最近のいずみ

Last Update:2008/5/31

パートタイムアスリートいずみ 8年目に突入!! 


■2008年5月31日(土曜日)
 日体大長距離記録会800mに出場。午前中は大荒れの天気だったが、 昼頃から雨や風は弱くなり、グランドのコンディションとしては、なかなか 良い感じになった。バスに1本乗り遅れ、競技場へ着いたのは、 1次コールが終了になる競技開始1時間前でかなり焦った。ウォーミング アップもあまりできず、いきなり走るという感じだった。
 800m第8組には、元アンビバレンスのメンバーが2名、自分を含めた アンビバレンスのメンバーが2名、高校生が1名、大学生が2名だった。 早川(早稲田大)くんが入っていたので、彼の後ろについていけば間違いない と思っていたが、スタートラインに立ったのは、アンビバレンス2名と高校生 の3名だった。仙台西高の生徒は、女子800m元日本記録保持者の 岡本久美子先生の教え子で、彼女からもお願いしますと言われていたので、 高校生のタイムが出るように1周目を55〜56秒で引っ張ることを宣言して スタートした。
 スタート直後から、高校生が気合いを入れていたようで、先に前に出られ そうになり、あわててピッチを上げ、高校生の前に出た。200m通過が 25秒台となり、かなりのハイペースになってしまった。一応宣言した自分が 引っ張っていたが、高校生は後ろにつくことなく、真横について走るので、 引っ張りづらかった。1周目が終わる手前で高校生が先頭に出て、55秒台で 1周目を通過した。高校生から4〜5m離れてしまったが、バックストレートで 追いつき、最終コーナーを抜ける手前でもう一度先頭に出たが、また、 高校生にかわされ、かなりの差を開かれ2着でフィニッシュした。
 タイムは1分57秒04。2周目は62秒もかかった。2週間前の自分とは 全くの別人になってしまった。

■2008年5月30日(金曜日)
 6月からガソリンが値上げになり、1リットル当たり170円まで行くという 予測も出ていたので、値上がりする前にガソリンを入れようと思い、昨日 1リットル153円でガソリンを入れた。
 帰宅時に何気なくガソリンスタンドの表示を見ると、155円に値上がり していた。たった2円の値上がりだったが、昨日のうちに入れておいて良かった と思った。
 普段、ガソリンは20リットルを目安に入れている。2円の違いは、20 リットルでは、40円高くなるだけで、大した差はない。それでも1円 違うだけで、高くなった、安くなったと喜んだり残念がったりしている。 自分はなんと小さい人間なんだと思う・・・

■2008年5月29日(木曜日)
 6月から道路交通法が改正される。新聞にも広告が載せられていた。
後席のシートベルトも着用が義務づけられる。タクシーやバスも当然 義務となり、お客がシートベルトをしていないと運転手の責任となるらしい。 タクシーで後席に乗った場合、今までシートベルトをしたことがなかった。 シートベルトをしている人の方が少なく感じる。これからタクシーの ドライバーたちは、お客へシートベルトをつけるように毎回話すことが ストレスになるかもしれない。
 子供が自転車に乗るときには、親は、子供にヘルメットをかぶせる努力義務が 課されることになった。義務ならわかりやすいが、努力義務というのはわかりづらい。 とにかく、子供にヘルメットを買ってやらなければならない。
 自転車は、車道を通ることになっているが、今回の改正で、年齢や状況に よっては歩道を走ることができるようになった。今までも関係なく歩道を 走っている人は多かったので、少し現状に合わせたと考えればいいのだろうか。 車に乗っていると、車道を走っている自転車が、本当に恐い。歩道を走ってくれれば いいのにと思うことが頻繁にある。今更遅いかもしれないが、車道に自転車専用の レーンを設けてくれないかと思う。

■2008年5月28日(水曜日)
 日曜に、何人からか「やせた?」と聞かれ、そんなことはないと思っていたが、 ウエストが細くなって、ベルトの穴が足りなくなっているのに気がついた。 やっぱりやせてきているようだ。
 気候が変わってきて、天気が良い日の授業では、半日屋外にいると体重が 1〜2kgは落ちている。食事を摂ればすぐにもとに戻るが、1日の中でも 体重の変化がかなりある。食事も以前より量が減った。運動量が減っているので ちょうど良いと思っていたが、今よりは食事を多めに摂っていかないとますます 痩せてくるのかもしれない。

■2008年5月27日(火曜日)
 学生と800mの変化走を3本行った。1本目は、前半500mを8割 くらいの力で走り、残り300mを全力で走った。タイムは2分01秒台 で悪くはなかったが、全力で走った300mが44秒0ということで、 まったくスピードは上がっていなかった。2本目は全力区間を残り150m、 3本目は400mとして走り、どちらも2分06秒台だった。やっぱり、 全力区間のスピードは上がらず、練習の狙いからはずれる走りとなって しまった。
 先週1週間は、全く体が動かなかったことを考えれば、かなり走れる ようになった。良くなっていると考えてやっていくしかない。

■2008年5月26日(月曜日)
 先週1週間は、体中が筋肉痛になり、痛いところが日によって移動していった。 週の後半は、体の背面の筋肉のほとんどが張ってきて、体がだるくて仕方なく、 まともな練習ができなかった。
 木曜から3日連続で、飲み会があり、かなり飲み食いをして、土日は、関東 インカレで1日中屋外にいた。あまり体調は良い状態ではないのに、生活リズムも 普段と比べ規則正しくなく、さらに体調を悪化させるような感じになってしまった。
 週明けからは、しっかりと練習しようと思っていたが、今日も8000mの ペース走をはじめてみたものの、すぐに呼吸が苦しくなり、4000mで終了した。 また、今週末から自分の試合が続く予定だが、先週のレース後からの1週間の 影響は、まだまだ続きそうだ。

■2008年5月25日(日曜日)


ハーフマラソン



円盤投げ



5000m
 関東インカレ最終日。我が校は、ハーフマラソン、円盤投げ、5000mに 出場した。昨夜からの雨が続き、午前中は、ベストを狙うには、厳しい環境と なってしまった。
 ハーフマラソンは、最初の1000mが3分20秒前後で、かなりのスローペース だったが、我が校は、周回コースを2周した頃から、集団を離れ始め、 その後は、ひとりで走ったり、集団から落ちてきた他校の選手を抜いたり、 抜かされたりしながら、1時間9分台でフィニッシュした。
 ハーフマラソンが行われている最中には円盤投げが始まり、我が校は、 1投目に29m台を記録した後は2回のファールとなり、16位で予選落ち となった。
 最終種目となった5000mは、予想通りのハイペースで、我が校は、集団の 最後方でレースを展開したにもかかわらず、1000mが2分50秒という オーバーペースに近いペースとなり、2000mまではその流れで走れたが、 残りの3000mは、力が保てず、14分56秒台でのフィニッシュとなった。 先頭からは約1分離され、明らかな力の差を感じた。
 今日出場した学生は、全員が4年生で、競技終了後のチームミーティングでは、 それぞれが、自分の反省というよりは、関東インカレへの思いを語り、来年度 以降の後輩たちの活躍を願う内容の話をしていた。2年前には、関東インカレ 自体を知らない学生たちが多く、個人種目の出場者も1名という状況で あったことを考えると、今回は誰ひとり入賞することはできなかったが、開催 された4日間、毎日2種目以上に出場し、部員全員がまとまって応援できたという ことは、大きな進歩だった。来年以降は、さらなる進歩を望みたい。
 今日は、多くの陸上関係者と話をすることができた。久しぶりに会う人も多く、 何人かの人から、「顔が細くなった」とか「やせた?」と言われた。体重は、 あまり変わっていないので、自分では、以前と変わったという感覚はなかったが、 他人の印象は、少し変わったようだ。体重が変わらず、やせたように見えるので あれば、脂肪が落ち、筋肉になったと考えて、喜べばいいが、あまり運動が できていないので、どう解釈していいのかわからず、頭の中は混乱している。

■2008年5月24日(土曜日)


砲丸投げ    200m
 関東インカレの3日目。我が校は、男子砲丸投げに1年生が1名、男子 200mに3年生が1名出場した。
 砲丸投げの1年生は、ゴールデンウィーク中に記録会で関東インカレのB標準を 突破し、滑り込みで出場を決めたが、その後、我が校独自の体力と水泳の訓練を 受けなければならず、試合当日まで、全くと言っていいほど練習をしていなかった。 1投目に11m15を記録し、その後は2投は記録が伸びず、結果は18位だった。
 男子200mは、向かい風2.1mの中、先頭は21秒台のタイムでフィニッシュ したが、我が校の選手は、22秒75で、6着となった。スタートは悪くなく、 周りは、自分より格上の選手ばかりという状況だったので、よく走ったのではないかと 思う。
 2人とも、来年は、決勝に進出できるよう成長して欲しい。

■2008年5月23日(金曜日)
 年に1回の健康診断があった。歯は、治療すべき所はすべて治療してあり、 虫歯はなかった。しかし、すべての歯の半分くらいに治療の跡があり、 まともな歯が半分しかないのがショックだった。
 目は、両目とも1.5で問題なかった。血圧は104ー59,聴力も 問題なかった。あとは、レントゲンと血液検査の結果待ちという状態だが、 たぶん問題はないだろう。今のところメタボリック症候群になる気配はなく、 問診でも、この生活を続けてくださいとのことだった。めでたし、めでたし。

■2008年5月22日(木曜日)
 我が家のベランダに雀が巣を作ってしまった。妻が家庭菜園をするために プランターを買い、並べておいたところ、プランターとプランターの間の 隙間に、うまく作っていた。ワラのような枯れ草や鳥の羽などで、かなり 強固で、中には、卵が5つも入っていた。ここで、卵がかえり、ヒナに なってしまうと、フンの匂いがするようになるだろうし、害虫も発生するなど、 いろいろと面倒なことがあると考え、そのまま捨ててしまうのは かわいそうなので、巣を、別の所へ移動した。雀は、当然移動先がわからなく なるので、結果としては捨ててしまうのと同じになってしまった。
 雀には悪いが、我が家では、受け入れられないので、別のところで 子育てをして頂きたい。

■2008年5月21日(水曜日)


呼気ガス分析器装着



測定中
 TBSのNews23で、イラクのモスルへ従軍取材をした女性ジャーナリストの 取材状況が放送されていた。現地で命を落とすということは、米軍、 イラク軍、テロリストなど武装している人たちによる武力行使の被害に あったということで、残された家族は、自分の家族を殺した武装集団を 恨むことになるため、米軍やイラク軍であっても、誰が敵か味方かという ことは、全くわからないという。それぞれに正義があり、何が正義なのかは 全くわからないという。いろいろな民族や宗教もからみ、映像を見ていても、 誰が誰と戦っているのかさっぱりわからない。イラクはなんでこんな 状態に陥ってしまったのだろうか・・・
 こんなことを考えながらニュースを見ていたら、昨日放送された 日本テレビ「人生が変わる1分間の深イイ話」でのある宝石時計店のCMを 思い出した。ネットで検索すると、そのCMが検索できた。そのCMは、 「 ひとりがすると1時間かかることを、ふたりでやれば30分で終わる。 ひとりがすると1時間かかることを、30人でやれば1日で終わる。 人類が何千年かけてもまだできないこと。みんなでやれば1日で終わる かもしれない。そう、平和なんて、1日あればできるはず。」と言っていた。 これが実現できれば、イラクのような戦闘は起こらないのではないかと思う。

■2008年5月20日(火曜日)
 次男が生まれて9ヶ月が経った。歯が上に4本、下に2本生え、何でも口に入れて、 噛んだりなめたりするようになった。こちらが目の前に手を差し出したりすると、 指を掴んできて、掴んだと思ったら素早く顔を近づけ口に入れ、噛もうとする。 妻は、顔を近づけ鼻をかまれていた。動作が本当に素早く、驚かされる。
 また、モノを持つと、激しく揺り動かし、床に大きな音をさせながら何度も たたきつけることも頻繁にする。夜になってこれをやられると、音が響き、 近所に迷惑がかかるのではないかと心配になる。
 お座りとハイハイがスムーズに移行できるようになり、姿勢が戻せなくて 泣くことがなくなった。日々大怪獣は進化している。

■2008年5月19日(月曜日)
 昨日は、力感なく、気持ちよく走り、走り終わった後も疲労は全く感じなかった。 しかし、一夜明けて、体中が筋肉痛になっていた。特に大腿部の前面の筋肉、肘周りや 肩周りの筋肉、腹回りの筋肉に痛みを感じる。ゴールデンウィーク以来、ほとんど 走っていなかったのだから、筋肉痛になるのは当たり前だが、上肢に関連する 筋肉が筋肉痛になるということは、今まであまりなかった。それだけ、下肢だけで なく全身を使って走ることができたと考えればいいのか、上肢にまで力を入れて 走ってしまっていたと考えればいいのか、よくわからない。とにかく結果は良かった ので、走っている時に疲労を感じないような走りを追及していきたい。

■2008年5月18日(日曜日)


スタート直後



1周目のバックストレート



2周目



フィニッシュ直前
 東日本実業団2日目。男子800mに出場した。予選は3組あり、 各組2着までと3着以降でタイムの良かった2名が決勝に進出できた。
 1組目はトップが1分53秒台で、まぁこんなものかと思っていたが、 2組目では、簗田くんが1周目を53秒台で引っ張り、3名が1分50秒台 でフィニッシュし、決勝進出はかなり厳しい状態になった。
 自分の走った第3組は、予想通り田口くんが引っ張り、こちらも1周目が 53秒台で通過し、自分は5番手で何となくついていき55秒台で通過した。 ウォーミングアップの時点から、体の動きが良すぎて、レースでは空回り するのではないかという心配をしていたが、空回りすることなく、1周目は 疲労もほとんどなく、楽に走ることができ、「今日は行ける」と心の中で 何度も喜びながら叫んでいた。「このままのリズム」ということを自分に 言い聞かせ、走り続けた。とにかく頑張ったら、そこで力が入って終了して しまうので、「頑張らないように、頑張らないように」自分に言い聞かせながら、 前の選手を無理して抜くことなく、頑張らずに5番手で前の選手を追走した。
 そのまま最終コーナーに入り、ここ4,5年は、ここから体が固まり失速を してしまうことが続いていたが、今日は、体が固まらず、先頭集団の最後尾ながら、 集団のラストスパートにも離されず、最初のリズムのまま、770mくらい まで走れた。残り30mは、急に脚の回転が悪くなり、失速気味になったが、 なんとか、そのままの勢いでフィニッシュラインまでたどり着き、5位での フィニッシュとなった。タイムは、1分52秒49で、先頭からは1秒以内で フィニッシュでき、自分でも驚いた。1分52秒5を切ったのは2003年以来で、 久しぶりに800mのレースができた。これで、来年の全日本実業団の標準を 突破でき、今シーズンの目標が達成されてしまった。もう一度1分50秒台を 狙ってみたいという気持ちになってきた。
 昨日の1500mの結果からすれば、この結果は想像できなかったが、 今日は、チームのメンバーにウォーミングアップを手伝ってもらい、いつもと 違うウォーミングアップをしたのが良かった。それにより動きが格段に良くなり、 この結果が出たのだと思う。チームのメンバーには本当に感謝したい。

■2008年5月17日(土曜日)


4×100mR優勝
 東日本実業団1500mに出場。申請タイム順で3組に分けられ、自分は申請 タイムが3分53秒台から59秒台までの第2組に入った。
 ゴールデンウィーク以来、ほとんど走っていなかったため、最後まで、 走りきる自信がなく、スタート直後に、いつも通りの2,3番手について 走るかどうか躊躇し、躊躇しているうちに最後尾になってしまった。
 1周目を64秒で通過し、比較的余裕を持って走っていたが、600m通過 後に、先頭のペースが上がったようで、集団が縦長になり、少しずつ前から選手が 落ちてきたので、一人ずつ抜いていき、先頭集団を追ったが、追い切れず、 そのまま離されてしまい、スタートで躊躇したことを後悔した。
 その後も、全くペースは上がらなかったが、それほど落ちもせず、残り 400mを2分55秒台で通過した。このまま行けば4分を切れるかどうかだろう という予測のもと、そのままのペースで、あまり無理をせず走ろうと思った。 しかし、ラスト1周は、手足が動かなくなり、結果としては、無理をしなかった というよりも動かなかったという感じだった。
 フィニッシュタイムは4分00秒47で8着で、総合26位だった。走る前から フィニッシュタイムは4分前後だろうと予想していたので、予想通りの結果だった。
 アンビバレンスが出場した他の種目では、男子4×100mリレーがすばらしい 結果を残した。3,4番手を走り、3走でトップに立ち4走がそのまま逃げ切り、 41秒21で初優勝した。リレーチームは、神奈川県選手権へむけ、とても良い スタートが切れた。

■2008年5月16日(金曜日)
 5月病という言葉があるが、我が校の1年生も授業を見ていると、似たような 症状があるように感じられた。慣れない寮生活に大きなストレスを感じ、無気力に なっているようにも見える。
 先月の新聞で、心理学で使われる学習性無力感という言葉を説明した記事が 印象に残っていた。気性の荒い魚のカマスをエサの小魚と一緒に水槽に入れ、 小魚とカマスの間に透明の板を入れておくと、カマスは小魚を食べるために 何度も板に当たり、最後はあきらめて小魚を食べに行くという行動をやめて しまうという。そして、透明の板を撤去しても行動を起こすことがない。 これが、学習性無力感という状態らしい。寮生活にストレスを感じ、すべてが 無気力になってしまった学生たちに似ていると思った。寮でストレスを感じても、 教場では、無気力になる必要はなく、勉強しようと思って大学にきたという 初心に戻るべきではないかと学生たちに話した。
 カマスの実験は、その後、全く透明の板のことを知らない別のカマスを同じ 水槽に入れると、入ったばかりのカマスは小魚を食べに行くため、それを見た 学習性無力感の状態にあったカマスも、小魚を食べに行けるようになり、無力感は 解消されることになる。自分の授業を受けている学生たちが、後から入ってくる カマスのように、無気力になってしまった他の学生たちの目を覚まさせるような 起爆剤になってくれることを願う。 

■2008年5月15日(木曜日)
 中国の地震により、救援物資の奪い合いや略奪が起きているという報道があった。 以前、ロサンゼルスの地震の時にも、略奪や暴動が起きている映像を見た記憶がある。 人は、極限状態に陥れば、まずは自分のことを考え、凶暴になるのだろうか?
 日本で地震が起きたときには、そのようなことがあったという報道は見たことがない。 聖徳太子の「十七条憲法」の第一条には、「和をもって尊しとなす」と記されているが、 その精神が今も受け継がれているように思えてしまう。日本語は、自分を主張する よりも、周囲への配慮が多く、主語がなくても相手が察してくれるという、言語 の特徴をはじめ、文化や生活環境が外国とは違うとも考えられる。
 しかし、日本でも、最近は殺人事件の報道のない日はないというくらい、凶悪事件が 多発し、隣人すら顔を知らないということも当たり前になってきている。このような 流れから考えると、将来的には、日本も海外と同じような状況になってしまうのでは ないかと思えてくる。自分の気持ちを大事にしつつ、相手のことも察することの できる人になりたいと思う。

■2008年5月14日(水曜日)
 トラック練習を最後にしたのは、10日前。その晩から体調を崩し、連休明けに なっても回復せず、運動が全くできなかった。しかし、授業ではどうしても口と体を 動かさなければならないので、なんとか動かすが、のどは声を出せば出すほど悪く なっていった。
 一昨日から、状態は良くなり、やっとジョッグを始めることができた。5月4日 以来まともに走れていない。調子が良かったはずなのに一気に調子を落とし、週末は ぶっつけ本番のレース。まぁ、なるようになると考えるしかない。

■2008年5月13日(火曜日)
 昨日中国四川省で大地震が発生した。今日の夕方には死者が1万人を越えるとの ニュースも流れていた。昨日たまたま日本赤十字社に募金をしたばかりだったが、 すぐに利用してもらえるのかもしれない。
 昨日までは、ミャンマーのサイクロン被害がひどく、被災地の衛生状態が改善 されず、感染症による死者が増える悪循環になりつつあるが、それでもミャンマー 軍事政権は、外国人救援チームの被災地入りを認めていないと報道されていた。 出来る限り被害を食い止め、早急に市民生活を復旧させたいのであれば、支援を 受け入れるべきだと思うが、軍事政権は、何が最も重要なことだと考えているの だろうか?
 今日は、パソコンテレビGyaOのニュース&ドキュメンタリーチャンネルで 『驚異の予言者ジュセリーノ緊急特集』という番組が気になって見てみた。 予言者ジュセリーノという人は、ブラジル在住の英語教師で日本向けの ホームページも持っていた。彼は、阪神大震災や9.11テロなどを事前に 予言し、今までに行った予言の的中率は90%だというが、ウィキペディアには、 過去の予言と、それが当たったかどうかの結果が載っていて、それを見る 限りでは、的中率はそれほど高いようには見えなかった。公式ページにあった 予言集には、今月は、千葉でM7.2の地震が発生すると書かれてあった。先週、 茨城で地震があったが、それが千葉の地震だったのだろうか?その先の予言では、 6月に大阪で、さらに8月6日に東京で大きめの地震があると書いてあった。 日本に関する予言は地震が圧倒的に多い。東大地震研究所の人がテレビで 今回の中国の地震についてコメントを述べていたが、彼らがどんなに頑張っても 今のところ地震予知がでない状況なのに、この予言者は、寝ている間に夢で わかってしまう。研究者が気の毒に思えた。とにかく、いつ地震が来ても対処できる ように、備えておかなければと思う。

■2008年5月12日(月曜日)
 2008年度の大学入試は、難関有力校と下位校、大都市圏と地方の二極化が 進んだと新聞の記事に出ていた。私立の志願者数は、上位10校だけで、 調査をした全学校の35.9%を占めていたというのだから、併願で 受験していることを考慮しても、一部の学校にのみ受験生が流れ込み、 かなりの偏りがあるように見えた。教育改革や入試改革をして、 ブランド力を高められなかった学校は淘汰される運命にあるとも言える。 お客が集まらなければ商売は成り立たない。
 我が校も、2008年度入試において、定員を増やしたそうだが、実際に 入校して、現在も辞めずに残っている学生数はすでに定員を下回っている。 大学全入時代に入り、無理に定員を増やせば、教育の質が下がることになり、 人数が増えれば増えるほど、授業展開が難しくなり、教育の質も下がりやすく なることを考えると、教員としてはあまり学生数が増えることには 賛成したくないが、大学の生き残りを考えると仕方のない政策ではある。
 2008年度は、工学部人気が復活しつつあるようだ。国公立大前期日程の 志願者数は、工学部が前年度比で3.8%増だった。それに対して、最も 伸びが悪かったのが、芸術・体育で、志願者は昨年度の約92%だった。 芸術・体育を出て就職をしようとしても、なかなか厳しいということを 受験生は知っているということなのだろうが、最近は、私立で、 次々とスポーツ科学系の学部が立ち上がり、体育というのは人気のある 学部なのではないかと思っていたので、国公立のみの調査とはいえ、 この結果には、寂しさを感じた。

■2008年5月11日(日曜日)
 長男がブロックで遊びたいというので、一緒に遊んぶことにした。長男は 自分の世界に入って遊んでいたが、次男がそれを見て、ブロックを触ろうと ハイハイで近寄ってきたところ、長男は、次男を足で防御したり、手を使って 強く排除するような仕草をとり、親に対して、泣きながら近づかせないで、 と叫んだため、次男も強い口調と行動に泣き出し、子供が2人ともストレスを 抱えるという結果になってしまった。
 次男が歩くようになると、さらに大変なことになるのではないかと思う。 長男は次男に対して手加減をするが、加減を知らない次男は、かなり強引な 行動に出て長男が泣かされるということが今から想像できる。
 子供が増えて、にぎやかな家庭になってきたと思っていたが、今後は、 子供同士の戦いにより、にぎやかどころではない、うるさい家庭になりそうだ。

■2008年5月10日(土曜日)


4種類のメガネ
 auのアンテナショップへ、携帯プランの変更へ行った。妻は、通話料があまった場合に 家族との分け合いプランで、自分が繰り越しプランになっていたたため、妻には 分け合う家族がいない状態だったので、繰り越しに変更した。ついでに2人の 現在のプランを見てもらったところ、3月から始まった家族間通話無料という 状態になっていないことがわかり変更してもらった。当然無料だと思って、 電話していたのですべて有料だったというのがショックだった。
 妻はauのアンテナショップへ行くと、カレンダーや、子供が喜びそうな 紙のおもちゃをいつももらってくる。今回は、紙でできた目の入った4種類の メガネ。目の部分にちょっとだけ穴が開いていて、メガネをかけてもその穴から 十分見ることができる。家族でお互いそれを掛けあって大笑いしていた。眠っていた 次男が起きたので、メガネをかけて彼に笑いかけてみたところ、ちょっとだけ顔を 見た後、目をそらし、口がへの字になり大泣きしてしまった。もの凄く恐かったの かもしれない。その後も、長男や妻も同じことをして次男を泣かせてしまった。 長男は大喜びだったが、次男にとっては、かなりのストレスだったかもしれない。

■2008年5月9日(金曜日)
 昨日よりもさらに喉が悪化したため、また医務室へ行った。前回は 若手の先生だったが、今回はベテランの先生で、前回の薬の処方が あまり良くなかったのだけど、若手の先生も育てていかなければ ならないので、こういうこともあるのだけど、理解して欲しいと 謝罪にちかい説明があった。
 今回は抗生剤をもらい、さらに前回とは違う薬を3種類もらった。 運動をしなくなって1週間たった。先週土曜日は、意外と走れそうな 感覚があったのに、どうやって走っていたかわからなくなってきた。 早く復帰したい。

■2008年5月8日(木曜日)
 昨日は頭痛と鼻づまりがひどかったため、医務室へ行き炎症と鼻づまり 解消のための薬をもらい、これで体調は改善するのかと思っていたが、 朝起きたときには、頭痛がなくなった変わりに喉の痛みが増していて、 鼻づまりは解消されていなかった。今日は1日喉の痛みと鼻づまりが ひどく、鼻をかむと目から涙が出てくることが頻繁にあった。鼻と目は つながっているんだぁと思った。
 午前午後とも授業があり、声を出さなければならなかったため、 夕方には、声がかれたようになり全く自分の声ではなくなってしまった。 家に帰って、次男の後ろから「ただいま」と声をかけたが、父親の声 だとは思わなかったのか、全く振り向いてもらえず、突然泣きそうな 顔をしてこちらに振り向いて、そこに父親の顔があったためか驚いていた。

■2008年5月7日(水曜日)


カメ




タンポポ
 次男はとても早起きで、ハイハイが上達し、自分の行きたいところへ行ける ようになったため、ますます活動的になり、何にでも興味を持って口に入れてしまう。  今朝は、段ボール箱をかじっていた。段ボールは水分を含むとだんだん柔らかく なり溶けてくるためか、次男は、そのまま食べてしまったようで、段ボールは、 食べたところだけが歯形のようになくなっていた。段ボールを飲み込まない うちに取り出すために、次男の口の中を開けようとしたが、次男は応じてくれず、 口の中でモゴモゴし、結局飲み込んでしまったようだ。
 夜に職場の歓送迎会が行われるため、久しぶりに徒歩で出勤した。自宅から職場 までは、山を登るだけの道のりだが、山を登り終わるまでに、カメがいたり、 いろいろな花や虫がいたり、いろいろな鳥のさえずりを聞いたり、春から夏へ 変わっていく山の匂いなど、五感がとても刺激された気分になった。最も 驚いたのは、ついこの間までは、膝の高さまではなかったヨモギが、胸の高さまで 迫ろうかという勢いで伸びていたこと。子供の成長以上に雑草の成長は著しいと 思った。

■2008年5月6日(火曜日)
 10日くらい前に、無線LANの接続に成功し、次は、複合型プリンターを 無線で繋ぐことに挑戦してみた。以前、近所のパソコン専門店で、無線で複合 プリンターを繋ぐにはどうしたらいいかという質問をして、プリンターのメーカーの 出しているプリントサーバーであれば、繋ぐことが出来るが、複合機としての機能 (スキャナー機能)は失われてしまうということを聞かされ、スキャナーも使える ようにするには、どうしたらいいのか聞いてみたが、今のところ解決方法はない と言われ、何も買わずに帰ってきたことがあった。その後、ネットでいろいろと 検索し、スキャナーの機能が失われることのないUSBサーバーというモノを発見し、 それを購入し、やっと今日、接続することとなった。
 説明書の指示通りに接続たところ、パソコンは無線を通してプリンターを認識 するところまではできたが、印刷が出来ないという状況になった。いろいろと 考えられるとことを試してみたがうまくいかず、無線LANの時と同じくネットで 検索してみると、自分と同じような状態で困っている人がいた。解決法は、 プリンタードライバをいったんすべて削除し、再インストールするということだった。 やってみるとプリンターでの印刷が可能になった。しかし、スキャナーとしては 認識してくれず、また悩むことになった。ネットで検索しても解決策は見つからず、 今までの知識を総動員して考えられることをいろいろと試しているうちに、 なんとか認識してくれて、すべての機能が使えるようになった。
 終わってみれば、なぜ動くようになったのかよくわからない。もう一度やって みろと言われたら、自信をもって出来ないと答えられるくらいわからない。 気がつけば深夜になっていた。もう当分こういう接続はやりたくない。

■2008年5月5日(月曜日)
 ここ2,3日、腰が痛く、肩周りにも痛みがあり、何となく体調が良くないと 感じていた。昨夜は、体中が痛くて、まともに寝ていられず、異常なほど、 トイレへ行く回数が多く、起きたときにはかなりの疲労感があり、喉が痛く なっていた。血の混じった痰がからみ、これは普通ではないと思い、体温を 測ってみたら37.5℃だった。昨夜から、頭頂のちょっと右辺りが痛く、 頭痛かなぁと思っていたので、昨夜から、すでに微熱があったのかもしれない。 妻と子供たちは、実家に帰ってしまったため、自分の世話は自分でしなければならず、 朝食をして、すぐに寝た。しかし、体中の筋肉や関節が痛いため、まともに眠れず、 ただ安静に横たわるという感じだった。昼頃にいったん起きて体温を測ると38.0℃ まで上がっていた。昼までに熱が下がっていたら、日体大記録会を走ろうと思って いたが、下がらなかったため、出場を断念し、家でゆっくりと過ごすことにした。  昼食を軽く食べ、また寝ようかと思ったが、体の痛みが寝ている方が辛いため、 寝るのをやめ、ソファーにもたれながら何となくテレビを見て過ごし、夕方になって、 救急医療センターへ行き、診察を受けた。昨夜からトイレへ行く回数が異常に 多く、それに応じた水分補給をしていないので、脱水症状になっているかと 思ったが、尿検査の結果、脱水にはなっていなかった。喉に炎症があり、その 影響で熱や体の痛みがあるのだろうという診断だった。診察中、左右の腰を 軽く叩かれ、体に響きますか?と質問された。響くことはなかったが、響いて いたら、腎臓に問題でもあるということになったのだろうか?年齢が30の 半ばにさしかかり、そろそろいろいろな病気の可能性が高くなる年齢に なってきてしまったのだと思った。

■2008年5月4日(日曜日)
 明日の記録会に備えて、最終刺激を入れた。内容は800mを想定した 1周目の400mの走り。前半の200mを26秒台で入り、後半は、 少し大腿部が張ってきた感はあったが、もう1周走ることを想定した 走りで、余力をある程度残して走りきることができた。タイムは、54秒4。 腰痛になるなど、あまり体調は良くないが、2週間前よりも、今日の動きは良く、 明日は、シーズン記録が狙えるような気がしてきた。明日のレースが楽しみだ。

■2008年5月3日(土曜日)


新郎新婦
 後輩の結婚式に参加した。式を行った場所は、聖心女子大学聖堂。 新婦の母校なのだろうと思っていたが、特にそういうわけではなかった。 彼らの前にも2組結婚式が入っていたので、結婚式によく利用される 場所なのかもしれない。とにかく大きな聖堂だった。とても古い建物 に見え、雰囲気が防衛省内にある東京裁判を行った建物を移設した 市ヶ谷記念館に似ていた。
 今回の式には、途中に司祭の講話があった。いろいろとストレスのある 社会だが、家庭では、安らぎの得られる場所にというような話があった。 司祭の話は、とても心地よい響きがあり、聖堂全体が安らぎの場になって いくような気がした。こういう講話もなかなかいい。
 新郎新婦が、安らぎのある家庭を末永く築かれることを願う。

■2008年5月2日(金曜日)


真っ赤になった指先
 次男のハイハイが、さらにペースアップした。彼の足の裏を見て、 ペースアップの裏には、血のにじむような努力があるのだと思った。 足の指先で蹴ることによって、体を前に進めているようだ。何度も 同じことを繰り返し、進むためには、指先を使う必要があることが わかったのだと思う。今では、指の皮がむけ、すべての指が赤く なり、少し腫れがあるのではないかと思うほどになっている。
 スポーツは、自分の体を変形させてまで、自分の記録を伸ばしたり、 相手に勝とうとすることと自分では勝手に定義している。そう考えると 赤ん坊の日常は、まさにスポーツだと思った。とにかく興味あるところに 進むためには、足の皮が剥けて腫れ上がってもいいという感じ。本当に 赤ん坊はすごい。

■2008年5月1日(木曜日)
 陸上競技部でソフトボール投げの苦手な学生を捕まえて、一昨日衝撃を 受けた体温計スイングを使ったソフトボール投げの指導をしてみた。
 一昨日も衝撃を受けたが、今日はさらに大きな衝撃を受けた。体温計を 振る動作をするように話をしてみると、ある学生から、体温計を振る動作が わからないという言葉が返ってきた。よく考えると最近の体温計はデジタルだ。 その学生からすれば、生まれたときからデジタルなのだから、水銀の体温計 とは何ですか?ということになる。大きなショックだった。自分は学生と それほど世代は違わないと思っていたが、彼らからすれば、やっぱり 自分はおっさんだった。
 昨日から肩周りが筋肉痛だと思っていたが、どうやら、体温計スイングを やりすぎたらしい。うれしくて調子に乗ってブンブン腕を振り回していた結果 なのだと思う。しかし、どんなにブンブン振り回しても、肩周りが無理な 痛みを発することはない。感じるのは、筋肉痛の痛みだけ。自分の体に合った 投げ方だとますます実感した。



[昔のいずみ]