最近のいずみ

Last Update:2009/2/28

パートタイムアスリートいずみ 9年目に突入!! 


■2009年2月28日(土曜日)
 明日のレースへ向け、入りの1000mを想定して、1000mを走った。3分10秒程度を設定タイムとしたが、400mの通過は68秒台と設定よりも8秒速く、残り600mは失速気味になり、最終的に1000mは3分8秒7で終えた。全く一定のペースで走れず、後半の失速を考えると、かなり不安な刺激になってしまった。一定ペースで走ることが全くできないことから、明日は、前半タイムを稼いで、後半それを食いつぶして、なんとかこらえるという走りをするしかなさそうだ。

■2009年2月27日(金曜日)
 年明け以降、日本総合地所のマンション建設に関わった長谷工の株価をずっと追っている。日本総合地所の株価は、破綻したことで紙切れ同然の1円という値がついている。関係した長谷工もこの1ヶ月で半額以下の値段になってしまった。また、最近気になっているマンションの売り主になっているランドという企業の株価も気になって追っかけているが、こちらも同じようにこの1ヶ月で半額以下になってしまった。ランドは、2月末が決算とのことなので、値下げして販売にも力を入れていた。来週以降の株価はどう動くか、
 世の中は100年に1度の不況と言われているが、100年前の不況はどんな感じだったのか?今よりももっと生死を分かつようなぎりぎりの生活をしていた人が多かったのかもしれないし、逆に、みんなでなんとか助け合って厳しい環境ながらも心豊かに生活できていたのかもしれない。その時代に生きていないので、わからないことだが、現代は、ストレスを抱える人の割合がとても高いので、そのストレスを少しでも減らし、心豊かに過ごせる世の中に移行できるよう、国の政策を作っていってほしいと思う。

■2009年2月26日(木曜日)
 大学の先輩が宇宙飛行士の候補者に選ばれた。今回選ばれた2名は、民間と自衛隊の現役パイロットということで、今までの宇宙飛行士が、研究者というイメージが強かったので、とても新鮮な感じがした。宇宙飛行士となる自衛官がいてもいいのになぁと以前から思うことはあったので、今回のニュースはとてもうれしかった。

■2009年2月25日(水曜日)
 1週間ぶりにトラック練習をした。メニューは6000mのペース走。1km当たり3分25秒という設定で始めた。3000mまでは順調にペースを刻めたが、3400m付近で、口の中にたまった唾を飲み込んだときに呼吸のリズムが崩れ、急に呼吸が苦しくなり、フォームも乱れ始めてしまった。3000mから4000mは3分37秒台に落ち、呼吸の激しさからおう吐もあり、4000mから5000mは3分46秒台となったため、そのまま終了した。5000mは17分35秒7。
 週に1回くらいしか体に負荷を与えていないので、仕方のないことだが、週末は三浦国際マラソン5kmに出場することを考えると、かなりひどい状態だと思う。昨年の三浦国際は、16分13秒だったが、今年は、16分台で走れれば、上出来なのかもしれない。

■2009年2月24日(火曜日)
 腰椎周りの筋肉がかなり固まり日常生活のいろいろな動作で痛みが出る。そこで強制的にほぐすため、近所の鍼灸院へ行った。鍼は、鈍い痛みがあり、あまり好きではないが、マッサージよりは、早くほぐれるイメージがある。
 今回は、深くまで鍼を入れず、表面にちょっと入れて低周波をかける処置だったため、それほどイヤな痛みを感じることなく終わることができた。鍼灸院の先生からは、どこの筋肉も発達しているので、筋肉が固まっているかどうかよくわからないと言われたが、処置が終わった後は、少し腰椎周りが軽くなった感じもあり、歩きやすくなった。効果はあったと思う。

■2009年2月23日(月曜日)
 6日ぶりに走った。1人で走るのがイヤだったので、学生たちと話をしながら一緒に走った。話をしながら走ると、ゆっくりなペースでも、時間が経つと自然とペースは上がり、後半はかなり上がっていた。しかし、それほどきつさはなく、むしろ気持ちよいという感覚だった。一緒に走った学生たちも、同じような感覚で、久しぶりに気持ちよく走れたと話していた。
 練習が終わって家に帰った後、ジョギングの疲労がドッと出た。下肢がつりそうで、全身が重い感じになり、夕食後は、そのまま眠気がおそってきた。練習不足だ・・・ 

■2009年2月22日(日曜日)
 スウェーデンの家具を手ごろな価格で販売しているイケア港北へ行った。店舗の広さに驚き、商品の種類の多さに驚いた。店内は商品が置いてあるだけでなく、実際に部屋に置いた場合にどう見えるかがよくわかるように、いくもの小部屋が用意され、具体的に部屋のイメージができた。自分の家だったらこうしたいなぁと思いながら、目の前にある小部屋と重ね合わせ夢を見ていた。妻も同じように夢を見ていた。値段のことを考えなければ、ずっと夢を見ていられそうな場所で、ディズニーランドよりも現実味のある夢の世界だった。対照的に、子供たちはかなり退屈していた。子供を預けられる場所もあったが、1時間待ちだったため、預けることができなかった。長男は、キッズスペースで遊びたかったようで、とても残念がっていた。しかし、子供が落書きできるような大きなホワイトボードを買うことにしたため、少し機嫌がよくなった。ここにはまた訪れて夢を見たいと思う。

■2009年2月21日(土曜日)
 日本体育協会公認アスレティックトレーナーの総合実技試験が渋谷の岸記念体育館であった。朝8時集合というかなり無茶な集合時間だったが、行ってみると自分の試験の時間は11時過ぎで、集合時間に腹が立ったが、自分の出番が来るまでは控え室で勉強ができたので、逆に感謝した。
 試験は、医師1名と、アスレティックトレーナー2名が試験官となり、別のアスレティックトレーナー1名がけが人のモデルをして、こちらは実際にリハビリなどの指導をするというものだった。
 問題は4問あり、1問目は、、男子高校テニス選手の右肘に痛みがあり、近日試合があるので2日間は我慢して練習していた。病態の把握のためのチェックをし、その目的と結果について選手に伝えよ、というものだった。2問目は、男子バレーボール選手の右足関節内返し捻挫のリハビリ、3問目は上腕二頭筋腱損傷の投手のリハビリ、4問目は、左足足関節内返し捻挫のテーピングだった。
 テキストを読んだだけの知識のため、問題を渡されて5分では、それぞれの答えを導き出すことは難しかった。頭の中に残っている知識をとにかく出すしかないので、思いついたことを次々と行ったが、意外と頭の中に残っていることは少なく、1問当たり10分という制限時間は、まったく必要なかった。1問目が終わったところで、医師は、こちらに見えるように鼻で笑っていたので、かなりショックだった。見えないところで笑ってくれと思ったが、自分の能力が低いので仕方がなかった。2問目以降も、同じような感じで、あっという間に持っている知識を吐き出し、終わってしまった。テーピングは、しっかりと練習していたのに、3問目までのショックが大きく、手際よくできず、さらにショックを受けた。
 試験終了後、久しぶりに織田フィールドへ行った。午後からはクラブチームの合同練習があったので、たくさんのメンバーと顔を合わすことができた。メンバーの中には、明日、鍼灸の国家試験があるというのに、練習にきていた人もいて驚いた。たくさんの人と話ができ、午前中のショックは少し和らいだ。

■2009年2月20日(金曜日)
 日本韓氏意拳学会の光岡先生という方が来校し、学生に混じって講演を拝聴した。
 腕を前後に振るような単純な運動から実技が始まったが、最後には、人間にとって自然な動きとは何か?ということについて、自分の体の動きを通して考えることになった。動作とは人間が動きを作ることで、後天的に身につけるものだが、運動は動きを運ぶということで、もともと持っている動きだと言える。自然な動きはどういうものだということははっきりとは言えないが、不自然な動きであれば、見つけられる。不自然な動きをそぎ落としていけば、結果的には、どういうものかわからない自然な動きに少しずつ近づいていけると考えられる。
 単純に両腕を上にあげるということでも、肩や首が凝ってしまう。しかし自然な動きができれば、肩や首が凝ることはないという。日常生活は、本当に不自然な体の使い方ばかりをしているのではないかと思えてきた。

■2009年2月19日(木曜日)
 長男は、先月おやくそくポスターにシールを貼ることで、朝起きられるようになったが、カレンダーが終わってしまい、シールを貼れなくなってしまったとたんに、起きられなくなってしまった。何度起こしても起きない。さらに朝食にも時間がかかり、なかなか着替えも進まない。幼稚園のバスが来る時間は決まっているのに、それに間に合わせようという気持ちがないのではないかと思えるほどで、困ってしまう。最後は、寒いといって泣き出す始末。寒いのは冬だから当たり前で、早く着替えてしまった方が寒さは防げるということを何度も話をしているが、全然わかってくれない。
 日によっては、幼稚園バスがすでに迎えにきていて、おいて行かれる寸前ということもある。長男が幼稚園へ行った後、妻とともにドッと疲れが出る。幼稚園では一人でできることが、家ではできない。親である自分たちのやり方に問題があるのだろうと思うが、考えれば考えるほど、ため息ばかりがでてくる。

■2009年2月18日(水曜日)
 最近、右腰に痛みがある。じっとしていても痛みがあるため、走るとさらにひびき、とても気になり、カイロプラクティックへ行った。
 左足に重心を移動すると、右腰の筋肉に力が入り痛みが出ることがわかり、右の脊柱起立筋がかなり凝り固まっていた。また、左足が右足よりも7〜8mm長かった。いろいろと施術はしてもらったが、右腰の凝りはあまり変わらなかった。

■2009年2月17日(火曜日)
 10000mペース走を行った。ペースは1000mあたり3分35秒〜40秒。比較的ゆっくりなペースだったが、これほどの長いペース走は久しぶりだったので、長い時間走り続けることにかなりのつらさがあった。
 前半は、体が動かず、無理矢理動かしていたが、中盤からは楽になり、逆にペースが上がりそうになるのをこらえて走っていた。後半は、やっとそのペースに慣れ安定し、最後の1000mは気持ちよくペースを上げて終わることができた。
 その後、中距離の動きをするために400mを走ったが、130m走ったところで、両ふくらはぎが痙攣し、走りきることができなかった。ペース走でかなり下腿を使って走っていたようで、あまりいい走りができていなかったのだと思う。

■2009年2月16日(月曜日)
 年明け以降、1人の留学生が、長距離の走り方について教えてほしいということで、授業の空き時間を利用して自分のところへくるようになった。そこで、体の使い方、走り方、血中乳酸測定、心拍数測定、トレーニング法など、1時間半くらいかけて講義や実技を行っている。今日で7回目となったが、帰国する日が近くなり、今日が最後となってしまった。
 今回は、今まで話をしてきたことの総復習をするつもりで、話をしながら一緒にジョギングをした。彼は、留学期間が2年間で、はじめは日本語の壁があり、勉強するのが精一杯で、勉強以外にはなにも考える余裕がなく、日本語ができないために、閉じこもりがちだったという。留学して1年が経ち、日本語ができないから日本人よりできなくても仕方ないというあきらめの気持ちが支配していたが、せっかく留学しているのに閉じこもっていてはもったいないし、日本語が苦手な自分は、日本人以上に努力するべきだと思うようになり、2年目は、学校行事を始めいろいろなことに興味を持って積極的に取り組むようになったと話していた。積極的になると次から次へとやりたいことがわき上がり、その一つに走ることもあったという。留学生は、誰もが言葉の壁にぶつかるが、それを乗り越え、努力をすることで、大きな成長を遂げるのだと思った。
 留学生は、留学生なりに努力しているのだから、留学していない学生たちは、別の努力の仕方があると思う。自分の方がとても啓発されるジョギングとなった。

■2009年2月15日(日曜日)
 一晩寝て、熱は下がった。どうやらインフルエンザではなかったようだ。長男は、多少咳が残っているが、熱はなく、次男も鼻水だけ。妻だけが、最後に取り残され、今日も1日熱があり、つらい1日を送った。
 今日は、千葉国際クロスカントリーに参加を予定していたが、昨夜発熱したことや、昼間の子供たちの世話を考えると、千葉には行けず、かわりに買い物に出かけた。子供たちも外にでたがっていたので、車に乗って一緒に出かけたが、本当の目的は、車の中でのおやつだったようで、こちらが買い物をしている間は、兄弟2人で仲良くおやつをしていた。
 子供たちが元気になると、家の中はうるさい。元気になると、子供たちはこちらの言うことを聞かなくなり、妻にとっては、その元気さと、話を聞かないことが大きなストレスとなって頭痛をさらに激しいものにしたようだ。
 明日からは平日。なんとか明日までに治ってほしい。

■2009年2月14日(土曜日)
 東大駒場キャンパスで行われる乳酸研究会に参加を予定していたが、家族2人がインフルエンザという状況になり、参加をやめて、家で過ごした。長男も咳が止まらず、次男は、熱は治まったものの鼻水が激しく、まだインフルエンザから回復したとはいえなかった。妻は、昨日から薬を飲み始め、多少具合は良くなったようだが、関節が痛く、特に腰が痛くて動けないという感じだった。
 午前中は、子供たちを何とか寝かせて安静にしていたが、長男は我慢ができないという感じだったため、ちょっとだけ外へ散歩に連れていき、そのおかけで、次男と妻は、夕方まで静かに寝かせることができた。
 周りが病人ばかりのためか、夕方から自分の体調もおかしくなり3時頃には、体温が37.4度になり、6時半には37.7度。8時半には38.0度まで上昇した。インフルエンザにかかってしまったのだろうか?

■2009年2月13日(金曜日)
 次男に続き、妻がインフルエンザとなった。子供たち2人は、インフルエンザの予防接種を受けていて、長男は、発熱したがインフルエンザではなく、次男だけがインフルエンザになった。予防接種も型が合わなければ、防ぐことができない。そう考えると予防接種は、ちょっとした保険のようなもので、はずれることも仕方のないことと思わなければならない。

■2009年2月12日(木曜日)
 週末は久しぶりのレースなのに、今週は、ほとんど走っていない。少しは、走っておかなければいけないと思い、4000mだけペース走をした。ペースは3分30秒/kmで行った。前半の2000mはとても楽に走れたが、後半は、呼吸がかなり苦しくなり、必死にもがいて何とかペースを維持し走りきった。ジョギングをしたり、坂でのダッシュは、少しやっていたが、ペース走をするのは、かなり久しぶりで、坂ダッシュとは、違う負荷を感じ、あまりいい気分では終われなかった。短い距離であれば、どうにかごまかせるが、長距離のレースでは、呼吸循環器系への負荷がかかっていないと、ごまかすことは難しい。週末の千葉クロカンは、昨年以上に厳しい結果が待っているのかもしれない。
 次男の調子は今朝も悪く、昨日のような異常な行動が少し残っていたが、昨日よりは落ち着いているように見えた。しかし、自分が帰宅したときには、妻と長男が発熱し、妻は、インフルエンザの兆候が見られた。次男は、比較的元気だったが、まだ完全に回復したわけではないので、家族の4人中3人がインフルエンザという最悪の状況も考えられ、自分はかなり危険な環境にいることを認識した。明日は、3人とも病院へ連れていかなければと思う。

■2009年2月11日(水曜日)
 次男の熱は下がったが、突然大泣きして、なかなか泣き止まないことが何度もあった。普段とは体の状態が何か違っているようで、泣きながら何かを必死に訴えていた。「いたい、いたい」と言っているようにも聞こえたが、泣いている理由がこちらには全くわからず、困惑するばかりだった。昼は、全く昼寝をせず、夜もいったんは眠ったが、その後泣き出し、体を反り返らせ、足をバタバタさせ、やっぱり泣きながら何かを必死に訴えているように見えた。自分がだっこしようとすると嫌がり、妻の方へ歩いていこうとするが、うまく立ち上がれず、頭の重さで頭から倒れそうになったりして、見るからに異常な感じがした。オムツを替えようとしたり、水分を取らせようとしたが、すべてを嫌がり、ひたすら叫び泣くという状態で、見ていられなかった。医師に処方された薬がタミフルだったので、タミフルの影響なのかもしれないと思い、心配して救急病院へ連れていったが、病院ではおとなしく、医師からは様子を見るよう言われただけだった。本当に大丈夫なのだろうか?

■2009年2月10日(火曜日)
 先週から長男は頻繁にせきをしていて、寝ている間は苦しそうな感じだったが、特に発熱もないので、様子を見ていた。しかし、日曜に長男が39度台の熱を出し、熱を出した直後に病院へ行ったところ、インフルエンザの検査は、熱を出した直後にはできないということで、月曜日に改めて受診した。インフルエンザの予防接種をしていても型が違えば、予防接種の効果はないので、心配していたが、検査の結果、インフルエンザではなく安心した。昨日の午後にはすっかり熱も下がったが、入れ替わるように次男の具合が悪くなった。昨日はあまり元気がなくちょっと食事をしただけで「ねんね」と言って、自分から横になって寝てしまうことが多かった。今日もその状況は続き、昨日よりもつらそうなので、病院へ連れて行った。
 インフルエンザ検査の結果、A型だった。家に帰ってきてからは、自分の思い通りにならないためか、ずっとぐずっていた。眠いのに寝ることができず、本人もこの苦しさをどうしていいのかわからないというところなのだろう。次男を除く、家族みんなでマスクをして、次男には、食事をさせ、処方された薬を飲ませ、寝かせられるよう努力するしかない。

■2009年2月9日(月曜日)
 前の職場で上司だった方の定年退官パーティーに出席した。退官者挨拶は、とても印象的に残った。政治の影響で、モスクワオリンピックへの出場がならなかった選手やコーチたちのための慰労会に出席した際、上司から、「みんな本当にご苦労様でした」というような一言があった直後に、選手やコーチがたちが一斉に泣き崩れた光景を目の当たりにし、その上司からは、この光景をしっかりと目に焼きつけ、今後の糧にしてほしいと言われたという。その光景を見て、身の引き締まる思いがし、その後の仕事に一生懸命になれるようになったということだった。大人の男たちが集団で泣き崩れるということは、あまり考えられないが、本気でやっているから、理屈などなく涙があふれてくるのだろうし、それを見る人にも何かが伝わるだと思う。今の仕事を、一生懸命続けていきたいと思った。

■2009年2月8日(日曜日)


会場となった帝京平成大学
 池袋で行われたスポーツトレーニング科学セミナーに参加した。スピードをどう理解し、トレーニングにつなげていくかがテーマで、旧東ドイツの研究者が講師となり、スピードの定義や分類別強化法などの講義と実技があった。
 人によって、筋肉の反応はいろいろあるが、筋の動員を短時間で急激に増やすことのできる人と、筋の動員に時間のかかる人に大きく分けられる。スピードということを考えた場合には、短時間で多くの筋が動員できる体にしていく必要があり、例えば、ドロップジャンプでは、接地時間が140ミリ秒以内の人は、短時間プログラムを有している人と言え、それ以上の人は長時間プログラムを有していると定義していた。実際にドロップジャンプを測定してもらったところ147ミリ秒かかり、自分には、まだまだ改善の余地はありそうだと思った。そのほかにも、その場ですばやく足踏みをするタッピング・テストが紹介され、1秒間に12回以上できると良いとされ、14.5回以上だと極めて良いという話だった。これにも挑戦させてもらったが、自分は13.0回だった。講師が今までに測定した選手では19回が最も良い記録だったそうで、筋の反応速度の違いに驚いた。
 今回のセミナーで最も興味を持ったのは、EMS(Electrical Muscle Stimulation)を利用したトレーニングだった。いろいろな種目において動作の最も大事なところで、EMSによる電気刺激を入れ、短時間での筋の動員を高めていくことで、その動作にあった短時間プログラムが体の中で作られてゆくとのことだった。機材が特殊で、コーチが動作を見ながらリモコンで操作したり、光電管で反応させるなど、かなりお金のかかりそうな印象がしてあまり実用的ではないようにも思えた。  

■2009年2月7日(土曜日)
 先週からすり足をイメージしながら走っているが、今日行った1000m近くの上り坂での走りでなんとなく違いを実感した。学生たちと坂の練習をするときには、650mくらいの坂を走り、2分15秒前後のタイムで7本行うが、今日は、さらに300mほど上り坂を伸ばし、950mくらいで4本走った。4本とも3分30秒前後で、4本とも650m付近の通過が2分15秒前後だった。650m通過時の疲労感は以前ほどではなく、気持ちよく最後まで走りきれた。最近は、ジョギングをすることでも、重苦しい気分だったが、自分の意識を変えたことで、気分も楽になり、走るのが楽しくなってきた。

■2009年2月6日(金曜日)


横須賀美術館からの眺め
 昨日、マンションを分譲販売している日本総合地所が破綻した。今年に入ってからもっとも大きな破綻額だったらしい。昨年秋、就職内定者への内定取り消しが問題になり、紙面を賑わせたが、それ以降ずっと株価を注目していた。以前は、1000円を越え、3000円以上あった株価が、昨年末は100円を切りそうなところまで下落し、このまま2桁まで突入するかという勢いだったが、100円近くになると、150円近くまで値を戻すというような状況が続いていた。
 実は、我が家は、この会社が売主となったマンションを契約し、手付金まで払ったが、一戸建てやマンションの新聞広告を見る度に、不必要で過剰な装飾が気になり、次第に契約した部屋が魅力的ではなくなったことも重なり、年明けに解約を申し出て、1月30日に解約が完了したばかりだった。手付金を失ったのは、かなりの痛手たったが、いろいろと考えるきっかけができ、とても勉強になった。そういう意味では、感謝したい。

■2009年2月5日(木曜日)
 昭和30年代には、働くことは生活するためという認識が当たり前で、自分に合う仕事がしたいと贅沢なことを言う人はあまりいなかったという話を聞いた。働くことの意味は、時代によって変化していくのは当たり前だが、最近は、自分にあった仕事を探すとか、何がしたいのかわからないという人が多い。自分にあった仕事など、やってみなければわからないし、逆に自分のやりたい仕事をやっている人のほうが少ない。団塊の世代と言われる人たちの進んできた道を振り返ると、自分たちは贅沢なことばかり言っているように思えるが、自分では判断できないほどに情報が氾濫し、あれもやってみたい、これもやってみたいという気持ちも起こるので、自分たちはとても難しい時代に生きていて、団塊の世代とは、全く違う時代なのだと考えることもできる。しかし、まずは、目の前にある仕事をまずは一生懸命やってみるということが必要なのだと思う。

■2009年2月4日(水曜日)
 国内大手電機メーカー8社のうち7社が最終赤字になる見通しだという。ソニーにいる知り合いの方は、いつリストラされるかわからないと冗談を言っていたが、正社員に8000人の希望退職者を募るというくらいなので、冗談ではない状況なのかもしれない。今の時期に希望退職したとして、その次に得られる仕事はあるのだろうか?これらの企業とは対照的に、日本マクドナルドは、売上高が過去最高となったという。電化製品とは違い、ファーストフードの商品は、ちょっとした小銭で買うことができる点では、お客の財布も開きやすく、販売方法のアイデアも出やすいのかもしれないが、うまくお客さんの心をつかむことができた結果なのだと思う。
 大企業でも安心はできず、企業スポーツは、本当に不安定なところにあり、いつなくなってしまうかわからない。生きていくのにスポーツどころではない、と言われれば、それまでなのだろう。

■2009年2月3日(火曜日)
 昨年11月に受験した日本体育協会公認アスレティックトレーナー客観式試験に合格したという連絡があった。これに合格すると次は総合実技試験となるが、それがなんと18日後にあり、申し込みが金曜日というかなり急な知らせだった。試験日はいくつかあったので、最後の3月の受験を希望していたが、出身学校ごとに試験日が指定されていてどうしようもなかった。
 11月の受験後、そまま勉強を続けていれば、困らなかったが、テキストを読むだけでかなり疲れたため、その後は、何もしていなかった。かなりの詰め込み勉強だったため、忘れるのも早く、もう一度最初から勉強しなおさなければならない。
 今日は、節分ということで、我が家でも豆まきをした。長男は、幼稚園でも友達の家でも豆まきをし、今年3回目の豆まきだった。彼は、要領を心得ていて、鬼になった父親めがけて勢いよく豆を投げつけてきたが、次男は、兄の投げた豆を必死に拾い、次から次へと口へ運んでいた。投げることを教えたが、まったく理解してもらえず、最後まで床に落ちている豆を探し口に入れようとしていた。その姿は何とも滑稽だった。

■2009年2月2日(月曜日)
 大相撲の日本人力士が大麻所持で逮捕されたが、今日は、北京オリンピックの競泳で8冠を獲得したマイケル・フェルプスが大麻を吸っていたというニュースが流れた。アメリカの少年の4割が大麻の使用をしたことがあるという調査もあるほどで、特に逮捕されるようなことではないといい、テレビの緊急アンケートでも、若気の至りだという認識が高く、彼を責めるという雰囲気ではなさそうだった。本人も二度とやらないとファンに謝るコメントを出していた。日本では、逮捕され職を失ってしまうほど大変なことなのに、アメリカではなんでもないというのには驚いた。トップに君臨するスポーツ選手は、メディアに出る機会も多く、他の模範となるべき人であるし、影響力も大きい。若いから仕方ないという認識でいいのかどうか。国が違えば、考え方も違うということか・・・

■2009年2月1日(日曜日)
 先々週とは別のマンションを見学に行った。今回のマンションも海が見え、歩いて海にもいけ、市の中央付近ではありえない部屋の広さを売りにしていた。一戸建ては、30年持てばよく、その後のメンテナンス等を考えるとマンションよりはいろいろな面でお金がかかるとの説明があった。
 実際の部屋に入ってみると、他のマンションとは比べ物にならない広さで驚いた。部屋によっては、吹き抜けのある部屋もあり、とても面白い発想だと思った。ちょうど決算時期ということもあり、値下げのキャンペーンが行われ、定価から700万円も引いてくれる物件もあった。以前見学に行った会社では500万円引いてくれると言われ、かなり驚いたが、それ以上の驚きだった。住宅を供給する会社は、どこも弱体化し、消費者はかなり強気に出られる。そう考えると、住宅は今が買い時なのかもしれない。



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