最近のいずみ

Last Update:2009/3/31

パートタイムアスリートいずみ 9年目に突入!! 


■2009年3月31日(火曜日)


船長さんと
 妻が、懸賞でロイヤルウイング乗船券を当てたので、家族で横浜まで出かけて乗船した。食事は、別料金ということで、食事なしで乗船するだけだと、船のデッキのみの利用となり、とても寒い思いをするため、デザートバイキングを注文して、室内でゆっくり食べてからデッキに出て海を見ることにした。
 デザートバイキングは、期待していたほどの中身ではなかった。しかし、子どもは大喜びで、満足そうだったので、こちらはその顔を見て満足した。子どもは、食べ始めは、かなりの勢いで食べていたが、すぐに飽きてしまった。バイキングは、元を取ろうという気持ちが働いてがんばってしまうことが多いが、今日は、おいしいと思うものがほとんどなかったため、船を下りた後何を食べようかということを考えるくらいで、全く元は取れなかった。

■2009年3月30日(月曜日)
 木曜日のレース以降、捻挫した左の足首の状態が悪く、練習ができない。今日は、少し我慢して、50mのバウンディングをしてみた。通常20歩程度でいける距離なのに、25歩もかかった。特に、左足が接地したときに、自分の体重を支えきれず、つぶれる感じがあり反発できない。いつもなら、本数を増やしていけば、歩数は自然と少なくなってくるので、続けてみたが、全く歩数は減らなかった。捻挫は、左足外側に痛みがあるのだが、バウンディングによって内側にも痛みが出てきてしまった。レースの負荷というのは、かなり強いということを改めて感じさせられた。

■2009年3月29日(日曜日)
 ランニング学会2日目。午前中は、東大の八田先生によるキーノートレクチャー。疲労=乳酸という考え方を覆すために、いろいろなデータを示された。体内で乳酸が作られるためには糖が十分あることが条件であり、マラソンなどのように、糖が不足してくる状況では、血中乳酸濃度は、間違いなく低下するという。人間の子どもは、小さい頃は、遅筋が多く、強度の高い運動ができないため、走り回っていても疲れないが、成長するにつれて速筋が発達し、強度の高い運動ができるようになってしまうため疲れるらしい。馬は、子どもの時には速筋が多く、成長とともに遅筋が増えてくるらしく、自分にとっては、新しい情報だった。
 昼食時には、ハートレートモニターを活用したトレーニングの紹介があった。最近のハートレートモニターは、GPS機能や、高度計もついていて、PCに転送すれば、すぐにグラフ化してくれる。そして、グーグルアースと連動して、自分の走ったコースを地図上に示してくれ、どこでどのくらいの強度があったを色分けして表示してくれる。今持っているハートレートモニターは、6年前は最新で、PCにデータが送信できるだけですごいと思っていたが、ソフトは日本語表示もできず、わかりづらかった。本当に技術の進歩には驚かされた。
 午後は、トレイルランナーの鏑木さんによるトレイルランニングの紹介があった。1泊から2泊して上っていくような山を日帰りで行って帰ってくるが、調子の良いときには、自然との一体感を感じ、その場の景色は一瞬しか見られないのに、頭の中にはその景色が鮮明に残り、とても濃縮された時間を過ごすことができるというのが魅力だと語っているのが印象的だった。世界最高のトレイルレースとされるウルトラトレイル・デュ・モンブランは、3カ国を回るため、選手はパスポートを携行して走り、トップの選手は、20時間台でフィニッシュするとのことだった。寝ることなくずっと山道を走り続けるのだから、あまりにも過酷すぎて想像のつかない世界だと思った。鏑木さんはこのレースでは23時間台で4位とのことだったが、優勝者は、なんと50歳代後半の選手だったという。年を取っても世界のトップで競技のできるという意味では、とても魅力のある競技だと思えた。

■2009年3月28日(土曜日)
 大阪学院大学で行われたランニング学会に参加。ポスター発表では、昨年電磁波の影響について発表をした歯科医師の先生が、靴ひもの結び方の違いで、力の発揮が違うということで発表し、とても興味を持った。自分の靴には、靴ひもがなかったが、先生に自分の靴を見てもらった。オーリングテストを行った結果、体を反らせると力が入らないことがわかった。そして、左外側の靴底に問題があるとのことで、問題の部分を削った結果(削る道具を持っているところが、さすが歯科医師)、体を反らせた状態でも力が入るようになった。驚きだった。
 午後は、ランニングフォームについてのシンポジウムが行われた。ケニア人と日本人の比較をした榎本先生は、ケニア人の大腰筋が日本人よりも有意に大きいと報告していた。ケニア人は、骨盤の前傾が強いという印象があるが、実際はそれほど強いとは言い切れず、下腿は日本人より細いが、長いため、慣性モーメントも、それほど変わらず、身体的な特徴よりは、動き自体に違いがあると考えた方がよいと述べていた。
 短距離の研究をされている伊藤先生は、短距離の最高速度が出ている時には、接地時のブレーキも大きく、速い人ほど、ブレーキと加速力が大きく、時間が短いと述べていた。そして、ブレーキを減らそうとするのであれば、ゆっくり走るしかないが、ブレーキが、下肢でのストレッチ・ショートニング・サイクルを作っている可能性があり、ブレーキをマイナス要素と考えるのではなく、ポジティブに考える必要があるのではないかと述べていた。この考え方は、今までに考えたことのない考え方でとても新鮮だった。討論の中では、長距離のトップ選手は、例えば50mくらいの加速走で最高速度を高めるなど、将来の可能性を高める練習が必要ではないかと述べ、距離の長い駅伝に偏重している現状からの脱却方法についてのコメントがあり、とても参考になった。
 大阪は、本当に路上喫煙が多い。道端にも吸い殻がたくさん落ちている。横断歩道では、ほとんどの人が赤の状態で歩き始める。梅田の横断歩道には、交通整理のガードマンがいて、歩行者と自転車の交通を整理していた。ガードマンが、「自転車が左側を通りますからご協力お願いします。」と言うので、右側に歩行者が寄って歩いているのに、信号が青になったとたん、自転車に乗った人たちが、右側を通行していく・・・話を聞け!!と言いたくなった。エスカレータは、追い越しが左側なので、注意せずにいつも通り左側で止まって乗っていると怒られそうな雰囲気。高速道路の追い越し車線は右側で、全国共通なのだから、エスカレーターの追い越しも右側を共通にして欲しいと思ってしまった。

■2009年3月27日(金曜日)
 麻薬の問題で家宅捜索を受けていた日体大の跳躍パートの合宿所で偽札が見つかった。そして、学生が大麻を栽培し吸引していたことも公表され、跳躍の男子部員46名は、無期限活動停止となってしまった。
 陸上競技マガジン4月号で、スポーツドクターの野田晴彦氏が、たばこを吸う習慣のない人にとっては大麻は無縁だということを述べていたのを思い出した。大麻を吸引していたということは、少なくともたばこを吸う習慣があったということなのだと思う。スポーツ界は、たばことアルコールについてあまりにも寛容すぎるのではないかと述べられていたのが印象的だった。五輪壮行会でもたばこを吸う人がいたり、選手を終えて指導者になったとたんにたばこを吸い始めるということもよくある。スポーツはクリーンだというのなら、選手の周りの空気も肺の中もクリーンにするべきではないのか、との主張だったが、全くその通りだと思う。競技場でも審判がたばこを吸っているので、その煙を浴びてイヤな思いをすることが多い。アルコールについても、競技での使用についてドーピング違反となる種目もある。
 スポーツのイベントにこれら嗜好品を取り扱う企業がスポンサーとなることも多い。クリーンにするというのであれば、そういう企業からはサポートを受けないという強い姿勢も必要に思う。しかし、不況によりスポーツが衰退しているところを見ると、そうは言っていられないのが現実ということになる。

■2009年3月26日(木曜日)


スタート直後





2周目
 関東学連春期オープン競技会800mに出場。13組あり、自分は、最も持ちタイムの速い人の集まる最終組だったため、第1組が始まってから1時間くらい待たされた。体は重く、あまりいい調子とは言えなかった。
 スタートから全くついていけず、最初のバックスとレートで一番後ろの7番手となった。先頭のペースが速いためか、最初から長距離のようにきれいに1列に並んでレースが展開した。先頭は1週目を54秒台で通過したが、自分は、57秒台。
 2周目も、とにかくがんばらず、そのままのリズムを継続させるだけに専念した。1周目以降は、差はそれほど広がらず、何となく集団についていけ、そのままフィニッシュラインまで走り切ることができ、最下位の7位でフィニッシュ。タイムは1分55秒89だった。
 レースには、全くついていけなかったが、今の力を考えると、納得のいく結果だった。2周目もペースを落とさず維持できたことはとても大きく、前半のスピードについていけるようになってくれば、自然とタイムも出てくる可能性が高いので、自分にとっては価値あるレースだった。
 今日はレースよりも、入間で勤務していた際に自分の部署で働いていた部下が、会場にいたことに驚いた。こちらは、似ているけど声をかけていいかどうかとまどい、彼は、いつ声をかけようかどうか考えていたが、レース後に話をすることができた。彼は、自衛隊を退職し、大学に入学し、陸上部に所属しているとのことで、今日は5000mに出場していた。自分が転勤後、彼も転勤し、ある駅伝に出場した際には、彼の家に泊めてもらったことがある。彼の実家が横須賀ということもあり、とても縁があるように感じ、再会できたことがとてもうれしかった。今後もいろいろな会場で会うことになるので、彼の楽しみが一つ増えたように思う。
 レースには、我が校の学生たちも参加していた。多くの学生は練習不足のため、思うような結果は出せなかったが、中には800mでベストを7秒近く更新した学生もいた。それぞれ現状を把握し、問題を修正して、4月以降のレースに臨んでもらえればと思う。

■2009年3月25日(水曜日)
 練習は1000mと300m。一定ペースで気持ちよく走るつもりだったが、走り慣れていないので、気持ちよくはならず、1000mを走り終わった後は、気持ち悪くなり、うずくまった。2分40秒くらいで走れればいいと思っていて、2分38秒だったので、タイムは、感覚通りだったが、下腿が自分の体を受け止めるだけの力が続かず、すぐにつぶれた走りになった。ふくらはぎが重く感じ、思ったような脚のスイングもできなかった。
 次の300mまでは5分間だったため、気持ち悪くて動けない状態でスタートすることになってしまった。結局300mは、全く走れず、感覚としてはジョギングのようになってしまった。明日は、今年初めてのトラックレース。最後まで下腿が自分の体につぶされずに走りきれるかどうかがポイントになりそうだ。1分56秒くらいが出ればいいなぁと思う。

■2009年3月24日(火曜日)
 日体大陸上部男子部員が、大麻所持の疑いにより、合宿所を家宅捜索されていたとの報道があった。家宅捜索では大麻は見つからなかったが、男子部員は、退学となり、部長、監督、コーチが解任された。調査結果や処分理由については明らかにされていない。  他の種目と比べ、自己管理ができていないと競技ができない種目なので、こういった問題は起こることが信じられないが、同じ陸上競技の関係者が起こした問題であり、部長、監督、コーチは、3人ともとても有名な方で、特に部長は、以前からお世話になっている方だったので、人ごとには思えなかった。1人疑いがあったということは、その背後には、さらにかかわっている人たちがいる可能性がある。大麻の疑いがあったということは、そのままドーピングの問題にもかかわってくる。ドーピングの問題も含め、まだまだこれらの問題は、広がっていくように思う。

■2009年3月23日(月曜日)


 国際陸連が今夏総会でフライングを「一発失格」にすることを提案するという。 故意にフライングする選手が後を絶たないという理由らしく、可決されれば「一発失格」が 来年1月から適用される。
 短距離では、スタートがとても重要で、集中している人の集中をとぎれさせる目的で、 故意に行う選手がいるということなのだろう。中長距離でも、たまにフライングを見る ことがあるが、故意で行う選手はあまりいない。
 「一発失格」が適用になると、思い切って飛び出すことができず、特に100mでは、記録に 影響するようにも思えるが、水泳ではすでに実施されているので、そんなことは言っていられない のかもしれない。
 テレビの放送枠にレースを入れるのに、予想できないフライングの回数までは含められない。 マスコミの圧力によって、テレビ枠からレースがはずれないようにするための処置ということは ないのだろうか?フライングが1人1回まで認められていた時には、フライングも駆け引きの一つで、 観客もそれを含めのんびりと競技を楽しんでいたのかもしれない。そう考えると、せわしない 世の中になってきたなぁと思う。

■2009年3月22日(日曜日)


桜のつぼみ



卒業生の見送り
 麻生総理、浜田防衛大臣のご臨席のもと、防大の卒業式が挙行された。小泉元総理と麻生総理が同じ場に居合わせることは、最近では、なかなか実現しないシチュエーションだった。今年も小泉元総理は、舞台の一番前の席に着席され、もっとも目立っているように見えた。
 総理と大臣の話は、あたりさわりのない内容で、昨年の石破大臣ほどの印象はなかった。卒業式が終了し、来賓が退場されるときに、壇上から元長官のハマコーさんが、卒業生に対して大声で何かを話し、会場が一瞬凍り付いた。遠くから聞いていたので、何を話しているかわからなかったが、卒業生に対する期待は、他の人よりも大きく、直接語りかけたかったのだと思う。テレビで見たままのとても熱い人だった。
 卒業式後は、天気が悪かったため、パレードは行われず、飛行機も飛ばず、例年よりも早い時間帯に見送りが行われた。自分の授業を選択した学生たちは、みんな、感謝の言葉を述べて去っていった。ある学生は、「絶対に泣かないつもりだったのに」と言って、自分の前で泣き崩れてしまった。授業だけでなく、学内で会うたびにいろいろと話をする仲だったので、こちらももらい泣きしそうになった。
 卒業後、自衛隊に進まない学生は、この10年では最も多い35名らしいが、彼らも含め、これからいろいろなところで活躍してくれることを願う。

■2009年3月21日(土曜日)


観音崎
 最近、次男は食事の好き嫌いが激しい。肉や魚を好み、野菜を食べない。特にキュウリを除く緑色をした野菜は、口に入れても吐き出すことが多い。キュウリだけはなぜか好んで食べる。
 今朝は、キャベツを入れたみそ汁を作ったが、キャベツだけ残された。夜は、キャベツ入りのパスタを作ったが、これも見事に残してくれた。このまま放置しておくわけにはいかないと思い、夜は残した物を食べ終わるまで待った。自分と長男は、デザートにイチゴを食べたが、次男には与えなかった。次男は、イチゴを欲しがって泣き、かわりに残したキャベツを口元に持っていったが、怒りだし1時間近く泣いた。それでも今日は、絶対に食べさせるつもりで、そのまま放置した。最後は、次男に口をあけさせ、口に入れたところ、食べ出して、長男と2人で、大喜びで拍手してほめてやった。すると次男はうれしくなったようで、その後は、泣かずに、素直に口を開けてくれ、なんとか間食してくれ、望み通りイチゴをあげたところ、とてもうれしそうだった。これを機に野菜を嫌がらずに食べてくれればと思う。

■2009年3月20日(金曜日)
 家族と横須賀中央へ買い物に行った。妻は、引っ越しする人へのプレゼントを買いたいということで、妻を中心に買い物をすることになり、自分はそれについて一緒に見たいと思っていたが、子どもたちがすぐに退屈してしまった。子どもたちは、じっとしていられず、店の商品を手にとって、遊んでしまいとても危険なので、結局、食べることで気を引くしかなく、ドーナツ屋で時間をつぶし、その間、妻には1人で買い物をしてもらった。子どもと一緒に買い物をするのは難しい。

■2009年3月19日(木曜日)
 WBCでニッポンががキューバに勝利した。最初の得点のきっかけは、エラー。いったん流れができるとなかなかその流れは断ち切れない。後半は、キューバはあきらめているように見えた。日本や韓国は、データによる分析が徹底されていて、データに基づく野球をしているが、キューバは、全くデータなど当てにせず試合をしているとのことだった。いくら個々がすばらしい能力を持っていても、チーム内で相手に対する共通理解がなければ、データを駆使している側には勝てないのではないかと思った。

■2009年3月18日(水曜日)
 TBSでは、夜の放送でWBCの特集があり、韓国の高校生とキューバの野球について放送していた。日本の高校は、4000校が野球部を持っているが、韓国は、50校くらいしかないという。しかし、日本とは違いプロの関係者が指導することもできるし、それぞれの学校が野球にかける金額が高額で、ほとんどプロ養成校という感じで、少数でありながら、とてもレベルの高い野球をしていた。また、行動がとても機敏で、軍隊のようで驚いた。
 キューバも、野球が盛んで、多くの子どもたちが野球選手を目指し、セレクションで勝ち抜いた選手が国内リーグで活躍し、国際大会に出場している。しかし、日本や韓国とはちがい、とてものびのびとやっているように見え、南国らしい雰囲気だと思った。

■2009年3月17日(火曜日)
 学生たちの謝恩会に出席した。授業では教えることはなかったが、低体力の学生に対する教育に参加していた学生が、自分のところへきて、「本当にありがとうございました」と感謝を。
 こちらが、教育で話をしたトレーニングを毎日かかさず行い、最後の体力測定では、見事合格できたという。いまでもそのトレーニングは続けていて、本当に教育を受けて良かったと話していた。だいたい教育では、多くの人は、聞いたことをその場で忘れてしまうので、どのくらい自分の話が伝わったのかと思うことがある。教育する側の伝え方も重要だが、今日の学生の話を聞いて、やっぱり、教育を受ける側の意気込み次第だと思った。どのくらい本人が本気か、これが重要であり、本気になれるように、こちらはサポートしていかなければならない。

■2009年3月16日(月曜日)
 朝、車に乗るため、リモコンのキーを押してみたが、反応がなかった。キーに反応がないということは、車のバッテリーに何か問題があるのではないかと思い、手動でドアを開け、ルームランプのスイッチを見てみたところ、ONになっていた。ルームランプをつけっぱなしにしていたために、車のバッテリーが上がっていた。
 帰宅時に、なんとなくリモコンを押してみたら、ロックが解除された。バッテリーが復活したのかと思い、キーをさしてエンジンをかけてみたところ、一瞬スタートしそうになって、すぐに電源が切れた。 やっぱり無理だった。
 明日以降、保険会社に電話し、ロードサービスをお願いして、充電してもらおうと思う。

■2009年3月15日(日曜日)


ジンベエザメ



ウミガメ
 早朝5時に起床し、朝練を実施。国際通りを通り、漫湖公園までジョギングした。国際通りでは、黒人たちが、歩道を塞いで騒いでいた。とても迷惑な集団だった。ジョギング中に2回パトカーに遭遇した。そのうちの1件は、車の事故で、フロント部分がかなりつぶれていた。相手がいないようなので、自損のようだった。飲酒運転でもしていたのだろうか?
 漫湖公園では、マングローブを見るつもりだったが、暗すぎてはっきりと見ることはできなかった。
 最終日の練習は、朝練のみにして、北部にある有名な美ら海水族館へ行った。美ら海水族館は、海洋公園内にあり、公園は1日で回りきれないほどの広さがあった。水族館は、巨大水槽に泳ぐ魚たちに圧倒された。特に、3頭のジンベエザメやマンタの泳ぐ姿は雄大で、ずっと見ていても飽きることはなかった。水族館の外には、マナティー館、ウミガメ館、イルカスタジオがあり、長い時間をかけて訪れた甲斐があった。そのほかにもエメラルドビーチという真っ白な砂浜が広がっていて、いかにも沖縄という風景が楽しめた。
 帰りの飛行機が夕方に出るため、レンタカーを3時半には返さなければならず、海洋公園内にいられたのは、2時間ほどだった。次は、合宿ではなく、観光で訪れ、ゆっくりと見ることができたらと思う。

■2009年3月14日(土曜日)


浦添競技場



公設市場にて
 朝練は、首里城まで走った。昨年7月に走ったときには、強い日差しと蒸し暑さでジョギングを続けることがきつかったが、今日は、途中から雨が降るなど、走りやすかった。
 午前は、浦添陸上競技場で、我がチームの貸し切りで練習。中距離の練習メニューは、韓国式サーキットを3セット。小雨の降る中での練習となり、寒いくらいの気温で、沖縄で練習している気がしなかった。各セットの最後に行う1000m走は、一緒に走る人がいるだけでタイムは上がり、3本とも3分を切て走ることができた。
 午後は、同じ競技場で、800m変化走を3本。ダッシュの距離が1本1本違い、徐々に長くなるように設定してあり、本数が増えるごとにタイムは速くなるはずだったが、徐々にタイムは遅くなっていった。午前中の疲労もあり、自分の体を脚で支えきれず、一歩一歩が潰れてしまっていた。久しぶりのスパイク練習で、たった3本だったが、かなりの疲労があった。
 夜は、夕食後、ステーキを食べに行った。体育学校時代初めて沖縄合宿に来たときに連れていってもらった店で、地元の人も訪れるという店だけあって、かなりの行列ができていて、入店するのに1時間ほど待った。ステーキの値段は、他店と比べ安く、ボリュームがありおいしかった。スープの味は、以前訪れたときと同じでまずかった。

■2009年3月13日(金曜日)


参加者全員で



ゴーヤービール
 アンビバレンスの沖縄合宿が始まった。午前中に那覇へ着き、レンタカーを借り、昼食後、西崎競技場へ行った。競技場では、大勢の選手達が昼食をとりながら休憩していた。ほとんどの選手は日大の選手だったが、その中には、大学院で一つ学年が上だったやり投げの荒井くんもいた。日大の合宿と日本陸連のやり投げと円盤選手の合宿が同時に行われているとのことだった。
 今回の参加者は、18名で、初日は16名が参加した。中距離は4名での練習となった。4人ともそれほど練習が積めていないため、今回の合宿を機会に少し練習をできる体にしていきたいという感じだったので、メニューはスパイクを履かずに、3000mのペース走と300m×1、200m×2、100m×3をすることにした。
 走っている間は雨が降り、特に風が強く、常にペースが落ちていると思いながら集団を引っ張ったので、結果的には、徐々にペースが上がることになってしまったが、上位3人は、まとまってペース走ができた。その後のスプリントでもまとまって走ることができ、みんなが意外と走れるという感覚を持つことができ、練習をやりきったという達成感が残った。

■2009年3月12日(木曜日)
 長男が、朝から熱があり、幼稚園を休んだ。午前中は、次男とは隔離して寝かせたり遊ばせたりして、午後からは、それもストレスのようなので、一緒に遊んでいたという。そのころには平熱になり、これで元気になったと思っていたところ、夕方になって急にお腹が痛いと言いだし、好きなプリンも食べ残すほどだったため、急遽病院へ行くことになった。病院では腹痛の原因は分からず、抗生剤をもらって帰宅した。
 なんとか夕食を食べさせていたが、腹痛は治まらず、あまりの痛さに泣き出してしまった。先生からは、盲腸でも子供は、盲腸とは別のところが痛いと言い出すので、吐き気があったら気をつけるようにとのコメントがあった。幸い吐き気はなかったが、食事を途中でやめて薬を飲んで寝かせたが、どうしても痛くて泣きやまなかった。救急病院へ連絡をして、出発する準備をしている間に、長男は泣きながら寝てしまった。結局病院へは行かなかった。何事もなく明日の朝を迎えられることを願う。

■2009年3月11日(水曜日)
 練習は600m×3。少しずつスピードを上げていきたいところだったが、300mを過ぎる頃から、下肢が自分の体を支えられなくなり、どうしてもつぶれた状態になってしまった。タイムも、本数を重ねるたびに落ちてゆく。2本目で、左足のふくらはぎがつりそうになり、3本目は、少し自重して走ったこともタイムの低下に影響していたかもしれない。あと2週間でシーズンインになるが、まだまだ、試合に臨める状況にはない。

■2009年3月10日(火曜日)
 NHK総合の「爆笑問題のニッポンの教養」は、教育社会学の先生の研究室を訪問していた。先生は、学校での道徳教育のように、すべての子どもに何やらを考えさせようとすることが本当に必要なのか考えた方がいいと述べていた。この先生は、「教育には何ができないか」をもっと考えるべきだと主張しているそうで、なるほどと思った。「教育はこうだ」と言い切ることは難しいのだから、何ができないかを示していくことで、だんだん教育というものが見えるようになってくる。これは、以前、日本韓氏意拳学会の光岡先生が自然について話していたことと同じだと思った。
 番組の途中で、「学校で学んだことを一切忘れてしまった時に、なお残っているもの、それこそ教育だ。 アインシュタイン」という字幕が出た。今までの経験と照らし合わせると、本当にその通りだと思い、今まで以上にアインシュタインが偉大な人物に見えてきた。

■2009年3月9日(月曜日)
 大学陸上競技部OB会の集まりがあった。ある先輩から、自分の部署では、毎日のように深夜2時になっても全員がいるという状態で、昨日も3時だったということを聞いた。徹夜もよくあるという。そんな遅くまで仕事をしていてどうやって帰宅するのだろうと思った。帰宅の方法はやっぱりタクシーなのだろうか。いろいろ聞いてみたいことがあったが、なかなか聞けなかった。この忙しさは、日本周辺の軍事情勢が緊迫していることも影響しているのかもしれない。しかし、そんな生活では、体が持たないし、健康には過ごせず、判断力も鈍るのではないかと思った。それならば、雇用を増やし、ワークシェアということでシフト制にでもして、確実に体を休める時間を確保できるようにしたほうが、効率が良いのではないかと思ってしまった。お体をお大事に。

■2009年3月8日(日曜日)


長男の絵
 長男が絵本を見ていて、「なんで宇宙は、逆さまなの?」と聞いてきた。絵を見ていて、宇宙では、人が逆さまになっていたりするのに疑問を持ったらしい。地球に住んでいると重力によって、地球の中心にみんな引っ張られるが、宇宙には重力がないので、上も下もないから、それを表すために逆さまに書いてあるのだと教えてみたものの、それでわかってもらえたかどうか・・・。大事な疑問なのに、しっかりと子供に教えられなかったような気がする。
 夕方に散歩をしたときにも、長男は、空を見上げて、鳥の群を指差し、「形がきれい。何でああいう形で飛ぶの?」と聞いてきた。鳥の群は、WやVやUの形に変化しながら飛んでいた。長男の質問には答えられなかった。本当に子供のなぜだろう?という質問にはハッとさせられる。
 こういったときに子供用の百科事典でもあって、本人が疑問に思ったことをすぐに調べるというような習慣がつけられれば、と思った。

■2009年3月7日(土曜日)


雪に喜ぶ長男




かなりの霧でした




スクール受講中
 バスツアーで、長男を連れて、富士山2合目にあるイエティというスキー場へ行った。長男は、スキー場の雪を見て大はしゃぎだった。雪合戦をしたいと言って、雪を手に取ろうとするが、雪は、少し解けかかったものが固まっているため、あまり取ることができず、握った固まりは、氷のようなもので、それを投げられ、こちらは痛かった。
 今回のツアーは、スキースクール付きだった。長男は初めてのスキーなので、自分もそれにつきあい初心者コースを受講した。生徒は、10名ほどいて、長男よりも年下の子供から、大人まで、かなり広い年齢構成だった。インストラクターは、大人に話しをするように説明するので、子供にはわかりづらかったためか、なかなか言われたことができなかった。長男は、途中から、インストラクターの言うことを無視して行動するようになり、こちらは半分怒りながらそれを止めて、話を聞くように諭したりしていた。後半は、インストラクターの話を聞かずに、違うことばかりして、完全にグループからは離脱したような感じだった。こちらも、長男の行動にいちいち介入したためか、長男に話をすればするほど、わざと転んでみたり、ストックを落としてみたりして、こちらがイライラすることばかりしてくれた。
 インストラクターは午前中の状況を見て、午後からは、子供だけ預けてくれればいいと言ってくれたので、子供だけを預けて、自分は好きなように滑ることにした。午後は、運の良いことに生徒が3名だった。長男を除いた2名には悪かったが、なかなかうまくできない長男は、ほぼマンツーマン指導という感じだった。親が口を出さなくなったためか、親がいなくなり甘えられなくなったためか、午前中よりは、きちんと指導を受けているように見えた。最後は、斜面の下まで降りてリフトに乗りたいと言いだし、インストラクターは、長男をサポートして、なんとか下まで降りてくれ、本人の希望通りリフトに乗ることができ、スクールが終了した。
 今回のバスツアーでは、長男の同じクラスの友達が参加していた。幼稚園で歌っている歌を歌ったりして、行きも帰りもバスの中は、にぎやかだった。長男は、また来年もスキーに行きたいと言っていた。スキーが楽しかったと言っていたが、最も楽しかったのは、友達と騒げたことだったのではないかと思った。

■2009年3月6日(金曜日)
 日経新聞で「知が危ない」という連載で、ある会社では、大学院卒が8割を占める新入社員の学力テスト(問題レベルが小学6年から中学1年)の結果が、高卒のベテラン社員よりも20ポイント以上成績が悪く、年々低下しているという記事があった。そんなことが本当にあるのか?と思うほど驚いた。人間は、普段やっていないことは、どんどん忘れていくので、大学院ともなると、何でもコンピューターで仕事をしていまい、実際に自分で手を動かすことがなく、忘れてしまうのかもしれず、日常生活は小学校低学年レベルで十分生活ができているとも考えられる。しかし、文部科学省も、大学卒業時に最低限身につけるべき知識や能力の向上について動き始めているとのことなので、この状況は、異常ではなく普通になってきているのかもしれない。学び方から教える中学校並の取り組みを行っている大学もあるそうだが、小中学校のときに、学ぶべきことを学びきれていない人が増えているとすると大学での対処には限界がある。自分たちが小中学生だったころと何が変わってきているのだろうか?とても気になるところだ。

■2009年3月5日(木曜日)
 練習は、1000m×5。設定は3分10秒。1本目は、ペースがわからず3分05秒。2本目は、1本目のペースをなんとか維持しようと思いながら走り、ペースが維持できず、設定通りの3分10秒。3本目以降は、3分07秒、06秒、03秒で、なんとか設定以上のペースは刻めた。
 一昨日からスパイクをはき始めているが、スパイクを履くと、ジョギングシューズを履いているときと比べ、下腿部の疲労感が大きく、走り終わった後にかなりの張りを感じる。走りはじめは、しっかりと地面からの反発をもらっている感覚があるが、すぐにその感覚はなくなり、接地の度に、下肢が自分の体重を支えられず、つぶれる感覚になる。今のままでは、中距離を走りきることができない。これからの1ヶ月で、この問題を改善していかなければならない。

■2009年3月4日(水曜日)
 次男が朝から39.5度の熱を出した。朝起きてきて、ふらつきながら歩いていた。本人は、熱があることなど認識していないためか、普通に歩こうとしている。親としてはとても心配するのが当たり前だが、それを見た長男が、朝食の途中から腹が痛いと言いだし、食事を途中でやめてしまった。仕方ないので、子供2人を病院へ連れて行くことにした。
 出発する準備をしている間に、長男は遊びだし、何気なく「お腹治った?」と聞いたらうなずいたので、「それじゃ、幼稚園へ行こうか」と言ったとたん、「やっぱりお腹が痛い」と言い出した。明らかに仮病。結局、長男は、病院へ行かずに幼稚園へ連れていった。
 次男は、病院でインフルエンザの検査をしたが、たぶんインフルエンザではないという曖昧な診断だった。本人は、病気かどうかは関係なく、いつも通りの生活をしようとするので、寝ようともせず、親としてはとても困ったが、体は病気でも、心は病気ではないのだと思った。心まで病んでいたらかなり深刻だろうと思う。大人は、体が病気になると心まで病んでしまう。長男は、体は何ともないのに、心でお腹が痛くなったのではないかと思う。5歳児は、大人並の考え方をするようになっているということなのか。心までは病まない次男を見習わなければと思う。

■2009年3月3日(火曜日)
 4年生の卒論発表が昨日から始まった。学生たちが1年間どんなことを勉強してきたのだろうか、という興味もあり、陸上競技部の学生たちの発表を聞きに行った。
 いくつか聞いてみて、一つの物事にも一人一人見方が違い、いろいろな視点があるのだと思った。そんなことは、わかっていることだが、実際に調査を進めていくと、どうしても偏った視点からしか物事が見られなくなる傾向がある。深めれば深めるほど、その傾向が強くなるのは仕方ないが、そこで、いったん立ち止まって、もう一度、突き詰めていったところだけでない全体を見回して、別の視点で見直してみることができるとより良くなると思った。これは、当然自分自身にも言えることなので、そういうことを再認識できたことはとてもよかった。しかし、学生たちは、1年間という限られた期間では、限界があることも確か。みんなよく頑張ったと思う。

■2009年3月2日(月曜日)
 CDやDVDがネット上でレンタルでき、郵送で送られ、返却はいつでもよく、気が向いたときに郵送すればよいというシステムがとても気になった。今入会すれば、1ヶ月間は無料で最大8枚まで借りられるというので、最初の1ヶ月が無料であれば、無料の期間だけ入会して、すぐに解約すればいいというケチな考えで、先月6枚をレンタルした。
 業者は、お金の巻き上げ方を心得ていて、貸し出しは、2枚ずつだった。2枚を返却すると、何日か経ってまた次の2枚が送られてくるという仕組み。最後の2枚を月末に受領したため、2月の内に最後の2枚を返却できず、気がつけば、自動的に次の月の基本料金を引き落とされていた。使えば使うほど割引率は上がるらしいが、近所のレンタル屋に行った方が品揃えはいいし、安い。最初の1ヶ月は無料で、いつ返却してもよいという言葉が大きな罠だった。

■2009年3月1日(日曜日)
 三浦国際市民マラソン5kmに出場。雨がかなり強く、走るには、あまりいいコンディションではなかった。過去最高のエントリー数だったというほど、人が多いためスタートラインに集合した後は、ウォーミングアップもほとんどできず、スタートまで20分ほど待つことになり、かなり寒かった。
 レースは、スタートから、多くの人がダッシュして飛び出し、かなり無謀なペースにみえたので、あまり気にせず、無理しない程度に走り始めた。無理にダッシュした人たちは、すぐに後退し、昨年後半まで順位を争った中学生が目の前にいたため、彼について走っていくことにした。
 がんばっているつもりはないのに、1kmの通過が2分44秒だった。ペースを落としているつもりはないのに次の1kmが3分36秒だったので、距離表示がおかしいのではないかと思った。
 前半は、下り坂が多く、後半は上り坂に加え、雨と向かい風も強くなってきたため、かなりペースダウンしてしまった。目標にしていた中学生にもついていけず、我慢して走るだけだった。2km〜3kmは、3分40秒だった。
 その後も、自分では、ペースは変わっていない感覚だったのに、3km〜4kmは、なぜか3分17秒で、最後の1kmは、ペースアップをしたにもかかわらず3分26秒もかかり、フィニッシュは16分42秒で12位となった。
 17分が切れるかどうか心配していたので、今の状態では、よく走った方だと思う。しかし、自分の感覚があまりにも狂いすぎていることがとても心配になった。また、最後は、ダッシュをすれば、前の選手に届きそうなのに、ダッシュができなかったということから、体も気持ちも弱くなっていると感じた。とても反省の多いレースだった。



[昔のいずみ]