最近のいずみ

Last Update:2008/8/31

パートタイムアスリートいずみ 8年目に突入!! 


■2008年8月31日(日曜日)


西が丘サッカー場
 昨日の講習会の続きで上肢と体幹の解剖の講義を聴講した。今日の先生は大学院では大変お世話になった大山先生だった。実際に肩甲骨から指の先までつながった骨の模型や、実物の背骨を触りながら講義が行われ、とてもわかりやすかった。講義を通して、骨の形には、その形になる何らかの理由があり、人間の体は本当にうまくできていると思った。
 講義中、隣の西が丘サッカー場では、サッカーなでしこリーグのオールスター戦が行われていた。テレビ局も来るなど、かなり大がかりなイベントだった。女子サッカーは、オリンピックでも上位に入賞したこともあり、意外と人気があることを知った。

■2008年8月30日(土曜日)
 日本トレーニング指導者協会のトレーニング指導士養成講座の聴講をした。内容は、下肢の解剖。 講義を担当したのは、大学院時代にお世話になった福田先生。最も印象に残ったのは、先生の趣味が解剖ということだった。毎晩寝る前には必ず解剖の本を眺めているという。アスレティックトレーナーを志す自分に取っては、見習うべき習慣だと思った。是非実践してみたい。

■2008年8月29日(金曜日)
 実家のある岡崎市では集中豪雨のため、14万世帯約37万人に避難勧告が出された。自分が実家にいたころは、岡崎の人口は30万人を越えたくらいだったので、この15年ほどで7万人も増えていたということにまず驚いた。近所の美合では、1時間に146ミリという記録的な豪雨となった。先月、美合ではバスジャックをした少年が逮捕されている。これほど、美合がニュースになるとはまたまた驚きだった。
 実家は、岡崎市の南外れにあり、山をまるごと削って作った住宅地のため多少高台にあり、今回の雨の被害には遭わなかったが、深夜の雷雨があまりにもうるさくて2時間くらい寝られなかったと母は話していた。避難勧告とは、どういうことなのだろうか?と思った。避難指示であれば、強制力があるが、ニュースの映像を見ると、町が完全に水に浸かっていた。近所の蓑川新町の竜泉寺川では、橋が崩れ落ち、幸田町は川が決壊し、田んぼはかなりの面積が水没していた。我が家はたまたま川が近くになかったので、被害がなかっただけなのかもしれない。
 ブラジルの予知能力者、ジュセリーノ氏が、9月13日には中国で地震が発生しなければ、岡崎で地震が発生し、3万人が被災し600人以上の死者が出ると、本の中で述べていることを、母は心配し、今日の災害が代わりになってくれないものか・・・と話していた。予言は、当たるとは限らず、過去の予言も外れていることも多い。心配するのであれば、起こったときに対処できるように準備することくらいしかない。

■2008年8月28日(木曜日)
 仮の足底板ができあがり、足あわせに行った。足底板を靴に入れて歩いた感覚は、踵が離地する時の踵の返りがとても速くなり、歩きやすくなった。自分も担当してくれた技師も、これ以上修正する必要はないという結論になったが、念のため、足底板に別の補強をして歩いてみた。感覚としては、支えた欲しいところが支えてもらえなくなり、良い感じはしなかった。技師の方たちは、正面からと後ろから歩行をみて、左右で肩甲骨の動きが違っているとの話をしていた。足裏のちょっとした凹凸をかえるだけで、そんなに上肢の動きまで変わるとは、人間は複雑にできていると思った。

■2008年8月27日(水曜日)
 1ヶ月後に行われる関東理工系学生大会800mの選手選考会があった。中距離パートと長距離パートの学生が3人の枠を争った。1周目は、中距離の1年生が引っ張りそのまま逃げ切りそうな勢いで走っていたが、2周目に入り、長距離の学生が徐々に順位を上げて行き、最終コーナーを抜けたところでは、長距離パートが上位3人を占め、そのままフィニッシュし、選手が決定した。
 中距離パートの学生が一人でも入ってくれればよかったが、現実は厳しかった。距離に不安のない学生たちは、後半の速度低下を押さえることができた。中距離の学生たちは、後半の速度低下が大きかった。持久的な練習も積んできてはいたが、結果を見れば足りなかったとしか言いようがなかった。この結果を受けて、次は最後までレースができるよう練習してくれれば、と思う。 

■2008年8月26日(火曜日)
 論文の締め切りが迫ってきた。考察がなかなかうまく書けない。読み返してみるとつながりのあるストーリーになっていない。職場の先生に読んでもらって、すべての構成を直してもらった。こういう風に書けばいいのかという発見が多かった。論文をただ読むだけでは、文章能力は高まらない。数多く書くことによって自然と身に付くものなのだと思った。

■2008年8月25日(月曜日)
 練習は、20分ジョッグ。足の痛みはなく気持ちよく走れた。その後長距離パートの学生が400mのタイムトライアルをするというので、それについて走ってみた。前半は遅く感じ、後半ペースを上げて学生を煽ってやろうと思ったが、煽ることができず、逆に離されそうになった。緩い靴下をはいていたため、途中で土踏まずのところまで靴下が脱げ走りづらかったこともありスピードが上げられなかったが、最後の直線ではなんとか並ぶことができ、そのままフィニッシュラインに入った。タイムは53秒6。ここ1ヶ月ほとんど走っていなかったことを考えると、驚くべきタイムだった。長距離の学生が最後までスピードを落とさず走り切れたことにも驚いた。楽しみな学生が出てきたと思う。

■2008年8月24日(日曜日)
 北京オリンピック男子マラソンは、前半から、かなりのハイペースでレースが展開し、日本人選手たちは、全くついて行けなかった。日本で高校生活をし、そのままトヨタ自動車九州で競技を続けたケニアのワンジル選手が、圧倒的な力の差を見せつけ、2時間6分台のオリンピック新記録を打ち立てて優勝した。中盤に5kmを14分台にペースアップするなど、夏のレースでのこのタイムは、異常な速さとしか言いようがない。
 35km以降は先頭集団に残った3人の勝負になったが、最後の給水では、エチオピアの選手がワンジル選手にスペシャルドリンクを手渡しているところが映像として映った。勝利を目指すだけの選手であれば、絶対に勝負する相手には給水をわざわざ手渡すことはしないところなのに、エチオピアの選手は、勝負に関係なく手渡し、ワンジル選手は、それに対して軽く手を挙げてお礼をしていた。その直後にワンジル選手は、スパートし、結果としてはスパートのきっかけとなったようにも見えた。給水を渡した選手は、競技場へ戻ってきたときには3位だったが、トラックで別のケニアの選手に抜かれ4位でフィニッシュした。エチオピアの選手は、競技者としてだけでなく人間としてもすばらしいと思った。
 ワンジル選手は、先月末、突然、一方的にトヨタ自動車九州を退職したというニュースが流れた。本人に直接確認は取れていないとのことだったが、その後確認が取れたのかどうか気になる。競技後のインタビューでは高校時代の恩師や森下監督に感謝の言葉を述べ、一方的に会社を辞めたという雰囲気はなかった。スパートは初めから考えていたというが、その理由が、最後のスパート勝負に自信がないために早めにかけたということだった。彼のレベルで自信がないというのであれば、日本人選手はどうすればいいのだろうか・・・と思った。解説の谷口さんが話していたが、日本のトレーニングで成長した選手が金メダルを獲得したのだから、日本のトレーニングは間違ってはないことは証明された。日本人も同じように結果を出して欲しい。

■2008年8月23日(土曜日)


お店の掲示板の前で




江ノ電
 1歳の誕生日祝いにケーキを500円で作ってくれるというお店が西鎌倉にあり、注文していたケーキを長男と受け取りに行った。長男は、ケーキを受け取りに行くことよりも、初めての湘南モノレールと江ノ電を楽しみにしていた。横須賀駅から大船までは横須賀線を利用したが、列車に乗る前に路線図を見ていたところ、長男が、漢字で書かれていた久里浜駅から横浜駅までの駅名を指さしながら読み始めて驚いた。幼稚園で学んだらしい。さらに漢字を見なくても暗唱していて、東海道新幹線の駅名もほとんど知っていた。長男にとって幼稚園の影響は計り知れないものがあると思った。
 湘南モノレールは、6年ぶりに乗った。以前は仕事の用で乗ったのだが、人の命に関わることだったため、その時に起こった出来事を鮮明に思い出してしまった。
 ケーキを作ってくれたお店は、意外と大きなお店で、我が家だけでなく、10名の申込みがあったようで、お店の前のHappy Birthdayと書かれた掲示板に子供たちの名前が書かれていた。店員さんの対応や店の雰囲気はとてもよく、また訪れたいと思った。
 ケーキを受け取った後、モノレールで江ノ島へ行き、江ノ島からは江ノ電に乗った。江ノ電に乗るのは初めてだったが、走行速度はとても遅く感じたが、車道の真ん中を走ったり、眺めの良い海岸沿いを走るなど、とても心が和む電車だった。

■2008年8月22日(金曜日)
 男子400mリレーで日本チームが3位に入り銅メダルを獲得した。昨日の予選で、アメリカ、ナイジェリア、トリニダード・トバゴが同じ組に入っていたので、着順で決勝へ進出するにはなかなか厳しい状況だったが、アメリカなど4チームがバトンパスで失敗し、2着で決勝進出を決めた。別の組でも前回チャンピオンのイギリスがバトンパスで失敗し、途中棄権になり前回メダルを獲得したチームがすべて予選で消えてしまっていた。失敗したチームはオーバーハンドパスだったことからも日本のアンダーハンドパスの有効性が証明されたと思った。
 決勝も、日本のバトンパスは他チームよりうまく、2位で4走の朝原選手にバトンが渡り、何とか3位をキープしてのフィニッシュとなり、トラックで初めてのメダルを獲得した。ジャマイカは、それほどバトンパスはうまくなかったが、従来の記録を0秒3上回る37秒10の世界新記録を出して、圧倒的な走力差を見せてくれた。ボルト選手は3種目とも世界新記録での優勝だった。水泳のマイケル・フェルプスは、8種目で優勝し7種目で世界新記録を出したが、世界のトップに立つ人というのは、他の選手を圧倒する力を持つ必要があるのだと思った。

■2008年8月21日(木曜日)


足形
 有痛性外けい骨のための足底板作成を始めた。始めに両足首の可動域をゴニオメーターを用いてチェックした。左右で差があり、具合の悪い左の方が可動域は広かった。足の痛みが出てからジョギングを2回ほどしているが、その時に左足の着地がとても不安定に感じていた。この可動域の広さは、広ければいいというわけではなく、今回は、足首の不安定性を示している可能性が高いと思った。
 次に、義肢装具士の方が、歩き方をチェックしてくれた。明らかに左足内側が接地時に落ち込んでいたらしい。テーピングを施して歩くことで、離地の瞬間の踵の返りが速くなりスムーズに歩けるような感覚になったので、このテーピングのまま、足形を取った。仮足底版のできあがりは、1週間後。その後、使用しながら少しずつ修正していくようだ。
 北京オリンピックでは近代五種が行われた。日本は我が社の村上くんが出場した。彼は、いくつもの故障を克服してやっとオリンピックの舞台に立つことができた。しかし、その故障は完治していないため、フェンシングではかなり順位を落とし、最終結果は、31位となってしまった。本当にお疲れ様でしたと言ってあげたい。

■2008年8月20日(水曜日)


次男







ナショナル・トレーニング・
センター
 次男が1歳の誕生日を迎えた。ハイハイはかなり高速になり、少しずつつかまり歩きを始めた。日本語も少しずつ分かるようになってきた。次男の話している言葉はよく分からないが、彼も自分の意志を伝えるため、ベビーサインをいくつか使うようになり、こちらも彼の意志がわかりやすくなった。
 今日は、国立スポーツ科学センター(JISS)で行われた全国体育施設研究協議大会という会に参加した。特に参加を熱望したわけではなく、スポーツプログラマーの義務研修となっていたために仕方なく参加したという感じが強かった。
 最初に、JISSのセンター長から北京オリンピックの報告題して基調講演があった。今のところ獲得メダルは22個で、そのうち初めてのメダル獲得をした選手は7名で、残りは前回のアテネでのメダル獲得者だったことから、今回のオリンピックは、アテネ仕様の北京オリンピックだったと説明があった。イギリスは、アトランタでは金メダルが1つだったが、今回は金メダル獲得数が2桁になり、次のオリンピックへ向け急激に力をつけてきているとの分析もあった。
 新しい情報としては、2010年からユース・オリンピックが開催されることが決まり、第1回はシンガポールで行われるそうで、対象は14歳から18歳の子供たちということだった。競技数は今回のオリンピックと同じ26競技。この年齢は、1歳違えば、力も違うはずなので、一緒に競技をすれば、年齢の高い方が有利な場合が多い。こういう年齢の違いをどう対処して競技をしていくのだろうか?と思った。  後半は、指定管理者制度についての講演とシンポジウムがあったが、前提となる知識が全くなく、なぜこの会がスポーツプログラマーの義務研修になるのか理解できなかった。興味のない内容の話を長々と聞き、久しぶりに退屈な授業を聞いているような感覚に陥った。
 北京オリンピックの男子200mではボルト選手が世界記録で優勝した。オランダ領アンティルのマルティナ選手は2着でフィニッシュし、3着から5着はアメリカの選手だった。しかし、最終結果は、なんと2着と3着の選手は失格となり、4着と5着の選手が表彰台にたった。失格した2選手とも内側のレーンに入ったということだったが、これほどの200mのスペシャリストたちが、本当に内側のレーンに入っているのだろうか?と思えて仕方なかった。

■2008年8月19日(火曜日)
 北京オリンピックの陸上競技を見ていて、とても気になる地域がある。それはオランダ領アンティル。この大会が始まるまでは、全く知らなかった。カリブにあるということだったので、家の壁に貼ってある世界地図のポスターを見てみたが、載っていなかった。
 男子100m決勝では、マルティナ選手が9秒93のナショナルレコードを更新して4位に入っている。男子200mでも準決勝第1組でトップ通過をし、かなり調子が良い。決勝は、3位以内に入る可能性が高い。
 ネットで検索してみたが、オランダ領アンティルは、人口が22万人の小さな島々からなる地域だった。22万人のなかから、これほどの選手が出てくるのかと驚いた。ジャマイカも秋田県ほどの面積で、人口は、横浜市を下回る国なのに、男子100m決勝では3人全員が決勝に残っていたし、女子100m決勝では、上位3人をすべて占めていた。愛知県ほどの面積のトリニダード・トバゴも、人口が105万人程度だが、男子100決勝では、2位と7位になっていた。国力ではかなわない小国の選手が大国の選手を圧倒する姿は、とても痛快で、勇気づけられる。

■2008年8月18日(月曜日)
 北京オリンピック陸上競技は4日目に入った。男子110mHの劉翔選手が、予選のスタートラインに立ったものの、一回目のフライングの後に棄権した。スタート二歩目で足を引きずっていた。オリンピック前から故障があり、なんとか間に合わせたという情報が流れていたが、昨日の土佐選手同様、走れる状況ではなかったようだ。野口選手のようにオリンピック前に出場を断念する選手もいれば、とにかくスタートラインに立ってイチかバチかの勝負を挑む選手もいる。出場すれば、良い結果が出る可能性も残されている。オリンピックで優勝するためには、故障するギリギリのところでトレーニングをしなければならず、どの選手も故障を抱えながら痛みをこらえて、なんとかコンディションを整えてレースに出場しているというのが現実。トップアスリートには、故障がなく心身共に健康な人はいないのかもしれない。

■2008年8月17日(日曜日)
 北京オリンピックでは、女子マラソンが行われた。放送は民放だったが、アナウンサーは、とても静かで、解説の有森さんも冷静に解説し、落ち着いて見ることができた。やっぱり絶叫はない方がいい。
 レースは、20km過ぎからルーマニアのトメスク選手が飛び出しそのままフィニッシュラインまで逃げてしまい、先頭から1分以上離れていた2位集団は、銀メダル争いとなり、集団の一番後ろで力を使うことなく待機していたケニアのヌデレバ選手が中国の周選手を最後の直線で振り切り2位に入った。優勝争いに絡むのではと期待されていた土佐選手は途中棄権し、日本は中村選手だけが完走した。アトランタオリンピックでも同じような展開でエチオピアのロバ選手が逃げ切ってしまったが、オリンピックのマラソンは、本当に消極的なレースが多く、見ていてあまりおもしろさがない。誰もが順位を重視し、レース展開は選手たちの駆け引きの結果なので、仕方のないことなのかもしれない。
 土佐選手は、レース前から外反母趾の痛みがあるとは聞いていたが、レース中の表情からしてかなりの痛みだったことが想像できる。歩けたのだろうか?と思えるほどの形相だった。野口選手が棄権を表明し、走れる状況ではなかったはずの土佐選手は、棄権するとは言えない状況に追い込まれてしまったのかもしれない。野口選手は「脚が壊れるまで」走りたいと発言していたが、どの選手も同じような気持ちで競技に臨んでいるのだと思う。本人は、無理にでも走ろうとするのだから、サポートする側がどこかで歯止めをかけなければ、選手は本当に壊れてしまう。競技を終えて日常生活がままならないような体になってしまっては、本人はそのつもりでもやっぱり辛い。特にトップアスリートに対するサポートというのは、競技力を伸ばすことだけではなく、その後の人生も考えてあげられるようなサポートが必要だと思った。

■2008年8月16日(土曜日)


宿泊したホテル



ホテルにいたカメ



20km走
 朝練は、昨日の反省をふまえてウォーキングにした。ウォーキングであれば痛みは感じなかった。
 午前中は、20km走の支援。学生たちがウォーミングアップをしている間に30分のジョギングをした。足の痛みは少し気にはなったが、朝練をしなかったおかげで思ったよりも走れた。
 昼食後、体調の悪い学生が合宿を切り上げ帰省するというので、駅まで送り、そのまま上田ICから東京へ向かった。今日は、帰省のUターンと重なったため、関越道では最長25kmの渋滞に遭うなど、何度も渋滞に遭った。東京では妻の実家に寄り、家族を車に乗せて横須賀へ戻った。家に帰ったのは夜10時前。休憩を除くと8時間近く車に乗っていた。車から降りた時には、遠泳をして海から出てきたときのように、うまく歩けなかった。
 シャワーを浴びてテレビをつけたら北京オリンピックの陸上競技が放送されていた。ちょうど男子400mH準決勝を見ることができた。アメリカのジャクソンは、自在にストライドとピッチを変化させているように見えた。2着だったが、すごい動きをする選手だと思った。放送局はTBSだったが、相変わらずの放送だと思った。アナウンサーは男子100m決勝は、「このあとすぐ」と言いながら、それが1時間後・・・。しばらくして正確な時間が字幕に出て、アナウンサーも正確な時間を言い直したので、以前よりは時間の読める放送になった。「このあとすぐ」はやめて欲しい。
 男子100m決勝は、まったく想像できないレースだった。優勝したボルト選手は、中盤でレースを決め、横を見て勝利を確認し、ラスト20mは手を下ろして減速しながらフィニッシュし9秒69の世界新記録を出してしまった。世界一を決めるレースで後半のスピードを緩めて優勝するレースは初めて見た。最後まで本気で走ったらいったいどんなタイムが出るのだろうか?見てみたい。ボルト選手は200mが専門なので、次の200mのレースでは19秒32の世界記録を更新も見られるかもしれない。楽しみだ。

■2008年8月15日(金曜日)


16km走



 朝5時半から朝練が開始された。走り始めから外けい骨の痛みがあり、足の付き方を変えると痛みが変化する感覚があったので、しばらく走ってみたが、20分走って断念し、その後はホテルへ戻るため30分ほど歩いた。
 午前中は、学生たちの16km走の給水支援をした。比較的涼しい環境での練習だったが、夏休み明けということもあり、多くの学生がきつそうだった。
 午後は、峰の原高原クロスカントリーコースへ行った。1周2kmのアップダウンのあるコースで、足の痛みは変わらず、1周を10分くらいで走るのが精一杯だった。上りの区間は、ゆっくり走っていても呼吸はかなりきつくなり、標高1500mということを実感させられた。
 オリンピックでは、男子200m個人メドレーの決勝に我が社の高桑選手が出場し、5位に入賞した。メダルを獲得するということは本当に難しい。

■2008年8月14日(木曜日)


リアル夏こそキアイダー
 夏休みが終わり、陸上部長距離パートの合宿で菅平へ行った。スキー研修以来半年ぶりの菅平。同じ場所のはずだが、雪がないだけで全く違う景色に見えた。15時前にホテルに着き、15時半から全員が集合し、最初の練習が始まった。
 気温は低めでかなり涼しく、長距離を走るにはとても良い季候だった。外けい骨の痛みが緩和してきたので、ゆっくりとジョギングをしてみた。多少違和感はあるが、やっと練習に復帰できそうな感じになってきた。全日本実業団へ向け、徐々に動かしていこうと思う。
 北京オリンピックでは、北島選手が200m平泳ぎでも金メダルを獲得した。他の選手とは全く次元の違う泳ぎだった。男子200m個人メドレーでは我が社の高桑選手が全体の5位で決勝進出を決めた。決勝では、1つでも上の順位でフィニッシュすることを願う。

■2008年8月13日(水曜日)


家族と
 1日中家で論文作成。実家には、妹の家族も来て、子供が4人も集まったため、大騒ぎだった。こちらは、子供をかまうことなく、まったく体を動かさず、時間が来たら食事をして、あとはずっとイスに座ってパソコンに向かった。あっという間に1日が終わった。腰が痛い。外けい骨も少し痛い。体にはあまりよろしくない1日だった。

■2008年8月12日(火曜日)


シカの角を触ってます
 おかざき世界こども美術博物館へ行った。ここへ行くのは、約20年ぶり。当時グランドの中央にあったシンボルの塔はなくなっていたが、建物の中は、全く変わっていなかった。
 今行われている展示は、人の誕生から宇宙のことまで、かなり範囲の広いテーマで、子供よりも大人の自分の方が興味を持てる内容だった。カバの大腿骨やシカの角などを実際に触ることができ、体で感じることのできる展示物が多く、子供も喜んでいた。地球がテーマの部屋では、「10秒のあいだに」というテーマでの展示があり、10秒でハヤブサは約500m飛び、チーターは約300m走り、ワニは195m走り、ネコは130m走ると書かれてあった。人間は速い人でも100mくらいしか走れない。ワニが人間よりも速いとは思わなかった。オリンピックは、人間の世界だけの狭い争いなのだと思えてきた。ある瓶のなかに水が入っているとして、それが地球上のすべての水の量だとすると、そのうち生き物が利用できる水は、ほんのちょっと(0.001%)しかないという図もあった。水が飲みたいときは蛇口を回せば出てくるというのは、常識ではないということを認識させられた。

■2008年8月11日(月曜日)
 一昨日、ホームページで有痛性外けい骨の検索をしていたときに、この痛みが取れるという自然形体療法という療法がヒットした。治療院を検索したところ、神奈川県には1件もなく、愛知県に5件あることがわかったため、帰省で愛知へ戻ってきたついでに名古屋にある治療院へ行ってみた。
 施術は、カイロでも整体でもなく、特に力を入れて矯正することもなかった。途中で、治療院の外へ出て、走って患部の痛みの変化を確認し、手技は、たださするような感じだったり、ただ揺らすような感じだった。施術の後半になると走っても痛みは感じなくなった。触ると痛かった外けい骨も、痛みが緩和し、施術4時間後には、患部を押しても全く痛みがなくなっていた。
 原因は、足の裏の疲労と言われた。7月以降、ほとんど運動ができず、疲労と言われてもあまり心当たりがなかったが、今までの蓄積もあったのかもしれない。
 自分は左側脚足の故障が多いが、足裏の筋肉の盛り上がり方や自然にした状態での指の伸展度合いを見ても左右で明らかな違いがあり、右は鍛えている人の足で、左は一般人の足に見えると言われ、自分で確認してもそのように見えた。以前、走りの分析をしてもらったときに、左脚は、ブレーキをかけていて全く推進力になっていないと言われたが、それはそのまま体が表現していた。
 最後は、長座で脚を伸展した状態での足揺らしと、ストレッチ法、60秒でできる骨盤矯正法を教えてもらい施術は終了した。外けい骨摘出は回避できそうだ。

■2008年8月10日(日曜日)


足で押して進んでます
 実家へ帰省。帰省する前に辻堂海浜公園内の交通公園に寄った。逗子から辻堂まで海沿いの道を進んだため渋滞が心配だったが、午前9時前後ということもあり、渋滞はなかったが、海岸沿いの駐車場はすでに満車となっているところが多かった。
 交通公園では、長男の補助輪なしでの自転車練習を一緒にした。初めは足を地面について、足で押しながら自転車を進めさせ、自転車を倒れないようにバランスを取って操作する練習をさせたが、これがなかなか難しく、子供も途中で疲れたと言い出したので、途中からは、こちらで自転車のバランスをある程度とりながら子供にペダルをこがせた。結局今日は、乗りこなすことはできなかった。あと何回か練習すれば、補助輪なしで乗れるようになると思う。
 交通公園内には、4人乗りの自転車があった。子供たちを前席に乗せて、妻と2人でペダルをこき、子供たちは大喜びとういこともありかなり楽しめた。また、園内には、交通をテーマとした建物があった。そこには、ジェットコースターを乗っている状況を体験できるアトラクションがあり、長男はジェットコースターに乗ったことがなかったが、これを体験して、本人は、ジェットコースターに乗った気分になっていた。スクリーンでジェットコースターに乗っている時の映像が流れ、それに合わせて座席が揺れたり床の角度が変わったりすることで本当のジェットコースターに乗っている気分にさせてくれ、なかなかよくできていいると思った。建物内には図書コーナーもあり、子供連れであれば1日楽しく過ごすことができる。また子供たちを連れて遊びに来たいと思った。

■2008年8月9日(土曜日)




幼稚園夕涼み会
 北京オリンピックが開幕し、ウエイトリフティング女子48kg級には、三宅宏美さんが出場した。彼女のコーチであり父である義行さんは私の元上司で、とてもお世話になったということもあり、この2人を注目していた。2人は、テレビ出演が多く、こちらが情報を求めなくても、テレビをつければ、2人が見られるというのは、とてもよかった。
 前半のスナッチは、1回目の80kgを成功させ、2回目以降は82kgの自己ベストに望んだが、失敗し、前半6位でジャークへ突入した。ジャークも成功は1回目のみで、その成功も、かなり危ない姿勢での成功でヒヤヒヤした。結局トータル6位という結果になった。
 普段挙げている重量でも、試合本番で力を発揮するということは、とても難しいことなのかもしれない。この大会では、前回のオリンピックチャンピオンや世界選手権2位の選手たちがスナッチを3回失敗し、メダル争いから脱落していく姿を見せられた。これがウエイトリフティングという競技の難しさなのだろう。逆に、金メダルを獲得した中国の陳選手は、他の選手を全く寄せ付けない別格の強さだった。選手の挙げられる重量は、試合前からほぼ決まってしまっていて、試合前には、どの重量を挙げるかというプランが作られている。試合ではそのプラン通り、失敗せず挙げられた選手が重量に関係なく勝者であるのではないかと思った。

■2008年8月8日(金曜日)


外けい骨(矢印の先)
 なかなか足の痛みは引かない。医務室ではレントゲンは来週にならないと撮れないと言われたため、自衛隊横須賀病院へ行きレントゲンを撮ってもらった。レントゲンを見た瞬間、舟状骨から飛び出た外けい骨があることがわかった。診断は有痛性外けい骨だった。この症状は、思春期の子供たちに多いとおもっていたので、まさか自分がそうなるとは考えても見なかった。まだ発達途上にある体なのだと思って喜んでみようかとも思った。
 処置としては保存療法か手術とのことだった。保存療法は、痛み止めの注射や、痛み止めを飲みながらアーチサポートの足底板を作るという処置で、手術は、外けい骨を摘出する処置となる。
 手術は、したくなく、注射もイヤだったので、今回は注射をせず、足底板を作る処置をお願いした。足底板は専門の業者に頼まなければならないため、日を改めて対応してもらうことになり、痛み止めなどの薬を処方したもらい診察は終わった。
 痛みがある間は、何らかの炎症が起こっているので、安静にしておいた方がよいということで、関東選手権への出場は絶望的になった。全日本実業団には、間に合わせたい。

■2008年8月7日(木曜日)
 夏休みに入った。この2週間は土日も講習会で全く休めなかったため、久しぶりの休みとなった。長男は幼稚園へ行ったため、次男と戯れ、テレビをつけて1本ドラマを見て、気がつけば昼になっていた。
 何もしていないので腹はすかず、午後は、そのまま妻と買い物に行き、長男が帰ってくるまでには家に戻り、またテレビをつけ、ドラマ3本を見て過ごした。かなりのだらけぶりに自分でも驚くほどだったが、この無意味に思える行動もたまには必要なのだと思った。
 妻はこちらがだらけている間も、家事をせっせとやっていた。本当に協力せずごめんなさい・・・

■2008年8月6日(水曜日)
 NHKスペシャル「ミラクルボディ」を見た。過去の放送4回分の中から「走る」「泳ぐ」「跳ぶ」の3回を編集した形での放送だった。それぞれを30分の映像に編集し、一部新しい映像が加えられていた。
 「走る」のアサファ・パウエル選手の映像は前回の放送を録画して何度か見ている。見るたびに、NHKは、いい加減なことをしているなぁと思う。試合での走りを分析するはずなのに、パウエル選手は、本人がスパイクを履かないと言ったのであれば仕方のないことだが、スパイクを履かずアップシューズで走っている。今回の編集では出てこなかったが、ライバルのタイソン・ゲイはスパイクを履いて計測していながら、スタートはスターティングブロックを使っていないなど、条件が同じではないのに、条件は同じという仮定で2人のタイムや歩幅を比べてしまっている。今回は朝原選手との比較だけが放送されたが、朝原選手はスパイクを履いての計測で、パウエル選手はアップシューズということで、条件が違いそのまま比較はできない。パウエル選手は、接地時間が長いと言っているが、アップシューズの方がスパイクよりは接地時間が長くなるような気がする。それでも朝原選手より、スタートが速いということは、かなりの速さであることは確かだ。最後に、パウエル選手がこれだけのすばらしい肉体を持っているのに勝てない原因は何か、という問いに対して、心だと言って番組は締めくくられている。今まで散々計測してきて、最後は実体のつかめない心という結論になってしまうのもなんだか強引な気がする。
 この4回シリーズの「ミラクルボディ」は、放送で使われた選手だけではなく、実は、かなりの数のアスリートの動作を撮影し、その中からNHK側が選んだ選手だけがテレビに出てきたということを聞いた。第1回の対決モノが受けたためか、第3回も対決モノになったらしい。そのため、数多くのすばらしい映像は放送されず、お蔵入りになるところだったが、今回の編集版の番組では、それぞれのテーマのつなぎの部分で卓球、バレー、シンクロなどの映像が出ていた。たぶんこの映像が、本放送で使われなかったアスリートたちだったのだろう。4回シリーズとは言わず、もっと放送回数を増やし、撮影したすべてのアスリートの映像を詳細に見せて欲しい。

■2008年8月5日(火曜日)
 先週木曜日に突然左足の舟状骨付近(足の内側)を痛くなり、歩くのも辛かったが、昨日から歩いても痛みがなくなり、走れそうな感じになってきたので、久しぶりにジョギング。走り始めは少し痛みを感じたが、20分を過ぎる頃には、痛みを感じなくなり安心した。
 走り終わった後は、また痛みが少し戻り、歩けなくなる程ではないが、夜になるとさらに痛みが増してしまった。まだ、走るレベルにはないようだ。関東選手権まであと2週間ちょっと。かなり厳しい状況だ。

■2008年8月4日(月曜日)
 日本の体操男子団体のオリンピックへの取り組みがNHKスペシャルで放送されていた。 ここ2年間の世界チャンピオンは中国であり、中国との差を埋めるために日本はどうするべきか、監督の具志堅さんを中心に選手それぞれが取り組む姿を追っていく内容だったが、中国の体操選手育成法に強烈な印象を受けた。
 中国では、政府の予算を使い自治体により体育学校が運営され、体操選手の選抜には、筋力があり、身長は160cm以下の選手と決められていて、本人のやりたいという意志よりも、国の意志というものが重要視されていた。中学生くらいの年齢で、すでにF難度の技を習得し、子供たちは4年後または8年後のオリンピックを目指しトレーニングを積んでいた。中国はとにかく、永遠に選手を強化するシステムを作っている。
 日本も少しずつ若手が入ってきているが、今回は強化できても、その次も優勝争いをできるレベルが継続できるかどうかわからない。サッカーや卓球のようにナショナルトレーニングセンター等拠点となるところを中心に、ジュニアの選手育成をしっかりやっていかなければ、今後は、ますます国際大会での活躍は難しくなるのではないかと思った。

■2008年8月3日(日曜日)


電車の走らない線路
 統計の講習会が妻の実家の近くで行われていたため、昨夜は妻の実家に宿泊した。妻の実家は、マンションの11階ということもあり、風通しが良く、クーラーを入れなくてもとても涼しく、久しぶりに夜中に暑さで起きることなく快適に眠ることができた。
 講習会が終わり横須賀へ帰ってきたら、家の中は意外と風が入ってきて涼しくなるかなぁと思ったが、横須賀の風は、湿気が高く、ベタッとした感じであまり涼しく感じられなかった。海の近くなので仕方のないことなのかもしれない。また眠れない夜が続く。

■2008年8月2日(土曜日)
 先週土曜から始まった統計講習会は今日で3日目。午前中は、先週の復習から入ったが、先週その場で分かったつもりでいた事柄は、1週間経つとかなり忘れているということがわかった。復習の重要性を今更ながら認識した。
 午後からは分散分析の説明に入った。大学院の時に、英語の論文を訳した際に出てきた統計用語で、訳すことはできてもどういう目的でどのような処理が行われているのかが分からなかったものが講習中に登場し、目的や処理について少しだけ理解をすることができた。それだけでも講習会に来た甲斐があったのではないかと思った。今までなんとなくやっていたことが、確信を持ってできそうな気がしてきた。

■2008年8月1日(金曜日)
 8月に入ってしまった。昨日までに論文を1本仕上げてしまう予定にしていたのに、全く終わる目処が立っていない。データはそろっていて、統計処理をしてその解釈をするというところなのだが、その解釈が難しい。データをどう解釈するかはその人次第ということもあるので、自分の考えるところを書いていけばよく、書き出してしまえば、一気に書いていってしまうような気がするのだが、なかなかその一歩が踏み出せない。学生の合宿が始まり、論文の方が中途半端になってしまっているということもある。今日は短距離と中距離が前段合宿を終了し、明日で長距離が終わる。自分で設定した期限が過ぎてしまい、さらに本当の締め切りまでも日がなくなってきたので、もう延長はできない。やるしかない。



[昔のいずみ]