

■2008年3月8日(土曜日)


富士山山頂





新居にて
 明日、福山で下の妹の結婚式があるため、家族で福山へ向かった。横須賀から 羽田空港まで車で1時間、羽田空港から広島空港まで70分くらい、広島空港から 福山まで車で1時間半かかった。乗り物の乗り換えはあったが、2人の子供を 連れての移動なので、新幹線を長時間乗って子供が退屈することを考えると、この 移動方法は、正解だったと思う。
 福山のホテルに着くと、両親と、上の妹夫婦と、今回結婚する妹が待っていて、 そのままみんなで妹の新居へ向かった。車で約40分くらいだったが、場所は、 広島県から岡山県に入っていた。海があり、山があり、近所には、カブトガニが 生息する場所もあるというなかなか自然豊かな地域だった。
 新居は、どこの家にも負けない立派な塀のある、大きな一軒家だった。もともと 新郎の祖母の家だったということで、新築したわけではなく、庭も広く、畑もあり、 2人で生活するには、あまりにも広いスペースに見えた。
 新郎は、長身でとても笑顔の似合う好青年だった。新郎の実家は、新居から近く、 新郎の両親もこちらの到着を聞きつけて、挨拶に来てくれた。
 新居で夕食をしてからホテルに戻ることになっていたので、夕食までに子供と 散歩に出かけた。近くの公園ではブランコに乗り、登れそうな山を見つけたら、 その山に登って夕日と市街地を眺めたり、久しぶりにゆったりとした時間を 過ごすことができ、とても貴重な時間だと感じた。

■2008年3月7日(金曜日)
 シーズンインまで1ヶ月を切り、レースに近い走りをするために、600mの 変化走を5本行った。前半300mを全力の8割くらいで行き、残りの300mは 全力で走るという設定だった。全力の8割という感覚が、まだ戻っていないため、 前半のペースは、自分の考えていたタイムよりも悪く、後半のタイムが、8割 と考えているタイムになってしまった。3本目を走り終わったときには、立ち上がる ことすら厳しい状態になり、4本目は、前半が58秒台、後半が60秒台という ジョギングでのようなタイムで全く練習にならなかった。感覚と実際の動きが かみ合わないまだまだ続きそうだ。

■2008年3月6日(木曜日)
 NHK朝のニュースの特集で、精神障害者の就職をサポートする施設が 紹介された。この施設では、2年間の職業訓練ができ、その間に就職が できるようにサポートをしているが、就職先がなかなかないというのが 実情だった。勤務中に何かあったときの対処ができないというのが断られる 主な理由で、施設側は、1日中働くのではなく時間を区切るなどすれば、 問題はないとのことだった。
 今日の映像からは、障害者のサポートは、民間の一部の人たちだけが 一生懸命やっている印象を受けた。民間の人たちが中心ではなく、まずは、 各省庁に就職先を作るなど、国がしっかりとサポートする必要があるの ではないかと思った。障害者のサポートだけでなく、育児休暇や託児所 なども各省庁にとって当たり前の環境となれば、国による民間への指導も 行いやすく、育児のサポート問題も解決に向かうのではないかと思った。

■2008年3月5日(水曜日)
 2,3日前に中国からの黄砂で、視界が悪くなるという報道があったが、 車のボディーを見ると、うっすらと砂が被さっていた。普段、洗車はしないので、 それほど見た目は変わらないかと思っていたが、先月車検に出したときに 洗車してもらっていたためどのくらい汚れたかがよくわかった。
 黄砂は、中国の大気汚染を起こしている物質が含まれている可能性もある と聞き、花粉が飛びかう季節にもなっているため洗濯物は家の中に干している。 洗濯物は、なかなか乾かず、干さなければならない洗濯物がどんどんたまっていき、 部屋の中もスッキリしない。
 この時期は、だんだんと気候が暖かくなり桜が咲き、とても明るい気分になるが、 将来は、黄砂の季節だという認識に変わり、暗い気分になる可能性もあるのかなぁと 思った。

■2008年3月4日(火曜日)
 先週金曜と同じ600m+500m+400mを2セットというメニューを 行った。先週は1セットしかできなかったが、今日はやりきった。出来るだけ 大きな走りをしようとし、ストライドを大きくしたため1セット目で ふくらはぎが張り、筋肉痛になった。走り終わった後のクーリングダウンでは、 両脚の内側広筋を攣り、歩くのも辛い状態になった。先週よりは、本数をこなせ 一歩前進だが、8割くらいの感覚で走りながらも体の反応は全力と変わらない。 少しずつ、この差を縮め、感覚通りに走れるようにしたい。

■2008年3月3日(月曜日)
 高体連から全国高校駅伝で最も距離の長い1区で外国人留学生の出場を 認めないという方針が決まった。都道府県の予選会に参加したすべての学校に アンケートをとり、90%以上の回答率で、74.3%がその方針に賛成 ということだった。高体連常務理事は正しい判断だというコメントをしているが、 外国人留学生のいない学校の方が多いので、この結果は当然の結果だと思う。
 これまでは「エントリー選手の20%程度」という規定があったようだが、 男子であれば7区間、女子であれば5区間なので、実質1名しか出場できない ということで、外国人留学生が登場したころは、2名が走っていたことを考えると、 少しずつルールが変わっていて、さらに今回制限が加わったのだということが わかった。
 日本選手権では、外国人選手は閉め出され、オープン参加になっている。 この流れを見ていると、高校駅伝でも最終的に締め出しが行われるのかもしれない。

■2008年3月2日(日曜日)


フィニッシュ前の三代くん





三浦海岸





ブロンズ像と副賞
 三浦国際市民マラソンの5kmに出場した。昨日、学生とインターバルをして、 ふくらはぎが筋肉痛で、あまり良い状態ではなかった。スタートは、目標タイム順に 並ぶことができ、東京マラソンのようにスタートラインを通過するのに時間が かかるようなことはなかった。
 スタート直後から、法政二高の生徒達が飛び出し、あまりにもハイペースで、 全くついて行けなかった。最初の1kmが2分57秒6で予定よりも速すぎ、 2kmまでは3分18秒7となり、一気にペースダウンした。
 よこすかシーサイドマラソンで、ずっと集団を引っ張っていた中学生は、 自分より前で走っていたが、折り返しを過ぎた頃から失速し、後半は併走した。 2kmから3kmが3分40秒9で大きくスピードダウンしかたと思ったら、 3kmから4kmが3分04秒8というタイムで、感覚的には、全くスピードは 変わっていなかったので、距離表示が間違っている可能性が高かった。
 残り1kmくらいまでは、中学生と併走し6位争いをしていたが、最後は スパートし5位の高校生を抜き、5位でフィニッシュした。公式タイムは 16分13秒で、ネットタイムが16分11秒だった。スタート位置が前の方で ロスは全くないと思っていたので、この2秒の差が理解できなかった。
 完走後、ウォーミングアップをしている富士通の三代くんに久しぶりに会った。 12月の福岡国際マラソンと1月の全日本実業団駅伝に出場し、故障から 復帰し、いよいよこれからかと思っていたので、先月、姫路のレースで 引退したことを富士通の選手から聞いて驚いたばかりで、思いがけず再会でき、 とてもうれしくなった。引退をしたばかりだが、今回は、どうしても走って 欲しいとの要望で、10kmの招待選手となったようだった。最も速かった 頃の走りではなかったが、まだ引退して1ヶ月も経っていないので、上位とは 言えないが、まずまずの順位でフィニッシュしていた。
 表彰が6位まで行われるということで、自分も表彰された。今回は副賞として、 順大と日清製粉が共同開発したサプリメント、日清製粉のパスタを4袋、 非売品の鍋敷きやエプロンなどのセット、ホテルのフィットスクラブの 無料招待券とタオルが、表彰された選手全員に渡された。順位の違いで副賞に 差はなく、何が違ったかといえば、ブロンズ像の大きさだった。1位が最も 大きくて重たく、6位が最も小さくて軽かった。自分のもらった5位の ブロンズ像は、手頃な大きさと重さで、結果として5位で良かったと思った。
 帰宅後、びわこ毎日マラソンを見た。大崎選手のオリンピックにどうしても出たい という意志を感じるすばらしいレースに感動し、涙を流した。40kmの通過では、 東京マラソンの日本人トップタイムよりも13秒遅れていたので、東京のタイムを 上回る可能性はかなり低く、残り1kmになってもやっぱり厳しかったが、最後の 最後まで諦めず、順位は東京の日本人トップよりは悪かったものの、タイムは 4秒上回り、北京オリンピック代表を確実にした。世界選手権の土佐選手の走りも 同様に感動したが、マラソン選手のオリンピックに賭ける思いとその走りは、 本当にすごい。人は、思いが強ければそれを成し遂げられる力があるのではないかと 思った。

■2008年3月1日(土曜日)
 映画「それでもボクはやっていない」を見た。満員電車で痴漢と間違われ 起訴され、無実をかけて争う裁判が描かれ、最終的に有罪の判決が出て、 この映画は終わる。周防監督が長い年月をかけて取材してできあがった 映画だと聞いていたが、本当にこのような例がよくあることであれば、 電車に乗った男性は、誰でも痴漢に間違われる可能性があり、いつ被告に なるかわからないという恐さがある。
 以前勤務していた職場の上司が、電車に乗るときは、自分の立ち位置を考え、 両手はできるだけ手すりやつり革へ持って行き、紙袋はカメラを隠していると 思われるので、持ち歩かないようにしていると言っていたが、真剣にその ようなことを考えなければならないのだと思う。
 映画の中では、刑事が被害者にウソをつかせて被告に罪をかぶせるという ことが行われていた。また、罪を犯していない人にもとりあえず犯したことを 前提として話をしなければならず、罪を犯していない人でも、簡単に罪を 認めてしまった方が、時間的にも金銭的にも負担が少なくて済むという、 おかしなことが起こる矛盾が現実にあることを知った。
 「裁判官の最大の使命は無実の人を罰してはならない」という言葉が 映画の台詞で出てきたが、無罪を出すことは、検察と警察を否定することであり、 言い換えれば国家権力にたてつくこととなるため、この手の裁判では 有罪率が99%であり、無罪判決を出すには裁判官は、とても勇気がいる という事実にも驚いた。
 裁判では、真実は無罪であっても被告の答え方次第で有罪になってしまう。 関係者の記憶についても、事件当日のことなど一瞬一瞬を覚えているわけではなく、 ありのままが何だったのかわからないことばかりなのに、被害者、被告、証言を する人たちの一言一言が証拠となってしまう。裁判は、集められた証拠で とりあえず有罪か無罪かを出すという場だった。お互いが真実を述べあえば、 必然的に判決は出るのもだと思っていたが、お互いが自分の目や耳など体を 通して出てきた言葉には、それぞれの思いこみなどがあり本当の事実とは 言えないこともあり、裁判は真実を明らかにする場ではないということが よくわかった。裁判には多くの人を巻き込み、いろいろな人の時間を犠牲に する。また、有罪の場合は、裁判の費用を被告が持つこととなり、ますます 被告を追い込む結果となる。映画のように真実が無罪であった場合は、 なんでこんな仕打ちを受けなければならないのかと思いたくなる。
 松本サリン事件で、被害者の河野さんが長い間疑われていたが、警察の勝手な 思いこみというのも裁判をややこしくする原因の1つであり、河野さんの 苦しみは、本当に大変なものだと思った。
 先日のイージス艦と漁船の衝突事故でも、自衛隊側と漁協側の話が 食い違うことがあったが、お互いにそれぞれの事実を述べていて、それぞれに 思いこみなどがあるために食い違いが出てきている可能性もあると感じた。
 これから日本では、裁判員制度が始まるが、人の人生を左右する大事な 審判を一般市民が担うことになり、本当に大変な義務だと思った。



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