最近のいずみ

Last Update:2008/7/31

パートタイムアスリートいずみ 8年目に突入!! 


■2008年7月31日(木曜日)
 私立大学の約半数が定員割れを起こしているという記事を読んだ。人気のある定員数の多い都市部の大学に学生は集中し、800名以下を定員とする大学はかなり深刻な状況だという。
 我が校は私立ではないが、800名以下を定員とする私立大学と同様の結果が起きている。定員は500名未満であり、昨年度の入試では、定員を増やしたが、入校した学生数は、定員を下回っていた。我が校は、入試時期が他校よりもかなり早く、合格者は他校との併願が多いため、かなりの数の合格者を出していている。昨年度の定員増は、推薦枠の増加分という ことだったので、例年通りであれば、定員は満たせたはずだったが、満たせなかった。
 最近は、オープンキャンパスなどで、受験生に学校を見学してもらうイベントを開催したり、学校のホームページにも受験生向けのページを作るなど、いろいろと取り組んでいるが、防衛学など履修内容や卒業後の進路など一般大と違う特徴があるため、進学するかどうか選択に迫られたときに一歩を踏み出すのがなかなか難しいのかもしれない。庁から省へ昇格することで、注目を浴び、受験生も増えるのではないかと思ったが、それは間違いだったようだ。

■2008年7月30日(水曜日)
 学生たちの夏合宿が始まった。7月の1ヶ月間は、訓練期間だったため、 ほぼ全員がまともに運動ができていない状態だったため、中距離パートの 初日は、現状を知るための形態や運動能力の測定を行った。
 3年生以上は、昨年度も何度か測定をしているため、その時との比較ができるが、 1年生は初めてということで、運動能力の測定については、1年生同士で 競い合って記録を伸ばそうとしていた。
 自分も一緒に測定したが、形態測定では、多くの部位で、3月よりも低い値となり、 体重も2kg減っていたので、筋肉が落ち、体が一回り小さくなっている可能性が 高いことがわかった。
 運動能力では、1分間の腕立て伏せと腹筋の回数は少し増え、右の握力は、 4kg弱くなっていた。特にショックだったのは12分間走。記録は3460mで、 初めて3600mを下回った。暑さの影響もあったかもしれないが、あまり 持久的な運動をしていない現状はやっぱりごまかせなかった。

■2008年7月29日(火曜日)
 最近、パソコンの立ち上がりが遅くなり、Internet Explorerは読み込みが遅く、かなりの時間待たされる。立ち上がりが遅いのは、セキュリティーソフトがウイルスチェックをするためで仕方ないが、Internet Explorerの動きは、改善できないだろうかと思っていたところ、パソコン雑誌にInternet Explorerの代わりにfirefox3を導入すれば、速さが実感できると書いてあったので、さっそく導入してみた。
 Firefox3をダウンロードして実行すると、自動的にInternet Explorerのブックマークなどをそのまま移動してくれ、以前と全く変わらない環境で利用でき、表示される時間はInternet Explorerよりも短く、いろいろと小さな追加プログラムが用意され、自分の必要なプログラムを入れることで、自分独自のブラウザを作ることができ、とても気に入った。
 次は、メールソフトをOutlook ExpressからThunderbird2に代えてみたいと思った。

■2008年7月29日(月曜日)
 学生と一緒にジョッグをした。初めの10分くらいは、余裕があったが、20分を過ぎる頃には、かなりスピードが上がり、30分を過ぎる頃には3年生が一人脱落することで一緒に脱落しそうになったが、なんとか踏みとどまった。しかし、その2分後には赤信号により停止せざるをえなくなり、再出発後は、リズムがつかめなくなりすぐに脱落してしまった。その後は歩くペースに近い状態で何とか競技場へ戻った。汗の量が半端でなく、Tシャツ、ランニングパンツ、靴下が完全に濡れ、靴まで湿気っていた。汗は全く止まらず、握っていた手を開いてみると白くふやけていた。
 今日は、途中で脱落してしまったが、今の自分には、このペースでの練習が必要なのだと思った。このペースでの持続走は一人ではできない。長距離の学生たちはいつも通りの走りだったのだろうが、彼らも7月の1ヶ月間は、訓練期間だったためほとんど練習ができていない。自分も同じように練習はできていないので、一緒に走れるかと思ったら大間違いだった。学生たちの持久力の方が、レベルは高いということがよくわかった。

■2008年7月27日(日曜日)
 昨日から統計の講習会に参加している。1日約6時間の講義があり、統計の理論と統計ソフトを使って実際のデータを処理してみるという操作法の解説が並行して行われた。今日までに2群の平均値の差や相関などの求め方を学び、アンケート結果を入力し、一気に処理する方法は、こんなに楽な方法があったのか!!と思い、驚きと感動があった。
 10年くらい前までは、このような処理は、スーパーコンピューターを使って処理しなければできなかったらしく、当時は、スーパーコンピューターを利用するのに、わざわざ持っている大学にお願いに行かなければならなかったという話を聞いた。今では、個人の持っているノートパソコンでできてしまうというほど、パソコンの処理能力や容量が大きくなっているということを改めて知ることとなった。

■2008年7月26日(土曜日)
 長男は、親から見ると合理的ではないと思われる行動をとり、親からいつも同じことについて注意され、最後は叱られる。たまに調子の良いときには、自分で合理的な行動をとり、親に褒められることもある。
 子供は、いつも同じ調子で生きているわけではないということを親である自分たちがよくわかってあげないといけないのではないかと思った。大人の常識で子供を見ていては、大人は常にイライラしなければならない。子供の調子は毎日違うのだということをよく認識し、子供の行動を見て、今日は調子が悪いのだと理解してあげられれば、なんでそんなことができないのか?と叱る意味がないということがわかり、無意味に子供を叱ることがなくなる。つい怒鳴りつけてしまう自分たちには、簡単なことのようで難しいことなのかもしれない。

■2008年7月25日(金曜日)
 1週間ぶりのトラック練習。1000m、600m、400mを全力の8割くらい の感覚で行った。しかし、走っている感覚がなく、足に力が入らない。地面から反発を 受けている感覚もない。ホームストレートの向かい風が強く、向かい風になるたびに 止まりたくなった。600mからはスタート位置を変更して、向かい風に当たる回数を 減らし、なんとか予定のタイムに戻すことはできたが、全力と全く変わらない疲労感で、 グッタリとしてしまった。 

■2008年7月24日(木曜日)
 自分が普段使う実験データでは、統計処理を行うときにデータが正規分布に従っていることを前提にしていて、日常起こる多くの事象は正規分布するものだと思っていた。しかし、今日、ある研究会の講演で、人間が介在するものは多くがべき分布に従っているという話を聞いた。べき分布は、例えば、戦争やテロの犠牲者と頻度を表したグラフがあり、犠牲者が少ない事象はかなり多く、逆に犠牲者が多い事象はとても少ないが存在する。正規分布では、平均値というのが重要になってくるが、べき分布では平均というものはあまり意味をなさない。正規分布では、滅多に起こらない事象は存在しないような雰囲気があるが、このべき分布では滅多に起こらない事象の存在も許される分布になっている。人の所得は、一握りの人たちが高所得であり、多くの人たちの所得は少ないという分布になるが、それで平均を取って平均所得と言ってもあまり意味のある数字ではなく、一握りの人たちは無視して数値を出せばいいかと言えば、そうでもなく、世の中を動かしているのはその一握りの人だったりする。講演では、ガウス分布(正規分布)を学ぶよりは、べき分布から学ぶべきだとの話があった。
 また、社会現象には、規則性に欠け、どちらかといえば他人の行動を見て、それが合理的だと思うと多くの人がその行動を選択するというようなカスケード現象が多いという。例えば、内閣の支持率や株価などがある。最初にやった人の行動に依存するということで、商品の販売には、売り出し時の売れ方がとても重要だという。ペンギンの群の動きも同じように最初のペンギンが動き出すことで、周りがそれにつられて動き出すようで、カスケード現象になっているとのことだった。
 交通渋滞の時には、渋滞情報を得ることで、渋滞のない道を選択する人が多く、人の集まる方向へは行かないという傾向があるが、災害などの避難時においては、逆に人の集まる方向へ行こうとする傾向があるという。それにより二次災害の危険性も高まってしまうかもしれない。人はなぜこのような選択をするのかはよくわかっていないらしく、このような事象をシミュレーションして現象を解析するような学問があるということを知り、とても興味が湧いた。

■2008年7月23日(水曜日)
 また無差別殺傷事件が起きた。犯人は、「誰でもよかった」と話しているらしい。 人に危害を及ぼす結末になるのであれば、「誰でもよい」のだから、まず自らの 体で試してくれと言いたい。「親が話を聞いてくれない」ということで、 「親に気づいてもらう」ために事件を起こしたとの報道もあった。犯人の年齢は 自分と同じ33歳。親がどうのこうのという年齢でもないような気がする。
 秋葉原の事件後、警察庁はタイガーナイフなど殺傷能力高い両刃の刃物の所持を 禁止する方針を明らかにしたばかりだが、犯行に使った包丁は、事件前に100円 ショップで購入したというくらい手軽に手に入るものであったが、その包丁でも 殺傷能力はかなりのものだということがこの事件で証明された。今後、刀剣類の 規定の見直しはどのようになるのだろうか?というところが気になる。
 国家公安委員長は秋葉原の事件以降、再発防止に取り組む中だったとのコメントを していたが、こんな突発的な事件では、再発防止は難しいのではないかと思う。
 犯人の経歴からは、学校も仕事も自分の思い通りにいかないことが多かった様子が わかる。国家公安委員長が「競争社会になじめない人の再起の機会が少ないことや、 人付き合いの少なさが関係しているのではないか」と述べていたが、その通りかも しれない。安倍前首相の唱えた再チャレンジのできる社会とは何だったのか?首相が 替わり、再チャレンジという言葉は消えてしまったが、真剣に考える必要があるように 思う。

■2008年7月22日(火曜日)
 1年生の遠泳訓練支援で、ボートに乗り海に出た。今回支援したのは、 泳ぐことはできるが、あまり進まないため、集団泳が難しい学生。 集団泳は4kmを泳ぐことが目標だったが、支援した学生は、同じ時間で 3kmを完泳することだった。
 最初から、潮の流れが強く、まっすぐに進むことができず、実際に進む 方向は、進みたい方向から30度くらいずらしてちょうどくらいだった。 潮の流れは、場所によって全く違い、さっきまでは右に頭を向けていたのに、 次の瞬間には、左に方向を変えないと流されてしまうほど、激しく変化していた。 また、ある瞬間は、いくら泳いでも全く進まないこともあったが、学生は ボートからの指示をしっかりと聞いて、最後まであきらめることなく完泳できた。
 明日は、距離を落としての訓練があり、明後日はいよいよ8km遠泳本番 となる。参加した学生が全員完泳できることを願う。

■2008年7月21日(月曜日)


東京湾海上交通センター
からの眺め
 先週、14歳の少年がバスジャックをしたニュースの直後に、15歳の 少女が自宅で父親を殺害する事件が起きている。少女は目覚めた瞬間に 刺そうと思いついたと言い、母親は、動機に思い当たることがないと言っている。 一般に家族の中の母親は、最も家族の変化にとても敏感な人物だと思うが、 娘のコメント通りであれば、母親も気づけないくらいの急な心境の変化だった のかもしれない。
 日経新聞の土曜版の日経プラスワンで立命館大学教授の陰山秀男さんが、 携帯電話が出始めた頃のテレビCMは、恋人同士がつながるCMだったが、 最近は、家族がつながるというCMが多くなってきているが、家族が電話で つながる必要があるのか?と疑問を投げかけて、携帯電話の使い方は、 人と人とのつながりが難しくなってきている今の人間の生き方を映し出し、 人間関係ができるのも能力として呼び、コミュニケーション能力なる言葉も 出てきたと述べている。一昔前では当たり前の人と人とのつながりが、難しく、 家族同士でもコミュニケーションが取りづらくなっているという今の時代を 映し出すような事件でもあるのだと思った。

■2008年7月20日(日曜日)


観音崎公園
 午前中は、妻の家事をじゃましないように、子供たちを連れだし、観音崎公園の山側を散歩した。ベビーカーに乗っていた次男はすぐに寝てしまい、次男は、山の頂上付近にある遊具で大はしゃぎした。
 午後は、家族で、観音崎公園の海側を散歩した。連休ということもあり、大勢の観光客が押し寄せ、浜辺は、漂着のゴミと花火のかすが散乱し、場所によっては、バーベキューのゴミが放置されるなど、本当に汚かった。自分の出したゴミは自分で持ち帰ってほしい。簡単なことだけど、利用者にとっては難しいことなのだろうか・・・

■2008年7月19日(土曜日)


近所の子供たちとの花火
 長男が夏休みに入ったので、プロジェクターを借り、家の壁に大きく映して、DVDを映画のよう見せてやろうと思って準備をしたところ、ノートパソコン内蔵のDVDドライブがパソコンに認識されず、計画は実行できなかった。子供はDVDをどうしても見たいと泣き出すところだったので、結局、デスクトップパソコンで見ることで納得してもらった。
 最近、ノートパソコンのDVDドライブを全く使っていなかったため、DVDドライブがパソコンに認識されていなかったことに気がつかなかった。どうすればドライブを認識させることができるか、いろいろと考えて取り組んでみたが、認識させられず、メーカーの相談窓口に電話して聞いてみた。
 相談窓口は、とても丁寧に対応してくれ、最終的に、リカバリディスクを認識するかどうかをチェックした結果、認識できず、ドライブが認識できない原因は、ハードに問題があるということがわかった。対処法としては修理窓口に電話して修理に出すしかないということになった。一般に家電製品は10年くらいは持つはずなのに、パソコンは2,3年でどこかがおかしくなる。本当にお金のかかる製品だ。

■2008年7月18日(金曜日)
 長男がなかなか親の話を聞かず、朝食の時に妻と2人で大声で叱ってしまった。 叱ったというよりも、怒ったという表現の方が正しいかもしれない。 長男は、大声で泣き出し、それにつられ、次男も大声で泣き出してしまった。食事を 遊びながらダラダラと食べていて、ただ幼稚園のバスに間に合わなくなりそう だったことが要因で、最近は、毎日同じことが続いている。その毎日の積み重ねで、 こちらもため込んでいたストレスを一気に放出させ怒鳴ってしまったという感じ。 長男も、毎日同じことを言われ、うんざりして、逆に話を聞くのがイヤになってきて いるのかもしれない。
 夜になり、長男を怒鳴りつけたことを妻と共に反省した。一般にけんかでも 同じだが、発端は大した理由でないことが多い。ちょっとくらい時間に間に 合わなくても今は焦らせず、もう少し大目に見られる器を持たなければ、 子供も親の言うことだけを聞いていれば間違いないと考えるようになり、 自ら動くことのできない人間になってしまうかもしれないという結論に至り、 熱くならず、お互いもう少し冷静に子供を見守ろうということになった。

■2008年7月17日(木曜日)


遠泳訓練
 大リーグで活躍していた野茂投手が現役引退を表明した。多くの選手は、現役引退時 に悔いのない野球人生だったと言って現役を引退するが、彼の場合は悔いが残っていると のコメントを残した。雇ってくれるチームがなく、仕方なく引退する場合や、自らの 体力の限界により引退する場合など、選手それぞれによって事情は異なるので、何とも 言えないが、多くの選手は潔さを示すために本人の意に反して、悔いはなかったと 言っているように思えるが、野茂選手は、本当に自分の気持ちを正直に話したコメントに 思えた。自分の気持ちを素直に表現するというのは、本当に難しく、それができる ということひとつとっても、野茂投手は、並の選手とは違いっていたのかもしれない。

■2008年7月16日(水曜日)


同期送別会
 東名高速道路の豊田付近で、JRバスが14歳の少年によって バスジャックが行われ、岡崎の美合パーキングエリアで停車し、少年は 逮捕となった。バスジャックに使った道具は、ナイフ2本だった。
 少年が逮捕された場所が、東名高速道路で実家の近所で、帰省した時には 必ず通るパーキングエリアだった。東名高速道路の岡崎付近は、車の追突事故で 何度か報道されているが、バスジャックは驚きだった。
 少年は、「世間を騒がせたかった」とか「親に怒られ嫌がらせ」をするため だったというようなコメントをしているらしい。腹が立っただけで、なぜ これほどまでに飛躍した思考になってしまうのかが理解できない。 ナイフを持っているだけで事件を起こすことが可能で、実行すれば、 リアルタイムで世界中にニュースが配信され、世間が騒ぐという、単純な 構図で、少年でも手軽にできたのかもしれない。
 飛行機に乗るときには、危険物の持ち込みを制限するために荷物検査が 行われているが、さすがにバスでは行われてはいない。このような事件が 次々と行われるようであれば、バス会社でも検査を行うことになるのだろう。 公共交通機関を利用するのもどんどん面倒になってくる。

■2008年7月15日(火曜日)
 大学の教育改善に関する講演を聞いた。大学での学生教育は、各授業を担当する 教官に任せられているが、ただひたすら黒板に向かって板書する授業であっても、 授業がうまくいく場合もあるし、まったくダメな場合もある。それは、教官が、 学生を念頭に入れて授業をしているかどうかであり、そのやり方を学生が理解して くれるかどうかということになる。やり方を理解してもらったり、授業の内容を 改善するためにシラバスの整備や授業アンケートが行われている。
 講師は、授業をよりよくするためには、教官の行っている授業を開放して、 多くの人に見てもらい、意見をもらうことだと述べていた。体育の授業は、 いつでも開放されているが、たまにVIPが散歩がてら見ていることはあったが、 ほとんど見られることはない。学部や学科に関係なく、学校全体で教育を改善して いくために、どんどん人の授業を見に行くことが必要なのだと思った。
 最も印象に残ったのは、「研究と教育の両立は可能か」という内容の質問に 対して、研究での業績を上げている人ほど、教育をしっかりやっているように 見えるので、両立は可能だと考えるとの回答だった。研究をしっかりやって いかなければ・・・と思った。

■2008年7月14日(月曜日)
 土曜のレースが終わった後から喉の痛みが再発し、今朝になっても治らず、 昼前から頭痛が発生し頭がボーっとしてきたため、午後は医務室に受診。
 多少リンパが腫れていると言われ、4種類の薬を処方してもらった。薬の 数がちょっと多いような気もするが、沖縄に行った時から引きずっている 症状なので、完全に回復させるためにも必要だと考えて飲むことにした。 これで頭痛ともお別れにしたい。

■2008年7月13日(日曜日)
 昨日から急に気温が上がり、全国で熱中症が発生している。陸上部の学生が 訓練先で熱中症になり意識を失ったがなんとか回復したという話を先週 聞いた。普段外で授業を行っているので、本当に人ごとではないと思う。 今まで熱中症に遭遇したことはないが、それはたまたまだったのかもしれない。 授業でも、日陰に入って休憩を取らせるだけでなく、しっかり水分補給が できるよう、学生たちにペットボトルを持参させるか、こちらで水を用意して、 学生たちにコップを持ってこさせるなど対策が必要だと思った。

■2008年7月12日(土曜日)


800m決勝




400m表彰
 神奈川県実業団選手権2種目に出場。7月に入って、体調不良で、ほとんど運動できず、 昨日の刺激では、あまりにもひどいタイムでショックを受け、さらに朝から少し頭痛と いう状態だったので、出場をためらったが、練習という位置づけでなんとかレースに 参加した。
 最初のレースは、400m予選だったが、出場者が7名だったため予選が決勝に 置き換わって予選の時間に決勝となった。400m決勝の1時間後には800mの 決勝も残っているため、800mを想定した400mの走り方をしたため、前半から、 あまりとばすことなく、いつもよりピッチを速めて前半を走った。残り150mくらい からは、先頭に立ち、残り100mになっても、体が固まらなかったので、スピードを 上げて、フィニッシュラインまで走りきってしまった。タイムは51秒49。驚くことに シーズンベストだった。800mのことを考え余力を残してのフィニッシュだったので、 うまくいけば、50秒台に入っていたかもしれない。
 1時間後の800m決勝は、出場者が3名しかいなかった。スタートから誰も ついてこなかったため張り合いがなく、スピードが全く上がらなかった。1周目の 通過は、60秒3〜4くらい。このままのペースでいくと2分が切れなくなるため 焦ったが、あまりペースが変えられないままバックストレートまで行ってしまった。 本当にこのままではマズイとさらに焦り、残りの距離をタイムトライアルと考え、 ピッチとストライドを無理矢理変化させペースを上げ、フィニッシュラインを通過した。 タイムは1分58秒38。なんとか2分は切れ、ホッとした。
 昨日までの感覚では、2分を切ることも難しかったはずなのに、シーズンベストが 出て、2種目優勝となり、今日の走りは今の状態でのベストを尽くすことができたのだと 思った。。

■2008年7月11日(金曜日)


家の前で見つけました
 体調不良で、全く走れないが、試合はどんどん近づき、いよいよ明日という ところまで来てしまった。明日いきなりレースだけ出るのは良くないと思い、 全力とはいかないまでも1000m、600m、400mを走ることにした。
 1000mは2分50秒くらいで行きたかったが走ってみると3分04秒かかり、 600mは1分35秒くらいのつもりが1分43秒かかってしまった。先月は 感覚よりもタイムの方が良かったが、今回は、感覚よりもタイムの方がかなり悪く、 あまりの違いに大きなショックを受けた。
 400mは、600mの感覚から考えてひどい結果になることが予想されたため、 最後は、300mのタイムトライアルに切り替えた。タイムは41秒3。これまた、 タイムトライアルにしては、ひどすぎるタイムだった。
 明日は、ただレースに参加するだけになりそうだ。

■2008年7月10日(木曜日)
 時々、自分は何をしているのだろう?何がしたいのか?と思う。自分でやろうと 思ったことがほとんどできずに1日が終わってしまう。何をやっても中途半端に 思う。先週からの体調の悪さを引きずっているためなのだろうが、かなり無気力な 状態にあると感じている。週末にはレースがあるが、全く走っていない。走ろうと 思っても、なかなかその一歩が踏み出せない。今日は、なんとかジョギングを したが、歩くようなペースでしか走れず、途中で歩いてしまい、そのまま終了した。 ますます落ち込む・・・

■2008年7月9日(水曜日)


滑るボードを使った練習



ぞうきんを使った練習



膝を曲げた方向に進む練習
 茨城県のある高校へ行った。その学校では女子バレー部が古武術をプレーに 取り入れ、まずまずの成果を上げているという。今日は、その古武術を教えている 先生が生徒指導をするということで、一緒に参加させてもらった。
 生徒のウォーミングアップでは、バレーとは全く関係のない杖を使い、柔軟性や 敏捷性を高めていて、一緒にやらせてもらったが、敏捷性の運動についてはうまく できなかった。
 一通りウォーミングアップが終わったところで講習が始まった。2人組で 杖を使い、片方が引っ張ったら、その力に合わせて、引っ張られないように耐える という運動だった。肘を曲げ、つま先で踏ん張って耐えると耐える力は弱く、肘を 伸ばし、踵に重心を置き、相手の力に合わせて重心を落としていくように耐えると、 かなり大きな力にも耐えることができた。形がハンマー投げの回転中の姿勢に 似ていて、ハンマーに体を持って行かれないようにする技術に応用できるのでは ないかと思った。
 次に、台の上に片足を置き、片足がそのまま固定され、体が頭から引っ張られて、 台の上に乗ってしまうようなイメージで台の上に上がる運動をした。うまくできると、 大腿前面の力を使わなくても上がることができるというのだが、なかなかうまく いかなかった。その後、台を使うことをやめ、準備運動で行う伸脚の姿勢で、 脚を伸ばしている方の足に引っ張られるようにして、反対側に重心を移動させる 練習をした。これもうまくいけば大腿前面の力を使う必要はないということで、 こちらは、なんとなくわかったような気がした。
 最後に、それまでやってきたことの応用として、静止した状態から素早く動き 出す練習をした。つま先で踏ん張って動き出そうとすると動きは遅く、踵に体重を 落とし、単純に行きたい方向へ膝を曲げていけば、前でも横でも素早く動ける というもので、スタンディングスタートでうまく使えるかもしれないと思った。
 指導する方も、その場の流れで次々と新しい運動を考えては説明するという スタイルで、生徒たちもそれぞれが自分で運動を考えることで、生徒自身が新しい 動き方を編み出すなど、お互いが先生になり教え合うような感じだった。 放っておけば、そのまま何時間でも続きそうな勢いのある、とても密度の高い 講習だった。

■2008年7月8日(火曜日)
 日本テレビで、太平洋戦争中に連合国側の捕虜になった日本兵たちのドラマが あった。ジュネーブ条約により、捕虜の命は保証されていたが、日本兵は、捕虜に なっても最後には殺されると勘違いがあったり、捕虜として生き続けるのは、 恥ずかしいことで戦っている仲間にも申し訳ないという気持ちがあるなど、 最終的には、死を前提に捕虜全員で脱走を試み少人数が生き残るというストーリー だった。
 当時の常識では、日本兵が生き残るのは非常識で、玉砕が常識だったの かもしれない。今の常識も、何十年か後には、非常識になっているのかもしれない。 それよりも、当時の兵士が誰も国際法を熟知していなかったということが、このような 悲惨な結果をもたらしたのかもしれない。
 我が校では、国際法という授業が必修科目となっている。海上自衛隊に進んだ 我が校のOBが話していたが、自衛隊にも海外任務が次々と入るようになった 現在では、以前よりもますます必須となる知識なのだと思う。

■2008年7月7日(月曜日)


子供の作った短冊
 喉の具合は良くなってきていたが、また痛みは残っている。 午後から頭痛になり、首周りの感覚もちょっとおかしくなり、家に帰っても 状況は変わらなかった。薬は、土曜日にもらったものをそのまま飲んでいるが、 喉の痛みは緩和してくるにつれ、少しずつ咳が出るようになってきた。子供には うつらないようにしなければ・・・

■2008年7月6日(日曜日)


かき氷を食べてます
 ご近所さんの家族と逗子の海水浴場前にある食べ放題の店へ行った。 子供は、最初に好きな食べ物を食べさせると、バランスの良い食べ方が できないため、最初に野菜を与え、それを食べたあとに好きなモノを 選ばせた。最後は、ソフトクリームやかき氷を食べることになり、 最初は作ったモノを食べてからまた作りにいくという繰り返しだったが、 途中から、味付けのシロップの味が悪かったのか、かき氷を食べる というよりは、かき氷を作ることが楽しくなったようで、作ったかき氷を 残して、次のかき氷を作り始めたので、気がついたところで止めさせた。 子供の食事は、遊びと紙一重だと思った。

■2008年7月5日(土曜日)


演奏中
 相変わらず具合は悪く、朝起きると喉が痛く、このまま放置しておくとさらに 悪化しそうな気がしたため、朝9時前に病院へ行って薬を処方してもらった。
 午前中は、長男の幼稚園のサマーコンサートがあった。病院から戻り、なんとか コンサートには間に合ったが、最初の歌が終わってから、自分の子供がその中に いたことに気がつくなど、あまり正常な状態ではなかった。会場は、幼稚園のホールで、 ビデオカメラやカメラを持った親がすし詰めにされ、ホール内はかなり暑かった。
 長男は、楽器の演奏では、たったひとり大太鼓をたたき、かなり目立っていた。 なかなか力強く、幼稚園での成長にとても驚いた。妻は、あまりのすばらしさに 涙が出てきたと話していた。

■2008年7月4日(金曜日)
 昨夜はエアコンを切って寝たところ、ベッドは汗で人型になるほど 大量の汗をかいた。具合は、良くならず、かなり喉が痛くなってきた。 頭痛も多少あり、おそらく微熱もあった。
 今日は、朝7時半過ぎにホテルを出発して、横須賀を目指して帰るだけ という行動だったが、行きと同じく、移動手段は、輸送機だったので、 那覇−新田原(宮崎県)−福岡−小牧−入間というルートをたどり、入間に ついたのは、15時過ぎだった。離陸と着陸の繰り返しで、気圧の影響か ちょくちょく機体が揺れ、それにより、頭痛だけでなく吐き気まで発生し、 こらえるのに必死だった。当分輸送機での移動はしたくないと思った。

■2008年7月3日(木曜日)


那覇空港





塩専門店の試食コーナー
 昨夜は、エアコンを消して寝てみたが、あまりにも暑かったため、少しだけ エアコンを効かせて寝た。朝起きてみると、喉の痛みが広がっていた。
 午前中は、航空自衛隊の研修をした。最初に基地の概要説明があり、沖縄には、 新聞の一般紙が2種類あるが、米軍、自衛隊、沖縄戦の記事は、毎日必ず掲載される くらい、県民の注目度は高いということだった。
 その後、高射部隊の研修で、一般人が立ち入れない那覇空港の反対側へ行った。 そこでも部隊の概要を聞き、高射部隊は、移動して訓練を行うことがあり、 移動中のサービスエリアで休憩をするだけでも、記事になってしまうほどで、 自衛隊に対する島民の感情は友好的というわけではないということを感じた。
 最後に、OBとの懇親があり、陸海と同様に教官がOBに質問をした。陸海と 同様に英語をやっておけばよかったという回答は多く、そのほかは、卒業研究を 通して、考え方を学ぶことができ、多くの人との人付き合いができてよかったという 回答もあった。
 研修は午前で終了し、午後はフリーとなったが、体調が悪すぎるので、ホテルで 寝ていた。
 夜になり、2週間前に結婚式で知り合った友達が那覇に住んでいるので、彼と 連絡をとり、研修に来ている陸上部の顧問2人と一緒に、現地の人が行く 沖縄料理店へ連れて行ってもらった。その後、カナダ人がマスターをしている バーへ行き、そこでいろいろと話を聞くことができた。マスターは、以前勤めていた 店で、アメリカの海兵隊員に同僚が殺されたため、今はアメリカ兵を店に入れない ようにしており、海兵隊員への感情は、沖縄の人たちも同じだと話しているのが とても印象に残った。

■2008年7月2日(水曜日)


海軍陣地壕




P3−C




卒業生たちと
 朝は、7時前から朝練を始め、首里城を目指した。最短コースで行ったためか、 20分もかからないうちに首里城へ着いてしまい、帰りは、モノレール沿いに帰り、 トータル50分のジョッグとなった。最近、歴史的建造物への落書きが問題になり、 今朝は、新幹線への落書きのニュースもあったが、走った道沿いの標識の多くに 落書きがあり驚いた。
 午前中は、陸上自衛隊の研修を行った。始めに概要説明があり、その後、 我が校のOBとの懇談会が開かれ、大学時代の教育で役立ったことや、 どういう教育をしてもらいたいかなど、教官側からいろいろな質問が OBに投げかけられた。理系の人は文系の勉強をもっとすれば良かったという回答が あり、訓練、防衛学、英語などをもっと勉強しておけば良かったという回答が 多かった。参加したOBの中には同期が2人いて、久しぶりに話をすることができ、 とてもうれしかった。
 懇談会終了後、資料館へ移動し、沖縄戦の説明を受けた。この資料館へ入るのは、 3,4回目なので、概要はわかっているが、何度見ても、悲惨な戦いだったと思う。
 資料館の説明が終わった後、駐屯地内にある海軍陣地壕へ特別に入れてもらった。 壕というと硫黄島の壕を思い出し、高温多湿で入っていられないというイメージだったが、 駐屯地内の壕は、かなり大きくしっかりしていて、とても涼しかった。
 午後は、海上自衛隊の研修を行い、対潜哨戒機P-3Cに関連する職場を周り、 P-3Cへの搭載物の脱着訓練を見たりP-3C内の説明を受けた。最後にOBとの懇談会が 行われ、教官たちは、陸自の時と同じような質問をして、陸自同様、英語や防衛学を もっとやっておけば良かったという回答が多かった。さらに、海外へ行く機会の多い 海上らしく、国際法の重要性を説くOBが多かった。
 今日は、何度もクーラーの入っている部屋の出入りをしたためか、体調が おかしく、外の蒸し暑さが心地よく感じ、部屋の中にはいるとかなり寒かった。 首周りに違和感があり、先週痛めた腸腰筋周りにも痛みが出てきた。研修終了後、 ホテルに帰り、同僚の教官から総合感冒薬をもらいひと眠りした。完全には回復し なかったが、寝る前よりは少しましになり、夜は、昨日会った陸上部の卒業生と 食事をして、いろいろと近況を聞かせてもらった。

■2008年7月1日(火曜日)


部屋から見えるゆいレール
 教官部隊研修で那覇へ向かった。朝は4時45分に家を出ることになっていて 一緒に行く先生と待ち合わせをしていたのに、なんと寝坊をしてしまい、 気がついたのが4時47分だった。なんとか予定の電車には間に合ったが、 本当に迷惑をかけてしまった。
 入間基地(埼玉県)へ7時過ぎに到着し、8時過ぎの定期便の輸送機に乗った。 輸送機は、浜松−小牧−福岡−那覇というルートだったため、4回も乗り降りした。 離陸は、それほど気にならないが、着陸態勢に入ったときの揺れなどが、気持ち悪く 那覇に着いたときには、体はかなりグッタリとしていた。
 那覇に着いたのが15時くらいで、そのまま宿泊するホテルへ行き、解散となった。 16時過ぎから、那覇の繁華街を回るようにジョギングを始めた。気温は、関東と それほど変わらないが、湿度がかなり高く、1時間ジョギングをした後は、 汗をすったTシャツがとても重かった。那覇で昼間に運動をするのは、やめた方が いい。
 夜は、研修者の団結会が開かれ、その後フリーになった。団結会での食事が少なかった ため、沖縄そばを食べに行き、ホテルに戻る前にホテルに隣接するコンビニに寄った ところ、3月に卒業した学生たちがたくさんいて驚いた。彼らは、航空自衛隊幹部候補生 学校に進んだ学生たちで、沖縄の戦史研修で那覇に来ていた。彼らも、「何で ここにいるんですか?」と驚いていた。思いがけない再会で近況を聞くことができ、 那覇へ来て良かったと思った。



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