最近のいずみ

Last Update:2009/12/31

パートタイムアスリートいずみ 10年目に突入!! 


■2009年12月31日(木曜日)


みんなで
 昼から、上の妹家族が実家へ遊びに来て、和泉家兄妹の子供が全員そろった。次男はおもちゃの取り合いに負け泣くことが何度かあったが、長男は、けんかすることなく仲良く遊べるようになり、ちょっと成長したように見えた。
 夜は、家で年越しそばを食べるには人数が多すぎて料理しきれないということで、外にそばを食べに行くことにした。心当たりのあるそば屋を車で回ってみたものの3件とも営業していなかった。そのうちの1件は営業中という看板がぶら下がっていたにもかかわらず、営業していなかった。年末に、営業すると、忙しくなりすぎるということで休みなのか、普通に年末年始が休みということなのか?3件回って営業していなければ、他に行っても同じだと思ったので、そばを食べることはあきらめ、下の妹がハンバーグを食べたいというので、みんなでハンバーグを食べに行った。自分は、ハンバーグだけでは腹が満たせず、家に帰って、結局そばをゆで、具なしでそばを食べ、年越しそばとなった。

■2009年12月30日(水曜日)


釜炊き中



トッピング
 妹が以前務めていた職場の同僚の方が餅つきをするということで、参加させてもらった。薪を燃やして餅米を蒸す本格的な炊き方で、石臼で餅つきをした。自分も少しだけつかせてもらったが、左手首の痛みがあり、何度かついただけで、安定した動きができなくなったので、続けることを断念した。長男も少しだけつかせてもらい満足そうだった。次男もやらせようと思ったが、いやがって逃げてしまった。
 初めに鏡餅などすぐに食べない餅を作り、最後は、お昼にするための餅をつき、8種類のトッピングで餅を食べた。長男も鏡餅作り、あんこ入りの餅作りやトッピングの大根おろし作りを手伝ったりした。青のりと塩と砂糖の混ざったトッピングは、なかなか美味だった。長々と食べているうちにほとんどのトッピングがくどくなり、最後は、醤油をつけた焼き餅が最も食べやすくおいしく思えた。
 餅を食べ終わった後は、畑でいろいろな野菜を採らせてもらった。長男は、大根を引っこ抜くのが楽しかったらしく、1本にしておくつもりだったのに3本も抜いてしまい、3本とも持って帰ることとなってしまった。次男は、キンカンが気に入ったらしく、次々とキンカンを取っては、自分の上着のポケットに入れていた。最終的にゴミ袋4袋分の野菜を持って帰ることとなり、車の荷台に入れるのも大変なくらいの量になってしまった。
 普段なかなか経験できない体験ができ、親子共々とても貴重な経験となった。企画をしてくださった方に感謝したい。

■2009年12月29日(火曜日)
 祖母に会いに行った。最近頻繁に物忘れをするようになってきていると聞いていたので、自分のことを覚えていてくれるだろうかと心配していたが、しっかりと覚えていてくれて安心した。しかし、小さい頃と顔が変わってしまった妹のことはわからなかったようで、説明してやっと思い出してもらうという感じだった。
 その後、祖母の家の近所で入院している叔母のお見舞いに行った。とても元気そうだったが、歩くことが難しく日常生活ができるレベルに回復していないため、入院せざるを得ない状況だった。年越しは家でしたいと話していたが、みんなでサポートしていかないとかなり厳しい。
 母がいろいろと、祖母と叔母の世話をしているが、自分たちも同じように親の世話をする日が来るし、自分たちも子供たちに世話をしてもらう日がやってくるのだろうなぁと漠然と思った。

■2009年12月28日(月曜日)
 実家に車で帰省。高速道路は、大きな渋滞はなく、ストレスはなく気持ちよくドライブができた。平日昼間割引ということで、ちょっとだけ安かった。高速道路を走っていて、ハイブリットカーのプリウスとインサイトを見る回数が今まで以上に多く、日本でのエコカー購入が進んでいることを実感した。
 実家には、妹がすでに帰省していて、半年前に生まれた赤ん坊が大きくなっていた。なんでもなめて、興味のあるところへ必死にほふく前進していく姿を見て、自分の子供たちの小さい頃を思い出し、懐かしく思えた。

■2009年12月27日(日曜日)


我が家のつるし柿
 風呂場の天井と、台所の換気扇の掃除をした。風呂場の天井は、黒くカビがこびりつき、なかなか繁殖力がある。11月にカビキラーをかけてきれいにしたばかりだが、1ヶ月半で、天井全体にまんべんなく繁殖していて、先月と同様にカビキラーをかけ、適度な時間をおいてシャワーで流すという作業をした。天井からの水滴が頭に落ちたため、その後は、ずっとカビキラーの臭いが染みつき、あまり気分の良いものではなかった。
 台所の換気扇は、今回は、換気扇の周りまで取り外して掃除をした。換気扇は、3年半前に引っ越してきたときには、すでに設置してあったので、この汚れは、何年分の汚れだったのだろうか?油と埃が絡まり合い、なんともひどい状況だった。スポンジに洗剤をたらして、汚れを取るべく必死にこすったが、なかなか汚れは取れず、スポンジがすぐに換気扇の油にまみれて使い物にならなくなってしまった。すべてを洗剤を溶かしたお湯につけてみたが、多少汚れは取れやすくなったものの結局油まみれはかわらず、塗装がはがれてきれいになる部品もあり、ある程度きれいになったところで、それ以上きれいにすることはあきらめた。当分油汚れには近づきたくないと思った。

■2009年12月26日(土曜日)
 等々力競技場で行われたクラブチームの年末最後の練習会に参加した。メニューは400m×10。1本走るごとに休息が10分あり、かなり長時間の練習となった。
 10本とも60秒切りで走りきることを考えて走り、57秒台から59秒台で前半の5本を終了した。6本目から、少し頭が痛くなり、7本目で完全な頭痛となり、吐き気も激しく気持ち悪くて動けなくなった。その後、なんとか8本目のスタートラインへ立ち走り始めたが、全くスピードは出ず、200mを過ぎたところで、自分ではまっすぐ走っているつもりなのに、明らかに蛇行していていたため、250m位で走ることを中止した。そのまま頭痛と吐き気のため倒れ込み、9本目は走らずに休息とした。最後の10本目は、また走ったが、150mあたりから、急に、胸に強い痛みが走り、走り続けるとさらに痛みが強くなってきたため、200mで走りを中止した。
 後半の3本はスパイクを履いてスピードを上げようと思っていたので、全く思い通りの練習にはならなかった。最近は、レースを除いて、ジョッグ程度の運動しかしていないため、10本をこなすことができなかったのだと思う。7本目までは、体に適度な刺激が入り、良い練習ができたと思うしかない。 また、来年この年末の練習に参加できたら、そのときには最後まで走りきりたい。

■2009年12月25日(金曜日)


人気のない美術館



クリスマスツリー



美術館前にある芝の照明
 「恋人の聖地」横須賀美術館からのクリスマス・プレゼントということで、昨日と今日は、先着50組のカップルには、観覧料と駐車代が無料になるというイベントがあった。先着50組とはいっても、1日に50組が来ることはないだろうと思いながら、家族で出かけてみたが、予想通り、ほとんど人はいなかった。先着50組のカップルは、受付でスピードくじも引くことができ、妻は、「横須賀軍港めぐりの乗船券」をみごとゲットした。
 美術館の特別展示は、「格闘から生まれた絵画 白髪一雄展」だった。絵の具を大きなキャンバスに塗りたくる感じの絵ばかりで、何が書いてあるか全くわからなかった。血をイメージした絵が多かったようで、そういう意味では、かなりリアルにも見え、妻は絵を見ているうちに気持ち悪くなってしまった。カップルを呼び込むには、ふさわしくない展示ではないかと思った。横須賀美術館へ来るたびに、現代美術とは何なのか?ということを考えさせられる。作品の価値や意味が全くわからない。子供が書いても同じなのではないかと思えてしまう作品も多い。そういう意味では、子供たちはみなすばらしいアーティストなのかもしれない。
 次男は、館内で自分の声が響くのが楽しいらしく、発声練習をするように何度も叫んでいた。静かにするようには言ったが、ほかにお客がいないので、特に迷惑となくことはなかった。途中から次男は、退屈で泣き出しそうになり、結局足早に進まざるを得ず、ゆっくりと絵を見ることはできなかった。
 夕方にも次男と絵本を読みに美術館の図書館へ行ったが、午前中と同じくお客はほとんどいなかった。本当に寂しい施設だと思う。せっかくならたくさんの観光客に来て欲しいと思う反面、近所が騒がしくなるのもイヤという気持ちも同時にある。この施設に来るたびにちょっと複雑な気分になる。

■2009年12月24日(木曜日)


長男の絵
 次男は、長男の影響で「きかんしゃトーマス」が好きになり、最近、それぞれの機関車につけられている番号に興味を持っている。数字が読めるわけではないが、文字とキャラクター名が少しずつ一致してきている。新聞でも広告でも数字があると、数字を指さし、キャラクターの名前を言う。おもしろいのは、6と9の区別がつかないこと。彼にとっては、6も9も同じ形で同じ文字という認識があるらしい。子供には、文字には上下左右があるという認識がなく、とにかく形が同じかどうかという区別をしており、大人とは、全く違った視点で見ているということに気がついた。妻が、子供はよく鏡文字を書くという話をしていたが、本来の文字とは反対の鏡に映したような文字を書くことがあるというのも、このことでとても納得できた。

■2009年12月23日(水曜日)


ローラー滑り台
 昼から子供たちと近所の味美食堂で食事をし、その後は、観音崎公園内を散歩した。
味美食堂では、久しぶりにアナゴ天丼を注文。どんぶりからアナゴの天ぷらが大きくはみ出していて、子供たちだけでは、食べきれず、自分の分に加えて子供たちのどんぶりも食べることになり、最後はころもがくどくなってきた。次男は、白菜の漬け物が気に入ったようで、アナゴよりも漬け物でご飯を食べていた。最後は、漬け物とご飯を口に含んだままなかなか飲み込めず、長男と早く食べ終わってほしいと思いながら30分ほど待ったが、結局飲み込むことなく、そのまま口に含んだまま店を出ることになった。
 店を出て、走水神社を通り、観音崎公園内の森のロッジへ向かって山を登っていった。長男は、一人で先に行ってしまったが、すぐに立ち止まり、それ以上前に進まなかった。彼の目の前に「まむしに注意」という看板があり、まむしがいるのではないかと思ったためだった。冬なので、冬眠している可能性が高いという話をして安心したようで、また坂を登っていった。
 次男と森のロッジについたときには、長男は、丸太の平均台を歩いていた。2,3ヶ月前に来たときには、怖くて自分からは登らなかったので、それを考えるととても成長したように見えた。次男についても距離の長いローラー滑り台には、怖くて乗れなかったのに、今日は、長男と2人で何度も乗っていた。子供はどんどん成長していくことを実感した。

■2009年12月22日(火曜日)
 今年の2月に宇宙飛行士候補として選出された我が校OBの油井亀美也さんの講演を聴講した。学生を対象にした講演であったが、何かをやってみようという気持ちにさせてくれる内容だった。
 最も印象に残ったのは、1年間の過ごし方について。小さい頃は1年が長いと感じ、年を経るにつれ同じ1年を過ごしてもどんどん1年が短くなっていく気がする。生きてきた年数が基準になるので、若い頃の1年というのは、長く感じて当然なのだが、長く感じるのはそれだけではないという。若い頃は、次々と新しい経験や挑戦があるから、長く感じるのではないかとのことだった。油井さんにとっては、特に宇宙飛行士候補者として選出され、転職を経験し、新人としていろいろなことに挑戦した今年は、とても長い1年だったという。年々短くなっていく1年を長く感じるには、常に新しいことに挑戦することが大事なことではないかとの話に納得し、何か新しいことに挑戦してみなければ、という気持ちになった。

■2009年12月21日(月曜日)
 最近の次男はどこでも大暴れしている。家の中では、おもちゃを次々と破壊し、母親や長男に絡んで勝手に泣き叫ぶ。気に入らないと、本でもおもちゃでも食べ物でも投げつける。投げつけたものを取り上げると、倒れ込んでさらに大きな声で泣き叫び、手がつけられない。買い物に行くと、欲しいものを取ってきて買ってほしいとアピールをし、願いが叶わなければ、泣き叫びアピールする。倒れ込んで泣き叫ぶこともある。自分で倒れて頭を打つこともよくあり、気がつかないうちに顔や体にいくつかアザがあり、虐待でもしているのかと思えるようなアザであったりもする。長男とは、全く違う性格で、とてもおもしろく、家族全員にとって刺激的だが、いろいろなことにとまどい、どうしたらいいのかわからないと思う日々が続いている。

■2009年12月20日(日曜日)


横須賀の街と富士山




第1区
 次男を連れて、北赤羽まで荒川河川敷大学対校駅伝競走大会の応援に行った。昨年まで我が校はこの大会で2連覇していたが、昨年の4年生が卒業し、戦力は大きく落ちたこともあり、3連覇を目指すことは、かなり厳しい状況だった。前評判では学習院大学が強いと聞いていたが、前半は一橋大学飛び出し、学習院大学と横浜国立大学が2位争いをし、我が校は7位あたりで上位をうかがっていた。中盤で、学習院が先頭に立ち独走態勢となり、前評判通りの走りで優勝した。我が校は、5区で4年生が区間賞の走りで順位を4位まで上げたが、最終6区で千葉大学に逆転され5位でのフィニッシュとなった。
 オープン参加の部では、我が校のBチームが優勝し、女子は、長距離選手だけでチームを組むことが初めてで、初出場ながらみごと2位という結果を残すことができた。女子の優勝は千葉大学ということで、男女とも千葉大に勝てなかったのが何となく残念に思えた。
   次男は、駅伝が行われている間は、河川敷の土手を上ったり降りたりすることを楽しんだり、埼京線や京浜東北線が橋を通過するのじっと見たり、「バイバーイ」と言いながら手を振っていた。思っていたよりも退屈せずに過ごせたようだ。帰りの電車では、「また来るね。バイバーイ」とすれ違う電車に手を振って、感謝の別れをしていた。しかし川崎辺りで、あくびを連発し始め、眠そうな顔になってきた。寝てもいいよと何度か声をかけたが、目が閉じそうになりながら必死に抵抗し、「寝ない」と言い張ってがんばり、結局眠気に勝てず、電車の中で眠ってしまった。1日中、歩くか立ったままだったので、2歳の子供にとっては、かなりの運動だったのだと思う。

■2009年12月19日(土曜日)


広島産牡蠣
 昨日、一昨日と、体に感じる地震が3回あった。そのうちの2回は、伊豆半島東方沖が震源地で、もう1回は栃木県南部だった。横須賀の震度が知りたくて、地震情報のHPを見たところ、3回とも震度2となっていた。このHPを見て、毎日日本中で地震が起きているということに驚いた。震度1だと体に感じることはないかもしれないが、日本中で頻繁に地震が起きていて、特に今、伊豆半島東方沖では、分刻みで発生している。これが大地震や大噴火の予兆でなければいいが、と思う。

■2009年12月18日(金曜日)


走水漁港と東京湾
 夕食が終わり、子供も寝たあとにゆっくりと新聞を読んでいたら、目の前に大きな蚊が飛んできた。こちらの血を吸おうとうろうろしているが、肌を露出しているのは、頭と手くらいなので、蚊にとっては、かなり厳しい条件だったように思う。冬なのだからなかなか生きていける環境ではない。我が家の暖房は、電気カーペットのみなので、それほど暖かい環境でもなく、ボウフラが発生するような場所は内のではないかと思う。どこで発生し、これほど大きくなるまでどのように生きてきたのだろうか?

■2009年12月17日(木曜日)
 オリンピック競泳銅メダリストの松田選手が、スポンサーとの契約が切れるため、スポンサー探しをしており、スポンサーが見つからなければ引退の可能性もあるという。契約していたスポンサーは、不況の影響でソフトボールチームを今期限りで廃部させるという状況で、メダリストであっても契約を終了せざるを得ないようだ。
 以前、海外では、世界選手権銀メダルの棒高跳び選手が、新たにスポンサーを探すためにポールを持って全裸で街中を走ったというニュースがあった。トップの選手であっても、まずはサポートしてくれる個人や集団を募り、競技を続けられる環境を確保する必要があり、競技の成績を上げるためのトレーニングをしている暇はないくらいなのかもしれない。すべてはお金がなければできないというところが、とても寂しい現実だが、これが現実なのだと思う。

■2009年12月16日(水曜日)
 人から聞いた話を、自分で解釈して別の人に伝えるのに、聞いてもいないことを自分のイメージで付け加え、結果的にはまちがった情報を伝えてしまい、関わった人たちに迷惑をかけてしまった。原因は自分の勘違い。当たり前のことだが、人の話はきちんと聞かなければならない。そう考えると、人の話を聞いているようで、集中して聞けず、普段から、注意が足りないのかもしれない。この失敗を機会に、もう一度人と話をしているときの自分を見直し、二度と起こさないようにしたい。

■2009年12月15日(火曜日)
 アメリカのニュース番組で気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)が取り上げられていた。ゴア元副大統領が近い将来北極の氷がすべてなくなるとの演説をしたそうで、これに関連して、いくつかの地域の危機的な状況がレポートされていた。ボリビアでは、世界一高い場所でスキーのできる氷河がすべて消失し、現地では飲み水の確保がかなり厳しい状況となっていたり、ケニアのケニア山でも同様に氷河が融けだし、かなり環境が変わっているとのことだった。
 エベレストでも氷河が融けているようなので、地球上にあるすべての高地で同様の状況になっていることが推察できる。二酸化炭素の排出が原因であるのなら、できるだけ排出を抑えなければならないし、最も排出の多い中国やアメリカは、協力して排出抑制に努める必要があるのではないかと、ニュースの映像を見て改めて考えさせられた。

■2009年12月14日(月曜日)
 日経新聞土曜版に「働かないアリも大切?」という記事があった。シワクシケアリというアリの集団から「よく働くアリ」と「あまり働かないアリ」を分けて、それぞれ新しい集団を作ったら、それぞれの集団の中でまた同じように「よく働くアリ」と「あまり働かないアリ」がでてきたという。これを研究した北海道大学の長谷川先生は、「集団を守る戦略であり、働かないアリにも存在価値がある」と説明している。すべてが働くアリだと、すべてのアリが仕事をしない仕事の空白ができるが、怠けるアリがいる集団は効率的ではないが仕事の中断がなく、巣の存続リスクも小さいというシミュレーション結果もあるという。
 大学時代に二八の法則ということを盛んに言う先生がいたが、二八の法則ととてもよく似た話だと思った。授業中に講義に集中しているのは、だいたい2割の学生で、8割の学生は聞いていない。集中して聞く2割の学生だけを集めた集団を作ったとしても、全員が講義に集中するわけではなく、やっぱり、集団の2割くらいの学生しか集中しないとのことだった。店であれば、2割の商品を売るために、残りの8割があるということで、その8割がなければ2割の商品は売れず、無駄に思えるものでもと ても重要な意味があるということを教えてもらった。
 最近は、効率を考えることが余りにも多く、次々と無駄は排除される。無駄を排除したとしても、厳選された中から、また同じような割合で無駄が発生してくると考えると、いつまで経っても効率的にはならないということになってしまうので、あまり、「効率、効率」と言うのもどうかと思った。

■2009年12月13日(日曜日)
 横須賀市民駅伝に出場。市内で走っている社会人の集まりで、この大会のために年に1回結成される横須賀連合というチームで1区を務めた。
 1区は、最長区間の4.5kmだった。市内のトップクラスの選手が走る区間で、5000mで14分台を持つ高校生がレースを引っ張っていくことはわかっていたので、ついて行けるところまで必死につき、離れたところからはできるだけスピードを落とさず走りきることを考えていた。
 スタート直後は、野球部の高校生たちがダッシュしてレースを引っ張ったが、その後、予想通り、14分台の高校生がレースを引っ張り、その後ろについて、もう一人の高校生と3人で先頭集団を形成した。2km過ぎでついて行けなくなり、2人高校生から遅れ一人旅となった。残り2kmくらいで我が校の学生に追いつかれ、彼の後ろについて走ったが、緩やかな上り坂で少しずつ距離が開き、最後まで追いつくことができず、4位で2区にたすきを渡した。今日は、先週のようにラストスパートは出せず不完全燃焼だった。良いときもあれば悪いときもあるので仕方ない。
 走り終わった後は、すぐに昨日の講習会の2日目に参加したためレースの展開は知ることができなかったが、優勝は我が校の長距離チームで、3位に横須賀連合が入ったらしい。3位入賞でき、ある程度、チームには貢献できたと思う。
 講習会2日目は、運動靴のフィッティングについての実習や中敷きについての講義があった。人は、歩行時に足の親指を反らせながら地面に接地することで、足のアーチを高め、足裏の強度を上げている。これをウインドラス効果と呼び、この動きをうまく利用することで、アーチが低下している人に対してのアーチサポートを作っていくことができるということがわかり、とても参考になった。

■2009年12月12日(土曜日)
 靴の中敷きやアーチサポートを自分で作成する必要が出てきたため、作成の裏付けとなる理論を学ぶために2日間の講習会に参加した。今日は、下肢の機能解剖、足のサイズの測り方やフィット感の出し方、運動靴ができあがるまでの行程と靴の機能についての講義があった。
 講習参加者が初心者から、理学療法士まで様々な人がいたため、機能解剖については、下肢の主要な部位の名前を伝えるだけになってしまい、骨や筋肉と動きの関係についてはほとんど語られず、残念だった。
 靴のオーダーメイドは、足の寸法をいろいろと測って、靴型を作成することから始まるが、靴型が、測定した寸法通りに作成される訳ではないということを知って驚いた。フィット感を出すために、靴型を全体的に少し削り(殺しという)、足の指が動く余裕を持たせるためにつま先は少し大きく作ること(捨て寸という)などをしており、最後は職人の感覚によるとのことだった。また一般に販売されている靴でも、同様に、殺しと捨て寸があるため、同じサイズでも靴が違えば、同じサイズではなく、実際に履かない限り、自分に合ったシューズを選ぶのは難しいということがわかった。多くの人が、大きめのサイズを選び、結果的に体がゆがんでいってしまっている可能性があるとのことだった。いつも使っているランニングシューズは、自分の足形から作るオーダーメイドなので、特に問題はないが、今後は、日常で履く革靴などの靴選びにこれらの知識を活用できればと思う。

■2009年12月11日(金曜日)
 日本漢字能力検定協会の「今年の漢字」に「新」が選ばれた。昨年に続き、今年の話題は不況に関連する話題が多かったように感じていたので、意外な漢字が選ばれたように思った。
 自分にとって今年の漢字は、「始」。転職し、仕事が始まったということと、35歳になったので、マスターズのレースに参加できるようになり、マスターズの世界でも活動を始めたという意味がある。今年は、たまたまいろいろと環境が変わるチャンスがあり、新鮮な気分になれた。新鮮な気分がないと、生活のすべてがルーティンワークとなってしまう可能性がある。そういう意味では、毎年新鮮な気分が作れるよう、何か新しいことを始めていく必要があると思う。

■2009年12月10日(木曜日)
 アメリカのオバマ大統領がノーベル平和賞受賞の演説を授賞式で行った。アメリカの大学で行った世論調査では、66%の人が受賞に値しないとの回答を示したという。アフガニスタンやイラクでは、まだ戦闘が続いているような状態で、「核兵器なき世界」という目標を掲げただけで、何も結果が出ていないということが、理由なのだと思う。
 テレビでインタビューを受けていたノルウェーの市民は、「核兵器なき世界」という目標が新しい考えで、大きく評価されたというコメントをしていた。しかし、広島や長崎の市長は、毎年「核の廃絶」を世界に訴えている。結局広島や長崎の市長の声は、日本国内には響いても、海外には響いていないということなのだろう。そう考えると日本の地方都市の市長よりはアメリカ大統領の影響力の方が大きく、達成の可能性も大統領が実行する方が高いと言える。
 しかし、どうやってこの目標を達成するのだろうか。まずはアメリカからという訳にはいかないのが現実。そう考えると、最初に核兵器を手放す国というのはどこにもないような気がしてしまう。国連で拒否権を持つ国がうまくやってくれないかと思う。

■2009年12月9日(水曜日)
 久しぶりに60分のジョッグをした。ここ2週間は、レースには出場したが、膝の具合が悪かったため、レースを除いては、10分から30分程度のジョギングしかできなかった。今日は、全く膝の違和感はなく、久しぶりに達成感のあるジョッグとなった。また週末には駅伝が控えている。ジョッグだけの練習では、もうスピードはキープできない。明日以降は、少し刺激を入れていきたい。

■2009年12月8日(火曜日)


市ヶ谷外堀
 航空自衛隊でお世話になった方々にお礼の挨拶と、教官として採用された報告をするために市ヶ谷へ出かけた。10月に採用になったのに、すぐに挨拶にいけず申し訳なく思っていたが、進路の相談に乗ってもらったり、採用試験の際に推薦状を書いてもらったりして世話をしてくれた方々は、みな笑顔で迎えてくれ、採用が決まったことを喜んでくれた。
 偉くなる人は、話が上手で威圧感がなく、こちらも落ち着いて話をすることができ、和やかな雰囲気で挨拶と報告ができた。幹部自衛官が足りないと言われている中での退職にもかかわらず、快く退職させてくれ、これまでの自分の進路に関わってきた多くの方にあたらめて感謝する日となった。

■2009年12月7日(月曜日)
 昨日のレースの疲労が下腿に来ている。特にヒラメ筋の疲労は大きく、凝り固まっていて痛みがある。約1ヶ月ぶりにスパイクを履いたということもあるので、ダメージは大きい。昨年は、捻挫のためにレースに出られず、精神的に辛かったことを思うと、この疲労も心地よい。膝の違和感が右から左に変わり、シンスプリントになりそうな気配もあるが、なんとかうまくごまかして、1週間良いコンディションを継続させたい。

■2009年12月6日(日曜日)


クリスマスオーナメント
(我が家で作成)



横須賀美術館
クリスマスツリー
 日体大長距離競技会5000mに出場。雨上がりの快晴で、日差しが強く、どちらかといえば暑いくらいだったが、風はなく最高のコンディションだった。
 スタート直後から、ハイペースで飛び出す人がいたため、集団がバラバラになり、先頭集団が自分を含めた4名となり、かなり走りやすい展開になった。しかし、ハイペースだったのは1周目だけで、その後は、1周74秒〜76秒の間のペースで、自分にとっては、少し遅く、我慢してついて行くという感じだった。1000mから3000mは、3分01秒3、3分08秒5、3分10秒9で、少しずつ集団のペースは落ちていき、3000mから4000mの間に、先頭が入れ替わりながらペースが少し上がっていったため、集団から離れてしまった。しかし、タイムは3分11秒9ということで自分のペースはなんとかキープできていた。
 残り1000m以降も4番手の位置は変わらず、上位3人からは少しずつ距離が開いていく感じで、ペースを上げたかったが、なかなか上げられなかった。しかし、3番手の選手がうちの学生だったため、負けるわけにはいかないという気持ちになり、残り600mあたりから、少しずつ距離を詰め、残り1周で何とか捕まえ、3番手に上がった。その後は、急激にスピードを上げることができ、上位2名も追い越すことができ、トップでフィニッシュできた。たぶん残り200mは30秒を切るペースだっと思う。タイムは15分30秒41だった。
 15分台の公認記録は4年ぶり、5000mのレースで先頭でフィニッシュしたのは6年ぶりだった。2ヶ月前のレースよりも約1分タイムが伸びた。膝の痛みで1週間ほとんど走っていなかったが、膝の痛みはなく走りきることができた。来週は市民駅伝。良い流れができてきた。

■2009年12月5日(土曜日)


シイの実拾い
 膝の違和感は少しずつ回復しているが、完全にはとれず、トラックで調整走をするのが怖かったため、自宅近くにある横須賀美術館前の芝生を10分ジョッグ。その後、芝生の坂を利用してジャンプ系の補強をした。芝生の上であれば、膝の違和感は全く感じない。もう一晩寝て、さらに回復させ、明日の記録会に出られればと思う。

■2009年12月4日(金曜日)
 今まで振り込みは、銀行のATMからするものだと思っていたが、インターネットからもできることに気がつき、インターネットバンキングの登録をして、振り込みをしてみた。ATMからの振り込みでは、同一銀行でも支店が違えば手数料が取られるが、インターネットでは、手数料が無料で得した気分になった。さらに、銀行窓口営業日の15時以降および銀行窓口休業日は翌営業日扱いとなるが、深夜からの振り込み手続きも可能で、家にいながら振り込みができてしまう。今では当たり前のサービスなのかもしれないが、今まで全く気がつかなかったため、便利さにとても驚いた。

■2009年12月3日(木曜日)
 最近、階段の上り下りで膝に違和感がある。火曜日あたりからは、膝を完全に屈曲すると、膝蓋腱の外側につまった感じがあり、鈍い痛みを感じるようになった。ジョギングしていても違和感があり、長時間のジョギングができない。さらに、1年前に受傷した右足首の捻挫の痛みが急に再発し、歩いている際にも違和感がある。走りの調子はとても良かったので、この勢いで今週も練習をしようと思っていたのに、全く走れなくなってしまった。日曜は日体大記録会にエントリーしているので、走るつもりでいるが、気をつけなければならない。

■2009年12月2日(水曜日)
 日米両政府が沖縄返還を巡り交わしたとされる密約文書の存否が争われている訴訟で、当時の担当者が密約の存在を初めて法廷で認めた。密約が報じられた当時は、政府は存在を否定していたが、今回の証言からは、政府がウソをついていたということになる。現在外務省が調査している核持ち込みの密約についても同様の可能性もある。
 政府としては、国民に知らせるべき情報と、知らせる必要のない情報があるはずなので、今回の密約の情報は、外交に大きく影響を及ぼす可能性があり、国民には知らせるべきではなかった情報だったと考えられる。戦時中は、情報統制があり、国民が知りたい情報が全く得られない時代だったが、戦争が終わっても、目立たないように似たようなことが行われ続けているとも考えられる。国民一人一人は、メディアを通した目に見えない情報統制により、自分の考えが作られ、それを自分の考えだと思いこまされているのかもしれないと思った。
 学生時代に、ある人から「何事もまずは疑え」と教えられたが、あらためて大事なことだと思えるニュースだった。

■2009年12月1日(火曜日)
 久しぶりに自衛隊体育学校へ行った。自衛官を辞めてからは初めての訪問なので、用事とは別に、お世話になった人たちのところへあいさつ回りをした。多くの人が、懐かしがりながら、こちらの進路がどうなったかという心配をしてくれていた。本当に多くの人に支えられ勤務してきたのだなぁ、と改めて感謝の気持ちがわき、自分にとって本当に仕事のしやすいすばらしい職場だったと思った。今後も、体育学校とはうまく連携しながら仕事をしていきたい。



[昔のいずみ]